「黒の狩人」上下 大沢在昌 幻冬舎 2008年
「北の狩人」「砂の狩人」に続く新宿署新宿鮫シリーズのスピンオフ第三弾
中国人が被害者となる連続殺人事件、しかもバラバラ遺体。被害者はIT企業のエリートSE、中華料理店のオーナーと何の接点も見出せない。解決するのは新宿署組織対策犯罪課の佐江と、公安より押し付けられた中国人通訳毛、外務省中国課の職員野瀬由紀の三人。新宿に蠢く日本ヤクザ、中国裏社会から飛び出して、日本の刑事警察と公安警察、中国国家安全部、外務省まで入り乱れて、ストーリーはうねりひねり展開してゆく。
被害者の共通点は何か?犯人の動機は?真相が明らかになったかと思えば新事実が現れる。事態の収拾のため中国国家安全部の大物が来日し、そして凄腕の殺し屋が中国からやって来てから、さらに話がややこしくなり・・・・・・
いやいや。膨大な数の登場人物、ひどく複雑なストーリー。なのに、上下800ページを一気に読んでしまった。
「砂の狩人」「北の狩人」両方とも未読だったので大丈夫かなとは思った。読んでいた方が佐江が昔を回顧するとき、前作の登場人物の名前を語るので多少は意味がある。しかし「黒の狩人」自体は前作と無関係のようなので問題なし。
これが現代中国の実態であるとか裏社会の実態であるとかいう読み方もあるんだろうと思う。しかし馳星周の「不夜城」が新宿裏社会のリアルさを描いていると思われたのに本人は全く調査しないで書いたことが後で分かったりしてる。それと同様に「黒の狩人」に関してはあまりリアリティがどうという作品ではないと個人的に思う。公安警察の考えが刑事警察とは違うとか、ストーリーの核ではない所で色々な話が出てくるが特にそれが情報小説として読まれるべきではなく、あくまでもエンターテイメント作品として読む本なんだと思う。勿論情報小説として読むべき・読んだ小説もたくさんあるが、この本はエンターテイメントだと思いながら細かいプロットの洪水に溺れつつ読むとより楽しめると思う。
ストーリーの核をなすのが、はぐれ刑事佐江と中国人通訳毛、そして外務省の由紀の三人のチーム、友情。どうして冷たい男佐江が最後には毛のことをあれほど思うようになるのか、その最終着地点に至る軌跡を描いたのがこの作品なのかも知れない。
ラストにかけて大きなどんでん返しあり。まさかそう来るとは思わず、ひっくり返ってしまった。近代日本のミステリー(近代っていつだよ?)の中でも傑作中の傑作「新宿鮫II 毒猿」のラストを彷彿とさせた。新宿御苑のシーン覚えてる?
最後に外務省の野瀬由紀の独白から引用する。少し長いがこれを読むだけでも価値があると思う。(下巻138ページより引用)
だが、いつか、外務省という役所がなくなる日がくる。国家という概念がなくなれば、外務省は必要ない。その前になくなるものがある。軍隊だ。
子供じみた仮定だというのはわかっている。現実は、軍隊も国家もなくならないだろう。利益を追求する企業の代理人としての国家やその活動の保護者としての軍隊は、これから先さらに求められるものが多くなる。
戦争はなくならない。なぜなら戦争は、その行為において利益を生み、さらに結果においても利益を見こめる”経済活動”となりつつあるからだ。民間軍事会社の台頭がそれを証明している。特殊かもしれないが、戦争を莫大な富を作りだすビジネスにできるプロフェッショナルが、国家と企業のあいだに介在してシェア広げつつある。ジャーナリズムもまた然り。戦争が生む悲劇や憎しみには、ニュースとして犯罪や事故などよりはるかに高い換金性がある。
しかしそれは世界中を呑みこむような戦争であってはならない。すべてを灰燼に帰するような戦争では、得た富を使える場所もなくなるし、悲劇や憎しみに金を払う観客もいなくなる。
どこか”遠く”の戦争で生み出されるのが”近く”の富なのだ。したがって世界戦争が起こることはもうないだろう、と由紀は思う。平和を望む人が多いからではなく、経済原理に反する、という理由で
子供じみた仮定だというのはわかっている。現実は、軍隊も国家もなくならないだろう。利益を追求する企業の代理人としての国家やその活動の保護者としての軍隊は、これから先さらに求められるものが多くなる。
戦争はなくならない。なぜなら戦争は、その行為において利益を生み、さらに結果においても利益を見こめる”経済活動”となりつつあるからだ。民間軍事会社の台頭がそれを証明している。特殊かもしれないが、戦争を莫大な富を作りだすビジネスにできるプロフェッショナルが、国家と企業のあいだに介在してシェア広げつつある。ジャーナリズムもまた然り。戦争が生む悲劇や憎しみには、ニュースとして犯罪や事故などよりはるかに高い換金性がある。
しかしそれは世界中を呑みこむような戦争であってはならない。すべてを灰燼に帰するような戦争では、得た富を使える場所もなくなるし、悲劇や憎しみに金を払う観客もいなくなる。
どこか”遠く”の戦争で生み出されるのが”近く”の富なのだ。したがって世界戦争が起こることはもうないだろう、と由紀は思う。平和を望む人が多いからではなく、経済原理に反する、という理由で
これが野瀬由紀を借りた、大沢在昌の考えなのだろう。98%ぐらい同意する。戦争はなくならない決して。そして平和を望む人の心がこの世を動かしているのではなく、経済がこの世を動かしている。
一つ追加させてもらえば、戦争がなくならないのは、人間に闘う・殺す遺伝子が組み込まれているからであり、それが家族・ムラという小規模コミュニティから地域、国家を動かす根底にどっかりと座っている遺伝子だから。
戦争はやめようとか積極的にやろうなどというものではなく、そこにあるかあるいはないかという状態を表しているに過ぎない。
などと書くとただでさえアクセス数の割りに誰もコメントを書こうとしないこのブログ。ますますコメントしにくくなる。では、また。
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