「犬と鬼」などで、古き良き日本を守るべきだと論じてきた著者。いかに、余計な看板や注意書きが日本の景観を損ねているか。日本中どこにいっても同じでつまらないかということを、今回は、写真多めな新書で論じている。
多くの人と共有できる意見かどうか分からないのだけれど、私はほぼ同意見。前から思っていたことが軽く噴出してしまった。
日本中どこに行っても、「お年寄りには席をゆずりましょう」「安全運転」「この中に入ってはいけません」などの張り紙、看板がある。99パーセント不要なモノばかり。(本当に大切な看板なんてあったっけ?)そんなことをいちいち言う方も言われる方も、どうかしてるぜ(ブラックマヨネーズ吉田風で)大事なことを、必要なタイミングで言うのでなく、不必要なことをたくさん言うのが日本的な体質なのだろうか。
地方に行くと、がっかりすることが少なくない。東北に来ているのに、神奈川と景色があまり変わらない。仙台も金沢も名古屋も博多も、どこに行っても、駅周辺では似たような景色しか目に入って来ない。車を運転して、市の中心を離れると、これまたどこも同じような景色。旅行が、そこでしか見られない名所をちょっと見るツアーに参加するだけで充分になってしまう。開発が、結局、日本中どこも同じ状態を作り出してしまった。
外国からお客さんをたくさん呼びたいのなら、このような開発はすべきではなかっただろう。国内をあちこち旅行する日本人を増やしたいなら、日本各地はそれぞれ全然違うという多様性を担保しておくべきだっただろう。(毎年毎年新製品を生み出すということで消費マインドを刺激するというのが日本的な経済刺激策だったけれど、それって「正しい」のだろうか)
家屋に関しても、どこに行っても同じような建て売り、同じようなマンションばかり。しかも耐用年数が数十年しかないので、また新しく建て替わる。そして古き良きものな何ひとつなくなる。ヨーロッパでは、地震が少ないということもあるけれど、100年も前の建物に住んでいる人が多くいる。古くからの景観を保っているのであれば、そこに行けばそこにしかないものが見られるわけで、そこに観光に行く意味もあるわけだ。
古くから歴史があって、古さを売り物にできる国だったはずなのに…
失ってしまったこと、今現在失いつつあることがたくさんある反面、食べ物や安全など、日本にはたくさんいいものがある。
でも残念ながら、金その他の諸々の条件が整えば、ここ日本は、老後に住みたいと思う場所ではないかなー。
今日の一曲
失った何か。30歳になって何の変哲もない容れ物になったと歌う、Lost In Timeの「30」
では、また。
多くの人と共有できる意見かどうか分からないのだけれど、私はほぼ同意見。前から思っていたことが軽く噴出してしまった。
日本中どこに行っても、「お年寄りには席をゆずりましょう」「安全運転」「この中に入ってはいけません」などの張り紙、看板がある。99パーセント不要なモノばかり。(本当に大切な看板なんてあったっけ?)そんなことをいちいち言う方も言われる方も、どうかしてるぜ(ブラックマヨネーズ吉田風で)大事なことを、必要なタイミングで言うのでなく、不必要なことをたくさん言うのが日本的な体質なのだろうか。
地方に行くと、がっかりすることが少なくない。東北に来ているのに、神奈川と景色があまり変わらない。仙台も金沢も名古屋も博多も、どこに行っても、駅周辺では似たような景色しか目に入って来ない。車を運転して、市の中心を離れると、これまたどこも同じような景色。旅行が、そこでしか見られない名所をちょっと見るツアーに参加するだけで充分になってしまう。開発が、結局、日本中どこも同じ状態を作り出してしまった。
外国からお客さんをたくさん呼びたいのなら、このような開発はすべきではなかっただろう。国内をあちこち旅行する日本人を増やしたいなら、日本各地はそれぞれ全然違うという多様性を担保しておくべきだっただろう。(毎年毎年新製品を生み出すということで消費マインドを刺激するというのが日本的な経済刺激策だったけれど、それって「正しい」のだろうか)
家屋に関しても、どこに行っても同じような建て売り、同じようなマンションばかり。しかも耐用年数が数十年しかないので、また新しく建て替わる。そして古き良きものな何ひとつなくなる。ヨーロッパでは、地震が少ないということもあるけれど、100年も前の建物に住んでいる人が多くいる。古くからの景観を保っているのであれば、そこに行けばそこにしかないものが見られるわけで、そこに観光に行く意味もあるわけだ。
古くから歴史があって、古さを売り物にできる国だったはずなのに…
失ってしまったこと、今現在失いつつあることがたくさんある反面、食べ物や安全など、日本にはたくさんいいものがある。
でも残念ながら、金その他の諸々の条件が整えば、ここ日本は、老後に住みたいと思う場所ではないかなー。
今日の一曲
失った何か。30歳になって何の変哲もない容れ物になったと歌う、Lost In Timeの「30」
では、また。
原因の一つが 思い浮かびました。
そういったものを作成し、設置することが、お上の方々の「お仕事したよ♪」のアリバイ作りになっているのではないかと…
もうひとつ。
規範を守らない人に対して、「あんな風にはなりたくない」と思うより、「あいつが守らなくていいなら、俺も守らなくていいはず」と思う人が増えた
→「そんなこと決まっているのか」
→「ここに書いてあります」
→「書いてあるなら仕方がない」
そういう人が増えると、書いてくれと要求する人も増えるし、とりあえず書いておこうとする人も増える…
日本の景色を変えたのは、便利さを売りにした郊外ショッピングセンターではないかと感じていますが、私が雪国を出た理由の一つは、不便な生活でした。
折り合いをつけたり、直したりするより、モノでも人間関係でも、破壊して新しくした方が簡単。
古いモノより新しいモノの方が便利。
おばあ様から譲り受けたブランドバッグや時計のメンテナンスには、その辺のバッグ買うより高くついてしまいます。
日本人は、モノを維持するための技術も、知恵も、堪え性も失くしてしまったように感じます。
便利になって、長生きするようになって、手にした時間はどこに…
頷いてしまうお話ばかりです。
おっしゃる通り、お役所仕事っぽいですね、あの手の看板は。役所は、住民を住みやすくするために存在していると思うのですが、実際は...
また、ルールを守らない者に対して、注意ができるために存在しているというお話。確かにそうですね。また、電車内や路上で不埒な事をする者に、注意することが難しくなっていることと合わせて、気になります。
郊外のショッピングセンターが景観を損ねるトリガーを引いた。おっしゃる通りです。他にも、スーツの量販店などのチェーン店も、「どこに行っても同じジャパン」のエースストライカー候補かも知れません。
古いものを捨てて、新しいものを買う。景気のためには善良な行為ですが、我々は景気のためだけに生きているのではありませんからね。