Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

今年の胃カメラ検査も異状無し

2021年07月30日 | 日記

 7月30日(金)

 先日受検した胃カメラ検査の結果を聞きに、都内世田谷区に在る病院を訪れた。今のところ私の胃腸関係部門に問題は無く概ね大丈夫であろうと思ったが、検査の結果を聞くまではロシアンルーレットをやってるようでナーバスな心境だった。

 担当の若い女医さんから胃カメラの撮影画像を見せてもらいながら、「腫瘍マーカーの数値、胃、十二指腸、食道についても特に問題はありませんね。」と無罪放免の説明を受けたのでホッと安堵した。

 胃癌の切除手術を受けてから早や18年の歳月が経つ。その間三分の一に小さくなった胃は、ハンディに耐えながら健気に頑張り続けてくれている。我が身の事ではあるけれど、「アンタは偉い」と私の胃を褒めてあげたい。

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北ア、白馬岳大雪渓ハイキング(詳細)

2021年07月29日 | 山歩き

7月26日(月)      天気=晴れ時々曇り

05:30猿倉登山口駐車場→ 06:39~50白馬尻小屋跡地→ 07:05~15大雪渓末端部→ 08:39~09:03大雪渓最上部→ 09:20~09:40標高2200m地点→ 10:00大雪渓最上部→ 10:48~11:15大雪渓末端部→ 11:30白馬尻小屋跡地→ 12:28猿倉登山口駐車場

 

 白馬岳へ至る「白馬大雪渓コース」は、日本離れした雄大な景観で人気の高い登山道です。妻がまだ此処を歩いていなかったので、大雪渓から白馬岳を登る事にした。

 昨夜車中泊した道の駅白馬は朝方霧に覆われていたが、標高1230ⅿの猿倉登山口駐車場に着くと青空が広がり、どっしりと聳える白馬岳が前方に大きく見えた。

猿倉登山口第1駐車場

 駐車場を出発し、林道を10分ほど進むと、白馬鑓温泉小屋へ向かう道が左に分岐しているが、小屋が休業中なので登山道は閉鎖されていた。1時間足らずの歩きで林道終点に着き、そこから登山道が始まる。

白馬鑓温泉小屋コース登山口

林道から眺める白馬岳

林道終点

 しばらく登ると白ペンキで「ようこそ大雪渓へ」と書かれた岩があり、その上が白馬尻小屋(小屋は休業中で建物は解体されている)で、大雪渓の末端部が望まれた。

「ようこそ大雪渓へ」と書かれた岩

白馬尻から大雪渓末端部

 白馬尻から15分ほどで、大雪渓の末端部に着いた。ここから雄大な大雪渓の道が始まる。チェーンアイゼンを靴に装着し、雪の道をヒタヒタと登って行く。雪渓を吹き渡る風は天然のクーラーで、身震いする程の涼しい。

大雪渓末端部でアイゼン装着

雪渓末端部から白馬大雪渓

 大雪渓に続く道は氷河の中にいるようで快適だが、時折周囲の山から落石が発生するので気を抜く事はできない。途中1回の休憩を挟んで1時間20分ほどで大雪渓最上部に着いた。ここで雪道と別れ急な登山道を登って行く。

大雪渓の登り

同 上

大雪渓最上部

最上部から大雪渓を見下ろす

最上部から雪渓沿いの登山道が始まる

 しばらく登ると妻が「足が攣りそうな感じがする」と言った。荷物を軽くして少し歩いてみたが調子は戻らないようだ。この先白馬山荘までかなりの距離があるし、無理して脚が動かなくなっても困るので、安全を期して引き返す事にした。

雪渓最上部から杓子岳方面

 下山する分には妻の脚に支障は無く、登って来た道を約3時間かけてお昼過ぎに猿倉登山口の駐車場へ戻って来た。取りあえず無事に登山を終える事ができたのでホッとした。

大雪渓の降り

 このまま猛暑の我家へ戻るのは癪だったので、乗鞍高原休暇村へ電話してみたら宿泊OKだったので乗鞍高原へ車を走らせた。宿の源泉風呂に浸かって山の疲れを癒した。今回は妻の体調不良で白馬岳の山頂は踏めなかったが、雄大な白馬大雪渓歩きができたのでそれなりの満足感がありました。

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白馬大雪渓ハイキング

2021年07月27日 | 山歩き

7月26日(月)         天気=晴れ時々曇り

 久しぶりに白馬岳を登ろうと、登山口の猿倉へやって来た。白馬大雪渓から登って白馬山荘に泊まり、明日は白馬岳を越えて栂池高原へ下山する予定だった。
 しかし大雪渓上端部の標高2200m地点に達した時、妻が脚が痙攣しそうだと言って辛そうな顔をした。
 無理すれば歩けそうな感じだったが、もし途中で動けなくなったら困るので、無理をせずそこから引き返す事にした。結局白馬岳には登れなかったが、北アルプスの雄大な自然を堪能する事はできました。
登山にはアクシデントがつきもので安全が第一、無事下山できたので何よりでした。今宵は乗鞍高原休暇村の温泉に入って、明日はのんびり観光ドライブで我が家へ戻ります。

白馬大雪渓末端部

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昨夜の東京オリンピック開会式

2021年07月25日 | 日記

 7月24日(土)

 いつもは午後10時を過ぎれば寝てしまうのに、オリンピックの開会式があったから昨夜は12時過ぎまで起きていた。私の人生の中でたぶんこれが最後の日本で開催されるオリンピックだろうし、見逃す事ができませんでした。

 開会式の内容については賛否両論あったようです。翌朝の朝日新聞を読むと「与党政権の人気取り」「IOCのテレビ放映料目当ての拝金主義」などと辛らつに書かれていました。

 マッいろいろ意見はあるでしょう。オリンピック反対派に言わせれば、「選手の中にきちんとマスクして無い奴がいるじゃネーか」とか「深夜まで子供達をイベントに参加させるんじゃネーよ」、「フィールド内の参加選手達が密じゃネーか」などと、批判の矛先は幾つもありましたしね。

 僭越ながら私の感想を言わせてもらえば、けっこう感動しました。コロナ過の困難な状況を考慮してか華美で過剰に走らず、日本らしいユニークさを表現した一見地味で細やかなな演出、そして参加選手達の喜ぶ姿や出演者の熱演が、心の琴線に触れてジワッと涙腺が緩みました。「それはお前が単細胞だからなんだよ」と言われれてしまえばマアそうなんですけどね。

 アラを探せばバッハ会長の長演説、あれはいただけなかったね。密な時間は少しでも減らさなきゃいけないのに全然空気の読めないオッサンだよ。ともかく始まったからには、無事盛会に終わってくれる事を願っています。

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私の街でもコロナ感染者が急増中

2021年07月23日 | 日記

 7月22日(木)

 対岸の火事だと思っていたコロナ感染の緊急事態宣言だが、私が住む街でも最近コロナ感染者が急増し、「直近の一週間では70人を越える感染者が出た。」と市役所のマイク放送が伝えていた。

 この数値は埼玉県内では最も高い発症率という事で、市長さんが「特別警戒態勢」を宣言し、市民に自粛ある行動を呼び掛けていた。これに伴い市内の多くの公的施設が閉鎖され、私が週に1~2度は通う図書館も今月一杯利用できなくなったのはチョット痛手だが、やむを得ないというかしかたない。

 昼飯がてら近くのショッピングモールへ車で出掛けると、館内は押すな押すなの賑わいで駐車場で車を停めるにも苦労した。そこで今日は4連休の初日だったのかと、改めて気がついた。

 出掛ける途中に関越自動車道の傍を通ったら、下り車線はギュウぎゅう詰めの大渋滞になっていた。連休恒例の渋滞何だろうけど、果てしなく続く車列の帯を見ていたら、緊急事態宣言下の東京都内から脱出しようとする難民の群れのようにも見えなくはない。

 首都圏の知事さん達が声を揃えて「都県を跨ぐ移動は慎んで」と言ったはずだが、その声は負け犬の遠吠えのように都民の心には届いていないようだ。これでコロナの感染が、更に地方で蔓延しなけりゃいいんだけど。

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新宿駅東口で巨大3D猫と会う

2021年07月21日 | お出掛け

 膝の治療で、3週間ぶりに都内北区十条に在る「永振クリニック」を訪れた。治療を終えた後はいつも都内ウォーキングへ出掛けるのだが、炎天下の街中を歩くのはコロナ感染より熱中症のリスクが怖い。それに汗を流した後に嗜む冷たい生ビールが、緊急事態宣言下の都内では飲む事ができない。

 そんな現状を考えてウォーキングは諦めた。その代りに何処かブログネタになりそうな名所は無いかと考え、先日テレビニュースで流していた新宿駅東口の「3D映像巨大猫」を見に行く事にした。

 十条から埼京線で新宿へ向かい駅の東口を出ると、道路を挟んだ向かい側のビルにその巨大猫がいた。正確には「クロス新宿スペース」ビル屋上の大型ディスプレイに、猫の3D映像が映し出されていた。

新宿駅東口

 ディスプレイにはエンドレスの動画映像が常時流れており、その合間々々の数十秒間に猫が登場する。その姿はまるで本物の巨大な猫が動いているようで、チョット圧倒される。

 テレビでも紹介されたからもっと大勢の人が居るかと思ったが、それほどでも無い。パラパラと何人かの人が写真撮影してるだけだ。これが見所の少ない私の住む街何かだと、大勢の見物人がワンサカ押し寄せているのでしょうが、流石に東京人はクールです。

 猫を見てしまえば、もうビールの飲めぬ東京に何ぞ未練は無い。東武東上線の池袋駅からサッサと埼玉へ戻り、地元の街で美味しい生ビールをグイッといただきました。

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古いテレビの寿命が尽きて、おニューのテレビに買い替えた。

2021年07月19日 | 日記

 最近我家でテレビを観ていると、突然映像が途切れる故障が幾度か発生した。その時は一度電源を切ってしばらく時間を置き、再びスイッチをONにすると正常な映像に戻ったので騙し騙し使っていたが、しかし故障の頻度がだんだん早まってきた。このテレビはパナソニック製のプラズマテレビで、8年前に買ったからそろそろ寿命なのかも知れない。

 インターネットの世の中で、若い人など「テレビはもう必要ない」と言ってる話をよく聞くが、会話の少ない寡黙な老夫婦には沈黙の隙間を埋めるツールとして、テレビは必需品で欠かす事はできない。もう買い替える時期だと思い、近隣のケーズデンキへ行ってみた。

 コロナ時代の巣ごもり需要なのか週末の店内はかなりの賑わいぶりで、テレビの販売コーナーには4K、8Kなど高性能大型テレビが所狭しと展示されていた。我が家ではソコソコ綺麗な映像で、DVDの録画や再生ができればOK、それ以上の性能は必要ない。

 そんな希望を店員さんに話して勧められたのが、「40インチの東芝製レグザ液晶テレビ」だった。配達・接続料込み5万円ポッキリでよいという。予想してたより安い価格で「下手な考休むに似たり」という諺もあるから、結局勧められたテレビを買う事にした。

 そして翌日には我家へ届けられ、その場で接続も済ませて観る事ができるようになった。新旧のテレビを比較してみると、おニューは、重さが7.5キロで旧の約四分の一、年間消費電力も60kwtでこれも旧の約四分の一、8年間の歳月でこれだけ省エネ軽量化が進んだという事なんだろう。

 しかし映像については高級機種で無いせいもあるだろうが何だか白っぽい映りで、古いプラズマテレビの方が色彩に深みとコントラストがあるような気がした。

 マアこれで、故障に煩わされる事無くテレビを観る事ができるようになり、オリンピックも楽しめるでしょう。ところで今テレビに関わる事で一番不満に思うのは、昔に比べて面白いと思える番組が殆ど見当たらなくなったという事です。こんな調子じゃいずれテレビは、技術革新の中で淘汰されてしまうでしょう。

古いパナソニック製プラズマテレビ

新しい東芝製レグザ液晶テレビ

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2回目コロナワクチン接種後の副作用

2021年07月17日 | 日記

 前回のブログで、2回目のワクチン接種を終えて注射を打たれた腕の痛み以外に副作用は無かったと書いたが、実のところはそうでもなかった。接種を受けた翌日に何となく身体がだるかったので、急な暑さに身体が夏バテしたのかと思ったが、念の為体温計で測ってみたら体温が37.4℃もあった。

 37℃越えの体温何て、ここ数年なった事が無い。たとえ接種を済ませた人でも、コロナウィルスに感染したという話は幾らでも聞いていたから、ひょっとしたら私もコロナに感染したのではと不安が募ってきた。

 その後すぐに妻とディスタンスを保つべく隣室へ移り、マットを敷いてひたすら横になって身体を休めた。夕刻再び測ってたら、やはり37.4℃と変わりない。これ以上体温が高くならぬよう願いながら長い一夜を過ごし、翌朝目覚めると何となく気分がクリアになっていた。

 体温を測ると35.8℃に下がっており、取りあえずコロナに感染してなさそうだと安堵した。接種会場でもらったパンフレットを読むと、「発熱、頭痛、疲労、筋肉痛・・などの副作用がある」と書かれているから、私の体調不良も多分これだったんだなあと合点がいった。でもまだ頭が少しクラクラするので、ここ数日は静養の日々を過ごします。

 1回目の接種では何ともなかったのでワクチン接種の副作用を軽んじていたが、2回目接種の後で自分がなってみて侮れないなと実感した。これからワクチン接種を受ける人達の為に私からの助言です。「ワクチン接種の副作用、ナメたらアカンぜよ」

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大手町の大規模接種会場で、2回目のワクチン接種完了

2021年07月15日 | 日記

 一回目のコロナウィルスワクチン接種を受けてから4週間が経過し、昨日大手町の大規模接種センターで2回目の接種を受けてきた。午後3時の予約だったので、午後2時に東京駅丸の内口傍の商業ビル「KITTE」で妻と待ち合せた。

KITTEビル正面入口

ビル内部(6階まで吹き抜けになっており、それを三角形のフロアーが囲んでいる)

 私が東京駅で働いていた15年前、ここは東京中央郵便局の古めかしいビルだったが、建て替えられて今ではゴージャスな商業施設に生まれ変わっている。

 2時過ぎ東京駅南口のバス乗り場から送迎バスに乗り、10分ほどで大手町のバス乗り場に着いた。接種を受ける中高年の人達は、前回に比べるとヤヤ少なめか。予約無しは接種できないので、受付入口で予約の有無をチェックされる。

東京駅南口の送迎バス乗り場

大手町の送迎バス乗り場

接種会場入口

 担当者に誘導されて会場に入るが、前回に比べると人の流れは実にスムーズで、春の小川のように留まる事無く移動する。まだ20代と思われる男性医師から名前と体調を問われ、「Fです。体調に問題ありません」と幼稚園児のようにハキハキ応え、プスッと注射を打たれて2回目のワクチン接種が完了した。

 2回目の接種を終えて気分を悪くした知り合いも知っているので、幾分気懸りだったが体調に変化は感じず、入場してからほんの十数分で会場を後にする事ができた。

 接種から一日経って打たれた左腕に痛みは残っているものの、その他に副作用のようなものは出ていないようだ。(何となく身体がダルイのは、蒸し暑さのせいだと思う)

 2回目の接種を終えて、これで取りあえずはコロナウィルス感染の危険地帯からは脱したのではないか。ワクチンが効果を発する1週間後からは、ワクチン接種の予防接種済証を水戸黄門の印籠のように振りかざして、アチコチ出掛けようと思っている。

受領した予防接種済証(臨時)

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植木鉢に芽生えた小さなキノコ

2021年07月13日 | 日記

 今年の梅雨は長雨続きで「これじゃ何処へも出掛けられない」とグチの一つもこぼしたくなるが、熱海や九州などで水害に遭われた方々の事を思えば、無事で過ごせるだけで感謝しなければいけないのかも知れない。

 人間様には蒸し暑くて不快な梅雨時も、水の恵みをタップリ受ける植物達ににとっては快適な季節のようだ。ある日ベランダへ出てテーブル上に置いた植木鉢を見たら、苗木の合間から小さなキノコが芽生えていた。

 何処から種菌が入ったんだろう。元々土壌に潜んでいたのか、それとも鳥さんが運んできたのであろうか。どっちにしても空に向けて小さな傘を広げる姿が、何となくほのぼのとして可愛いらしくも思える。

 そんなポエムに浸っていたら、妻がサッサと全てのキノコを摘み取ってしまった。「ったく詩心が分からないんだから」・・・・もしかしてみそ汁の具にしたら、案外美味しかったかも知れないのに。

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大雨の後、東の空に見事な虹が架かった

2021年07月12日 | 日記

 7月11日(日)

 午前中は雲の合間から陽射しも差して真夏を思わせるような天気だったが、午後になると幕を広げるように黒い雲が上空を覆い、大粒の雨が叩きつけるように降ってきた。

 その雨も夕刻には小降りとなったので、軽いジョギングに出掛けた。水溜まりを避けつつヨタヨタ走っていたら、東の空に鮮やかな虹が架かっているのが見えた。

 

 この風景を写真に撮らねばと全速力で我が家へ戻り、虹に向かってシャッターを切った。その後虹は少しづつ薄れていき、代わって夕焼けに照らされて輝く雲が東空に現れた。時には災害を引き起こす梅雨空だけど、こんなドラマチックな空の饗宴も見せてくれます。

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東京五輪、公道を走る最後の聖火リレーを見る

2021年07月10日 | 日記

 7月8日(木)

 先日近くの県道を徘徊していたら、「聖火リレーの為7月8日AM9時から11時まで県道が通行止めになります。」と書かれた垂れ幕が道沿いに張られていた。目的は交通規制何だろうけど、これじゃ「聖火リレーをやるから。ぜひ見に来てね」と宣伝しているようなもんだ。

 前回の東京オリンピックが開催された1964年に、私は京都市内で偶然聖火リレーを生で見る事ができた。あの時は全国民がオリンピックを応援してたから凄い盛り上がりようで、白バイが先導する聖火を持つランナーの後ろには同じくお揃いの白いユニフォームを着た数十人のランナーが伴奏して、華やかで盛大な聖火リレーだったと記憶に残っている。

 私はミーハー且つ暇を持て余した老人なので、世紀のイベントをやると言われて見に行かぬ選択肢は無い。当日カメラ片手に、聖火リレーのスタート会場へ赴いた。「なるべくライブ映像でご覧ください」と注意喚起されているにも関わらず、会場には数百人を越える人々が群がっていた。平日だというのに何て暇な奴らが多いんだ。(ってな事言う私もその一人)

 聖火ランナーは高校生ぐらいの男の子だった。両脇に市長さんやら街のエライさん、そしてマスコットキャラクターの「ツルゴン」などが居並び、記念写真に応じている。それにしても会場にいる警察官の多さには驚かされた。天皇陛下のご巡幸でもあるのかと思う程、過剰な警備体制だった。

会場に近づくと警備車両が数多く駐車している

聖火ランナーと街のお偉いさん方(マスクしてネーじゃないか!)

 スタート時間となり、聖火を持つ男の子がにこやかに手を振りながらコース沿いをゆっくり走り始める。その両脇を警察官や関係者などが、幾分固い表情で並走する。その後を警備車両が何台も連ねて粛々と前進して行く。一見すると、平和の祭典というより警察の観閲行進の感が無きにしも非ずだ。

ネット配信動画の撮影カメラ車を先導に、聖火ランナーがスタート

沿道は凄い歓声(何だかんだ言いながら日本人はお祭り好きだ)

その後を延々と続く警備車両の車列

 生の聖火リレーは2回も見た私だが、予約チケットを入手できなかったので生のオリンピック競技を見る事は叶わない。と思っていたら首都圏の競技会場は全て無観客試合になったという。そこで一句頭にうかんだ。「オリンピック、皆で見なけりゃひがまない」・・オソマツ。

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奥武蔵、日向山~丸山ハイキング

2021年07月08日 | 山歩き

7月6日(火)      天気=曇り時々雨

07:46道の駅芦ヶ久保→ 08:33琴平神社→ 08:50~09:15日向山→ 09:30山ノ神登山口→ 09:53登山道分岐→ 10:22~33自転車しばらく登って道出合→ 10:50~58丸山→ 11:14自転車道出合→ 11:31登山道分岐→ 11:55車道出合→ 12:23道の駅芦ヶ久保

 

 梅雨の長雨で、中々外へ出掛けられない。私は2週間も山へ行かないと、気分が鬱になってくる。これは一種の依存症のようなもので、治療法はタダ一つ山へ行くしかない。

 という事で梅雨の合間を縫って、近場の山へ出掛けた。奥武蔵の丸山は何度も登った馴染みの山だが、その西に連なる小さなピーク日向山はまだ登った事が無い。この山も埼玉百名山の一つだそうで、今回登ってみる事にした。

 朝方我家を出発し、秩父へ向かう国道299号を経由して道の駅芦ヶ久保へ着いた。此処に車を置いてまずは日向山へ向かいます。

道の駅芦ヶ久保

国道299号から日向山へ向かう車道入口

 山腹の集落を沿うように続く車道をテクテクと歩いて行く。雨は降って無いけれど無風で異常に蒸し暑く、10分も歩いたら汗が滝のように吹き出して、「日向山を登ったら即下山しちゃおうか」と、弱気の虫が囁きかけてくる。

日向山へ向かう車道

 道の駅から50分近く車道を歩いて、ヒッソリとした琴平神社の鳥居に着いた。傍には立派なトイレも在る。神社の前を通過して此処から登山道が始まり、やっと登山の雰囲気になってきた。

琴平神社

 樹林帯の道を十数分ほど登って行くと、アッサリ日向山(633m)へ着いた。山頂には展望台もあり、そこから秩父のシンボル武甲山や車を停めた道の駅芦ヶ久保などが望まれた。

日向山へ向かう登山道

日向山山頂

山頂か武甲山

山頂から道の駅芦ヶ久保方面

 稜線に達すると涼しげな風も吹き、弱気の虫が引っ込んで少しばかり元気が出てきた。日向山から東へ10分足らず降ると車道に出た。辺りは果樹園や畑が広がりのどかな田舎の風景だ。

 車道をしばらく進むと山ノ神の神社が在る丸山への登山口で、此処から再び登山道に入る。樹林帯に続く登山道は緩やかで、心地よく歩いて行ける。20分ほど登って行くと、芦ヶ久保駅からの道と合流した。

丸山へ向かう登山道入口

山ノ神の鳥居と神社

登山道合流地点

 丸山へ向かう登山道は、幅広く緩やかで快適だ。昔の人が峠越えの道として行き交ったのだろうか、道沿いには石仏像などが祀られている。しばらく登っていると山腹を巻く車道と交差して、更に登ると自転車道へ着いた。傍に出会いのテラスと書かれたベンチがあったので、10分ほど休憩して喉を潤す。

広くて快適な登山道

道沿いの石仏像

 休憩地点から丸山まで稜線沿いの登山道と自転車道の二つあり、平坦で歩き易いので自転車道を進んで行く。やがて自転車道の終点に達し、此処から山頂に向け登山道を登って行く。

平坦な自転車道

自転車道終点の登山道入口

入り口傍に在る綺麗なトイレ

 自転車道終点から10分ほどの登りで、双眼鏡を備えたコンクリート造りの展望台が建つ丸山(960m)へ着いた。展望台の上から眺めると、武甲山や奥秩父の山々の景色が広がって見えた。

山頂直下の登山道

丸山山頂

山頂の展望台から武甲山と秩父市街地

 雨がポツポツと降り始めたので、写真を撮り終えるとすぐに山頂を後にする。雨はだんだん本降りになってきたが、樹林帯も道なので樹木が雨を遮って、傘を出さずとも濡れる事は無かった。

 芦ヶ久保駅に向かう道も良く整備されて緩やかで、気持ちよく降って行ける。やがて人家が見え車道に降り着いた。この頃には雨が上がり傘も必要無くなった。重力に引きずられるように車道を降り、丸山山頂から1時間10分ほどで、道の駅芦ヶ久保に戻って来た。

芦ヶ久保へ降る新緑の道

人家が見えてきた。

道の駅芦ヶ久保に到着

 慌ただしく車に乗ると、お風呂に入りたい一心で休暇村奥武蔵へ車を走らせる。ところが休暇村奥武蔵のお風呂はメンテナンス整備の為お休み中だった。仕方がないので山越えの道を走って名栗湖傍の日帰り温泉さわらびの湯まで行って、やっと湯船に浸かり山の汗を流す事ができた。

「苦労して登った後の温泉はホント極楽ネ」と、お風呂から上がった妻がシミジミ言った。その通~り、辛い事があるから、より大きな楽が待っている。けっこう汗を掻かされたが、有意義な一日を過ごす事ができました。

 

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35年前の山岳雑誌「山と渓谷(昭和61年4月号)」を読んでみた

2021年07月06日 | 日記

 月刊誌「山と渓谷」は、半世紀ぐらい前からズーッと私が愛読している山岳雑誌です。毎月欠かさず購入し続けているので、国会図書館並みに広い我家の本棚でも流石に全部は収納できず、今では年に一度のペースで古い本から順次廃棄処分するようになった。

 先日も本棚に収納しきれなくなったので、20冊ほどまとめて処分した。その中で一番古かった本は1986年(昭和61年)4月号だった。改めて読み返してみると、当時の登山事情が伺い知れて中々興味深かった。

 本の価格は650円(現在は税込み1230円)と今よりずいぶん安く、厚さも12mm(現在は9ミリ)と昔の方が厚かった。表紙を飾っているのは、まだ若かりし医師で女性登山家の今井道子氏と、登山用品店カモシカ店主で登山家のダンプ高橋氏夫妻、最近見掛けないが今でもお元気なんだろうか?

 中身を読むと35年前と今でも登山の形態はそれほど変りは無いようだ。イヤ山岳会の活動状況や山行報告などを読むと、当時の方が遥かにアグレッシブに活動していたようだ。

 自然環境保護の問題もこの頃からクローズアップされていたようで、北アルプスの電源開発や森吉山、八甲田山のスキー場開発が自然破壊につながると掲載されていた。変わったところでは、チェコ人登山家による北朝鮮の登山報告が載っていた。現在より当時の方が北朝鮮も開放的な国だったのだろうか。

 装備に目を向けると、今では当たり前のデジタルカメラや携帯電話は普及しておらず、フィルムカメラや携帯無線機が主流だった。服装もその頃の私が履いていたように、ニッカボッカズボンを着ている人が多くて懐かしい感じがする。

 35年前の登山界は、若者から高齢者まで幅広い年齢層の人に広く親しまれる、今よりもっとメジャーなスポーツだった。それが今では専ら中高年のスポーツと、軽んじられるようになった感がある。それでも最近は、若者の姿が少しづつだが増えてきているようで、自然回帰志向の高まりから徐々に登山が見直されてくるのではないだろうか。

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ドライブレコーダーのSDカードが、2年足らずでダメになった

2021年07月04日 | 日記

 先日ドライブへ出掛けた時、車のエンジンを掛けたら突然ドライブレコーダーのディスプレイが「SDカードがエラーです。フォーマットしてください。」と表示された。言われたとおりフォーマットしてみたが、幾度やってもエラー表示の映像が消えてくれない。

 私の車のドライブレコーダーは、東名高速道における悪質なあおり運転事故が世間の大きな話題となった2年前に、万が一の為にと自動車用品販売店で購入したものだ。

 購入した際に確か店員さんが、「ドライブレコーダーは本体よりSDカードの方が先にダメになる事が多いので、こまめにフォーマットしてください。」と言っていた。

 だから頻繁にフォーマットしていたつもりだったが、2年足らずで寿命が尽きてしまった。ネットで検索するとSDカードは2年ぐらいしか持たない消耗品と書かれていたから、私の取り扱いがさほど悪かったわけでも無いだろう。

 SDカードの無いドライブレコーダー何て、ガソリンの入って無い車みたいなもんで、タダの鉄屑か不燃ごみに過ぎない。ドライブレコーダーが無くても車の運転に直接支障があるわけじゃ無いというものの、世の中何があるか判らないからさっそく近所のケーズデンキへSDカードを買いに出掛けた。

 店内の販売コーナーを覗いてみると、万を超える物から千円を切る物までピンキリで、結局中庸をとって3千数百円するものを購入した。1cmにも満たぬこんな小っちゃな物が3千円以上するのかと納得できぬ思いもあったが、安全ドライブの為には致し方ない。

 新しいSDカードを本体に挿入すると、ドライブレコーダーは再び正常に稼働した。これで取りあえずは一安心、気兼ねなく車の運転をする事ができるようになりました。皆さんもコマメなSDカードのフォーマットを心掛けてくださいね。

ダメになったSDカード

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