Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

添乗員仲間で久々に飲み会

2018年11月29日 | 日記

 何年か前、埼玉県が主催するツアーコンダクターのシニア講習会を受講した事があり、その後何度か日帰りバスツアーの添乗員を体験をした。その時の受講生仲間だったHさんから「同期生仲間で飲み会をやりましょう。」とお誘いのメールが届いた。

 西武本川越駅近くの居酒屋に私を含め5人の同期が参加した。同期とは言っても平均年齢アラセブンのオジサンばかり、このメンバーで年に1~2度集まっている。今だ現役なのはKさん一人だが、他の人も何だかんだ仕事をしてるようで、年がら年中遊んでばかりは私だけ、チョット肩身が狭かった。

 Kさんに話を聞くと、最近は観光ツアーよりハイキングツアーの需要が増えているそうだ。「ハイキングツアーだったらFさん向きじゃないの。」とKさんに言われたが、添乗員はもう金輪際やりたいとは思わない。

 私が添乗員の仕事を挫折した要因は、その頃胃ガン手術の後遺症で食事が普通に取れなかった事や、ツアー終了後の事務処理が苦手だった事など幾つかあるが、端的に言えば接客業に向いてなかったという事に尽きる。

 あのまま続けていたら、仕事のストレスから又ガンが再発したかも知れないので、早めに辞めて正解だったと思う。でも添乗の仕事が全く無駄だったとは思わない。お蔭で同期の人達とも知りあえたし、この経験が私の人生の肥やしぐらいにはなったのではないか。

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カラパタールトレッキング7日目

2018年11月28日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月29日(月)     天気=晴れ後曇り

タンボチェ07:35→ 09:58~10:33パンボチェ→ 11:35~12:28ソマレ→ 14:43ディンチェ(歩行6時間30分)

 

 今日は4千mの標高を越えてディンポチェを目指す。朝方、群青の空にエベレストとローツェが高々と聳えて見える。タンボチェの宿を出発し緩やかに降ってドードコシ川に至り、長い吊橋を渡って川の東岸から西岸へ移る。

 タンボチェからエベレスト(8848m)(左奥)とローツェ(右)(8516m)

 タンボチェを出発する。

 デポチェの集落で最初の休憩(左奥の山はコンデリ(6187m))

 長い吊橋を西岸に渡る。

 行く手にはアマ・ダムラム峰がだんだん大きくなってくる。街道の途中に民族衣装を纏い籠を背負った老女が居た。トレッカーの一人が彼女にカメラを向けると、手を突き出し金を請求している。どうやら写真のモデルになる事で彼女は金を稼いでいるようだ。世の中にはいろいろな働き方があるもんだ。

 前方にアマ・ダムラム(6812m)が大きくなる。

 渓谷沿いの道は徐々に標高を上げて行く。道沿いには点々と集落があり新築や増築中の家も多く景気が良さそうだ。数軒のロッジが並び建つバンボチェ集落のロッジでティータイムとなる。

 バンボチェの集落に近づく。

 バンボチェのエベレストビューロッジでティータイム

  バンポチェからソマレへの道

 ロッジの屋根の上に、アマ・ダムラム峰が天空を突き刺している。バンボチェから1時間程の歩きでソマレ集落に着き、スリナムロッジで昼食を食べる。此処の標高が4040mで、4千mのラインを越えた。添乗員Cさんの話では標高4千mを越えると高山病に罹る人が増えるそうで、予防の為には水分を多めに摂取する事と身体を冷やさない事が肝要だそうだ。

 ソマレのスリナムロッジでランチタイム

 ソマレからタウツェ(6501m)

 4千mを境に緑濃い樹林帯は後退し、荒涼とした大地に変る。この上に人の住む集落などあるのだろうかと思わせる風景だ。やがてドードコシ川が左右に分岐する地点に着く。左はエベレストのクンブ氷河から流れ出る川で、右はディンボチェ方面から流れる川だ。

 ドードコシ川の分岐地点

 ドードコシ川に架かる鉄橋を渡り、我々は右の道に入る。最初はジグザグの急坂なので登っていると息が乱れる。やがて緩やかな登りと変り、雄大な大地の中を進んで行く。しばらく行くと、ディンポチェ(標高4343m)の集落が前方に小さく見えた。

 ドードコシ川に架かる鉄橋を渡る。

 ディンポチェへの道

 ディンポチェは高地に在るとは思えぬ賑やかな集落だった。ソナムフレンドシップという名のロッジが我々の宿で、高度順応の為に此処で連泊する。四周を山に囲まれた地形の中に集落はあり、怪峰アマ・ダムラムが今朝ほどとは異なる姿で聳え立っている。

 川沿いに広がるディンポチェ集落

 ディンポチェ集落の真上に聳えるアマ・ダムラム峰

 夕食はネパール定番メニューのダルバートで、大皿に盛られたカレーと煮野菜がとても美味しかった。明日はディンポチェに滞在し、休養と高度順応を兼ねて近くの展望地まで散策する。

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奥多摩で紅葉見物&黒茶屋で誕生日祝いの会席

2018年11月26日 | お出掛け

 11月25日(日)

 紅葉は年に一時期限りの自然界からの美しい贈り物だが、ネパールへ出掛けたり何ぞしている間に、秋の盛りは過ぎ今年は一度も見ていない。奥多摩辺りなら紅葉の名残があるのではと思いドライブがてら出掛けてみた。

 向かったのは御嶽駅近くの多摩川河原、午後の遅い時間帯だったが見頃の紅葉が僅かばかり残されていた。軽食と土産物のお店「いもうと屋」へ立寄った時、店員が「午後5時から紅葉がライトアップされて綺麗ですよ。」と教えてくれたので、いもうと屋の駐車場で待つ事にした。

 奥多摩の紅葉

 同 上

 午後5時になりライトアップされた場所へ行ってみると、見物の人々でソコソコ賑わっていた。ライトに照らされた赤や黄色の紅葉は中々に幻想的で、今年も何とか美しい紅葉を拝む事ができた。

 ライトアップされた紅葉

 同 上

 紅葉見物を終えるとあきる野市の「黒茶屋」へ向かう。黒茶屋はもう何度かブログで紹介しているが、秋川河畔に古民家を移築して建てられた和食料亭で、我家では何かの祝い事のある度に此処を訪れている。前回訪れたのは今年の7月、妻の誕生日祝いの時だった。

 料亭「黒茶屋」の入口

 黒茶屋の口コミは前回訪れた時のブログで紹介済みなので省略するが、今回は私の誕生祝いという事で妻が予約をしてくれた。老いていくばかりの誕生日などさして嬉しくもないけれど、この齢まで健康で過ごせたという意味ではありがたきかなとも思う。久々に贅を尽くした和食の味を堪能させてもらい、心地よい夜を過ごせました。

 風情のある客室

 定番コースの前菜メニュー

 同じくメイン・デッシュ

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カラパタールトレッキング6日目

2018年11月24日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 10月28日(日)     天気=晴れ後曇り

ナムチェバザール07:40→ 11:05~25キャンジュマ→ 11:56~12:40プンキテンガ→ 14:58タンボチェ  (歩行7時間)

 

 今朝も厳しい寒さだが、朝陽輝く心地よい朝を迎えた。屋根の上にはコンデリの白い鋭鋒が輝いている。軽い準備体操をした後にAM7:40頃ホテルを出発する。ナムチェの外れまでは昨日シャンボチェへ歩いた道と同じだったが、その先から山腹を巻く水平歩道となる。

 ナムチェ村のはずれ(この先からトラバース道が始まる。写真は妻とニマさん)

 世界一美しいトラバース道が始まる

 水平歩道はエベレストやローツェ、アマ・ダムラム等のヒマラヤ高峰が素晴らしい景観で、「世界で一番美しいトラバース道」と呼ばれている。確かにその名に違わぬ眺めで、歩いていても心弾むものがある。

 息を飲む景観(左よりエベレスト、ローツェ、アマ・ダムラム)

 道の途中に建つ仏塔

 道の途中で募金を募る一人の年老いた地元住民がいた。彼の名はパサン・ラマさん、50年来個人でこの道の整備に尽力している人だ。募金は整備の資金を得る為らしく。行き交う殆どの人が募金していた。

 募金を募るパサン・ラマさん

 長々と続く水平歩道だが、道沿いには集落が点在しロッジや売店も数多い。行き交う人も絶える事が無く、ハイシーズンの富士山や尾瀬の歩道を思わせる賑わいだ。

 キンジュマの土産物店

 ティタイムをしたキンジュマのタムセルクロッジ

 進むにつれ怪異な姿をしたアマ・ダムラム峰がだんだん大きくなってくる。私が子供の頃に何かの写真でこの山を見て、「世界にはこんな凄い山があるんだ。何時かは本物を見てみたい。」と幼心に思った記憶がある。その山が、今目の前に聳えている。

 アマ・ダムラム峰(中央奥6812m)と手前の尾根上にタンボチェの集落が見える

 アマ・ダムラムの手前に見える緩やかな尾根上に、今宵の宿泊地タンボチェの家並みが小さく望まれる。そう遠くに感じないが、そこへ行くには一旦深い川底まで降り再び登り返さなければならない。

 長い吊橋を渡る

 水平道からジグザグに降ってドード・コシ川まで200m程標高を下げ、川に架かる長い吊橋を渡る。吊橋を渡ったすぐ先のプンテキンガのロッジでランチタイムとなる。今日のメニューはパスタにポテト炒めなど、疲れた身体を癒す美味しい料理だった。

 プンテキンガのロッジ(ここからタンボチェまで急登が続く)

 プンテキンガからタンボチェまで標高差600mの長い登りが始まる。ナムチェ坂に優るとも劣らないエベレスト街道の難関で、この坂を登り切らないと宿泊地のタンボチェへ辿り着かない。

 タンボチェへの長い登

 標高が上がるにつれ川音が小さくなり、頭上を見上げると今までタムセルクに隠れていたカンテガ峰(6779m)が圧倒的な存在感で高く聳えていた。約2時間の苦しい登りを終え、尾根上に数軒の建物が点在する標高3876mのタンボチェ集落に着いた。此処はもう富士山の山頂より高い場所だ。

 見上げるカンテガ峰(6779m)

 今宵我々が泊るのは「ホテルヒマラヤ」という立派過ぎる名前のロッジで、(エベレスト街道ではヒマラヤの名を名乗るロッジが多い。)部屋の間取りはシンプルながら窓から眺めるエベレストとローツェの眺めが豪華だ。

我々が泊るヒマラヤホテル

 タンボチェからエベレスト、ローツェの眺め

 同 上

 夕食まで時間があったので、シェルパ頭のニマさんがラマ仏教のお寺「タンボチェゴンパ」を案内してくれた。小さな集落にしては立派な寺院で、中は無料で見学できるが写真撮影は禁じられた。仏像を宗教画など異郷の文化と伝統が偲ばれ、有意義な体験であった。

 タンボチェゴンパの艶やかな門

 タンボチェゴンパ

 寺院内で憩う僧侶達

 お寺を出ると100m程離れた場所まで、添乗員のCさんが案内してくれた。そこには世界初の冬期エベレスト登頂を成し遂げその直後遭難死した登山家「加藤保男」や、その他エベレストで亡くなった日本人を含む何人かの登山者を偲ぶ慰霊碑が建立されていた。彼らの慰霊碑がエベレストとは逆のルクラ空港方面へ向いていたのは、生還を果たせなかった彼らの望郷を慮ってであろうか。

 登山家「加藤保男」の慰霊碑

 慰霊碑の建つ場所からは長々と横たわるコンデリ峰が正面に望まれ、輝く夕日がその中へ没しようとしていた。明日は怪峰アマ・ダムラムの山麓を通りディンポチェへと向かう。

 コンデリに夕日が沈む

 

 

 

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巷ではチコちゃんの「ボーッといきてんじゃねーよ、」が大人気

2018年11月23日 | 日記

 11月23日(金)

 最近NHKテレビの「チコちゃんにしかられる」という番組の人気が高まっているそうだ。CGで合成された主役のチコちゃんは5才の口達者な女の子という設定で、普段考えもしないような素朴な疑問を登場するゲストにぶつけて、上手く答えられないと(殆どが答えられない)、決め台詞の「ボーッと生きてんじゃねーよ」でゲストが叱られる。

 チコちゃんの多彩な表情とその決め台詞が痛快で、私もこの番組をよく観ている。そしてチコちゃんの「決め台詞」が、普段の生活でもけっこう使える事にも気付いた。

 例えば、私は地元の中高年サークルでテニスを楽しんでいるが、テニスの試合は基本ダブルス形式で行われる。試合の最中に自分のパートナーがつまらぬミスを犯した時、「ボーッと立ってんじゃねーよ。」何て言おうものなら普通は喧嘩になってしまう。しかし「ボーッと立ってんじゃねーよ。・・・とチコちゃんに言われるよ。」と付け足せば、明るい冗談として和やかに済ます事ができる。(これは実証体験済みです。)

 一般社会でもこの言葉が大いに活用できるのではないだろうか。例えば貴方の部下が鈍くさい奴でミスばっかりやってたら、「ボーッとやってんじゃねーよ。・・・とチコちゃんに叱られるゾ」何て注意すれば角も立たずに済む。

 貴方の友人がだらしない奴でそんな態度に堪忍袋の緒が切れた時、「ボーッと生きてんじゃねーよ。・・・とチコちゃんに叱られるゾ」と明るく言えば相手も苦笑いで済むだろう。

 言葉によるパワハラが大きな社会問題になっている昨今、チコちゃんの決め台詞を付け足す事で随分雰囲気を和らげる事ができるのではないだろうか。但し世の中には冗談の通じぬ、ガチガチの石頭も存在しますから、そこんとこは注意してご使用ください。

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カラパタールトレッキング5日目

2018年11月21日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月27日(土)     天気=晴れ後曇り

 

ナムチェバザール08:12→ 10:00~50エベレストビューホテル→11:57~12:30クムジュン村→ 15:00ナムチェバザール (歩行5時間)

 

 毎朝、シェルパさんがお湯とホット紅茶を配ってくれると前回のブログに載せたが、その他に添乗員のCさんが参加者の健康手帳を準備しており、毎朝夕にパルスオキシメーターという器具で全員の血中酸素飽和濃度を測ってくれる。この数値が高ければ高度順応しているという事になり、通常通常90以上あれば良、60前後に下ると高度順応していないとなるらしい。

 我々夫婦の数値に毎回問題なかったが、何故かいつも妻の方が高い数値であった。妻の方が高度に強いのだろうか?そんな風に細やかな健康面のサポートがある事も、我々が安心してトレッキング専念できる力となっている。

 さて今日は高度順応と休養を兼ねた軽いハイキングなので、朝8時過ぎに気軽な気分で宿を出発する。ナムチェの村を見下ろす所まで登ると、西方にコンデリ(6187m)が白く輝いて大きく見える。

 ナムチェバザールの村と背後にコンデリ峰(6187m)

 ナムチェ村よりルクラから辿って来た渓谷を望む。

 ナムチェ村のはずれからシャンボチェの丘までしばらく急登の道が続く。辿り着いたシャンボチェの丘は名立たる景勝の地で、エベレストを始めとするヒマラヤの高峰群の眺めが言葉にならぬ程素晴らしい。

シャンボチェの丘より(右からアマ・ダムラム、ローツェ、江ブレスト、タウチェの高峰が望める)

 至福の散歩道

 丘の奥にはエベレストが正面に眺められるエベレストビューホテルが経っている。日本人が経営しているそうで、近くにはヘリポートも備えられお金を出せば此処まで歩かずとも来る事ができる。しかし長い道を経てこその感激や達成感もあるのではないだろうか。ホテルの屋外ビュッフェでしばらくティータイムを楽しむ。

 エベレストビューホテルに向かう(奥の山はコンデリ)

 ホテルのヘリポート

 エベレストビューホテル

 ホテルを出るとクムジュンの村へ向かって緩やかに降って行く。クムジュン村は標高3700m地点にあり、薄青緑色屋根に統一された家々が立ち並ぶ美しい集落だ。シェルパ頭ニマさんの奥さんも此処の出身だと言い、何人かの村人が彼に親しく声を掛けていた。 

 ホテルから望むクムジュン村

 村が近づいてきた

 村の背後にはシェルパ族の聖なる山、クーンビラ(5761m)が聳える。穂高岳を二廻り程険しくしたような岩山だが、登山を禁じられ今だ未踏峰という事だ。

 村の仏塔と背後にクーンビラ峰

 クムジュン村のバレービューロッジで昼食をとる。美しい山岳風景を眺めながら食べるプラディさん手作りの料理のマカロニ風ランチは絶品だった。昼食を終えると往路とは違う道でナムチェへと戻って行く。村のはずれにはエベレスト初登頂の登山家ヒラリーが造ったという小・中学校が在り、山中には珍しくサッカーや野球ができそうな広い運動場を持つ立派な学校だった。

 ランチの温野菜とマカロニ&オレンジジュース

 村からタムセルク峰(右6623m)とカンテガ峰(左6779m)

 村からアマ・ダムラム峰(6812m)

 登山家ヒラリーが創設したクムジュンの小・中学校

 クムジュンから峠への道でヤクとすれ違う

 クムジュンから仏塔の建つ小さな峠を越えてナムチェへ降って行くと、途中に世界最高所の飛行場が在る。ダートの滑走路でセスナ機くらいしか離着陸できないだろう。今は殆どへリポートとして使われているようだ。

 クムジュンとナムチェ間の峠(雲を被った山はエベレスト)

 峠近くの標高3800mにある牧場

 世界最高所の飛行場

 飛行場から急な坂をジグザグに降って行くと、ナムチェの村が眼下に見えた。宿へ戻ると時間が早いので、Cさんの案内で商店街を散策する。商店街には登山用品を中心とした数多くのお店が軒を連ねている。

 道端に咲くヒマラヤリンドウの花

 眼下にナムチェの村が見えてきた

 さして欲しい物も無かったが、商売上手なオバサンの店でYさんと私は羽毛ズボンを買った。値段は値切って30ドルで、一応「ノースフェース」の商標が付いている。妻はお土産用にとヤクの毛の帽子を4枚買い私のズボンと併せて40ドルだった。日本円で4千円と思えば安い買い物だったと思える。

 買ったばかりの羽毛ズボンを履いたYさんと私(真ん中は添乗員のCさん)

 勧め上手なお店のオバ(お姉?)さん(右側と左側はT子さん)

 賑わう商店街

 洒落たフードコート

 ショッピングを終え宿に戻ると、辺りは肌寒いガスに覆われ一気に気温が下がった。午前中は晴れて午後から曇り、こんな天気が毎日続く。最後までこんな天気が続けばよいが・・・明日はタンボチェまでアップダウンの大きなトレッキングとなりそうだが、前半は世界一美しいと呼ばれるトラバース街道を歩く。どんな風景に出会えるか楽しみだ。そう思いつつ寝床についた。

 

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年甲斐も無く無理をして、最近ヤヤ体調不調

2018年11月20日 | 日記

 11月20日(火)

 健康問題をブログに載せるのはヤヤ不本意だが、ここ数日歯の痛みに加えて何だか頭もボーッとして風邪っぽい感じがする。妻からは「年甲斐も無く無理をするからよ。」と非難がましく言われる。

 確かに妻の言う事も間違いではない。慣れぬ長旅の疲れを残したまま、来月に控えた小川ハーフマラソンの練習でロング走を連日やった為、若くも無い身体が悲鳴をあげて体調不良となったのかも知れない。これでは大会に備えての走り込みができぬと弱気な気持ちになる。

 こんな弱った気分の時はもう少しは慈しむような言葉でフォローしてくれてもいいのにと、モヤモヤ気分で近くの郵便局へ立寄ると、来年度の年賀状ハガキが既に販売されている。

 「もう年賀状を準備する季節になったのか」と改めて実感した。年賀状のやりとりを、「終活の一環として止めている高齢者が増えてきている。」と先日の新聞コラム欄で報じられていたが、何だか私も書く気が失せて年賀状止めちゃおうかなと一瞬思った。

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カラパタールトレッキング4日目

2018年11月19日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月26日(金)     天気=晴れ後曇り

 

バグディン07:35 → 11:00~05モンジュ(公園ゲート)→ 15:35ナムチェバザール(スノーランドホテル泊) (歩行7時間)

 

 トレッキング期間中に、入浴やシャワーを浴びる事ができない。しかし朝起きた時にシェルパさんが温かい紅茶と洗面器にお湯を配ってくれ、これで気分がリフレッシュできる。

 朝7時半、バグディンを出発する。

 今日はドード・コシ川沿いに遡って行く。川沿いの道はそれ程アップダウンも無く異国情緒が漂い楽しい歩きが続く。途中何度の100mを越えるような吊橋を渡るが、ワイヤ製のしっかりした造りなので別に怖くは無い。ただ対岸からゾッキョやラバのキャラバンが来る時は、すれ違えないので、通過するまで待つしかない。やがて対岸越しの右手に、頭上高くタムセルク(6608m)の鋭鋒が見えてくる。エベレスト街道で最初にお目見えするヒマラヤの高峰だ。

 街道沿いの集落(左の男性はシェルパのニケスさん)

 こんな吊橋を何度も渡る

 遠くにタムセルクが見えてきた

 バグディンを出発して3時間半で、モンジュの集落に着いた。此処がサガルマータ国立公園の入口となり、通行許可証のチェックを受ける。ニマさんの手際よい処置で、ここもスンナリ通過できた。

 モンジュの国立公園通行ゲート

 モンジュから1時間半程歩いたベシカルのロッジで昼食を食べる。食事は基本的に3食全てシェルパのプラディさんが作ってくれる。バラエティーに富んで日本人好みの味なので、飽きる事は無い。

 ベシカルのロッジは世界中から来た人達で賑わっていた。

 ベシカルから川の右手を更に進むと、前方に上下に二段の吊橋が見えてきた。これがラージェ橋で、下の橋は古いもので、上の橋だけ利用されている。日本だったらこの景観だけで、有名な観光名所になるだろう。

 後方にラージェ橋が見える

 ラージェ橋を渡るゾッキョのキャラバン

 ラージェ橋からナムチェバザールまで標高差600mの長い登りが続く。標高も3000mを越え、この急登がトレッキング最初の難関かも知れない。最後尾を歩いていたKさんが徐々に遅れ始めた。T子さんが「私もKさんと一緒に行く。」と言ったので、メンバーを二手に分けて進む事になった。

 ナムチェへの長い登り

 先頭を行くMさんは快調で、何かスポーツやってるんですか?訊ねたら、「日本アルプスをよく歩いている。」との事だった。ナムチェまでの中間地点にはトイレもあり、一服するには良い場所だ。何とここで初めてエベレストがチラリと見える。

 休憩ポイントから初めて見えたエベレスト

 急坂とはいえ、道はジグザグによく整備されて歩き易い。私の脚もだんだん馴染んでいくようだ。やがて集落チラホラ見え、尾根を越すとナムチェバザールの賑やかな街並みが一気に現れた。

 ナムチェ手前の集落(尾根の向こうがナムチェバザール)

 予備知識が無ければ、奥深い山中にこんな賑やかな集落があるとはと驚かされる。門を潜り、マニ車の列が並ぶ道を抜け、商店街を通って、今宵の宿「スノーランドホテルに着いた。遅れていたKさんやT子さんも1時間後には着いたようだった。

 ナムチェの門を潜る

 狭い路地に賑わう商店街

 スノーランドホテル到着

 ホテルは階段状の高台に在り部屋からは集落を見渡す事ができる。部屋のレイアウトは昨日のロッジとほぼ同じだ。標高は富士山頂部に近い3500mもあり、午後になって陽が陰ると一気に寒さが強まる。

 明日は高度順応の為、ナムチェに連泊するので気が楽だ。夕食は焼き飯風と餃子に煮野菜、味噌汁だった。ビールの良いおツマミになりそうだが、標高の高い所に居るせいか、あまり欲しくも無い。明日はナムチェ付近を散策します。

 

 

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カラパタールトレッキング3日目

2018年11月17日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 10月25日(木)     天気=晴れ後曇り一時雨

 

ネパール、カトマンズ→ (飛行機)→ ルクラ10:10→ 14:50バグディン(ロイヤルシェルパリゾートロッジ)  (歩行3時間)

 

 朝4時半起床で、6時前にホテルを出発した。早朝のカトマンズ市街地は交通渋滞も無く、10分程でカトマンズ空港へ着いた。今日は国内線でエベレスト街道の玄関口、ルクラへ向かう。

 国内線空港ロビーでシェルパ頭のニマさんと合流する。彼は日本語が堪能で、小柄ながら如何にもシェルパらしい精悍な風貌の人だった。航空会社のカウンターはごった返していたが、ニマさんの手際よい交渉で我々はテラ航空のチケットを獲得する事ができた。この混雑の中、外国人が個人でチケットを獲得するのはけっこう大変だ。

 混み合うテラ航空の出発ゲート(重量計で荷物の重さを量っている)

 ルクラへ向かう飛行機は15人乗りのプロペラ機で、ルクラの滑走路が極端に短い為この大きさが限界だという。10時過ぎ、我々を乗せた小さな飛行機は空港を飛び立った。

 ルクラへ向かう飛行機

 カトマンズを飛び立つ

 見る間にカトマンズの市街地は彼方へ去り、緩やかな山々が波頭のように続く。低空を飛ぶので山の稜線まで点在する人家や田畑の様子が手に取るように見える。やがて前方に雪を頂く高峰群が大きくなり、飛行機は深い谷間を縫うように飛ぶ。

 山の上まで人家が建っている

 ヒマラヤの高峰が近づいてくる

 滑走路が極端に短いルクラは、世界一危険な空港とも呼ばれている。滑走路には傾斜があり、着陸は坂を登るようにして止まり、離陸は坂を下り加速をつけて飛び立つ。だけどキャビン内の我々はそんな事情を知る術が無く、スリルを味わう事も無く轟音と共に無事ルクラ空港へ降り立った。

ルクラ空港へ降り立つ

 ルクラ空港の滑走路

 空港を出て近くのロッジで休憩する。そこで同行するシェルパの人達と合流した。シェルパのダワさん、ニケスさん、料理担当のプラディさんと、彼を補佐するポーターの青年、その他に荷物を運搬するゾッキョ(牛)を操るオジサンとそれを補佐をする可愛い娘ソナムちゃん。我々6名の参加者を、Cさんやニマさんと共にこれだけのメンバーがサポートしてくれる。

 我々の荷物を運んでくれるゾッキョ(高地に住むヤクと牛の混合種)達

 今日はルクラから8キロほど離れたバグディンで泊る為、準備を終えると早々にルクラを出発する。急に標高2800mの高地へ来たせいか、何となく頭がボーッとした感じで、これも高山病の前兆だろうか。

 賑わいあるルクラのメイン通り

 賑わうルクラのメイン通りを抜けゲートを潜っていよいよトレッキングが始まる。最初はエベレスト源頭部から流れ出るドード・コシ川へ向けて緩やかに降って行く。

 ゲートを潜ってトレッキング出発

 道路は地元民の生活道でもあり幅広く歩き易いが、ゾッキョやヤク、ラバといった家畜類が物資運搬の主役なので、道端は至るところ彼(女)らの糞が転がっている。気をつけないと踏んでしまいそうだが、糞は暖をとる燃料や畑の肥料として再利用されるもので、それ程汚いという感じがしない。

 道路から中央奥にシェルパ族の聖なる山クンビューラ山(5761m)が見える。

 又道沿いの集落にはマニ車や仏塔などのラマ仏教施設が点在する「マニ車は時計回りに回し、仏教施設は必ず左側を通過する定めとなっている。」と先頭を行くダワさんが教えてくれた。

 マニ車

 仏塔

 ルクラを出発して約4時間程で一段と賑やかな集落に着き、そこがバグディンであった。今宵は「ロイヤルシェルパリゾート」というロッジに泊る。客室はベッドが二つあるだけの簡素な佇まいで、エベレスト街道のロッジは殆ど同じ間取りであった。ここは個室にトイレがあるだけ高級だ。

 ロイヤルシェルパリゾートロッジ

 我々の部屋(寝具は無いので持参の寝袋で寝る)

 午後からポツポツと小雨降る天候となり、部屋には暖房が一切無いのですこぶる寒かった。夕食はプラディさんが作ったネパール料理のダルバートを食べる。ダルは豆でバートはお米を言う。一枚の大皿にご飯や豆スープ、オカズが盛ってあり野菜が多くて私の好みの味だった。

 夕食のネパール料理ダルバート

 今日からルクラへ戻る日までアルコールの類は一切飲まないと決めたので、これからはプラディさんが作る料理だけが楽しみだ。明日はシェルパの里ナムチェバザールへ向かう。

 

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2日前から奥歯がシクシクと痛くなってきた。

2018年11月16日 | 日記

 11月16日(金)

 2日ほど前から急に右側の奥歯にズキズキと痛みを覚えた。耐え難い痛さでは無いが、疼くような痛みが中々引かない。寝ている時に歯ぎしりでもしたのか、それともテニスでミスショットした時に悔しさのあまり奥歯を噛み締めたのか、原因が全く思い浮かばない。

 今日の午後、歯科医院へ予約して馴染の歯医者さんに診てもらった。何箇所か治療を施してはいるものの、今のところ私の歯は全て自前だ。レントゲン撮影などして詳しく調べてもらったが「特に悪い箇所は見当たらないですね。」という所見だった。

 結局「来週もう一度受診しましょう。」という事で痛み止めの薬だけもらって我が家へ戻ったが、薬が効いたのか夕食後の今は殆ど痛みは感じない。このまま治ってくれればいいのだが、原因がハッキリしないので何となく不安だ。

 それから残念な事がもう一つ。今年は病気知らずで、今まで検査や健康診断以外で病院を訪れた事が無かった。このまま1年間無病息災で過ごせるのではと願っていたが、今回の通院でその望みが途切れてしまった。その事がチョット残念と言うか悔しい。

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カラパタールトレッキング2日目

2018年11月15日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月24日(水)     天気=晴れ後曇り

タイ、バンコック → ネパール、カトマンズ(アンナプルナホテル泊)

 

 朝5時起きで慌ただしくホテル内のレストランで朝食を済まし、7時過ぎにホテルを出発した。僅か20時間程のタイ国滞在を終え、午前10時過ぎにバンコク国際空港からタイ航空TG319便でカトマンズへと飛び立つ。

再びバンコク国際空港へ

 近代的なバンコク国際空港

 バンコクを飛び立つ

 3時間程で飛行機は幾つもの山々がうねるネパール領内へ入った。そして雲海の彼方を望むと、オォ~ヒマラヤの高峰群が見えるではないか。あの黒い山がエベレストで、その右の白い山はマカルー、更に右の山がカンチャンジュンガですと、添乗員のCさんが教えてくれた。初めて見る生のエベレストに感無量の思いだった。

 ネパール領内に入る

 遠くにエベレストが(中央奥)が見えた

 やがて下界は家々がひしめく市街地となり、飛行機はカトマンズのトリヴァン国際空港に降り立った。国際空港とは言っても成田やバンコクの空港とはエライ違いで、滑走路は1本しか無く日本の地方空港という風情だ。

 カトマンズの市街地

 トリヴァン国際空港

 空港の外へ出ると現地ガイドのサンタさんが出迎えてくれ、我々一人一人に歓迎のカダ(首にかける布)を掛けてくれた。これは外来の客をもてなすネパールの風習であるようだ。

 出迎えてくれた現地ガイドのサンタさん

 バスに乗ると宿泊先のホテルへと向かう。初めて見るカトマンズの市街地は埃っぽくて、バイクや車の無茶苦茶な運転が凄まじく、その混雑ぶりに圧倒された。

 元王宮前通りの凄まじい交通ラッシュ(信号機はあるけど故障して警察官が整理している)

 空港から直線距離で5キロしか離れていない宿泊先のホテルまで30分以上掛かって着いた。今宵宿泊するアンナプルナホテルは入口には門衛が立ち落ち着いた雰囲気の高級感漂う立派なホテルだった。

 アンナプルナホテル玄関

 昼食はホテル近くの日本食レストラン「古都」で、すき焼きランチを食べる。ボリュウムがあって中々美味かったが、肉嫌いの妻は少し持て余し気味のようだった。

 食事を終えると自由時間となり、添乗員のCさんが繁華街のタメル地区に案内してくれた。此処はホテルから15分程の距離に在り、外国人に人気の場所で登山用具店を始め多くの店が軒を連ねている。

 タメル地区(電線が蜘蛛の巣状態になっている)

 同 上

 登山用具店を覗くと、日本だったらン万円は下らないブランド物が、一桁安い数千円台で売られている。本物かどうか疑わしいが、Cさんによると品質的にもそれ程劣らずお買い得の品が多いと言う。トレッキング前に此処で装備を購入するという手も、悪くは無さそうだ。活気があって面白い繁華街だったが、特に欲しい物も無く、見物だけしてホテルへ戻った。

 タメル地区の紅茶店

 タメル地区の寺院

 部屋へ入ると自分の荷物をトレッキング用とホテルに残置する物とに分け、トレッキング物は西遊旅行社が準備しただフルバッグに詰め変える。トレッキングでは、このダッフルバッグと自分で背負うバッグが旅のお供をする事になる。

 明日も出発が早いので、ホテル内のレストランで夕食を済ます。ホテルの宿泊客は主に外国の人達で日本人の姿もチラホラ見かける。従業員の人達も感じが良く、ある中年の男性従業員が「私の息子も静岡の沼津市で働いています。」と話し掛けてくれ、その優しい笑顔に私達も嬉しい気分になれた。

 レストランで夕食、左側中央のイケメン青年が添乗員のCさん

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カラパタールトレッキング1日目

2018年11月13日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月23日(火)     天気=雨後曇り

成田空港 → タイ、バンコック(市内ツインタワーホテル泊)

 

 大いなる期待と僅かばかりの不安を混じえて待ちかねていたカラパタールトレッキング出発の日がとうとうやってきた。早朝、川越駅から空港直行バスで成田の第1ターミナルへ午前7時半頃到着した。

 出発カウンター前で西遊旅行社の添乗員のCさん、浦和市から参加のKさんと合流する。添乗員のCさんは20歳代後半の山男とは思えぬ長身色白のイケメンだったが、穏やかで優しそうな人柄にとても好感が持てた。単独参加のKさんは我々と同年輩の男性だった。

 雨の成田空港を出発

 我々を見送る涙雨か、小雨降る中バンコク行きのタイ航空641便は予定通りに飛立ち、5時間半の飛行後午後3時過ぎにバンコク国際空港へ着陸した。飛行機を降りて到着ロビーへ向かうと、関西から参加のYさん、Mさん、T子さんの3名と合流した。

 バンコク国際空港到着

 Yさんは笑顔の絶えぬ明るい人柄で、Mさんは穏やかな紳士、T子さんは如何にも関西の人らしい活発で人懐っこい感じの女性であった。添乗員のCさんと勢揃いをした参加者6名が空港の外へ出ると現地ガイドのヴィヴィさんが我々を出迎えてくれた。

 出迎えてくれた現地ガイドのヴィヴィさん(左から二人目の女性)

 ヴィヴィさんは50歳代の明るい女性で、ホテルへ向かうバスの中、堪能な日本語でタイやバンコクの事をいろいろと話してくれた。高速道路から眺めるバンコクの市街地は、高層ビルが幾つも林立し東京に勝るとも劣らぬ大都会であった。

 車窓からバンコク市街地

 ツインタワーホテル入口

 今宵我々が泊るツインタワーホテルは、屋台が軒を連ねる下町街に建つ巨大な建物だった。アジアンの雰囲気が漂う屋台を探索し何か食べてみたかったが、トレッキングを控える大事な身体なので、自重してホテル内の中華レスランで夕食をとった。

 客室から見える市街地

 フロント前で琴の演奏をしていたタイ美人

 ホテル内の中華レストラン

夕食中にそれぞれが簡単に自己紹介をして、食事の後は明日の早い旅立ちに備えて早めに部屋へ引き上げた。明日はバンコクからネパールのカトマンズへ向かい、市内のホテルに一泊する。

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やっぱり日本のグルメは最高

2018年11月11日 | 日記

 昨日我が家へ戻ると後片付けもソコソコに近所の寿司屋へ向かい寿司ランチを堪能し、夜は馴染のイタリアンレストランでパスタとスパゲッティに舌鼓を打った。

 トレッキング中にシェルパのプラディさんが作ってくれた料理や、カトマンズのレストランで食べた料理も決して悪くは無かったけれど、やっぱりこだわりの寿司職人やシェフが作る日本の料理は最高で、日本人で良かったなとつくづく実感した。

 昨日の料理があまりに美味くて感激したので、思わず書かずにいられませんでした。カラパタール紀行の事は次回より載せていくつもりですので、乞うご期待願います。

            

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カラパタールの山頂からエベレストを眺めてきたゾ。

2018年11月10日 | 日記

 11月9日(土)

 長いトレッキングの旅を終え、今日やっと我が家へ戻ってきました。思えば昨日のお昼頃は埃っぽいカトマンズの空港で中々飛立たぬ飛行機にヤキモキしていたのに、便利な世の中になったものです。

 カラパタールの山頂から世界最高峰エベレストを眺めるという長年の目標は、取りあえず達成する事ができました。生で見るヒマラヤの山々は想像以上の迫力で感動の一時を過ごす事ができ、思い返すと何だか素晴らしい白日夢を見てきたような気分です。

 長い間休載していたブログでありますが、生々しい記憶の残るカラパタールトレッキング紀行を中心に続けていきますので、今後のご愛顧宜しくお願いします。

 カラパタール山頂

 山頂から見るエベレスト(中央奥)

コメント (2)
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