Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

台風24号日本列島接近中

2018年09月30日 | 日記

 台風や地震などの自然災害が今年は異常に多い気がする。何て言ってる今も、大型で非常に強い勢力の台風24号が日本列島に接近中だ。このまま真っ直ぐ北へ向かい中国や北朝鮮辺りへ去ってくれればよいものを、ワザワザ日本列島へ進路変更するところが腹立たしい限りだ。

 予報によれば戦後最大の台風被害をもたらした伊勢湾台風にも匹敵するような強い勢力だという。嵐の前の静けさで、今のところ我が街辺りではパラパラと小雨が降る程度だが、今夜半には強い勢力のまま関東地方へ最接近するようだ。

 取りあえず停電に備えて我家では備蓄の水と懐中電灯を準備したけれど、今夜は不安な夜を迎えそうだ。大した被害を残す事無く台風が日本列島を去ってくれればと、八百万の神仏へ切に願うばかりです。

 とブログを書き終えた今、パラパラだった雨が俄かに強さを増し、窓へ叩きるつけるような降り方に変わり始めている。

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富士見山登山のはずが、日帰り観光で身延山へ

2018年09月29日 | 旅行

9月27日(金)     天気=晴れ

 

 最近天候不順が続く中、今日は珍しく晴れの予報だったので急遽山梨県南部の富士見山を登る事にした。朝方我家を出発し、中央道を経由して中部横断道終点の六郷インターで高速を降り、国道52号から狭い山間の道を辿って富士見山の登山口へ車を走らせた。

 ところが登山口まで後2キロ程を残す地点で、通行止めのゲートに行く手を阻まれた。この先の道路が崩壊しており復旧工事をしているようだ。別の道は無いかとカーナビで探したが、車のすれ違いも困難な狭い山道ばかりなのでカーナビには道路すら表示されない。

 まごまごしてるうちに時間ばかりが過ぎ、何だか登る気が失せて結局登山は諦め引返した。とは言え山梨県まで遠出して、このまま帰るのも口惜しい。身延町で有名な場所と言えば・・・そうだ日蓮宗の総本山「身延山久遠寺」が在ったと思いつき、そちらの方へ車を走らせた。

 身延山久遠寺は奥深い山中に大本堂を始めとする荘厳な建物並び立つ大寺院で、その厳かなる雰囲気は奈良の吉野や高野山にも劣らない。しかも寺院の中を無料で見学する事もできる。(但し撮影は厳禁、高い拝観料をふんだくる京都や奈良の有名な神社仏閣とはエライ違いだ。)

 久遠寺の境内

 身延山の山頂へはロープウェーが通じており、もう歩く気力は無かったので、観光の人となってロープウェーに乗車する。(大人往復1400円と若干割高料金)標高1153mの山頂には日蓮聖人が修行したという奥ノ院恩親閣が鎮座して参拝の人々で賑わっている。

 レトロ風な身延山ロープウェー

 ロープウェーから富士川の流れと遠く伊豆半島

 山頂の奥ノ院恩親閣

 又展望台からは、眼下にクネクネと流れる富士川と南に遠く駿河湾、その奥に伊豆半島が垣間見える。又東側には富士の高嶺が毛無山山塊の上に一寸顔を出し、西側は稜線直下が大きく崩壊した七面山が望まれる。

 中央、山波の奥に富士山が頭を覗かせている。

 ロープウェーで山麓に戻ると、その後富士五湖方面へ向かった。本栖湖湖畔のビューポイントで富士の写真を撮り、何だか疲れてきたので「道の駅なるさわ」で長い休憩の後、我家へ戻った。

 本栖湖から富士山

 道の駅なるさわから富士山

 本来は富士見山登山のブログを載せるつもりであったが、こんな事情で今回はクラブツーリズムでやりそうな「秋の身延山と富士山麓を巡るお手軽日帰りツアー」となってしまった。

 アラセブン夫婦にはこんな旅の方がお似合いだけど、ハイキングで山を歩いた時よりもグッタリ疲れて身体が重いのは一体何故なんだろう。

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日本三百名山回顧№50、秋田県、大平山(3百名山)

2018年09月27日 | 三百名山回顧

平成25年9月19日(木)    天気=曇り時々晴れ

 

 平成25年は日本三百名山踏破を目指して春に四国の山を遠征した。そして9月には、東北の山を目指して一人長旅に出た。最初に向かったのが大平山で、秋田市の近郊に聳え秋田市民の山と呼ばれているようです。

 標高1200mには届かぬものの、ブナや杉の森に覆われた自然豊かな山です。山頂からの展望も抜群で、東は奥羽山脈の山波が続き、西は秋田市街地と日本海が拡がる素晴らしい眺めです。

 又信仰の山でもあり、山頂には宿泊もできる立派な神社が建ち、登山道沿いにも数多く信仰の痕跡が残されています。そんな見所の多さと人気の高さが低山ながら三百名山に選ばれた理由ではないかと思います。

 

 大平山山頂

 山頂の地名標示盤

 山頂の宿泊所

 山頂から秋田市方面

 登山道沿いの祠

 尚、大平山の山行記は既にブログへ記載済みであり、詳細については下記をクリックしてご覧ください。

      クリックしてね。

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車を降りる時は「ウ、ラ、エ、キ」と呟く。

2018年09月26日 | 日記

 ラグビーの五郎丸選手がキックの前に必ず両手を合せて合掌するルーティーンをやるように、皆さんも日常生活の中で幾つかのルーティーンをお持ちではなかろうか。かく言う私にも一つのルーティーンがあります。

 それは車を停めて下車する時に、必ず「ウ、ラ、エ、キ」と唱える事です。ひょっとしてこれだけでピーンと来た方が居るかもしれませんが、その意味とは一体なんじゃらホイ。

 もしかして某新興宗教の呪文か。イヤイヤ憧れている異国の秘境か。それとも浦和(ウラワ)駅近くの馴染のスナックか。イエイエいずれも違います。その発端は私が60歳の大台を間近にした頃、物忘れがひどくなってきた事に起因する。

 車を停めて駐車場を離れた後に、「アレ、ライトつけっぱなしじゃなかったか。」とか、「窓閉め忘れてなかったか。」とか、「鍵を掛けなかったんじゃないか。」とそんな事態が頻繁にあった。

 ひどい時には登山口に車を駐車して、登山道を歩き始めて10分後、「ア~、鍵を掛け忘れたア」何て慌てて数百mの距離を登山口まで引返した事もあった。そこで思いついたのが、このお題目何です。サンザ引張りましたが、ここまで言えばもうお判りでしょう。

 種明かし、「ウはウィンドーのウ、ラはライトのラ、エはエンジンのエ、キはキーのキ」・・・これを唱えて確認し、その後は安心して車を離れる事ができるようになったのであります。

 同じような悩みを抱える中高年の皆さん、車を下車する時はドレミの歌のメロディ風に合わせて、「ウはウィンドーのウ、ラはライトのラ、エはエンジンのエ、キーはキーのキ」とさあ歌いましょう。

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日本三百名山回顧№49、山形県、蔵王山(百名山)、

2018年09月24日 | 三百名山回顧

昭和56年6月14日(日) & 平成10年9月15日(火)

 蔵王山は宮城・山形県境に聳える大きな山塊で、最高峰は標高1841mの熊野岳です。その熊野岳に初めて登ったのは確か昭和56年の6月の事で、岩手県の早池峰山登山を終えた後に、宮城県の白石駅からバスで県境の刈田峠に向かい、峠から熊野岳の山頂まで往復登山した。

 峠から山頂までは1時間もかからぬ楽ちんコースで、夏には早い季節だったから稜線には多くの雪が残っていた。遠い昔の話なので掲載した写真の如く薄らとした記憶しか残っていない。

 蔵王山東面の残雪

 馬の背 

 馬の背から御釜

 その後、平成10年の9月に秋田県の神室山を登った後蔵王温泉に泊り、翌朝、妻と二人で蔵王ロープウェーの樹氷高原駅から熊野岳へ登った。ところが幾ら古いアルバムを捜しても、この時の写真が見つからない。唯一見つけた火口湖「御釜」の写真は、登山の翌日に蔵王エコーラインをドライブした際に、刈田岳展望台から撮ったものだと推測される。

 刈田岳展望台より御釜(平成10年9月)

 そんなこんなで歯切れの悪い回顧録となったが、若い頃はスキーで何度も訪れており、蔵王山は登山よりもスキーゲレンデとしての印象が強い。平成21年2月に山仲間の人達と、スキーで訪れた時の写真もついでに掲載しておきます。

 地蔵山山頂

 地蔵山の樹氷

 

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八ヶ岳、権現岳~赤岳登山2日目(青年小屋~権現岳~赤岳~青年小屋~観音平)

2018年09月22日 | 山歩き

9月19日(水)                  天気=晴れ時々曇り

05:18青年小屋テント場→ 06:15~30権現岳→ 07:30~38キレット小屋→ 08:27真教寺尾根分岐→ 08:43~09:00赤 岳→ 10:01~10キレット小屋→ 11:11~20権現岳(分岐)→ 12:03~12:51青年小屋→ 13:44押手川分岐→ 13:55~14:04ベンチ(標高2040m)→ 14:20雲海分岐→ 14:52観音平駐車場

 

 朝4時頃、隣のテントの物音で目覚めた。寝袋から抜け出し、コンロに火を点けて朝食の準備をする。いつものようにカップヌードルとパンにコーヒーだけだから簡単に食事を終えた。

 行動食と飲料水、貴重品、衣類等必要最小限の装備だけザックに収め、朝5時18分にテント場を出発する。早朝の大気はヒンヤリとして風も大して無いので、絶好の登山日和だ。

 編笠山の山頂を朝日が照らす。

 権現岳への急坂を登り、フト振り返ると編笠山の山頂だけ陽に照らされている。キボシ直下の鎖場を通り、権現小屋の横を通過して約1時間足らずで権現岳(2715m)へ着いた。山頂は狭い岩塔の尖端なので、標識だけを写真に撮り、赤岳への縦走路分岐まで戻って休憩した。

 ギボシから権現小屋と権現岳山頂

 権現小屋

 権現岳山頂

 分岐から権現岳山頂

 分岐からは旭岳~ツルネ~赤岳へと続く痩せ尾根が圧巻の眺めだ。分岐から赤岳へ向け少し進むと50mはあろうかという超長い梯子階段を降る。日本の山岳地帯でこれ以上長い梯子階段を見た事が無く、ひょっとしたら日本の登山道では一番長い梯子階段かも知れない。

 権現岳分岐から旭岳(左手前)と赤岳(右奥)

 日本一長い?登山ハシゴ

 梯子階段を降り、更に鞍部まで降ると次は鋭い旭岳(2672m)へと登り返す。旭岳の西側を巻いて今度はツルネに向かって一気に降る。ツルネは緩やかなピークで、北に赤岳、南に権現岳の眺めが良い。

 鞍部から旭岳(左)と赤岳(右奥)

 ツルネから赤岳方面

 ツルネから更に降り着いた鞍部がキレットで、茶色い壁のキレット小屋が静かに建っている。キレットから赤岳まではコースタイム2時間の長丁場、気合いを入れて登り始める。

 キレット小屋

 森林帯を抜けるとルンゼ状の地形を登って行くので、落石の要注意個所だ。長いルンゼを抜けると右手に小天狗、大天狗の岩塔を見て、赤岳まで鎖が張られた岩場が続き、チョットしたスリルと緊張感が味わえる。

 キレット小屋からルンゼ状の登り

 

 小天狗の岩峰

 鎖場のトラバース

 赤岳の登りから阿弥陀岳方面

 真教寺尾根分岐

 慎重に岩場地帯を通過して8時43分、赤岳(2899m)の山頂に到着した。青年小屋のテント場を出発した約3時間半の道程で、思ったより早く歩く事ができた。赤岳の山頂は1月に登って以来今年2回目だ。前回は雪山だったのに、何故か登山日和の今日の方が登山者は少ない。

 前衛のピークから赤岳山頂

 赤岳山頂

 赤岳山頂から前衛ピーク(左手前)と権現岳(右奥)方面

 帰りの道も長いので20分足らずの休憩で山頂後にする。岩場の道は降りの方が危険なので、急がず降って行く。キレット小屋まで降立ち一息入れた後、今度は権現岳に向かって最後の長い登りとなる。

 前衛ピーク付近からキレット小屋への降り

 キレット小屋への降りから赤岳方面

 赤岳~権現岳の縦走路は歩く人は疎らで、静かな道だ。何て思っていたら、ツルネの先で全員ヘルメットを被った20名程の団体さんと遭遇した。昨日青年小屋に泊っていたグループで、何処かの登山ツアーみたいだった。すれ違う時、先導のガイドが「ぶつかると危険だからゆっくり歩いてよ。」何て上から目線的な物言いだったから、カチンときてわざと走って通過した。(70の大台に乗ろうかというのに、俺もガキだなあ。)

 ツルネから権現岳方面

 そんな不愉快がアドレナリンを噴出させたのか、キレット小屋から権現岳まで調子良く1時間ほどで登り着いた。権現岳からは殆ど降り一方なので、マイペースで降って行く。この辺りから観音平登山口の日帰り圏内に入るせいか俄然登山者が増えて行き交う人も多い。

 旭岳から権現岳方面

 権現岳から青年小屋への降るトラバース道

 12時過ぎ青年小屋のテント場に戻り着き、早速テントを撤収する。装備をザックに収め、行動食のパンで食事をしていたら、昨日であった青年小屋の娘さんと出会った。

 青年小屋へ戻る

 「アレー、もう赤岳まで行って来たんですか。早いですねぇ。」と言われたが、そういう彼女は日本酒が何本も入った重そうな背負子を担いでいる。富士見高原の登山口からボッカしてきたんだそうな。その力強い姿に思わず「逞しいなあ。」と呟いてしまった。

 午後1時前、再び重くなったザックを背負い青年小屋を後にする。編笠山を迂回する下山の道は苔むした樹林帯の静かな道だったが、押手川の分岐まで意外と長く感じられた。

 押天川へ降る苔むした道

 押手川から先は、昨日登りで歩いた緩やかな樹林帯の道なので気分的に楽になる。標高2040m地点のベンチで一度休んだだけで、後は脚を止める事無く降り、午後3時前に観音平の登山口へ戻って来た。

 観音平へ向かう笹原と樹林の道

 観音平へ戻ってきた。

 車に乗ると道の駅「こぶちさわ」にある日帰り温泉「延命ノ湯」へ向かい、ユッタリとお湯に浸かって登山の汗と汚れを流す。天気に恵まれて思いきり歩く事ができた二日間の山歩きは少し筋肉痛が残ったけれど、とても満足のいくものでした。

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八ヶ岳、権現岳~赤岳登山1日目(観音平~編笠山~青年小屋テント場)

2018年09月20日 | 山歩き

9月18日(火)    天気=晴れ時々曇り

07:54観音平駐車場→ 08:40雲海分岐→ 08:57~09:15ベンチ(標高2040m)→ 09:29~32押手川分岐→ 10:43~11:16編笠山→ 11:39青年小屋(テント泊)

 

 寒くならないうちにテント山行をやりたいと思っていたが、このところ天気が不順で決心がつかなかった。連休明けの予報がマアマアだったので、今朝方八ヶ岳へ向けて出発した。

 連休明けの高速道路は空いており、圏央道を経由して小淵沢インターで中央道を降り、八ヶ岳南端に聳える編笠山の中腹にある標高1580mの観音平登山口へ7時半過ぎに着いた。平日なのに広い駐車場は満車に近い状態で、一隅に何とか車を停める事ができた。

 観音平登山口の駐車場

 8時前、久々に重い幕営装備を背に一人出発する。登山口からしばらくは笹原の緩やかな樹林帯に道が続き、吹く風が秋の爽やかさだ。山頂へ直登する登山道は、標高が上がるにつれ少しづつ傾斜を増してくる。

 笹原の緩やかな樹林帯の道

 登山口から45分程で雲海展望台に着いた。富士見平からの道が此処で合流する。地図上では展望台と記されているが、樹木が育ち過ぎたせいかそれ程展望は無い。雲海展望台から先も緩やかな樹林帯の道が続き、標高2000mを越えた辺りに木製のベンチがあったので最初の休憩をとる。この辺りは原生林の佇まいが心地よい場所だ。

 雲海展望台の分岐

 標高2040m地点のベンチ

 ベンチの所から約15分程で、登山道が分岐する押手川に着く。右手は編笠山を迂回して青年小屋へ向かう道で、私は山頂へ向かう左の道を進む。押手川から一気に傾斜が増し、ゴロゴロと岩の重なった歩き難い道だ。降りの方が大変かも知れぬ。

 押手川の分岐

 岩の積み重なった急坂

 傾斜のキツイ分、標高はグングンと高まり、後ろを振り返ると木々の合間から雲が広がる山麓が望めた。急登の道はやがてハイ松帯へと変り、更に登ると森林限界を脱し、暑い陽射しを受けて登って行くと意外に速く編笠山(2524m)へ到着した。登山口から山頂までは、約2時間45分の道程だった。

 登山道から見下ろす山麓

 山頂は岩コロが積み重なった広い台地で360度の展望がある。北側は八ヶ岳の主要ピークである赤岳や阿弥陀岳、権現岳などの山容が鋭い。南側は雲海の海で望めるはずの富士山や南・北アルプスの山並みは見えなかった。

 編笠山山頂

 山頂から阿弥陀岳(左)、赤岳(中央)、権現岳(右)

 山頂でランチタイム中だった6名程のオバサングループに写真を頼んだら、シャッターを押してくれたオバサンが「アラッ、真っ黒に写ってるわよ。」と言った。「イイエ、どうせ色黒なので」と応えたけれど、撮れた写真は本当に真っ黒だった。

 休憩を終え、山頂を後に青年小屋へ向け降り始めると、下から長靴を履いた若い娘さんが登って来た。聞けば青年小屋の人で、小屋の状況を訊ねると「今日の小屋はお客さんで混んでますけど、テント場は空いてるからぜひ泊ってください。」と言われた。時間が早いので青年小屋をパスしてキレット小屋まで行こうかと迷っていたのだが、彼女の明るい声に押されて今日は青年小屋でテントを張る事にした。

 登山道から見下ろす青年小屋(奥の山は権現岳)

 11時30分、編笠山と権現岳の鞍部に建つ青年小屋へ着いた。玄関先には「遠い飲み屋」と書かれた赤ちょうちんがぶら下がるユニークな山小屋だが、サービスと食事の良さが評判で登山者には人気の山小屋だ。

 青年小屋

 隣り合わせたテント場も、広々とした平坦な場所でとても快適だ。テント場から歩いて4~5分の所に「乙女の水」と呼ばれる水場があり、名高い名水として知られている。

 乙女の水

 テントを張り終えると午後はする事が何も無い。ビールを飲みつつガラ携でブログのメールを作成したり、ウロウロその辺を散策したりして過ごす。小屋周辺は電波事情が悪くメール発信できなかったが、ウロウロ散策していたら運よくメールを送信する事ができた。

 テント場から見上げる権現岳

 午後4時過ぎから夕食の準備に取り掛かる。今宵のメニューはオデンにツナ缶、青菜漬、燻製肉、ドライカレー、卵スープと盛りだくさんだ。ビールを飲みつつだから全部喰えるかなと心配したが、程良く歩いたせいか、美味しく平らげる事ができた。

 夕食を終えるとする事は無く、午後6時過ぎには就寝した。早い時間に寝たせいか中々睡魔が訪れず眠った気がしない夜だったが、時々夢みたいなものを見た気がするので少しは眠れたのだろう。夜中にトイレで起きて夜空を見仰ぐと、雲が多くて鮮やかな天の川を見る事は叶わなかった。

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八ヶ岳(権現岳~赤岳)登山

2018年09月18日 | 山歩き

9月18日(火) 天気=晴れ時々曇り

07:54観音平→ 10:43~11:16編笠山→ 11:39青年小屋(テント泊)

9月も中旬となり、秋の気配を感じ始めた。久しぶりにテント泊まりがやりたくなり、八ヶ岳登山に出掛けた。
早朝我が家を出発し、7時半頃、編笠山中腹の観音平登山口へ着いた。
標高差1000mの急登を頑張って、11時頃編笠山の山頂に着いた。
山頂からは八ヶ岳最高峰の赤岳や阿弥陀岳などの眺めが素晴らしかった。編笠山を下って11時半過ぎに青年小屋のテント場着き、少し早かったがここにテントを張った。
午後はガラ携でこのブログを作成したり、流れゆく雲を眺めてボーッとしています。こんな時間もたまにはいいもんです。
明日はここから権現岳を経由して赤岳まで往復し、観音平へ下山の予定です。登山の詳細については後日のブログをご覧ください。

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日本三百名山回顧№48,秋田・山形県境、神室山(2百名山)

2018年09月16日 | 三百名山回顧

平成10年9月12日(土)~13日(日)

 

役内コース登山口→ (西ノ又コース) 神室山→ (パノラマコース) 役内コース登山口

 

 この山行も20年前の事で、あまり記憶が残っていない。たぶん妻と二人で東北の温泉巡りがてらに登ったのだと思う。秋田・山形県境に聳える神室山は信仰の山で幾つものコースがあるが、我々は秋田県側の役内コースを登った。

 国道108号から林道を遡り、西ノ又コースとパノラマコースが分岐する登山口に当時の愛車だった三菱パジェロミニを停める。ここから我々夫婦は西ノ又コースを登路にとる。このコースは渓流沿いの道で、第1、第の吊り橋を渡り幾度か渡渉する。

 不動明王の祀られた広場に達すると、その後は胸突き八丁の急登が続く。急登を凌ぐとマミヤ平の草原で、ここからは快適な尾根道に変る。やがてパノラマコースの分岐に着き、そこを左に曲って神室山(1365m)に到着した。

 パノラマコース分岐から役内集落方面

 山頂からの展望は良かったが、どんな景色だったかおぼろげな記憶しかない。ただ南に聳える神室山山塊の最高峰、小又山へ続く雄大な山容が印象的だった。山頂直下に避難小屋が在ったけれど、混んでいたので我々は近くの空き地にテントを張って一夜を過ごした。

 神室山山頂

 山頂から小又山(中央奥)方面

  翌朝、神室山とお別れし、前神室山を経由してパノラマコースを下山したが、こちらは単調な尾根道だったせいか殆ど記憶が残っておれず、コースの状況は割愛させてもらう。

 翌朝の小又山

  前神室山へ続くパノラマコース

 パジェロミニを停めている登山口へ戻ると、山峡の湯、秋の宮温泉に向かい鄙びた温泉で山の汗を流した。温泉を出ると明日登る予定の虎毛山へ向う。三百名山でも無い虎毛山へ何故登ったのか今になっては思い出せないが、多分ガイドブックで見た山頂の広々とした湿原に惹かれたからではないか。

 その夜は登山口近くの赤倉沢で車中泊したが、パジェロミニは狭いので、私がテント、妻は車内で寝た。今だったら妻の猛クレームがあり、きっとどこかの宿へ泊った事だろう。翌日は雨の中、虎毛山を登ったが、三百名山では無いから省略します。

 虎毛山山頂の避難小屋

 虎毛山山頂

 

 

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有川浩さんの小説「明日の子供たち」に感動した。

2018年09月14日 | 読書

 インテリと思われたいから言うわけじゃないが、私は意外と本好きで四日に一度は図書館を訪れている。(誰ですか年寄りの暇つぶしだろと言うのは)なので貴方の趣味は?と訊かれたら、自信をもって「読書です。」と応えるつもりだ。(誰も聞かないけど・・・)

 そんな私が最近一番感動した本は、有川浩さんの「明日の子供たち」という小説です。これは養護施設で暮らす子供達を描いた作品で、主人公の新人指導員、三田村君を中心に物語りは進んで行く。

 極貧家庭で育った私であるが、養護施設については殆ど知識が無く、親から育ててもらえぬ可哀そうな子供達が暮らす施設くらいのイメージしかなかった。この小説では養護施設の実情が細やかに書かれ、登場する人物はいずれも魅力的で、健気に生きる施設の子供達がいじらしい。

 その中の一人、女子高生の奏子が「私達は可哀そうな存在じゃない。世間の人に可哀そうと思われるのが一番辛い。」という言葉が心に迫る。又施設を出て行方不明となっていた温子の身を案じていた猪俣指導員が、実は彼女が立派に働きながら夜間大学へ通っているという姿を知って感涙にむせるシーンなど目頭が熱くなった。

 読み終えて心温まる作品だった。私はこんなほのぼのとした小説が大好きで、読んでいて気持ちが明るくなってくる。これは映像化してもきっと感動的な映画になるだろう。有川浩さんについては今まであまり存じ上げなかったが、私の好きな作家になりそうだ。これからも彼の小説をもっと読んでみたい。

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松本市内で半日観光巡り

2018年09月12日 | 旅行

 9月4日(火)

 槍ヶ岳登山を終えて3日の夜は乗鞍高原の「休暇村乗鞍高原」に泊った。天気が良ければ乗鞍岳のハイキングでもと思ったが、生憎と4日の朝は本降り雨となった。

 これでは山歩きは無理なので、「松本市内の観光巡りをしようよ。」と妻が言った。台風21号が近づいてるので、私はあまり気乗りしなかったが、取りあえず松本市街地へと車を走らせた。

 市街地へ入ると曇り空ながら雨は止んでいる。松本城近くの大手門市営駐車場に車を停めて、最初に松本城公園内の松本市立博物館を訪れる。入館料は松本城との共通券で610円、お城は以前訪れているので今回はパス、博物館だけだと200円だった。

 国宝、松本城

 松本市立博物館

 言っちゃ悪いが何処にでもあるような普通の博物館で、松本市に関わる郷土資料の展示やビデオ映像が流されていた。松本市の詳細な情報を知りたい人には重宝な場所だろう。国宝、松本城成り立ちなどが興味深かった。

 博物館の見学を終えると、時計博物館へ向かう。何で松本市に時計博物館なのかと思ったが、明治の頃に本田親蔵氏という時計のコレクターが居て、その所蔵品を松本市へ寄贈したのが設立のキッカケとなったようだ。館内はこじんまりとした博物館だったが、メルヘンチックな雰囲気で中々面白かった。(入館料300円)

 松本時計博物館

 館内の展示コーナー

 時計博物館を出たのがお昼過ぎ、道路を挟んだ博物館の向いに蔵造り風の和食店があり、雰囲気が良さそうだったので店内に入った。「うらしま」という名のお店で、ランチメニューは全て1000円均一の魚定食ばかりというのがユニークだ。妻は「さわらの西京焼き」、私は「鮭の西京焼き」を注文したが、いずれも我々夫婦の口に合い実に美味しかった。和食好きには満足できるお店なのではと思います。

 和食店「うらしま」

 鮭の西京焼き手職(手前)とさわらの西京焼き定食(奥)

 昼食を終えると松本市美術館へと歩き始めた。すると強風を伴った雨が本気モードで降り始めた。いよいよ台風21号の勢力圏に入ったようだ。傘をさしても役に立たず、ずぶぬれになりそうなので、観光は諦め車を停めている大手門駐車場へ急ぎ足で戻った。

 車に乗ると三才山トンネルを抜けて上信道~関越道経由で我が家へ戻る。台風21号の勢力は増々強まり、夕刻から翌朝にかけて建物を揺らすような雨風が吹き荒れた。慌ただしい観光巡りだったが、何とか無事に帰れてホッとした。

 

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大阪なおみ選手、全米テニス女子シングルス優勝の快挙

2018年09月10日 | 日記

 北海道の大地震や西日本の台風被害など最近は暗いニュースばかりだったから、大阪なおみ選手の全米テニス女子シングルス優勝は、落込んだ日本国民を明るく勇気づけてくれた。多くの人が彼女を賞賛する中で私如きが改めて言うまでもないが、テニスを趣味とする者としては、「コングラチュレイション、なおみ」と、一言祝福の言葉をかけずにいられない。

 以前の彼女は体力・技術については高い評価を受けていたが、メンタルの弱さが指摘されていた。認知症予防テニスの老いぼれごときが言うのもおこがましいが、テニスをおけるメンタルの強さは重要だ。

 年寄テニス仲間の中では強靭な体力の持主だと自負している私だが、いかんせんメンタルが弱くて中々試合に勝つ事ができない。イヤそればかりか長い我が人生の中でも、メンタルの弱さが原因で何度悔しい思いをしてきた事か。・・・・(イカン、イカン悔しさのあまり話が横道へ逸れてきた。)

 そんな大阪選手が急成長したのは、新コーチのパイン氏による適切なメンタル指導が功を奏し、心・技・体が充実した事にあるようだ。彼女は実力だけで無く試合後のコメントも明るくて、チャーミングな人柄にも魅かれてしまう。

 まだ二十歳の若さだから今後も益々強く魅力的になり、女子テニス界の王座に長く君臨するのではないだろうか。それを思うと何だかワクワクした気分になってくる。

 今一つの気懸りは、彼女は現在日本とアメリカ両国の国籍を保有しているそうなので、22歳までにはいずれかの国籍を選択せねばならない。その時アメリカに奪取されてしまうのではと心配だ。ここは一つ早急に、大阪選手へ国民栄誉賞を授与しちゃった方が良いのではと、安倍さん(ひょっとして石破さんかも知れないが)へ進言したいところだ。

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北ア、槍ヶ岳登山3日目(槍ヶ岳山荘~上高地)

2018年09月09日 | 山歩き

9月3日(月)    天気=曇り時々晴れ後雨

05:50槍ヶ岳山荘→ 06:39~49ヒュッテ大槍分岐→ 07:23天狗原分岐→ 08:10水俣乗越分岐→ 08:32槍沢キャンプ地→ 08:55~09:29槍沢ロッジ→ 09:54二ノ俣谷→ 10:02一ノ俣谷→ 10:46~11:06横尾山荘→ 11:39新村橋→ 11:49~12:15徳沢→ 12:58~13:09明神→ 13:54上高地

 

 今朝も雲が多くスッキリしない朝を迎えた。手がかじかむ程の寒さだ。それでも根性があると言うか、ランプを照らしながら槍の穂先へと登っている人もいる。

 夜明け前の槍ヶ岳

 槍ヶ岳山荘

 朝食の後槍ヶ岳山荘を出発し、下山の道に入る。天気が良ければ東鎌コースを降ろうと思ったが今にも雨が降りそうなので、安全を記して昨日登った槍沢コースを降る。

 山荘の玄関

 これから降る槍沢(下の建物は殺生ヒュッテ)

 降りの方が体力的に楽なはずだが、気分的なせいか下山の道がやけに長く感じられる。2時間余を要して大曲まで降った。明日は強力な台風21号の襲来が予想されるので登る人など居ないと思ったのに、けっこうすれ違う登山者が多い。山小屋が在るから安心という事なのか、それとも計画したからには実行あるのみという日本人らしい生真面目さなのだろうか。

 槍ヶ岳山荘を後にする(又来れるかな?)

 殺生ヒュッテ付近の岩のゴロゴロした道

 横沢の水場

 大曲が近づいてきた。

 標高が下がるにつれてだんだん天気が上向きになって、時折り陽も差すようになった。槍ヶ岳山荘から3時間程で槍沢ロッジに着き、ベンチで休んでいると隣りの席に気の良さげな白人男性が座った。

 大曲の水俣乗越分岐

 槍沢キャンプ地

 槍沢ロッジ到着

 「アー、ユー、ゴーイング、ツウ、ヤリガタケ?」と訊ねたら、「YES.上高地から4時間で来ました。」と日本語で応えた。・・「オー、ユー、アー、ストロング」何て言いながら、クソッせっかく英会話の練習と思ったのに。・・休憩を終え、彼に「グッド、ラック」と声を掛けロッジを後にする。「気をつけて」と彼は日本語で応えた。

 槍沢から下は傾斜の緩いのどかな道が続く。今宵は乗鞍高原のホテルに泊る予定なので急ぐ必要は無い。登山ツアーの人達と抜きつ抜かれつを繰返しながら降って行く。

 横尾へ向かう槍沢沿いの道

 涸沢への登山道が分岐する横尾からは梓川沿いの快適な林道歩きで、行交う人も多い。鈍行列車のように横尾山荘、徳沢、明神で休憩を挟みながらテクテク降り、上高地へ河童橋へと戻ってきた。

 横尾付近から見上げる屏風岩

 徳澤ロッジ

 上高地の河童橋

 河童橋から見上げる空は晴れ渡り、雄大な穂高連峰を眺める観光の人達は喜びの歓声を上げているが、登山を終えた我々は何だか損をした気分がしないでない。それでも槍の山頂は踏めたのだから、ソコソコに満足の山行でした。

 梓川と穂高連峰

 上高地のバスターミナル

 今宵は乗鞍高原に在る「休暇村乗鞍高原」に泊り、明日は乗鞍岳を軽くハイキングするつもりだが、天気予報どおりならまず無理だろうなあ。

 休暇村乗鞍高原

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北ア、槍ヶ岳登山2日目(横尾山荘~槍ヶ岳~槍ヶ岳山荘)

2018年09月07日 | 山歩き

9月2日(日)   天気=曇り後雨

05:34横尾山荘→ 06:23一ノ俣谷→ 06:31二ノ俣谷→ 06:58~07:10槍沢ロッジ→ 07:39~45槍沢キャンプ地→ 08:11水俣乗越分岐→ 09:02天狗原分岐→ 09:56ヒュッテ大槍分岐→ 1019~35殺生ヒュッテ→ 11:12~31槍ヶ岳山荘→ 11:53~12:17槍ヶ岳→ 12:39槍ヶ岳山荘

 

 曇り空の朝を迎えた。山荘前のベンチでいつものようにパンとカップヌードルだけの朝食を済まし、5時半過ぎに出発する。槍沢の渓流沿いに続く登山道は平坦で、快適に歩いて行ける。50分程で一ノ俣谷に架かる木橋を渡り、更に10分程で二ノ俣谷の木橋を渡る。

 横尾山荘前

 数日来の雨で槍沢の流れは恐い程の勢いだ。二ノ俣谷から30分足らずで樹林帯の中に建つ槍沢ロッジに着いた。玄関先には水場の蛇口があるので、水筒に水を補給する。

 槍沢沿いの道

 二ノ俣谷の木橋

 槍沢ロッジ

 槍沢ロッジを過ぎるとだんだん傾斜の強い道となり、右手に仰ぐ赤沢岳の岩峰が鋭い。ロッジから30分程で綺麗なトイレと水場が設置された槍沢キャンプ地に着く。天気が悪いせいか設営されてるテントは無かった。

 赤沢岳の岩峰

 槍沢キャンプ地

 キャンプ地を過ぎると、赤沢岳と横尾尾根に挟まれた雄大なU字谷となった槍沢を進んで行く。急峻な横尾尾根の山腹からは、幾筋もの流水が滝状に谷底へ流落ちている。水俣乗越に向かう分岐を過ぎると槍沢は左へと曲がり、この地点は大曲と呼ばれている。

 大曲手前の荒れた沢を渡る

 滝状に流れ落ちる横尾尾根の流水

 大曲付近から槍沢キャンプ地方面

 大曲を過ぎると槍沢源流のカール地形を登って行く。槍ヶ岳山荘までは標高差1000m近い急峻な道が続く。大曲から上はガスに覆われて展望の楽しみが無いので、黙々と歩くしかない。

 ヒュッテ大槍分岐地点

 大曲から約50分で天狗原への分岐に着き、更に登って行くと流水のある沢を二つ越える。最上部の横沢が槍沢コース最後の水場となる。横沢から僅かな登りでヒュッテ大槍への分岐に着き、分岐の少し上には江戸時代に槍ヶ岳を開山した播隆上人が泊ったと言われる岩屋がある。4~5人も入れば満杯になるような狭い岩穴で、とても快適と言い難い。

 播隆上人が泊ったと言われる岩屋

殺生ヒュッテの直下の道

 岩屋を過ぎて岩のゴロゴロした道をしばらく登ると殺生ヒュッテに達した。ヒュッテから岩だらけテント場を通過し、ジグザグの道を歩いて11時過ぎに槍ヶ岳山荘へ到着した。午前中に着けると思わなかったので、かなり良いペースで歩けたのではないか。

 殺生ヒュッテ付近

 槍ヶ岳山荘直下の道(岩に書かれた200の数字は山荘までの距離)

 館内の受付で宿泊の手続きを済ます。2食付で一人9800円だった。受付が終わると妻の荷物だけ山荘に残置して、槍ヶ岳へ向かう。急峻な道には点々と白い目印があり一目瞭然、適度のスリルが味わえて楽しくなってくる岩場の道だ。行き交う人が少なかったので、山荘から20分程でアッサリ槍の穂先の山頂へ着いた。

 

 コース沿いに点々と白い目印

 急峻な岩場の登り

 同上 

 山頂直下最後の梯子階段

 相変わらず雲の多い天気なので山頂からの展望は殆ど無かったが、雲の切れ間に北鎌の独標や硫黄岳のピーク等が望まれた。20分程滞在し山頂を後にする。山荘へ戻ると、午後は談話室などでノンビリ気儘に過ごす。

 槍ヶ岳山頂

 山頂から北鎌独標ピーク

 山頂から硫黄岳ピーク

 山頂から小槍の岩峰

 山頂から槍ヶ岳山荘

 山頂直下の梯子階段(左が登り専用、右が下り専用)

 岩場の降り

 同上

 山荘へ戻って来た。

 山荘から仰ぐ槍ヶ岳山頂

 最近の山小屋は何処も本や雑誌が充実して退屈する事はないし、このマッタリした時間が何とも心地よい。夕刻になると本降りの雨となり、屋外へ出ると身震いするほどの寒さだ。昨日、今日と似たような天気が続くけれど、行動中雨に濡れる事が無いので助かっている。

 山荘の内部

 我々の寝室

 槍ヶ岳山荘の夕食は横尾山荘に比べると見劣りするけれど、標高3000mの山小屋なので贅沢は言えない。夕食を終えると蚕棚のような寝室で眠りについたが、布団が重いせいか空気が薄いせいか判らぬけれど息苦しい感じがして何だか寝つかれぬ夜だった。

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北ア、槍ヶ岳登山1日目(上高地~横尾山荘)

2018年09月05日 | 山歩き

 9月1日(土)   天気=雨時々曇り

10:37上高地→ 11:25~38明神→ 12:19~50徳沢→ 13:00新村橋→ 13:38横尾山荘

 

 先月は南アルプスを登ったから今度は北アルプスの槍へ行こうと気軽に計画したが、天気予報が芳しくない。でも我々は割合晴れ夫婦なので、何とかなるだろうと出発した。

 我家を出る時は曇り空だったが、関越道を下っていると本降りの雨に変った。何だか登山をする気力が失せて信州観光でお茶を濁そうかなとも思ったが、松本インターに着いた頃から雨が止んだので沢渡の駐車場へと向かった。

 天気が悪いせいか週末の沢渡駐車場に停まっている車は少ない。ここからタクシーに乗り10時半頃上高地に着いたが、パラパラと雨が降っている。気力が削がれたが、横尾までは林道歩きなので雨衣を着てとに角出発した。

 上高地の一番名所の河童橋

 明神へ向かう林道

 いつもは観光客で賑わう明神へ向かう林道も、今日は人影が薄い。50分程歩いて明神館のベンチで休んでいたら、だんだんと雲が薄れて明神岳の鋭鋒が望めるようになった。好天の兆しに俄然ヤル気が湧いてきた。

 明神から望む明神岳五峰

 林道から前穂高岳方面

 明神から40分程で草原のテント場が拡がる徳沢に着いた。お腹が空いたので徳沢園の食堂へ立寄り、妻はチャーハン、私はカレーを注文したが、これが山小屋の料理とは思えぬ程の美味さだった。

 徳澤のテント場(奥の建物が徳澤園)

 梓川に架かる新村橋

 徳澤を出発したのは午後1時頃、新村橋の脇を通り過ぎる頃から再び雲行きが怪しくなってきた。当初は槍沢ロッジまで歩くつもりだったが、今日は横尾山荘へ泊る事にした。雨に降られぬうちにと足早に歩き、徳沢から50分程で横尾山荘に着いた。

 横尾山荘

 横尾山荘の寝室は一人一人カーテンで間仕切りされ、プライバシーが保たれ寝具も軽くて綺麗だ。お風呂にも入れるし料理も美味い。山小屋と言うより旅館に近い宿泊施設で、とても快適な宿だ。ただ槍ヶ岳や穂高連峰、蝶ヶ岳の登山道が合流する地点なので、いつもソコソコ混んでいる。

 山荘に着いて間もなく再び雨が降り出し本降りとなったので、ここに泊ったのは正解だった。槍ヶ岳へ登るかどうか、明朝の天気次第で考えようと思いつつ寝床についた。

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