Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

第1回鶴ヶ島100キロウォーク大会(後編)

2019年10月30日 | マラソン

10月26日(土)~27日(日)  

16:50~17:11坂戸市役所(38.56km)→ 20:32~49川島町役場(56.99km)→ 00:14~29川越市役所(77.05km)→ 04:43~50鶴ヶ島市役所(97.34km)→ 05:22富士見中央公園(100.46km)

 

 第4CPの坂戸市役所を出発してからは、塩田さんと彼の友人そして私の三人一緒で歩くようになった。坂戸市街地は熟知しているので、私が先導して進む。国道407号を歩いていた時、塩田さんが突然凹地に足を引っ掛けて転んだ。

 顔面を強く打ち、右目横の傷口からは血が滴り落ちている。こりゃウォーキングどころじゃないと思ったが、タオルで傷口を押さえた彼は「大丈夫」だと言う。

 近くに坂戸市災害ボランティアセンターとなっている社会福祉評議会事務所があったので、私は彼をそこへ連れていった。先日のボランティアで顔見知りになった職員さんが丁度居合わせて、事情を話し救急薬品で彼の怪我を治療してもらった。

 このままリタイヤかなと思ったが、治療を終えた塩田さんは歩き続けると言う。そして社会福祉協議会事務所を出て歩き始めたが、心配は杞憂であった。彼は付き添う我々二人を引っ張るように再び力強く歩を進めた。

 坂戸市総合運動公園の横を過ぎると市街地を離れ、広々とした田園地帯の中を進んで行く。遥か前方に先を行く参加者のバックライトが蛍の灯りのように見える。

 やがて越辺川に架かる天神橋を渡ると、此処を右折して少し先で折り返し橋桁の下を潜って越辺川の上流へ向かう。この地点は地図だと左折するように見えるので、誘導員が居なければ迷うところだった。

 ここから先は川沿いの自転車専用道路を延々と進む。堰堤上で眺めが良く車も通らないので安心して歩く事ができる。国道254号の高架を潜ってしばらく進むと、「50キロ中間地点」の標識があった。それには頑張ろうとも書かれていたが、「まだ半分もあるのか。」と逆に不安な思いが強まった。

 50キロ地点の標識

 

 梅ノ木古凍貯水池の畔を過ぎると、市野川沿いの自転車道を進んで行く。やがて鳥羽井沼公園の所で自転車道を離れ、田園地帯の中を通過して午後8時半頃、川島町役場の第5CP(56.99km)へ着いた。

 川島町内のコースは殆ど自転車専用路の為、この先川越市街地までは全くコンビニが無いので、このCPで多めに食料飲み物を補給する。塩田さん達の速いペースに合わせるのがしんどくなった私は、彼らに早く出発してもらい後からマイペースで歩く事にした。

 川島町役場を出発して田園地帯をしばらく行くと、今度は市野川の本流、荒川堰堤上の自転車専用路を進む事になる。地図で見ると、この道は下流の上江橋まで15キロ以上堰堤上に続く。単調な道程に嫌気が差して携帯ラジオで芸人さんやアイドルのバカ話を聞きながら歩いたが、これが思った以上に私の気分をリラックスさせてくれた。ロングウォーキングには携帯ラジオは非常に有効です。

 

 長い自転車道が終わり国道16号に架かる上江橋の下を潜ると、橋上の国道へ出て、川越市街地に向けて歩いて行く。少し先の川越運動公園へ向かう右折地点では、深夜なのに若い女性が二人で誘導をしていた。

 上江橋

 彼女らの激励を受けて、国道を離れ川越運動公園へ 北上する。途中のコンビニで休憩していた塩田さんらに再び合流し、その後は一緒に歩いて行く。街灯に照らされた道を進んで行くと、前方に光り輝く川越の市街地が広がった。

 国道254号を越え、日付が変わった午前0時14分に、川越市役所の第6CP(77.05km)へ着いた。此処まで辿り着いてやっと完歩できる自信が持てた。しかし椅子に座ると筋肉痛で立ち上がるのもヤットコサ、脚の筋肉がガチガチになっている。足裏の豆がどうなってるのか、靴を脱いで見るのが怖い。

 川越市市役所の第6CP

 

 川越市役所を出発すると市街地を南へ川越駅まで歩き、そこから西へ転じ国道16号を進む。関越道の高架を潜ってしばらく行くと大袋新田の交差点で、此処を右折して広い道を北へ進む。

 疲れて喉も渇いたので、途中のコンビニで休憩がてら栄養補給する。コンビニを出てしばらくすると、入間川に架かる長~い八瀬大橋を渡る。渡った先にコース案内の矢印があったので、それに従い交差点を右折した。

 少し先でJR川越線の踏切を渡り歩いて行く。しばらく進んで何だか道を間違えたような?気がして、立止って地図を確認してみた。そうするとコースは川越線を越えてはおらず、南側を平行して進むようになっている。それに今北へ向かっているけれど、地図では西へ進んでいる。

 道を間違えたと確信したが、塩田さんらは既に声も届かぬ程先を歩いており追い掛けて伝える気力も無い。申し訳ないが私は一人引返し、矢印の交差点まで戻った。

 交差点へ戻り後から来た人達と確認すると、間違いの原因が判った。丸い電柱に張られた矢印が、微妙に動いて右折するように見えたのだ。後発の人が間違わぬよう、矢印の角度を正しい方向へ修正した後、川越線南側の県道を西へ向かって進んで行く。塩田さん達には悪い事をしたが、彼らもベテランなので直ぐ間違いに気付くだろう。

 それでも不安な思いはあったが、少し先でコース案内の矢印を見つけて正しい道だと安心できた。県道沿いに西へ進み、笠幡駅を過ぎて圏央道手前の所で、左折の案内標識があった。

 車も殆ど通らぬ静かな田舎道を南へ進み、川越から狭山市へ向かう県道に合流すると右へ曲がる。此処まで来ると前後に全く歩く人は居らず、一人の中年男性が私の後をピタリと追いてきていた。

 サイボグハムの手前で県道を右折し、圏央道の高架下を潜ってしばらく行くと、国道407号沿いのセブンイレブンに着いた。此処から先は私のジョギングコース圏内、勝手知ったる道だ。俄然気力体力が湧いてくる。

 国道407号のバイパスを抜け、国道沿いの桜並木を進んで行く。この辺りの歩道は、暗い上に水溜りが随所に残り、気を付けないと足元を濡らしてしまう。桜並木を抜けると、Y字路を右へ入り国道を離れる。そして午前4時43分に鶴ヶ島市役所の第7CP(97.34km)へ着いた。

 記帳を終えると自宅へ電話する。まだ夢枕だった妻は「エッもう着いたの」とびっくりしていたが、これから起きてゴール会場へ向かうと言う。此処まで一緒に歩いた男性が「私はやっくり行きますから」と言ったので、私は一人市役所を出発する。

 此処から先は見慣れた街並みの道、完歩できる喜びで身体も気力も増々快調になる。若葉駅ではエスカレーターに乗るか否か一寸迷ったが、乗ってしまえば完歩にならぬと思い階段を歩いて登り通過した。

 そして昨日の午前10時にスタートした富士見中央公園へ午前5時22分にゴールした。自分では午前6時を過ぎるだろうと予想していたが、所要時間20時間を切って、思ったよりも良いタイムだった。

 05:22富士見中央公園にゴール

 100キロは長~い道程でした。 

 

 一昼夜ブッ続けで100キロを歩く何て事は、何せ初めての経験だったので正直不安はあった。そんな不安も完歩できた事で、70歳過ぎてもやれるもんだと自分の体力に些かの自信となった。

 しかし代償は大きく、腰から下の筋肉は石膏のようにカチカチで足の裏は豆で痛くて堪らない。こんな過激な運動は、身体に悪いしもうやるもんじゃないと強く思った。会場を去る時、スタッフの人が「又来年もお待ちしてます。」と言ってくれたが、「こんなシンドイ事もう二度としません。」と応えた。

 今回初めて体験した100キロウォークであったが、終わってみて幾つかの改善すべき事項もあった。まず靴はランニングシューズで歩いたが、やはり「走る」と「歩く」では運動形態が違う。ウォーキング用の靴にした方が、足裏の豆もできず歩き易かったのではないか。

それから替えの下着や行動食も多過ぎたと思う。もっと荷物を減らせば、歩きも随分楽だっただろう。1回歩いてコースも覚えたので、次回歩く時には迷う事も無いしもっと良いタイムが・・・・

・・・アッこんな事書いて来年も参加しようと思っている、もう一人のバカな自分が居る。アナ恐ろしや。アナ恐ろしや。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1回鶴ヶ島100キロウォーク大会(前篇)

2019年10月29日 | マラソン

10月26日(土)  天気=晴れ時々曇り 

 

 ウォーキングコース(富士見中央公園~坂戸市役所まで)

10:00富士見中央公園→ 11:47~55日高市役所(9.88km)→ 13:21~25生越町役場(18.66km)→  14:25~32毛呂山町役場(24.28km)→ 16:50~17:11坂戸市役所(38.56km)

 待ちかねていた?大会当日の朝を迎えた。出発1時間前に妻と二人でスタート地点の富士見中央公園に行く。今日の参加者は205名という事だが、会場は随分大勢の人達で賑わっている。

 富士見中央公園(スタート会場受付)

 暑かったのでこんな格好で歩きます。

 

 市長さんを始め、何人もの人の挨拶が続き、正直(長~ぇなあ)と思うが、この人達のお蔭で開催できるのだから野暮な事は言うまい。そして午前10時、スタッフに人達に見送られ会場をスタートした。

 同 上(市長さんのあいさつ)

 スタッフに見送られ出発

 タイムを争うのでは無く完歩する事が、この大会の主旨であり目的だ。だからランニングとストックの使用は禁止されている。とはいえ一斉にスタートすると人間心理として競争心が働き急ぎ足になる。

 富士見中央公園を出発

 無事に此処へ戻って来れるだろうか?

 最初は200余名の大きな塊だった集団が、交差点の赤信号で徐々に分断されて行く。東武東上線の若葉駅を通り抜け、関越道の高架下を潜って国道407号を越える。この辺は私にとって見慣れた街並みだが、こうして歩くと何だか新鮮に見える。

 若葉駅を通過(道行く人々が何事かと見ている。)

 鶴ヶ島市から日高市に入り、長閑な田舎道を歩いて第1チェックポイント(CP)の日高市役所(9.88km地点)に着いたのはAM11時47分頃、隣町なのに初めて訪れた市役所は中々立派な庁舎だった。この辺までは余裕の歩きです。

 日高市役所前の第1CP

 しかし10キロを過ぎると、足の筋肉にだんだん強張りを感じ始める。日高から越生町に向かう県道は車の往来も激しいので、そんな事でも気を使う。この辺りから参加者の集団がバラけてきて、前後にパラパラと人がいる感じになってくる。やがて越生町に入り、越生駅の傍を抜けて第2CPの越生町役場(18.60km)に着いた。此処では食料や飲み物の提供があり大いに助かった。特に名物の梅干しが美味でした。

 日高市の高麗川橋から高麗川

 生越町内に入る。

 生越町役場(第2CP)

 町役場を出発すると、少し先で折り返しとなり、その後は越辺川の川沿いを下流に向かって歩いて行く。先の大雨で越辺川の河川敷もだいぶ荒れているようだが、住宅地への浸水は無かったみたいで支障なく歩く事ができた。

 越辺川の流れ(越生町)

 やがて越生大橋の所で右折して、その後は広いバイパス道を歩いて第3CPの毛呂山町役場(24.28km)に着いた。此処でも飲食物の提供を受け、スポーツ飲料の補給が一番ありがたかった。

 毛呂山町役場(第3CP)

 町役場を出ると、しばらくは県道バイパスを南下し、その後左折して毛呂山町の新しき村へ向かう。新しき村を過ぎると田畑や森の中池の畔など複雑な小道を進んで行く。

 新しき村を過ぎて田んぼの中を行く。

 やがて高麗川に架かる天神橋を越え、その後は高麗川沿いに下流へと降って行く。県道に架かる万年橋の下を潜ると、今は泥に埋まっている私がいつもプレーしていたテニスコートになる。

 天神橋

 コース沿いに設置された目印の旗

 コース沿いの矢印(夜間はこれらの目印が頼りになった。)

 万年橋手前

 いつもプレーしている鶴舞テニスコート横

 その後は河川敷の堤防の上を歩いて行く。関越道が交差する辺りの堤防の低い箇所では空気で膨らませた防水壁が設置されていた。この辺りでは足の裏が熱くて違和感があり豆ができつつあるようだ。まだ三分の一程の距離なのにズッシリと疲労感も有り、高麗川橋傍の日帰り温泉「ふるさと湯」を見た時は、「歩くの止めてお風呂に入り、生ビールが飲むてぇー」と一瞬思った。

 関越道手前付近の仮設防水壁

 坂戸市ふるさとの湯

 高麗川橋から右折して混み合う坂戸市街地の県道を歩いて夕闇迫る午後5時前、第4CPの坂戸市役所(38.56km)に着いた。此処では靴を脱いで休んだが、熱った足に冷たい夕風が心地よかった。

 坂戸市役所の第4CP

 ここら辺りでは歩いてる人も完全にパラパラ状態の感じだが、実は越生町役場を過ぎた辺りから私と前後して歩く気になっている高齢男性の参加者がいた。その人は随分小柄で、右へ身体を傾け変なフォームで歩いているがとに角脚が速い。

 しかし私は最初彼を侮っていて、こんなフォームじゃ大して続かないだろうと、意地になって彼の先を歩いたが、執拗に私の後を追いてくる。そして坂戸市街地に入った頃には、アッサリと先行されてしまった。

 坂戸市役所に着いた時、「いいペースメーカーになってくれてありがとう。」とその男性に声を掛けられた。あまりにも人間離れした人なので、「失礼ですがお幾つですか?」と訊ねると何と78歳、塩田忠市さんという方で、こんなウォーキングイベントは何度も経験があると言う。

 「イヤア~世の中には凄い人が居るもんだ。」・・・と驚かされたところで、この後の話は次回のブログにて掲載します。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴ヶ島100キロウォーク完歩

2019年10月27日 | マラソン

 10月27日(日)

 若い頃はフルマラソンや70キロ走などにチャレンジしたもんですが、100キロの距離を一昼夜かけて歩き通すのは過去にやった体験が無く、自分でもどうなる事か大きな不安がありました。

 一昨日の大雨とうって変わり、昨日は穏やかな天気に恵まれて午前10時に、鶴ヶ島市の富士見中央公園を出発しました。日高市や越生町、毛呂山町など近隣の街を巡り歩いて夕闇迫る坂戸市役所のチェックポイントに到着、もう脚の筋肉は十分に強張っているのにこの時点でまだ三分の一の距離、果たして完歩できるのか不安が募ります。

 これ以降は夜間歩行となりました。定年になって規則正しい生活で久しく徹夜などした事は無く、睡魔に襲われるのではと思ったのですが、足を動かし血液を活発に循環させている限り、全く眠くなる事はありませんでした。

 川越市役所に着いた時点で、残りは23キロ、何とか完歩の目途がついた。但し足の筋肉はカチカチで、座り込んだら立ち上がるのでさへ容易じゃない。筋肉がストライキを起さぬ事を祈るような思いで歩いて最後のチャックポイント、鶴ヶ島市役所に到着、最後の記帳をしてまだ明けやらぬゴールの富士見公園に戻ってきました。

 スタートからの所要時間は19時間22分で、自分が予想していたよりは良いタイムでした。しかし我が家へ戻ってお風呂に入った時は、筋肉痛で身体は思う様に動かせず要介護老人状態、足の裏は豆の大豊作で痛くてたまらない。お尻は切れ痔になったんじゃと思う程ヒリヒリする。とに角身体がガタガタで、100キロウォーク何て二度とやるもんじゃないと痛感しました。

尚、ウォーキングの詳細やエピソードなどは、後日のブログでご紹介したいと思います。

 富士見中央公園にゴール

 チェックポイント

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然ですが、本日100キロウォーキングに参加します。

2019年10月26日 | 日記

 10月26日(土)

 今年の夏頃だったか市民センターへ出掛けた時に、ある1枚のポスターが目についた。それは鶴ヶ島市のウォーキング協会によるもので、今年の秋、一昼夜かけて100キロの距離を歩くイベントを開催するというものだった。

 見た瞬間に、これは面白そうだなと思った。100キロの距離は、時速5キロで歩いても20時間掛かる計算だ。制限時間が26時間なので少し不安もあったが、ネットで検索するとこんな長距離ウォーキング大会は日本各地で頻繁に開催されており、普通のオジサンやオバ様方が気楽に参加しているようだ。

 私だって10年前は、九州南端の佐多岬から北海道北端の宗谷岬まで半年掛けて歩き通した経験がある。歩けなくなっても登山みたいに遭難する訳じゃ無し、駄目なら棄権すればいいだけの話、何事もチャレンジで思い切って参加する事にした。

 送られてきた案内書類を見ると、私のゼッケンナンバーは197番、定員200名だからギリギリセーフで間に合ったようだ。そしていよいよ今日本番の朝を迎えた。完歩できるか否か正直なところあまり自信は無い。でも体力・気力の続く限界まで歩き続けようと思います。できればゴールを果たして70代の良きメモリアムとしたいものです。・・・それでは行って来ます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志賀高原、岩菅山登山

2019年10月24日 | 山歩き

10月21日(月)      天気=曇り

07:22一の瀬スキー場→ 07:58登山道分岐→ 08:22~31アライタ沢出合→ 09:41~52ノッキリ→ 10:22~31岩菅山→ 10:54~57裏岩菅山→ 11:18~28岩菅山→ 11:53~57ノッキリ→ 12:56アライタ沢→ 13:15登山道分岐→ 13:48一の瀬スキー場

 

 紅葉見物がてら志賀高原の岩菅山登山に出掛けた。「そんな元気があったら、災害ボランティアへ行けよ。」何て言われそうだが、何しろ秋の紅葉時期は登山のベストシーズンであり、私の年齢からしてあと何年行けるか判らないのでお許し下され。

 志賀高原へ向かう上信道は、現在軽井沢と佐久インターの間が台風被害により通行止めとなっており、その間の国道は大渋滞になっていた。この方面へ行かれる方はお気をつけ下さい。

 昨夜は長野道の松代サービスエリアで車中泊し、今朝方信州中野インターで長野道を降り岩菅山へ向かった。志賀高原へ至る国道292号は、何箇所か土砂崩れが発生しており数日前まで通行止めだったようだ。

 高天原スキー場を過ぎ、岩菅山の登山口が有る林道に入ろうとしたら、この道も通行止めとなっておりゲートが閉じられていた。しかし此処まで来たら登らぬ訳にはいかぬ。少し手前の一の瀬スキー場から歩く事にした。

 一ノ瀬スキー場に車を停める

 標識は無いが、一の瀬スキー場から水平歩道が岩菅山へ延びている。アップダウンの無い樹林帯の歩き易い道で、35分程歩くと登山口からの道と合流した。更に進むと岩の割れ目から清流が湧きだす底清水があった。

 岩菅山へ向かう水平歩道

 登山道分岐地点

 底清水(岩の割れ目から水が湧きだす)

 登山道分岐から水平歩道を25分程歩き、堅い岩盤に激流が流れるアライタ沢へ着く。沢を渡る木道は濡れて傾いており、滑るんじゃないかとヒヤヒヤしながら渡った。

 アライタ沢を渡る木橋

 沢を越えた地点から急登が始まる。しかしそれも短い距離で、その後は樹林帯の緩やかな歩き易い道が長々と続く。今日の予報は「晴れ」なのに岩菅山の一帯は白い霧に覆われて今にも雨が降りそうな天気だ。

 アライタ沢を越えて急登が始まる

 緩やかな登山道

 やがて金山沢の頭からの尾根道が合流する三叉路のノッキリへ着いた。此処はベンチもあって、休憩するにはちょうどよい場所だ。ノッキリから岩菅山へ向けて長い急登になる。

 ノッキリ

 冷たい風が吹く霧の中を黙々と登って行くと、やがて展望が開き四周に雲海が広がった。壮快な眺めに元気も出て粛々と登って行くと、やがて広々とした岩菅山(2295m)へ着いた。

 霧の中の急登

 展望が開き雲海が拡がる

 岩菅山山頂

 山頂からは360度の雄大な眺め、四周の山々がまるで雲海に浮かぶ小島のように見える。北は鳥甲山や苗場山、南には横手山が雲から頭を出し、西に長々と続く山山波は北アルプスであろうか。

 山頂から南側(左奥の山が横手山)

 妻を山頂で待たせ、私だけ単独で裏岩菅山までピストンする。岩菅山から裏岩菅山までの尾根は緩やかなアップダウンの快適な道で、歩くのが楽しくなってくる。息を切らせながら歩き続け、岩菅山から23分程で志賀高原の最高峰、裏岩菅山(2341m)へ着いた。山頂の雰囲気や展望は先程の岩菅山に優るとも劣らない、実に気持ちの良い所だ。

 岩菅山の先から裏岩菅山

 裏岩菅山が近づく

 裏岩菅山山頂

 山頂から岩菅山方面

 山頂から焼額山(手前)と奥に遠く北アルプスの山波

 記念の写真だけ撮って早々に山頂を後に、来た道を引き返す。再び岩菅山へ戻ると、妻が「寒い、寒い」と言いながら待っていた。おにぎりで栄養補給した後に岩菅山を後に下山を開始する。

 岩菅山山頂の避難小屋

 天気は下り坂の様相で雲が増してきて、やがて雲の中に没入した。ノッキリまで降ると後は緩やかな道なのでノンビリと降って行く。ノンビリし過ぎて油断したのか、途中木の根に脚を挟まれヒヤッとしたが、カスリ傷程度だったので安堵した。

 岩菅山山頂を振り返る

 途中の岩場

 ノッキリからは殆ど休む事無く往路を降り、スタート地点の一の瀬スキー場へ着いたのは午後2時前だった。岩菅山の紅葉は樹相が適さないのか、それとも時期が遅かったのかパッとしない紅葉だったが、裏岩菅山の山頂まで踏む事ができたので、まずまず満足の山歩きができました。明日は笠ヶ岳を登る予定だが天気予報は雨、その時は無理をせずに観光しながら我が家へ戻るつもりです。

 アライタ沢を通過

 一ノ瀬スキー場へ向かう水平歩道

 同上

 一ノ瀬スキー場へ到着

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新天皇即位の礼を祝して富士山初冠雪?

2019年10月23日 | 日記

 10月23日(水)

 今日の関東地方は久々の好天気、朝から爽やかな青空が広がった。ベランダに出てみると、五合目辺りから上が冠雪した白嶺の富士山が白く輝いていた。

 ところで昨日のテレビでは、どこのチャンネルを廻しても令和天皇即位の礼の事が大きく報じられ祝意ムードに満ち溢れていた。そんな空気に水を差すようで恐縮だが、私は皇室についてそれ程の親しみや関心を覚えていないというのが正直なところだ。

 「国民に寄り添う」と仰られても、私はその1億2千8百万分の一の小さな分子に過ぎないし、何しろ70年間生きて来て、皇室の方々のお姿を生で拝見した経験が全く無いに等しい。(何年か前に遺跡発掘のアルバイトをしていた頃、関越道を走る平成天皇ご夫妻の車列を数百m離れた現場からチラリとお見掛したくらい)

 だから仰々しい伝統の儀式を眺めていても、何処か異国の行事のように空々しく思えてしまう。こんな私に今更皇室を敬い親しむ気持ちを持てと言われても、無理な注文というものだろう。

 しかし今朝方、今年初冠雪した銀嶺富士を眺めていたら何だか心満たされた気分になり、「これも新天皇の即位の礼を祝福する天のご配慮であろうか。」何て思ったりするのは、私の心の中に皇室を敬う古き日本人のDNAが、僅かばかりでも受け継がれているから何だろうか。

 今年初冠雪の富士山

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志賀高原で山歩きと紅葉見物

2019年10月21日 | 旅行
10月21日(月) 天気=曇り

紅葉見物と山歩きを楽しみに志賀高原へやって来ました。
志賀高原へ向かう上信道は軽井沢と佐久の間が通行止めとなっており、その間の国道が大渋滞でした。
今朝は志賀高原の最高峰、岩菅山を登ったのですが、パッとしない天気だったけれど、山頂からは素晴らしい雲海が望めました。だけど紅葉は時期が遅かったのかいまいちでした。
今宵は志賀高原の湖、木戸池の畔に建つ木戸池温泉ホテルに泊まります。ここの温泉は透明な源泉風呂でとても快適、山の疲れがぶっ飛びました。
明日は笠ヶ岳に登る予定ですが、天気予報は雨なので、その時は観光しながら我が家へ戻ります。
志賀高原はスキーシーズン直前の今頃は訪れる人も少なく、静かな旅を求める人には良い時期かも知れません。
尚、登山の詳細は後日のブログにて記載します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今まで使っていたテニスコートは、当分復旧の見込み無し

2019年10月20日 | 日記

 10月20日(日)

 日本列島をズタズタにした憎き台風19号は、私が普段地元のテニスクラブで楽しんでいる高麗川河川敷の市営テニスコートも、泥で埋めて使いものにならなくしてしまった。

 坂戸市はアチコチに浸水の被災地を抱えている現状なので、テニスコートの復旧など一番後回しになるのは間違いない。待っていたら何時まで経ってもテニスができそうにないので、クラブの仲間達でコートの復旧整備をやろうという話になった。

 そして先日、各自スコップ等の道具を持寄り整備作業を始めたのだが、コートの表面を傷つけぬよう泥を掻きだす作業は思いの他困難で、素人の手に負えるものではなかった。下手に進めて逆にコートを荒らしてしまったら、坂戸市の担当者から叱られてしまう。しばらくは静観する以外にありません。

 泥に埋まったテニスコート

 捗らない作業

 「当分の間、どこか他のコートを借りてテニスを続けるしかないネ。」という話に落ち着いてクラブの人達と別れたが、台風被害に遭われて平穏な日常を奪われた被災者の方々の苦悩に比べたら、テニスができるできない何て話は、ナノミクロン程のチッポケな問題・・・と判っちゃいるんですが一寸切ない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂戸市の災害ボランティア2日目

2019年10月18日 | ボランティア

 10月17日(木)

 朝8時半過ぎに坂戸市のボランティアセンターへ駆けつけると、ボランティア支援の人達がポツポツと訪れていた。中には外国人男性もいる。坂戸市の被災状況がそれ程甚大では無かった?せいなのか、センター内にさほどの緊迫感は見られない。

 今日は坂戸市石井水処理センターに設置されている廃棄物集積場での作業を要請された。田園地帯の中にある水処理センターは広々とした近代的な施設で、その一角に被災地から運ばれた廃棄物が集積されていた。

 石井水処理センター

 午前中は持ち込まれる廃棄物もそれ程多く無く、けっこう手持無沙汰だった。そこで空いた時間は、持ち込まれた廃棄物の袋を開けて中身を分別する作業をした。被災した住宅から出されたゴミは搬出するのが精一杯で、分別する余裕何てない。それは昨日の作業でよく判っていた。

 廃棄物集積場

 同上

 ゴミの選別作業は地味でけっこう辛い作業だった。中身は千差万別、得体の知れぬ液体が入った容器などや、区分を判別しかねる廃棄物などがる。中腰での作業なので、昔の腰痛が再発せぬかと一寸不安だ。それに廃棄物から発する悪臭で、若干気分も悪くなってくる。

 それでも此処はまだノンビリとしたペースで作業できるから、東北大震災や鬼怒川水害の被災地に比べたら随分と楽だ。作業中に石川坂戸市長が「御苦労さまです。」と言いながら激励に訪れていた。私としては地元出身の女優、菅野美穂さん辺りに来てもらった方が俄然やる気が湧くのだが。

 ランチは近くのコンビニで済ます。水処理センターの隣は坂戸市運動公園となっており、明るい歓声を上げてテニスを楽しむ市民の姿も見える。この非常時にとも思うが、現実とはシュールなものである。

 午後になって次から次に廃棄物が持ち込まれるようになった。畳や家具などの重量物も多く、それを分別して積み上げていく。こんな作業の方がヤッター感があってやりがいがある。

 午後4時近くになっても廃棄物は持ち込まれてくるが、一応ボランティアの午後4時までとなっているので、我々は作業を終了させてもらった。今日の作業で若干腰に来て疲れもあるので、明日のボランティアはパスするつもりです。

 私は尊敬する尾畠春夫さんの爪の垢ほどの根性も無いし、何しろ70過ぎのジジイなもんでお許し願いたい。週末には元気のいい若者が大勢ボランティア活動に駆けつけてくれるでしょう。被災した方々が1日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう願っています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浸水被害の県営東坂戸団地でボランティア支援

2019年10月16日 | ボランティア

 10月16日(水)

 関東地方を直撃した台風19号は、私が住む埼玉県でも幾つかの河川を氾濫させ大きな被害をもたらせた。これはひょっとしたらボランティア支援の可能性がありだなと思い、昨日我が街の市役所内にある社会福祉協議会を訪れて、ボランティア保険の加入手続きを済ました。

 そして今日の午前、社会福祉協議会の職員から「今坂戸市で災害ボランティアの募集をやっています。よければ行ってもらえませんか。」と依頼の電話が入った。坂戸市の社会福祉協議会へ駆けつけると、「県営東坂戸団地への支援をお願いします。」と言われた。

 車で現地へ直行し、東坂戸消防分署の駐車場に車を停めた。隣接する県営東坂戸団地が支援の対象エリアで、集合住宅の1階部分が全て浸水していた。昨日テレビで「陸の孤島」と報じていた老人ホームもこの近くに建っている。

 ボランティア支援をした場所

 被災した室内へ土足で入ると、水に浸かって廃棄物と化した家具や品々が足の踏み場も無い程散乱していた。その悲惨な状況に、住民の方へ掛ける言葉も無い。

 濡れて使いものにならなくなった物を屋外の集積場へ運び出すと言うのが我々の主な作業内容であったが、特に大きな家具や畳の搬出が大変だった。午前中は一般ボランティアだけの作業だったが、午後から元気な城西大学の学生達が大勢加勢してくれたので、作業は格段に速まった。

 作業を終えたのは午後4時前、市職員の話では明日のボランティアはまだ未定との事だ。でも現状を見ると明日もやる事になるだろう。そうなったらこの老骨を鞭打って、明日もはせ参じよう。

 特別な能力がある訳じゃ無いから単純作業しかお役に立てないが、被災した住民の方々の「ありがとうございます。」の言葉を聞くと、モリモリヤル気が湧いてくる。普段はプラプラお気楽トンボの私だってやる時はやる。林修先生じゃないけど、「やるなら今でしょ。」

 東坂戸消防分署の駐車場にて

 東坂戸消防分署(奥の建物が県営東坂戸住宅、)

 

被災現場は心情的に撮影できませんので省略。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風19号が残した大きな爪痕

2019年10月14日 | 日記

 10月14日(月)

 12日の夕刻に台風19号が関東地方を直撃し、「各地の川が氾濫危険水位に達した。」とテレビから危機的な台風情報が続々と流れた。こりゃ眠れぬ夜になりそうだ何て思いつつ何時の間にか爆睡してしまい、翌朝目覚めた時は昨日の嵐が嘘のような青空だった。

 10/12(土)朝から雨が降り続く。

 10/13(日)爽やかな朝

 10/13(日)週末はいつも混み合う関越道も通行止め(午後から解除になったようです。)

 「無事で良かった。」そう思えたのは束の間で、「堤防が決壊し、各地の川で氾濫が起きている。」と、朝のテレビが深刻な水害状況を映し出していた。我が家の周辺でも都幾川や越辺川の一部が氾濫し、孤立した老人ホームの救出劇がテレビ中継されていた。

 10/13(日)川幅一杯に流れる高麗川大橋付近の高麗川

 

 今朝方いつもテニスを楽しんでいる高麗川河川敷の運動公園へ行ってみると、台風による大雨でコートが冠水し悲惨な状況になっていた。これじゃテニスをやるのは当分の間無理だろう。

 コートの表面を土砂が薄く堆積している。

 同上(コートのラインが埋没して見えない。)

 市役所は他の被災地の対応で手一杯だろうから、復旧は期待できないだろう。「今度はラケットをスコップに持ち替えて、我々の手で復旧作業をやろうじゃないか。」という話をしてクラブの人達と別れた。

 長年この地に住んでいるが、こんなに大きな水害状況は初めての経験だ。近年台風の巨大化強大化が顕著になっているように思えてならないが、これも地球温暖化の影響なんだろうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記録的な大型台風が、今夕関東地方を直撃

2019年10月12日 | 日記

 10月12日(土)

 大型の台風19号が刻々と関東地方に迫っている。日本に上陸する台風として近来稀にみる記録的な大型台風という報道で、進路に当る地域の人々は敵の大軍を迎え討つ塹壕の中の兵士のように、不安な思いでおられるのではないだろうか。

 昨日近くのスーパーへ行ったら、買い溜めに走る人々で店内は混み合っていた。飲料水や保存食品など棚は既に売り切れや品薄となっており、こんな異常な光景を見るのは2011年の東北大震災以来の事だ。

 我家でも最悪の事態に備えて昨日から対策の手を打った。まず大量の水を確保、次に懐中電灯、携帯コンロの準備、携帯やカメラの充電、保存食の確認、買い足し、そしてベランダに置かれた物を全て室内へ移動した。

 これで停電・断水などのインフラが破綻しても、数日間の生活には耐えられるだろう。台風の猛威は今夜がピーク、関東甲信越地方の皆さん台風が通り過ぎるまで安全第一で耐え忍び、何とか最小限の被害に留めましょう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目撃した事故現場はバイクの単独事故だった。

2019年10月10日 | 日記

 10月10日(木)

 最近は毎年のように日本人が受賞するので、ノーベル賞発表の時期になるとテレビや新聞などのマスコミが大騒ぎする。そして今年も旭化成の吉野彰氏がノーベル化学賞を受賞して、新聞の一面を大きく飾っていた。

 そんなめでたい新聞の地方欄を見ると、私が一昨日目撃した交通事故の事が小さく報じられていた。記事によればその事故は、26歳の男性がオートバイを運転中に道路脇の街路樹と衝突し、死亡したという単独事故であった。

 現場は片側一車線の緩やかなカーブを描く運転しやすい道で、当時は天気が悪かった訳でも無いのに、若者はどうして運転を誤ったのだろうかと不思議に思える。何か考え事でもして心此処に在らずだったのだろうか。

 私がノホホンとジョギングをやってる頃、その若者は予期せぬ事故で突然あの世へ旅立ってしまったのだ。さぞや無念であっただろうと察するものがある。そんな他人様の不幸を2度に渡ってブログに載せる自分の浅ましさを恥じ入る気持ちもあるが、身も知らぬ青年のご冥福を祈る事でお許し願えればと思う。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我街の運動公園にドクターヘリ出動

2019年10月09日 | 日記

 10月9日(水)

 昨日の午後いつも通りにジョギングへ出掛け、市の運動公園近くを走っていたら、公園前の道路に何台ものパトカーや消防車が赤色灯を廻して停まっておりただならぬ雰囲気になっていた。

 何事かと思い現場へ駆けつけると道路の片車線に1台の車が停まっており、反対側車線にはバイクが転がっていた。そして公園内のグランドには、埼玉県のドクターヘリが着陸してローターを急回転させ今にも飛び立とうとしていた。付近の人に警察官が近づかぬよう警告する中、ヘリは急上昇し飛び去って行った。

 この状況を察するに、車とバイクが交通事故を起しバイクの人が負傷してヘリで病院へ運ばれたのだと思われた。ところが今朝の朝刊を見ても私が目撃した交通事故の事は、一行も触れられていない。

 飛び立つヘリを大勢の人がスマホで撮っていたから、ネットに載ってるかなと思ったが、それも該当する記事は全く確認できなかった。だとしたら私の見たあの物々しい事故現場は一体何だったのだろう白日夢のようだ。もしかしたら救難訓練、それともドッキリカメラだったりして・・・。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本三百名山回顧№71、福島、会津駒ヶ岳(百名山)

2019年10月08日 | 三百名山回顧

 昭和55年7月12日(土) & 平成22年10月17日(日) 

 会津駒ヶ岳は山頂部に湿原が広がるたおやかな山です。そんな会津駒を最初に登ったのは昭和55年7月の事です。職場の友人、M君を誘って二人で尾瀬の至仏岳山や燧岳を登った後に、御池から大杉岳を経由して会津駒ヶ岳へ登った。

 大杉岳山頂

 遠い昔の話なので、この山行の記憶は殆ど残っていないが、鮮明に覚えている出来事が一つだけある。この日は雨天の登山となり、山頂近くの山小屋「駒の小屋」へ着いた時にはびしょ濡れだった。

 会津駒ヶ岳山頂(左がM君)

 小屋には管理人の若い夫婦だけが居た。我々が飲み物を買って屋内で飲んで居たら、「何で許可なく勝手にそこで休んでるだ。」と管理人の男から怒鳴られた。外は土砂降り雨なのに何て非情な奴だと思い、「ちゃんと飲み物代を払ってんじゃねーか。」とこちらも怒鳴り返し喧嘩となって小屋を出た。そんな不愉快な思い出があり、あまり印象の良くない会津駒だったが、それから32年後の平成22年10月に再び登る事になった。

 妻が職場の仲間達と会津駒へ行く事になり、「一緒に行かないか。」と私を誘ってきたのだ。つまりアッシー君として私が必要だったらしい。この山行は私の古いホームページに記録がのこされており、それをリメイクして下記に載せたいと思います。

 

平成22年10月17日(日)   天気=曇り後雨

 

06:30会津駒登山口→ 07:45水場→ 08:33~46休憩ベンチ→ 08:55~09:02駒ノ小屋→ 09:19~24会津駒ヶ岳→ 09:55~10:38中門岳→ 11:17~25駒ノ小屋→ 12:15~27水場→ 13:23会津駒登山口

 

 紅葉の時期は山のベストシーズンでもあり、こんな時に一ヶ月近くも山へ行かないと随分損したような気分になります。妻が「職場の人達と会津駒を登るので、一緒に行ってくれないか。」と誘ってきたので、「じゃ行ってやるか。」と恩着せがましく参加する事にしました。

 昨夕我家を出発、羽生インターから東北道に入ります。上り線の大渋滞を横目にスイスイ走り、西那須野インターで降りると塩原温泉街を通り抜け、南会津町の道の駅「たじま」に到着、今宵は此処で車中泊、職場の人達も午後10時頃着いたようでした。

 道の駅「たじま」を朝5時に出発、尾瀬へ向かう国道は意外に空いており、桧枝岐近くの登山口へ1時間余で着いた。前を走るSさんが強引に突き進んだお蔭で、登山口傍の駐車場に辛うじて2台の車を停める事ができた。

 会津駒ヶ岳登山口

 

 登山道横の林道は、最近車の転落死亡事故があったそうで、花束が添えられていました。登山口には入山者をカウントする計器が設置されている。自然環境への調査でもしているのだろうか。

 本日の参加者は、リーダーのS氏(冬山や沢登りもやる大ベテラン)、若手のK君、妻の同僚Nさん、それに妻と私の計5名です。登山口を出発すると最初から息もつかせぬ急登が続きます。標高の低い所の木々はまだ紅葉には早過ぎるようですが、登るにつれて良い色づきになってきました。登山口から1時間余で水場に到着、ここら辺りは中々の紅葉です。

 水場付近

 トップを行くK君のペースが速いので、快調に標高を稼いで行く。Nさんは一寸表情が辛そうだ。左手の尾根が合さると、傾斜が緩み登りが楽になる。森林限界を越えた辺りに幾つかの木製ベンチがあった。大戸沢岳から会津駒へ続く稜線や駒の小屋が見渡せる絶好の休憩ポイントです。だが残念ながら雲が多く、灰色のベールの合間にしか見る事ができません。天気は上向いているようなので、帰りに期待しましょう。

 休憩ポイントから駒ノ小屋(左端)と会津駒山頂部(右奥)

 ここから木道を歩いて行きます。やがて展望が開き黄色い草原の中を進んで行くと程なく駒ノ小屋に到着しました。小屋の前のベンチでは大勢の登山者が寛いでいる。駒大池(名前程には大きく無い。大きめの池塘と言った方が正しい。)の向こうに会津駒の山頂が見える。

 駒ノ小屋目指して登る。

 駒大池と奥に会津駒ヶ岳

 休憩を終えると会津駒の山頂に向かって登って行く。中門岳への分岐を過ぎて僅かな急登で会津駒ヶ岳(2133m)に到着、低い灌木で囲まれた山頂からは尾瀬や日光の山々と遠くは富士山まで見渡せると看板に書いてあるが、残念ながら雲のベールで、その展望を眺める事はできません。

 会津駒ヶ岳山頂

 山頂を後にすると、中門岳へ向かう。会津駒の山頂は凡庸だが、稜線を覆う草原と池塘の織りなす風景がこの山の素晴らしさで、深田久弥もそこに感激して百名山に加えたのでしょう。

 会津駒から中門岳へ向かう。

 気持の良い草原の木道を進んで行く。天気も回復し振り返れば尾瀬の燧岳や平ヶ岳、南に奥日光の山々が見え始めました。中門岳の山頂標識は中門大池の畔に建っているが、明らかにその奥の方が高いので、我々はそこまで歩いて行く。標識は無いけれど木道の尽きた所が本当の山頂のようです。此処でシートを広げてコンロを沸し軽く祝杯をあげる。

 中門岳山頂手前の登り

 中門大池と山頂標識

 周囲の展望を満喫し食事を終えると山頂を後に往路を戻ります。天気予報が良く無かったのであまり期待して無かったが、会津駒から中門岳へ続く稜線の眺めは予想以上に素晴らしく、「登って来て良かったね。」と皆異口同音に感激していました。駒ノ小屋へ戻ると、駒大池の前で記念の写真を撮り、会津駒に名残を惜しみつつ下山の途につきました。

 中門岳から会津駒へ戻る。

 駒大池の前で記念写真

 紅葉が鮮やかな下山の道

 往路を降り登山口へ戻るとSさんの案内で桧枝岐の日帰り温泉「燧の湯」で山の汗を流し、丸屋旅館の食堂で蕎麦に舌鼓をうった。どちらもお勧めできるナイススポットでした。

Sさんが「東北道は混むので関越道経由で帰りませんか。」と言うので。帰りは只見町~田子倉ダムの傍を通って小出インターから関越道に入りました。「前橋~花園間は渋滞中」との情報だったが、思った程混んでは居らず、ポツポツ雨の降る中をひた走り。午後9時過ぎに我が家へ戻る事ができました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする