GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

現役時代の反省から、自ブログでの読者・ファンからのコメントに全返信してたらしい!

2023-06-30 23:44:55 | 野球

 キレイな投球フォームのお手本や恐らく真似されたであろう「精密機械」・正確無比のコントロールで「20世紀最後の200勝投手」と言われた北別府学 氏が、亡くなられました・・・実際に僕は、小3の時に藤井寺球場の試合の開門前に形態模写をする大人が居て、北別府氏の投球フォームの真似をしてるかたが、居ましたし!左腕をちょっと曲げるのと、グローブをしてる左手首を曲げるのが、やや癖のある部分で、それ以外は本当にキレイすぎるぐらいクセが、無かったですね。それとまぁ先に挙げたんは、異名や肩書きであってあだ名は、麻雀や中国語から派生した"ペイ(ぺー)"でしたね。北を指します。やからか、北川博敏もオリ時代のあだ名は、ペーでしたね。僕は、漫画・こせきこうじ作の『ペナントレース やまだたいちの奇蹟』でも達っちゃんがペイと呼んでましたし、ペイさんと呼んでました・・・

 ペイさんは、鹿児島生まれも野球留学で隣県の宮崎県の都城農高に入学。毎日山道の片道20kmを自転車通学していた!この時に強靭な足腰を鍛えられたと本人は、証言してますが、凄い事でしたなぁ。甲子園にも出場。当時から球は速くなく、中央というか全球団が注目するほどの逸材ではなかったが、広島が1位指名で獲得。体力作りに定評のある広島の象徴の様にやはり2・3年目ぐらいから、頭角を現して来る(汗・笑)1978年は、10勝、79年は、17勝でリーグ優勝に貢献!チームは日本一になったが、敢えてリーグ優勝と書いたのは、実はペイさん、相性が良くないのか意外にもこの実績でも、日シリでは無勝利なんですよね(号泣)ヤフコメにこの事を書いたんやけど、誰も"そう思う"を押してくれんかった、まぁ今言う事やなかったかも知れんけど、事実やぞ。先のWBC決勝の時も、眠ってたらしく起きたら世界一の瞬間の映像を見せるんやと夫人が言ってましたが、見せてあげたかったですね(涙)まぁそのあと、何回か目を覚まし見たかも知れませんが・・・江夏の21球の時も、ブルペンで準備してたんですが、江夏氏が自身で乗り切ったんで、出番は無かったんやけど。82年は、20勝&最多勝&沢村賞!1986年も、最多勝・最優秀防御率・最高勝率・沢村賞でセのMVPにも輝いた。フジテレビでの2000年放送のドキュメンタリードラマ(何故か阪神ファンのダンカンが、達川光男の役で出てたなぁ)の『最後のストライク ~炎のストッパー津田恒美・愛と死を見つめた直球人生~』にもそのシーンが、再現されてたけど優勝決定試合は8回まで投げた時点で、9回も続投する予定であったが、監督に直訴し、最後は守護神の津田恒実 氏にマウンドを譲ったという逸話があったなぁ。粋な決断やったな!1992年のナゴヤ球場での対中日戦で200勝を達成したんは、こないだ知ったな(汗)ホームの広島市民やなかったんやな・・・しかも達成年も、1993年やと思ってたわ・・・1994年に現役引退。最後の2年の防御率は、5.22(6勝)、5.68(3勝)とさすがに衰えを隠せんかったけど、息の長い投手でしたな!とにかくキャッチャーミットを動かす必要・機会が無く、ストライクをボールと球審に宣告されても、審判がストライクと言うまで意地になって、同じ所に何球も投げて来たという性格とコントロールの強さやったな。それと"ピッチングは、スピードの速さやない!"と言わせる典型的な投手(山本昌・星野伸之・上原浩治・和田毅・石川雅規ら)の1人でしたな。高橋慶彦とは犬猿の仲で、実際試合に大勢に影響の無い状況では、ペイさんが登板してる際に慶彦さんがワザとエラーをした事もあったようで、さらに同じ車を持ったかと思うと、慶彦さんが半年後には新しい車に買い替えたという話も・・・現在は、和解したようであるが(汗)

 引退後は、解説者。第2次山本浩二 政権の2001年に待望の広島の一軍投手コーチに就任。ただ「投壊を改善した」とは言い難く、コーチ業の難しさをファンも痛感したものやったでしょう・・・見出したんは、黒田博樹の一本立ちぐらいか(汗)?それに自身が途轍もなく良かった制球力やったけど、昨今の投手のコントロールの無さをどう感じてたか?を聞きたかったですな(大汗)2005年からは、再び解説者。2018年には、英数学館高校の野球部の非常勤コーチも歴任。それと自身の現役時代は、あまりに勝負・投球に専念するあまり、ファンサービスを疎かにしていた反省から、ご自身のブログへのコメントに返信してたらしいですよ!!有名人・著名人で、これは凄いですし、中々出来ん事ですよっ!通算成績は、試515 213勝141敗5S 防3.67 でした。お悔やみ申し上げます(涙)

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広島の頑張りが、僅差を産み出したから

2023-06-24 01:41:25 | 野球

 交流戦は、廃止せんでええでしょう(笑)今年は、54勝52敗2分とほんまに僅差で貯金2でのパ・リーグの勝ち越しやったけど、終盤まではセが貯金3でずっと行ってたけど、1回全くの5分になって、また引き離したけど、最後はパの畳み掛けでひっくり返ったな。例年交流戦が、大の苦手な広島が、勝率5割は克服したと言ってええか判らんけど、健闘したな。阪神は、失速で流れを絶たれたけど、5月の反動やったかも知れん・・・Gもホームラン圧力で、1位タイやったしな。まぁリーグ戦再開後も、力ずくで勝つしかないんやない?MVPは、優勝球団から選ぶんやなくて、個人成績が凌駕・重視されたかぁ(汗)二冠の岡本和真(巨)、おめでとう。優勝球団からなら、牧秀悟やったか・・・ハムが、西武の大失速(足引っ張り)をカバーしてくれたから、勝ち越せたんかも(大汗)ハムの貯金2も、予想外で大頑張り!ロッテはやや失速、ヤクルトは後半連勝したけど、この機会を活かせず・立ち直るきっかけにならんかったな・・・楽天も良い切り替えになったんか、終盤が残念やったけど、勝率5割で6位。楽天は最後の2試合で計30点差以上をつけて勝利すれば、交流戦優勝やったけど、まぁどう考えても無理な話やったけどな(大汗)そして大混戦の「2023年のセ・パ交流戦」を制したのは、"横浜DeNAベイスターズ"でした!球団史上初の交流戦優勝です!!セでは、巨人とヤクルト以外のチームの優勝は、まだ3球団目ですな。神奈川県民の皆さん、そして全国のDeNAファンの皆さん、おめでとうございました!!ただ勝率では、同率での優勝でほぼ並びましたが、順位じゅんでソフトバンク・巨人・オリックスとなってます(汗)得失点差での優勝でした。最終戦に勝利して、堂々の勝率1位での優勝を決めて欲しかった気もしますがね。古い人間や昔のパファンやファンのチームの勝利しか考えてへんファンは、未だに反対派のかたが多いけど、観客動員数が人気を物語ってるやろう(燃)!!

 あとデスパイネ(キューバ)をソフが、再獲得したんやったな(大汗)こんな事になるやろうとも、思ってたけどな(汗)いつから出れるんやろう?・・・

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無題にしてええのやら・・・

2023-06-22 21:18:39 | 野球

 齊藤 投手・宇佐美 捕手(共に日)⇔山本拓 投手・郡司 捕・外野手(共に中)。中日は大物は獲れんけど、チームを強化しようという意志はあると思わせて、動いてる振りをしてるんか?と思わせるようなトレードやけど、何もせんよりは・・・かも(汗)齊藤は、ハムも1年ちょいの寿命やったけど、中日やからオリに近くなったな(笑)宇佐美は、まだ巨人時代の打撃が戻って来ないな、ここいらで気分一新を。奥様は阪神ファンやけど、ハムの時はリーグが違うから、そこまで引け目は無かったやろうけど、今度は同じセ・リーグに移ってしもたから、大っぴらに応援出来んよな(汗)日ハムは簡単に捨てれるけど、中日と阪神の掛け持ちやな。山本拓は、一応今季も一軍で登板してたけど、あまり結果が伴わんかったから、整理要員にされたんでしょう。郡司も結構出てたけど、とにかく立浪監督は見切りが、早い(涙)それだけ勝負というか育成に徹してて、ドライなんでしょう。

 あと先日の試合で佐々木朗希(ロ)が、日本人最速タイ記録の165kmを出したけど、公式戦では史上初でしたな!大谷翔平は、2016年にCSで出した記録やから、確かに人によって機会が異なるから不公平やし、普通に考えれば参考記録なはずやけど、勝敗や防御率や通算成績と違って、正式な記録にカウントされるんやなぁ(汗)一応拙ブログでは、以前に参考記録と書きましたが、これは訂正せねばならんかも知れんし、事実誤認ですな(謝罪)なお、助っ人外国人投手を含むプロ野球最速記録は、2021年のチアゴ・ビエイラ(巨人)の166kmです。

 

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第53回NHK上方漫才コンテスト 決勝

2023-06-20 21:29:13 | お笑い考

 審査員は、雅・リンゴ・増田氏・内藤・大林・岩尾・DJ KOO・・・ヒャダインがDJ KOOになっただけのようなもん。最近、彼はバラエティ慣れしてるよなぁ(汗)M-1等のファイナリストや優勝などの予想も、当ててるらしい。ただ笑いの予想は、するだけ野暮やとも思ってる・・・

〈予選Aブロック>

マーメイド 55

○ハイツ友の会 57

フースーヤ 53

◎爛々 51

〈予選Bブロック〉

○丸亀じゃんご 57(同票数であったが、決選投票により敗退)

パーティーパーティー 54

大自然 56

◎スナフキンズ 56(同票数であったが、決選投票により勝ち抜き)

<決勝>

爛々 57

☆スナフキンズ 61★

 マーメイドは、点数制やないからまだトップ出番が不利になるって事は、一応無い・・・・"猫砂"のくだりは、良かったけど、話の膨らまし方が、ベタやったわ(汗)議論漫才やな。やや客ウケに欠ける・・・ハイツは、まぁ色んな所をエグってでの描写やな(少笑)偏見やら色んなものを混ぜて、遠回しに皮肉も言ってるな。ただ東京に住んでる人が、東京の電車で遠方に行くのを見送りに来たという最初のボケ"は、読めたから2点減点・・・フースーヤは、ギャグの散りばめ方よな!ネタが散漫というのは、このコンビの前で言うのは、野暮なんかも。爛々は、"攻めた姿勢は、評価せねばならん"かも(汗)ただ無理にネタを作ってて、あまり本音や心から思ってる事・自身達の発する言葉とは、思えんな・・・一番無いと思ったのが・・・

 丸亀は、まあベタといえばベタやけど、客ウケがしっかりしてたからな!描写とそれを説明するツッコミやな。ルート33がやってそうなネタやったな、懐かしいスタイルやね。パーティーは、笑いが薄っぺらい・・・練習量でネタが散漫な割には、聞き易く上手く話を展開させてるのは、腕かな。大自然は、何もアドバイスする余地が無いというか、自身達のスタイルを確立してて、完成度が高いからなぁ!ただ客が彼らの世界観に若干置いてけぼりになってたんが、良くない点かな(涙)スナフキンズ(男コンビ、吉本興業)は、音声だけなら聴いた事あり、観るのは初見。"立ち飲み屋"の設定って、ありそうで観た事なかったかな。客ウケは、抜群やったな!そないに難解なネタやなかったけど・・・丸亀!惜しくも・・・

 決勝戦は、爛々は、強い怒りとメッセージ性はあるけど、手法とか喋りが古臭い・・・客ウケは、ある!ただ"行けたら、行くわ"のくだりは、使い古されてる・・・スナフキンズは、うしろっぽいネタの着眼点やな(屈折した見方というか)。完成度は普通やけど、展開が丁寧で良かったと思います!客ウケも!コントは不利と見たけど、圧倒的に凌駕すれば、関係無いな。

 あと春日三球(春日三球・照代)師匠が、亡くなられました・・・元々は、リーガル千太・万吉の弟子で"クリトモ一休・三休"としてNHK漫才コンクールで優勝するなど、活動していたが、1962年に三河島事故で、一休さんが死去・・・その後、女房である照代と夫婦漫才コンビを結成して、"春日三球・照代"として活動。1970年代に"地下鉄の電車(車両)は、どこから入れたんでしょうね?"・"それを考えると、一晩中眠れなくなるの。"の名ゼリフでの名作「地下鉄漫才」で一世を風靡!!確か談志師匠から"あなた達は、これで一生食って行ける芸(ネタ)を見付けたな。"と言わしめ・太鼓判を押されたはず!しかし87年に照代師匠が、テレビ番組の収録中にくも膜下出血で倒れ、死去・・・芸能界の一線を退き、巣鴨に肌着店を開いた事もあり、近年は芸能活動から距離を置いていました・・・お悔やみ申し上げます(涙)

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異名というのは付いてまわるけど、弁解すれば・・・

2023-06-18 22:22:35 | 野球

 と言いながら早速書くけど、「フォークボールの神様」という異名はあまりにも有名やった杉下茂 氏が、亡くなられました・・・大往生でしたが、つい最近まで中日のキャンプに毎年臨時コーチとして行かれてて、拝見してたんで、意外でしたね・・・ただ本人が何べんも言ってる様に"私は、実際に殆どフォークを投げなかったよ。投げる・投げると思わせて投げないのも、駆け引きだからね。ああいうボールは、ここぞ一番の時に投げるものだ。それに私は、川上哲治さんの様な強打者をストレートやど真ん中のストレートで打ち取る事が、本懐だったんだから!それに簡単に三振に取れるんで、打者と対峙してても、全然面白くない!"と。さらに"いくら時代を経ようとも、やっぱり投手の投球の基本スタイルは、ストレートだ!"とも。川上氏が彼のフォークを"捕手が捕れない球を、打者が打てる訳がなかろう!"と言ったのは、「超々有名な話」ですな。あと何度も言うてるけど、ご立腹やったんは、"捕手主導のリードや配球"には(汗)投手自身が考えて、配球を組み立てるぐらいでなければ、ダメだと・・・さらに本当は、フォークではなくナックルを投げようとしたら、フォークに近いものを投げてたというのも言ってたような、詳細は、高橋安行 著の伝説のプロ野球選手に会いに行く内(ない)を参照してください(汗)

 杉下氏は、戦前生まれで帝京商時代は、長身もあったか一塁手(汗)さらに殆ど投手での出場は、無かったとの事!卒業後に応召。軍隊に入って鍛えられたんか、肩が強くなった。復員後は、いすゞ自動車に入社。そこで活躍。今とは逆で、退社後、明大に入学。中退の様な形で、1949年に中日に入団。ルーキーイヤーはそこそこの成績も、2年目には27勝を挙げる。翌年も併せて、2年連続の沢村賞を受賞。1954年のリーグ優勝に貢献!さらに疲労や故障と闘いながらも、文句無しのMVP級の大活躍で、日本一に貢献!!さらに中日は、同年以外1位からの日本一には輝いていない為、唯一の純粋な日本一の称号である(燃)!!1958年までに、通算211勝を挙げる。1959・60年は、形式上は中日の選手兼任監督。しかし契約上、投手としてはめったな事では登板出来ない契約を交わしており、実質監督専任となっていた・・・60年オフに一旦現役生活は引退し、監督も辞任し中日も退団。しかし大毎に移籍した際にオーナーの強い要請もあり、翌年の1961年に投手コーチ兼任投手として、現役復帰する(驚)!!ただ2年のブランクは大きかったか、4勝で終わり(それでも凄いけど)、今度こそ本当に引退する・・・引退後は、大毎や阪神の投手コーチ。さらに阪神では異例の外様の立場でも、監督を歴任!1966年の事やったけど、トラブルなどがあり1年も もたずに、休養の憂き目に遭ったが・・・2年後には、再び中日に呼び戻され、監督に就任するも一時は首位に立つも、そのあと調子を落として最下位まで落ち、またしてもシーズン途中で今度は、解任・・・まぁ監督の適性があったかどうかはよく判らんけど、大毎・阪神時代もそうで、のちのちの育て上げた投手を見ると、投手コーチ向きやったんかもしれませんな(汗)1976年からは、巨人の投手コーチとして、2連覇に貢献!1993年からは、西武の投手コーチとして2連覇に貢献。しかし本人は、「もう出来上がった投手達だったから何も言う必要が無かったよ、むしろもう1人の投手コーチの森繫和を一人前にしに来たようなものだった。西武時代が、一番楽だった」と述懐してますね(汗)アマチュア時代もプロ入り後も天知俊一(<現役時代>プロ選手経験なし<監督>中日・名古屋・中日)監督とは、蜜月の関係やったと思う。通算215勝ながら、大正生まれの為、名球会入りは、対象外(涙)監督・コーチ時代以外は、TBSの野球解説者。たくさんの芸能人・著名人が出演するオールスター感謝祭にも出演されてましたな。姿は見掛けんかったけど、あのクイズに参加してた!通算成績は、試525 215勝123敗 防2.23/試405 182勝215敗8分 率.458 でした。お悔やみ申し上げます・・・

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