とは、「正反対の選手が偉業」!!って茶化したら、イカンねんけど、広島も黒田博樹の考案で「まさかあのアライさんが?」のTシャツを作って、チームで着てた訳やし(汗)新井貴浩が、2000本安打を達成しました!!っていうのを2年以上、書けませんでした(大謝罪)・・・ただまだ名球会入りを記録しても、書けてない選手が、居るんですが、タイトルも古いんが、この時の流行・時事ネタと絡めてた訳なんですが・・・ただ名球会の記録に入った選手は、全員書かんと、不公平になりますからな!・・・
元々この選手は、"縁故入団で野村謙二郎の口利きや駒大の監督の推薦が無ければ、プロ球団=広島に入団する事すら、出来ないクラスの選手"でした(涙)ドラフト前には、ノムケンの自宅の前で素振りして、入団アピールしたようです(汗)今では、考えられん事ですね・・・ただ彼には、猛練習に耐えうる体力だけは、プロ級でした!だから"今後、化ける可能性は限りなくゼロに近いが、可能性に懸けて"馬力を買われて入団した訳です。守備も下手で打撃も決して器用な方ではなかったものの、何故かルーキーイヤーの1999年のオープン戦から起用される(驚)。だけでなく、同年はたまにファーストで起用され、7本ホームランを放ち、パンチ力の片鱗を見せる!ただ一塁走者時、エディ・ディアスの二塁打をレフトフライと勘違いして、一塁に戻ってディアスに追い抜かれ、ディアスがアウトになり、ディアスの二塁打をフイにしたり、一塁の守備でアウトカウントを勘違いして、相手一塁ベースコーチにトスして避けられてファールグラウンドにボールが点々と転がり、失点してしまうという「ボーンヘッド」は、ルーキーイヤーから健在(苦笑)2年目も、出場機会が少ない割には、当時の広島市民球場とはいえ、16本塁打も放つなど、当時の僕としては"なんで、こんだけパンチ力もあるのに、もっと使わない(起用されない)んやろう"・"この出場機会の少なさで、このホームラン数は凄い!"と思ってましたもん(燃)!守備では、ファースト・サード・外野(レフト)とたらい回し(汗)翌年(2001年)も主にサードのレギュラー獲りを期待されるも、ノムケンの復活もあり、守備位置は前年と同じ様な起用法・・・ただついに2002年にサードのレギュラーを確保し、140試合フル出場で28ホームランを放ち、オールスターにも出場!しかし翌2003年は、金本知憲退団後の4番を受け継いだものの、半端ないプレッシャーを受け、大不振に陥り、後半には打順が6番に降格となる・・・さらにそれだけでなく、不振の原因を前年オフからの"メディア露出過多のせいにする発言をする"など、プロとしては問題な言動も見受けられ(怒)ピーコ監督も、「現役時代に4番を張っていただけに、新井の気持ちは手に取るように解った」らしいし、発破をかけ続けたらしいですよ。翌年も、レギュラーすら怪しまれる成績で終える(困)しかし開き直ったのか・猛練習の成果が実ったのか、2005年は43本塁打でホームラン王まで獲得と一気に開花した(拍手)!!第1回WBCに代打要員としても、選出される!2007年までは、広島の4番として看板選手となる(北京五輪予選の代表にも選ばれ、4番として貴重なタイムリーも放った)。も、"金本に着いて行く為・リーグ優勝を経験したい為に"FAで阪神へ移籍・・・"辛いです・・・カープが好きだから"と号泣しながらの会見は、共感を得られず、いくら自身が勝ち取った権利とはいえ、"広島でなかったらプロにすら入れなかった選手(広島に育ててもらった恩)"が、出て行くっていうのは無いやろうし、"泣くぐらいなら、出て行くなよー!"と当時の僕は、思いましたもん・・・阪神1年目は、ホームランこそ少なかったものの、ファーストで負担が軽くなったのか、そこそこ順調に進む!も、北京五輪本番で疲労骨折し、北京五輪ではノーメダルの4位、9本塁打に終わり、阪神の優勝も逃す(涙)・・・2009年は、サードで起用されるも、82打点を記録するが、"イマイチ勝負強さを感じられない"という阪神ファンは、いまだに多い気が、しますねぇ(困)2010年は、打率・打点のキャリアハイを記録する(特に打点は、112)!!翌2011年も、打点王獲得も、"過小評価される事が、多かった(=肝心な所で打ってる印象が無い・若干勝負弱い)"ですよね・・・これだけ"過小評価されるのは何故?"という扱いは、定岡正二 氏もそうやったねぇ・・・2014年には、マウロ・ゴメス(阪神)が入団し、出場機会が激減し、自由契約で広島に復帰(よく復帰出来たもんですなぁ)!
背番号25へのこだわりもかなぐり捨て(背番号は、28)、阪神よりはプレッシャーが減り、人が変わったように生き生きとプレーしてたのは、"人って、こうも変われるもんか"と思いましたよ(汗)代打スタートも、時には4番に座り、順調な活躍を見せ、2016年には背番号も25にして、黒田博樹と共に一丸となりリーグ優勝にも貢献!この年の4月26日に神宮球場での対ヤクルト戦で2000本安打を記録しました!!
記事が遅れて、本当に申し訳ありませんでした!!!!!