「むっつり右門」や「守道」・「守道監督」こと高木守道 氏が、亡くなられました・・・2度目の監督就任時にチラッと書きましたが、現役時代についてあまり触れてませんでしたな・・・http://forever545kb.hatenablog.com/entry/2011/09/30/144300
守道さんは、県立岐阜商高から鳴り物入りで1960年に中日に入団。なお高校時代に臨時コーチで来た長嶋茂雄に小柄ながら太鼓判を押され、遊撃手から二塁手に転向し、プロ入り後も守道さんの活躍を観ても「やはり」と思ったようですね!プロ入り初打席、初本塁打!主に1番打者を務め、盗塁王も3度獲得。長打力もあり、バントも出来、隙の無い選手であった!2番に座る年度(1963~67年・69年~70年・78年)もあり、西鉄の流線型打線以来当時としては異例の"攻撃型2番"の典型やったかも知れんですね(燃)!守備でもバックトスの名人で守備範囲も広かった!!南海から移籍して来たカールトン半田(半田春夫)の教えか遊撃手(やったかセカンドやったか)に入った半田とよくバックトス・グラブトスの意思呼吸の練習を交わしてたそうですな。1974年の巨人のV10を阻止するリーグ優勝にも貢献!ロッテと対戦した同年の日本シリーズでは、第1戦の9回裏に村田兆治から逆転サヨナラ二塁打を打つなど大活躍する。後楽園球場での第4戦でも金田留広から初回先頭打者本塁打を放つが、その試合の3打席目で自打球を左足に当て負傷退場。検査の結果全治3週間の骨折で、守道さんは第6戦で復帰するも中日はロッテに敗れた。シリーズ通算22打数8安打3打点を記録し、敢闘選手賞を獲得。1981年に引退。1986年には山内一弘監督の途中休養を受け、同年7月6日からシーズン終了まで代理監督を務めた。1991年オフに同年好成績の2位を挙げ人気もあった星野監督の後を受けるという大変なプレッシャーの中での中日の一軍監督に就任(汗)1年目の1992年は、与田剛の守護神返り咲きは大きかったものの、落合博満の不振も響き、最下位(涙)最下位ながらも60勝したのは、批判されるべきではないと評価する向きもあった(汗)何故か宇野勝・川又米利・山口幸司といった控え選手の方が充実した成績を上げていたという不思議な年でもあった。翌年は、アロンゾ・パウエルの活躍もあり、チームに地力があったのか、2位に浮上!で、問題の翌年は、契約最終年の守道監督、本人もその気であったが、翌年から再び星野仙一の監督就任が決まっており、"それを恐れた選手達が、発奮しまくって(星野監督が就任するのを阻止しようと)後半に連勝を重ね"、10月8日に1973年の阪神対巨人以来の「最終決戦での優勝決定試合」まで持ち込む(苦笑)!地元のナゴヤ球場での試合やったし、中日の先発投手は「巨人キラー」の今中慎二であった為、"中日有利"と見られてましたが。同じくGが苦手にしてた山本昌広という手もあったやろうけど、骨折してたからどのみち出れませんでしたが(記憶が定かやないけど、確かそうやったはずやで)・・・ なりふり構わず、勝ちに行った長さんは、日頃の勝利の方程式である継投を無視して、エース3枚(槇原博己・斎藤雅樹・桑田真澄)を惜しげもなくぶつけたのに対し守道さんは"普段着野球(檄を飛ばす訳でもなく、特別なミーティングをする訳でもなく)"で挑んだが、結果的には"臨機応変のカン(勘)ピューター野球の長嶋茂雄"に軍配が上がったけど、これはどっちが正解かっていうのは、結果論やなかったかなぁ・・・中日は、序盤にミスもあったし、一度もリード出来へんかった訳やし。この後半戦の躍進が評価され、急遽、翌年も続投となった。 しかし1995年は、投手陣の崩壊・故障者続出により、チームは低迷を続けた。その為、成績不振の責任を取り、シーズン途中で監督を解任された・・・監督としての最後の試合となった同年6月2日の対阪神戦では、友寄正人審判への暴行により退場処分を受けた(困)2度目の監督就任は、2012年でこれも前年優勝の落合監督の後を受け手でのハードルが、上がった上での就任・・・2位になったものの、優勝した巨人とは、差を付けられ・・・さらにCSでは、3連勝と王手までかけたもの、3連敗(優勝した巨人には、元から既に1勝のアドバンテージがあった)で1994年に続いて再び"あと1勝"が、遠かったですね(号泣)・・・翌年は、4位で退陣・・・落合新GMには、「この船は、沈没した」とまで言われてしまいました・・・ただ!指導者としてはそこそこやったかも知れませんが、選手としては"歴代最高の二塁手"と言っても、過言やないでしょう(燃)!僕も守道さんを挙げます!!特にセ・リーグでは。パでは、「長嶋二世」で同じ様に長打を打てた上尾高出身の山崎裕之かなぁ。守道さんは、仙ちゃんも頭が上がらない存在でアラ・イバを見ても、"レベルが、違う。高木さんには、何度守備で助けられたか!"と称賛を惜しまなかったですな!
丁度ここに偶然にも図書館から借りて来たノムさんが守道さんを評した著書『私が見た最高の選手、最低の選手』(東邦出版、2013年)内によると、短気な性格で損をしている(口数は少ないが、「瞬間湯沸かし器」と言われる)部分もあるのではないか。私の目から見た高木の守備の印象も同じである。天才肌で起用だが、雑。イージーゴロをエラーする場面がたびたびあった。打撃では、文句なしの、ナンバーワン二塁手。だが守備まで含めるとやや減点すべき部分もある。とも評している見解もある(汗) 2006年に野球殿堂入り。通算成績は、試2282率.272 236本813点 安2274/試787 383勝379敗25分 率.503(代理監督時代も含めて)でした。合掌です(涙)