GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

失礼ながら

2021-12-31 23:23:36 | お笑い考

逆やと思ってましたが、昭和こいる(昭和のいる・こいる)師匠が、亡くなられたようです!現在病気療養中の のいる師匠の方やと思ってましたし、先月まで舞台に立ってたし、最近では正月番組であした順子師匠と漫才をやってましたが・・・デビュー時は、花園のいる・こいるのコンビ名。ベテラン・遅咲きながら1998年頃から徐々に頭角を現し、めちゃイケ!の「笑わず嫌い王」出演で人気を博したのをきっかけにプチブレイク!こいる師匠のコミカルな動きと振る舞いや風貌から女子校生から「カワイイ!」と言われ、人気に拍車がかかる。衛星放送の「アニマックス」チャンネルのCMにも抜擢される。そのあとは、安定した仕事のペース。2013年後半から、のいるの病気療養により、こいるがピンの漫談家として活動していた。コンビでは「ギャグ漫才」が特徴で、あまり話題が進行せず、「ヘーヘーホーホー」・「はい、はい、はい、はい」・「そんなもんだ、しょうがねぇ」などと言って、のいる師匠の話の腰を折るのが、漫才の特徴であった。あと「はい、はい、はい、はい」の時には、頭を下げ、両手を顔の横に持っていき、上下に小刻みに振る、というお決まりのポーズを行うという動きが、入る!さらにネタの中盤以降に、こいるお得意の言動(上記)を、逆にのいるが行うこともある。それに対して、こいるがたじろぐ、こいるがやり返す、二人で応酬、などのパターンをみせる。お悔やみ申し上げます(涙)

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これも真相は、闇の中・・・

2021-12-31 03:33:26 | 野球

 1975年に広島を球団史上初のリーグ優勝や1979年に日本一に導いた古葉竹識(←たけしきさんやないで、たけしさんやで)[毅]<【現役時代】広島―南海【監督】広島―大洋>氏が、亡くなりました・・・古葉氏は、割とエリート校出身(しかも甲子園にも出場している)でしたが、専修大学は中退し、日鉄二瀬に入社。1957年オフに広島に入団。1957年オフという事は、長嶋茂雄・杉浦忠と入団年は、一緒ですな(年齢は、古葉氏の方が上)!俊足巧打・堅守の遊撃手で1年目から結果を出す。最初の2年は、打率がイマイチでしたが(汗)1963年には、長さんと激しい首位打者争いを繰り広げるも、顎に死球を受け戦線離脱(号泣)首位打者も2分差で逃した・・・翌年以降は恐怖心が抜け切れず、外角球に踏み込めなくなり、"打撃はほぼ諦め、走塁に活路を見出す"ようになる。翌年の1964年には、盗塁王を獲得!さらに翌年の65年には、セカンドに転向。68年にも盗塁王。1970年にトレードで南海へ移籍。これがのちに指導者として大いに役立つようになるのは、ドン・ブレイザーと野村克也との出会いやな。2人の「シンキング・ベースボール」の薫陶を受けた事やわ。だからのちに"広島が、強豪チームになったのは、ノムさんや南海のおかげ"とも言われるようにもなる(←ノムさんの手前味噌の見解も入ってると思うけど・・・)。1971年に現役引退。

 1972・73年は、南海の二軍や一軍の内野守備走塁コーチを務める。1974年からは、広島にコーチとして復帰。ジョー・ルーツ新監督が、赤帽子・赤ユニ(この時は一部前身の紺色もユニやヘルメットのデザインに残っていた)に変更した1975年は、ルーツ監督が15試合で退団し、野崎恭一 代理監督を経て正式に監督に就任。衣笠祥雄曰く"ルーツが監督のままやったら、求められる事が多すぎて、チームは前年までと同様パンク・破綻していた。古葉監督が、解りやすくまとめてくれた(でもルーツの貢献度は大きかったし、イズムは生きていたと思いますよ)。"と証言している。チームは快進撃を見せ、優勝争いをしている中日と乱闘試合や翌日も開催が危ぶまれるなどもあったが、後楽園球場で球団史上初のリーグ優勝に導く!!「耐えて勝つ」をモットーに。さらに巨人を史上初で唯一の最下位に沈ませている!!!!ただ広島はリーグ優勝で燃え尽き、日シリでは山口高志が立ち塞がった事もあり、1勝も出来ずに阪急に2分4敗で屈した(汗)グランドやベンチでは、妥協を許さずミスも激しく叱責での成果を挙げてのリーグ優勝!しかし翌年からは、また苦戦・・・ただ1979年に優勝を果たす。日シリでは近鉄との激しいデッドヒートで、近鉄は普段はDHでの出場のチャーリー・マニエルを右翼の守備に就かせなければならず(当時は日シリは、7試合全てDH制は採用されず・・・)、広島はマニエルの守備難を集中攻撃、隙を見せませんな!前年にヤクルトを史上初の日本一に導いた立役者のマニエルを何故ヤクルトは出したかというと、この守備が原因やったっていうのを近鉄は気付かねばならんかったんやけど、打撃を考えたら外せませんしな(汗)最終の第7戦は江夏の21球無題 - GRの戯れ言日記2 (goo.ne.jp)

 もあり、絶体絶命のピンチを切り抜け(後述)、球団史上初の日本一に導く!!!翌年も7戦までもつれ、先に王手をかけられるも、2年連続で日本一!!1984年にも日本一と弱小広島でのリーグ優勝4回・日本一3回!1985年に勇退。1986年は、フリーの解説者。翌1987年からは、大洋の監督に就任!ただあさってさんに指摘されるまで知らんかったけど、「佐川急便絡みの不祥事」に関わってた事も影を落とした。スカウトやコーチ陣を多数広島から引き抜くなどのやり方が良くなかったのか、広島だけでなく大洋のフロント陣以外からも総スカンを喰らい、大洋時代は優勝出来ず・・・大洋時代は、タイトルホルダーの輩出やルーキー・谷繁元信の起用など、ある程度育成の役目を担っていた!"やはりチームを強くするには、5年はかかる"と言っていたし、球団は慰留するも、責任を取り3年で退団、しかも最終年は最下位(涙)工藤建策の著書・名将たちはなぜ失敗したか によると、"古葉は、大洋に広島時代の腹心を連れて来たのは、人を信用出来なくなって来てたのではないか?だからこういう人事になったのでは?"と。作者は違えど、別の著書では"現役時代からの内野手特に二・遊の選手だから、内野守備での連携プレーでの不安が、いつまで経っても抜け切れないというか頭から離れない"というのが、神経質さに繋がり人を信用出来なくなって来たのではないか?とも。さらに工藤氏は、江夏の21球(スクイズ外し)も"広島は、スパイ行為で近鉄のサインを事前に分かっていた!だから、江夏が投球に入る前から既に広島のベンチから「(投球を)外せ!」などの指示の声が、出ていたという「非紳士的プレー」が、段々古葉が信用を失って行ってたし、栄光も霞んで見えるのではないか?"と糾弾してる・・・この事も、真相は闇の中ですな・・・さらに"彼が、ベンチに立つ際に半分身体を隠していたのが、何故彼のトレードマークだったかという理由は、相手チームのサインを盗み、ベンチにモニターがあってそれをこっそり観ているのを相手ベンチに知られない為にしていたから、いつも半分隠れてた という行動も、人を信用出来なくなって行った証拠である"と指摘している・・・さすがに先日亡くなった時は、そういった非難は聞こえて来ないが、あまり印象が良くないのは、そこに理由があると!!スパイやサイン盗みに関しては、もっと前のパ・リーグ、特に阪急や近鉄や南海は、ガンガンやってましたしね(汗)まぁ、もっとも"身体を半分隠してたんは、簡単に相手ベンチにサインを見破られない為・作戦を見破りにくくする意図でもあった"んやろうが。ただサンテレビの『虎辞書なる』(昔の阪神の試合を流す番組)では、時折映る画面の大洋時代の古葉氏は全身が見えてたし、ベンチに座ってましたがね(そういう時もあったという事か?)[汗]かつての教え子達は、"半身のテレビ画面に映らん所で、思いっ切り我々選手を蹴っていた"と証言してますね(笑)本人は"ベンチ内であの位置に立つと、全てのプレーが見えるから"という理由やそうでしたが。しかし大洋に伝説の木庭教(さとし)スカウトを連れて来たんは、大成功で、後付け臭いけど古葉監督時代にドラフト指名した選手が、のちのち大成して、1998年の優勝主力メンバーになりますからな!1990年からは、解説者。1994年オフにダイエーの監督就任がほぼ内定してたものの、王貞治の就任により頓挫・・・だから王監督初年度の1995年のダイエーの組閣は、どおりで不自然なほど旧広島の選手ばっかりやってんな、あとで知った事やけど(大汗)村田兆治 投手コーチを除く。達川光男・高橋慶彦・寺岡孝(現役時代は、広島―南海。古葉氏同様、ホークスと全く縁が無かった訳でもなかったんやな)と全て広島時代の部下!ただ達ちゃんと慶彦は、同年大喧嘩する事態に発展するんやし、ワンちゃんも特にコーチ陣を変更する事なく、初年度はフロントから与えられた人事と単身で福岡に乗り込んだようなもんやったんやな・・・

 1999年に野球殿堂入り。同年MBSラジオの太田幸司のスポーツナウ内の「野球人、心の故郷」のコーナーに野球殿堂入りの副賞的扱いでか、南海ぐらいしか関西に縁が無いのに、取り上げられてましたね。故郷の熊本県にも凱旋して。2003年には広島市長選、翌年には参院選に出馬したが、いずれも落選しました・・・2008年に東京国際大学の監督に就任。かつての教え子である炎のストッパー津田恒実の実子・津田大樹(父と違って、左投げやったそうやけど)と師弟関係になったのも、何かの縁でしたな。2011年5月、東京新大学野球春季リーグ戦で初優勝を果たし、6月の全日本大学野球選手権大会では首都大学野球連盟所属の古豪日体大に1回の1点を守り切りスコア1-0の辛勝で逃げ切りベスト4に進んだ。2016年の広島の25年振りの優勝にも、間に合いましたな。通算成績は、試1501率.252 44本334点 安1369/試1801 873勝791敗137分 率.525 でした(監督時代の成績は、ルーツ・野崎監督の成績も含まれてるから、純粋な数字ではない・・・)。お悔やみ申し上げます(涙)

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徒然

2021-12-31 01:33:52 | 日記

正社員就きが、未遂に終わった2013~14年以来の大晦日・正月(年末年始)休みやわ~。何か久し振りにこんな過ごし方(←どんな過ごし方や?)してるし、世間の年末・年始ってこんな感じやったか~・・・それでも初詣には行かん、ネタ番組三昧(=アルコール未摂取)じゃーっ!!

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LIFE!~人生に捧げるコント~ [冬.1](series9 #5)

2021-12-27 22:33:53 | お笑い考

「部長命令」は、設定も展開も、ベタやな(汗)オチは"こんなんで、ええんかな?"って思ってしまった・・・「"かける"のが早い女」は、笑いが、古いな・・・「天才の弱点」は、川西の間というか演技力が、良かった。「初めてのバー」は、"どっちもどっちって笑い"やな、心の声を流すっていうのは、アンジャのネタと同じ手法やな。ネタとしては、まあまあ。「メリークリスマス」は、窮地に追い込むというか、退くに退けん笑いやな。

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無題

2021-12-26 22:42:32 | 野球

1年アカンかっただけでクビ&元気な内に1度でもオールスターに出て欲しい(選出された事もあるけど、故障で辞退した事あり)大田泰示(日)をDeNAが、獲得です!ただDeNAは、割と(乙坂が不祥事で退団したけど)外野の層が厚いだけに、いくら彼でもレギュラー確約は、厳しいでしょうな・・・あと渡邉雄大(ソ)を阪神が、育成選手として獲得です。

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