何度か紹介している、太平洋炭鉱(現「釧路コールマイン」)の選炭工場。
この近くを、廃止された「太平洋石炭石炭販売輸送(株)臨港線」通称「臨港鉄道」の路線が走っていたことは以前触れましたが、炭鉱全盛期には、この辺りが、所謂「企業城下町」のような状態になっていたのではないかということを、古い住宅地図を見て感じたので、ぜひ歩いてみようと思い、行ってきました。
この辺りには、臨港線の「永住(ながずみ)町」駅があったとされています。
この場所を拠点に回ってみることにしましょう。
駅は昭和38年(1963年)11月の旅客輸送廃止と共に廃駅となり、現在はその痕跡すら残されていませんが、バス停の名前として残されています。
ということはもしかして・・・、
そう、電柱にもこうして残されています。
これは貴重ですよね。
こちらの眼鏡屋さん、外観から察するに、元は某コンビニだったんだろうなあと思いますが、それよりも以前、古い住宅地図によると、ここには、炭鉱の生活協同組合の小さな売店があったそうです。
そのお隣のパチンコ屋さん。
ここには、生協売店の本店があったそうです。
パチンコ屋さんの並び、写真右側の住宅街には、その生協の本部や、主婦会館などの施設があったそうです。
小路に入ってみました。
数は少ないですが、小さな居酒屋やスナックが軒を連ねています。
この辺りは、炭鉱の社宅も多く、通称「下町」と呼ばれて賑わった場所で、他にも炭鉱従業員のための福利厚生施設なんかも多くあったそうです。
ということは、この小さな飲食店街も、当時、炭鉱従事者の社交場として賑わった場所なのかなと思ったのですが、当時の住宅地図を見ると、この辺りは、本屋さんやパン屋さん、精肉店や青果店などがある、ごく普通の商店街だったようです。
私が閲覧した住宅地図は、まだ駅があった頃のものなので、それよりも後に現在のような並びになったということなのですね。
炭鉱の企業城下町のような地域だったことに着目すると、自然と、社交場だったのではないかということに思いを馳せてしまいますが、そういうことではなかったのかもしれませんね。
調べながら歩いてみると、色々なことが見えてきて面白いものです。
(旧「永住町」駅はこの辺り)