北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

蝦夷富士を望む道の駅

2024-04-07 16:24:57 | 小樽・後志地方

 

今回の引っ越しでは4月3日に札幌を発ちましたが、高速道路を使わないと片道6時間という長丁場になるので、途中何か所かで休憩を取りました。その中の一つの道の駅を紹介します。

それが、北海道で唯一、日本全国でも二つしかないカタカナ表記の自治体名である、リゾート地として有名な「ニセコ町」の「道の駅 ニセコビュープラザ」です(もう一つのカタカナ表記の自治体は、滋賀県の「マキノ町」)。

 

 

「ビュープラザ」の「ビュー」とは、「蝦夷富士」の別名を持つ「羊蹄山」ですが、その絶景は最後に載せることとして、せっかくなので、道の駅全体の紹介から。

この道の駅は、平成9年(1997年)の登録という、北海道内の道の駅では歴史あるもので、同27年(2015年)には、地域活性化の拠点として、特に優れた機能を継続的に発揮していると認められる、「重点道の駅」に選定されています。

近年、このニセコ町や隣接する倶知安(くっちゃん)町のエリアは、リゾート目的の外国人観光客で大きな賑わいを見せていることから、リゾート地における滞在型観光の拠点としての機能と、地域の基幹産業である観光と農業とを結びつける場としての役割が高く評価されているそうです。

 

 

多くの道の駅にある、情報提供コーナーへ。

 

 

中は物販スペースとなっています。

 

 

そしてその一角には観光案内所も。

 

 

ニセコ町はワインの名産地として知られ、スパークリングワインの原料となるブドウを栽培し、隣接する醸造所でワインを加工する生産システムを採っている「ニセコワイナリー」の商品が人気となっています。

 

 

 

そして、この道の駅のもう一つの役割である、農業をPRするコーナー。

 

 

 

 

 

町のHPによると、ニセコ町では、町内の約150戸の農家により、水稲、馬鈴薯をはじめとした、さまざまな農産物が生産されていて、町内で収穫された農産物は、道内はもとより道外各地へ出荷されるなど人気となっています。

 

 

飲食コーナーもあります。

せっかくなので、やはりこちらを利用しましょうということで。

 

 

 

町内の「高橋牧場」さんという牧場の牛乳を使用しているソフトクリーム。

やっぱり私はこの味が好きだなということに改めて思い至りました。

函館周辺でも美味しいお店をどんどん開拓していこうと思います。

 

 

 

そして最後に、道の駅のなまえの由来にもなっている「羊蹄山」の絶景。

「羊蹄山」は、標高1,898mの円錐形の成層火山で、富士山によく似たその姿から「蝦夷富士」と呼ばれて親しまれています。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽市総合博物館~2~

2023-09-29 19:45:03 | 小樽・後志地方

 

「小樽市総合博物館」の続き。

敷地内には、鉄道ファン垂涎の、懐かしい車両が多数保存されています。

 

 

 

この車両も懐かしいですね。

かつて鉄道少年だった頃の記憶が蘇ってきます。

 

 

 

これもまた懐かしい車両。

「急行」という響きも懐かしいです。

 

 

 

「室蘭行」だったこの急行「ちとせ」。

乗った記憶はないけれど、名前は覚えています。

現在、室蘭~札幌間を走っている特急「すずらん」の前身となる列車で、平成4年(1992年)6月末まで同区間で運行されていました。

 

 

「郵便車」というのがあったんですね。

列車が物流の代表格だった時代の象徴でしょうかね。

 

 

一番「懐かしい!」と思ったのが、この、特急「北海」。

現在、函館~札幌間を、太平洋側の室蘭~苫小牧経由で運行されている「北斗」という特急がありますが、この「北海」は、同じ区間を、倶知安~小樽という山側経由で運行されていました。

小学生の頃持っていた鉄道関連の本に、「距離は(北斗より)短いのに、時間がかかる」と紹介されていたのをよく覚えていて、道南の八雲町に住んでいたとき、一度だけだったと思うけど、乗ったことがあります。

 

 

 

 

列車の他には、このような碑も。

 

 

 

刻まれているのは、数字の「0」でした。

ここが、北海道の鉄道の歴史の起点であることが表示されています。

 

 

客車を牽引するための車両。

これも色々な系統の車両があって、小学生の頃、誌上で楽しんだのが懐かしいです。

 

 

これは、昔の車掌車でしょうか。

 

 

「オエ」って初めて聞きました。

どういう車両でしょう?

 

 

人が休憩できるような設備が揃っていますね。

 

 

これは・・・、線路の枕木?

 

 

「救援車」ですか。なるほど、「オエ」とは「オウエン(応援)」の略なのかな。

 

 

 

 

 

これも作業用車両のようですね。

様々な作業を、作業員一人一人が手作業でやっていた時代の苦労を後世に伝える施設ということなのでしょう。

 

 

 

郵便とはまた違う「荷物」のための車両。

今でいう「宅配便」のことなのでしょうか。

旧国鉄の時代には、「チッキ」という荷物配送事業があったと聞いたことがありますが、それにも使われていたのかな。

 

 

二回に分けて紹介しましたが、本当に、日本全国の鉄道ファン垂涎の懐かしい車両が揃っていると思います。

小樽駅からは少し離れているけれど、観光地として人が集まるエリアの一角ではあるので、ここを目指してくる鉄道ファンも多いのでしょうね。

 

 

さて、全然話は変わりますが、今日から明後日まで、「HTB秋の大感謝祭」が開催されています。

今日は14時から休暇を取ったので、HTBのある「創世スクエア」の会場にお邪魔してきましたが、今日で「イチモ二!」を卒業した室岡里美アナが会場にいて、少しだけど会話をさせていただきました。

その辺は後日詳しく触れます。

明日は「サッポロファクトリー」の会場へ行ってくる予定です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽市総合博物館~1~

2023-09-28 20:17:08 | 小樽・後志地方

 

小樽市内、小樽運河などの観光の中心地から少し離れた所にある「小樽市総合博物館」。

以前から一度行ってみたいと思っていた場所の一つです。

 

 

 

早速ですが、この像は一体・・・?

 

 

北海道の鉄道史を勉強したことがある人なら、恐らく誰でも知っているであろう、「ジョセフ・クロフォード技師」の像。

明治時代に、所謂「お雇い外国人」として来日したアメリカ人で、南北戦争で北軍に従軍した後、鉄道会社に就職。明治11年(1878年)に来日し、帰国するまでの三年間、官営幌内鉄道の手宮~札幌間の鉄道敷設工事を指導した功績を残しています。

 

 

「開拓之先駆」と書かれていますが、北海道の鉄道史にその名を刻む、偉大なる先駆者ということなのです。

 

 

正面から入場。

明るく開放感あるロビーです。

 

 

せっかく改札口があるのだから、昔懐かしい検札でもと思うのは私だけでしょうか?

 

 

何が展示されているかというと、主に歴史ある鉄道の資料です。

 

 

 

「しづか号」と呼ばれたこの車両は、「7100型蒸気機関車6号機」という車両で、先述した幌内鉄道の開業に当たり、クロフォードの母国であるアメリカから輸入された蒸気機関車です。

昭和37年(1962年)に、現在のこの博物館に移管されて「準鉄道記念物」となり、平成22年(2010年)には「鉄道記念物」となっています。

この「鉄道記念物」というのは、私も初めて聞きましたが、昭和33年(1958年)に旧国鉄が制定した、鉄道に関する歴史的文化的に重要な事物等を指定して保存、継承するための制度、あるいはその制度により指定された事物等のことだそうで、その五年後には、地方的に重要な事物等を指定する「準鉄道記念物」というのも制定されています。

 

 

外へ出てみました。

これまた懐かしい車両です。

 

 

 

 

「ラッセル車」よは、車両の前方に排雪板(ブレード)を装着し、進行方向の片側もしくは両側に雪を掻き分ける車両のことで、雪が少ない地域や豪雪地域の初期除雪に活躍する車両です。

ドカ雪が降ると太刀打ちできないそうなので、これによる初期除雪がいかに大切かということが分かります。

 

 

大きな機関車庫の中には、これまたSLの姿が。

 

 

「大勝號」というこの車両は、明治28年(1895年)に「北海道炭礦鉄道」が製造したもので、「大勝」という名前は、同年の日清戦争の勝利を記念しているものです。

 

 

 

敷地内では、こんな風に、お客さんを乗せて走っている車両もあります。

「アイアンホース号」というそうです。

 

 

 

 

これは幌内鉄道当時の駅名標なのかなと思いましたが、どうやらそうではなく、アイアンホース号が停車する博物館敷地内の駅の名前のようです。

 

 

大きな機関車庫の全景。

 

 

 

 

転車台が残されています。

 

 

 

アイアンホース号が、転車台によって向きを変えられ、機関車庫に戻っていきます。

 

 

なるほど、国内最古の機関車庫なんですね。

重要文化財に指定されているのも頷けます。

 

 

「機関車庫三号」をはじめとする、重要文化財に指定されている「旧手宮鉄道施設」の表示板。

明治~大正時代に建設された機関車庫、転車台、貯水槽、危険品庫、擁壁は、北海道の近代史、産業史を考える上で特別な遺産とされています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽住吉神社~3~

2023-09-24 16:32:49 | 小樽・後志地方

 

「小樽住吉神社」参道の第三鳥居。

最後の鳥居だけど、御社殿はまだまだ先に見えます。

 

 

 

お立ち寄り - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

もうすっかりおなじみになりました「札幌諏訪神社」。一か月半ぶりの訪問になります。最近、あちらこちらの神社で見られるようになった「茅の輪」。先週、「イチオシ!!」の...

goo blog

 

 

今年、幾つかの神社で見てきた「茅の輪」。

せっかくなのでくぐってきましたが、↑の記事にもあるとおり、「疫病退散」や「無病息災」の祈願が目的ということだったとうことは、正にこの神社でくぐってこそ御利益があるのかなと思いました(その意味は昨日の記事をご参照ください)。

ただ、帰宅してから調べたところ、神社によってくぐり方に違いがあるようです。↑の記事を見ながら、札幌諏訪神社と同じくぐり方をしてきましたが、果たしてそれで良かったのかどうか・・・(ちょっと不安)。

 

 

 

参道にある人物像。

どういう人物なのかな・・・。

 

 

「松川嘉太郎」という人物。

明治23年(1890年)現在の福井県三国に生まれ、同40年(1907年)に北海道にやってきた人物で、33年という長期間に亘って小樽商工会議所議員を務め、第二次世界大戦後には 会頭となって、小樽の経済復興に奔走し、今日の繁栄の礎を築いたという功績があるそうです。

 

 

一昨日の記事で書きましたが、現在の小樽住吉神社に御神体が到着し、御鎮座祭りが執り行われたのが、明治元年(1868年)。

それから150年経った、平成30年(2018年)に執り行われた鎮座150年祭記念事業の碑が、こうして大きく残されています。

記念事業の一環として、参道階段の改修(冬期間のロードヒーティング化も含む)も行われ、季節を問わず、多くの人がより参拝しやすい環境の整備が行われたそうです。

 

 

「建国記念の日碑」。

この日は、神武天皇を祀っているする樫原神宮(奈良県)の例祭の日になっていますが、各地の神社でも紀元祭を祝い、神武天皇の偉業を偲ぶ取り組みが行われています。

 

 

全国各地の神社で人気となっている「花手水」が、こちらの神社にもありました。

 

 

 

 

 

昨年度、コロナ禍にありながらも行動制限が徐々に緩和されたのを受け、小樽を訪れる観光客の数も、対前年度比152.9%の406万5,000人にまで回復してきたそうです。

遠くから「そうだ、小樽へ行こう」と思い立ってやって来た観光客が、この神社に立ち寄って、幸せに繋がる何かを掴み取って帰る。とても素敵なことだと思います。

 

 

「子宝いぬ」という石碑。

 

 

これも同じような石碑が幾つかの神社にありますが、私が行ったときも、一組の若いご夫婦が、親犬と子犬の頭を撫でて祈願をしていました。

 

 

子宝祈願の次は、生まれた子供の成長の祈願。

「子は国の宝」とあるとおり、本来の目的はそっちなんでしょうけど、190㎝まで想定しているということは、大人が前に立つのもありということなのでしょうかね(因みに私は169cmです)。

 

 

そして、ようやく御社殿に到着。

昭和46年(1971年)に改築され、現在の姿となっています。

 

 

参拝をしつつ、中を少し拝見。

 

 

社殿から、ここまで登って来た参道を振り返ると、こんな素敵な眺めになります。

この日もまあまあ晴れていましたが、快晴の日は、海の青さも良く見え、絶好の写真スポットとなるそうです。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽住吉神社~2~

2023-09-23 16:39:20 | 小樽・後志地方

 

「小樽住吉神社」散策の二回目。

参道の途中にある第二鳥居から。

 

 

御社殿へ向かう途中、向かって左側にある建物に注目しました。

 

 

正面の造りからして歴史が感じられましたが、小樽市の歴史的建造物に指定されているそうです。

 

 

「悪疫退散」の祈願ということは、ひょっとして、コロナ禍真っ只中のときは、この祈願に訪れる人が多かったのでしょうかね。

 

 

神社の御守や御朱印に用いられているという、写真の四隅に描かれているデザイン。

私は御朱印集めはしていませんが、デザインに込められた意味を考えながら集めて回るのも、楽しみの一つなのではという気がします。

 

 

社務所の入口はこちらです。

 

 

 

最近増えてきている、電子式の案内システム。

外国語対応にもなっています。

 

 

 

函館や釧路、札幌の円山公園でも見たことがありましたが、「包丁塚」が設置されています。

 

 

料理人の魂が眠る場所 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

函館駅から徒歩で10~15分程歩いた所にある「大森稲荷神社」。92年に初めて一人旅で函館に来て、ここの近くにあるホテルに泊まった時からずっと気になっていたことを...

goo blog

 

 

 

包丁塚 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

釧路に来てもうすぐ二年(通算では五年だけど)。週末や休日には市内や近郊を回って写真を撮ったり、その場所について調べたりしていますが、写真を撮ったままにして、この...

goo blog

 

 

 

園内にて - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

先日、「北1条通」を北海道神宮へ向かって散歩した際、神宮に隣接する「円山公園」にもちょこっと寄っていました。そのときに撮った写真を何枚か。この「岩村通俊」は、「...

goo blog

 

 

因みに、「包丁」という名前は、中国において、「調理場で働く人」を意味していた「庖丁(ほうてい)」から来ているそうで、魏の時代に、牛一頭を見事な刀捌きで素早く解体した庖丁の腕前に、恵王という王が深く感銘を受けたことから、その料理刀のことが「庖丁」と呼ばれるようになり、やがて日本に伝わってきた際に、表記が「包丁」となり、日本の読み方として、「ほうちょう」と呼ばれるようになったのだそうです。

 

 

包丁塚の横には、小さな赤い鳥居が連続して建立されています。

 

 

私も二十年前に行きましたが、京都の伏見稲荷大社を思い起こさせます。

 

 

これは、平成30年(2018年)に、鎮座150年の節目の年として記念事業で建立されたものだそうで、「家内安全」「商売繫盛」の願いが込められているそうです。

 

 

第三鳥居へ到着。

その先には、今年幾つかの神社で見てきた「茅の輪」がありました。

 

(「茅の輪」の由来とくぐり方)

 

お立ち寄り - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

もうすっかりおなじみになりました「札幌諏訪神社」。一か月半ぶりの訪問になります。最近、あちらこちらの神社で見られるようになった「茅の輪」。先週、「イチオシ!!」の...

goo blog

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする