北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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釧路駅物語

2018-11-30 18:50:21 | 釧路&釧根地方
早いもので11月も終わり。
今日は用事があって午後から休暇を取ったのだけど、その用事をこなしたら、何故だか疲れがどっと出てしまった。
何とか回復したけど、明日から土日なので、今夜はゆっくり休みます。

当たり前だけど、今日で11月が終わりということは、明日から12月。
12月最初の日は、よほどのことがない限り記事の話題は固定なのだけど、その前に、今日11月最後の日に関する話を一つ。





おなじみJR釧路駅。
明治34年(1901年)に釧路~白糠間の鉄道が開業し、現在の駅の前身である「釧路停車場」が開業しましたが、その釧路駅が現在地に移転したのが、大正6年(1917年)の、今日11月30日だったのです。





「釧路停車場跡」の碑が残る「釧路市交流プラザさいわい」








その向かいにあるNTTの社屋。
以前一度紹介していますが、「釧路停車場」は、この位置にありました。

釧路~白糠間の開業から16年、その間、釧路は旭川や札幌と鉄道で結ばれ、大正6年(1917年)12月1日に釧路~厚岸間が開業したのを機に、釧路駅は現在地に移転しましたが、現在地への移転に当たっては、各方面から色々と反対の声が挙がっていたようです。





「幣舞公園」から見た釧路駅方面。





釧路中心部のメインストリートである「北大通」。





その「北大通」は、釧路駅で終わり。
釧路駅の向こう側には白糠~帯広方面へ続く道が整備されていますが、現在駅と鉄道によって分断されているその道が、それまでは一本の道で結ばれていたことから、それが分断されることに対する猛反対の声が挙がったことは、想像に難くありません。
また、釧路駅の現在地は湿地であったことから、建築技術者の間でも反対の声が挙がっていたそうです。
しかし、この現在地は、当時の釧路町(大正11年(1922年)に釧路市となった)の中心部であった、幣舞橋よりも向こうの「橋南地区」から遠く、隣接する旧鳥取町(当時は鳥取村)との境界近くでもあったことから、市街地の発展ということを考えると、隣接する村との境界近くに駅を移転させ、そこに向けて発展させていくのがよいとの結論に達したことから、移転が決定したとのことです。
なるほど、突き詰めていけば、釧路市が旧鳥取町とが合併する前だったからこその話だったんですね。
(釧路駅の現在地はこちら。)




最後に、「釧路市交流プラザさいわい」前の歩道に、このようなものを見つけました。
なかなか気付かれないかもしれないけれど、釧路の歴史の一端に触れられる場所として、大切にされていってほしいと思います。
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来年のカレンダー

2018-11-29 19:17:00 | 函館



久しぶりの「函館」カテゴリの更新。
来年のカレンダーは、またこれを買おうと決めてました。

早いもので、函館を離れて8ヶ月。
ニュースとかで函館の映像が流れる度に懐かしくなり、知っている場所が映ると、そこに関する思い出が頭を過ぎったりすることもしばしば。
釧路から函館となると、何年か前までは直行便が飛んでいたのだけど、廃止になってしまった今は、JR、バス、自家用車どれで行くとしても相当な労力になってしまい、3連休ぐらいでは行ってすぐに戻ることを余儀なくされるので、今年はちょっと二の足を踏んでいたけれど、来年はGWが黙ってても10連休なので、日程は未定だけど、必ず行こうと決めています。
それまで、そしてそれ以降も、このカレンダーや、函館に関する本などで、色々なことを思い出しながら過ごして行きたいと思います。

季節は冬になったけれど、今シーズンの函館は雪はどうでしょうね・・・。
幾らなんでも、昨シーズンのようなドカ雪はないことを願ってますが、昨シーズン、一昨シーズンと二年続けて、1月10日過ぎに三日連続くらいでドカ雪が降ったので、二度あることは三度あるで今シーズンもまたその時期に・・・なんてことにはなりませんように。
(今年1月12日のドカ雪の模様はこちら。)
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いつも緑の園

2018-11-28 20:09:46 | 釧路&釧根地方



「MOO」と一体になっている「EGG」という施設。
「Ever Green Garden(いつも緑の園)」の頭文字を取った、日本初の総ガラス張りオールシーズン対応の屋内型緑地です。
十年以上前に紹介したことがあったのだけど、さらっと触れた程度だったので、あらためてご紹介します。





先程の入口は二階になっていて、入ると、まずはこうした通路が。








一階に下りると、このように、一面の緑だったり、小さいけれど人工の水路などが、訪れる人を優しく迎えてくれます。
オールシーズン対応ということで、中はこの季節でも常に暖かく、その暖かさと、植物の優しい香りが相まって、大変心落ち着ける場所となっています。








ここで紹介したいと思ったのは、釧路市と姉妹都市提携を結んでいる鳥取市との友好の印として植樹されている梨の木。
昭和38年(1963年)に姉妹都市提携が行なわれていまして、両市の結びつきのきっかけとなる出来事はこちらをご覧いただければと思いますが、鳥取市は、先日「ブラタモリ」で触れられたこともあり、今現在、これまで全国各地を旅してきた中で、また行きたいと思っている場所の上位になっています。
もしかすると、向こうでも、釧路市との結びつきに関する何かが見られるかもしれません。
(2007年の鳥取旅行記はこちら。)








釧路市と姉妹都市提携を結んでいる自治体は、日本国内にはもう1つあって、それが、秋田県の湯沢市。
戦前から、米、ワラ工品、木工品の移入などを通じて経済的な交流があったところから、鳥取市と同じ昭和38年に姉妹都市提携を行いました。
夏の風物詩である、「七夕絵どうろうまつり」というイベントには、毎年釧路市長賞が贈られているそうです。

因みに、先日自宅で、昔よく読んでいたクイズの本を読み返していたところ、「姉妹都市」は、英語でも、そのまま「sister city」というそうです。
「『姉妹都市』は、英語でも『シスター・シティ』という。YESかNOか?」という問題なのだけど、さらっと問題文を読まれると、「それじゃあまりにもそのまんま過ぎるんじゃないの?」という思いが働いて、NOを選択してしまいそうになりますが、そういう心理に上手くつけ込んだ問題だなと思います。





1階のこの通路で、外に出ることなく「MOO」と接続していますが、開業時間帯が異なるので、その点は注意が必要かと思います。
(「EGG」の方が、「MOO」よりも早く開き、閉まるのも遅い。)
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海は私達の憩いの場

2018-11-27 19:38:04 | 釧路&釧根地方



幣舞橋の袂、釧路川の河口付近にある「釧路フィッシャーマンズワーフ MOO」。
平成元年(1989年)7月にオープンした複合型施設で、釧路観光には欠かせない、人気の高い場所となっています。

「MOO」とは、「Marine Our Oasis(海は私達の憩いの場)」の頭文字を取ったもので、「ムー」という発音は、釧路の霧(む)と夢(む)をイメージするものとして、公募により決定されました。





「MOO」には、キャッチフレーズとも言える副名もあり、それが、この「タノ ウマ ベイ」という名前。
「楽しい」の「タノ」、美味いの「ウマ」、それに港の「ベイ」を合わせたもので、考案者は、コピーライター糸井重里さんの考案によるものです。

私が初めてここに来たのは、用事があって釧路に来た、高校3年生だった平成3年(1991年)の12月。
そのときにこの名前を見て「何だろうこれ?」って思ったのを今でも覚えています。








1階は、主に物販ゾーンとなっています。
お菓子や海産物関連などが多く、私も何度も利用しています。





奥には、市場も設置されています。
「和商市場」と同様、新鮮な海産物を求める観光客や地元の人達で賑わっています。





市内に何箇所かある「なつかし館 蔵」という、小さな郷土資料館的な施設。
釧路駅構内にあるお店と同じく、古き良き時代の映画のポスターが多数掲示されています。





ここは、「おやき」(関東では「今川焼」と呼ばれるあのお菓子」)が名物になっていて、以前から興味があったのだけど、今回、記事用に散策した機会を利用して購入。
因みに、たい焼きもあります。なので、今度行くときはたい焼きを買ってみます。
(おやきは120円、たい焼きは140円です)











2階には「観光交流コーナー」というのがあり、釧路根室管内の観光パンフレットが多数用意されています。





こちらは、釧路でロケが行われた映画をはじめとする、芸術作品に関する施設の展示スペース。
映画については、「くしろ検定」の学習材料にもなっているので、自分の中である程度纏めた段階で、ロケ地巡りでもしてみようと思っています。





1階の片隅には、都市間バスの待合スペースがあります。
札幌、旭川などへの高速バスのほか、釧路空港連絡バスの起点にもなっており、空港連絡バスは、前回住んでいた三年間、釧路駅前ターミナルの方が近かったにも関わらず、(何故だか)常にここから乗っていました。

これらの他、3階より上は、飲食店や行政施設、健診センターや多目的アリーナなどがあります。





幣舞橋を渡って反対側から一枚。
これは鶴なのかな・・・。
私には何となく、「仮面ライダー」のショッカーのマークに見えなくもないような・・・。(苦笑)





夜になるとこうなります。
ライトアップが水面にも反射して、とても幻想的です。


(「釧路フィッシャーマンズワーフ MOO」の詳細はこちらを。)
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岩とプラネタリウムと・・・

2018-11-26 20:30:00 | 釧路&釧根地方
春採湖散策の際、ちょっと(かなり長く?)散策路を外れて寄り道をした中で、気になったものを纏めてみました。





追って紹介しますが、春採湖を見下ろす高台の上には「釧路市立博物館」があり、その側に、何やら面白そうな場所を見つけました。
「ロックガーデン」。まんま直訳すれば、岩とか石に関する庭なんでしょうね。





釧路周辺の岩石なのかなと思ったら、そうではなく、広く道内各地で採取された岩石なんですね。
いや、何を思ったかというと、もし「ブラタモリ」が釧路に来るとしたら、タモリさんの大好物である石が沢山見られる場所ということで、ここは外せないのかなということなのだが、釧路周辺で採れる岩石だけならその可能性は大いにあるけど、道内各地から集めたんじゃ、そうもいかないかな・・・。
でも、春採湖周辺の高台と、そこに繋がる米町などの「橋南地区」をブラブラすることで、釧路の町や地形の成りたちなどに触れる内容にすれば、きっと見どころも沢山出てくるだろうと思うので、ぜひ来年は道東に来てほしいですな。





私は岩石には全くもって疎いので、写真だけで雰囲気を感じていただければと思います。














「ブラタモリ名物」の一つと言ってもいい、安山岩がありました。
北海道のどこで採取されたものなのでしょう・・・?





散策路から博物館へ向かって上って行く道の途中に、小さな東屋がありました。





「望湖亭」。
なるほど春採湖を眺めながらゆっくりのんびり休憩するための場所ということなんですね。





釧路市内にある歌碑とか句碑というと、どうしても石川啄木関連が主体になってしまいますが、町歩きをしていると、あまり知られていない人物の歌碑や句碑も沢山建立されていることに気付かされます。
これは、釧路出身の「久保洋青」という人物の「阿免(あめ)ひそか奈ればみどり能おく知れず」という句を刻んだ碑。
久保洋青は、昭和21年(1946年)に「えぞにう」という雑誌を主宰して、道東における郷土俳句を提唱し、同48年(1973年)には「釧路市文化奨励賞」を受賞した人物で、昭和51年(1976年)に亡くなった後、同59年(1984年)11月18日に、その流れを汲む「えぞにう社」が、この句碑を建立したものです。
「くしろ検定」のテキストや町歩きガイドブックにも載っていないけれど、さらっとでも調べていけば、よい学習になると思いました。





最後に、大いに気になった建物を一つ。
これは、現在は閉館して別な施設に継承されている「釧路市青少年科学館」の建物なのだけど、左側にあるドーム状の部分は、プラネタリウムとして使われていたもの。
この外観を見て、「そうだよなあ、やっぱりこういう外観を見ると、プラネタリウムを想像しちゃうよなあ・・・。」と真っ先に思いました。
何ゆえそんなことを思ったかというと、話は六年前に遡って。





こちらの建物がどういう建物であるかは、こちらの記事をご覧いただければと思いますが、こんな風にドーム状の部分があるのを見ると、真っ先に思い浮かぶのはプラネタリウムですよね。
旧青少年科学館の建物を見て、真っ先にプラネタリウムを想像した自分の感覚は決しておかしくはなかったと安心(?)しました。
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