「下北サンデーズ」で描かれた役者論。
★役者は言葉のキャッチボールをする。
会話は言葉のキャッチボール。
強い言葉をかけられれば、強く返す。
やさしくかけられれば、やさしく返す。
変な球を投げられれば、こちらも変な球で返す。
八神(石垣佑磨)にキャッチボールをしながら教えられる里中ゆいか(上戸彩)。
田舎の旅館で育てられたゆいかは他人との会話の仕方をあまりして来なかった。
だからゆいかの会話は、いつも肩に力の入ったストレート。
緩急もなければ、変化球もない。
そんなゆいかが会話とは何かを学んだ。
キャッチボールをしながら、会話の楽しさを知る。
八神とのキャッチボールが楽しかったように会話が楽しいものであることをゆいかは知った。
ゆいかにとってはさらに新しい世界が開けた瞬間だったろう。
★役者は距離を考える。
第2話でも空間の取り方のレッスンがあったが、役者は相手との距離で物事を表現する。
他人といて安心できる距離。
この距離が縮まれば、緊張が生まれる。
その緊張感で怒りや必死な思いなどの様々な想いを表現できる。
会話と同様、ゆいかは他人との距離をどのようにとっていいかわからなかった少女。
サンデーズに入るまではかなり距離をとって過ごしてきた様だ。
逆にサンデーズでは近すぎるぐらいの距離。
両極端。
状況に応じて距離をとることを覚えたゆいか。
これも彼女の大きな進歩。
★役者は感じたことを表現する。
役者はその場で感じたことを的確に表現する。
役になり切るとはそういうことだ。
演じる役に与えられた状況の中で、感じたことを表現する。
楽しいシーンであれば心から笑い、悲しければ心から泣く。
演技とは決して作るものではない。演じるものではない。
舞台で自分が感じたことを表現するだけだ。
だから役の感情が的確に表現されている台本は、役者が演じやすい優れた台本といえる。
ゆいかは今まで感情を表現して来なかった少女。
何でも数字で把握してきた少女。
そんな彼女がサンデーズの芝居を見て爆笑し、サンデーズに入り練習がつらくて号泣した。
ゆいかは感情を取り戻した。
理屈・理論とは180度違う世界。感情生活の復活。
これも彼女の大きな進歩。
これらの進歩を遂げたゆいかの見る世界は実にきらきらしたものであろう。
今まで感情のない世界にいただけにそれは尚更だ。
だからキャバクラのステージに立った伊達千恵美(佐田真由美)が輝いて見える。
希望溢れるアイドルから落ちぶれたと思っている千恵美。
しかし、ゆいかにはたくさんの男性を楽しませ癒している素晴らしい存在に見える。
そう語るゆいかに千恵美は今回救われた。
今回語られた役者論。
だが、この役者論は役者だけでなく、普通の人にも当てはまる。
言葉のキャッチボールを楽しみ、他人との距離でいろいろなものを表現し、状況で何かを感じ、感じたことを的確に表現する。
そんな人間になれたらどんなに幸せだろう。
このドラマの優れている所は、主人公をこうした役者論・演劇論で表現していることだ。
今後、ゆいかが人間として役者として、どんなふうに成長していくか楽しみだ。
★追記
1
ノルマの芝居のチケット代・10万円。
これをゆいかは大学の友人に借りてしっかりクリアした。
普通なら10万円のチケットを売るための奮闘ぶりをドラマにするところだが、この作家はそんなことには興味がないらしい。
実にドライでクールだ。
2
ゆいかがバイトを始めたラーメン屋の親父たち。
魂はパンク・ロック。
こういう親父たちは見ていて楽しい。
ゆいかがバイトをしたいと思った志望動機はいれずみに親しみを感じるから。その親しみを感じる理由は、ゆいかの祖父・里中富美男(北村総一朗)の背中の大きなほくろと同じだから。
ちなみに祖父・登美男は三度笠を被って東京にやって来た。
登美男もある意味パンク。
こういう親父たちがどんどん増えてくれるといい。
3
古田新太さんは、たった一言で存在感を示せる。
今回はサンデーズのランニングの時のかけ声にぽつりと言う。
「世田谷代田の立場がないじゃん」
非常にローカルなネタだが。
4
ゆいかのキイワード「未熟だ」は今回も登場。
彼女は心から自分は未熟だと思っている。
自分を未熟だと思っているから、向上心がある。まわりの劇団員をすごいと思える。
「未熟だ」は実にいい言葉だと思った。
5
2.2チャンネル、ロックな給料袋、真菌研究会、切手研究会、シャラポア研究会(第1話)、腕を突き上げたあくたがわの拳が梁に当たる、この作品はディティルも楽しめる。
実にマニアックな作品だ。
★あらすじ(公式HPより)
下北沢のボロアパートに越してきたゆいかは、ビンボー暮らしに戸惑いながらも、徐々にその空気に馴染み始める。そんな中、サンデーズの舞台は盛況の内に千秋楽を迎え、初舞台となったゆいか(上戸彩)も「黒子役」として評判を呼んでいた。ただ、看板女優を自負する千恵美(佐田真由美)だけは、そんなゆいかの人気に複雑な感情を抱いていた。
公演を終えた夜、あくたがわ(佐々木蔵之介)から次回公演が急遽3週間後に決まったと発表される。初めて駅前劇場で公演を打てることになり、団員たちは大喜び。新作の成功に向けて士気を高める。
身も心も下北演劇界にどっぷり浸かり、一刻も早く一人前になりたいと決心したゆいかは、実家からの仕送りをストップさせ、眠眠亭でアルバイトを開始。いっぽう、あくたがわは、駅前劇場での新作公演で、人気と才能を開花させつつあるゆいかを、主役級の役どころで起用することを考えていた。そして、一人の女性の現在と過去を対比させることで時間の残酷さを描く新作「サマータイム・ストレンジャー」を完成。それは、千恵美の今の状況にも通じる設定で、現在の主人公を千恵美が、少女時代の主人公をゆいかが演じるというものだった。まだ研究生のゆいかには荷が重い役であることは明白だが、あくたがわの強い後押しを受け、ゆいかは体当たりで演じることを決意する。
大役を引き受け、課されたチケットノルマもクリアしたゆいかだったが、予想以上の難役に四苦八苦。千恵美から厳しい言葉を浴びせられて落ち込むが、八神(石垣佑磨)からの的確なアドバイスに光明を見い出し、翌日の稽古で早速心機一転の演技を披露。再び団員たちの信頼を取り戻すのだった。
その後、千恵美が昔アイドルをしていたことを知ったゆいかは、純粋な気持ちからそのことを本人に話す。しかし、千恵美にとってその過去はパンドラの箱で、むしろ鳴かず飛ばずのアイドル時代を経て、今の自分には小劇団の舞台しか残されていないという事実は、トラウマでしかなかった。
そんな心の傷に触れられた千恵美は、「今の私の本当の姿を見せてあげる」とゆいかをアルバイト先のキャバクラに連れて行き、「芝居が好きで、どんなに惨めでもやめられない」という本音を吐露。それを聞いたゆいかもまた、千恵美が憧れの存在であること、自分も芝居が好きで千恵美と同じ舞台に立てるのがうれしいことなどを、真っ直ぐ言葉でぶつける。そうして互いの気持ちを理解し合った2人は、かつてない強い絆で結ばれ、新作公演の開幕に向け稽古に打ち込むのだった。
★役者は言葉のキャッチボールをする。
会話は言葉のキャッチボール。
強い言葉をかけられれば、強く返す。
やさしくかけられれば、やさしく返す。
変な球を投げられれば、こちらも変な球で返す。
八神(石垣佑磨)にキャッチボールをしながら教えられる里中ゆいか(上戸彩)。
田舎の旅館で育てられたゆいかは他人との会話の仕方をあまりして来なかった。
だからゆいかの会話は、いつも肩に力の入ったストレート。
緩急もなければ、変化球もない。
そんなゆいかが会話とは何かを学んだ。
キャッチボールをしながら、会話の楽しさを知る。
八神とのキャッチボールが楽しかったように会話が楽しいものであることをゆいかは知った。
ゆいかにとってはさらに新しい世界が開けた瞬間だったろう。
★役者は距離を考える。
第2話でも空間の取り方のレッスンがあったが、役者は相手との距離で物事を表現する。
他人といて安心できる距離。
この距離が縮まれば、緊張が生まれる。
その緊張感で怒りや必死な思いなどの様々な想いを表現できる。
会話と同様、ゆいかは他人との距離をどのようにとっていいかわからなかった少女。
サンデーズに入るまではかなり距離をとって過ごしてきた様だ。
逆にサンデーズでは近すぎるぐらいの距離。
両極端。
状況に応じて距離をとることを覚えたゆいか。
これも彼女の大きな進歩。
★役者は感じたことを表現する。
役者はその場で感じたことを的確に表現する。
役になり切るとはそういうことだ。
演じる役に与えられた状況の中で、感じたことを表現する。
楽しいシーンであれば心から笑い、悲しければ心から泣く。
演技とは決して作るものではない。演じるものではない。
舞台で自分が感じたことを表現するだけだ。
だから役の感情が的確に表現されている台本は、役者が演じやすい優れた台本といえる。
ゆいかは今まで感情を表現して来なかった少女。
何でも数字で把握してきた少女。
そんな彼女がサンデーズの芝居を見て爆笑し、サンデーズに入り練習がつらくて号泣した。
ゆいかは感情を取り戻した。
理屈・理論とは180度違う世界。感情生活の復活。
これも彼女の大きな進歩。
これらの進歩を遂げたゆいかの見る世界は実にきらきらしたものであろう。
今まで感情のない世界にいただけにそれは尚更だ。
だからキャバクラのステージに立った伊達千恵美(佐田真由美)が輝いて見える。
希望溢れるアイドルから落ちぶれたと思っている千恵美。
しかし、ゆいかにはたくさんの男性を楽しませ癒している素晴らしい存在に見える。
そう語るゆいかに千恵美は今回救われた。
今回語られた役者論。
だが、この役者論は役者だけでなく、普通の人にも当てはまる。
言葉のキャッチボールを楽しみ、他人との距離でいろいろなものを表現し、状況で何かを感じ、感じたことを的確に表現する。
そんな人間になれたらどんなに幸せだろう。
このドラマの優れている所は、主人公をこうした役者論・演劇論で表現していることだ。
今後、ゆいかが人間として役者として、どんなふうに成長していくか楽しみだ。
★追記
1
ノルマの芝居のチケット代・10万円。
これをゆいかは大学の友人に借りてしっかりクリアした。
普通なら10万円のチケットを売るための奮闘ぶりをドラマにするところだが、この作家はそんなことには興味がないらしい。
実にドライでクールだ。
2
ゆいかがバイトを始めたラーメン屋の親父たち。
魂はパンク・ロック。
こういう親父たちは見ていて楽しい。
ゆいかがバイトをしたいと思った志望動機はいれずみに親しみを感じるから。その親しみを感じる理由は、ゆいかの祖父・里中富美男(北村総一朗)の背中の大きなほくろと同じだから。
ちなみに祖父・登美男は三度笠を被って東京にやって来た。
登美男もある意味パンク。
こういう親父たちがどんどん増えてくれるといい。
3
古田新太さんは、たった一言で存在感を示せる。
今回はサンデーズのランニングの時のかけ声にぽつりと言う。
「世田谷代田の立場がないじゃん」
非常にローカルなネタだが。
4
ゆいかのキイワード「未熟だ」は今回も登場。
彼女は心から自分は未熟だと思っている。
自分を未熟だと思っているから、向上心がある。まわりの劇団員をすごいと思える。
「未熟だ」は実にいい言葉だと思った。
5
2.2チャンネル、ロックな給料袋、真菌研究会、切手研究会、シャラポア研究会(第1話)、腕を突き上げたあくたがわの拳が梁に当たる、この作品はディティルも楽しめる。
実にマニアックな作品だ。
★あらすじ(公式HPより)
下北沢のボロアパートに越してきたゆいかは、ビンボー暮らしに戸惑いながらも、徐々にその空気に馴染み始める。そんな中、サンデーズの舞台は盛況の内に千秋楽を迎え、初舞台となったゆいか(上戸彩)も「黒子役」として評判を呼んでいた。ただ、看板女優を自負する千恵美(佐田真由美)だけは、そんなゆいかの人気に複雑な感情を抱いていた。
公演を終えた夜、あくたがわ(佐々木蔵之介)から次回公演が急遽3週間後に決まったと発表される。初めて駅前劇場で公演を打てることになり、団員たちは大喜び。新作の成功に向けて士気を高める。
身も心も下北演劇界にどっぷり浸かり、一刻も早く一人前になりたいと決心したゆいかは、実家からの仕送りをストップさせ、眠眠亭でアルバイトを開始。いっぽう、あくたがわは、駅前劇場での新作公演で、人気と才能を開花させつつあるゆいかを、主役級の役どころで起用することを考えていた。そして、一人の女性の現在と過去を対比させることで時間の残酷さを描く新作「サマータイム・ストレンジャー」を完成。それは、千恵美の今の状況にも通じる設定で、現在の主人公を千恵美が、少女時代の主人公をゆいかが演じるというものだった。まだ研究生のゆいかには荷が重い役であることは明白だが、あくたがわの強い後押しを受け、ゆいかは体当たりで演じることを決意する。
大役を引き受け、課されたチケットノルマもクリアしたゆいかだったが、予想以上の難役に四苦八苦。千恵美から厳しい言葉を浴びせられて落ち込むが、八神(石垣佑磨)からの的確なアドバイスに光明を見い出し、翌日の稽古で早速心機一転の演技を披露。再び団員たちの信頼を取り戻すのだった。
その後、千恵美が昔アイドルをしていたことを知ったゆいかは、純粋な気持ちからそのことを本人に話す。しかし、千恵美にとってその過去はパンドラの箱で、むしろ鳴かず飛ばずのアイドル時代を経て、今の自分には小劇団の舞台しか残されていないという事実は、トラウマでしかなかった。
そんな心の傷に触れられた千恵美は、「今の私の本当の姿を見せてあげる」とゆいかをアルバイト先のキャバクラに連れて行き、「芝居が好きで、どんなに惨めでもやめられない」という本音を吐露。それを聞いたゆいかもまた、千恵美が憧れの存在であること、自分も芝居が好きで千恵美と同じ舞台に立てるのがうれしいことなどを、真っ直ぐ言葉でぶつける。そうして互いの気持ちを理解し合った2人は、かつてない強い絆で結ばれ、新作公演の開幕に向け稽古に打ち込むのだった。
TBどうもありがとうございました
下北サンデーズ面白いですよね
コメントありがとうございます。
ゆいかやサンデーズが今後どこまで成長していくのか楽しみです。
視聴率は下がっているらしいですけど、内容がマニアックなんですかね?