Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル/都響

2016年03月25日 | 音楽
 インバル(1936‐)は、まだ無名の若者だった1958年に、イスラエル・フィルを振りに来たバーンスタインに見出されて、指揮者としての道が開けた。都響のホームページ内のスペシャル・インタビューで当時のエピソードが語られている。バーンスタインはインバルにとって指揮者人生の恩人ともいえる存在だった。

 そんなインバルにとって、バーンスタインの交響曲第3番「カディッシュ」は特別な曲のようだ。バーンスタインのリハーサルに立ち会ったことがあるそうだが、そのような個人的な想い出だけではなく、ユダヤ人としてのルーツにつながる曲だからでもあるのではないだろうか。

 今回の演奏では、バーンスタインが自ら書いた‘語り’の台本ではなく、バーンスタインやインバルと親交のあったサミュエル・ピサールが書いた台本を使用するという。わたしはピサールという人を知らなかったが、知れば知るほど興味を持った。

 ピサールの台本はバーンスタインのホームページに掲載されていた。事前に目を通したが、驚くべき内容だ。身震いするほどの内容。10代の少年だったピサールが、ナチスに捕えられて、マイダネク、アウシュヴィッツ、ダッハウの各強制収容所を転々とし、やがてアメリカ軍に解放されるまでの経験が語られている。

 人類が共有すべき20世紀の記憶が、歴史家ではなく、当事者によって語られる――そんな‘語り’を含む曲として、バーンスタインの交響曲が生まれ変わった。

 当夜の演奏では、インバルが抱くピサール版「カディッシュ」の演奏への使命感が、痛いほど伝わってきた。名演という表現では月並みすぎるほどの崇高さがあった。音は鋭く、緊張感があり、シャープな輪郭を伴っていた。これは末永く語り継がれる演奏だろうと思った。

 語りは、ピサール自身が出演予定だったが、2015年7月に亡くなったため、未亡人のジュディス・ピサールと娘のリア・ピサールが分担した。2人の個性の違いが、綾を織るような陰影を生んだ。ソプラノのパヴラ・ヴィコパロヴァーの優しい声には、緊張した神経が慰撫されるようだった。東京少年少女合唱隊の澄んだハーモニーも印象的だった。

 順序が逆になったが、1曲目にブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」が演奏された。一言でいうと、重量級の演奏だった。轟々と鳴る重い音は、あまりブリテンらしくなかった。
(2016.3.24.サントリーホール)

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