Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

黒井千次「流砂」

2019年01月08日 | 読書
 2018年10月に発行された黒井千次(1932‐)の小説「流砂」(りゅうさ)。新聞各紙の書評欄で取り上げられたので、話題作といってもいいだろう。発行当時、作者86歳。その作者が70代の「息子」(作者自身)と90代の「父親」を主要な登場人物として書いた長編小説。もっとも、本作は完結せず、今後3部作に発展する。本作はその第1部。

 たしかに今後の展開を予感させる構成だ。多くの謎が仕掛けられ、それらの謎がどうなるか、興味が持続する。謎とはいっても、大仰なものではない。「父親」が戦時中に書いた「思想犯の保護を巡って」という研究報告がその中心にあり、思想検事として戦時中の一時期(二・二六事件の頃)を送った「父親」の生き方、そして今はそれをどう思っているか、と「息子」が抱く疑問(疑問というよりも、かすかな想い)が綴られる。

 かすかな想い、と言い直したのは、「息子」が「父親」に当時のことを問いただすのではなく、「父親」がなにか言っておきたいことがあるなら、「息子」はそれを聞いておきたいと思っているからだ。そのような微妙な感覚がわかる年代に、わたしもなったらしい。

 長編小説ではあるが、全体の構成には少しの緩みもない。これが86歳の作品であるかと、失礼ながら、驚く。

 もっとも、この作品は12章からなり、その1章ずつは、連作小説「流砂」として文芸誌「群像」の2012年2月号から2018年4月号までに断続的に発表されたもの。一気に書き下ろしたわけではない。だからこそ、構成および文体の緊密さが保持された面もあろうかと思う。

 文体の緊密さの例をあげると、たとえば「息子」が古いアルバムを開く場面(第2章)。写真が一斉に剥がれ落ちてしまう――。

 「そう思いながら取り上げたアルバムをめくろうとした時、乾いた音をたてて台紙の間から一斉に写真が流れ落ちるのに驚いた。貼りつけるのに用いられた糊が歳月の経過によって変質し、接着力を失って台紙が写真を手放したようだった。呆然として彼は落下するブローニー判の映像の群れを眺めやった。それは時間の長さに耐えきれずに起された映像達の叛乱ででもあるかのようだった。」

 上記の箇所の執筆当時、作者は何歳だったか、正確にはわからないが、緊張感を湛えた、緩みのない文体だと思う。そのような文体が、乱れずに続く。

 3部作は完結するのだろうか――完結することを願いたい。
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