Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

トロイ戦争は起こらない

2017年10月10日 | 演劇
 ジャン・ジロドゥ(1882‐1944)の芝居「トロイ戦争は起こらない」(1935年初演)。ドイツではヒトラーが政権を握り、ドイツとフランスとの開戦が避けられない状況になっていた時期の作品。トロイ戦争に仮託したジロドゥの想いは何だったか。

 一番印象的だった場面は、幕切れ近く、トロイ側の王子エクトールとギリシャ側の知将オデュッセウスとが2人きりで会談する場面。開戦回避の道を必死になって模索するエクトールと、開戦必至との状況判断を持ちながらも、エクトールの努力に賭けてみようとするオデュッセウス。その場面は、今の北朝鮮とアメリカをめぐる状況を連想させ、妙にリアルだった。

 結局トロイ戦争は起きた。それは歴史的な事実だが、本作ではそのきっかけとなるものが、これまたリアルだった。いつの時代でも、戦争を起こしたがる者がいて、そのような者は、戦争を起こすために、なかったことをあったことにする(場合によっては、その逆も)。それが象徴的に示される。

 初演当時のパリの観客は、本作をどのような想いで観ただろうか。ペシミスティックな想いか。人間の愚かさへの想いか。それとも、本作には登場しないが、不和と争いの女神エリスの暗躍を想ったか。

 先ほども触れたが、今の状況では妙にリアルに感じられる本作だが、今回の公演はわたしには少々‘直球’すぎた。そう感じたのは、わたしの観た公演が、役者のテンションが上がりがちな初日の公演だったせいかもしれないが。

 今思い返してみると、本作には細かい対比が組み込まれている。その中心にあるものは「エクトールとその妻アンドロマック」と「トロイの人々」との対比だが、それ以外にも、トロイの王女カッサンドルが見る「未来」とギリシャのスパルタ王妃エレーヌが見る「未来」との対比、アンドロマックとエレーヌとの人物像の対比等々。

 それらの対比をさらに鮮明に打ち出す余地があったかもしれない。少なくとも初日は、エクトール役の鈴木亮平とアンドロマック役の鈴木杏の力演が、オデュッセウス役の谷田歩を除いて、他を圧し気味だった。

 音楽と電気ヴァイオリン演奏の金子飛鳥は、幕開き直後、会話劇から内心のモノローグに移行する場面に音楽を入れ、その効果にハッとしたが、以降は情緒的に盛り上げる例もあり、かならずしも厳密なものではなかった。
(2017.10.5.新国立劇場中劇場)
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