Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2017年06月26日 | 音楽
 読響を振ったシモーネ・ヤングの印象が強く残るその翌日に、タイプがまったく異なるパーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響を聴くことは、贅沢といえば贅沢なことだ。

 パーヴォ・ヤルヴィ/N響のプログラムはオール・フランス音楽。その中でも後半のラヴェルの2曲、「優雅で感傷的なワルツ」と「ダフニスとクロエ」組曲第2番が興味深かった。

 パーヴォのフランス音楽へのアプローチは、とくに「優雅で感傷的なワルツ」によく現れていたが、パーヴォがドイツ音楽で取っているものとは対照的だった。ドイツ音楽ではアクセントを強く付けるが、フランス音楽ではアクセントを極力弱めて、角が取れた音を出していた。テンポはドイツ音楽では比較的速く、きびきびと進めるが、フランス音楽では遅めで、音のソノリティをじっくり聴く傾向があった。全体としては、ドイツ音楽が引き締まった筋肉質の造形を聴かせるのに対して、フランス音楽では薄く透明な柔らかい音の世界を聴かせた。

 パーヴォはフランス音楽へのN響の適性を試していたのかもしれない。もしそうなら、手応えは十分あったのではないか。その手応えを基に、なにしろ引き出しの多いパーヴォのことだから、今後は別のアプローチを試みる可能性もある。

 プログラム前半には、デュティユーの「メタボール」とサン・サーンスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏は河村尚子)が演奏された。「メタボール」は、先ほどのアプローチの違いの文脈でいうと、むしろ引き締まった筋肉質の造形を聴かせた。同曲はフランス音楽の伝統に根ざしてはいるが、ラヴェル流のフランス音楽とは一線を画しているからだろう。

 サン・サーンスのピアノ協奏曲第2番では、河村尚子のピアノ独奏が見事だった。音の粒立ちがよく、フレーズが明瞭で、かつ精神的な安定感があった。アンコールにプーランクの「バッハの名による即興ワルツ」が演奏された。

 さて、パーヴォとシモーネ・ヤングとの比較だが、上述のようなパーヴォと、読響の鳴りっぷりのよさを最大限に引き出したシモーネ・ヤングとは、真逆のように見える。オーケストラの多様な可能性を引き出そうとするパーヴォと、自分流を貫くヤング。そんな二人はわずか1歳違いの同世代だ。

 シモーネ・ヤングには性差を超えたような個性が見られるが、その個性が日本でも受け入れられ、パーヴォと同様、思う存分演奏活動を展開できるよう願う。
(2017.6.25.NHKホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする