江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

猿江稲荷

2015-06-06 | まち歩き

東京都江東区猿江に在る猿江神社は、江戸の頃には猿江稲荷と呼ばれた神社です。地下鉄・住吉駅を起点とすると、南に進んで小名木川とぶつかったところが五本松。そこまで行かずに、やや手前を西へ曲がり、少し行ったところが猿江神社。猿江神社を更に西に進み、大横川に架かる橋が猿江橋。猿江橋から大横川沿いに南に進み、小名木川と交わるところが川舟番所(猿江船改番所跡)です。比較的狭いエリアに、時代小説の舞台が固まって存在しています。

猿江神社は、江戸の頃には別当寺である妙寿寺と同居していました。近江屋版切絵図「南本所堅川辺之地図(嘉永四年/1851年)」で、妙寿寺の脇に記されている「稲荷」が、現在の猿江神社です。別当寺というのは、神社と共に置かれたお寺のことで、現代人にとっては、宗教を異にする神様と仏様が同居しているのは何となく違和感があるかもしれませんが、江戸の頃には、多くの神社とお寺が敷地を同じくしていました。神社なのか、お寺なのかを明確に線引きするようになったのは、侍の時代が終わり、明治政府が法律でそれを定めてからです[1]

猿江神社と妙寿寺の場合も御多分に洩れず、明治時代になると、隣同士は変わらなかったものの、それぞれが独立します。そして、猿江神社は今も猿江の地に在り、一方の妙寿寺は、関東大震災で被災した後は、世田谷区北烏山に移転して現在に至ります。しかし、猿江神社の道を挟んで北隣には、今も妙寿寺が所有する土地が在り、そこには妙寿寺が管理する、猿江稲荷という小さな稲荷社が存在しています。かつて妙寿寺が別当を務め、猿江稲荷と呼ばれた猿江神社と、猿江神社と道を挟んで隣り合う、今も妙寿寺が管理する猿江稲荷。二つの猿江稲荷が話をややこしくするのですが、長い歴史の中には、色々あったということなのでしょう。

猿江神社(猿江稲荷)は、藤沢周平著「闇の歯車」(講談社)の中で登場しており、主人公で、やくざ者の佐之助は、仕事を分けてもらうために、猿江神社近くに住む奥村という裏の世界の男を訪ねます。佐之助は、冒頭に記した道順とは逆に、先ず猿江橋を渡り、川舟御番所を横目に見て、横川(大横川)沿いに歩いた後に東に曲がり、重願寺と妙寿寺が並ぶ通りを歩き、妙寿寺の塀をぐるりと曲がり、猿江稲荷の左手奥に在る奥村の家に着きます。奥村の家へは、表側の五本松の方からも入れるのですが、佐之助はこちらの道は使わずに、常に裏側から入って行きます。

 

[1] 神仏習合については、茅場町薬師堂をご覧下さい。

 

猿江神社(猿江稲荷) 東京都江東区猿江2-2-17
東京メトロ・都営地下鉄住吉駅から約550m 徒歩約7分

 

 

かつて妙寿寺が別当を務め、猿江稲荷と呼ばれた猿江神社

 

今も妙寿寺が管理する猿江稲荷


最新の画像もっと見る

コメントを投稿