江戸観光案内

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小名木川五本松

2015-05-09 | まち歩き

歌川広重の名所江戸百景の一枚に、「小奈木川五本まつ」という作品が在ります。小名木川と小名木川に大きく枝を張り出した松、そして小名木川を行く川船を描いた浮世絵です。この松は、丹波綾部藩九鬼家の下屋敷の松で、現在の位置関係で言うと、地下鉄住吉駅近くの小名木川橋北詰付近に生えていました。残念ながら浮世絵に描かれた松は、今は無く、現在はこの地に五本松を伝える石碑と近年に植えられた若い松が立っています。

元々はその名の通り松は5本在り、尾張屋版江戸切絵図「本所深川絵図(文久二年/1862年)」にも、「五本松」の文字が記されています。しかし、江戸名所図会(天保七年/1836年出版)によれば、既にその当時には、5本のうち4本は枯れ、松は1本しか残っていなかったそうです。江戸名所百景(安政三年/1856年~安政五年/1858年)の松は、「五本まつ」と名は付けられていますが、この残った1本が描かれたものです。

松尾芭蕉とも縁があり、芭蕉は、元禄六年(1693年)の秋に、この五本松の地で、「川上とこの川下や月の友」という句を残しています。この句が詠まれたのは、江戸名所図会の出版より143年も前ですから、もしかすると、この頃には、松は5本在ったかもしれません。

藤沢周平著「恐喝」(雪あかりに収録、講談社)は、この五本松が登場する小説です。主人公の竹二郎は、賭場に出入りするやくざ者で、仲間の鍬蔵と老舗の太物屋の若旦那・保太郎を脅します。竹二郎と鍬蔵が保太郎を連れ出したのは小名木川の川べりで、行く手には、五本松の巨大な枝の広がりが道にかぶさっていました。
この作品が江戸時代のいつ頃を書いたものなのかは、はっきりしません。しかし、作品に記された町並みからは、近江屋版切絵図「南本所堅川辺之地図(嘉永四年/1851年)」が出版された頃のように推測されます。そうすると、作品に記された五本松は、5本の松ではなく、「五本松」の名が付いた1本の松であったと考えられます。その一方で、近江屋版切絵図「本所猿江亀戸村辺絵図(嘉永四年/1851年)」には、五本松の位置に、「三本松」の文字と、三本の松の絵が描かれており、五本松は3本の松だったという説もあり得るかもしれません。

 

五本松石碑(小名木川橋北詰) 東京都江東区猿江2-16-5
東京メトロ・都営地下鉄住吉駅から約500m 徒歩約7分

 


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