江戸観光案内

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面影橋・姿見橋

2015-10-03 | まち歩き

面影橋は神田川中流域に架かる橋の一つで、古くは「俤の橋」とも称されていました。尾張屋版切絵図「雑司ヶ谷音羽絵図(安政四年/1857年)」には、「姿見橋」と記されており、後年に名を改めて面影橋になったと考えられています。一方で、面影橋(俤の橋)と姿見橋は、別々の橋であったという説もあります。例えば、歌川広重の名所江戸百景「高田姿見のはし俤の橋砂利場」には、手前に神田川を渡す大きな橋が、遠方の小川に小さな橋が描かれており、一方の橋が「姿見のはし」で、もう一方の橋が「俤の橋」だったと考える説もあります。しかし、どちらの橋がどちらを指すのかは不明のままです。橋の名の由来も諸説あり、在原業平が水面に姿を映したためという説、鷹狩の鷹をこのあたりで見つけた徳川家光が名付けたとする説、和田靭負(ゆきえ)という武士の娘・於戸姫が、身に起こった悲劇を嘆いて川に身を投げた時にうたった和歌から名付けられた等の説があります[1]

面影橋は、葉室麟著「おもかげ橋」(幻冬社)のタイトルの橋です。草波弥市と小池喜平次の二人は九州肥前蓮乗寺藩の元藩士。藩内の抗争に巻き込まれて国許を追われ、今は江戸で暮らしています。二人が江戸に出てきてから16年後、二人は、かつての上司の娘で、二人が想いを寄せていた萩乃という女性の護衛を頼まれます。士分を捨て商人となった喜平次の店の寮が俤の橋(面影橋)近くにあり、二人はその寮で萩乃を匿います。作品には、ところどころで俤の橋が登場し、姿見橋という呼び名があることも記されています。

面影橋は鬼平犯科帳シリーズ(池波正太郎著、文藝春秋)にも登場しており、第七巻に収録の「隠居金七百両」の中では、「江戸川にかかる姿見橋」として登場しています。江戸川というのは、神田川中流域の旧い名前で、あえて「神田川」とは記さないところが池波作品らしいと感じられます。第十巻「追跡」の中では、「面影橋」の名で登場しており、二十二巻の「法妙寺の九十郎」の章では、再び「姿見橋」の名で登場しています。

 

[1] 参考:面影橋の由来(新宿区 道とみどりの課設置案内板)

 

面影橋北詰 東京都豊島区高田2-1-15
都電荒川線面影橋電停からすぐ

 

 


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