江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

富岡八幡宮

2011-07-30 | まち歩き

富岡八幡宮は、門前仲町に在る深川を代表する神社です。寛永四年(1627年)に海を埋め立てて新たに開かれた土地に創建されました。埋立地で海に近いという土地柄は、現在で言えばお台場や豊洲のようであったかもしれません。本所の回向院、蔵前の蔵前八幡(現蔵前神社)と共に相撲との縁が深く、境内には相撲に関する碑がたくさん建っています。


古地図[1]を開くと、富岡八幡宮(深川八マン)の東隣には以前ご紹介した三十三間堂が在り、西隣には富岡八幡宮の別当寺院(神社に付属して置かれた寺)の永代寺が在ります。永代寺は大きなお寺で、永代寺の門前町だから門前仲町という地名の由来にもなったお寺です。しかし、明治に入ると神仏分離令により廃寺となり無くなります。この地には現在も永代寺というお寺がありますが、このお寺は、後年、かつての永代寺の塔頭が名称を引き継ぎ再興されたものです。


旧永代寺が在った地には、今は深川不動堂が建っていますが、古地図には載っていません。永代寺が廃寺となる以前の江戸時代、深川不動堂(成田不動)は蔵前八幡の境内に在り[2]、深川には明治になってから移って来たためです。


富岡八幡宮は深川を代表する観光地ですが、江戸時代もそれは変わらず、剣客商売シリーズ(池波正太郎著、新潮社)の主人公、秋山小兵衛も妻のおはるを誘い、度々この地を訪れています。(剣客商売(三)「深川十万坪」、剣客商売(八)「女と男」)


富岡八幡宮が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「悪い虫」(剣客商売(二)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「冬木立」(剣客商売(九)に収録、新潮社)
  • 宮部みゆき著「お勢殺し」(初ものがたりに収録、新潮社)

[1] 御江戸大絵図、天保十四年(1843年) ※人文社から復刻地図が出版されています。

[2] 東都浅草絵図、安政四年(1857年)


富岡八幡宮 東京都江東区富岡1-20-3

東京メトロ東西線 門前仲町駅から約300m 徒歩約4分

都営大江戸線 門前仲町駅から約550m 徒歩約7分


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柳原土手

2011-07-23 | まち歩き

神田川下流の浅草御門(現在の浅草橋付近)から筋違御門(現在の万世橋と昌平橋の中間付近)までの南岸に築かれた土手で、柳の木が植えられていました。古地図[1]には、柳並木の絵が描かれ、浅草御門から「是ヨリ筋違迄ヲ柳原通リト云」と書かれています。明治時代にこの土手は壊されてしまい、今は在りませんが、街路樹の一部に柳の木が植えられています。


柳原土手は夜鷹(路傍で客をひく下級の売春婦)が現れる場所として時代小説にはしばしば登場します。史実として夜鷹が頻繁に現れる場所であったのかは定かではありませんが、柳原土手の夜鷹を詠った川柳が残っていることから、怪しげな商売があったことは事実のようです。


藤沢周平著「夜鷹斬り」(用心棒日月抄に収録、新潮社)では、主人公の青江又八郎が、同じ長屋に住み、柳原土手で商売をしている夜鷹のおさきの用心棒を買って出ます。


柳原土手(柳原堤)が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「溟い海」(暗殺の年輪に収録、文藝春秋)
  • 藤沢周平著「風の道」(春秋の檻 獄医立花登手控え(一)に収録、講談社)
  • 池波正太郎著「助太刀」(剣客商売(十一)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「凶賊」(鬼平犯科帳(五)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「雲霧仁左衛門(前編)」(新潮社)
  • 川田弥一郎著「紫色の顔」「雪の足跡」(江戸の検屍官に収録、祥伝社)

[1] 日本橋北内神田両国浜町明細絵図、安政六年(1859年)


浅草橋南詰 東京都中央区日本橋馬喰町2-7-2

浅草橋駅から240m徒歩約3分


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鎧の渡し

2011-07-16 | まち歩き

日本橋の二つ下流、東京証券取引所の近くに鎧橋という橋があります。ここに橋が架けられたのは明治に入ってからで、江戸時代には代わりに渡し舟が在りました。これが鎧の渡しです。

伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(1046~53年)に源義家が奥州平定途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを捧げたところ、無事に渡ることが出来たため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています[1]


鎧の渡しは、坂岡真著「無念腹」(のうらく侍に収録、祥伝社)で、主人公・葛籠桃之進の弟、竹之進が兄を蓮見に誘う際に、「鎧の渡しから小舟でまいりましょう」という台詞の中で登場。また、藤沢周平著「梅雨の音」(刺客 用心棒日月抄に収録、新潮社)の中では、怪我をした佐知を偶然助けた種物屋の主人の朝の散歩コースとして紹介されています。


鎧の渡しが登場するその他の作品

  • 藤沢周平著、天保悪党伝(赤い狐)、新潮社
  • 池波正太郎著、妖盗葵小僧、鬼平犯科帳(二)、文藝春秋

[1] 鎧橋西詰たもとの案内版、平成二十年三月、中央区教育委員会


鎧の渡し(鎧橋西詰) 東京都中央区日本橋兜町1-3

東京メトロ東西線・日比谷線 茅場町駅 10番出口から約250m 徒歩約3分


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三十三間堂

2011-07-09 | まち歩き

三十三間堂と聞いて、ほとんどの人は千手観音像と通し矢で有名な京都東山の三十三間堂を思い浮かべることと思いますが、かつて江戸には、この京都の三十三間堂を模した、名前も三十三間堂という仏堂が存在しました。寛永19年(1642年)の創建当時は浅草に在りましたが、元禄11年(1698年)に火事により消失し、元禄14年(1701年)に深川の富岡八幡宮の東隣に再建されました。古地図を見ると富岡八幡宮の東隣に絵入りで大きく描かれており、歌川広重の江戸名所百景や江戸のガイドブックとも言える江戸名所図会にも取上げられていますので、江戸を代表するランドマークであったことは間違い無いようです。本家三十三間堂同様に、江戸の三十三間堂も弓術の競技で有名でしたが、明治5年(1872年)に廃され、今はこの地に建てられた石碑や三十三間堂に由来する数矢小学校の校名のようなものだけが当時を偲ばせるものとなっています。


三十三間堂は時代小説には度々登場し、例えば藤沢周平著「闇の歯車」(講談社)では、隠居暮らしの弥十が子守のために孫娘を連れて三十三間堂を訪れる場面や、商家の若旦那の仙太郎が出掛けた際に三十三間堂の境内を抜けるといった場面で登場しています。

一方、本家京都の三十三間堂ですが、こちらは吉川英治著「宮本武蔵(四)」(講談社)の中で、武蔵が吉岡一門の次男、吉岡伝七郎と決闘する場所として登場しています。雪の三十三間堂での決闘シーン。時代小説の中でも名場面の一つです。


三十三間堂が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「深川十万坪」(剣客商売(三)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「用心棒」(鬼平犯科帳(八)に収録、文藝春秋)
  • 藤沢周平著「漆黒の霧の中で」(新潮社)
  • 藤沢周平著「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」(「出会茶屋」の章、文藝春秋)

三十三間堂の碑 東京都江東区富岡2-4-8

東京メトロ東西線 門前仲町駅から約550m 徒歩約7分


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鳥越明神

2011-07-02 | まち歩き

鳥越明神(現在は鳥越神社)は、東京都台東区鳥越にある神社で、用心棒日月抄シリーズ(藤沢周平著、新潮社)の主人公、青江又八郎の住む寿松院裏から程近い場所に在ります。現在の真っ平な土地からは想像するのは難しいですが、大昔、この地には白鳥山と呼ばれた山があり、古くは白鳥神社と呼ばれていた鳥越明神はその山上に在りました。その山が今では影も形も無い理由は、江戸幕府の命により、徳川家康から家光の時代に山をとり崩して土地を造成するために使われたためで、蔵前の米蔵や浜町の矢之倉の土地はこれにより出来たものです。この地には鳥越明神と共に熱田神社(現台東区今戸)と第六天神(現第六天榊神社/台東区蔵前)が在り、鳥越三社明神と呼ばれていましたが、土地の召し上げにより、熱田神社と第六天神は移転することになり、鳥越明神だけがこの地に残り今に至っています。


坂岡真著「鯔侍」(のうらく侍に収録、祥伝社)に登場する、おひさの営む茶屋「白鳥」は、この鳥越明神の門前に在ります。


鳥越神社 東京都台東区鳥越2-4-1

都営浅草線 蔵前駅から約400m 徒歩約5分


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