江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

西本願寺

2012-10-27 | まち歩き

西本願寺と聞けば、京都の世界遺産・西本願寺を思い浮かべる人は多いでしょう。しかし、江戸(東京)にも、西本願寺と呼ばれたお寺が在ることを知る人は多くはないと思われます。実は、築地の魚市場の近くに在る築地本願寺が、かつて西本願寺と呼ばれたそのお寺です。有名なお寺ですから、「西本願寺」と聞いてイメージ出来なかった人も、今度はイメージ出来るのではないでしょうか。因みに、以前にも御紹介しましたが、浅草には東本願寺が在ります。つまり、京都と同様に江戸(東京)にも、西本願寺と東本願寺が在るというわけです。


現在は西と東に分かれていますが、いずれの本願寺も源流を辿れば浄土真宗の開祖、親鸞聖人に辿りつきます。西と東に分かれたのは、豊臣から徳川へと政権が変わった頃のことで、江戸の西本願寺は、西と東が分かれた後の元和三年(1617年)に、京都西本願寺の「別院」として、横山町の地(古地図からは現在の東日本橋の問屋街辺りかと想像されます)に建立されました。


築地へ移転したのは、明暦三年(1657年)の大火(振袖火事)による焼失がきっかけで、幕府による区画整理のために旧地への再建が許されなかったためです(因みに、この区画整理の対象の一つとなったのが吉原の遊郭で、火事以前の吉原は現在の人形町に在りました)。替地として与えられたのが、その頃は未だ海であった築地の地で、再建のためには海を埋め立てて、土地を築くところから始めなければなりませんでした。その中心となって働いたのが、佃煮発祥の地として知られる佃島の信徒の人々で、22年後の延宝七年(1679年)になって、ようやく再建を果たすことが出来ました。今、書店等で比較的簡単に買える古地図の多くは江戸中期から幕末にかけて刷られたもので、それらの地図には、西本願寺は大きなお寺として堂々と描かれていますが、実は再建までには大変な苦労があったというわけです。


現在の本堂は、昭和九年(1934年)に落成したもので、インド様式の外観が特徴となっています。


藤沢周平著「債鬼」(孤剣 用心棒日月抄に収録、新潮社)の中で、主人公・青江又八郎は、西本願寺の東方、南小田原町に住む、金貸しの銭屋徳兵衛の用心棒を務めることになります。


西本願寺が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「毒」(鬼平犯科帳(十一)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「霜夜」(鬼平犯科帳(十六)に収録、文藝春秋)

築地本願寺 東京都中央区築地3-15-1

東京メトロ日比谷線 築地駅から直ぐ 徒歩約1分


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柳島橋

2012-10-20 | まち歩き

柳島橋は、横十間川に架かる橋で、横十間川が北十間川と交わるところに在ります。西へ渡り、2kmほど行くと浅草寺雷門。反対に東へ渡り、直ぐに南に折れて700mほど行ったところが亀戸天神です。江戸時代には、浅草寺でお参りした後に、梯子をして柳嶋妙見堂をお参りし、更に足を伸ばして亀戸天神をお参りするという人も多かったようです。歌川広重の浮世絵「柳しま」(江戸名所百景)や「柳嶋妙見堂」(東都名所)にも描かれた橋です。


池波正太郎著「唖の十蔵」(鬼平犯科帳(一)に収録、文藝春秋)の中では、盗賊「野槌の弥平」の子分である茶漬屋の梅吉と連れの男(後に長谷川平蔵の密偵として活躍することになる小房の粂八)が柳島橋を渡る場面が登場します。物語の中では、柳島橋は、「天神川」に架かる橋と説明されていますが、天神川というのは横十間川の別称で、これは亀戸天神の脇を流れていることに由来します。


柳島橋西詰 東京都墨田区業平5-7-7

東京メトロ半蔵門線・都営浅草線・京成線 押上駅から約600m 徒歩約8分


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柳嶋妙見堂

2012-10-13 | まち歩き

横十間川と北十間川が合流する角地に建つ法性寺(ほっしょうじ)。明応元年(1492年)に開山された500年を超える歴史を有するお寺です。柳嶋妙見堂は、この法性寺境内に在る、妙見さまをお祀りするお堂です。


季節の移ろいに関わらず、常に北の空に在って人々を導く北極星を具像化したお姿が妙見さまです。七曜(仏教で北斗七星のこと)を表した七条の光をまとったお姿から、かつての少年なら80年代の少年ジャンプの人気漫画「北斗の拳」(原作:武論尊、作画:原哲夫、集英社)を想像してしまうかもしれませんが、もちろん北斗の拳とは関係ありません。空は高いビルに囲まれ、夜空は都会の灯りに遮られ、GPSがあれば簡単に方角が分ってしまう現代においては、あえて北極星を眺める人は稀でしょうが、外灯など無かった江戸の空においては、北の空にさんさんと光り輝く北極星はやはり特別の存在であり、故に妙見様も慕われる存在だったのだと思います。


墨田区が生んだ世界的画家、葛飾北斎も生涯に亘り、妙見さまを厚く信仰しました。「北斎」は当初名乗っていた「北斎辰政(ほくさいときまさ)」の略称で、妙見さまのお名前、「開運北辰妙見大菩薩」(北辰(ほくしん)は北極星のこと)に因むものだそうです。


池波正太郎著「唖の十蔵」(鬼平犯科帳(一)に収録、文藝春秋)の中では、火付盗賊改方の同心、小野十蔵にかくまわれている、おふじが、寂しさのあまり、気晴らしに柳島の妙見堂へ参詣に出たという場面で登場しています。


柳嶋妙見堂が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「雲霧仁左衛門(前編)」(新潮社)

柳嶋妙見堂 東京都墨田区業平5-7-7

東京メトロ半蔵門線・都営浅草線・京成線 押上駅から約600m 徒歩約8分


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松永橋

2012-10-06 | まち歩き

松永橋は東京都江東区の大島川西支流に架かる橋で、現在の橋は平成十一年(1999年)に架け替えられたものです。


鬼平犯科帳(池波正太郎著、文藝春秋)第十一巻に収録の「密告」の中では、“佐賀町の北端が仙台堀の大川口であって、それから、左手に仙台屋敷をのぞみつつ東へすすみ、今川町の切れ目で、南から来る堀川が仙台堀と合する。そこの角地に、鎌倉屋の店舗があった。正面は仙台堀に面してい、東側は、堀川をへだてて長堀町へかかる松永橋だ。”と記されています。


現在の地名を用いて要約すると、「仙台掘川が隅田川と合流する部分を背にして左手に(仙台掘の名前の由来になった)仙台藩蔵屋敷を見つつ仙台掘川に沿って東に進むと、南から来る大島川西支流が仙台掘に合流する。そこに架かる橋が松永橋。」となります。


主要道に架かる橋では無く、マンションや倉庫に囲まれた小さな橋です。秋の気配と共に、橋の周辺はハゼを釣る人達で賑わうようになります。


松永橋西詰 東京都江東区佐賀2-11-2

東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線 清澄白河駅から約650m 徒歩約8分


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左から来る流れが仙台掘川で、右から来る流れが大島川西支流。右奥に見えるのが松永橋。