ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

芦屋釜の復興をめざして ~ 芦屋釜の里

2019年04月29日 | 北九州
なんじゃもんじゃを見た後は、岡湊神社から芦屋釜の里に足を延ばしました。「芦屋釜」とは、今の芦屋町で造られ、かつては一世を風靡した茶の湯釜のこと。戦国大名大内氏の庇護を受けて発展した芦屋釜は、京都の貴族たちの間で名声を博し室町時代を中心に隆盛を極めたそうです。


ところが、陶晴賢の謀反により大内氏が滅亡すると、芦屋釜の職人は各地に四散し、それぞれの地で芦屋釜の分派を形成(越前芦屋、伊勢芦屋。博多芦屋、播州芦屋など)。一方で本家の筑前芦屋は次第に衰退し、江戸時代初期には遂に途絶えてしまいました。


芦屋釜の里は、そのような経緯を辿って絶えてしまった名工の技を現代に再興することを目的とする施設です。これが芦屋釜復興工房。タイミングが良ければ製作中の場面を見学できます。


湯釜が茶道における大事な道具であることから、芦屋釜の里では、お茶の文化を大切にするために誰でも利用できる大小二つの茶室を備え、一般に開放しています。これは、小茶室「吟風亭」への小道。


吟風亭は、露地やにじり口を備えた四畳半の茶室。


大茶室「蘆庵」を囲む三千坪の日本庭園。手入れの行き届いた四季の風景を楽しむことができます。


蘆庵の入口では、まばゆいほどの新緑が迎えてくれました。


大寄せの茶会にも対応できる25畳の茶室。春と秋の二回開かれる、茶室を使ったミニコンサートも楽しみなイベントです。


茶室を取り囲む広くて開放感のある縁側。庭園を一望できます。


池にせり出した露台から見る吟風亭。


芦屋釜資料館では、芦屋釜の歴史や製造方法などを映像や展示を通じて紹介しています。


湯釜や鐘などの展示室。4月23日から6月2日まで、春季企画展「復興芦屋釜の美~館蔵名品選~」が行われています。


現代の技で造られた芦屋釜。


水琴屈。竹筒に水を落とすと澄んだ音色が響きます。


長屋門を入ってすぐ左にある立札席では、抹茶とお菓子を戴くこともできます(300円)。


芦屋釜の里では、5月3日(金)~5日(日)の3日間(午前9時から午後3時)、誰でも参加できる毎年恒例の「芦屋釜の里開園記念茶会」が行われるそうです。詳細は次のとおりです。
 ○5月3日:煎茶・小笠原流
 ○5月4日:薄茶・表千家
 ○5月5日:薄茶・裏千家
 【料金】中学生以上400円、小学生250円、未就学児200円(入園料・お茶代)

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芦屋町 初夏の風物詩 ~ なんじゃもんじゃの木

2019年04月28日 | 北九州
平成から令和にまたがる大型連休が始まりましたね。初日の昨日、なんじゃもんじゃの木を見に芦屋町の岡湊神社に行ってきました。


毎年、風薫るこの時期になると、境内が真っ白に染まる岡湊神社。


「なんじゃもんじゃ」は、和名「一つ葉たご」と言うモクセイ科の植物。夜には、金木犀に似た芳香を漂わせるそうです。


最初のなんじゃもんじゃの木は、岡湊神社の宮司が明治神宮外苑長から贈られたもの。その後、新たに植樹されて、年を追うごとにその数が増えてきました。明治神宮から贈られた木は、朝鮮李王朝に由来するそうですが、そのほかにも対馬や岐阜、アメリカなど、その原産地はさまざまです。


「岡之水門(おかのみなと)」と言う名で、日本書紀にも登場する岡湊神社は、創建1800年を数えます。


道路を隔てて社務所側のなんじゃもんじゃ。境内よりもこちらの方が早咲きで、すでに満開でした。


真っ白い花が密集するなんじゃもんじゃ。季節はずれの雪が積もっているみたいです。


ふと見上げると、電線にとまっていたトンビ。鋭い眼光で周囲を見回していました。


駐車場のふじもほぼ満開。ふじと言えば、香月の吉祥寺(北九州市八幡西区吉祥寺町)でも、樹齢160年のふじが境内を紫に染める時期ですね。ちょうど今、吉祥寺開山忌藤まつりが行われているそうです。


昨日は、平成最後の墓参り。わが家の霊園ではつつじが満開でした。


日差しやわらかく、吹く風さわやかな季節。福岡では連休期間中、来週前半を除いてほぼ天候にも恵まれそうです。遠くに出かけるもよし、近場を散策するのもまたよし。日ごろできないことも、やってみたくなりますね。

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羊肉中華料理 ~ 羊香味坊

2019年04月24日 | 食べ歩き
先日のロシア旅行は、当日の福岡出発では間に合わないため、成田に前泊しました。せっかくの機会なので、前々から気になっていた羊香味坊(やんしゃんあじぼう)に立ち寄ることに・・・・・・ (^-^)ゞ この店は、羊肉好きから絶大の人気を誇る羊肉料理専門店で、テレビ東京の「孤独のグルメ」にも登場したそうです。
御徒町駅から近く、南口を出て3・4分で着きます。店に入ると、いいタイミングで二人分の席が空いたので、ほぼ待つことなく座れました。


まずは、串焼き5本セットを注文。ラムの肩肉、レバー、ランプやネックなど、様々な部位を試すことができました。スパイスの香り高く、羊の臭みなどはまったく感じられません。特に、クミンとラムは相性抜群。どの部位も美味しかったのですが、初めて食べたラムレバーの網脂包み(真ん中の串)は、とりわけ柔らかくジューシーで一番好みでした。


比較的濃い目に味付けされたラム肉とライスヌードル炒め。ニラやもやしはシャキッと、米麺はモチッとした食感で美味しかったです。


羊香味坊の料理の数々には、ビールやワインが最高のスパイス(^^)/


飲めない妻は、ラム肉のお焼きをおやつ代わりに・・・・・・(笑)


外はパリッとしながらふっくらと焼かれた皮。ラムのひき肉もジューシーで好みだったようです。


平日のお昼過ぎだというのに店内は満席。ガンガン飲んでワシワシ食べて、とっても賑やかでした。どの席もそうなので、外は明るくても罪悪感はまったくありません ヽ(^o^)丿


骨付きスペアリブを、自家製の白菜の漬物とトマトスープで煮込んだ酸湯スペアリブ。最初に感じるのは酸味と辛み、その後に旨みの余韻が続きました。


ラムには赤ワインもよく合います。私はグラス注文だったので店員さんに頼みましたが、ボトルで飲む場合は、冷蔵庫に入ったワインを自分でテーブルに持ってきて勝手に飲むスタイルのようです。


シメに羊の骨と魚でダシをとった魚羊麺を注文。意外にもクセはなく、ほっこりとやさしい味で、パクチーがよく合いました。


食感もよく、食べ応えがあった全粒粉入りの手打ち麺。


ランチタイムだったので、魚羊麺に半チャーハンが付いてきました。塩味は控えめながら、絶妙な味付けで美味しかったです。


「長葱とラム肉の塩炒め」は、この店の人気メニューのひとつ。ラム肉と長葱を塩胡椒と紹興酒で炒めたひと品です。簡単で美味しそうだったので、私も試しに作ってみました。

私が作ったものと比べてみたかったのですが、この日はお腹いっぱいだったので勝負はお預けになりました(笑)

この店を知ったのは、雑誌dancyu 2018年6月号の「羊好き~おいしい羊の季節が来た!」と言う特集でした。もともと生ラムや骨付きラムが好きで、家ではワインと一緒によく食べるのですが、美味しい店を探そうと思っても、北九州、福岡では羊肉の専門店はなかなかありません。この特集に掲載された羊料理の数々はどれも涎が出そうなほど美味しそうだったので、東京に行ったときには必ずチェックしようと決めていたんです。一度の訪問ではあまり多くは食べられませんでしたが、羊香味坊は期待どおりの美味しさ。また次の機会に、別の料理を試してみたいと思います (^-^)ゞ

羊香味坊中華料理 / 御徒町駅上野広小路駅上野御徒町駅

昼総合点★★★★ 4.0



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ロシア 美術館めぐり⑫ ~ 食事編

2019年04月22日 | 海外旅行
日本からモスクワへは、週7往復(毎日1往復)、日本航空の直行便が就航しています。私たちが搭乗したのはJAL421便。距離は約4,670マイル(約7,510Km)、行きは10時間15分のフライトです。


ロシア旅日記の最後は、往復の機内を含め旅行中の食事をまとめてみました。
出発準備中のB-787を眺めながら、まずはキーンと冷えた一杯を・・・・・・ 生春巻きがいいおつまみになりました (^-^)ゞ


離陸から1時間後くらいでサービスされた機内食。この真鯛がことのほか美味しかった~♪


妻は和食をチョイスしましたが、こちらもとても美味しかったようです。


夜食にサンドイッチをつまみながらワインを・・・・・・


チーズの盛り合わせ。


こちらは妻が頼んだふくさ寿司。成田発モスクワ便の機内食は、「Anytime You Can Eat」を含めて相当ハイレベルでした。


モスクワまでの10時間は、映画を数本観ながらゆっくり過ごしました。中でも一番印象的だったのは『グリーンブック』です。帰国後、この映画がアカデミー賞3部門(作品賞のほか脚本賞、助演男優賞)を受賞したことを知り、無性に嬉しくて思わず拍手(^-^)ゞ


モスクワ ドモジェドヴォ空港で、サンクトペテルブルク行きのS7航空43便に乗り継ぎ。サンクトペテルブルクの街の灯りがよく見えました。


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さて、ここからは旅行中の食事です。肉汁たっぷりのロシア風水餃子ペリメニ。ロシアの正月の定番料理だと聞きました。


細かく刻んだジャガイモやニンジン、ピクルス、ハム、ゆで卵などをマヨネーズで和えたオリヴィエ・サラダ。この料理も、正月やお祝いの日には必ず食卓に上るのだそうです。


ガルショークは、壷の中に入ったジャガイモやニンジンなどの野菜と肉の煮込みをパイ生地で覆ったもの。具だくさんでボリュームたっぷりでした。


パイ生地の中に焼いた梨が入ったデザート。


キャベツにしっかり焼き目を付けたロシア風ロールキャベツ、ガルプツィ。濃厚な味ですが、サワークリームをたっぷりつけるとさわやかな風味に。具の中にご飯が入っているのも意外性がありました。


もちろん、ビールやワインは欠かしません。コケモモのジュースも妻に好評でした。


一番好みだったのは、きのこのサラダ。サラダと言っても、クリームやマヨネーズと和えたりと、ひと手間かけたものが多かったです。


白身魚のソテーも美味。ほとんどのロシア料理に、マッシュポテトやフライなどのジャガイモが付け合わせられていました。


ロシア料理の定番、ボルシチ。これにもサワークリームを合わせます。


トマトと鶏のサラダは、トマトの甘さが印象に残りました。


ポークの串焼き。付け合わせのジャガイモ、とても全部は食べきれません。


バターと香草を鶏肉で巻いて揚げたキエフ風カツレツ。これも好みの料理でした。


デザートはチョコレートケーキ。


実業家、政治家を輩出し、ロシアの伝統文化の保護・育成にも貢献したストロガノフ家。そのお抱え料理人が考案したと言われるビーフストロガノフ。マッシュポテトの上にかけて出されましたが、ご飯やパスタと合わせることもあるようです。


どこで飲んでも、とても美味しかったロシアのビール


きのこのスープ。地味ですが、こちらも好みの味でした。


ロシア料理は、日本人の口にも合って美味しかったというのが全般的な印象です。いろいろ食べましたが、とても全部は載せきれないのでこのあたりにしたいと思います。

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ドモジェドヴォ空港から、JAL422便でいよいよ帰国。偏西風のおかげで、帰りは9時間ちょっとで成田空港に到着しました。


帰路の機内食。


ブルーベリーとラズベリーのデザート。


日本からロシア(モスクワ)へは、日本航空とアエロフロートが、現時点ではそれぞれ週7往復の直行便(成田空港発着)を運航しています。これ以外に日本からの直行便はないのですが、成田だけではなく、中部、関西及び福岡など日本の4都市から出発可能なフィンエアー(フィンランド航空)を利用してヘルシンキ経由でロシアに入国することもできます。ヘルシンキからは、飛行機に乗り継げば、サンクトペテルブルクに1時間、モスクワへは1時間40分で到着。また、国際高速列車アレグロ号は、ヘルシンキ~サンクトペテルブルク間を3時間半で結んでいます。成田空港への移動が大変という地方在住者にとっては、十分現実的な選択肢となりそうです(難点は、福岡空港の場合、フィンエアーの運航が夏季限定であること)。
ロシアの旅日記も12本目。ずいぶん長くなりましたが、これでおしまいです。最後までおつきあいいただいてありがとうございました。明日以降は、日常のルイガノ旅日記に戻ります (^-^)ゞ

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ロシア 美術館めぐり⑪ ~ モスクワの街並み

2019年04月20日 | 海外旅行
ロシア美術館めぐりの旅もいよいよ終盤。今回はモスクワの街並みを紹介したいと思います。と言っても、歩いたのは赤の広場とクレムリンだけなので、モスクワと言ってもごくごく限定的な風景です (^-^)ゞ


道路の向こうに見えるのは、ロシアを代表するバレエ・オペラ劇場であるボリショイ劇場。1776年が劇場の起源とされていますが、何度か焼失し現在の建物は1856年に再建されたものです。劇場正面の上部に置かれている青銅の像は、四頭立ての馬車に乗った太陽神アポロン。


1812年祖国戦争博物館。ナポレオンのロシア侵攻を阻止した1812年祖国戦争の戦勝200年を記念して、2012年に開館しました。この建物の向こう側(写真では左側)に赤の広場があります。


よくわかりませんでしたが、何かのお祭りが行われていたようです。ちなみに、「赤の広場(クラースナヤ・プローシャチ)」の「クラースナヤ」は、現代ロシア語では「赤い」ですが、古代スラヴ語では「美しい」と言う意味。社会主義を連想させる「赤の広場」ですが、もともとは「美しい広場」を表していた言葉で、社会主義・共産主義の「赤」とは関係ないのだそうです。


赤の広場入口のヴァスクレセンスキー門の手前には、モスクワ・ゼロポイントがあります。東京の日本橋ゼロポイントやパリのポワン・ゼロ(今回火事に見舞われたノートルダム大聖堂前の広場にあります)と同じく距離測定の起点となる場所で、日本語では「道路元標」と言います。


ヴァスクレセンスキー門をくぐると赤の広場に出ます。門を抜けてすぐ左手にあるメルヘンチックな教会は、1612年に建てられたカザンの聖母聖堂。ロシア革命後、宗教を反革命の温床と考えていたスターリンによって破壊されましたが、ソ連崩壊後すぐに再建されました。


1872年、アレクサンドル2世によって設立された国立歴史博物館。こちらの建物は、ヴァスクレセンスキー門を抜けて右側、カザンの聖母聖堂の向かいにあります。


赤の広場のほぼ中央、クレムリン側にあるのは、ロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニンの遺体が安置されているレーニン廟。遺体は、死亡後ただちに特殊な防腐処理(エンバーミング)され、没後95年経った今も一般公開されています。レンガの城壁の向こう側がクレムリンです。


赤の広場、南東の端に建つポクロフスキー聖堂。「ワシリー寺院」と言ったほうが馴染みやすいですね。塔の先端に付けられた玉ねぎ型のドーム(全部で9個)と派手な色使いが印象的なこの寺院は、モンゴルへの戦勝を記念して、1560年にイワン雷帝によって建てられました。完成したワシリー寺院の美しさに感動した雷帝は、二度とこのような建物ができないようにするために、設計者二人の目をくり抜いたと伝えられています。そんな時代に生きていなくて、ほんとによかったです (^-^)ゞ


ワシリー寺院向かいのクレムリンの城壁と、高さ74メートルあるスパスカヤ塔。クレムリンには大小20の尖塔がありますが、スパスカヤ塔を含む5つの塔の先端には、1937年、革命20年を記念して直径3メートルのルビーでできた赤い星が取り付けられました。「スパスカヤ」とは救世主と言う意味で、塔の下は赤の広場とクレムリンを結ぶ「スパスキエ門」となっていることから、クレムリンの塔の中で最も格式の高い塔とされています。


赤の広場の中央、クレムリンの反対側に建つ石造りの重厚な建物はグム百貨店。1893年にショッピング・アーケードとして建てられ、スターリン時代に国に接収されて国営デパートになりました。国民が深刻なモノ不足に喘いでいたソ連時代、「豊かなソ連」を国内外に喧伝する広告塔の役割を担っていたグム百貨店。広場の外ではありえないことですが、夢の百貨店にはありとあらゆる商品が揃っていたため、モノを求めるモスクワ市民が、赤の広場に入りきらないほど列をなしたそうです。


フリータイムは、私たちもグム百貨店でお土産もの探しを・・・・・・。UGGの直営店を見つけてブーツを購入しました。福岡でもロシア出発直前に取扱店を覗いてみたのですが、品数もサイズも少なくて買えなかったんです (^-^)ゞ


グム百貨店の中を見て回っているうちにすっかり暗くなった赤の広場では、ライトアップされたワシリー寺院が、宵闇に美しく浮かびあがっていました。


日が変わって翌日。こちらは赤の広場やクレムリンより少し南側で、プーシキン美術館に近い場所にある救世主キリスト聖堂。1812年祖国戦争の勝利を神に感謝するために建てられたものですが、ロシア革命後の宗教弾圧に際して、他の多くの教会同様スターリンによって破壊されました。ソ連崩壊の2000年にようやく再建を果たし、高さ103メートルという威容がほぼそのまま再現されています。


私たちは、クタフィヤ塔経由でメイン出入り口であるトロイツカヤ塔からクレムリンに入りました。写真は、クタフィヤ塔からトロイツカヤ塔への渡り廊下から南東方向を撮ったもので、城壁の外に見えるのはインフォメーション&チケットセンター、クレムリン内は左から国立クレムリン宮殿(1961年に建てられた比較的新しい建物で、現在はバレエ・オペラ劇場として利用されています)、ポテシュニ・ドヴォレツ(グーグルマップでは博物館と表示されますが詳細は不明)。
クレムリンの中心部は大聖堂広場と呼ばれ、ロシア正教の著名な教会が集中しています。教会内部は撮影禁止なので外観だけになりますが、見た範囲で紹介していきたいと思います。


15世紀後半に建立されたウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)。「生神女」とは正教会で聖母マリアの称号で、「就寝」は「永眠」と言う意味だそうです。したがって、生神女就寝大聖堂とは、聖母マリアの永遠なる安らかな眠りを祈念する教会ということになります。(大聖堂の後ろ、写真右端に写っているのはパトリアーシェ宮殿)


帝政時代は、歴代皇帝の戴冠式やモスクワ総主教の葬儀が営まれたロシア国教の大聖堂で、現代でも、大統領就任式の儀式の一部が行われています。内部の壁や天井、柱などは、すべて美しいフレスコ画とイコンで覆い尽くされていました(撮影禁止のため大聖堂のパンフレットです)。


大聖堂を出るとすぐ裏手にあるリザパラジェーニヤ教会。その奥に見える金色のドームがたくさん突き出しているのは、テレムノイ宮殿です。


ブラゴヴェシチェンスキー聖堂(生神女福音聖堂)も、建立時期は15世紀後半。ウスペンスキー大聖堂からおよそ10年後、イワン大帝(イワン3世)の命により建設されました。金色に輝くドームや三角屋根がきれいな教会で、皇帝、皇后の私的な礼拝に使用されたそうです。


こちらは、大天使アルハンゲル・ミハイルを祀るアルハンゲルスキー大聖堂。イワン大帝の遺命により、16世紀初頭に建てられた教会です。きらびやかな金箔に包まれたクレムリンの大聖堂の中にあって、シックで瀟洒な印象を受けました。


16世紀に建てられたイワン大帝の鐘楼(右側の塔)。1950年代にスターリン様式の高層ビルが建てられるようになるまでの400年間、モスクワで最も高い建物だったそうです。


大クレムリン宮殿。現在は、迎賓館として使われています。


続いて、武器庫とダイヤモンド庫のある建物に向かいました。建築当時は「武器庫」として使われていましたが、ロシアの工芸美術品、戴冠式などで使われた衣装や王冠、玉座、馬車、金・銀器、外国の王室などから贈られた金器・銀器、陶磁器、インペリアル・イースターエッグなど、(主として)ロマノフ王朝の豪華な装飾品の博物館になっています。


ダイヤモンド庫は武器庫の一角で、ダイヤをはじめとする様々な宝石類が展示されています。特に、オルロフ伯爵がエカテリーナ2世に贈った199.6カラットのダイヤモンド「オルロフ」は、世界最大のダイヤとして知られています(武器庫・ダイヤモンド庫とも内部は撮影禁止)。


16世紀に鋳造されたブロンズ製の「大砲の皇帝」。口径890mm、重量は40トンあり、製作当時は世界最大の口径を誇っていました。大砲の前に置かれた丸い玉は、この大砲の砲弾(レプリカ)で重さ1トンもあります。どうやって砲身に詰めたのか興味深いです。
正面の建物は元老院で、現在はロシア連邦大統領府として使われています。大統領がクレムリンにいるときには、丸屋根の上に大統領旗(白青赤のロシア国旗に双頭の鷲の紋章)が掲げられるのだそうです。この日、プーチン大統領はここで執務中だったようです (^-^)ゞ


こちらは18世紀半ばに造られた重量200トンの巨大な鐘で、「鐘の皇帝」と呼ばれています。鋳造中に壊れてしまったので、一度も鳴らされたことはありません。欠けた部分だけでも11トンあるそうです。


初めてのロシアは、いくつもの美術館やロマノフ王朝の宮殿など、見応えのある観光スポットばかり。帰国してから記憶の断片を整理しながら、いろいろ調べなおしてブログアップしていたので、ついつい長くなってしまいました。絵画や観光地については、ロシア旅行記もほぼ終了です。残りは、旅行中や行き帰りの食事などを振り返ってみたいと思っています。

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