ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

伊万里焼の里 大川内山

2022年07月29日 | 九州
唐突ですが、……北極星は同じ星ではなく、定期的に交代しているってご存じでしたか。天体や宇宙好きの方にとっては常識なのかもしれませんが、私はつい先日、ある方のブログを読んで初めて知りました。「北極星」とは星の名前ではなく、天の北極に近い位置にある星をそう呼ぶのだとか……。記事を抜粋させていただきますと、《今はこぐま座のポラリスが北極星ですが、5000年前の北極星はりゅう座のトゥバン。今後も、8000年後には"はくちょう座のデネブ"、13000年後は"こと座のベガ"に交代し、およそ26000年後には再び"こぐま座のポラリス"に戻る》のだそうです。
気になって調べてみると、これは地球の地軸が変化する「歳差」という現象に起因しており、ごく僅かずつ自転軸が変動するため、天の北極もこれに応じてズレていくようです。これがおよそ26000年の周期で回っているため、将来再びポラリスが北極星に戻るという訳です。気の遠くなるような時の流れのなかでの話ですけれど……。

(写真は「宇宙の星雲、惑星など、ワクワクする楽しみ方」からお借りしました)
🍀

さて話は変わりますが、第7波がここまで拡大する前の今月上旬、嬉野・有田・伊万里など、佐賀県をめぐる日帰りツアーに参加し、久しぶりのバス旅を楽しんできました。
道中、嬉野の道路沿いで見かけた茶畑。嬉野は、福岡の八女、鹿児島の知覧と並ぶ九州を代表するお茶の産地です。


小城市にある「清水(きよみず)の滝」に立ち寄りました。この滝は落差75m、幅は17mあり、別名「珠簾(たますだれ)の滝」とも呼ばれています。滝つぼの前には清水観音宝地院が建立されており、滝行の霊場となっているそうです。


続いて、古伊万里などの高品質な磁器で知られる伊万里市ヘ。
延宝3年(1675年)から廃藩置県(1871年)まで、佐賀鍋島藩の御用窯が置かれていた大川内山。朝廷や将軍家、諸大名などに献上する品質の高い焼き物が焼かれた地区で、その高度な技術は門外不出とされ、「秘窯の里」と呼ばれていました。集落の背後には、切り立った屏風岩がそびえています。


伊万里川に架かる鍋島藩窯橋。欄干は表裏ともに、磁器の装飾が施されていました。


大川内山の町並み散策、スタートです。


磁器タイルで作られた町並み案内図。


今の時期、大川内山では風鈴祭りが行われています(6月18日~8月31日)。


期間中1,000個を越える風鈴が飾られ、石畳の町並みを散策しながら、磁器ならではの風情ある音色を楽しむことができます。


山水画のような奇岩と窯場の煙突が印象的でした。


「秘窯の里」と呼ばれるのも納得の町並みです。


いくつかの窯元を訪ね、作品を見せていただきました。


個性的な伊万里焼が、整然と陳列されたギャラリー。


いかにも伊万里焼らしいコーヒーカップもありました。


色あいがとってもきれいなカップも……。


この日のお昼は、陶器の里 有田の「日本料理 保名(やすな)」で……。


お昼限定メニューの陶箱弁当は、有田焼の大きな器で提供されます。


右手前は「呉豆腐」と言って、有田を中心に佐賀・長崎に伝わる郷土料理。一般的な豆腐は豆乳にニガリを加えて固めますが、呉豆腐の場合は、葛やデンプンを混ぜ、ゆっくりと練り上げて作るのだそうです。ねっとりとした食感は沖縄のジーマーミ豆腐に通ずるものがありました。やや甘めの胡麻醤油が絡んで美味しかったです。


有田では唐草模様の排水口カバー、大川内山では丁寧に作られた器や風鈴などを買って帰りました。


写真を撮るために、とりあえずリビングに掛けてみました。音色がきれいです。


トイレの手洗いも、少しばかり爽やかになりました (^-^)ゞ


厳しい暑さが続いていますが、よい週末をお迎えください。
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高千穂牧場~霧島連山の麓に広がる雄大な風景

2022年07月11日 | 九州
高千穂峡、関之尾滝を見た翌日は、霧島連山の麓に広がる高千穂牧場に足を延ばしました。


正面に連なるのは、右から順に高千穂峰、新燃岳、韓国岳。沖縄勤務のころ出張で時々この上空を通り、霧島連山の美しさを目にする機会がありました。新緑の時期はとりわけ綺麗だったのをよく覚えています。


日差しの強い日でしたが、高原のさやかな風と雄大な風景に癒されました。


豊かな牧草地がどこまでも広がっています。


遠くに、草を食む羊の姿が目に入りました。放牧地のようです。


手と靴を消毒して柵の中に入りました。牧場の方は誰もいなくて出入り自由。大らかですね。この羊は、サフォーク種という品種。イギリス南西部サフォーク州が原産で、頭部と4本の足は黒いのが特徴です。
どの羊も一心不乱に草を食べていて、闖入者には興味がない素振りでしたが……。


一匹の羊が、私のお尻をツンツンつついてきました。


遊んでほしかったのかもしれません (^-^)ゞ
この後、自動販売機でエサを買うと、みんなが一斉に突進してきました。エサの自販機だっていうこと、よくわかっているんですね。


広い牧場に放たれて、馬もイキイキ。弾んだ気持ちが伝わってくるようでした。


牧場に来れば、やはりソフトクリームはお約束……ですよね。ミルクの味が濃厚で期待どおりの味。ソフトクリームも、高原の空気も美味しかったです (^-^)ゞ


帰り際、お酒のおつまみに良さそうなものをいくつかピックアップしました。


妻が選んだのは、高千穂牧場の生乳と生クリームをたっぷり使った「半生プリン」と、フレッシュチーズのデザート「ざるチーズ」。


高千穂峡、関之尾滝、高千穂牧場をめぐる宮崎の旅もこれで終わりです。お付き合いありがとうございました。
念のため、帰りの高速で燃料補給したのですが、リッター186円という価格にびっくり。私が日ごろ入れているガソリンとは、30円近く違います。これが全国レベルのガソリン代なんですね~💦
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関之尾滝~日本の滝100選

2022年07月07日 | 九州
高千穂峡を後にして、宮崎県都城市にある関之尾滝に向かいました。
関之尾滝は日本の滝100選に指定される名瀑で、大滝・男滝・女滝の3つからなり、最大の大滝は幅約40m、落差18mほどあります。(写真は大滝)


駐車場に車を止めて坂道を下ると、木々の陰から大滝と滝見用の吊橋が見えてきます。


大滝の上流部。ゴツゴツとした岩が集まったように見えますが、実はすべて繋がった1枚の岩盤だというから驚きです。ここから上流側600m、幅80mの川床には数千個の甌穴群があり、これだけの規模のものは世界でも珍しいそうです。"甌穴"とは、川底の岩石に生ずる球状の穴のことで、岩のくぼみに入り込んだ小さな石や岩の破片が、長い年月をかけて水流で回転することによって形成されます。


吊橋からの大滝の眺め。この日は晴れた日が続いた後でしたが、雨の後は水量が増えて見る人を圧倒する迫力だそうです。


妻が撮った大滝の動画です。滝の水は、画面左下に流れていきます。


大滝の上流部から引かれた北前用水路(この他にも2本、計3本の用水路あり)。これは明治時代、坂元源兵衛という人が岩盤をノミで穿って通した水路で、完成までに10年の歳月を要しました。水の流れは清冽そのもので、年間を通して14~15度の水温を保っているそうです。
この北前用水路の途中に、水量が多いときに余分な水を逃がすための「余水吐き」が設けられており、そこから流れ落ちるのが「男滝」です(吊橋から見えるのですが、写真を撮り忘れました)。


こちらは北前用水路の下流部分で、「女滝」が流れ出る場所。下に設けられた取水口に水を落としています。


久しぶりに見かけたハグロトンボ。写真は鮮明ではありませんが、体が真っ黒ではなく青緑に輝いていましたから♂だと思います。


【食事編】
この日の宿に到着しました。


食事処に用意されていた宿お勧めの焼酎、大浦酒造の「みやこざくら」、柳田酒造の「赤鹿毛(あかかげ)」と「青鹿毛(あおかげ)」。いずれも地元都城の酒蔵です。


夕食は宮崎牛 出汁しゃぶ会席。牛タン、肩ロース、もも肉の3種類をたっぷりの野菜とともに……。牛タンは白ねぎをたっぷり巻いて胡麻ダレで、きれいなサシが入った肩ロースともも肉はさっぱりとポン酢で戴きました。


柑橘そば、特製油みそ、つぶ貝の松前漬け。リキュールグラスは、冷やしたみやこざくらです。


右のグラスは赤鹿毛。せっかくなので、同じく柳田酒造の「千本桜」を別に注文して飲み比べてみました。


デザートの日向夏シャーベットに青鹿毛を合わせるのが宿のお勧め。アイスにブランデーやリキュールをかけることもありますから、焼酎だってアリですよね。


なかなかオツな味でした (^-^)ゞ


ボリュームたっぷりの朝食。


お昼は花籠膳。なんと3食付きのお宿でした。


こちらは行きの東九州道、川南PA。せっかく宮崎に来たので、私はチキン南蛮定食を頼みました。


サクッと揚げられたチキン。食感がよく、比較的あっさり目のタレも美味しかったです。


山かけうどんは、九州では珍しいいりこだしでした。


九州道(嘉島JCT)と東九州道(延岡JCT)を結ぶ九州中央道は、まだ部分的にしか開通していないので、山間部ではかなりの部分、一般道を走ります。このため、北九州から高千穂峡、高千穂峡から都城とも、けっこう時間がかかりました。全線開通すれば、高千穂峡や五家荘などへのアクセスもずいぶん改善されると思います。
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高千穂峡~天孫降臨の地

2022年07月04日 | 九州
宮崎県北部に位置し、熊本県、大分県と境を接する高千穂峡に行ってきました。高千穂と言えば、天照大御神の命を受けて瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、神々の暮らす高天原から地上に降り立ったと伝えられる天孫降臨の地。神話の里です。高千穂峡にも、厳かで神秘的な雰囲気が漂っていましたよ。
早朝に出発したおかげで、高速道路の流れは順調でした。九州自動車道から九州中央道を経由して、9時前には高千穂峡に到着。ボート乗り場から一番近い第1御塩井(おしおい)駐車場に車を止めて、まずは遊歩道から高千穂峡を散策しました。
遊歩道の起点となる御橋(みはし)から見た真名井の滝です。


高千穂峡周辺マップ(左が北)。右側(南)が御塩井駐車場。ここから御橋を渡って、北に向かって遊歩道がスタートします。


17mの高さから流れ落ちる真名井の滝は、日本の滝100選にも選ばれています。上部に見えるアーチ型の石橋が御橋です。
神話によれば、天村雲命という神が天孫降臨に際して、この地に水がなかったので水源を移したところ、これが天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちたとされています。


鬱蒼とした木立の中を歩きます。すぐ横の岩肌から清水が滴って、気温は高いのに涼しく感じられました。(この後、木々から離れて直射日光を浴びる場所もあり、さすがにその辺りは暑いです💦)


高千穂峡でもっとも川幅が狭い場所で、天正19年(1591年)、落城した高千穂・三田井家の家臣たちが追手から逃れるため、槍の柄を突いて渡ったことから「槍飛」と呼ばれます。


大きくえぐられたような岩が目につきました。


こちらのアーチ橋は神橋(しんばし)。


眩しいばかりの新緑。


貸しボートの予約は11時だったのですが、予定よりも早く着いたので1時間早めてもらいました。


太古の昔、阿蘇山の大規模な火山活動によって噴出した火砕流が、冷える過程で収縮し柱状節理となった断崖がそそり立つ高千穂峡。高いところで100mに及ぶ断崖が約7キロに亘って続いています。


真名井の滝周辺の黒々とした岩肌。


暑さ厳しい時節ですので、滝の動画で一服の涼をお届けします (^-^)ゞ


真名井の滝の奥側にも、柱状節理の岩壁が続いていますね。


奥からの眺め。コンクリート壁ではありません(笑)
遊歩道とボートで高千穂峡を散策した後は、宮崎県の南西端、鹿児島県と接する都城に向かいました。そちらについては、また日を改めてアップします。


台風4号が九州に接近しています。宮崎県では各地で道路の冠水が発生しているとのこと。被害が拡大しないことを祈ります。
明日未明には北部九州に上陸。ゆっくりと九州や四国を通過し、西日本を横断すると予報されています。台風の経路上だけではなく、遠く離れた場所にも激しい雨をもたらしていますので、特に関東以西、太平洋側の方はどうかご注意くださいますように。
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八幡総本宮 宇佐神宮

2022年05月24日 | 九州
GWの人混みを避けて今月中旬、大分県宇佐市にある宇佐神宮を参拝しました。別府温泉からの帰り道、東九州道を宇佐ICで降りると約10分で宇佐神宮に到着。この辺りは14年前、行橋から別府まで夜を徹して歩く100㌔ウォークに参加した時に通りかかりましたが、宇佐神宮に足を踏み入れたのは初めてです。


地図で手前(北)の神橋から大鳥居を抜け、表参道を進むと、左方向にある小椋山の山頂に上宮が、山麓に下宮が鎮座しています。境内全体が国の史跡に、上宮内の本殿3棟は国宝に指定されています。


鬱蒼とした木々が川に迫り出す、神橋から寄藻川下流側の眺め。この橋を渡ると宇佐神宮の神域に入ります。


宇佐神宮のHPによると、全国11万の神社のうち、八幡大神(応神天皇)を祀る八幡宮が最も多く、社の数は4万を越えるそうです。その総本宮とされているのが宇佐神宮で、石清水八幡宮(京都)、筥崎宮(福岡)とともに日本三大八幡宮と呼ばれています。(箱崎宮の代わりに鶴岡八幡宮(神奈川)とすると説もあります)


八幡大神が降臨したと伝えられる菱形池。ひっそりと静まり、神秘的な空気が漂っていました。


菱形池に設けられた能楽堂。


小椋山の麓、菱形池のほとりに湧く御霊水。三つの霊泉からなる御霊水は、上宮本殿の真裏(北側)に位置し、古来、常に清水が湧き出て絶えることのない霊泉として知られています。


現在工事中の西大門を抜けて、上宮にやってきました。宇佐神宮の祭神は、八幡大神(応神天皇)、比売大神(宗像三女神:多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)、神功皇后(応神天皇の母君)で、写真の南中楼門と回廊に囲まれて、向かって左から一之御殿(八幡大神)、二之御殿(比売大神)、三之御殿(神功皇后)が並んで祀られています。
そこで湧いてくる疑問は、主祭神である八幡大神が一般的には中央に祀られて然るべきなのに、その場所を比売大神が占めていること。これは宇佐神宮の謎のひとつです。


入母屋造檜皮葺の南中楼門は、皇族や勅使が通った神宮内郭の南正門です。
神社では「二礼、二拍、一礼」が一般的ですが、宇佐神宮では「二礼、四拍、一礼」とされています。これは全国的にも珍しく、島根県の出雲大社と新潟県の弥彦神社だけなのだとか。これについて「日本歴史旅行協会」の『謎の多い宇佐神宮』という記事では、邪馬台国などの倭人の風習として、貴人に対して跪いての拝礼に代えて拍手を用いていたとの魏志倭人伝の記述を引き、宇佐神宮の格式から出雲大社と並ぶ「四拍」が採用されたのは、上宮の中央に八幡大神ではなく比売大神が祀られていることの疑問と合わせて考えると、比売大神は実は邪馬台国の女王卑弥呼だったのではないかと推論しています。事実かどうか判断すべくもありませんが、日本古代史の謎には興味深いものがありますね。


楼門から見える美しい本殿。


こちらは、小椋山の麓に創建された下宮。上宮と同じく、八幡大神、比売大神、神功皇后が祀られています。


勅使街道と西参道とをつなぐ、檜皮葺きで唐破風の屋根が設けられた呉橋。現在は封鎖されており、10年に一度の勅使祭の時だけ扉が開かれます。


宇佐神宮は、伊勢神宮に次いで重んじられたと言われます。「宇佐八幡神託事件(道鏡事件)」は、宇佐神宮がいかに皇室の信頼を得ていたかを物語るエピソードでしょう。8世紀半ば、称徳天皇に取り入った弓削道鏡は、「道鏡を皇位につけるべき」との宇佐神宮の神託をでっちあげて天皇の座を狙いました。これに対して称徳天皇は、神託の真偽を確認するため和気清麻呂を宇佐神宮に派遣。「君臣には定めがある。皇室の血統でないものを皇位につけてはならない」との神託を得ます。結局、道鏡が天皇になることはなく、皇統は守られたのですが、皇位継承という国の重大問題について、宇佐神宮の神託を仰ぐということ自体、当時の日本において宇佐神宮が特殊な位置づけ、役割を担っていたのではないかと想像が膨らみますね。
コメント (12)
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