早速使ってみる

日本の8・30総選挙を歴史的な(政権選択選挙)と意味づけている向きがある。
 そう意味づけしている人たちは選挙の先に政権の担い手を見ている。マニフェスト(政権公約)は誰が見ても変わらない国民の背景に地球や自然を勘案される事なく対地球との不適応状況の改善はどこにも無く何れも内輪の人間が中心で、立場によって異なる政権や自称・国民生活を主張するばかりである。
何故そこまで言うか? 
政治家やメディアだけでなく、今日に至った反省が国民からも聞こえてこない。
 これまでの全体的な状況認識の勘違いに気付かないで、次に何をしようと言うのだろう?
 確かな大元になる状況認識が立場の違いの前に俯瞰されないままにされている。
 論理的に無理がありそうだがとりあえず(ドジ的認識論)を使ってみた。
 
 
 
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背景によって見ているものの意味は変わるのに

見ているものは背景によって意味は変わる。
 同じ1個のりんごも木の枝になっている時と冷蔵庫に入っている時とでは意味が違う。
 勘違いの原因はそなところにあるのかもしれない。背景の違いを見ていない。
言い換えれば、例え内側から見たとしても見ている対象物の、向こうに何を見ているかによって対象物の意味は変わる。逆に意味づけによってその人間が見ていたものの先がなんであるかが分る。(この論法はこれからも使いたいのでとりあえず<ドジ的認識論>と記号化しておきたい。これで<産業構造の転換→>と二つ目)
 人間の背景には必ず地球と言う自然があるのに、我々が事物を見る時、必ずしも背景の地球を意識しないで見て意味づけて行動する。
 人間活動の多くも<政治・経済・文化)そうなっていないだろうか?
  現代の危機はこれが元になっているとは言えないか?
 人間はもともと勘違いしやすく出来ているようだ。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
  
  
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失業者の意味するものは

先日厚労省は、日本の労働力は600万人余計だとの統計を発表した。働く人のおよそ10パーセントである。
 欧米はすでにその辺りまで失業者を出しているし、アフリカ・中南米、中近東、東南アジアなど、地域的にはそれを大きく超えている所の方が多い。
 元々食べていけるところに人間が住み着いたのに、いつのまにか食べていく為に働きたくても働けない人がこんなに沢山出している。
 
 食べ物を育てる場所や方法が無いわけではない。なのに産業がそれに応えられないどころかそれを生み出している。
 
 対策?
  余計なものを作らなくても良いから、食料を作ったらいい。
  失業している暇は無い。
  
  どこかに、先祖伝来の田んぼや畑を遊ばせながら、食べられない失業者を出している国がある。
         今は昔の話しだけど‥ 
  

 

 
 
 
 
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これでは壊れる。が‥

現代は個の確立を前提としながら、お金儲けを優先した仕組みは人間を道具化させ、同時に自己責任のような個を求める。
 この矛盾したものを求められるから人間や、社会は壊れやすい。
割かれ形である。
 個の確立<自然)とお金とを引き換えにした現代人の勘違いだろう。
 人間だけ見ていると絶望的にすらなるが足元に地球、周りは自然にしっかり
 囲まれているからモタモタしながらも 大丈夫!
 点在していた小さな新しい芽は育ち繋がり小さなスペースもも出来始めている。
  
 
 
 
 
 
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