越せない大井川

物事は とっくに国境を越えて動いているのに人の心は なかなか越えられないでいるが, 少しづつではあるが 間違いなく越えられるようになって来ている。

 まどろこしい気にもなるが これが私が望む時代のテンポなのかもしれない。

  せかっちな性格は越えられないでいるが 少しづつ越えられるようになるのかな。

 箱根八里は馬でも越すが 越すに越せない大井川

  

 

 

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不思議な議論

 

   日曜討論会は2局とも国際政治における日本の立場を取り上げていた。

  参加していた全ての論者は国際関係を米中関係を中心に分析しているようだった。

 これだけグローバリゼーション(地球化)が言われながら 誰一人 地球の自然を加味して話す人はいなかった。

 「それは話題が違う」 とでも思っているかのようでさえあった。

  地球自然と切り離して世界の安全や経済を語ることが出来るのだろうか?

 

 

 

 

   

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持続しない「人間ファースト」

 

 グローバリゼーションを基底にしながらも、

子供や若者に対し 社会的な力による難民化・人間疎外が 進められてはいないだろうか。

 大人が 自然と社会の根底を曖昧にし 自己の価値観を中心にして動いているように思われる。  温暖化 環境の劣化が物語る。

   グローバルを単位にすると 民主主義を看板にしようと 「人間ファースト」の旗は持続しない。   

 

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ニュースを見ていて

 

 

「 経済圏構想」と「一国主義」を並べるは 旗色をさらすに等しく、

 グローバリゼーションを問うが如き動きが 世界を騒がす。

  蜜月を誇るは 愚かなり。  

    海水は上昇し難民が溢れ逃れるは 今なお続く。

       ニュースの裏が浮かんで見えた。

 

  

  

 

 

 

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データーが取り難い

希望と不安を抱き緊張して始まった小学一年生も一か月近くになる。

 果たして今 どんな具合で登校しているだろうか?

  子供たちの気持ちや動きはどう変化しているか知りたいがその術が分からない。

   安全委協力しながら 登下校の姿から 察する以外に浮かばない。

   データーが取り難い。

  

  

 

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カリキュラムにおける個体側からの情報

 

 

 公的教育では 個体との関係でカリキュラムのどこにどう無理がありどうしたらよいかは 常に検証の対象にしておくもの。

  永らく 社会的要請でカリキュラムが編成されてきたが 弊害が露わになっている今日 個体側からの情報が加味される必要があるが その兆しもない、

  

 

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絶対視するカリキュラム

  人は 普遍的に幸福を求める生き物ではないだろうか。

 日本の憲法で言えば 幸福は 25条の「健康で文化的な生活を営む権利」が当たるかもしれない。

  学校教育のカリキュラムが発達段階に即さず 健康や子供の文化を脅かしている可能性は無いだろうか。

 不登校や発達障害の増加は 個体の問題なのかカリキュラムの問題なのかを 何所で誰がどう判別してるんだろう。

 カリキュラムの問題とする議論の無いことが逆に検証を棚上げしてることの証ではないか。

 

   

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発達段階とカリキュラムの検証

 

幼児の統合的な動きに対し小学一年のカリキュラムは感覚の分化をも求めているが無理はないだろうか?(小学一年問題)

 発達段階に即してるかどうかの検証が必要だろうが 社会的な持ち場が思い当たらない。

 かつて学校現場では担当者の裁量の幅もあったが それも難しくなっている現在は

 検証する仕組みが必要。

 

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全人発達

  
 目の前に 全人的な成長発達を阻害されてきた大人と全人的な成長発達を阻害されてる子供がいる。
           その中心に 被害者であり加害者である自分がいる。

 

 

 

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教育虐待

 

 

日本の公教育のもつ問題はカリキュラムとの関係が大きい。

   現役時代、社会の現状や子どもたちの実情にマッチしていないのを強く感じて来、 今はさらに強化されているようだ。

  国で作る指導要領は 随所に「実情に応じて」と添え書きしているが 実際は実情を挟むことが出来ない上意下達の仕組みになっている。

 民主主義とは言うものの 中央集権的な伝統を持つ教育行政によって 子供たちは無理を強いられ多くの被害や弊害が出ているにも関わらず疑問や批判の声がどこからも聞こえない。

 「教育虐待」は 特殊な保護者の問題だけではない。

  

 

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