ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

瀬戸内一人旅 尾道編4

2018年11月30日 21時13分34秒 | ウォーキング

でもさあ、志賀直哉の旧居って
奈良にもあったよなあ。

調べてみたら、なんと彼が
尾道に住んだのは半年でした。
それを旧居としてとらえているって
すごいなあ。

彼の作品で読んだといえば、
ずーっとずーっと昔に
暗夜行路を読んだくらい。
大山に登って景色に感動した
ことくらいしか覚えてないなあ。



今回ここでは彼の旧居には入らず、
続きを歩くことにしました。

ここから先に行くと見えてきました。



この辺りで結構古くの
室町時代からある天寧寺の三重塔です。



ブラタモリにも出ていましたねえ。

大きな建物なので、
あちこち歩いているときに、
あああそこが天寧寺の塔だと
よく目印にしていました。

尾道のランドマークのひとつですねえ。
下から見上げると、
あああそこがこんな高さ
ってよくわかります。

この辺り、ところどころ植えている
樹が紅葉していていいですねえ。



ここへ来るまで電車等の中から
紅葉を眺めてきましたが、
まあ黄葉が多かったのですが、
ここはちょっと濃いですねえ。



斜めになった土地、海からの風なんかで
季節は一層早く秋を
迎えるのかもしれないねえ。

三重塔から天寧寺坂を下っていくと、



天寧寺の本殿に出ていきます。

建物が複雑に入り組んで立っていて、
離れへの廊下の下が
道になってくぐっていたりして、
ややこしいです。

ああ、こんな天寧寺の中にも
郵便バイクが入ってきていますよ。



この後も道のあちこちに
出没する姿を見ましたねえ。
恐るべし郵便マン。



天寧寺は曹洞宗の寺です。
本尊は釈迦如来。
境内には、ここにも大きな
蘇鉄がありましたねえ。



そして一番奥の建物が
「五百羅漢」が置かれています。



16羅漢と10大弟子、
それと500羅漢の526体が
置かれているんだと書かれてありましたが、
こんなところを見るたびに
いつも思うんですが、
地震の時は大変やろなあってね。

この寺から上を見上げると、
先ほどの3重の塔の上に
大きな石のあるお寺も写っています。



あれは千光寺というのですが、
ここには後刻行くことにしましょう。

それにしても本当にお寺ばかりの
ところですねえ。

尾道には広報に山が三つ迫っています。
もともとはそれらの山の間にあった
小さな町なのですが、
埋め立てが進んで少し広くなったところと
山手に人がすむようになって発展しました。

人口は13万人ほどいるそうです。

埋め立てしていなかった昔は
そんな後部の山の尾根の道を
歩いて生活していたそうで、
だから「尾根の道」=「尾道」
になったというのが有力な説なんだそうです。
勉強になりましたねえ。
テレビで言ってたけど・・・

ではなぜ、ここの山にお寺が
多く立ったのか。
それは後にここから見上げたところにある
千光寺で分かるそうです、
ってなんか口調までブラタモリに
なってきましたなあ。

では天寧寺をでて、
少し賑やかそうなところに出てきました。
そこにあったのが「艮神社」です。



え~、良い神様がすんでいる
ところじゃないですよ
「良」ではなく「艮」ですからね。

「うしとらじんじゃ」と読みます。



ここは尾道最古の神社といわれています。
この神社はねえ、有名な映画に
登場しているのですよ。
昔見た記憶がありますねえ。
原田知世が出演していた映画。

「時をかける少女」

の舞台となった神社です。

ほんとに古くって由緒ある
神社ですねえ。
ここには3本のでかいクスノキがあります。
一本は先が三つにわれた巨大クスノキ。



この辺りは湿気が強いのかなあ、
樹皮が所々苔でおおわれていました。
年期の入った木も生えています。

そしてこの木の上あたりを
ロープウェイが動いてますよ。



う~ん、神社がよく我慢しましたねえ。
きっと氏子総代がいい人
だったんでしょうねえ。

このロープウェイが
「千光寺山ロープウェイ」で、
午前中に古寺巡りコースを歩いた後、
doironは午後から
これに乗る予定なのです。

続く


瀬戸内一人旅 尾道編3

2018年11月29日 21時01分38秒 | ウォーキング

ここ光明寺は浄土宗のお寺です。
お墓がすごいですねえ。



中国人の人もびっくりしたかなあ



と思いつつ、あれ?
中国のお墓ってどんなんやろと
ネットで見てみますと、
墓そのものはよく似てますねえ。

ひと山すべてがお墓なんてのもあり、
いやあここぐらいの墓じゃ、
まったく驚きに値しないでしょうよ。

ここには第12代横綱の
陣幕久五郎の墓がありました。





稀勢の里が72代横綱ですから、
かなり以前の横綱です。
これがその横綱陣幕の手形。
いやあかなり大きな手ですねえ。



陣幕は39歳で横綱になったそうで、
それからでも活躍できるんですねえ。
今年休場となった32歳の
稀勢の里にはまだまだ
しっかり頑張ってほしいところです。

え~っとこのお寺の少し下には
「蟠龍の松」という
天然記念物の松が生えていますので、
それも見物していきましょう。



いやあ立派な松です。
なんか一癖も二癖も
ありそうな木ですねえ。

さて、ここから吉備津彦神社を
目指していきましょう。

少し階段を登りなおして、
東の方へと進んでいきます。

ここはねえ、一見さみしそうな
神社ですが、ちょうど
1週間前には大賑わいだったそうです。

江戸時代の終わりころ
尾道に疫病が流行りました。
毎日多くの町民がもだえ苦しんで
死んでいきます。
それをこの神社でお祓いした
ベタ、ソバ、ショーキの三匹の
鬼人が街に繰り出すという
ベッチャーという祭りのような
行事があるそうです。



昭和62年にベッチャー太鼓として
作曲された太鼓の組曲って
どんなんでしょうねえ。

残念ながら一週間後のいまはもう
痕跡も残っていません。

で、この吉備津彦神社は
その先にある浄土宗宝土寺の
一角にあります。

お寺の方にもお参りしていきましょう。



ここはまた大きな蘇鉄が
植えられていますねえ。
こういう古い寺社のなかでも
蘇鉄にいろどられているところは
多いですねえ。

特に和歌山熊野古道沿いには
いろんな感じで植えられています。

最近、尾道はこういう観光のほか
猫の町といわれています。
多くの猫が、階段や軒先のところに
のんびりと暮らしているなあ
って感じでした。

ここ宝土寺の出入り口のところにも
猫がたたずんでいますよ。



行く人行く人が頭をなぜていたり、
こっそりエサをあげながら
あやしていきますねえ。
SNS映えする写真を撮っている人も。



いやあ猫も頑張っていますねえ。
こういう猫も今は大きな観光資源で、
それを生かして石に猫を描いたり
これを福石猫というそうです。



階段を猫の形で補修していたりなんかも、
コースの各地にあるそうです。



このお寺を出るとコースは
一気に下の方へと下がっていきます。
こんな昔の標識も立っている階段道が
「千光寺新道」といわれています。



天寧寺のさらにその上にある
千光寺の方へと向かっている道ですね。

あれ?でも階段が工事中?
と思いきや半分を足場で区切って、
片側に板を引いていますねえ。
実はこれ、この上で現在
建築工事が行われており、
大きな荷物をあげるときに
この階段に作った板の斜面の上を
運搬機でもって上がるための物なのです。



こんな狭いところですから、
通路にまで細工をおよばさないと
いけないんですねえ。
建築なんかではこんな作業が
必要になってきたりするんですねえ。

そして実はこの先の階段では、
階段道をギクシャク上がっていく
階段重機を使っているのも見ましたよ。

そんな階段を上がっていきますと、
左に小さな階段道が出てきました。
これが志賀直哉旧居後に
上がっていく階段です。



ちょっとした広場も整備されています。

1999年に市制100周年を迎えた尾道。
その記念にと志賀直哉、
中村健吉の旧居などが
尾道文学の館として
整備されたんだそうです。



続く


瀬戸内一人旅 尾道編2

2018年11月28日 20時58分21秒 | ウォーキング

林芙美子、彼女は放浪記の冒頭にこう言ってます。



「私は宿命的な放浪者である。
私は古里を持たない…
したがって旅が古里であった」と。

古里を飛び出し、
一人でプラプラと旅するdoironとは
少し毛色がちがうかなあ。

そんな林芙美子像を背に、
さあ尾道の真骨頂、
山の方を目指して進んでいきましょう。

踏切を渡ったところに
こんな細い階段道がついていますよ。



上がっていきますと、
行き止まりになっています。

ああ、まだまだ尾道になれていない
doironにとってはまだここの道と
コミュニケーションがとれていません。

階段を降りて下の道を右に上がっていきますと、
おおここが古寺巡りの入り口ですね。



JRをこんな陸橋を渡った
ところから続いて行きます。



さきほどの林芙美子像のバックに
移っていた陸橋ですねえ。



上に上がっていくと、
聞こえてくるのは中国語ばかりでしたが、
その先のこんな道の
ところに出てきます。



狭い露地を抜けていきますと、
お寺の下のところにあったのが
2階井戸です。



井戸の取水口が二階建てになっており、
上からも下からも水を組むことが
できる仕組みになっています。



そもそも尾道は山手に
古寺がいっぱいあり、
民間人のお家があまり
なかったんだそうです。

でもこうして井戸を掘り
生活しやすくなってきたので
家ができていったという
経過があるそうです。



ブラタモリでは二階部分から
水を組む作業を映していましたが、
こういう井戸が人々の生活を
広げていったのですねえ。

亡くなった義父はこれが大得意。

好きな釣りに行ったときに、
海辺であっという間に水を
救い上げていましたねえ。

そんなシーンを思い出しながら
最初のお寺である「持光寺」に到着です。



お寺の案内なんかは、
こういうボードに記載されていますねえ。



どれどれ。

このお寺は天台宗のお寺ですねえ。



こういう多角語に対応した
音声案内なんかもありましたが、



う~ん周りが静かすぎて
音声を出しにくかったです。

このお寺にはこんな六地蔵も
ありましたねえ。



そして、臥竜の松と呼ばれていた
大きな松を飾っています。



もう生き耐えた松なんですが、
最後に白い花をつけたんだそうです。

松の花ってわかりますか?
どんな姿だったんでしょうねえ。

いつかは死んでいく生物の姿は、
私たちに無上の理を
告げているんだそうです。
ああ、お寺の人はうまいこと言いますね。

そして女流画家平田玉薀の墓を
眺めながら、この寺を出ていきましょう。



しばらく行くと、こんな道標と
狭い道が続いて行きます。



それにしても大変ですねえ。
こんな狭い道を郵便の単車が
ぐいぐい走り回っています。

「たいへんですねえ」
と声をかけると、
「時々道を間違えるんだ」
とおっしゃってました。

宅急便やごみ収集なんかも
どうなっているんでしょうねえ。

そして何よりもこんな狭いところに
家をよく建てたものです。

もう今となっては補修も
大変なんでしょうねえ。

大きな荷物なんかどのように
してあげていくのかと
そんなことも考えてしまいますよねえ。

そんな対策のいくつかを
実はこの後見かけたりします。

さあ、では次のお寺、
光明寺を目指しましょう。



この時、ふと気づいたのですが、
若い男子2人がずっと
同じコースを歩いています。

ちょっとお寺を外れて
大きな松の姿なんかを
見に行ったときも後ろに来ます。

変やなあと思っていたら、
二人とも中国人のようですねえ。

ああ、あの人についていったら
名所につくんやあ、みたいなことを
考えていたんかなあ。

あ、ここの道標のところには
トイレの案内もありますよ。



いいですねえ。

それをたよりにこんな坂道なんかを
歩いていきますと、
おお~ここのトイレも
情緒たっぷりじゃないですか、



と続く。


瀬戸内一人旅 尾道編1

2018年11月27日 21時23分17秒 | ウォーキング

え~翌日は彼に尾道まで
送っていただきました。

いやあありがたいものです。
運賃も宿代も助かります。
年金者の旅はこうでなくては
いけませんね。

福山を越えてすぐに尾道に到着です。

海辺にある尾道の駅前で
彼とはお別れです。
今度は彼に再会の旅で
ぜひ大阪に出てきてもらいましょうかねえ。



尾道の駅の前の海は

「尾道水道」といわれる海です。



細く、川のように海が走っています。
え~ブラタモリでも言ってましたねえ。
尾道水道は尾道の町の
埋め立てによってできた海だそうです。
またこの尾道水道が
この地方独特の文化を作っています。

対岸の向井島まで2~300m
くらいの距離です。
なあんて書くと、あの事件を
思い出しますねえ。

刑務所内で服役している人が逃げ出して、
しばらく向井島でひそんだのちに
この尾道水道を渡り、
逃げて広島市内で捕まったという話。

なんでも服役中の人間関係が
嫌だったとか。

あの富田林から逃げて
自転車で日本一周なんて言ってた若者といい、
この手の話はほんとにもう
驚くような話です。

人間関係がイヤって、
まあすごい人間関係を
あなたたちはもっている
じゃないですかあ。

尾道の町は山手の坂道の町と
この尾道水道までのわずかな平地に
人々が住んでいます。

そして山手の町は多くの
神社仏閣なんかが
置かれている街なのです。

ここへ行く前に、尾道の歩く道を
調べているときに、
市のホームページで歩く道を
アップしていたので、
その地図をプリントしたものと
ブラタモリの番組を合わせて
自分なりのコースを作ったので、
そこを歩いていくことにしましょう。

まずは最初は小寺めぐりコースから
入っていきます。

ちょうどそのコース沿いに
ここでは石票が建てられていて、
駅の前には「古寺めぐり順路」と
書かれた石が立っていましたよ。



この後歩いていて思ったのですが
この石票が至る所に立てられていて、
それをたよりに歩いていくだけで、
結構名所歩きができるようです。

それに沿って進んでいきますと、
ああここに思惑通りに
自転車の組み立て場がありました。



なにが思惑通りかといいますと、
実はこの尾道はしまなみ海道の
本州側の入り口なんです。

この街道では一般道もあるため
ウルトラマラソンの他、
自転車のレースやツーリングが
よく行われています。



自転車を輪行バッグに詰めて
電車でここまでやってきて、
ここで自転車を組み立てて
しまなみ海道に入っていく
という観光客が結構いるそうです。

だからこそ尾道は自転車にも優しく、
また自転車のお店なんかも
結構発達しているよという話を
聞いていたので是非行ってみたい
なあと思っていたのです。

激しい運動はやめましたが、
自転車はジムで月間500kmくらいは
乗っていますし、ときおりは
自転車でジムにいったり
近辺を散歩ではなく
散チャリしたりしています。

なので、まあ自転車は気長な
スポーツやなあとか思いながら
過ごしていたりするわけですから、
そんな尾道にとっても興味を
持っていたわけです。

まあ最初は坂道の古寺を回るわけですから、
さすがにその辺にはあまりいないようですが、
こういう自転車組み立て場のような
施設や自転車関連の案内が
あるんじゃないかなあ
と思いつつ歩き始めたのです。

そろそろこの辺で左に曲がって
山の方へ上がっていく頃やなあと
思ったそこにあったのが、
商店街の入り口に座っている
「林芙美子」の銅像でした。



なぜここに彼女の銅像が
と思ってしまいますが、
13歳から19歳までの多感な頃に、
彼女は尾道に住んでいたそうです。
学生時代ですね。

そしてもうここにも
マウンテンバイクに乗った観光客が
いてますねえ。

彼女の先品にひとつは「放浪記」。

ああ、まるで自転車で放浪する
私みたいやなあと、その客は
感慨にふけっているのかもしれません。

続く


瀬戸内一人旅 倉敷編2

2018年11月26日 20時52分04秒 | ウォーキング

バスを降り立ってみると、
ちょっと印象が変です。



海の浅瀬にあった石というのに、
海が近くにありません。

一面の畑地なんかが広がっています。

ああ、そうかあ海が倉敷川などによって
平地化されたんですねえ。
昔はもっと北の倉敷自体がもう
海辺だったんですねえ。

商人たちが海辺を埋め立てて街を作ったと、
ブラタモリでも言ってたもんねえ。

海辺の町で土地を作ったから
最初はコメが育たず綿を植えていて、
綿花産業が発展し
倉敷紡績があったんだって。

その倉敷の町からかなり
南の方にあるここ藤戸でも、
まだまだここから海へは
10km近く離れているもんね。

倉敷の歴史と海辺の浅瀬の藤戸石って
こんな歴史で関連してるんですねえ。

バスを降りて、道路沿いにある
「浮洲岩」の案内の石票のところから



入っていきます。

遠くから見た景色がこんな感じ。



畑地の中に円筒形の石を立てて、
なんと沼地のような形で
残しているそうです。

こんな石碑も立っていましたし、



「浮洲岩」と書かれた石の標識の
ところまでこんな石の橋が
かけられていました。



ああ、ここがあの石の生まれ
故郷なんですねえ。

昔の戦時に
ここにこんな石があって
浅瀬になっていると教えた漁師は、
その話をしたことが
敵側にばれないようにと
殺されてしまうんですねえ。
そんな謡曲も残っていたりするのです。

さあ、これでこの旅の一つの
目的は果たしました。
ちょうど来たバスに乗って、
大原美術館のところまで
戻っていきましょう。



ここから倉敷の美観地区に
入っていきましょう。

この倉敷市は人口が47万人。
当然中核市になっています。
もともと倉の敷地がたくさんあったことから、
倉敷地といわれ、
それが倉敷になったと
いわれているところです。

そんな蔵や昔の屋敷や
お店が倉敷川沿いに
多く残っているところが
美観地区といわれています。



ああ街路樹の紅葉も始まってますねえ。

こんな歩道をしばらく行くと、
こんなお菓子屋さんがあり、



そこから倉敷川が続いて行きます。



若干の紅葉と川の景色がいいですねえ。



遊覧の船が川の中を走って行きます。





こんな酒屋もありますねえ。



暗くなってきているので、
油断すると写真がぶれてしまいます。

ブラタモリでも紹介してたなあ、
この辺りには大きな
醸造場があるそうですから、
そんな地酒を売っているようです。

他にもいろいろとお土産屋さんが
続く道を、ぶらぶらと暇そうな
旅人風に歩いていきました。





倉敷川沿いから駅に向かう
商店街にも入っていきます。

あ、この神社はもともと
この辺りの海辺の地形を付けた
神社ですねえ。



みてみたいのですが、
駅に預けた荷物をとって、
あらかじめ約束していた
昔のトライアスロン友との再会時間が
迫っています。

神社仏閣などチラッと眺めながら
進んでいきましょう。

あ、ここのマンふたはこんな感じです。



倉敷の市の花である藤が
あしらわれています。
こんなカラー版もね。



そしてこれが昭和42年に
玉島市、児島市が合併した
二代目倉敷の市政50周年
記念マンふたかな。



doironも会社の50周年の時には、
冊子を二冊作るなど苦労したもんなあ。

そして倉敷駅にまた戻ってきました。



ここでトラ友に逢い、
久しぶりの再会を祝いました。

このトラ友は以前から
こちらに来いとずっと
言っててくれたのです。

レースでも一度お会いしましたねえ。
その友達と、今夜は居酒屋で宴会です。



彼ももう運動はやめていて、
いろんな思い出話に花が咲きました。
この居酒屋のイカとサザエの
網焼きはたまりませんでしたなあ。



案の定、彼の家に泊まっていけ
と言われ、思惑通りに夜遅くまで
楽しませていただきました。

瀬戸内ぶらり一人旅、
順調に進んでいます。

続く


瀬戸内一人旅 倉敷編1

2018年11月25日 21時20分10秒 | ウォーキング

台風災害の修繕の中で
ガレージを触ることになり
駐車場がこんな感じに便利になって
ミセスが車を出すのも便利になりました。



これまではというと、
doironがいないときには
ミセスがでかい車を必死で動かして、
軽自動車を出していたのです。

最初の頃は「大冒険」だった、
と言っていたのだが、
まあこの頃は慣れてきたものの、
やはりまだ変な汗をかくと言ってた。

だからdoironが電車で
歩きに行くときなんかでは、
今日はできるだけ軽自動車を
動かさないようにしようと
心を決めていたのだそうだ。

とはいえやはり車が
必要な時はよくあるもので、
そんな日に軽自動車の出動が
頻繁になることが予想される日には、
doironが車で駅まで行って、
安い駐車場に止めてくる
というようなこともよくしたものだ。

そんな風にdoironの行動が、
ミセスの動きを制限するということは、
ミセスへの点数稼ぎとか
これからのことも考えて
できるだけ避けるようにしていたのです。

でももう安心ですね。

doironが車じゃなくて
電車で出かけても全然平気です。
ミセスは自由に軽自動車の出し入れを
すればいいわけです。

よかったねえ、これでdoironの
自由度がさらに上がるねえ。

なので発泡酒じゃなくて
ビールをお祝いしようなどと
駐車場完成をよろこんだり
していたのですが、
その隙にdoironはもう新たなたくらみを
思いつきミセスを説得し始めていたのです。

「こうして自由になったからには、
doironの電車でブラブラと
一人旅もいいのではないか」
と行ってみたら
「そやねえ」と言ってはりました。

で、これはもうチャンスだと思い立ち、
翌日に電車一人旅計画を
提出してみたわけです。

「う~ん」といいつつ、
昨日の今日なので決済がおりました。

ではどこに行くかと考えると、
今行ってみたい場所が
結構瀬戸内にあるなあと思い、
プラプラとその辺の一人旅をしてみよう
ということにしたのです。



計画で行くと一番遠方で
「尾道」くらいですかねえ。

年金暮らしですから
財布にあまり負担にならないよう、
にしないといけません。
なので新幹線には乗りませんよ。

計画は2泊3日。

宿ははっきり決めていません。
瀬戸内の大きな駅前には
大きなビジネスが結構ありますからね。

では、まず最初は倉敷を
目指してのんびり向かいましょう。

神戸、相生、岡山とこえていき、
昼過ぎには倉敷に到着です。

まずはここでは、
あの京都醍醐寺にあった
名石である”藤戸石”の産地を
見に行くことにしました。

ここを見るのはねえ、
醍醐寺であの名石を
見たときからの要望でした。

あの、天下の戦を左右した
石の姿はさすがに
かっこよかったものねえ。
あんな石があったところ
というのはどんなところだったのか。

そういうところを見たい
というまあこの辺の要望が、
今回の旅先を決める
一つの要因であったと思います。

藤戸石は現地では

「浮洲岩」

といわれていたそうです。

藤戸海峡にはいつもその石が
顔を出しており、
ここを馬で渡れるかどうかの
目安となり、それを制した
佐々木盛綱の軍が勝利を収めた
といういわれがあったりします。

その後、この石は『東備郡村志』によれば、
名石として珍重されて
建武年間(1334~1338)に
当時の将軍足利義満が取上げ、
金閣寺へ移したそうです。

そしてその後は細川典厩家の庭に
置かれていたのですが、
細川藤賢の代となってから
織田信長が錦に包み足利義昭の為に
築城した二条城へ移し、
後に豊臣秀吉が聚楽第へ、
さらに江戸後期には
山城醍醐寺三宝院の庭園に移ったという、
天下人がかかわった石なのです。

今年、醍醐寺に行って
撮影したその石がこれです。



これが全体写真で、
ひとつだけ圧倒的なオーラを
放つ石がありますね。



そうこれが天下の名石「藤戸石」なのです。

これのあった場所というのが、
倉敷のここであります



と続く


京都三十三間堂を目指して4

2018年11月24日 21時06分28秒 | ウォーキング

お金を払って中に入っていき、



まずはお堂の周りを
時計回りで歩いていきましょう。



ここは夜もぐつぐつと水のわく
夜泣せんという霊泉があります。





あまりにも夜に鳴き声のような
音がするので、夜泣きの子どもに
いいそうです。

そうかあ、孫のそうちゃんが
夜泣きしないように
お祈りしておきましょう。

そしてここが秀吉が
作ったという太閤塀です。



お堂の周りは結構歩きでがあります。



こんな長いところで矢を打つんですねえ。



そんな浮世絵を探してみますと、
こんな絵がありました。



画面の端っこに矢を打つひと
むこうのほうに的が描かれています。
それにしてもよく屋根に
矢が当たらなかったものです。

矢の飛び方や特徴は
よくわからないのですが、
単純に物理法則で考えてみましょう。

もし屋根まで5mの高さがあるとします。
矢が物理の法則に従って
5mを落ちるのには
加速度と時間と距離から

4.9t²=5とすると

ほぼ1秒です。

それを登りと下りで2秒の間に
120mを届かすとしたら、
弓の速度は落ちないとして秒速60m。

時速になおすと216kmの速さで
矢を放たないといけません。

大谷君の投げる球より、
50km以上の初速ではなちます。

いやあすごい力ですねえ。

でもそれで驚いてはいけません。
昔この矢打ちをする人は、
なんと24時間でどれだけの矢を打って
どれだけ成功させるか
というのを競っていたそうです。

これまでの最高は江戸時代の和佐大八郎の

総矢13,053本、通し矢8,133本で、

成功率62%。
なんと一分間に9本発射していることが
わかるそうです。

伝説でもあるのでしょうが、
それだけの数の矢を
どうして用意して、誰が
矢打ちの成功率をどうやって数えたのか
メチャ気になりますねえ。

いまもお堂の壁とかには、
矢の跡もあるそうです。
でも最近は矢打ちの距離も
60mの距離に引き下げられ、
屋根の下ではなくオープンで
毎年成人の日に新成人の
矢打ち大会が行われるそうです。

そんな弓矢の競技会に思いを馳せながら、
ではお堂の中に入っていきましょう。

こんな長いお堂の中は
どうなっているのか。

ここの本尊は千手観音座像です。
お堂の真ん中に座っておられます。



そしてその周りはというと、
ネットではこんな感じ。



なんと合計1001体の
千手観音立像が立っておられます。

うひゃあ、これはすごい。
壮観です。でも地震来たら
どうなるんだろうと
すごい心配をしてしまいましたなあ。

周りの千手観音の間には
28部衆立像と端っこに
風神雷神が立っています。



それにしてもすごい。
仏像の威圧感はただものではありません。
これらはどの仏像も
すべて国宝になっています。

ただ単に名前が有名だし、
一度ははっきりと見ておこう
と思って行った三十三間堂なんですが、
そのでかさに驚き、
その仏像群の威圧感に驚いた
観光になりました。

建物の屋根近くには
数々の弓道大会の結果が
掲げられていたりもしましたねえ。

小さな子どもで
感覚の鋭い子供だったら、
きっと恐怖感におそわれる
お堂だったでしょうねえ。

最後に、こんな長いトイレで



幸せのオシッコ打ちをして
大満足で出てきたdoironでした。

さあ、ではこれで今回の歩き旅は
ほぼ終わりです。
ここから三十三間堂のお寺の周りをまわって、
車のとまっている東福寺駅へと
歩いて戻っていきましょう。



歩いたのがこんな感じで、
距離は9.8キロと
意外に頑張りましたねえ。

で、次の京都はどこに行きましょうか。

行きそびれた札所の今熊野観音寺も
いいかもしれないねえ。

そこを中心に別の
歩くコースを考えようかなあ。

それとも、鞍馬から貴船を
歩いてみるのもいいかなあ。

静かな鞍馬と木の根道なんてのが
いいかもしれませんねえ。

ゆっくり考えて計画していきましょう。

三十三間堂への旅、
これにておしまい。


京都三十三間堂を目指して3

2018年11月23日 21時02分28秒 | ウォーキング

楠(くすのき)大権現と名付けられた、
後白河法皇お手植えのクスノキは
御神体のように祀られています。

女性が一人写真を撮ってはりましたねえ。



すぐ横にまで行けて雄大な木に
さわれるようになっていますので、
doironも撮影しておきましょう。



それにしてもこのごろは
ドジ旅以来多くのクスノキを
見てきましたので、
太さや様子から大体樹齢がわかるよねえ。

「う~ん、この木は900年くらいか」

と思っていたら大体当たりでしたねえ。
900年くらい前の後白河法皇
お手植えなので予測はつきましたけどね。



足元を見ると大きなクスノキの
表皮がいくつか落ちていますので
ひらっておきましょう。



部屋の郵便受けの片隅に
飾っておきました。



あの東大寺二月堂の厄除けの
焼けたスギ同様に、熊野が
大好きだった後白河法皇の
遺品としてたまに眺めたりしましょうかねえ。

そしてまたこの神社は
足利義満が観阿弥・世阿弥と
出会った場所でした。



今の芸能史の根本が
この出会いから作られていった
といわれています。

さあ、ではもうお昼です。
この辺りの食堂で昼食と行きましょう。

新熊野神社を出て周りを探しますと、
おお~対面に回転寿司屋があるぞ。

門真のあの店程小さくは
なさそうですが、やはり小さな
お寿司屋さんです。

ではあそこで昼食と行きましょう。

京都のお寿司屋さんです。
きっと北山杉のお箸で、
はもやかぶらのお寿司に
芝付けついてたりしてなあ
とか思っていたら
全然普通のお寿司でした。

うどんとお寿司2皿、
それにジャーン、生ビールです。



うまくって、うまくって
国宝級のビールを古都の風情を
満喫しながらいただきました、
ってどんなんやねん。

さあではまた進んでいきましょう。
この寿司屋さんの少し北側に
JRが通っています。



京都駅を出てすぐのところですねえ。



新幹線は残念ながらもうこの辺では
トンネルの中です。

そしてその先にあったのが
こんな乳だれのあるイチョウの木です。



ああさすがに京都。
これくらいの乳だれなんて
何にも興味が示されていませんねえ。

総代をやっている地元の神社で
こんなのがあったら、
下に賽銭箱置いて祀ってやるのになあ。

その先の秀吉が長男の菩提を
ためらうための寺々のある
智積院でトイレを借りて、
そのさきの東山七条を左折していきます。



右側には京都国立博物館がありますよ。
いまは「京の刀」という
特別展示をしているようです。
それにしてもすごい人です。
みんなこんな展示をわざわざ
見に行きはるんですねえ。



外国人向けのツアーとかも
あるのかなあ。

そして左側に出てきました。
本日最大の目的地としていた
「蓮華王院」すなわち三十三間堂です。



ああ、ここも大勢の人ですし、
学校の遠足のような団体さんも
いますねえ。



先ほども登場した後白河法皇の寺の中に
平清盛が造営した仏造であります。

長さが33間、すなわち
100m位所もあるような仏像です。
とまあこう書くと「間」というのが
長さの単位と思われがちなんですが、
実際は社寺建築の柱間の数を表す
建築用語なんだそうです。

正確にいうと長さは約121m。

この長さの仏造の中に、
何が入っているのか
気になりますよねえ。

そして本当の名前でいう「蓮華王院」には
意味があります。

このお寺を造営した後白河法皇は
頭痛持ちだったそうです。
仏の教えでは熊野の川に沈められた
蓮華という名の僧の目玉から
柳が芽を出して頭をゆすっているから
頭痛が起こっているといわれ、
熊野でそのどくろを取り出して
ちゃんと祀ったところ、
頭痛がなくなったので
こういう名前になっているそうです。

え~、じゃあdoironのような名前の
僧の財布の中から
柳が芽を吹いているから
お金に縁がないのかなあ。

でもまあここが目的に来たのです。
600円の観覧料をウッシャア~と払い
中に入っていきましょう。

続く


京都三十三間堂を目指して2

2018年11月22日 21時20分47秒 | ウォーキング

とりあえず東福寺の料金所の
前まで行って中には入らず、



またもとの道に戻ってきました。



さあ、ではここから少し
東向いて進んでいきます。



しばらく住宅地を進んでいきますと、
左手の山の中から仙人のような
高齢者が走り出てきます。



おおもう知らぬ間に我々は
こんな世界に紛れ込んでいたのか
というような感じです。

そこにあった案内板を見ますと、



京都一周トレイルの看板と案内です。
ああ、山を走るおじいさんでったんですねえ。
あんなに髭伸ばさなくても
って感じでした。



その一周トレイルの階段を
上がっていきますと、
そこに宮内庁が管理する
親王及び内親王の墓があります。



「守修親王墓」、
「淑子内親王墓」、
「朝彦親王墓」ですねえ。

そんな墓を通り過ぎていくと、
そこにあったのが泉涌寺です。




ここはねえ拝観料がいるのですよ。

京都をぶらぶらするときは
この手の経費が大きくかかります。
まあここで見たかったというのは、
玄宗がつくらせたという
「楊貴妃の観音像」というのが
ここの観音堂にあります。

え~それを見てみたいのですが、
まあ今回は遠慮しておきましょう。

目的が違いますからね。

京都で行くたびにすべての
お寺に入っていくと、
もうきりがないくらい経費がねえ・・・。

ま、ここはネットで観賞しておきましょう。

これはその観音堂で



その中にいるのが、この楊貴妃さんです。



ここは良縁祈願や縁結び、
美人祈願まで女性の願いを
かなえてくれる
パワースポットらしいです。

あ、doironのブログを見に来ている女性は
美人ですからネットの画像で十分ですねえ、
へへ。

さあて、ここの先には
「今熊野観音寺」がありますが、
まあここも横を素通りしていきましょう。



まあ、あの熊野の字が入っているから
気にはなるので、後でネットで
調べてみたら、大変なことが。

な、なんとここは西国三十三カ所の
15番札所だったんです。

三十三間堂を頭に置いていたので
三十三カ所は全く脳みそのの中から
抜けていました。

脳梗塞部分でかくれてしまっていたのでしょう。

でもなんかうまい具合に
出来ていますねえ。

同じ「三十三」なんて。

でもこれも調べてみたら、
根拠があるんですねえ。
三十三は観音に縁のある数字で、
「法華経」等に観音菩薩が
三十三種の姿に変じて
衆生を救うと説かれる
ことによるらしいです。

そんなことがわかっていたら
ちゃんと準備していったのにねえ。

ざんねんながらこの日は
納経帳も何も持っていなかったので、
パスしました。
いやあ、まだまだ信心が
足りてないってことですな。

また改めて納経セットを持って
ここを訪れましょう。

このお寺は泉涌寺の参道の
途中にあるようです。





どんどん下っていきますと、
ここが参道の入り口です。



車がねえ、結構ここをくぐって
入っていくのです。

そしてその横には即成院
というところがあります。

弘法大師像とかあるらしいので
入っていくと、なんか譜面置き
見たいな案内が並んでいます。



そうお寺で音楽会をするんですねえ。

そこに本日は拝観できません
と書かれてあったので、
弘法大師像だけ写真に撮って
出てきました。



この後はさらに下って
東大路通りの方へと出ていきます。



車やバスがドワーンと走ってますので、
商店街の中を歩いていきますと、
そこにあったのが「新熊野神社」ですねえ。



「新」という字がつきますが、
これは「いま」と読みます。



後白河法皇が創建した神社です。

あの熊野詣でを34回も行った人ですねえ。

源頼朝はこの法皇を日本一の
大天狗と言っていたそうです。
その法皇が植えたとされる
でっかいクスノキが、
今も神社の入り口横にそびえています。



見てみましょうと、続く


京都三十三間堂を目指して1

2018年11月21日 20時08分54秒 | ウォーキング

京都のお寺となると、
学校の遠足などでいくつかは
行ったと思うのだが
ここはどうだろう。

三十三間堂。

行ったのかどうなのか
残念ながら全く覚えていない。
ただ名前は有名ですよね。
長い建物で、そこで弓引きを行い
100m以上もある場所を貫く
といった行事があったと聞くところです。

もし行ったことがあるのなら、
子どもを連れて、安全に意識しながら
頑張ってあちこちに
遠足に行った先生方には
全くもって申し訳ないと思うほど
何も覚えていない。

そうやなあ、doironがお寺で
かろうじて覚えているのは、
小学校で行った東大寺の大仏殿
くらいかなあ。

柱の間の隙間を潜り抜けたのは
まだ何とか記憶の片隅に
残っていたりする。

まあそんなわけで、
大人になってからも行ったことはなく、
子どもの頃に行ったのか
どうなのかもわからない三十三間堂に、
今回の京都歩き旅で行く計画を立て、
出かけてみることにした。

ちょっと早い秋の京都。

ところどころに紅葉があり、
深まる秋を迎えつつある
古都の風情を味わいに、



ポイント稼ぎでミセスと
行くことにしましょう。

まあ、ミセスと一緒ですと、
昼間にビールもできますしねえ。
家から車で出発です。

阪和道から近畿道、第二京阪と
乗り継いでいくと、
京都までは意外に早く
到着するのです。

コースの目標としては
軽いものにしました。

ミセスも歩くし、どうも
京都は意外なところで
引っかかったりして
時間がかかったりすることも
おおいのです。

まずはJRの東福寺の駅の近くの
駐車場を目指します。

すると駅の近くに4台しか止められないけど、
安いところがあったので
そこにしました。
まあ、もともと東福寺の
駐車場など安いところはないかと
リサーチしていたのですが、
パッと見つかって安かったので
そこに決定です。

車をとめて、さあではまず
一番最初に東福寺を目指しましょう。

この寺には、ブログをたどって
見てみると、9年前の秋に
紅葉を見に来ています。

あああの時は真っ赤だったなあ。
参道入り口あたりから
もう長蛇の列ができていたもんなあ。
今回は参道はガラガラで、
日本人と外国人が半々くらいでしたねえ。

東福寺の入り口にさしかかるまでに
いろんなお寺の横を通ります。

尺八根本道場の明暗寺、



ここは不動明王、



そして京料理のお店をしている寺
なんかもあります。



え~っと、京料理ですかあ。
これっていったいどんなものなんでしょう、
和食を京都で出しているから
京料理?
う~ん、ちょっと違う気もするなあ。

ネットで調べてみると、
大阪に比べて京は海産物とかに
恵まれていないから、
野菜なんかでちょっと工夫なんかして
それなりの味を出している
みたいなことがかかれていますねえ。

どんなんやろかあと思いますが、
まあ京料理をいただくということも
ほぼないのでまあええかあ
って感じですが・・・。

とまあそんなことを言ってるうちに、
東福寺の通天橋が見えるところに出てきます。



ここは九条道家が高さ15メートルの
釈迦像を設置することを
発眼したもので、
寺の名前は東大寺と興福寺から
1文字ずつとって名付けたものだということだ。

ああなんかなじみのある
名前やなあと思っていたんです。

今も仏手が焼けずに残っており、
かつて巨大な釈迦像があったんだろう
といわれています。

境内を移動するのには3つの橋を
渡りますが、そのうちのひとつ
「通天橋」は周りを紅葉の木々に囲まれて
絶景を作り出しているといわれます。

これが9年前に来た時の通天橋の景色で、



今回はまだ紅葉も本格的ではなく、



こんな感じになっていました。

前は11月の末ごろでしたねえ。
あともう少しで紅葉真っ盛りに
なるのでしょう。

まあ今回の目的はここでは
ありませんからねと、続く。