ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

会計報告の作成 令和2年度

2021年03月12日 21時18分32秒 | 最近の出来事

さあて年度末が近づいてきた。

この段階で、doironに課せられている仕事は
村の自治会の会計報告だ。
今は自治会会計という役を与えられている。

家庭内は年金生活で火の車なのに
こんな役をやらすとはええ加減なものだ。
といって不正はしませんよ。
一円単位まできっちりと管理します。

神社の氏子関係は
もう年度内会計報告はすんでおり、
全員一致で承認を得た。

まあこれはお金の計算をするのは神主なのだが、
それを会議ではかり、承認に持っていく
報告会の司会はdoironなのだ。

今年は、コロナのおかげで正月の
奉納もどうかと思っていたのだが、
意外に皆さん日にちを分けて
お参りに来られたので、
さほど業績ががっくり
下がったということはない。

あまりひどかったら、
休業宣言で補助金出たりしないかなあ。
ま、神社にそんなことはないか。

そして地蔵講の方もお金を使ったのは、
地蔵盆を中止にしたので
ほとんど支出がなく、ふだんの花いけや、
清掃の活動にかかったくらいだから
会計報告はたいしたことはない。
で、まあこちらは会長なので
気は非常に使っている。

地蔵は6月の総会くらいで
報告することになるだろう。

問題は自治会の会計報告だ。
こちらはやはり活動が多いので、
様々な出来事に基づいた収入、
支出も多いので、報告書は複雑でややこしい。

持っているお金の量もかなり多い。

まずは収入について整理だ。
最初に管理している通帳関係の
記入をおこなっておく。
何か所か取引している金融機関が
あるので、順番にグルリンと回っておく。

それから中身の整理にかかろう。

一番肝心なのは町会費の整理。
件数についてはこれは自治会規模に
かかる事項であるので件数はここには記載しない。
でもまあ、遠くに引っ越しても、
ここには祭りもあるし、
この我が町が好きという人は家はなくても
席を残して町会費を払ってくれている人もいるから、
それももちろん入れていかないといけない。
それに、新たに家を建てた人も
途中から入ってこられたりするので、
簡単なようだが意外にややこしくなっている。

記録はきちんとつけておかないといけない。
でないと途中でいつだれが入会した
退会したとか、訳が分からなくなるのだ。

ほかにも公民館使用料もある。
民間教室団体が借りに来たりしているのだ。
あと、公民館前などこちらで設置している
自販機のもうけ分なんかも
入ってくるから整理しておく。

そして大きい所では、
やはり市役所関係から支給される補助金だ。
広報配布、電気代補助に加えて、
今年はコロナ対策に関しての補助も降りたから、
それらは収入として加えておく。

支出となるとまたまた複雑だ。

我が自治会が独自に対策した
コロナ対策もある。

それに、保険契約、集合時の飲み物、
掃除道具購入、公民館の補修
老人会や衛生関係、防犯関係など
各団体への補助金なども
自治会の会計に絡んでいる。

これらをすべて総合し、今年の会計報告書を作るのだ。

電卓、通帳、エクセル、ワードを駆使して
丸一日かけて整理し、ようやく完成。

これを町会長に報告し、
了解を得られたら、会計監査のところに
持って行って、報告をするのだ。

自治会の総会は3月21日。
この日に住民の報告を終えたら、
今年の会計の仕事は終わる。

ああ、なんか複雑だけど、なんとか
うまくいきますように~と
心から願っている今日この頃だ。

 


アイ ラブ ニュウヨク

2021年02月27日 21時19分44秒 | 最近の出来事

二月に入ってから、
天気もさほど良くなく、
山に行ったら凍ってるんじゃないか
というような雰囲気が
続いたりした時期があった。

そんな時には何も慌てて
あちこち歩きに行ったり、
登りに行ったりしなくてもいいよなあ
という感じで、もう全く世間は
冬の終わりを迎えているようなときだ。

でも、でかけなくても、
お絵かきやブログの書き溜め、
気になっている小説の読みため、
年度末になってきたので
町内の会計の整理など、
おうちにこもっていても、
やるべきことはいろいろあるのだが、
そんな時でもやたら
お出かけしたいという日もある。

なので、じゃあ曇り空やけど
一度大きなお風呂屋さんにでも
行ってみるかと思い、
お出かけすることにした。

目的地としたのは、光明池の奥にある
「スパ・リフレ光明池」というお風呂だ。

この近くにはゴルフの打ちっぱなし
があり、すこしゴルフが盛り上がって
いるころに何回か打ちに行ったなあ。

ここに車をとめて、
滝畑ダムまで走っていったことも
あったなあ。
もちろんお風呂だけ入りに、
へらへらと出かけて行ったことも多い。

そんな思い出深いお風呂をまず目指して
進んでいくことにしましょう。

車にお風呂セットを積み込んで、
信太山方面へと向かって行きます。
免許証の更新が予約制となった
免許の試験場をこえ、
友だちがよく行くコムボックスもこえて、
ずんずんと進んでいくと
左手にその施設が見えてきます。

おおここだここだと駐車場に入ってゆくと、
アレ?がらすきです。

これはおかしいとよくよく確かめてみますと、
火曜日は休みのようでした。
ウヒャー、これは残念です。

仕方ないなあ、じゃあ今日は帰るかと
あきらめかけたのですが、
まてよ、あの「いよやかの郷」が
別の名前になって再開されていたなあ
と思い立ち、一度行ってみるかと
そこへ出かけて行くことに方針転換です。

車を走らせて向かいます。

くるくると回り、最終的には昔、
バイクの練習でよく来た通りを
通って到着しました。

「ああ、あの頃よくもまあこんな道を
バイクで楽しそうに登ったものだ」
なんて思いながらの運転でした。

施設の名前は「四季まつり」に変わっています。

以前は、施設を通り過ぎたところに
駐車場があったのですが、
今は施設前にもとめるところがありますね。
ここに入りましょう。

う~ん、コロナでこんな時期ですから
ガラガラのようですね。

車が全部で5台くらい
止まっているだけでした。
では中にはいってゆきましょう。

お風呂とかは前の施設を
使っているんやろなあと
想像していたのですが、
変わっていましたねえ。

意外にお金をかけて
リセットされているようです。

無人の更衣室で脱衣し、
中に入ってゆきますと、
あれ無人です。

貸し切りですかあと思ったところに、
階段から一人降りてきました。
その人は水道のところに座ったのですが、
doironは露天風呂へ。

いやあ全く無人でのびのびします。
プラ~と入浴しながら、
何となく春の気配をじわーと
にじませている山並みを見つつ、
のんびりと過ごします。

先ほど階段を降りて来た人がいたので、
どんなかなあと上にもいったのですが、
広いスペースに椅子が一個置かれているだけの
シュールな景色でしたねえ。

コロナの時期なのでお風呂も
混んでいたらいややなあ
と思ったのですが、
なんてことはないほぼ無人風呂で
お出かけ感を満喫した
doironだったのでした。

 


耳寄りな話4

2021年02月26日 21時30分41秒 | 最近の出来事

さあて、いよいよ耳のイボの治療も3回目。

最初に言われたとおりだと
後半戦に入ってきました。

二週間おきの液体窒素治療が
4回は必要といわれて、いよいよ
3回目の塗布の時期が来たのです。

2回目の塗布を終えて、
幹部にはかさぶたが出来ています。
いやあ液体窒素はまあかなり幹部にも
こたえているようです。

でもねえ、その治療の昨日に、
服を着るときにクチャッと触ったから、
その勢いでかさぶたが今は
はがれそうになっているのです。

クク~痛いんです。

これはもうイボの最後のあがきでしょうか。
時折かさぶたが髪の毛に触れ、
幹部をちらちら刺激します。
そのたびに、ううと言って
しまいそうになります。

前回もそれとよく似た状態で、
幹部に液体窒素を塗布したものですから、
かさぶたの下に塗布するときは、
16文キックを食らったように
痛かったのを思い出します。
そんな経験を踏まえたうえでの治療の続きです。

イボもかなり疲弊はしているようですが、
果たして今回はどんな感じに
なるでしょうかあ。

で、先日さあ治療だと緊張しつつ、
皮膚科まで歩いて行きました。

町内会の掲示板の張り紙とかを
整理しつつ、病院に着いたのは、
8時45分の受け付け開始から
15分後。
ちょうど診察の始まる午前9時でした。

受付で聞くと、今回は5人待ちの
状況でしたので、そのまま
皮膚科前のテーブルで、
小説「宮本武蔵」を携帯ソフトで
読みながら呼び出しを待ちます。

本位田又八が、国から追いかけられてきた
母親に見つかり、「又八」と大声で
呼ばれたところで、doiron
看護師に「doiron!」と呼ばれ、
その声にもおびえつつ診察室に
入ってゆきます。

幹部を見せると、

「ああ、かさぶたが浮き上がっていますねえ。
これは切り取りましょう」と
治療用のはさみを取り出してきます。

後ろでは看護士が、
ちょろちょろっと液体窒素を
容器にそそいでいます。

「少し痛みますよ。」とかいいながら
幹部に触って来ます。
もうまな板の上の鯉、
台所につるされたアンコウです。

おびえた顔をしながら
チョキ、チョキッと耳元で
作業が続いています。

ここはそれ、むつかしいことを
考えながら、神経を耳から
離してゆきます。

「え~っと三角関数の余弦定理は」
と考えているうちに



「じょきっ」と一瞬鋭い痛みが
走ったところで、かさぶた取りは終わりです。

「こんなんでしたよ」と言って
見せられたかさぶたは、
悪魔のような顔をしていました。

「では、液体窒素を塗布してゆきます」
と先生。
ウヒャー、もうここからは、
頭の中で「般若心経」を始めて
ゆくことにしました。



もうこころは曼陀羅に
向かってゆくようです。

ジュルジュルっと治療が続き、
もう少しですよというところで、
やってきました。
16文キックを超え、今度は32文キックです。

「はい。痛かったですね。
テープを貼っときます」といわれて、
ペタッと貼られました。

念のために先生に
「そのテープには痛み止めが
たんまり塗布されていますか」
と聞いたら、笑いながら
「はあ、残念ながらただのテープです」
との答え。

そうかあ。しかたないなあ。
「じゃまたしばらく耐えて見せます」
と大口をたたいて診察室を
後にしたのです。

会計を待っている間も、
耳がじんじんします。
もう帰る時なんかは、
あの手品師のギャグのように
「耳がこんなに大きくなりました」
ていう感じです。
痛みのおかげで、左耳だけが、
小象のようにダンボ状態に
なっていたかもしれません。



そうやって、半日くらいは
定期的な痛みに耐えながら、

「頑張れ、頑張れ」と
自分に言い聞かせつつ、
悟りの世界に近づきつつある
doironだったのでした。

 


耳寄りな話3

2021年02月17日 20時33分33秒 | 最近の出来事

左の耳の耳たぶの内側に、
イボができており今現在それを治療中だ。

前回医者に行った時に、
変な出来物じゃないやろうなあ
と意識して診察してもらったら、
瞬時に「イボ」ですね、
と断言されたので、これを
液体窒素の低温(-196℃)で
焼き切る作業をしているのだ。

前回に塗り込んだ窒素で
そのイボが変化をし始めている。
表面が黒くなり、一部が固くなって
かさぶたみたいに変形し始めています。

医者が言うには、これくらいの大きさの
イボでしたら液体窒素の塗布を
二週間ごとに4回くらいやれば
治るだろうという事でした。

そんな変化をし始めている
イボの治療が二回目を迎えたのである。

「このまま医者に行ったら、
かさぶた部分を『ムチッ』とかいって
むしられないだろうなあ」
と軽く心配しつつ、
医者に向かってゆきます。

あ、同じ町内会の医者なので
歩いて行くわけです。

この医者は、地元の人でいっぱいです。
待合室を眺めたら、
必ず知り合いがいます。

「どうしたん?」と聞かれると、
「これやねん」といいつつ耳を見せます。

「あ、髪の毛抜けていくのは直されへんで」
とか言われないか心配です。
「これを焼いてもらいに二回目やねん」
というと、
「可愛い病気やなあ」と言われます。

いやいやほんとはもっと大きな病気も
持っているんやけどね。
でもへへ~と笑ってごまかしておきます。

この日も皮膚科は4人待ちの状況です。

携帯の「青空文庫」のアプリで
小説を読みながら待っていますと、
「doironさ~ん」と呼ばれました。

前回よりはかなり早い感じです。
中に入って患部を見せますと

「ああ~効いていますねえ。
色が変わってますねえ」とのことです。

そういいながらも、
看護師は後ろで液体窒素の
タンクを開けています。

準備ができたら、では塗りますよ、
と言ってジュルジュルと始めますと・・・
うう、痛いです。
今回は傷の部分に塗るのでこたえます。

「ああ、少し痛いですねえ」
といいつつ、かまわずジュルジュルと
塗っていきます。

あ、あかん。もう耳に
16文キックがさく裂しているようです。

こんなことなら、
耳なし芳一じゃないけど
耳にもお経を書いてきたら
よかったともう意識が混濁しています。



「ここは傷やからね」、ジュルジュル。

「我慢してね」ジュルジュル。

「もう少しやからね」ジュルジュル。

と続いてゆきます。

ハイ終わりましたよ、と言われたときにはもう、
ここはどこ?私は誰?状態でした。

「痛かったですねえ。
では今日はテープを貼っておきましょう」
と処置していただきました。

「前回は二時間くらい痛かったんですが」
というと
「ああ、今回はもう少し痛いかも
しれませんね」だって。

「まあ耳の痛い話はいっぱい
聞いているからいいんですけど」
と医者に言うと大笑いされました。

貼られたテープに麻酔薬でも
入っているのかなあと思いつつ、
夜のシャンプー後に
外してくださいと言われたので、
ジムのふろで頑張って外すと、
何のことはない麻酔薬など
ついているわけもない
注射後の幹部に貼る単なる
ばんそうこうでした。

翌日はもう痛みもなくなってよかったです。

そのまま静かに過ごしていくと、
おお~またなんか、かさぶたらしく
なってきているようです。

ああ、次回の治療が怖いなあ
と思いつつ、いろんなしょうもない話を
聴かないように、
耳を押さえて過ごしている
doironなのです。

 


新年会の話その2

2021年02月12日 20時53分06秒 | 最近の出来事

新年会はもう一つありました。

友達のお家で麻雀の講師を
している仲間たちとの新年会です。

麻雀は初心者たちの集まりで、
まったくイチから始めました。
今回で3回目になりますかね。



ゲームの流れはほぼ理解してもらえました。
ここからは東西南北の役割説明、
役を一つ付けなければ
いけないのでその説明。
効率よく進めていく方法
そしてリーチをしたときの
それぞれの対処法なんかも
少しずつ教えてゆきます。

もうあとは対処法を
学んでいくほかはありません。

まずはお昼に集合します。
この時点で、もう夕方からの
新年会の用意は、台所の片隅に
置かれてありますよ。

でもまあ集合したら、
そんな準備は後回し、
さっそくもうビールを飲みながら、
つまみをつまみながら
雀卓が開かれてゆきます。

初心者たちでもやってるうちに
いろんな役が出来上がってゆきますよ。

満貫や清一色のハネ満なんかも出ました。
でもまあやってるものは
なかなかそんな役の希少性
とかはよくわかりません。

まあそんなんはやっているうちに
わかってくるでしょう。

一番の賞品は、この少し前に行った
狭山池底ツアーでいただいた、
自転車駕籠かけ袋でした。

そして半チャンを終えたら、
もうころ合いになります。

では新年会の始まりです。
今日の新年会に先だって、
質問をされていました。

何か食べたいものがある~?
と聞かれていたので、
その時の気分で「粉もの」と言ってたのですが、
以前その人の話してたことを思い出し、
急遽変更。麻婆豆腐に変更しました。

そして、出来上がってきたのが、
中華風宴会の料理群です。

あ、言っておきますが、
この料理の調理人は超ベテランです。
麻雀は初心者でしたが、
料理に関しては役満級です。
全て手作りで調理します。



まずは唐揚げが出てきました。
辛いのが好きな人はこれをかけてねと、
もう今となっては名前を
思い出せない香辛料が出てきます。



そしてつぎが中華風おこわです。
名前は、携帯のメモ帳にいれときました。

「とんざいみーがお」という名前だそうです。

これもうまかったなあ、
こんなに食べたらメインの
麻婆豆腐が入るかなあって感じです。



そしてまだまだ出てきますよ。
次は「小籠包」です。
みんなで巻いたそうです。
これはなんと台湾で買って、
持ち帰ってきた蒸し器で



調理されます。
ああ、おいしいなあ。

でももうあまり無理して食べてはあきません。

そして最後に出てきました、
麻婆豆腐がこれです。



香辛料でからみをつけられた絶品です。

こんなにしっかりした豆腐の
入ったのは初めて食べます。
そこへまた香辛料が足せますから、
まあ麻雀でいえば
ドラドラが足された感じですかねえ。

もうおなかもおいっぱいです。

押さえたらパオパオ言ってます。
へんな中国風おじさんになりましたねえ。

でもまあ、こうしていろんな人に
かかわって、新しいことを覚え、
味わったいい新年会でしたね。

doironは今年もう65歳になります。
ますます高齢者の仲間入りですね。

でもねえこうしていろんな人に
支えられて豊かな日々を
過ごして行けていいですねえ。

ほんまにもう感謝のひとことです。

麻雀の講師は2月も続きます。
この人たちとじっくり
麻雀が楽しめるようになったら、
またまた楽しい時間が
過ごせますねえ。

頑張って麻雀、教えてゆきましょう。

 


新年会の話その1

2021年02月11日 21時23分06秒 | 最近の出来事

もう2月になっているのですが、
すこし前の話。
新年会の話です。

とはいえコロナ感染に関して
緊急事態宣言が出される中、
なかなか飲み屋に行って
宴会というわけにはいきません。

コロナの野郎め、憎たらしいやつだ。

そんな中で料理の好きな人が
みんなを誘ってお家で
新年会をすることになり、
お呼ばれをいただいた。

経費は買い出しをみんなで割る
という仕組みである。

夕方、そのうちに行くのですが、
ひとつだけ買い物を頼まれていました。
それがピザ屋さんのピザです。
府中にあるDミノピザだと
焼きたて持ち帰りは半額になるというので、
事前に電話で予約し、約束の時間に
受け取って会場のおうちに行く
というのが与えられた役割です。

家から時間を考えつつ自転車に乗り、
ピザ屋に向かいます。
注文したのはDミノデラックスです。
え~ピザを自転車で運ぶのんて
むつかしくないかなあ。
下手に斜めに駕籠に積んでいくと、
えらいチーズの偏った変なピザに
ならないかなあと言うのがとても心配でした。

変なピザになっていたら
もう大目玉を食らうでしょう。

最悪は袋ごと片手に持って、
超絶自転車テクニックで駆けつけるかですね。
まあどうにかなるでしょう。
では、ママチャリで向かって行きます。

おじチャリだと手を離すのは
無理があって安定しないからね。
家を出て池上のあたりから
阪和線沿いを南下してゆきます。
そして和泉の警察が見えたら、
その前がDミノピザです。
時間はピッタリでしたね。

「あの~予約していたdoironですが」
「はい、オッケーオッケーね」と
日本人ではない店員が応対してきます。

ん?カレー屋さんに間違えて入ったか
という感じ。
予約してあったピザの半額の
金額を渡して受け取りました。

ピザですから、段ボール風の
ペタこい箱に入っています。
これを自転車の前のかごに入れてみると・・・、
おお~ぴったしです。
箱の分岐が駕籠に引っかかって
まっすぐ積むことができます。

いいですねえ。

これで後はおとさないように
運んでいけばいいわけです。

歩道の段差や、横断歩道や一旦停止の
揺れなんかにも気遣いながらも、
なんとか無事に到着です。
まだあったかいようでよかったです。

時間より少し早くおうちにお邪魔し、
待ってるうちに料理が出来上がってきましたよ。
まずは鳥の手羽先煮物。



あ、名前は知りません、
なんか正しい言い方があるのかもしれません。
はいっている卵もおいしかったなあ。

それとちりめんじゃこ入りのサラダです。
参加しているひとりが、
最近骨の状態が良くないようで、
医者でも骨粗しょう症に気を付けて
と言われているので、
ここはカルシウム補強です。



もう一つが、豆腐のピリ辛煮物。

これもなにか名前があるかもしれませんがね。
たまに唐辛子の辛さに当たりのある
お酒にぴったりの料理でした。

アルコールはビールにワイン。
結構飲みましたね。
まあジムで健康に過ごしている仲間ですから、
さほどコロナ対策については
考えなくても良くて、いい飲み会でした。

あ、もちろん自転車は押して帰りました、へへ。

みんなで交わした話の内容は、
病気の事、仕事の事、家族の事なんかで、
色々と気にかかることはある様子。

まあ人生こんなもんですねえ。
これくらいの年になってくると、
いろんな面で開き直ってきますねえ。
それでも人生楽しい時間を
大切にしていきましょう。

そしてしんどい時間はみんなで
分け合って、
今年もいい一年になればいいですね。

 


耳寄りな話2

2021年02月02日 21時06分53秒 | 最近の出来事

耳を出して患部の診察もしてもらうために、
その女医さんがいろいろさわって
調べるのかなあと思ったら、
そんなことはしなかったですねえ。

瞬時に「あ、イボですね」と言われました。

え~組織検査とか、触った感触とか
MRIとかCTスキャンとか
ないのかなあと思ったのですが、
診断は瞬時でした。

「マスクとかして当たったりすると、
傷がついたりしますよねえ。
それに耳に変な力がかかったりしていると、
患部に負担がかかりますよねえ。
でもイボですから問題はないと思うのですが、
どうしますか。
しばらく様子見ますか」
みたいに言われたのですが、
「はいそうします」というのもなんか
違和感あるよなあ。

傷がついたりすると、イボが変異することは
あるのですか。
あるいはイボの変異種とかはないですか。
とも聞いてみました。

「ああ、それはないとも限りませんね」。

「じゃ、治療するとしたらその方法は?」
と聞くと「液体窒素で焼くだけです」とのこと。

と言いながらも、
もう看護師は後ろで液体窒素を
治療のための容器にそそぎ始めています。

ああそうかあイボ対象にやる治療ですね。

「でも直径5mmくらいで大きいですよ」
というと、
「これくらいだったら2か月以上かけて
4回くらいに分けて治療ですね」
とのことです。

もし治療するのにペンチで切り取りますよ、
とか全身麻酔で除去ですね、
とかだったら断っていたかも
しれませんが液体窒素なら
先日手のイボをとった時と同じです。

まあそれくらいならいいかな
と思いつつ、念のために

「痛いですか?」と聞いたら、

半日くらいは少し痛いでしょうねえ
とのこと。
そうかあ、でもそんな痛さだったら
耐えれるやろうから、

「わかりました。辛抱強い男ですから
治療してもらいます。」とお願いしました。

やっぱりねという顔で
看護師が笑っていました。

では耳をこっち向けてください。
行きますよ~、・・・・・

じゅわーと耳のところで塗布する音がします。

「ああ耳チャンかわいそう」
とか思いながら耐えてゆきます。
何回かじゅわじゅわ塗って、

「はい、では二週間後にまた見てみましょう」
と終わりました。

耳はというと、なんかじわじわ痛みます。
耳のそんな痛みをこらえつつ
また出会った村の人に
「心が痛い」とかいいつつ
帰宅しましたが・・・どうも痛いのです。

ますますひりひりしてきます。
そして時折強い痛みが
耳たぶに走るのです。
耳にイヤリングの穴をあけたときも
こんなかなあとか思いながら、
こらえるのですが、
ときおりう~んと声が上がります。

それにどうも昼寝も左耳を下にして眠れません。
いつもの昼寝が妨げられます。

これはたいへん。

「医者が半日痛いけどと言ってたけど、
その通り耳が痛いわあ」と
ミセスに言うと、
どう返してきたと思います?

「あんたはもっと耳の痛い話をきいてるはずや」
と叱咤されました。

まあうまいこと言いよんなあと
笑いそうになりますが、
笑っても耳が動いて痛みが増えます。

そんな状態が、医者のいう通り
半日くらい続きました。

ジムに行って自転車こいでる時も
いたかったです。
友達に耳焼いてんというと、

「男の人は痛みにたいそうや」
とあきれられてしまいましたわ。

運動を終えて風呂に入る時も、
ロングの髪の毛はひっそり洗いましたよ。

その後、患部はマラソンやって
足の豆がつぶれる直前のように、
ぼやんと水ぶくれぽくなって腫れています。
でも痛みはかなりましです。
寝ていても左を下にしていても
もう問題はありません。

次の治療は二週間後です。
同じことをするのでしょうねえ。

また痛むのかなあ、どうなのかなあ。

はてさてどうなることやらです。

doironの耳寄りな話でした。

 


耳寄りな話1

2021年02月01日 20時54分37秒 | 最近の出来事

もう5年以上前から左側の耳たぶの
裏側上部におできのようなものができている。

痛くもかゆくもなんともないので、
脂肪の固まりかなあ程度で思っていたのだ。

それがねえ、最近ちょっと
何となく耳に違和感をもたらしている。

たぶん、マスクなんかしていると
変な力がかかったりするし、
寒いと毛糸の帽子なんかも
かぶったりしているので、
なんとなく刺激をしているからのようだ。

時折、あれっとさわってみたりもするのだが、
かといって大きく膨れたり
しているわけでもない。
あ、写真はきれいじゃないので
やめときますが、直径5mmくらいの
いびつな腫れなんです。

はてさて一体どうしたものかと
思っている時期に、たまたま何人かに

「一度医者に見てもらったら」

という指摘を受けたのです。
自分からは場所が場所だけに
ほとんど見えないのだが、
もう複数人からみても変なのかも
と思われたのだから、
これはやはり治療の考え時だろう。

それ以来、何となくマスクを
着脱するときや、帽子の着脱時に
doironの違和感がそれとなく
にじみ出ているのにちがいない。

で、ある雨の日、
外をウロウロすることもできない日に、
一度見てもらうかという気になったのだ。

あ、お金がもったいなくて、
患部が耳だけに耳っちい
なんてこともありませんよ。
なかなかコロナもおさまらない中で、
これからも、まだまだマスクを
するときも多いだろうし、
寒い日もあるからロン毛だけど
帽子も欠かせないしね。

一度見といてもらったら、
気持ち的にも安心だしね。
そんなことをつらつら考えていると、
心のどこかから医者へ行こうって
気持ちが湧いてきたんだよね。

となると今度は
小心者のdoironなので
最悪のことを考えてしまうんだ。

もしおできやと思っていても、
これは除去したほうがいい腫瘍や
とか言われたら、どうしよう。

幹部が耳だけに人の話を
ちゃんと効かなくなったりも
しないだろうか。
(それは今でもや)

あるいは削除して左の耳が
一部耳なし芳一になって
しまったらどうしよう。

まあそれでも音が聞こえるのなら
問題ないやん、ロン毛を伸ばして
隠してしまえばええやん
とか考えたりもしてしまうのだ。

「え~格闘技のやりすぎで
耳がこんなになりまして」
とか人に言っても、こんな姿かたちで
格闘技もなあ。

相撲にしても小柄すぎるしなあ。

そんなことを考え始めたら、
ふだんのマスクの着脱も
ますます不自然になってくるし、
毛糸の帽子も頭の上で変な形に
なってしまっていたりする。

これはもうダメですね。

もう早速まずは近所の皮膚科に
診断してもらいに行くことにしました。
ここでは、腕にできたデンボとか、
足の裏のタコの目とかの治療をしましたね。
あの医者にとりあえず行きましょう。

ある寒い金曜日に出かけてゆきました。
近所を歩いていると村の人に
「どこいくんやあ」と聞かれます。
うん、ちょっと病院へ。

「コロナかあ。それとも痛風再発?」とまあ
こちらの体の状況をよく知っておられますねえ。

「うん。心に出来物出来て」
なんて言いつつ笑って通り過ぎてゆきます。

混んでるかなあと思ったのですが、
とにかくまあコロナの時期なので
医者も比較的すいていますね。

待合が4人くらいで、
しばらく待っていました。

こんな時期なので新聞や
週刊誌なんかも置いていないのを見越して、
持って行った文庫本を読みながら
順番を待ちました。

でもなあこれがなかなか客が
はけてゆかないんだす。

なかにはいって30分くらいの
おっさん客もいたりして
何をしてたんかなあとか興味も沸きますが、
そんな心も抑え込んで
1時間ほど待ってやっと
名前が呼ばれました。

中に入っていくといつもの
女医がマスクをして座っています。

この少し前に、かかりつけの病院に
行った時も「マスク越しでお願いします」
と言われたので、ここでも
マスクはつけたままです。

「今日は耳ですかあ」
と初診表を見て聞かれたので状況を説明し、
患部を見せました。
なんと言われるかなあ。
とドキドキです。

これはねえ、という女医さんの言葉

重病なのか、軽傷なのか

はてさてと続く

 


橿原神宮へ初もうで2

2021年01月22日 21時15分24秒 | 最近の出来事

本殿前の広場には、
こんな石も建っています。



平成28年当時の皇后(今の上皇后)が
歌った歌が記されています。

天皇家の人々は歌をよく歌われますね。
明治天皇は600年以上にわたる
武家社会を終わらせました。
一方で9万首以上の歌を歌っており、
今もすべて残っているという
すごい歌集があります。

ここではそんな上皇后の歌の後ろには
「さざれ石」も置かれています。



もちろん国歌に出てくるあの石ですね。

小さな岩がいろいろ集まって
国を作っていくというそんな感じです。

そんな境内を後にして、
北神門から出てゆきます。

途中左手に畝傍山への登山口があります。



体力的には気軽に登れるいい山ですねえ。
山頂には住吉大社の関連施設
なんかもあって面白いですよ。
大阪の住吉大社ではこの山の
山頂の砂を持ち帰り、
それで神器を作って祭事に
使うそうなんです。

玉垣に囲まれたそんな砂採取場所もありましたね。

過去のブログの「大和三山ミステリーツアー」を
お読みください。

標高199mの高い山ではないのですが、
左右非対称の山の形が特徴的な山です。



また昇ってみようかなあって思っていますが、
今日は遠慮しておきましょう。

まずは神武天皇陵を目指してゆきましょう。

参道に出ているお店を見てみると、
肉巻きおにぎりとか変わった
屋台が多いですね。
中でも多かったのが「鬼滅の刃」関連の
お店がたくさん出ていました。

そんな参道から周辺道路に出て
さらに進んでいくと、



左に神武天皇量の入り口が出てきます。



そこから厳かに入ってゆきましょう。

広い道を500mくらい進むと、
奥に御陵が見えてきます。



以前ここに来た時は大変だったんです。
藪蚊の大群が飛び交っていて、
まるで蚊柱の中を歩いているような感じでした。

神武天皇の御陵といういうことで、
じっくりと歩きたかったのですが、
もう手は阿波踊りの最高潮の時のように
顔の周りの蚊を振り払っています。

ああ、ここが御陵の入り口かあ、
ペコッと頭を下げて最敬礼。
でも蚊は嵐のように襲ってきます。

ここにこんな見張り所と
名付けられた小屋があり、



この正月も中で一人働いておられました。

あの蚊が渦巻いていた時も
おられたのかなあ。

そんな記憶なんかまったくないほど
大慌てで通り過ぎたものでした。

でも今は違いますね。
森の中に静かに御陵はありました。



そういえば改元の前後で
天皇陛下がここに来られていたなあ
と思い出しました。

宗教的な線香場とかそういうのは
ありませんが、初代の天皇が
ここで眠っておられると思うと
本当に胸があつくなる思いでした。

さてこれで御陵巡りも終わりです。
今来た道をまた歩いて戻ってゆきましょう。

時間的にはお昼ですね。
出店で何か買って食べるというのも手ですが、
ちょっと寒すぎますね。
橿原神宮の周りのお店に入って
あたたかいモノでも食べて帰りましょう。

はいったのは橿原のホテルの
レストランです。
メニューを見て迷わず選んだのが、
うどんと柿の葉寿司のセットです。



あったまりそうなメニューでしょ。

テーブルに落ち着いて授与された
お守りなんかをじっくり見てみました。

健康はどうなのか。
忘れ物はどうなのか。
仕事はどうなのか。

まあいろいろと気になるところは
あるのですが、何とか今年も
今まで通り、いい一年を
過ごせたらいいなあとおもいつつ、
うどんをすすったdoironなのでした。

初もうでも終わり
松の内も終了しました。
今年は丑年
じっくりと進んでいきましょう。

 


橿原神宮へ初もうで1

2021年01月21日 21時05分24秒 | 最近の出来事

松の内の期間内に、
遠方の神社まで初詣に行きました。

今年はどこにしようかなあ
と考えていたのですが、
あまり初詣に入ったことの無い
橿原神宮に行くことにしました。



奈良県内では春日大社と共に
初もうで客の多い神社であるのですが、
今年はコロナの影響もあって
参拝者はあまり多くないだろう
と見込んでの初もうで先だったのでした。

この神宮には、
奈良三山(畝傍山、天香久山、耳成山)を
登って回った時に一度
立ち寄っていますねえ。

この神宮の主祭神は神武天皇と皇后の
媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)。

そう、初代天皇と初代皇后が祭神である。

以前ここに行った時は5月頃で、
今も忘れない巨大な蚊柱の中を
歩くような恐ろしい雰囲気だったのを
思い出します。

では正月はどうなんでしょうか。
車で初もうでのお参りに向かいましょう。

阪和自動車道から南阪奈道路に出て、
橿原神宮西口方向から向かって行った。
途中近鉄の踏切手前あたりから
渋滞があったので、橿原神宮から
500mくらいのところで
パーキングに駐車しました。

橿原神宮に駐車場があるのは知っていたのですが、
多分初もうで客で渋滞しているだろう
との見込みです。

車をとめて歩いて行くと、
あれ?渋滞してないぞ。
車が止まっていたのは
踏切のせいだったようです。

橿原神宮の参道に出たので、
そこを左折し向かって行きます。



この参道の先も、参入路と退出路が
コーンで区切られて一方通行に
なっているのですが
もうガラガラです。

決まりを守って歩かないといけない
という雰囲気はまるっきりありません。

出店も出ているのですが



混雑している様子はまるっきりないし、
神服を身に着けた若い人たちも
集まって所在なさげにしています。



まあこういう状態は参る方としては、
その他大勢面倒見てやろうという
神様の大きな心ではなくて、
一人ずつちゃんと面倒見てもらえる
というような感覚で、
すこしありがたいって感じですな。



静かな参拝入り口から入ってゆきます。

前にここに来た時は本殿よりも
畝傍岳の登り口はどこだろう
と探し回っていたなあ。
今日はそんなことも気にせずに
まっすぐ本殿に向かいます。



ここは神武天皇とその皇后を御祭神として
明治天皇が開いた神社だそうです。
本殿の前には賽銭コーナーも



設けられており、その横に立って
まずは記念撮影。



初もうで客にシャッターを押してもらいました。

他人のカメラのシャッターに
さわってもらえるというのも
こんな時代にありがたいことです。

そして本殿に向かって、
今年のお祈りをしておきました。



拝殿の後は、まずお守りの授与を受けます。

それは「肌守り」。

え~きれいな顔をさらに
コラーゲンたっぷりの健やかな顔に・・・
というわけではありません。

「肌守り」は事故、災難、病気などから
自分自身を守る基本的なお守りです。

肌につけてというお守りですが、
doironはこれをジムのバッグに
ひそませます。

健康を記念して体につける運動着などを
入れているバッグです。
常に肌につけるものにくっつけておく。
ああなんと信心豊かなdoironの行動でしょう。

おみくじも一つ授与されました。

どんな評価だったかというと、
悪いものではありませんでした。

内緒です。

でもありふれた人々の幸せを
実現させるいいおみくじでした。

さあではこの後はもう少し
神宮内を歩いてまわり、
この北側にある神武天皇の
御陵を目指してゆくことにしましょう。

続く