ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

今日は休養日にしたけれど

2020年05月31日 21時00分08秒 | ウォーキング

長距離歩きが続いたので
今日は休養を入れよう。

こういう感覚は久しぶりだ。
まあもともと毎日何らかの
運動をするかていう性分なのだが、
足腰に負担がそれとなく
たまっているような気がする。

まあ前はそういう負担も
強くなるぞという喜びだったのだが、
今は違うね。

それに足の甲なんかも何となく
痛いのはやはり昔に比べて
体重があるからなのかもしれないなあ。
何もそれを無理して押してまで
運動しようというものではない。

ゆっくりと休ませつつ
進めていこうという感じで十分だ。
なのでこの日は、市内を少しだけ
プラッと歩いて足腰を休めようと考えた。

久しぶりにランでよく行った
海辺の小松緑道に行ってみるかなあ
と思いつつ歩き始めたのでした。

まずは海方面向いて歩きだし、
松の浜の住宅街を抜けていきます。
ああ、そういえばジダンも
最近はテレワークで家にいることも多い。
こんな時間には、家の前で
スクワットをしているかも
しれないなんて思いつつ、
家の前を通過。
姿は見えませんでしたが
通過し、小学校方面へと進んでいく。
このあたりは静かで、
立派な家が多いですねえ。

我が市内でも指折りの住宅街ですから、
古い家でも何となく
家の中で立派なことを
してそうなそんな感じがしますねえ。

やがて前方に小学校が見えてきました。
ちょっと前にdoiron
交通安全教室を開いたところですね。

あの頃はコロナのコの字も
なかったのになあ。
小学校を過ぎて、以前から
市民会館だったところが
いまは更地です。
ここの土地の用途に関しては
いろいろともめていますねえ。
その更地の南のはずれに
臨海の埋め立て地に
入っていく歩道があります。
それを入って階段を上がったところが
小松緑道の入り口となります。



昭和の時代に設けられた緑道です。
もうふた時代前やねえ。
ここから海の堤防まで進んでいくのが
ランの練習だったのですが、
今日は休養日ですから
突っ込んでいかないことにしましょう。
そのまままっすぐ臨海の道路を
南下してゆきます。

母親が晩年入っていた
介護施設のところから中に入り、
浜街道と名付けられた旧道を
進んでいきます。

ここでやる浜街道祭りが
広報紙の仕事をやるきっかけでした。

doironさん、浜街道祭りを取材してよ、
という依頼に基づいてやったのが最初です。



カメラ構えて取材なんてのが
懐かしかったですねえ。
音楽や売店の様子が採用されて、
あらためてなんか楽しいお仕事でした。



まあ脳梗塞前にはこういう仕事に
とりかかろうとしてたので
自分に合ってるんでしょうねえ。

地元だんじりの仕事とかも
しているので、地域には
知り合いも多いから
やりやすかったです。

そんな浜街道を抜けたら、
今度は山方向へと歩いていきます。
陸上のショップで愛用したお店とか、
知り合いが通っている
スポーツジム(休養中)を抜け、
親父が通っていた病院とかも
見ながら進んでいきます。

そしてdoironのいつも
お世話になっている車屋さんの
ところから、北上して帰宅の道に
入ります。

まあ住んでいる我が市内を
軽く一周したような感じですね。
これで、歩数は13137歩で
8.9キロでしたね。

休養日にするんなら
おとなしくしとけよという
声が聞こえてきそうですが・・・。

足の痛みもひどくなってないから、
今夜はしっかりストレッチと
シップを貼って休養の仕上げですね。

さあて休養すんだら
明日はどこに行きましょうか。


再び歩いて和泉中央へ2

2020年05月30日 19時14分59秒 | ウォーキング

右手の山の向こうは、
昨日歩いた時に景色が良くて
気持ちよさそうやなあと
思った弥生町あたり。

まあ仕方ないのであちらを目指すかと、
この時点で川のさかのぼりは
あきらめることにした。

山の急斜面を転ばないように登り、
ぱっと出たところには
ビニールハウスがたくさんありました。

 



昔からこの辺りはビニールハウスが盛んで、
夜になってもライトのついている
ところが多かったなあ。
多分、日光調節をして
季節を変えながら
いろんなものを育てていたんでしょうね。
今もそうなんかなあ。



道から開いている扉越しに
中をのぞいたら、きれいな花が
いっぱい植えられていましたね。



ああ、イチゴなんかも
植えられています。



一か所場所を決めて孫に
いちご狩りなんかさせたら
喜ぶやろなあという、
製作している高齢者の顔が
思い浮かんだりしてね。

田んぼの中をくねくねと続く
道を進んでいくと、やがて
あの観音寺の坂の下のところに
出てきました。

ああ、何となく登っていた観音寺の坂も、
こうして横から眺めたら
下にトンネルがあったりして
のどかな感じです。



そのトンネルをくぐったところで
上に上がる道があったので、
そこから昨日のコースに
合流となりました。
まあ河川敷周りの状況を
地図から読み取っていなかったから
仕方ないですね。

ではここから昨日のコースを復習です。

ただし、今日は道の右側の歩道を登り、
左側の歩道を降りてくる
という抵抗は少し行いました。
しばらく頑張って登っていくと、
いしたちはら公園です。



この日は結構気温も高かったので、
ここでまたまた水分補給です。
ああ、水筒のお茶もなくなって
きたので補強もしておきましょう。

「おーい、お茶」に100円で売ってた
安物のお茶、例えて言うなら
「やーいお茶」を混入です。
ほんとうはねえ、doironの場合は
「伊右衛門茶」が好みなんですがね。

ミセスに言うと、
「伊右衛門茶」でも「ドラえもん茶」でも
味わからへんのと違うん?
といわれてしまいました。
うう、その通りかもしれません。

さあでは今日は昨日より
遠回りした分距離が長くなるので
頑張りましょう。
二日間同じ道を歩いたのですが、
あれ?昨日も歩いていた人がいるぞ。
黄色い半ズボンをはいた、
高齢者です。

ああ、散歩を趣味にしてるんでしょうねえ。
でもコロナであちこち
学校や仕事が休みなのに、
同じようにウロウロしているのは
高齢者が多いですねえ。

頑張って登り切ったところで、
ようやく和泉中央に到着です。
さあでは戻っていきましょう。



歩いていると、前方からバイクが
登ってきます。
ああ、バイクの練習もいまが
気持ちいいんやろなあとは思うのですが、
今年は何と皆生の
トライアスロン大会も中止です。
なんか、ホンマに楽しさが
どんどんなくなっていきますねえ。

高校野球も中止やし陸上なんかも
トラックは全滅だろうから、
みんなひっそりと練習して
いるんでしょうねえ。

高校駅伝や箱根駅伝も
なくなってほしくないですねえ。
ひたすら祈っておきましょう。

観音寺の坂もそのまま降り切って、
今日は旧の市民病院の裏あたりから
和泉府中の村中に入っていきましょう。
こんな六地蔵を見て



どんどん進んでいきます。
こうして駅前のあたりに
向かっていくと、あの店は
どうなっているかなあとか
とても気になります。

早く、生ビールで一杯
というのをしたいです。

このころは緊急事態宣言が出て
20日あまりが立ちますが、
まだまだの様子でしたねえ。
でも世の中が普通の戻るのは
なかなかねえという感じです。

これで今回の歩きは終わりです。

歩数でいくと24667歩。
距離で17.7kmですね。
朝の散歩も距離に入るので、
微妙に距離がずれますがね。

そして歩きに備えた地図に
赤を一つプロットしときましょう。



浜寺公園も、和泉中央も
二個になりましたねえ。

さて次はどこにしましょうか。
と気楽に考えるdoironなのでした。

 


再び歩いて和泉中央へ1

2020年05月29日 21時12分39秒 | ウォーキング

浜寺公園を歩き始めるという
ところから、家からおり返して
歩いていくという
運動を続けて一週間がたちます。

途中車を使って岸和田まで行き、
そこから泉佐野まで行った
ということもありましたし、
近辺をごそごそ歩いたというのもありましたが、
基本は家をスタートして
帰ってくるという歩きの
運動を続けてきたわけです。

浜寺へ、そして和泉中央へと行ってみて、
これはいいじゃないか、
コロナに対して遠方に出かけて
いるわけじゃなし、自分の性にも
合ってるぞなんて考え始めました。



まあ目的地はさほど増やせるわけでは
ないだろうけど、歩き道はいろいろと
変えてみるというのも一つの手だなあと思い、
今回の歩きの計画に反映させたのだ。

目的地は昨日と同じ和泉中央。

でもそこまで行く道を
変えてみることにした。

今回は和泉府中の先から
槇尾川沿いに入り、
川をさかのぼりつつ和泉中央に
向かうという計画を立てた。

川沿いの道というのは、
右岸と左岸でどちらかが
行き止まりになったりすることも多い。

小さな村のあたりなんかは
そんな感じで道が付いているから、
その点は要注意だ。

では歩きに出かけましょう。

河川敷に入る部分は昨日のコースの所と
同じなのだが、そこへ行くまでの
経路も頑張って変えて行く。

この日は阪和線沿いの道を進み、
途中から府道30号線に入って
歩道のない歩きにくい道を
注意して歩いた。

昨日と出来るだけ違うコースを
いきたいというdoiron
熱い思いがそうさせるのだ。

途中から小栗街道の方へ向かっていき、
旧の市民病院のところで
昨日のコースと合流。

500mくらいは同じコースを歩いていく。

右手に和泉市の総合医療センターが
見えてきたら、右側から川が流れてくる。
これが槇尾川だ。


和泉市槇尾山町の槇尾山西麓付近を源流とし、
和泉市内を北上し、
大津川に合流する二級河川だ。

のちにこの川は牛滝川と合流して
大津川となり、大阪湾にそそいでいく。
田舎の河川であるが、
二級河川としては大阪府下最大の
流域面積を持っている。

光明池の水もこの川にそそがれる。
その河川敷を歩いていきましょう。



まず最初は右岸を進んでいきます。
それにしても河原って
どこも同じようにクサフジが生えますねえ。

なんかどの川も植生がよく似ています。
今の季節は、そんな植物のほか
チガヤも真っ盛りだ。

なんか草むらが命で満たされているなあ。

やがて住宅もなくなり、
まわりに畑が広がってきます。
すぐに田舎の道になってきて気持ちいい。

雑多な街の生活も少し歩くだけで、
なんか伸びやかな景色に
なってくるのがいいですねえ。

おっとここで注意です。
このまま進むのは前方の道が
細くなっているぞという
感じになってきたので、
前方の景色を見ながら
芦辺町のあたりで橋を渡り
左岸へと移っていきました。



だがしかしその左岸もやがて
道が細くなり、舗装もなくなって
地道になってきましたよ。



川沿いを歩き始めたころから
気になっていたのが、
前方を歩くリュックを背負った
高齢者である。



ああ、あれも歩く人のようなので
後ろを追うような形がいいだろうと、
遠めに見ながら進んでいったのだが、
ふと前を見ると、前方を歩いていた
高齢者が返ってくるではないですか。

むむこれはどうしたのかなと
思いつつ挨拶をすると、

「ああこの先は道がないよ」
と教えてくれました。

ウヒャーそうなんかあ。
「ありがとうございます」と
お礼を言いつつ、ここでちょっと休憩だ。



右手の山には桐の花が
見事に咲いているきもちいいところ。

ああ、もうこんな季節かあって
感じだ。
お茶を飲みながら、
ではどうしようかと考えてみたが、
引き返すかあるいは右手の山を越えて
昨日歩いた一般道を目指すかなあと
迷ったのでした。

続く

 


和泉中央へ歩いていこう2

2020年05月28日 20時52分49秒 | ウォーキング

北畠顕家はこの観音寺で
討ち死にしました。
なんとその時の年齢は20才だったそうです。

そんな城跡を抜けて、
さらに進んでいきますと
観音寺の坂に差しかかります。



ここの坂道をバイクで駆け上がるのは、
その日のバイクトレーニングの
いよいよ始まりって感じでしたね。



思いっきり漕いで、
坂の上の部分でちょうど体力が
空になるような感じで、
今日もがんばるぞ~と
気合を入れていたのを思い出します。

この坂はとても眺めがいいんです。
後ろを振り返ると右に
信太山丘陵が見えています。



桜の頃は最高でしたねえ。
そんな坂道をハアハアと歩いて
登ってゆきます。

弥生町のあたりは眺めがよさそうですねえ。
新しく開発されたところは
きれいな家がいっぱい立っています。
今は若い人たちも多いのでしょうが、
これからどんどん高齢化していくと、
途中の坂道がきつくて寂しい村に
なるかもしれませんね。

登り切ったら次はだらだらとした
上り坂が続いていきます。
登って行く時は左側の歩道を
あるいていきます。
なんか自転車の時の感覚が
残っているんでしょうねえ。

右手にまず、大池の上池が見えてきます。
池の周りには緑が多いですね。

そしてさらに進むと、
またまた右側の方に
いしたちはら公園が見えてきます。



中に大きな池がありますねえ。
公園の池なんですがその名前がすごい。
なんと「地獄池」というそうです。
公園内では池で遊ぶのはやめましょう。

ここにはトイレがありますので利用し、
ベンチでちょっと休憩です。



水分をとらないとね。
まあまだ今は水筒に入れた
お茶でいいのですが、
もうちょっとすると氷も入れて
こないといけないかもねえ。

さあまだまだ進みますよ。
右手に昔からあるお酒の
安売り屋さんが見えてきて、
斜面もさらに緩やかに
なってくると和泉中央も
近くなってきます。



基本登りなので足に気持ちいい
疲れが出てきますねえ。
ここんところ、大変頻繁に
長距離を歩いているので
足が少しずつ出来上がって
きているような気がします。

昔のような感じでは決してないのですが、
何となく足の仕上がりがいいと
気持ちも明るくしていくような
気がしますね。

座って太ももを触ると、
あ、ここの筋肉が少し戻ってきたなあ
って感じです。

足が出来上がってくると
やはり上半身も使わないといけませんね。
毎日腹筋をノルマを作って
頑張る様にしようと歩きながら
誓うdoironだったのでした。

そしてようやく見え来ましたよ。
前方に泉北一号線をこえる大橋です。
その橋の上に立って南側を眺めると、
そこに和泉中央駅が見えてきます。
やっとと目標地点に到着です。

ここには何度も来たことが
あるのですが、歩いてきて
また帰っていくという
こういう散歩もそれなりに
到達感がありますねえ。

ここまで来たら、よしよし
では返っていきましょうって
明るい気持ちになります。



来た道を引き返しながら、
これは4時間近くかかるなあと計算すると
何となくニヤッとしてしまいます。

マスクしてるからわからんやろけどね。

こんなくだりの坂道を歩きながら、
来る時に見逃しているものは
ないやろかときょろきょろ
したりしています。

観音寺の坂を下って、
和泉府中の駅に向かい、
最近の飲み屋の状況を
確認しながら帰宅しました。

結局、この日は22312歩で
17kmでした。
いやなかなか面白いですねえ。
歩き旅はずっと続けてはいるのですが、
日々こうして家を出て
20000歩を目安に
活動するというのは、
何となく自分の性に合ってる感じですねえ。

しばらくは行くところを
いろいろ考えて頑張ってみましょう。

地図ではこんな感じ



青が自宅で赤が目的地。
浜寺公園二回と、和泉中央に
赤をプロットしました。

コロナの時代、運動の種類は
限られていますよねえ。
でも歩くのはいいですねえ。
じゃ、こんな感じで少しずつ
日々を埋めていってみるかと
doironの思いは深まっていった
のでありました。

4月の後半の頃のお話です。

 


和泉中央へ歩いていこう1

2020年05月27日 21時02分49秒 | ウォーキング

さあて今日の歩きはどこに行こうかあ。

家をプラッと出て3~4時間くらいで
帰ってこれるところと考えたら、
まあいろいろとある。

浜寺公園に二回行ったので、
次は違う方面にしてみるかと考えたら、
浮かんできたのが和泉中央のあたりだ。

バイクの練習では
何度も何度も行ったところだ。
そこへ歩いて行って帰ってくる
というコースを考えたら、
まあ和泉府中から南西に向かう
一般的なコースでいいだろう。

とりあえず行ってみて、
次には槇尾川をさかのぼっていく
というコースなんかも
試してみるのもいいかもしれない。

ではそんな計画通りに
歩いて行ってみましょう。

ヘッドフォンを付け、
マスクをして帽子を被り
小さなカバンにお茶の入った
水筒を入れ出発です。

家からまずは我孫子町の方に
向かって行きました。
我孫子町といっても大阪市内の
方じゃないですよ。
我が市の中にある我孫子町です。

泉大津高校の裏から穴師神社の
東側を通り、道はここから
アップダウンはあるものの
ひたすらまっすぐ山の方を向いて
歩いていくコトになります。

自動車道は阪和線の下をくぐるので、
府中病院のところから
阪和線の踏切を渡っていきます。
あ、府中病院も病院内に
お見舞いはできないんですねえ。
入り口のところに机を並べて
数人の看護師さんんで対処してはります。

そこから熊野古道との交差点を
越えていくと、旧の市民病院の
所を通りますが、今は解体工事に
入っているようです。

そしてこの薬屋さんのところが、



むかし古本屋さんがあったところですねえ。
我が家にある散歩・散策のほとんどの本が
その古本屋さんで買ったものなんです。
大変役に立っていました。
まあこんな街中歩きには
あまり役には立ちませんけどね。
でも逆に言ったらそういう資料も
望んでいる人は多いんじゃないかなあ。
これまでに書き溜めたブログから
抽出して本にしますかねえ。
いやほんとにそんなことが
したいんですがねえ。
儲けようなんて思っていなくて、
遊びの役に立つような本とか
できないかなあ。
なかなか方法論がわからなくてねえ。
もしこうした方がよいよとか
システム知ってたらどなたか
アドバイスしてくださいねえ。

あなたが街を見るときに、
ここに行けばこういうのがあるよ、
こういう勉強ができるよ
なんてのをまとめたいなあと思っています。

それはさておき、本日の遊びも
新しくできた和泉市の
総合医療センターのところまで
やってきました。



ここは徳洲会が運営しています。

この徳洲会の創業者に
doironは会ったことがあるのです。
障害を抱えておられて、
大変なんですが、実際に握手も
してもらったことがあります。

力をほとんど入れられないので、
柔らかくそして暖かい手だった
という印象があります。

赤ちゃんの手ってあんな感じでしょうねえ。

あの暖かさが地域の医療に
通じているんだと思い続けていたいなあ
とずっと思っています。

その医療センターの入り口近くには、
昔から有名なイタリア料理店があります。



値段的にはちょっと頑張らないと
いけないところなのですが、
なにかお祝いとか特別なことがあった時には
是非とも利用してみたいなあ
なんて思っているところです。

行きたいなあと思いつつ
もう10年くらいは行けてません。

この店のところが桑原大橋で



槇尾川が左の方に続いています。
この川をさかのぼって行くのも
和泉中央の方へと行くんでしょうが、
それはまた別の機会に行くとして、
今日はひたすらこの道を
まっすぐ登ってゆきましょう。

ツタヤなんかを過ぎて坂道を登り始めると、
観音寺城跡という石碑のある所に出てきます。



北畠顕家が拠った城です。

多くの戦を戦い、最後は戦に負けて
討ち死にしたそうです。

続く

 


帰り道、歩きのカロリーについて

2020年05月26日 20時51分20秒 | ウォーキング

大鳥大社へ向かう予定が、
道を間違えたので浜寺公園の方に
やってきました。

まあこれくらいの間違いは、
人生の道を模索し続けている
doironにとっては
大したことではありません。

大鳥大社に行くはずが、
気が付いたら岸和田城に来ていた
というのなら要警戒ですがね。
浜寺公園からの帰り道は、
前回は紀州街道あたりを
通っていたのですが、
今回は臨海道路の山側堤防横にある
小さな道を戻っていくことにしましょう。

この道は昔高校生の頃に、
浜寺公園のプールに行ったときに
よくとおった道です。

ランニングでも何度か通りましたが、
ところどころ草も生えていたり、
ワンコの散歩道で
フンが落ちていたりしましたので、
今はどうなのか少し心配しつつ、
浜寺の消防署あたりから入っていきますと、
なんときれいじゃないですか。



車も来ないし快適に歩けます。

そのまままっすぐに助松の公園を目指し、
帰宅となりました。

結局この日の歩数は22420歩で
距離は17.5kmとなります。
うん、なかなかいい運動ですね。
この練習を毎日続けていたら
月間で500kmくらいになります。

じゃあ、この運動をつづけることで
カロリー消費はどうなのか、
簡単な計算をしてみましょう。

例えばランで10kmを走った時と
歩いたときとではカロリーは
異なるはずです。

たとえ歩く方が時間が長いとはいえ、
カロリーの消費量が違います。
よく書かれてある文章に
こんな記載があります。

100キロカロリーを消費するのに
必要な時間は、ランだと10分で
ウォークだと25分と書かれています。

これに距離の考え方を
くわえてみましょう。
ランの速さはキロ6分で
ウォークの速さはキロ12分とします。
まあこの辺はアバウトですが
目安を計算するのにいいでしょう。
そのペースで1000キロカロリーを
消費するのに、ランだとちょうど
100分必要となります。
距離は17kmです。

ではウォークだとどうか。

ウォーク25分で
100キロカロリーですから
5分では20キロカロリーです。
なので1000キロカロリーを
消費するのは5分の50倍で
250分。

すなわち4時間10分と
いうことになります。
距離では約21kmです。

これらのことから比較してみると、
ランで1時間40分かけて
17kmを走るのと、
ウォークで4時間10分かけて
21kmを歩くのと
同じカロリー消費となるわけです。

じゃ月間500kmを
歩くというのはどうなんでしょう。
カロリーで言えば
約24000キロカロリーを消費します。
これをランで消費するとなると
月間410kmくらいとなります。

仕事をしながら月間410kmを
走るとなるとこれはなかなか
ハードな練習です。

トライアスロン全盛の時代には
まだこれにバイクで600kmで
水泳で30km練習を
ひと月に追加というのがまあ、
ロングのトライアスロンを
安心して完走できる
というペースだったような気がします。

じゃあ、それはさておき、
今ほど歩きまわることを
昔と比べると、まあさぼって
歩きが半分になったとしても
ラン200kmほどに
あたるわけですから、
大体ランの力を減らさない程度の
練習ということになるのでしょうか。

なんか計算がおおざっぱで
ええ加減なんですが、
何も目指しているものがないので、
勘弁してください。

それなりに自分のやってる運動を、
むかしにくらべたら・・・
という感覚でちょっと
計算してみたまでです。

ま、こんな調子で機嫌よく
運動しながら、
頭がコロナに侵されないようにして
この時代を過ごしているわけです。


大鳥大社に向かったつもりが

2020年05月25日 21時17分37秒 | ウォーキング

今回は目的地を大鳥大社に
設定して歩いていってみようと
考えました。

地図を見てみると場所的には
浜寺公園より近いようですが、
それはあくまで直線距離。
通る道のルートによれば、
もっと遠くになるかもしれません。

できるだけ直線に近くなる様に
進んでいくことにしましょう。

だいたいのコースは、
高石から東羽衣方面に入り、
JRの羽衣戦にぶつかったら
右折して東を向ていくという
大雑把な感じで歩きだします。



doiron
家の二色のモッコウバラに
見送られて出発です。



まずは泉大津を南北に走る
南海中央線を目指します。

この道のオープンの時は
地方の新聞社の仕事を
していましたねえ。
地元の人はこの道はもう
生活の大変革ですと
喜んではりました。
今も高石方面に行くには
欠かせない道ですねえ。



ここは今会員制ですが、
だれでも利用できたときには
よく行きましたねえ。

水泳覚え始めの頃でしたので、
ミセスに特訓してもらいました。

泳ぐのは下手なくせに、
長時間泳ごうとするので
なかなかミセスには
ハードだったと思います。

母親が亡くなった病院を過ぎ、



右折して村中に入っていきますと、
そこがdoironの菩提寺です。



住職がイベント好きで、
よく歩く会の講師で出かけはるそうです。

そのあたりから道も
よくわからないまま
北向いて進むことにしました。



でもねえ、道が複雑な形で
ロータリーをこちらにとか
思いつつ歩いていると、
だんだん頭の中の方向感覚が
おかしくなってきますねえ。

実際この地方は狭い道が多く、
東西南北もあやふやな
五差路の交差点もあったりして
わかりにくいです。

後日この辺りで仕事をしてる人に
聞いたら、あああの辺りはややこしいよ。
あまり行きたくなかったなあ
なんて言ってました。

ああそれでも道はシランけれども、



こっちが北の方角だと
頭の中の方向感覚を信じて、
こういう道や



こういう車も通れないところを
進んでいきます。



途中広い公園もあって、
外周道路に入ったからもう大変です。



遠くを通っているであろう
26号線の車の音で
推測しながら、
耳を便りに進んでいきます。



ああ、そして耳に加えて
目も頼りになりますねえ。
とおくにJRの羽衣線の
線路らしきものが見えてきました。

頭、記憶、体力に加えて
目と耳に第6感も加えて
大鳥大社へと向かうのです。

この辺にも大きな水路が
流れてるんやなあとか思いながら、



線路にぶつかったので
右折して進んでいきます。

でもねえ、電車の本数が多いのですよ。
羽衣線てこんなに便数多かったっけ
とか思っていると、
あれ?どうやら片側は高架ではなく
地表を走っています。

こんなんだったっけと
若干不思議に思っていますと、
はたと気が付きました。

羽衣線だと思っていたのは
南海本線でした。
北向いて歩いていたつもりが、
いつの間にか西向いて
進んでいたのですね。

線路に沿って右折したから
なんと高石駅から羽衣駅に
向かって進んでいたのです。

あちゃー、間違えてました。

自分の考えが正しいと
いつも思っていてはいけませんね。
常に間違いをチェックして
おかねばなりませんなあ。

ただまあ、目的地は一応
決めてはいるものの、
距離を歩いて稼げればいいという
考え方に立ち返り、
大鳥大社へ向かうかという
考えは次回に持ち越すことにしました。

今から大鳥に向かえば、
ちょっと距離が長すぎます。
今回は仕方ないので、
再度浜寺公園の方へと
向かうことにしました。

羽衣駅前から公園方面へ
向かっていきます。

旧26号線を越えて、
さらに海に向かうと公園に到着です。

前回ここから往復したので、
今回は海の方に出て、
ランニングでここもよく使った
臨海沿いの道を
戻っていくことにしましょう。

続く

 


泉佐野へGO2

2020年05月24日 21時11分57秒 | ウォーキング

蛸地蔵伝説に絡んで、
蛸に関する彫り物なんかもあった天性寺。



じゃあさあ、doiron大好きな
イカに関する神社仏閣ってないのか
って考えたら、あるんだよねえ。



島根県隠岐諸島の西ノ島にある
由良比女神社。



ある時に岸に大量のイカが
打ちあがるありがたい現象が
あるそうです。

う~ん、遠いかなあ。
ま、ちょっとそんな情報を
ネット先生が教えてくれたので
書いておきます。

またしばらく古い家の並ぶ道を歩き、
周りの家々が今風の新しい
屋並みになったら、
岸和田市も終わりです。



川沿いに古い工場なんかもある



岸見橋を渡れば貝塚市に
入っていきます。



たしかこの橋には古い橋柱も
残っているんだったよねえ
と探って見れば、
橋のたもとのちょっと海側に
立っていました。

初めてこの辺を
歩きだしたときの記憶でしたね。

しばらく歩くと、
紀州街道は一旦旧国道に
つながってしまいます。

ああそういえばここの目の光る
タヌキも昔からありましたねえ。



にぎやかな貝塚の駅前を過ぎると、
郵便局の横からまた古い街道が
始まってゆきます。



春木から始まったとはいえ、
かなり距離も稼いできましたねえ。
今週に入ってから
浜寺公園や自衛隊周辺など
かなり精力的に歩いてきました。

かなり競歩の力がつきますねえ。
一年後に伸びた東京オリンピックの
競歩に間に合うかなあ。
なんて考えつつ、
じゃ競歩みたいに
歩いてみたらどうでしょうか。

注意点は二つ。

まず膝は必ず一歩づつ伸ばすこと。

そして必ず片足以上は
地面についていることです。

後者はまあ絶対大丈夫ですね。
問題は前者の膝の問題です。
意識しながら歩いてみると、
これがねえかなり疲れますね。

いやあ無理したらあきませんね。

ちなみに言っておきますと、
2019年の競歩の記録となると、
10km以上なんかだと
doironのランのベスト記録と
競歩のトップ記録はほ
ぼ同じくらいなのです。

すごいペースで歩くんですねえ。

でもまあここは無理してはいけません。
ランで倒れて、競歩で倒れたら
もう運動することなくなりますね。
絶対無理せず、
水分も十分とり
マイペースで歩きましょう。



やがて道標は粉河街道なんかの
ものが出てきます。

かなり南部に来ましたねえ。
二色の浜につく前のこのあたりには、
屋根に鍾馗さんのついている
家がありましたねえ。
上を向いてきょろきょろ
歩いているとありました。

そんなのもそのまんまです。







しかしまあ、屋根を見て歩くって
変なおっさんですねえ。

道はやがて二色浜あたりに
差しかかりますと、
まあここまで来たら
かなり歩いた気がしますねえ。



最近は家から往復コースなんかを
歩くことが多いので、
一本道をずっと歩き続けたら、
距離感がかなり異なります。

ああここまで来たらもう
泉佐野も近いかなあと思うのですが、
なかなか遠いものです。

見出川を越えたあたりで
ようやく泉佐野に到着です。



紀州との関連を刻んだ道標
なんかも出てきます。



そして道はやがて井原の里の
「イコラモール」に出てきます。



ここでトイレを借りましょう。
そういえば、友達のじゅんちゃんは
ここで働いてましたねえ、
お店をのぞいたら
仕事頑張ってはりましたねえ。

さあ、ではdoiron
このあたりで引き返しましょう。

意外に遠かったので
帰りは少し電車です。
井原里から岸和田まで
電車に乗ります。

各駅で1両当たり3人くらいしか
乗っていないので、接触は希薄です。

岸和田で降り、
そこから春木まで歩いて帰り、
車で帰宅したdoironだったのでした。

稀薄とはいえ電車を使うことには
少し抵抗ありましたので、
しばらくは家からの
往復コースを考えて
歩くことにしましょう。

この日は結局歩いたのは
19
000歩で距離的には
約16kmくらいでした。


泉佐野へGO1

2020年05月23日 20時49分29秒 | ウォーキング

さて今日の歩きはと言いますと、
車で少し出かけてそこから歩き、
車にまで戻るという歩きをしましょう。

最近は車にあまり乗っていませんので、
たまにはラブ4ちゃんの相手も
してあげないとねという感じです。

目的地は泉佐野。

岸和田まで車で行って駐車し、
そこから歩くことにしましょう。
では、出発です。

泉州マラソンの前には
この道を歩いたなあと思い出しながら、
旧の国道26号を南下していきます。

さてどこまで車で行くかなあ
と考えつつ走らせていると、
春木のあたりで安い駐車場が
ありましたので、
ああここにしましょうって感じです。

車をとめてさあでは歩き始めましょう。

春木川の少し南側で海の方に向かい、
紀州街道に入っていきます。

あ、もちろんこの日もヘッドホンは
装着していますよ。
これで音楽を聴きつつ、
もし携帯に連絡があったら
音で通知が入ります。

ヘッドホンで話もできるはずなんですが、
それはあまりしません。

最近多いですよねえ、
突然もしもしと話しかけたりする人。
なんかちょっと変やなあ、
慣れてないだけかなあ
とか思いますがまだちょっと
抵抗がありますね。

なので携帯そのもので
受け答えをしています。
頭には帽子で、口にはマスクと
まあ今でいえば標準装備で歩いています。

春木川沿いを歩いて、
永守橋のところで紀州街道に入ります。



ああこの辺りの紀州街道も
よくきましたねえ。
歩きもそうですし、
ランでもそう。

懐かしい道のりを進んで
いくことにしましょう。

ここは岸和田煉瓦株式会社の痕跡ですね。



煉瓦の×が印象に残っています。
ここには岸和田のだんじり小屋が
ありますねえ。
今年はどうなんでしょうか。

だんじり祭りも中止かなあ。
岸和田の市民にしてみれば
祭りはやりたいのでしょうが、
寄合もできないしなあ、
はたして警察が許可を出すかも問題です。

どうもその辺がこの祭りの
今年の行方に関連
しているような気がします。

そして岸和田が中止になったら、
翌月のdoironたちの祭りも
怪しいでしょうねえ。

さあ果たしてどうなんでしょうか。

岸和田のこの辺りが中心地になってきます。

ここは旧和泉銀行本店址。



特徴的な建物で、国の
登録有形文化財になっています。
だんじり劇場があったり、
岸和田中央会館があったりします。



そしてここが欄干橋です。



欄干のあるこの橋は



昔から岸和田の商人や
参勤交代など多くの人々を
支えてきた立派な橋でした。

街道の石票も横に置かれていますね。

そこの交差点を渡り、



昔の建物の間がずっと紀州街道です。
右手に岸和田自然資料館もあります。
ちりめんモンスターの発見とかも
ここでやっていたんやないかなあ。

一度いってみたいなあと
思っていたのですが、
残念ながらここもいまは閉鎖のようです。

だんじりがくねくねと曲がって進む
S字カーブを過ぎたら、
コナカラ坂の入り口に架かります。



まあだんじりの好きな人には
この辺りの地名はみんな
知っているでしょうねえ。

市役所の横を抜けてお城の方に
上がっていく道です。



むかし泉州マラソンが
千亀利マラソンだったころ、
この道はコースのひとつでしたねえ。
この坂を駆け上がり、
城の周りを一周したような記憶があります


今回は城には上がらず、
紀州街道をまっすぐ行くだけだ。
古い家並みが続く道を南下。



紀州街道の一里塚も途中にあります。



ここの弁財天は一里塚の
松の根元にあったものを
まつっているらしい。

そしてここ天性寺は、
蛸地蔵の伝説の元となっているお寺で、



入り口に「たこじぞう」と
書かれた石碑は、池大雅の
書なんだそうです。

また灯篭にもタコの絵が
彫られていますねえ。

 


続く

 


午前は仕事、午後は歩き

2020年05月22日 21時32分11秒 | ウォーキング

緊急事態宣言も解除になりましたね。
でも油断は禁物。

まだまだ気を付けて
すごさないとね。

え~忘コロナ会の呼びかけが
もう6つ入っています。
とりあえず日常を取り戻して
行きましょう。
どんな日常やねんって感じですが。

ブログはまだまだ4月の出来事
当時のことを思い出しつつ
読んでくださいねえ。

ーーーーーーー

午前中、自治会や広報の仕事を
歩いて片付けてきました。
もちろん携帯を持っての活動ですので、
歩いた歩数は記録されています。

なので午前中は仕事をしつつも
5000歩くという効率的な
時間を過ごしたのですが、
午後からは心から遊びの歩きを
おこないました。

まあだいたいいつでも
心から遊んでいますがね。

この日は、山の方向に上がってゆき、
熊野古道や信太山自衛隊周辺道路や
和泉府中方面を散策しに
行くことにしました。
あ、もちろんワイヤレスヘッドフォンで
FM放送を聞きながらね。



最近はあいみょんの曲や
髭ダンの曲が多いですねえ。
まあいわゆる最新の音楽の曲にも
少し詳しくなりますかねえ。



家を出て、まずは氏子代表をやっている
神社にお参りし、
楽しい歩きをお願いします。

そこから公園に出てゆきますよ。

最近ランナーでも多くの人を
ここの公園で見かけます。
ランニングクラブの知り合いで
二人くらいは遠目に見かけましたね。
あとはまあ、近所の定年おじさんで
ゲーム三昧の人。
また時には家族でテーブルを持ち出して、
木陰で昼飯を食べている村の人
なんかも見かけます。

また昔のラン友で最近は走っていなくて、
介護の仕事をしながら
津軽三味線を、大きな音が
鳴らないようにして練習している
友達なんかもたまにいますねえ。

まあみんないろんな形で、
コロナに負けずに外の世界を
楽しんでいるようです。

そんな公園を抜けて、
まずは小栗街道、すなわち
熊野街道の方へと向かいましょう。

国道26号を越え、
JRの信太山駅を目指します。



この駅がねえ、今まで入り口が
山の方だけだったのに、
海の方面にも出入り口が
出来てとても便利になりましたよ。

階段も登って改札を確認しておきました。

踏切を渡って昔の駅前の方へと向かいます。

ここも昔にくらべて
大きく変わりましたねえ。
スーパーが北の方にデンと会って、
中央の植え込みのところは
なんと昔は池だったのですがね。

昔親父を迎えに行き、
電車を待つのが怖いくらいの
寂しい駅でしたね。

今はもうヘッドフォンには音楽が鳴り、
スーパーの流している音楽も響く
にぎやかさです。

そこから山の方面に上がってゆきます。

伯太の街中を抜け熊野街道に
ついたところが自衛隊の正面です。
ここに道標があります。



右小栗街道 牛滝 岸和田 佐野 和歌山 
左池田 槇尾 松尾寺と書かれています。

かなり年季の入った道標です。
それに沿って南の方に
進んでいきますと
伯太高校の横を通ります。



この歴史の道の石票もこれまで
あちこちにありましたねえ。

さらに進んでいくと、
ああこの小栗街道を歩いているときは、
歩きの初心者でしたねえ。
微妙に曲がりくねった道、
古い家、地蔵さんとか見ながら、
歩くのも結構楽しいなあ
なんて考えた記憶があります。

府中の村中をぐるりんと回って
この日は結局12518歩を
歩きました。



距離的には10キロくらいですかねえ。

しばらくコロナの問題も
落ち着くまでは、こうして
懐かしい道を歩いたりすることが
多いかもしれませんね。

この日は午前中仕事で
午後から歩きという感じでしたが、
まあ一日中歩くのも
たまにだったらいいけど、
毎日となるとどうかなあって感じだから、
コロナの時代に歩きをきちんと
進めていくためには、
一日スケジュール、週間スケジュールを
決めて淡々とそして楽しく
やっていく必要があるよなあ
と思っています。

とりあえずは目的地を少しずつ
変えながら、飽きないように
家から一日10キロ以上を
歩きましょう。
そうすれば、コロナの時代を
楽しく乗り越えていけるかもしれません。

コロナの期間はまだまだ続くでしょう。
それでも負けずに差し支えないように
歩きを続けていきたいですね。