ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

平成が間もなく終わります

2019年04月30日 20時52分05秒 | 最近の出来事

昭和の時代に、自分は自分の人生を決めた。

社会の奉仕員として仕事をし、
結婚もし子供も作った。
そして平成の時代には
マラソンにはまり込んでいったよなあ。

それが高じてウルトラマラソン、
トライアスロンとのめりこんでいった。



そんな平成が間もなく終わる。

30年と4か月。
この間に仕事も退職し、
孫も生まれるといいうこともあったが、



それにもましてdoironは
おおきな衝撃を何度も受けた。

親がすべて亡くなり、
最近は友達も亡くしたもんなあ。
そして何よりも危うく自分を
なくすところだったのは、
もう驚きを越え自分で言うのも
なんであるが奇跡以外の
何物でもない時代だったのだ。

こんな人生が、こんな時代が
あったのかというほどの
激動の時代でしたねえ。

今はそれらをさりげなく超えて、
それなりに絵をかいたり、



あちこち歩きまわったり、
ブログなどで記録を作ったりと
毎日を精一杯楽しんでいる。

家族も楽しく過ごしているし、
幸いいろんな友達も支えてくれたり、
支えあったりもしているのだから
これはもう幸せ以外の何物でもない。

そんな毎日をすごしつつ、
明日からはいよいよ次の
「令和」の時代が始まるのだ。

激動の時代をこえて、
これまで培ってきた自分という
存在のおつりで、さらに楽しく
生きていこうと期待をしている。

あれもやりたい、これもやりたいと
希望は膨らむばっかりで
落ち着きのない時代が
過ぎていくのかもしれない。
でもまあそれでもいいのだ。
あんな激動をこえてきたのだから、
何とか乗り切れるだろう。

自分でできることを精一杯考えて、
やれるだけのことはやろう
と思っているのである。

まあ人生は一回しかないのである。

この人生の中でしっかりと
自分のそれなりの頑張りを見据えて、
そして満足いく毎日にしていかないとねえと、
新時代の到来を前に
考えたりするdoironなのでありました。


山麓リボンの道40 完歩

2019年04月29日 20時53分06秒 | ウォーキング

この明石海峡大橋は、
予約すれば橋げたの一番上まで
行けるツアーがあります。

木曜日から日曜までと
祝日に一日二回で3000円の
ツアーだそうです。

う~ん、ここの歩きを企画するときに
こういうのも入れると
いいかもしれませんね。

あと日本一乗り心地の悪い
カーレーターとかねえ。

いつかそんな歩きを
計画してもいいかなあ、
なんて考えています。

ではここのプロムナードも
出ていきましょう。

降りてすぐのところに
「橋の科学館」とかありますが、
ここはもうパスですねえ。



その前に「須磨から明石は松原伝い」



といわれたのを安藤広重が
絵に描いているという
案内がありましたねえ。

プロムナード中心に
はみ出た公園から出て、
海岸通りを進んでいきます。



ここは明石藩舞子台場跡
というのがあります。



石垣もしっかり残されていますねえ。
これは勝海舟の設計・総指揮で
作られたもの。



でもねえ、あの友が島の砲台や
雑賀崎の砲台同様に
一度も使われることはありませんでした。

そこから海岸線に沿って歩いていくと、
線路のわきに



「舞子延命地蔵尊」

があります。
ここは昔は木でたたいて
願いを言ってたそうで
「タタキ地蔵」といわれていた
という説もありますが、
やはり昔の長老や古文書を見ても
そんなタタキ地蔵なんて
書いてないから、
ぜひともたたかないで、
大事にしてねえと
書いてありましたよ。

不幸ないきさつを
作られたもんですねえ。

そしてその先には舞子六神社が
あります。



これをいろいろ分解していきましょう。

まずは「舞子」という言葉から。

由来は平清盛公が美しい景色を
愛でて若い娘たちに
舞を舞わせたとか、
瀬戸内の潮の流れが
入江に舞い込むように
なっている舞い込み浜から、
あるいは海からの風に耐えながら
砂浜に根を張る松の枝振りが
女性が舞を舞うように
曲がりくねっていた様子から
とまあいろいろの説があります。

いい名前ですよねえ。
そして「六神社」はと言いますと
この辺りは昔は明石郡垂水郷山田村
と呼ばれていて、そんな「舞子」という
優雅な地名が生まれたのは
18世紀半ば頃だといわれているので、
この神社はそんな垂水郷山田村の
総鎮守社として人々の厚い
崇敬を集めていたといわれています。

もともとは六社大明神が
当時の名前だったのですが、
神仏分離で明神がとれ、
舞子六神社といわれるようになりました。

あ、そうそう
もともと祭神が6神おられる
ということもありのこの名前です。

伊邪那岐大神、伊邪那美大神、
天照皇大神、素盞男大神、
月夜見大神、蛭子大神ですね。

そしてここの名物は、石でできた
戎と大国が日本一だといわれています。





まあ神社の名前から
この辺りの地名の事とか
知りましたねえ。



さあ、これで長かった
リボン通りの最後の見せ場が終わりです。

最後の地図は消し忘れて
7キロ以降は電車の経路が入っています。

それにしてもこの歩きで
神戸についてかなり
詳しくなりましたねえ。

なぜ「神戸」なのか、
その辺のことも勉強しました。

そして神戸といえば広い港町
という印象も、山手を歩いて
かなり印象が異なりましたねえ。

昔の人が歩き回ったという街道ではなく、
今の町の人たちが作った
神戸東西横断道路で、
今の時代に合わせたことも
結構学びました。



神戸のことを知りたいという人は
全部で40話となった
このブログを参考に
歩いてみてください。



僕には見つけられなかったことも
まだまだ一杯あると思いますので、
また機会があれば教えて
もらえたらと思います。

とりあえず「山麓リボンの道」は
これにておしまい。

ありがとうございました。


山麓リボンの道39 明石海峡大橋

2019年04月28日 21時12分00秒 | ウォーキング

五色塚古墳を出たら
山陽電鉄まで歩いていきましょう。



山陽電鉄とは、西代から姫路方面へと
つながる東証一部に上場している
準大手私鉄ですね。



この線路にぶち当たったら
しばらくは線路に沿って進み、
霞ヶ丘駅の手前で踏切を渡って



海側へと進んでいきます。



そのまま進んでいき、



JRの線路が見えたら
その手前を右折して進んでいきましょう。



そこから道はまた昇っていきます。



リボン通りは結構複雑に
道が曲がりくねっている
ことが多いですねえ。

そして再び山陽電鉄に出たところから、
舞子ビラの方に入っていきます。



ここは立派な宿泊施設ですねえ。



明石海峡大橋の夜景を眺めながら、
静かなお店でウイスキーを
クイッてやるって、
う~ん、doironの歩きには
めちゃんこ不似合いですなあ。



そこから舞子公園の方へと降りてゆきます。



松のいっぱい生えた
海辺の公園ですねえ。



リボン通りはここから海の方へと
入っていきます。

「須磨から明石は松原伝い」

と昔から言われていました。
何本もの松が木陰を作り、
風を和らげていい雰囲気の
公園を作っています。



ここで時間を見ると12時ですねえ。

この辺で昼食にしましょう。

今回はお弁当です。
海辺のベンチの上に座り、
湯を沸かして味噌汁を入れます。
最近はナメコの味噌汁が多いですねえ。
なんかぬるっとして
元気になりそうな気がしますからね。



明石海峡大橋や淡路島の方を
眺めながら座ってお弁当を食べてると、
ランニングの人が多く走ってきます。

平日の昼間ですから、
働いている人なんかも
昼休みで走ってくる人もいるのかなあ。

そういうランナーには
ついつい目が行きますね。

知り合いじゃないかなあってね。

海を渡る風がこの日は
とても気持ち良かったですねえ。

ついでにコーヒーまで入れて
のんびりしていきましょう。

リボンの道もあと1.5キロ
ちょいで終わりますしね。
時間的には余裕があります。

いい休息時間を過ごしました。

心もおなかもいっぱいになって、
さあ歩き始めましょう。
まずは目の前に見えていた
移情閣に入っていきましょう。



ここは一時神戸に住んでいた
中華民国の孫文の記念館です。



でもねえ、彼が中華民国の臨時の
大統領をしてた頃、清の最後の
皇帝溥儀が満州国の皇帝になっていたねえ。



溥儀の話については
「蒼穹の昴」から「天子蒙塵」の
14巻を読んだので
おおむねわかるのですが、
満州国と中華民国の関係や
様々なそのころの人物像が
入り組んでいてもひとつ
よくわかりません。

孫文が何をしてどのように
中華民国の大統領になったのか、
その辺がよくわからないので、
展示を見ていても
あまりピンとこないのです。

まあ、ここにはもう少し中国の事を
勉強してからくるほうが
よさそうですねえ。

「再見」と言いつつ出ていきましょう。
ここまで来るともう、
明石海峡大橋が頭の上の方に来ます。



そしてちょうど真下に来たところに、
「舞子海上プロムナード」の
入り口がありますので、
ぜひここにもよっておきましょう。



入館券を払って、エレベータに乗りますと、
高さが約47mの展示室に
行くことができます。

ここには、橋の技術的な展示があったり、





お土産屋さん、食堂などがありますね。

でもねえ一番の見どころは、
明石海峡大橋の橋げたの
下に入っていき、ずっと会場の
上の部分まで歩いて行ける
構造になっています。

途中、道の下が透明なガラスに
なっていたりして結構迫力ありますよ。

また橋の下には通路がいくつもあって、
車でも走れるような
構造になっていますねえ。



橋のメンテとかで通ったりする
道になっているんですねえ。

これが中央支間長1991mの
世界一の橋の構造なのかあ
と感心してしまいます。



続く。


山麓リボンの道38 五色塚古墳

2019年04月27日 21時10分17秒 | ウォーキング

さあて、今日から10連休の
GWが始まりましたねえ。
楽しい予定は一杯組んでいますか。
doironも令和最初のBBQとか
平成終了パーティとかいろいろと
組んでいます。
まあ、10連休とはいえ
ほぼ365連休の自分にとっては
さほどめちゃうれしいってことは
ないんですけどね。

でもまあ何はともあれ
新しい時代がもうすぐ始まりますね。

では平成最後の歩きブログ
神戸リボンの道特集をはじめます。

ーーーーーーー

この山麓リボンの道も
かなりあるいてきました。
この道は神戸歩きの絶対名所
というところも通ったが、
全般的にはところどころ
アップダウンもあったり、
狭い道があったりと
なかなかとらえどころの
むつかしい道でしたね。

歩き始めたのは2015年の8月。

つなぎつなぎで足かけ
3年半かけて歩いている
ことになります。

そしてついに今回で
なんとその道が、最終回を
迎えることになるのです。

スタートは神戸東の端の
JR甲南山手駅でした。
そこから神戸市内を東西にあるいて、
最終回に西の端のJR西舞子駅までが
その経路で、それをすべて
歩くことになるのです。

したがって東西方向に
神戸市を全部横切ることになるわけですね。

距離的には、全長で43キロ
くらいだそうですが、
駅からの行きかえりの道を
入れたら60キロくらいにはなるでしょう。
さらにdoironは山方向にも
登ったりしているので、
もしかしたら70キロくらいはあるかなあ。

その道がついに今回で完歩となります。

熊野古道中辺路、
淀川に続いての完歩ですねえ。
わくわくと出かけていくことにしましょう。

今回のコースは、前回の続きで
垂水から始まります。

車でビューンと出かけていき、
垂水の駅前の駐車場に駐車し、
さあそれでは歩き始めましょう。

垂水の駅は大きいですねえ。



駅前には大きなバス停が
あったりします。



淡路島との交点だしねえ。



垂水の語源といえば、
つい最近ほうれい線がたるんでねえ・・・
と、そんなたるみではなく、
かつて塩屋から東垂水の間に
複数の滝(垂水)があったことに
由来するそうです。

今はそんな滝もありませんがねえ。

そんな垂水の駅から東向いて
歩いていきますと、こんな
地蔵尊がありますよ。



「高尾地蔵尊」。

村の人々が鵯越の高尾山地蔵院に
参詣して勧請している
ところからこの名前がついている。

旧地にたくさんあった地蔵を
こうして集めているのです。



そしてそこには大峰山の講の
石碑もありました。



50回で大先達の人の名と
33回で先達の人の名が
書かれています。
実はdoironも地元の大峰講には
入山しておりますのでね、
親近感を覚えます。

コースはここからしばらくは
住宅地の中を歩いていきますが、
500mくらいで突然大きな山が現れます。

これが「五色塚古墳」です。



全長194m、高さ18.8mの
兵庫県下最大の前方後円墳です。

被葬者は明石の海陸交通の要衝の地を
支配した人物なんでしょうねえ。

こんな巨大な古墳の中に
入っていけるように
なっていますので見ていきましょう。



前方部は三段になっており、
こんな埴輪が2200本ほど
置かれていたそうです。



また山頂部は大変見晴らしもよく、
明石海峡大橋もくっきりと見えています。



昔の人はこの場所から、
明石海峡を経て淡路島に
興味を持っていたんでしょうねえ。

この辺りは、昔から結構多くの人が
住んでいて、古墳下の展示館には
そんな人の生活の発掘案内が
置かれていました。

こんな古代の人の足跡まで
あったのには驚きましたねえ。



この五色塚古墳にはくびれ部にも
遺構があり、そんな年代から
考えて4世紀ころの古墳だろう
といわれています。



いやあそれにしても
こんな大きな墓って
作るのも大変だったでしょうねえ。

そこを下りますと、
横にはこんな円墳もありましたよ。



「小壺古墳」です。

これも被葬者はわかりません。
直径70m、高さ8.5mの古墳で、
五色塚と同じ埴輪が並べられていたそうです。



ここもまあ地域の豪族の
墓だったんでしょうねえ。

これら二つの古墳は
国の史跡に指定されているそうです。

続く


ぶらチャリ27 イズミヤ開店

2019年04月26日 21時15分57秒 | 生活

建て替えにより、しばらく閉店していた
スーパーの「イズミヤ」和泉府中店が
昨日ようやく新規オープンした。

楽しみにしてたんだよねえ。
大きなスーパーといえば
最近はサティしかなかったからねえ。
なので早速オープンした日に
ぶらチャリで下見に行ってみた。

ああ、久しぶりのぶらチャリです。
二年ぶりかな。

この日は車だと多分混むだろうと思い、
久しぶりのぶらチャリで
出かけたのが正解でした。

「サイクリング、サイクリング、ヤッホー」
と歌いながら出かけます。
以前だったら、こうしてヤッホー
とかいいながら、高野山に行ったり、
加太まで行ったりしたのになあ。

時代の変化を感じますねえ。
ていうか体の変化を感じますねえ。
まあ仕方ないですねえ。

そして今回は久しぶりに
近所の細い道をチャラチャラ行きます。

すると、ふだん車なので
あまり通らない道だと、
これまでめったに合わない
昔の知り合いにばったりあったりします。

今回は家を出て隣村の中を通ると、
息子の同級生だった子の親と
すれ違いました。

これがねえ、車いすで鼻に
酸素を付けていたんだよねえ。
多分doironより二つ上の年
だったと思うんやけどねえ。

こんにちはと声をかけても
本人はわからないようでした。

まあこれも時代の変化なんですよねえ。
自分の体もいとわないとね。

普段あまり見ないそんな景色を見ながら、
イズミヤに向かって進んでいきます。
だんだん、店が近づくにつれ
車が滞ってきましたよ。
よしよし車でこなくて正解だ
と店に近づいていきますと、
人がどんどん多くなってきます。

店への行きかえりの人々ですねえ。

くねくねと漕ぎながら
自転車置き場につくと、



警備員が丁寧に応対して
とめる場所を教えてくれました。

まあ初日だからねえ、
こうして親切にしているんでしょう。

ではまずは店全体の様子を
見てみましょう。

建物はエル型の形で、
店舗は二階までのようです。
これが店内の案内。



ああ~やっぱりねえ。



専門店が入ってばかりで、



これまでイズミヤの中にあった
洋服売り場とかはありませんし、
本屋なんかもありません。



それにフードコートなんかは、
前のイズミヤに比べて
三分の一くらいの大きさに
なったかな。



ちょっとねえ、イズミヤの
こてこて感がなくて
寂しい感じになっていますねえ。

せっかくの地域限定なんやから、
こんなに専門店にも
こだわらなくていいのになあ
という印象です。

まあ、今日は人が多すぎて、
これからのいつもの雰囲気とは
違うんでしょうけどねえ。

そして肝心な食料品売り場
というと、これも半分くらいの
大きさになったかなあ。

これが北側からの写真で



これが南側からの写真。



ちょっとやっぱりイズミヤ感が
少なくなったなあという感じです。

ゴールデンウィークは
駐車場が無料開放です。
混むかもしれませんが、
興味のある人は一度
行ってみてください。
かなり思っていたイメージとは
違うように思いますよ。

あとはまあ食料品とかの
質と値段の安さですかねえ。
じわじわ調べていきましょう。

さあ、ではまたぶらチャリで
帰りましょう。
桜も花が終わり、ハナミズキも
終わりかけです。

でもねえ、チャリンコは
やっぱり気持ちいいねえ。

ぼちぼち、レースで使っていた
チャリンコもまちのり用におろそうかな。

カーボンの三本フレームや
ディープリムもはきつぶして
いこうかなあ。

そしてまた車に自転車を載せて
運んだり、輪行バッグで
電車で移動しながら
自転車乗りを楽しむ
というのもしてみたいなあ。

新しいイズミヤ見学と
ぶらチャリ乗りを
さらに充実させようと
誓ったそんな夏前の
ぶらチャリの一日でした。


ドジ旅日記サンゴ礁の陰謀26

2019年04月25日 21時15分05秒 | ウォーキング

石垣シーサイドの駐車場に
車を止め、海岸線の方に
入っていきましょう。

こんな道を通って先に行くと、



おお~きれいな海が広がっています。



海岸線沿いに喫茶店でも
ないかなあと思いつつ
見回してみましたが何もありません、
ていうか人も一人もいませんよ。



うわーい、これは南の海を独占ですねえ。

リゾートベンチに座って、
トロピカルドリンクなんか
飲めたらいいですけどねえ。
さすがにこの景色では、
新世界でチューハイ飲んでる
おっさんには見えないでしょうしねえ。

とまあそんな夢を抱きながら、
また川平湾の方に戻っていきます。

有料駐車場に車をとめるのは
抵抗あるなあと進んでいくと、
おお川平湾沿いに喫茶店が
ありそうですから
寄っていきましょう。

ここはなんと、真珠屋

この辺りの真珠にも
いろんな物語があるようです。
長い間かかってやっとここでの
真珠が作られるようになったそうで、
今は琉球真珠という組織が
黒蝶真珠を生産し売っています。

まあdoironたちには
あまり縁はありませんが、
ここの喫茶店で川平湾を
眺めながらのコーヒーを
いただいていきましょう。



まあこんな贅沢な時間は
この島に来て初めてですなあ。



湾の中では男性一人が
海の中に入って
魚釣りをしていますねえ。



サンゴ礁の陰謀と戦いつつ、
何を釣っているのでしょうかあ。

ていうか、この川平湾は
遊泳は完全禁止なんですが、
こうして釣りに入るのは
可能なんですねえ。

きれいなサンゴ礁の合間で
釣れた魚かあ、なんか
とってもうまそうやねえ。

これからはここに来た時は、
有料の駐車場に車をとめるより、
この店の前に止めて
コーヒーを飲む方がお得かもしれませんね。

さあ、では空港に向けて
どんどん進んでいきましょう。

道路わきに生えている亜熱帯の植物。
ところどころで飼われている牛たち。
豪華なお墓。
我々は4日目となると石垣の光景にも
かなり慣れてきましたので、
車を運転しながら
これからの老人人生について
語り合ったりしながら、
南国を満喫していくわけであります。

二日目のトレイルレースの近辺を通り、
信号のないきれいな道を
空港の方へと走っていきます。

ガソリンスタンドで燃料満タンにして
5時半くらいにレンタカー屋さんへ到着です。

ハイブリッドのおかげで、
しっかり乗り回しましたが
燃料代は安かったですねえ。

今度やってくるdoironの車も
こんなに燃費が良かったら
いいんやけどなあ。

で、レンタカー会社から
空港へと送ってもらい、



そこで我々最後のオリオンパーティが
始まるわけです。



こんな華やかなイートインで、
から揚げやモズクの天ぷらを



食べるとともに、キュウリ巻き
なんかで舌や胃の感覚を戻しつつ、



普段の生活に心と気持ちをかえていきます。

はあ、酔っぱらったなあ。

これでトイレは大丈夫かなあ
と思いつつ、機内で熟睡したおかげで
あっという間に関空でした。

ドジ旅10回目の石垣旅行。
サンゴ礁の陰謀との戦いも少なく、
平和でしたが南国気分は
しっかり満喫したドジ旅でした。



関空まではミセスが
迎えに来てくれました。
大阪の湾岸道路を走りながら、
さまざまな思い出を
かみしめましたねえ。

今回のドジ旅では、
石垣の事は勉強になりましたねえ。
別の日に石垣へ行こう
という人がいれば、
じっくりと地図を見ながら
このブログを読んでもらえれば、
いい勉強になると思いますよ。



後日、今回の石垣旅行を
手配してくれた、
女性も含めて大阪の居酒屋で
打ち上げをしました。







ジダンは大阪の沖縄料理に
詳しいそうで、また別の店に
連れて行ってくれると
約束なんかを交わしながら、
10回目のドジ旅これでお開きです。

長い石垣旅をたらたらと
連ねてきました。
果たして11回目はあるのでしょうか。

長期間ありがとうございました。


ドジ旅日記サンゴ礁の陰謀25

2019年04月24日 21時13分05秒 | ウォーキング

隆起サンゴ礁の石灰岩が
ごろごろしているような
石垣島ですから、
当然鍾乳洞なんかも立派です。



ここ石垣島鍾乳洞は長さも長く、
日本最大級といっても
過言ではないそうです。

洞窟の中をうろつく
ドジ旅のおっさん二人。
いつも町や山をこうもりのように
うろつくように的確に
鍾乳洞の中でも
コース案内にそって歩き回っています。





そんなおっさん二人の
異様な光景を、写真を撮ったり、
解説してくれるお姉さんも
かいがいしく働いていましたねえ。



その規模は確かに大きく、
中にはこんなトトロもいましたよ。



いやあ石垣島の地下の世界も
満喫してきました。



さあでは次は石垣島天文台に
行きましょう。

南の島石垣島の町、山、海だけでなく
地面の底や宇宙までとは
ドジ旅とは何て奥行きが深いんだ。




石垣島は星がとてもきれいなんだそうです。
星空ツアーなんかも組まれるそうで、
天の川もくっきり見えるそうです。

夜のこの星空もとても
期待していたのですが、
残念ながらこの三日間は
すべての夜が曇天でした。

とまあ言いつつ、
しっかり何度も夜にそれを
見上げたわけではありません。

星ぞらじゃないけど、
オリオン座ではなく
我々はオリオンビールを
満喫していたわけで、
あっさりと空は眺める
程度だったのですがねえ。
ほとんど星は見えませんでした。

なのでそれなら天文台に
行ってみようということになって、
目くるめく亜熱帯の山道を
車でどんどん上っていったのでした。

自然にあふれた公園も過ぎ、
どんどん標高が高くなっていきます。
星空観察ですから、
高くて人のあまり来ない
こういうところがいいんですね。

さあ、無料で入れる天文台は
どんなところだろう・・・



本日休館でした。

うわあ、それはないだろう。
ここまで上がってきて休館とは。

ここの天体望遠鏡の愛称
「むりかぶし」は見れないのかあ。

むりかぶし、とは星の群れ
という言葉ですばるを表すそうです。

でもまあせっかくここまで来たんです。
下の駐車場に車を止めて、
天文台のすぐそばまで行ってみましょう。



休みだけどドジ旅の二人なら
ぜひ立ち寄ってくださいと
なりませんかねえ。



あ、石を投げられる?
う~ん、そうかもねえ。

静かな山道を登っていくのですが、
これが急坂でどんどん
心拍数が上がっていきます。

うわあ、もう脳が拘束する、
心臓がけいれんするという直前に
天文台に到着しました。

なかなか立派な建物ですねえ。
でも全く人の気配がありません。

もう
「まるで観光地のブラックホールやあ」
感覚ですね。



玄関で写真を撮っておきましょう。
しかしまあ、星空には
似合わない二人だったのでした。



さあまだ昼過ぎです。
飛行機が飛びたつのが夜ですから、
まだまだ時間があります。
グルリンと石垣島を回りつつ
空港へと向かうことにしましょう。

次に向かったのが、
やはり石垣最大の観光地である
川平湾の先っぽの方です。

ジダンが運転してくれています。
川平湾のところから、
さらに北に向かって上がっていきますと、
とても気持ちい道が続いていきます。

あれ~でもなんかこの辺は
私有地のような感じがしてきましたよ。



「こんなところを勝手に
運転してたらあかんのちゃうかなあ」
とジダンは言いますが、
doironはもう運転していないから
「ああ、なんか言われたら
出てったらええねん」と
とても気楽です。

芝生の公園の向こうに、
サンゴ礁の陰謀が海を
静かにたたずませています。

こんなところに家があったら
いいなあとか思いながら進んでいくと、
岬をグルリンと回って
元の道に出ていきます。

ああ、なんかこの辺はいいところに
入ろうとしたら
お金をとられるのかなあと思いつつ、
去っていく二人なのでした。

途中で、石垣シーサイドホテル
という施設があったので、
海岸線でお茶でも飲めないかなあ
と思いつつ海岸線に近づいていきました。

続く


ドジ旅日記サンゴ礁の陰謀24

2019年04月23日 22時13分18秒 | ウォーキング

歩き始めて約1時間。
ジダンが山を歩いて
降りてくる時間を考えたら
この辺で車のところへと
戻っていきましょう。

帰りはこんな住宅街の中の道を通り、



てくてくと歩いていきます。
この日は石垣市内の道を
こんな風に約6キロを歩きました。



こんな御嶽のようなところを通り、



こんな木を眺めながら



石敢當にも触れ、ちょっぴり



石垣人になったような気分でしたねえ。

さあ、ではジダンを迎えに行こうと
車に乗ったところで連絡がありましたので、
ぴたりでしたねえ。

頑張って走っていくと
山の茂みの中から不気味なものが
わいてきます。
ああ、ジダンでした。

早速合流し、このバンナ岳の
周りを車で走っていくことにしましたよ。



上ヘ上へと車で上がっていきますと、
おお~ここがエメラルドの海が
見える公園です。



なんか港の見える丘公園
みたいな名ですねえ。

この日はすっかりお天気と
いうわけではなく、
ちょっと曇ったりしているので、
エメラルドの海は見えませんでしたが、
顔彩で言ったら「白群」に
「浅葱」を混ぜて、
「青瓷」を散らかしたようなって、
どんな感じや。
まあ微妙な色合いでした。



サンゴ礁の陰謀なのかもしれません。

さらに先へいきますと、
いろんな展望台があります。



こんな卵が割れたような
展望台やこんな展望台。



バンナ岳は市街地に近く
いろんな展望台が設置されていましたねえ。



そこからいったん下に降り
時計回りにバンナ岳を回っていきます。
休憩所や気持ちよさそうな
石垣ダムですねえ。



なんと日本最南端のダムだそうです。
石垣にはここの他にも
4つのダムがあります。
なんと名倉ダムは日本最西端の
ダムだそうです。

これらの石垣ダムは、
一部上水用を除けば基本は灌漑用です。
決して水力発電というわけではありません。

じゃあ、石垣島の電気は
どうしてるの?って気になるでしょ。
これがねえ、石垣島にある
二か所の火力発電所で、
周辺7島の電気も含めて
賄っているのです。

それにまあまあ最近は
太陽光発電も盛んですねえ。

田舎なんかでは、農業跡地を
ついで百姓仕事をしようという人々が
減ってきました。
でもとりあえずは土地があるので、
百姓仕事をつがなくても
とりあえず太陽光を
置いておけばいいやみたいな
傾向が強いんじゃないでしょうか。

ここ石垣島でも、島内に
2メガワット程度の太陽光なんかも
作られているようですしねえ。

いずれにしてもここの火力発電者で
この八重山地方の電力を
賄っているようです。

ついでに、この石垣島の
清掃工場も一か所です。

24時間で40トンを処理する炉を
2基持っているそうですが、
発電はどうやらしていないようです。

石垣の暮らしと環境対策、
勉強になりましたねえ



さらにこんなのんきな牧草地畑
みたいなところをこえ、
牧場も眺めていたら、
どうやらバンナ岳を
1周してきたようです。

南の島の豊かな自然も
しっかり眺めて、さあおなかも
すいてきました。
そこで次に行く予定だった
石垣島鍾乳洞に行き、
そこでまずは昼飯を
食べることにしました。



いろんなものを食べてきましたので、
ここはちょっと普通の食べ物を
ということで、カレーにしました。



八重山牛だって、石垣牛ちがうんやあ
そんなカレーをいただきましたよ。



では鍾乳洞の方に
向かっていきましょうか。



旅館でいただいてきた
パンフレットで割引料金で
入っていきます。



あ、あれ~なんとその割引券は
ここでの食事にも使えたようでした。

ぐやじい。

一生の不覚です。

もう恥ずかしくて穴があったら
入りたいくらいです。
なので、石垣鍾乳洞の穴の中に
入っていきましょう。

入り口のところにいてたのが、
あの蝶々のオオゴマダラの蛹です。



な、なんとこんな鮮やかな
金色なんですねえ。
感動しました。

続く


ドジ旅日記サンゴ礁の陰謀23

2019年04月22日 21時11分24秒 | ウォーキング

公園を過ぎると、
その奥にあったのが竹富町役場です。



竹富に行った時に書きましたね。
町の役場が他の自治体の
市の中にあるという
唯一の例であると。
それがここだったんですね。
まあ町としてはその例は
唯一なんですが、村役場となりますと
「十島村」や「三島村」が
いずれも役場が鹿児島市内にある
という例があります。

まあ、竹富町は八つの有人島が
メインで、それらの島間の
交通機関がほぼありませんので、
一番交通機関のある石垣島に
その役場を置いている
ということになるのでしょう。

だったら住民票を取るのに
わざわざ竹富島の人たちは
石垣までやってくるの?
と思ったら、なんとそういう
証明書なんかは、あの竹富島の
郵便局に委嘱されているんだそうです。



じゃあさあ、役場の人たちの
住所はほとんどが
石垣市の人なのかなあ。
他の島だったら通勤が大変だもんねえ。

町役場が多くが他市の人で
成り立っているんだとしたら
それも不思議なことですよねえ。

それに、町長が西表の人だから、
今は住所がどんな風に
なっているのかなあ
というのもなんかとっても
興味がわきますよねえ。
ここが日本最南端でしかも
最西端の町役場なわけですよねえ。

でもねえ、新竹富町役場に
関する基本方針が2017年に
まとめられており、
今は基本的に西表に役場を建設する
方針が定められているようです。
職員の方々も、こんな引っ越しは
大変なんでしょうねえ。

その竹富町役場から
少し歩くと石垣市役所があります。



ここもまあかなり
老朽化しておりますが、
やはり町役場よりは
規模が大きいですね。



石垣市の一般会計予算の
歳入額は280億くらいですねえ。
以外にしっかりしています。

歩くコースは、ここから
北西方向に進んでいきましょう。
県道沿いには、石垣に来たら
行ってもいいかなと思っていたような
お店が続きます。



でもねえ三泊ですから、
入れる店は限られていますよねえ。

そしてその先にあったのが
「具志堅用高記念館」です。



ああ、そういえば彼は
石垣出身でしたねえ。
こんなところに記念館を
作っているんですか。
入ろうと思いましたが
入館料が必要なんですよねえ。
でもまあここまで来たんだから
入っていきましょうと切符を買い、
入り口の扉を開けたらそのときです。

中から、なんと具志堅用高が
出てくるではないですか。

これはこの記念館の似た人の
いたずらかと思いましたが、
まぎれもなくご本人でしたね。

思わず「ちょっちゅね~」と
叫びそうになりました。

どうもテレビ撮影をされているようで、
邪魔にならんようによけましたが、
すれ違いざまに軽くジャブを!
なんてやってたらあきませんね。

聞けば東海テレビの
撮影だったようです。



こっそり写真を撮っておきました。

そうなんです。
石垣島であった芸能人とは
彼の事だったんです。
芸能人というか元ボクサーというか
という問題はありますがね。

いやあいいものを見たなあ
と中に入って、彼のボクシングの
経歴を見ていきますと



彼って本当にすごい
ボクサーだったんですねえ。

インターハイに優勝、
プロとなって沖縄出身者として
初の世界王者となり、
世界王座6連続KOとか
世界王座防衛13度は
日本人の最多記録だそうです。

彼についた名前がなんと、
石垣島に来てから頻繁に
目にしていた「カンムリワシ」だって。

いやあ地元の勇者だったんですねえ。
この記念館では数々の
展示に圧倒されました。

それから外に出ていくと、
もう彼はいませんでした。
ほかの観光地とかにも
回っていったのかなあ。

道端に止めてあった大きなバスや
数々の車もすっかり
いなくなっていました。

まあ具志堅用高記念館で
本人に出迎えるように
会ったというのはいい思い出ですねえ。

続く


ドジ旅日記サンゴ礁の陰謀22

2019年04月21日 21時08分52秒 | ウォーキング

10回目のドジ旅となる
石垣周辺旅行も三泊四日の
最終日となりました。

多分doironのブログの中でも
22回といえば最長となりますねえ。
四日も楽しんできて、
こうして一か月近くブログを書いて
楽しむというのも、
ただでさえ激安だった旅行を
さらに充実させています。

まあ、これも数々の誘惑と
一緒に戦ってきた、
相棒ジダンのおかげですな。

様々なことで遊んできた友達たちも、
ランニングからウォーキングと
世界を変えて、なかなか
交流することはありません。

そんな中で気長に付き合ってくれる
彼のおかげで、doiron人生も
彩り豊かに過ぎていきますね。

このブログもあと数回で
今シリーズを終えますが、
もうこの後のウォーキングも
数回入っていますしねえ。
もうちょっと辛抱して
読んでくださいね~。

最終日の朝は早い時間から
チェックアウトし、朝食を食べに
「のりば食堂」というお店に行きました。



ここはバス乗り場の食堂
ということで、それが短縮されて
こんな名前のお店になったそうです。

椎名誠もここのお店が好きなんだそうです。
店の中に入ると、壁には
いろんな人の名刺が張られ、
一方の壁には芸能人などの
サインが一杯張られています。



え~もちろんここで見た芸能人の中には、
この日にdoironが出会う
芸能人のものもありましたねえ。

そしてさらにじっくり探したら、
確かに椎名誠のサインもありました。

そんなお店でdoironが頼んだのが、
アーサー汁定食でした。



確かに名前に似てあっさり系の汁でしたが、
海の香りがしていましたねえ。
石垣の炊き込みご飯は
「ジューシー」というのですが、
ここのは味のうすいジューシーで、
おいしかったです。

これでまあ、事前に石垣で
いけたらいいなあと思っていた
お店には行けましたねえ。
よかったです。

さあそれでは今日の計画を
始めていきましょう。

今日はドジ旅は別行動となります。

ジダンは今日は「バンナ岳」を
登りに行きます。
まあ標高で言えば230mの
低山なんですけどね。
南国の山はどんな感じなんでしょう。

そしてdoironは石垣の市街地を
歩きまわる予定です。

ではまず、ジダンを山の
登山口のあたりまで
送っていきましょう。

昨日の朝に行った豆腐屋さんの
近くをこえて、八重守の塔から
バンナ公園の方へと入っていきます。

結構広い公園ですね。
中には八重山戦争マラリア犠牲者の
碑がありますねえ。



太平洋戦争で軍の必要性から
住民が悪性マラリアの
有病地域である石垣、西表の
山間部に避難したため、
発症して3千人以上が
無念の死を遂げるに至ったことの慰霊碑です。



そんな公園をジダンは出発していきます。



ではdoironはまた市街地の方に
向かって戻っていきます。

止まっていた宿の駐車場に
こっそり駐車し、ではここから
いつもの歩き旅を始めていくことにしましょう。

まずはきのう竹富島まで行った
フェリーのターミナルを目指しましょう。



このターミナルには
「ユーグレナ石垣港離島ターミナル」
という名前がついています。
そういえば昨夜あるいた繁華街も
「ユーグレナモール」でしたねえ。

ユーグレナって石垣の言葉で
何か意味があるのかなあと思ったら、
何のことはない。
これは事業者のネーミングライツで
ユーグレナというミドリムシサプリの
工場の名前でした。
なのでたとえば「エイ」が
このネーミングライツに採用されたら、
石垣の商店街は「エイモール」に
なるわけですな。

そんなユーグレナターミナルから
しばらく行くと小さな公園につきます。



この中には八重山の情報なんかが
書かれた案内がありましたよ。



平均気温は23.8度と書かれています。

今回訪れたときは、
最終日が一番暖かく24.6度でした。
あったかいですねえ。

続く