ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

還暦過ぎ頃の九州旅行7

2018年06月30日 21時00分01秒 | 最近の出来事

桜島のマグマに温められた後は、
この九州最初の晩餐です。
まず名物はやはり「豚」ですねえ。



道路わきの看板にも
この黒豚の宣伝看板が
多く出ていましたね。

黒豚というのは全国にいますが、
この鹿児島の黒豚は
サツマイモを餌とし
特別な黒豚として一時は
牛肉並みの値段がついたそうです。

そもそも、この鹿児島の人たちは
この黒豚が好きで、昔は戦時に生きた
黒豚を送り込んでいたそうで、
けっこうな肉食軍団だったそうです。

その黒豚をしゃぶしゃぶ風にいただきます。

刺身はこんな感じで、
もう一息って感じでしたな。



期待していたさつまあげも
いただきましたよ。



生ビールで乾杯しつつ、
エイで見てるように
普段食の細い首Dさんも
三日分くらいはご飯を食べた
って感じでしたね。

食後はまた部屋に帰って、
その日垂水の酒屋によって
買ってきた焼酎をいただきましたよ。

こうして西郷どん鹿児島のおっさん旅
一日目はワイワイと過ぎてゆくのでありました。

さて夜中はもう3人ともぐっすりです、
かと思いますよ。
僕はもう前後不覚で眠り込んで
いますのでわかりませんけどね。

朝起きたら、まずは外の散歩
と思いましたが、あまり
天気は良くありません。

時折雨がぱらついたりという感じです。

ロビーで新聞読んだりという感じですなあ。

この頃はあのアメリカンフットボール関連の
記事が世間をにぎわしていたころですねえ。

さてでは朝食です。

ここはバイキングですねえ。
ああ、もうあまり食べても
いかんなあとか思いながらも、
席に着いたらこんな感じで
選んでいました。



このなかでねえ、T本さんも
絶賛の食べ物がありました。
それが「きびなご」です。
(下段右端)

「どの料理よりもわしの味覚に
ぴったりやったわあ」だって。

こりゃお土産に買いですな。
この二日目はフェリーに乗って
鹿児島に行き、市内見学をした後は
池田湖と開聞岳を見に行き、
早々に宿である「指宿」へと
向かうことになります。

さあ、それでは駐車場に行き、
くるまでフェリー乗り場にむかいましょう。

ああ、ここが車置き場やったなあ。

ん?

あれ?

ウヒャー!

な、なんと車が泥だらけです。



「番号がこれやから間違いないよなあ」
これはなんと御岳から降り注ぐ
排煙の泥なんです。

大きく移したらわかりにくいと思いますが、
アップにしたらこんな感じ。



これじゃあ、このまま乗れませんよねえ。
これはホテルの水道でも
借りなあかんなアと、
宿にいいに行きますと、

「水でしっかり洗うのもいいですが。
大変ですよ。変に固まったまま
残してたら、さらに固まって
しまいますよ。経験上これで
落とすのが一番の方法です。」

といって貸してくれたのが
「けばたき」でした。

これでサラーと落として
いくのがいいですよ。

とのことでした。



T本さんと交替でお掃除、お掃除です。

レンタカーをこんなにきれいに
するのは初めてですなあ。

むかし、淡路島にマラソンで
行ったときに観光ロープウエイに
乗って降りてきたら、
車が猿のウンチまみれになってた
ことを思い出しました。

ガソリンスタンドで水をかけて
洗ったら、そこの壁
がウンチまみれになったことを
思いだしてしまいました。

まあ何とか目に付くところの
火山灰をようやく落として、
さあではフェリーにむかいましょう。

一時間に4~5本くらい出向してます。

乗り場の駐車場入り口で
フェリー料金を払い、
そのまま舟へと入っていきます。

ああ、フェリー乗り場周辺の
観光とか少しもなく、
いきなり乗船となりますので、
最初はあの噴煙をかぶった
駐車場に車をとめて、
じっくり観光してから
フェリーに向かうのがいいようです。

車を降りて、乗舟場所に
すわったらすぐに出向していきます。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行6

2018年06月29日 21時18分31秒 | 最近の出来事

展示会の中は、ちょっと工事を
している部分もあり
手狭になっていましたが、
鹿屋の地域の事や
昔の特攻隊のことなども
並べられていました。



史料館の人たちはとても親切で、
細かい道案内なんかもしてくれます。
悲しい特攻のことが
一部書かれてあったりしましたねえ。

まあ、これで明後日の知覧が
また楽しみになったというところです。

ありがとうございました。
いい下勉強になりましたね。

ゼロ戦なんて初めて
見たような気がしますねえ。



さあ、ではこうして鹿屋市の
見学を早めにすまし、
また垂水市などを通って、
今日の宿「国民宿舎」のある
桜島を目指しましょう。

鹿児島湾内にポツンとある桜島なんですが、
実は島の名前が桜島で
そこにある山の名前が「御岳」
なんですねえ。
でも「鹿児島の御岳が噴火して・・」
とはあまり言われませんよねえ。
「桜島が噴火して・・」
の方がよく言われます。

でね、もう一つ。

地つなぎだから島かなあ?
とかいうのも考えるわけです。

これはねえ、調べてみたら、
昔は島だったそうなんです。
でも大正の噴火で地続きとなったのですが、
「桜島」の名前は残っています。
なんかもう桜島って地学的に
どうとかいう話ではなく、
鹿児島の人々の心の中に
強く生きている名前なんですね。

じゃあ、なぜ「桜島」なんでしょう。

特に桜がいっぱい植わっている
わけではありませんしね。

これもまたいくつか
「説」があるようです。

いろんな説を時代的に検証してみたら、
これが濃厚かなあというのが、
この島の神社に「コノハナサクヤ姫」が
祀られていたから
「サクヤヒメ」→「桜島」となった
という説です。

このサクヤヒメはいまは
富士山に鎮まっているといわれていますが、
まあいろんな人々の思いが
こもっているのも「桜島」なわけですねえ。

むかしは桜島町とかいう
行政区分もあったのですが、
今は全島「鹿児島市」だそうです。

そうそう、調べていたらこの島の
特産品も面白いですね。

なんと世界一大きな
「桜島大根」と世界一小さな
「桜島小みかん」なんだそうです。

何度も噴火を繰り返し、
いろんな歴史を積み上げているこの島も、
いろいろ調べていったら
面白そうな山ではありますね。

その桜島の南端を通る
国道224号を西へ向かって行きましょう。

道端には何か頑強そうな箱が
設置されていますね。



うまく写真をとれていなかったので
ネットの写真で紹介。
これが御岳噴火時の退避壕です。
こんなのが各地にありましたねえ。

海岸線沿いを進んでいきますと、
遠くの方に鹿児島の町の姿が見えてきて、
ちょっとした平地のような
ところに出てきます。

これが、鹿児島の方へのフェリーなんかが
出ている桜島港です。



本日宿泊の国民宿舎は
この港のわきにあります。



背後に雄大な御岳、
全面の海を隔てて鹿児島が
見渡せる最高のロケーション。

温泉はなんと「マグマ温泉」。



うう~安らぎが煮え立つような温泉です。

実はこの旅館は、ミセスが前の職場の
仲間たちと日帰りで
鹿児島旅行に来た時に、
ここにきて泊まるなら
ぜひここやなあと
みんなで言ってた施設らしいです。

それを無理やり首Dさんの
旅行社にいって押さえて
もらうことにしました。

到着したのは17時頃でしたねえ。

海が見渡せるいい部屋でした。

さあでは食事時間を18時半に
設定して、ビールを一本飲んで
さっそく温泉へと向かいましょう。


プハ~

では、別館のお風呂棟に行き入浴します。

桜島の地下1000mから
湧いてくる温泉です。
かけ流しですが、温度が高すぎて
加水しているようです。

ウヒャー、あったまりますねえ。

桜島温泉の熱に温められている
そんな感じです。
さすがにマグマはあったかいなあ



なんて言いながら、
喜ぶ我らだったのでした。

おっさんやね。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行5

2018年06月28日 20時57分07秒 | 最近の出来事

最初は高速を走り、
こんな桜島のサービスエリアで
お土産などをチェックです。



で、そのサービスエリアから
見える桜島はというと、
どうもその方角には
上の方が雲に包まれた
山並みがあるだけです。

桜島が大噴火している
という情報はないのですが、
どうもあの雲は自然の雲か
噴煙なのかはわかりにくいなあ。

まあ、今日はあそこに泊まるのである。
どんなものなのかは、
体で感じることができるだろう。

鹿児島湾の水は何となく
重そうな感じだな。
空気もそれらしく・・・・・。



ああ、ビールも効いて
眠ってしまいました。

もったいなかったなあ。
気がついたら、黒酢本舗の
お店の方にと登っていくときでした。

「桷志田(かくいだ)本舗」

というところでした。



ここは黒酢を作るたくさんのカメが、
ズラ~と並べてあるところです。
こんな風にねえ。



このカメの中で、黒酢ができ
熟成していくわけですね。

このカメの景色は何度も
テレビで流れているから、
ここは人が多いです。

駐車場にも大型バスが泊まるほどです。

黒酢に関するお土産が
いくつも並んでいますが、
ここではまあドレッシングを
一つ買っておきました。



生姜の味の効いたおいしい奴でしたねえ。

こういうところは何がきっかけで
はやっていくんでしょうか。
やっぱり宣伝活動が
しっかりしているからでしょうねえ。

ここは外国人の方たちも
来られているようでした。

さあ、ではまた車に戻って
旅を続けていきましょう。



ようやく眠気もさめたので、
のんびりと景色を楽しんでいきます。
このあたり順調に旅は進んでいます。
道もほとんど渋滞していないので
順調すぎるくらいです。

予定ではこのまま桜島の方に
入っていくのですが、
かなり時間もあるようなので、
ここは少し先の「鹿屋」の方を
目指していこうということになりました。

最終日は知覧の方の
戦争関連施設に行く予定
なんですがその予行演習ともいえる
「鹿屋航空基地史料館」へ
行こうということになりました。



それとねえ、鹿屋体育大学といえば
僕の大好きだった陸上選手が
いたところでした。

「永田宏一郎」選手です。

あまり出場大会が恵まれない
選手でしたが表舞台に出てきたときには
脚光を浴びていましたね、
あの飛ぶような走法が
かっこよかったなあ。

旭化成に入ってさあ活躍
というときに故障を多発し、
かんじんな大会への出場を
逃していました。

そんな第一線も故障でうまくいかず、
いまは高校の先生をしている
と聞いています。

彼が学生時代を過ごした
鹿屋とはどんなところなのか
とても興味がありましたのでね。

桜島を過ぎ、少し山の方に
はいってところに鹿屋がありました。

場所的には適度な平地と
山道が混在するというところ。
体育大学があるだけに、
こんなアスリート食堂みたいな
施設が多かったかなあ。



さあでは航空基地史料館を
目指しましょう。

しかしナビも入れているのですが
なかなかたどり着きません。

なんか航空基地の中に入っていく
入り口のようなところまで来るのですが、
その記念館がありません。

あれ~こんなとこ入って行ったら
「敵機襲来だあ」とか「国賊だあ」
とかいわれて攻撃されるかもしれません。
何回もそこに来るので、
よく見てみると
「おお~小さな看板があるぞ。
ここからはいれとなっているぞ」
と案内を見つけました。

ああ、そうかあ、やはりここから
はいるんやな、攻撃したりは
しないでねとおそるおそる
進入していきました。

昔の飛行機なんかがずらりと並ぶ
展示場の横に駐車場があります。

おいてある地図を見ますと、
どうやらそんな飛行場の
向こうにあるのが
「鹿屋航空基地史料館」のようです。



あんな小さい看板じゃ
わからんよなあとかいいつつ
向かって行きます。

続く

ーーーーーーーー

さあ、今夜はW杯サッカーの
最後の決戦、正念場



さあ、勝ってくれよ~


還暦過ぎ頃の九州旅行4

2018年06月27日 21時55分41秒 | 最近の出来事

さあ、日本一のクスノキをみて、



今年のドジ旅以来、
心に引っかかっていた好奇心も
ひとつは一応満足しました。

あと、巨木で見たいのは屋久杉かなあ。
また見に行ける機会があればいいなあ。

さあ、では時刻もお昼過ぎとなりました。
この蒲生でお昼を何か
いただけるものはあるかなあ、
と観光案内所に入っていって
資料を見ている時です。

ふと目に入ったポスターに
司馬遼太郎のことが書かれてありました。



へ~、彼の作品でこの辺を
話題にしているのが
あったかなあと思ってみてみると、
どうやら「街道をゆく」の
肥薩道辺で蒲生のことを書いているそうだ。

帰阪後、図書館に行き
その本を借りてきて読んでみますと、
確かにこの蒲生郷の事を
彼は2つの文にして残している。

1つは、ここに終戦近くまであった
サムライの会社の事で、
もうひとつは竜ガ城といわれた
蒲生城の近くにある岸壁に
刻まれた梵字の事である。

それらには、この辺りにはずっと
武家屋敷に住んでいる人々がいたこと、
八幡という神社があったこと
なんかが書かれている。

しかしねえ。クスノキのことは
全く出てこないのだ。
まあ、このクスノキが日本一の
大きさの木だということが分かったのは、
昭和63年の国の調査で
初めて分かったことで、
この「日本一」という言葉が
なかったばかりに、
司馬さんは興味を示していなかった
のかもしれない。

しかし、彼にとってここは
なかなかお気に入りのところ
だったみたいで、何度かここに来たそうだ。

そして彼がここに来た時に
いつも立ち寄っていた
蕎麦屋さんがあったそうだ。

ふうんと思いつつ他の資料も
合わせて見てたら、
な、なんとそのお蕎麦屋さんが、
ここから武家屋敷を抜けていった
ところに今もあるというではないか。

これはもう今日の食事は
間違いなくここやなあ
ということになり、
我らは歩いてこの店を
目指すことにしたのでした。

武家屋敷に向かうT本さんです。



ついていきましょう。
きれいな石畳の道が続きます。



あの滋賀県坂本の道に
雰囲気がにてますねえ。
でも石垣が野面積みではありません。
ところどころの武家屋敷で、
カフェや食堂がありそうですが、



残念!もう我らの昼食先は
あの蕎麦屋さんと決まっています。

でもこうして武家屋敷を見ながら
歩いていて、ふと気づいたことが
一つあります。
それが、門から中に入って行ったときに、
家の玄関がすぐには見えない
ような形になっている家が多いのです。



これはやはり防御の一つなんでしょうか。

敵が攻め込んできたときに、
直線的な勢いで家の中に
入ってこられないような
配置になっている
ということなんでしょうねえ。

それにしてもみなさん、
大きな敷地に住んでいるようでした。
そんな武家屋敷を抜け、
こんな物産館のようなところを
過ぎていったらその蕎麦屋さんがありました。

「にいな屋」。



この店を司馬さんは
お気に入りだったみたいです。

彼がよく食べたのは特製そばでしたが、
僕が頼んだのはスタミナそば。



まだまだ運転しないといけないし、
といいつつ食べていたら
T本さんが「もうあとは運転するから
ビール飲んでいいよ」
とありがたいお言葉をくれました。

わーい!日本一のクスノキの御加護で、
司馬さんのお気に入りのお店で
ビールをいただくという幸せに
まみれてしまいました。

高校生の頃は三人で一本の
缶ビールも飲めなかったのに、
もう今はおそばを食べながら
ビールを飲むというのが
どれだけ幸せか。

還暦過ぎのおっさんは
しみじみと月日の流れに
思いをはせるのでした。

この姶良市の蒲生から
次は鹿児島湾の東側を南下し、
次の見どころの黒酢園を目指して、
T本さんの運転で向かいましょう。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行3

2018年06月26日 21時22分23秒 | 最近の出来事

絵の展示会の方は
他の二団体さんの見学も
無事に終えることができました。
個人さんも含めて
みなさん、きて楽しんでくれて
doiron家は最近とてもにぎやかです。
ありがとうございます。
こちらの方もまた日を改めて
報告することにします。
とりあえずは九州旅行を
続けて書いていきます。

ーーーーーーー

この霧島の観光案内所には
足湯と



面白いものがありました。
それがこれ。



温泉の蒸気で蒸した食べ物を
作って売っているところですねえ。
店番のお姉ちゃんに
「これはここに蒸気がわいてるの?」
と聞くと、
「いいえ~建物の裏で湧いている蒸気を
ここまでパイプで引いてきて、
ここに流し込んでいるんですよ」とのこと。

う~ん、光熱費のいらない
いい商売ですねえ。
ここでソーセージを買いました。

味はというと、う~ん、
温泉のにおいもあまりない
普通のソーセージでしたなあ。

さあ、ではナビを蒲生八幡神社に
セットして向かって行きましょう。

ここにはえているのは
日本一のクスノキ
という巨大木ですから、
近づいて行ったら頭上に
見えるのかなあ、なんて
思いながら走って行きます。

やがて車が走っているのは、
もう蒲生というところに
なったのですがよくわかりません。

日本一の大クスや武家屋敷みたいな
案内がありますねえ。
まあ大阪市内のクスノキだったら
遠くからでもわかるけど、
こういう田舎のクスノキは
山の景色なんかに紛れてしまって
よくわかりませんね。

そしてナビはもうここですよ
という案内になりました。

そこが蒲生の観光案内所の駐車場。



目の前に蒲生八幡神社の
入り口が見えています。



さっそくそこからクスノキに
会いに行きましょう。



入り口のところにある
「蒲生小学校」の肛門脇を
横に見て入っていきます。



クスノキは?というと、
おおありました。
これが蒲生のクスですか?



でもこれだったらdoiron近所の
神社の木より細いんじゃないですか。
昭和63年に行った国の調査では、
決められた法則にもとずいて首回り、
すなわち幹の胸のあたりの太さが、
24.22mと日本のどのクスノキよりも
太い幹をしていることが
分かったとありますが、
間違いなんじゃないの?って感じです。

それもそのはず、こちらが見誤ってました。

そうして見間違える人が多いのでしょう。
木の下には注意書きが建てられてありました。

この木ではなく、もう少し奥の
本殿の横にある木、
これが蒲生のクスなのです。



いやあ、確かにでかい。



しかもあの大阪の薫蓋楠のように
木の形が横に細長いとか
そういうことではなく、
きれいに丸い形をしています。

木の下部はコケに覆われていたり、
表面に別の木が生えていたりします。



いろんな命と共存している
というか育てていたりするんですねえ。

裏側に回ると、木にこんな扉が



ついており、何でもこの木の内側には
8畳分くらいの広場があるそうです。
ただねえ、木が大きくなりすぎたんでしょう。
木の上部の方が切り詰められている
ような感じやね。
枝を広げて風に揺れる枝々を
先の方まで支えきれなかったんでしょうねえ。



樹齢600年の曽根神社の木よりも
もしかしたら背が低いかもしれませんね。

樹齢は1500年。
1123年に蒲生の人が
ここに八幡神社を設けたときには
すでに神木としてここにあったそうです。

伝説的にはあの和気清麻呂が
地面に突き刺した杖が
地面に根付き成長して
蒲生のクスになったそうです。

また他の伝説では、
愛し合った二人が引き離され、
お互いの地に植えたクスが
この蒲生のクスと



出水のクスだという説もあります。



まあ樹齢とか見ても
おかしいかなと思いますが、
それぞれの木の樹齢も確かなものではないし、
まあそもそも伝説ですから
危うき話ではあるわけです。

doironは頑張ってこの蒲生の
クスの写真をいっぱい取っておきましたが、
ふと気づいたら自分の足元に
こんなナナフシがはっていました。



いやあこの虫も蒲生のクスの中で
生まれてきたのかなあ。

巨大な命の前で、
擬態でかくれようとする小さな命。
生きるって大変なんやなあと思いつつ、

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行2

2018年06月25日 20時53分04秒 | 最近の出来事

W杯サッカーも昨日というか
今朝は第2戦。



今回の予想は負けるなら2対0
勝つなら1対0と予想してた。
結果は2対2の引き分けかあ
第3戦が天王山やねえ
予想では1対1の引き分けで
決勝へ…行けばいいなあ
さてそれでは九州旅行続きです

ーーーーーーー

九州の景色を、
夜の食事なんかを想像しながら眺めつつ、
霧島神宮へと向かって行きました。

ナビの教えてくれる通りに進んでいきます。

便利ですなあ。
でもねえ、T本さんはレンタカー屋さんに対し、
ナビの目的地なんかを
色々選んで入力してくれてたら
いいのになあと大不満です。

そう、この車のナビには何も
履歴がありませんでした。

「たかちほじんぐう」と入力し、
街中から再び山のような
景色の中に入っていって、
最初の目的地である霧島神宮に到着です。



ここは高千穂峰への山岳信仰から
生まれた神社だといわれていますねえ。
火山のふもとにあるために、
何度も焼失したそうだが、
1715年に再建された建物が
今はたっているそうです。



駐車場から歩いていくと、
おお~ここもまたアジアの
人たちの観光地です。

なんか視線を感じますねえ。
実際の日本の人たちは
どんなふうに参内しているんだろう
とみているようなねえ。

鳥居の手前で「アジャパー」と
踊ったらマネしよるんかなあ、
なんて考えてしまいますよねえ。

まあそんなことはせずに
普通にお参りです。

「旅が安全に送れますように」。

あの高校生の時に、
色々助けてもらったみたいにねえ。

あ、そうかあ、こんな時に
神社の納経帳を持ってきてたら
よかったなあ。
すっかり忘れてしまっていました。

これから遠くに旅するときは
忘れずに持ってきましょう。

あ、そうそう、ここ霧島神宮は
あの坂本龍馬が日本で初めて
“新婚旅行”で訪れた場所でそうです。



最愛の妻、お龍が仲むつまじく
過ごした場所なんですねえ。

高校生の頃は青島で新婚旅行者の
驚くべき生態を見ましたが、
まあさすがにここはのどかな
感じが漂うばかりでした。

あ、そうそう神宮に生える
神木の杉はチェックしておきました。
この後見に行く「蒲生のクス」見学の
予行演習ですな。



さあ、ではこの近くの霧島の
山の方に向かいましょうか。

4月に噴火を始めたこの山の
立ち入り規制はどうなのか。
そして火山の様子はどうなのかを
確認に行きましょう。

神宮からもう5分も車を転がすと、
温泉街の方に出てきます。
この辺りのあちこちに
火山の規制の案内が立っています。



こんな感じで、風向きにより
火山ガスが流れてくる恐れが
ありますので注意してください
と書かれています。

でもねえ火山ガスが流れてきたからといって、
注意しようがないよなあ。
ともかくまあ一目散に
逃げないといけないんでしょうねえ。

霧島山(新燃岳)では5段階ある
火山警報の3である、
入山規制がかかっています。

どこまで行けるのか、
すこし霧島山の方に登っていきましょう。

新燃岳の温泉の方に行く道は
通行止めになっているみたいです。



少し行けば見えるかなあと、
ちょろっとだけロープ内に
お邪魔してみましたが、
どうも何も見えないようです。

あまり奥にも入れず、
「残念やなあ」と引き返すか、
ん?でも待てよ。
何か地面が暖かいじゃないですか。



す、すると小雨交じりの天候の中で、
な、なんと地面から蒸気が
上がっているではないですか。



「ああ、さすがに火山の近くやなあ。
地面が熱持ってるよ」
と我々は大騒ぎです。

確かに写真でも蒸気が見える
程度で興奮しましたねえ。

まあ、そんな状態やから
入ったらあかんやろなあ、
と納得し引き返していくことにしました。

途中の山のなかでは
谷筋からもこんなにも
蒸気が上がっていましたねえ。



霧島温泉はこんなところにも
活発に活動を起こしているようです。

温泉地に戻りました。
さ、次は見どころの地の
一つである蒲生郷へ行き、
神木の杉に次いで、
日本で最大のクスノキを
見に行く予定なんですが、
まずは霧島観光案内所に
寄っていくことにしましょう。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行1

2018年06月24日 21時11分17秒 | 最近の出来事

さあ、昔の高校生だった頃の旅行と違って、
還暦をとっくに過ぎたおっさんたちの
旅行は周到に準備されて行われました。

もう昔のように行き当たりばったりの
旅行ではありません。

平日に安い飛行機をとり、
レンタカーを押さえ、宿も一泊は
景色がきれいで安い国民宿舎を押さえて、
決行したわけである。

doironが絶対にと今回体験したかったのは、
大阪一のクスノキを見たときに知った
「日本一の蒲生のクスノキ」見学、
最近軽く噴火したという「桜島の様子」、
ずっとはいれなかった「指宿の砂風呂」、
いつも飲み屋でお世話になっている
ママさんの故郷「頴娃(えい)の旅行」、



以前から首藤さんがすごいところだった
といってた「知覧の特攻記念館」などでした。

幸いこれらは全部ちゃんと
体験してきたのだが、
なおかつおっさんたちを
感動させた他の旅のシーンもいくつかあって、
まあなかなかの楽しい旅時間を
すごせてきたわけだ。

これらの旅行のシーンによっては、
昔の若かったころの旅行と
噛み合わせて紹介できるところもあったので、
今日からそれもあわせて
話を進めていってみようと思っている。

時期は、九州が梅雨に入る直前の
5月末のことだった。
doironが抑えた鹿児島便は
関西国際空港から出発する便だ。

飛び立つのは朝の7時なので、
首藤さんを家の前で拾い、
早朝からdoironが運転する
ミセスの車で関空へと向かったのでした。

T本さんはというと、
家の近くの和歌山から6時過ぎに
関空第二空港に到着する
バスでやって来るのでありました。

時間通りに三人全員が合流して、
鹿児島行きの便は関空を
時間通りに出発したのでした。



飛行時間は50分くらいだそうです。
持ってきた新聞を読み、
あっという間に到着です。

う~ん、こんなに早ければ
京都とかに行くより早いなあ
なんて思ってしまいますねえ。

大阪ではどんよりしていた天気は
鹿児島はすこしましだったかなあ。



南国やから暖かいかなあ
とぼんやり思っていたけど、
それはやはり変わらずでした。

さあ、ではまずレンタカーを確保しましょう。

予約時に指示してくれたように、
レンタカーやさんに到着です。

首Dさんが手続きしてくれている間に、
待合室で「地図」「パンフレット」
「値引き券」などをチェックです。

車種はビッツでしたねえ。



まずはdoironが運転です。

一番最初に向かうのが、霧島神宮です。

実はこの神宮のそばに
最終日の宿をとりたいと
T本さんは言ってたのですが、
空港にあまりに近いので
動きがとりにくいのです。

しかも新燃岳の方は噴火しているようで、
動きも制限されているようやしね。

火山灰等は首Dさんの肺にも
悪そうだから、宿は取らず、
とりあえず初日にこの霧島神宮に
参ろうとコースをとっていたのです。

鹿児島空港は大きな大地の上のような
ところに作られているので、
車はまずはどんどん下っていきます。

走りながら、周りの名物なんかを
確認していたら、やはりそばなんかは
この辺りも多そうですねえ。

お酒は焼酎の宣伝ばかりです。

まあ、こちらに来たんだから
やはり焼酎は避けられませんよねえ。

高校生の頃はビールを飲んでも
「まずい」なんて言ってたのに、
還暦過ぎたらビールどころか焼酎だって。
ああ、60年以上生きてると
体の中もどんどんアルコールに
汚染されていくようですなあ。

あとまあ、食べ物といえば
やはり黒豚ですかねえ。

そんな感じのお店がぽつぽつと
散在していました。
それにしても、還暦過ぎのこのメンバー、
着いたとたんに走らせた車の中から、
なにがうまいやろ~
とかいいながら走っているなんてね。
ずいぶんと若い時の旅とは
ちがう感覚で旅行を
楽しんでいるなあという感じでした。

続く


若かりし頃の九州旅行5

2018年06月23日 20時42分59秒 | 最近の出来事

電話の上で流れていた放送は、
新しいジュースの宣伝でした。

その飲み物がヤクルトジョアでした。



「新しいヨーグルトジュースの試飲会です。
出口のところで配ってまあす」
という宣伝でした。

「それにしてもあんなときに
放送を流さなくても」と
大笑いでしたねえ。

あの時飲んだジョアの味は
忘れられないですねえ。

なかなか着替えもしっかりしてないし、
温泉地で温泉にも入らず、
しょうゆのにおいのする
リュックを背負って旅する我々は、
もういわばアメリカの
ヒッピー見たいやなあと、
わけのわからん感想を
交わしあったりしていたのでした。

世間にははためいわくな
旅行者だったのでしょうねえ。

そしてこの日は九州で
最後の宿泊となる予定でした。

行先は、メンバーの一人の
親の実家がある熊本の八代です。

指宿にいったのに開聞岳なども
見ることもなく、
またまた鹿児島経由で
JRにゆられて列車旅行を
楽しみながら向かう
われわれだったのでした。

でもねえ、この辺りまで来ると
旅につかれていて
もうあまり記憶がありません。

最後の九州の景色を楽しみながら、
列車に揺られゆられて
旅する我々だったのでしょう。

八代の駅に来ると、
ちょうど駅前に大きな
工場がありました。

製紙工場だったと記憶していますが、
ちょっとわかりません。

その工場から漂ってくるにおいは
強烈でしたねえ。
もう頭が痛くなるほど強烈なにおい。

日本の公害対策の始まった
初期の頃だったと思います。

そこから実家まで車で送ってもらい、
あったかい風呂に入り
幸せな時間を過ごしました。

その時にみんなで見ていた
「木枯らし紋次郎」がとても素晴らしく、
大阪に帰ってからも
九州の思い出をたどりつつ、
毎週観賞していたのを思い出します。

あったかい家庭であったかい料理、
いやあとても楽しい
「お・も・て・な・し」でしたねえ。

翌日は阿蘇を観光に連れて行ってもらい、
いい時間を過ごしました。

外輪山の様子を詳しく説明してもらい、
「う~ん、すばらしい地理の時間やったなあ」
とかいいながら帰りましたねえ。

その帰りも、多分熊本の駅から
夜行列車にのりました。

もちろん寝台ではなく普通車でした。

高校一年から二年にかけての春休み。
ビールの味も知り、
新婚さんのすごい様子も知り、
大人になってかえったすごい旅行でした。

家に帰ったら、
あんなわけのわからん電話もろて
心配したで~
ヤクルトジョアで元気みたいで
わけわからんかったわ、だって。

この時の三人も年賀状は
交わしているのですが、
長いこと姿を見ていません。

一人は中国人と結婚し
子どもも二人いたかなあ。

もう一人も子ども二人
楽しく過ごしていると思います。

あのえびのの夜で
「あんたら心配いらんよ。子供出来るよ」
というおっちゃんの予感は
正しかったということですなあ。

いやあ、もうすぐのdoironとこのように、
孫に囲まれて
いるかもしれません。

機会があれば久しぶりに会って、
あの時言った旅行のコースを
こんどは大人の旅で回りたいなあ。

彼らとは、夏には能登半島にも
むちゃくちゃ旅をしたなあ。

大切な、大切な、昔の旅の思い出を
書いたらとても楽しかったです。

読んでくれてありがとうございました。

この春に首Dさん、T本さんの
我々はよく似たコースを
旅行しました。

明日からはその旅行の話を書きましょう。

ーーーーーーー

さて、明日は第2段の絵画展開催です。
なんとまあ、事前にこんな花が



いやあ、まったくこの絵画展には
高給すぎますが
ありがたく、ありがたく
頂戴しておきましょう。
ありがとうございます。

明日待ってるからねえ~


若かりし頃の九州旅行4

2018年06月22日 20時51分21秒 | 最近の出来事

それにしても、あのチンチン電車の
運転手はこわかったなあ。

「はあ~なんという天文館通りの思い出なんだ」

と指宿枕崎線の電車に揺られながら
しゃべりあう我々でした。

電車の中では次の旅のことに
思いを募らせます。

「あのさあ、このまえ社会の先生が言ってたけど、
次に行く指宿は砂風呂とかあるんやろ。
僕らもそんな砂のところに
テントを張ったら、テントの横で
風呂に入ったりできるぞ」

「そうやなあ、テントの中も
あったかくなるかもなあ」
とかいいながら、はしゃいでいたのでした。

周りで聞いてた九州の人たちも

「よか、よか」

とかいいながらわらって
聞いていたんでしょうねえ。

で指宿の駅に到着です。

電車を降りて、テントを張るべき
場所を探して、買い物とかしながら
海辺の方に向かって行った我々でした。

で、ふと河原を見ると、
砂の気持ちよさそうな砂州があります。

あそこにテント張るかあと
一瞬なりましたが、その先で
指宿の大きなホテルの
中庭みたいなところに、
気持ちよさそうなところがあったので、
そこに貼ることにしました。

なんか言われたらまた砂州にいこう
ということだったのでしょう。

ここは砂場じゃないよ~
砂風呂はいれないよ~
とかいいつつ、そんなに砂風呂に
熱い興味を持たない我々は、
まああまり目立たない森の片隅でしたが
そこにテントを張ることにしました。

で、その日の料理は焼肉でした。

途中のスーパーで肉を買い、
ホテルの片隅の庭の中で焼肉しましたねえ。
うまいなあと、三人とも大騒ぎでした。

たぶん今だったら、
もうホテルの人にとっちめられて
いたでしょうねえ。
頭から砂風呂に投げ込まれていたかも
しれません。

南国の人々の温かさなんかも
あったのかもしれませんね。

ーーーーーーー

え~っと、三日前から変な旅行の
話しを書いていますが、
これは我々が高校生だったころの
思い出話なので理解しといてくださいね。
今の歳でそんなことしてたら
「高齢のおっさんたち、無謀な旅行」
なんて新聞に載るかもしれません。

ーーーーーーー

そうして指宿の夜をキャンプで過ごして、
次の日は八代(やつしろ)の方へと向かいました。

「あ~砂風呂には入らんかったけど、
楽しかったねえ」とかいいながら
駅まで向かって歩いていると、

「あれ?これは何のにおい」

どうもなんか変なにおいがします。

ああここは温泉地だから、
蒸気でも出てるのかなあ
と思ったらそれは大間違い。

doironのリュックの中で、
きのう焼肉用に買った
しょうゆの便が割れて
残ったしょうゆが漏れていたのです。

ああ、これはいかんわあ、
ちょっと待ってなあ、
川でタオル濡らしてくるわ
といって行った川を見て
またまた超ビックリ!

昨夜、中州にテント張ろかあ
といってた川が超満水です。

海辺が近いので、潮の満ち引きで
河川水が増減するんですねえ。

「ああ~きのうあそこに
テント張らなくてよかったなあ。
神様に守られたなあ」とかいいつつ、
鹿児島で参ってきた神社に
敬意を払う我々だったのでした。

テントで寝ていて
水があふれてきたら
どうなってたやろ~
とかいいながら

「俺は泳げないぞ~」

「わしは泳げるから引っ張り上げたるよ」

なんていうのんきな会話を
交わすわれわれ。

「高齢者の変な話題どころではなく、
無茶な大阪の高校生が
川に流されて大騒ぎ」
なんていうニュースが流れたかもねえ。

そんな話をしてたら、
ここらで家に連絡を入れとかなあかんな、
とかいいながら海の近くの食堂で
公衆電話に行きました。

しかしねえ、細かいお金がありません。
10円で「元気にしてるから、ガシャ」
と電話しようとしました。

家の電話番号を回し、
つながったと思ったところで
頭の上で大音量の放送が流れ始め、
何も聞こえないまま
「元気にしてる」と連絡した
doironだったのでした。

続く


若かりし頃の九州旅行3

2018年06月21日 21時19分07秒 | 最近の出来事

翌日は、僕らはえびの高原に行き、
そこを色々歩いた後で
ログハウスに泊まる予定でした。

で、旅館の夜におじさんが

「あしたえびの高原の
ログハウスに泊まるていうてたけど、
さっき来たお客さんは
そこに泊まっていたらしく、
あまりに寒いので今日は
宿にやってきたというてたっけ」
と情報をもたらしてくれました。

それを聞いた我らは
「ウヒャーそれはうれしい」と喜びます。
もう何も怖いもののない
若者たちでしたからねえ。

でもなあ、バスが動いてないしなあ
どうしようと考え始めました。

「歩いていくかあ」といってると、
おじさんは「送っていってあげるけ」
といってくれます。

うわ~うれしいですと我らは大騒ぎ。

あったかい布団にくるまって
朝を迎えたのでありました。

その朝は空気は冷たく、
いやあこれはもう絶好の極限日和です。
もう我々は「エスキモーの気持ちがわかるぞ」
などといいながらわくわくしています。
旅館の車で半分凍っているような山道を
車道のてっぺんまで送ってもらいました。

もう山の上の方は雪かきをしたような景色です。

山道を寒いなあといって歩いたり、
お土産屋さんで昼食を食べたり
しながらログハウスにと
潜り込みましたよ。

寝袋に足を突っ込みながら、
トランプとかして過ごします。
きっとツンドラの人たちも
こうして過ごしたりするんやろなあ。
なんていいながらね。

そして夜にトイレに行こうと
起き上がって外に行こうとすると、ビックリ。
うわ~なんと靴は凍っていて
ひもが結べません。

これはいかんと小屋の中に靴を入れ、
ぼくら三人は寝袋にくるまって
極限の夜を過ごしたのでした。

そして翌朝、起きてみると
その日はチョーいい天気でした。

太陽もあったかく輝いています。
幸いバスも動き始めていると聞き、
まあなんとかえびの高原を
出発できた我々でした。

こんなへんな旅行ももう
楽しくてしかたない年齢でしたねえ。

そのあと我らは電車に乗り、
次の宿泊地である指宿へと
向かった我々でした。

鹿児島経由で指宿へ行き、
そこでテントを張って
泊まるつもりでした。

まずは鹿児島市内へと入っていきます。

その鹿児島でも神社にもお参りもいき、
これからの旅の安全を
祈りに行きましたが、
ここでも紀元何年という石碑がありましたね。

絶対ここは普通の西暦ではないんやあ
と理解を深めた我々だったのです。

その後は天文館通りに行きます。

西郷さんの銅像を見ながら、
チンチン電車が走っていたので
あれに乗ろうと、駅に行きました。

ところが、チンチン電車が来ないのです。

大阪でもまだチンチン電車が
元気に走っていた時代です。
そんな頻繁に走る電車と
比べるものだから、
待てども待てども来ないのです。

こりゃ行かんなあ。
じゃ次の駅まで周りを見ながら
線路上を歩いてみるか
ということになり、歩き始めました。

鹿児島市役所なんかを見ていると、
おお~遠くの方から追いかけるように
チンチン電車がやってくるではないですか。

線路の周りは大通りなので
車がいっぱい走っています。

どうしよう、となった時に
前方のほう200m位先の方に
次の駅が見えているではないですか。

あそこまで走ろう!と号令した
doironの言葉は、その先の
マラソン人生を占うもので
あったかもしれません。

剣道部の友達二人と山岳部で
トレだけ一緒にしている
三人の高校生は、天文館通りを
「ウヒャー」と叫びつつ
走って行くのでした。

う~ん、もしかしたら20秒を
切っていたかもしれません。
末續君の日本記録20秒03より早く



ボルトの世界記録19秒19よりは
遅かったかもしれません。

とりあえず次の駅まで
何とか間に合ったのですが、
運転手さんにこっぴどく
おこられてしまったのでした。

何もそこまで目を向いて起こらなくても、
我らは田舎もんですから
ルールを知らなかったんです
と言い訳しておきました。

「もうおこりっぽいなあ。
西郷さんなんて嫌いだ!」
といいながら、JRの駅に戻り、
またまた電車に飛び乗って、
今夜の宿泊地「指宿」へと向かった
我々だったのでした。

天文館通りも面白かったねえ
と言いながら、電車の中ではしゃぐ我々でした。

続く