ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

VIPがやって来た

2020年09月30日 21時10分09秒 | 生活

我が村では月に1回、
第3日曜日に村の掃除を
おこなっています。

doironは会計なので、
参加者にはお茶の缶を一本
みんなに配るべく
用意をして出かけます。

まあどうしてもあかん時は
人に頼んで、欠席したりもしますがね。
でも基本は出席です。

この日もその掃除の日だったのですが、
じつは今回は祭り関係の
仕事も重なったのでダブルです。

今年はだんじりの曳行はないのですが、
以前からご近所の商売人さんに
祭りの補助もかねて有料で
提灯を飾らさせていただいてます。

うちは5年単位でその提灯掲示を
頼んでいるので、今年もそんな提灯は
掲示することにしたのです。
5年という約束なのでね。

まあ掲示は若頭が
やってくれるのですが、
我々世話人はそんな提灯も入れている
倉庫を合わせて片付ける
という作業をしたのです。

倉庫の中には、地蔵講の備品も
あるのでそれも合わせて確認します。
作業は順調に進み、
午前中にすっかり完了しましたね。
実際の提灯作業とかだったら
丸一日かかるのですが、
片付けのみだと楽勝です。

まあそれでも一日予定していたので、
午後からはあいた時間を使って
来年のカレンダーづくりに
入ることにしました。

そんな作業をしていた時のことです。

ピンポンとチャイムが鳴ります。
誰か訪ねて来たようです。
ミセスが対応してくれているので、
作業を続けていたら
doironを呼ぶ声がします。

ああ、僕の知り合いかあと
思って出ていったらびっくりです。
前に働いていた市の市民で、
文化財関係のVIP、
そして町会長なんかも
しておられる人が
やってこられたんです。

ずっと以前に訪ねてこられたときに、
近所の神社の昔懐かしい
木の狛犬を見てもらったことがあります。

「こんにちは。覚えてはりますか」
といわれたのですが、
忘れるはずはありません。
でもねえ、少し小さくなられた
ような気がします。
年齢は72歳と言ってはったかなあ。

「いやあ、久しぶりに会ったけど、
元気にしてはるようで何よりやあ」
といわれました。

そのあと、いまその人が
公民館で講義をやったりもして
どんなに忙しいのか、
そして前の職場の配置は
どうなっているのか
などいろんな話を聞きました。

そうそうdoironの方も
脳梗塞をしたことを
お伝えしました。

「前とどこも変わらんで」
といわれましたねえ。

家の中に入ってもらい、
まだ展示してある四国八十八ヵ所の
絵を感心してみてもらえましたね。

doironさんは昔から
絵を描いてたっけ」と
質問されましたが
「退職してからですよ」と
報告しておきました。
もう8年ちょっとたちます。

いま、氏子代表をし、
地蔵さんの講の代表をし、
自治会の会計なんかをしながら、
市の広報の記者を委託されて
やってるんですよと報告。

なんか二人ともよく似たことを
やっています。
そのかたの方がずっと
格調高いけどね。
なにせ、doironが編集長を
やっている頃に歴史関係の随筆を
毎月書いてくれていて、
もういまとなっては280話くらい
書いているという格調の高さ。

その方の依頼に基づいて、
思わぬところまで
写真を撮りに行ったことを
思い出したりしました。

それにdoironが手掛けてきた
いろんな事業の歴史的な
跡地開発なんかもしてくれているのかなあ
なあんて心配になりましたが
まあまたそんな痕跡も
訪ねて行ってもいいかもしれませんね。

でも良かったですねえ。
こうして覚えてくれていて
訪ねてきてくれるって
大変幸せですね。
たっぷり懐かしい話をした後に、
ホームページでそんな彼の
作品を眺めたりして、
とてもいい休日になったなあ
と喜んでいたdoironなのでした。


見に行きマンモス4

2020年09月29日 21時10分06秒 | 最近の出来事

またお店は、こんな
メンタイパークなんかも
近所にありましたが、
まだ閉まっているようです。



そしてこんなところにも
100均はあるんですねえ。
見た目とってもでかいお店でした。



ウロウロしつつ、
お酒をゆっくり飲めそうな
お店もないか探しまくりますが、
やはりないようですねえ。
唯一、こんなとんかつの店に
心を惹かれたぐらいですかねえ。



さあでは周辺も少し歩いてみましょう。



ジダンの推薦でミズノに行けば
スポーツ関連の展示会もあるので
行ってみましょう。



南港の広い道路を渡り行ってみると、



あれ?なんか入り口が
閉まっているだけでなく、
なんと土のうまで置かれてますよ。



こ、これは我らが入ってこないように
という防衛策なのか?
結局ミズノの周りを一周しましたが、
全部土のうが置かれて
進入禁止になっています。



ああ、あんな展示会があるのになあ
という感じです。
まもなく北上して九州に
やってくる台風10号対策なんですかねえ。

ミズノが倒産したなんて
話もありませんしねえ。

いやあとても残念でした。
もうこうなったら難波まで行って
飲み会しながら騒ぐかあ、
と二人はマンモス展より
こちらに気合が入ってますねえ。

仕方ないのでトレードセンター駅まで戻り、
まずはニュートラムから
シベリア鉄道ではなく
地下鉄を乗り継いでいきます。

本町まで千日前線に乗り、
そこから御堂筋線でシベリア
じゃなかった難波へとむかいます。

地下街を歩きながら、
昔は親父に連れられて、
立ち飲みにも行ったことがあるなあ
とか、話をしながら、
我々も昼間っから
おもいっきり飲ませてくれる
カウンターのお店に突入です。

最近ジダンは一人でよく行くそうです。
こんなお店。



カウンターに座り飲み始めます。
doironは生ビール一色なんですが、
ジダンはお酒なんかも飲み始めます。

ああ、出てくるつまみが
庶民的でおいしいですねえ。
マンモスの佃煮に
マンモスの氷河漬け
なんかはありませんが、
ドテ焼き、



塩サバ、



イカ納豆



でもうおなかは天国状態です。
このまま化石になったら、
doironの胃袋は天国状態
だったでしょうねえ。

散々飲んで、この居酒屋で
過ごした時間は、
マンモス展よりも長い時間でしたねえ。
それでも朝が早かっただけに、
まだまだ明るいうちに
家路につきました。

帰ってから、明日の台風対策で、
植木の置き換えや
固い雨戸を閉めたりするのが
超大変やったわあ。

これでマンモス展鑑賞はおしまいです。
今回はドジ旅として描くには
ネタが少なすぎましたね。

まあコロナの時代ですから
こんな程度にしておきましょう。

次回は、酒に溺れることもなく
しっかりと歩いて
ドジ旅日記となりますようにと
祈りながら終了です。


見に行きマンモス3

2020年09月28日 20時58分22秒 | 最近の出来事

ほかにも、マンモスのフンなんかも
展示されていましたよ。



ふ~ん。

こうしてマンモスはふんなども含めて
永久凍土などから出てくる
ことがよくあります。

長い鼻はもちろんのこと、
長い牙が特徴なのでわかりやすいですね。

マンモスはゾウの祖先
というわけではなくて
近縁種という感じだそうです。

そんなマンモスと同様に見つかった
いろんな動物もこのマンモス展で
再現されて展示されています。



これはケサイというサイの仲間です。

そしてこれはホラアナライオン。



ずっとずっと今よりも
野性味豊かな時代なんでしょうねえ。

あちこち歩きまわるような
doironの今の趣味なんかは
絶対できませんね。



で、永久凍土なんて日本には
ないと思いがちでしょう。
でもあるんですね。

北海道の大雪山や富士山、
立山とかにあるそうですし、
槍穂高のカールの中にも
あるといわれています。

どこも皆行ったところなので、
もしかしたら目にしているかも
しれませんねえ。

展示会にはそんな案内もありました。
そしてテーマはマンモスの
再生なんかにも絡んできます。

研究しているのは和歌山にある近畿大学。

ああ、あのマグロの養殖とか
したところでしょうね。



そこがマンモスの状態のいい
筋肉を手に入れて、
マウスの細胞内で細胞分裂直前の
状態まで確認できたとのこと。



絶滅した生物の再生かあ。
はたしてどうなんでしょうねえ。
絶滅した動物が1頭よみがえるだけで、
なにかびっくりするようなことが
起こらないでしょうか。
マンモスから発生する、
マンモスウイルスなんかが
出てきたりして。

マンモスが再生したって、
それで得ることの科学的知見より、
なんか人類がいろんな意味で
失うことの方が多いような
気が何となくしますねえ。

今の技術なら、こんな再生なんて
さほどむつかしくないんでしょう。
DNAをいじることで、
doiron並に天才高齢者が
あらわれたりしてねえ。

もっととんでもない生物が
生まれてくる恐怖なんかも
絶対あるでしょうねえ。

科学の発展もいよいよ神のレベルに
近づいてきているのかもしれませんね。

まあこれらの展示を一通り見終えたら、
いよいよ最後は冷凍の動物なんかの
展示にうつっていきます。





展示しているところはこんな温度まで
下げていますよ。



立派なユカギルマンモスは
撮影禁止でしたがね。
その後にこんな立派な模型が
置かれていましたので、
そこで写真撮影です。



さあ、これでこの展示会の様子は
こんな感じでした。
まあおおざっぱではありますが、
ほぼ1時間かけて展示を見終えて
通路を進んでいくと、
出口の前にお土産屋さんがあったりします。



マンモスの人形なんかもありましたねえ。
でも驚いたのは、いろんな化石そのものが
売られていたことです。
マンモスの毛なんかもありましたよ。
買って帰って神棚にあげ、
毎日拝みまくりますかねえ。



「マンモス様生えますように」

そしてもっと驚きなのは、
マンモスの巨大な歯や
恐竜の歯なんかも売られてました。
行きつけの歯医者さんは、
窓枠とかにワニやカバのぬいぐるみ
なんかを可愛く置いてますけど、
こんなマンモスの歯なんて
お土産をあげたら飾ってくれるかなあ。
絶対無理ですね。

結局何も買わずにお店を出て、
マンモス展はおしまいです。
せっかくここまで来たんですから、
周辺を少し歩きますかね。

まずは、ビル内をウロウロです。



あ、来年はティラノサウルス展を
やるんやねえ。
福井の恐竜館にあったティラノの
動く模型は2000万円するそうですが、
あんなのもきっと展示するんでしょうねえ。

続く


見に行きマンモス2

2020年09月27日 21時06分01秒 | 最近の出来事

ATCは昔アウトドアショップや
スポーツショップもあり、
何回かやってきましたねえ。



海辺の明るい雰囲気の中、
お店が並んでいました。
そんなところに近い
トレードセンター前で電車を降り、
南港ATCギャラリーに向かいましょう。

駅を降りてさあてどちらかなあと、
探していると、ああトイレがあります。



「ようおこし」と書かれてあるので
おこししてゆきましょう。
記憶の中では確かこっちにと



通路を渡って進んでいくと、



ギャラリーの次の取り組みなんかの
ポスターもありますよ。



マンモスもいいけど、
このバンクシーも意外な展示で
興味がありそうですねえ。



で、足元を見ると、おお床に
こんな案内がありますよ。



それにこんなマンモスも飾られています。



近づいてきましたねえ。
こちらかな?あれ?とか
思いながら歩いていると、
いつのまにか床に貼られてある
案内もなくなりました。



むむ、これはマンモスが
我々を近づけさせまいとする陰謀なのか。

又先ほどの地点に戻って
周りを見回してみましょう、
とか言いながらも展示後の
宴会場所で面白そうなところは
ないかということも、
探し回る二人なのでした。





あ、地面にマンモスの案内の
足跡を見つけましたよ。
今度はちゃんと意識して
歩いてゆくことにしましょう。



あ、向こうに集団が見えますよ。
マンモス的に集まっている
わけではないのですが、
何人かはたまっています。

時刻はこの時点で8時56分。
オープンまで約4分ですから、
大体この時点でちょうど
いいくらいですね。
ほんとはオープン丁度位の
予定だったのですが、
南海電車に乗ったのも、
計画の少し前の便だったし、
それに伴い地下鉄の便が
少し早い便に変わってゆきましたので、
到着時間も早くなってしまいました。

でもまあ、少し迷った分
待ち時間のあまりない感じで
来れましたね。

入り口でおねいさんに
写真撮影について聞いてみますと、
どうしても撮影してはいけない
ところは案内を書いてますから、
それ以外はOKだということです。

いやあ、そうですか。
こういう施設に来たら
あまり写真はダメなので、
今回はあまり紹介できないかなあ
と思っていたのですが、
そういうことなら大丈夫ですねえ。

ではカメラを手に持ちつつ
入ってゆきましょう。

え~まずはあいさつ文のようなものから
展示が始まりますね。
案内には、様々な
ことが書かれています。



近年、シベリアなどから
冷凍状態のマンモスが次々見つかり、
こういう展示会もとても
充実してきたと書かれてあります。

またそれらの資料から研究も
どんどん進んでおり、
近畿大学ではその再生に向けた
取り組みが行われている
とのことなんかが、
最初のあいさつ文の所にも書かれています。



マンモスの発生から
その推移なんかが書かれ、
日本ではステップマンモスから
ケナガマンモスがいたことなんかが
書かれています。



え?ケナガマンモスやて
どんなんやろって思っていたら、
その毛が展示されていましたよ。



ウヒャー、ふさふさやったんですかねえ。
そしてこれがケナガマンモスの
歯だそうです。



でかいですねえ。
虫歯になったらさぞや
激痛だったかもしれません。

あと、日本には「ムカシマンモス」
というのがいたそうだ。
日本国内ではこれまで
13点の化石が発見されているそうだ。
うち12点が北海道で、
1点が島根県沖の日本海の
海底から発見されているそうだ。

ああ、日本にもギャートルズ
のような家族が
いたのかもしれませんね。



続く

 


見に行きマンモス1

2020年09月26日 21時03分37秒 | 最近の出来事

ブログの話題はいよいよ
9月の出来事に入りまして、
さっそくマンモスの展示会見学です。

マンモスとはゾウ科のマンモス属の
生物ですが、残念ながら
全種がもう絶滅しています。

400万年前から1万年前後まで
生きていたんですけどねえ。

諸説ありますが、
気候の変化で餌の植物がなくなった、
人類に滅亡させられた、
超新星の爆発で絶滅した、
巨大な嵐で絶滅した、
細菌・ウイルスでの伝染病が流行した
など原因はいろいろと言われています。

いずれにしても1頭が1頭しか
生まないという繁殖携帯が弱く、
耐えられなかったことが
起こったんだというのに違いありません。

絶滅は人類が有史に入る前でした。
でもそんな生き物が、
最近別の形で我々の前に
姿を現すようになってきました。
それが化石であり、
凍結した地面の中から
現れた氷漬けの姿でした。

そもそも昔からマンモスの化石は
よく見つかっていました。
最初は巨人の骨といわれていたそうですが、
これがマンモスのものである
ことがわかり、シベリアなどで
どんどん発掘されました。

2007年に生後1年ほどの
雌のマンモスがほぼ無傷で見つかり、
「リューバ」と名付けられました。

そして2013年にはシベリアで
発掘されたマンモスは
とてもいい状態で「ユカ」と
名前がつけられました。

このユカの筋肉から体細胞を
抜き出しアジアゾウで
出産させる計画を近畿大学が
持っているそうです。

まあ今のマンモスに関する
研究の超おおざっぱな状態は
こんなものですが、
今回そんなマンモス展が
東京の日本科学未来館で
開催された後、大阪でも
開催されることになったのです。



場所は南港ATCギャラリー。



この展示会の前に、
ジダンが前売り券を購入する
というので一緒に買って
もらうことにしてあったのだ。
でもねえ、doironも買うというので、
コンビニだと紙に印刷された
チケットだと、味がないだろう
とわざわざチケットショップまで行って
買ってくれたので、
こんなチケットを手に
入れてくれました。



ありがたいことです。
SNS映えします。
インスタ映えします。
どっちがどうなんやろ。
ようわかりません。

9月に入れば夏休みの子どもも
少なくなるだろうという
見込みもありますし、
8月末くらいからテレビ中継が
よく入るようになり、
興味を募らせ始めました。

まあ今思えば、コロナのこともあるし、
多分参加者が少なかったので
募ろうという企みだったのかもしれません。

まあそんな風にチケット、興味や
勉強も徐々に進みついに我々は、
有史以前に生きており、
最近姿を現し始めたマンモスの、
時代を越えた姿と出合いに
南港へと向かうのです。

集合はシベリヤ鉄道の
ウラジオストクの駅前の
王将ということではなく、
南海本線の松の浜駅である。



マンモス見学という
でっかいテーマを掲げて、
我々のせこい旅の幕開けです。

集合時刻は午前7時半。
ちなみにシベリヤ鉄道は
終点のモスクワまで
7日かかりますが、
南海本線は30分程度です。



難波で地下鉄千日前線に乗り換えます。

そこから地下鉄中央線で
阿波座に行き乗り換えて



コスモスクエア、そして



ニュートラムでひと駅、
トレードセンター前が最終駅です。



あちこち乗り換えましたねえ。
ほかにも方法はあるんですよ。

近い所では堺市駅からバスとか、
そもそも車で行くとかね。
でもねえ、観覧後の後の宴会を
考えたらこんな経路になりました。

このトレードセンター前は
昔の大阪マラソンの
ゴール地点近辺だったので、
何回か応援もしていますから
土地勘も少しあります。

続く

 


大津川1時間清掃

2020年09月25日 20時56分53秒 | 最近の出来事

毎年、秋の秋分の日を中心に
三時間走大会というのを
開催するのに参加していた。

場所は泉大津の大津川。

決められた区間の河川敷を
三時間走り切るという大会だ。
こういう大会には昔何回か
出たことがある。

吹田中之島5時間走

という大会だ。

目標はキロ5分を意識して走り
60キロを走破するという戦いをした。
でもねえ60キロは
ぎりぎり届かなかったなあ。
59.8キロまで頑張ったのになあ。

でもなんか二回表彰されたことがあり、
一回はオープンの部での優勝だった。
ああ、部門が限られているとはいえ
優勝というのはうれしかったなあ。
立派なマラソンシューズをいただいた。

みんなで参加し、その延長で
こういう大会もいいかなあって
始まったのが三時間走だ。

これが始まった頃は、
もう僕も実際のマラソンは引退していた。
なのでお手伝いできることは
と言って始めたのが、
ランナーの走行距離を
チェックする役割だ。

なにせいろんな人が走る。
早い人はフルマラソンの距離を
走り切る人もいれば、
歩いている人もいるという大会だから、
なんかとってもあわただしい
3時間を過ごしたことになる。
まあ、みんな楽しんでそうやから
よかったけどね。

そんな大会もやはり今年は
コロナのせいで中止となった。

休憩所などでどうしてもみんな
密になるからだ。

まあどの大会もそんな理由なんかで
中止となっている。
で、そんな中止を決めた
この大会なんだが、
やはりこの季節になると
何かものたりない。

そこで、スタッフも含めて
その大会の時期に何かしようよ
ということになり、
今年は河川敷の清掃を
希望者で行うことにしたのだ。

今年は公的な行事も多くが中止となり、
広報の記者としてもあまり話題がない。
なので、doironはそんな行事を
取り上げて広報に提供することにした。

しかもこの清掃の大会には
市長も来るというから、
そういう意味でもニュースバリューは
あるだろう。

午前9時に現地集合。
doironはロードバイクを転がして参加したよ。

代表のカイさんの話、
泉大津ピカピカ隊の話、
そして市長の話があって、
さあいよいよ開始だ。

自転車で走りつつ状況を見てきたが、
まあきれいなものだ。
それでももっときれいに、
ということで約一時間30人程度で



掃除が行われ、集まったのは
こんなけのごみでした。



自転車や古タイヤ(市長が集めてきた)
などいろんなごみがありましたねえ。

よくぞまあこれだけという感じだが、
実際これだけのごみを集めなければ、
これらが川の水に流されて
海に流れてゆくんだと
考えればまあ大した活動なのである。

ごみ収集後は、希望者で2時間のランを
おこなったそうです。



取材はランの最初だけ撮影して終了。
その内容と写真を記事にして
広報に送っておきました。

翌日、11月号への掲載候補に
しておきますと返事がありましたが、
はたしてどうなるでしょうか。

河川敷を歩き回り、
清掃した皆さんお疲れさんでした。
来年はきっといつものように、
みんなで楽しめる三時間走大会が
開催出来ることを祈っておきます。

 


渡しを渡った私9

2020年09月24日 21時12分43秒 | ウォーキング

昔、ここの川の横には
黄櫨の木がたくさん
植えられていたそうです。

黄櫨とは漆の仲間の木ですが、
きれいに紅葉するので
そのさまを「はぜもみじ」と呼び、
秋の季語にしていたそうです。

そんなこのあたりの景色は、
「摂津名所図会大成」に
こんな風に描かれているそうです。



黄櫨の木を見にたくさんの人が集まり、
甚兵衛茶屋というお店もあって、
人々はそこでしじみ、はまぐりを
味わっていたとのこと。

なので、ここの渡しは
そんな茶屋の名前をとって
「甚兵衛渡船」という名にしているそうです。

水田開発をした加賀屋の
甚兵衛さん営業かなあ。
なかなか味のある渡船名ですね。

こうして写真を撮ってもらっていると、
どんどん人がやってきます。
10人以上いましたね。

学生さんなんかも多いようです。
大正高校かなあ。
え~こんなに多くの利用者がいたら、
乗り切れないときもあるのではと
またまた心配になりましたが、
渡船場にあった張り紙には
朝のラッシュ時には2隻の船で
運航をしていると書いてありました。

なあるほど、そういう運転の
仕方もあるわけなんですねえ。

こんな満員のフェリーを降りた
渡船場はこんな感じです。



そうそう渡船場に来る前とか
船の中からも見えていましたが、



この渡しの少し上流に
丸い橋がありましたね。
あれは前回乗った「落合上渡船」の
上流にあった木津川水門に
そっくりの橋です。

そう、ここはアーチ状の橋を倒し、
水の流れを制御していた
木津川水門と同じ機能を持つ
「尻無川水門」といいます。



大阪にはこんなアーチ型の水門は
全部で3つあります。
木津川とここ尻無川水門ともう一つは
「安治川水門」といわれる水門です。

これもまた近いうちに
確認しに行こうと思います。

これらの水門を閉めることで
大阪市内に水があふれたり
することを防いでいるようです。
これまで10回くらいは台風時に
閉められたそうですが、
ややこしいでしょうねえ。
あそこを閉めたらこちらが
あふれるみたいになって、
担当者にはもう台風って
恐怖なんでしょうねえ。

さあこれでもう大阪市内の渡船は
すべて乗りました。
いずれも無料で、
若い船員さんが時間通りに
きっちり運航してはります。

お客さんが少ない所でも
ちゃんと動かしてますし、
多い所では2隻で運航など
工夫もしているようです。

大正区に住んでいる人には
欠かせない交通手段でしょうねえ。

「え~っと、OOちゃんとこに
遊びに行くよ。渡しに乗ってね」
なんて会話を交わしたり
しているんでしょう。

最後に恋人とこの渡しでお別れ、
なあんていう物語も
あったんでしょうねえ。

暮らしに根付いた渡し船。
大阪市さん、もし都構想で
大阪都になっても残しておいて
やってくださいねえ。

さあ、ではdoiron
ここからJRまで歩いて行って
帰るのですが、もともとは
弁天町まで行くつもりでした。
でも尻無川沿いに進んでいくと
大正駅の方に出ますねえ。

以前大正駅周辺は
よくウロウロしましたので、
そちらの方に向かいましょう。

途中コンビニで100円
おにぎりを食べたのですが、
もうお昼も回りましたので
大正のお店で軽くビールでも
飲んで帰りましょう。



弁天町の駅ビルは遠くなり、
目の前に大阪ドームが見えてきました。



そして大正駅に着いたところで



あちこち見まわしたら、
遠くに「王将」が見えましたので
向かいましょう。

生ビール一杯と麻婆豆腐を
つつきながら、
暑かった渡船体験
これにておしまいです。

 


渡しを渡った私8

2020年09月23日 21時22分43秒 | ウォーキング

海面をキラキラ光らせるような、
豊富な魚に驚きながら船を待ちます。


で、75m先からやって来た船に
一人で乗って渡ってゆきます。

海の水はさほどキレイではないですが、
とても生き物の気配がしますねえ。

そうしてあっという間に渡った
向こうの渡船場がこれです。



ここも工場街の一角にありますねえ。
なんか渡船場は寂しい感じです。
ここからしばらく工場街を進んでいくと、
やがて住宅街に出てゆきます。



でもねえ、ほんとに渡しはどんな人が
利用しているのでしょう。
工場に通う人かなあ。
なんか渡し船の状況はよくわかりましたが、
利用している人の状況が全然わかりません。

ここまで一人で2本の渡しに
乗ってきただけですからねえ。
これからこの渡しって
どうなってゆくのでしょうねえ。



さて、こんな交通量の多い道に
出てきたら、さっそくコンビニが現れます。



少し休憩してゆきましょう。
この日はたまたまどのおにぎりも
百円サービスの日です。
ひとつ買って駐車場でかぶりながら、
街の様子を眺めます。
あああそこのビルは巨大ですねえ。



地図で調べたらどうも
鶴町アパートと書かれているようです。
そういえば、鶴町って
どこかで聞いたことのある町名やなあ
と思いつつ周りを眺めていたら、
思い出しました。
あの家具のお店「IKEA」の
住所ですねえ。
道の向こうの方に、あの特徴的な
色のお店がちらっと見えていました。



そんな鶴町をさらに
北向いて進んでいきましょう。



次に乗る予定の渡しが
「千歳渡船」です。



このあたりは昔は千歳新田
といわれた地域でした。
ここに昔から橋が架けられ、
市電も通る木橋の千歳橋
というのがかかっていましたが、
今はもうかなり立派な橋が
かけられています。



渡船はこの橋の下を渡る
役割をもっています。

鶴町方面から大正区のメインの島へ
渡る路線ですね。
さすがにここは利用者が増えます。
いきなり乗客10人くらいが
集まってきました。
ほとんどが自転車の客です。

もし、乗れないくらい客が
集まったらどうするのかなあ。
臨時便とか出すのかなあ。

たまに千歳渡船の特別サービス船とかが
来たりしてね。
そしてもし満員の乗客を乗せていたら、
大漁旗とかつけていたりしてね。

利用者が少ないのも気になりますが、
多いのもまた気になりますねえ。

おっさんがこっそり乗る前に
まず案内を持った写真を
撮影しておきましょう。



ああ、変なおっさんが乗ってるわあ
と警戒されそうですねえ。
でも頑張って人に頼んで
シャッターを切ってもらいました。

写真には今の千歳橋も
それとなく入れてもらっていますよ。

ここは岸壁の間が371mあるので、
今日乗った中では一番長い路線です。

船は力強く進んでいきます。



ずっと先の方には弁天町の
駅前ビルなんかも見えていますねえ。
今日の最終地点です。

渡ったところはこんな渡船場。



まわりにあまり建物もないので、
自転車が多いんですねえ。
テニスパークとかもありますし、



遠くには前回登った昭和山
なんかもあるはずなんですが、
ちょっと見つけられなかったなあ。



昭和山からは、こんな風に
千歳橋が見えていたのにねえ。
そんな景色や、住宅街、公園中を
見ながら進んでいきます。





このあたりは句角割が
まっすぐで歩いて行きやすいです。
新しいからかなあ。

でも逆にお寺や神社があまりないので、
道歩きそのものは
あまり楽しい所ではありません。

道のところに渡船の案内はないのですが、
このあたりかなあと思いつつ
海の方面に向かって行くと、
ありました。



最後の甚兵衛渡船です。

続く


渡しを渡った私7

2020年09月22日 21時01分47秒 | ウォーキング

新木津川大橋は、
北側があの千本松大橋のように
メガネ上に螺旋的に登る
構造になっており、
南側は高架道路として
登ってゆく構造になっています。



その道路の下をくぐり、



染谷橋を渡ったところで



右折して木津川の方に
曲がってゆくと、その先に
木津川渡船の船乗り場があります。



待合のところには、
いろんな紙が貼ってありますが、
時刻表を見ると、
このあたりは1時間に
一本程度の渡しがやってくるようです。

対岸を見ると、ああ向こうに
船が止まっていますねえ。

やってくるのは・・・
おお~10分後くらいに
やってくる予定です。
ちょうどいい感じですねえ。

とりあえずは今回持ってきた
スケッチブックに渡船場の
名前を書いて、お客さんは
一人もいないので
タイマー撮影しておきましょう。



ちゃんと今回はマジックペンを
持ってきているので大丈夫です。

新木津川大橋もバックにして
一枚いただきました。
ここも船、桟橋は撮影禁止ですので、
通路のところで撮影です。



ああ、渡船がやってきましたよ。

向こうからも誰も乗ってきませんし、
こちらはdoironだけです。
さみしいねえ。
でもねえこの船が開通した
昭和30年当時は大型車も
乗るような船だったそうなんですよ。
でも今はそんなんの移動は
新木津川大橋にとられてしまって、
人と自転車が乗れるだけの、
こんな寂しい感じになっています。


岸壁間は238mです。

船から木津川を見ると
遠くにあべのハルカスも
見えていましたよ。



船員さんにカメラを見せつつ、
暗黙の了解をとって船内も撮影。
きれいに整備された舟です。

そしてあっという間に
住之江区の平林から
大正区の船町へと渡ります。



渡ったところは、新木津川大橋の
メガネ上の螺旋道路の横を
通ってゆきます。



人家もないので寂しい感じですねえ。



その製鋼所の所を左折して、
突き当りの造船所の方に
向かって歩いてゆきます。



そして造船所のところで道は
自然と右折。
そのまま次の船町渡船場に向かいます。

今度の渡船は大正区内で
船町から鶴町へと渡る渡船です。
何となく町名がシンプルで
わかりやすいですよねえ。

でもそれぞれにいわれのある地名です。
まず船町は、難波の宮賛美の歌

「あり通う難波の宮は海近み海人を
とめらが乗れる船見ゆ」から
来ているらしいです。

え~、船が多かったから付けた名前で、
後からこじつけたんやないですかあ
と言いたくなりませんか。

そして鶴町はというと、
鶴が飛んでくるめでたい港と
いいたいところですが、
これも「潮干れば葦辺に騒く
白鶴(あしたづ)の妻
よぶ声は宮もとどろに」
という万葉集の歌に
基づいているそうです。

これもねえ実際に飛んでいる
鶴ではなくて海辺のつる性の
植物にちなんでつけられた
名前なんじゃないですかあ。
えらそうに、すみません。

船で旅心を揺さぶり、
鶴でおめでたさを祝う
そんな二つを結ぶ渡船が船町渡船です、
とほめておきましょう。



渡船場の中に入ってゆきますと
時刻表があります。
ここは1時間に3本出ているようです。
少し時間があるので
早速さっそく写真撮影。



残念ながら乗客はここも
一人だけでしたねえ。

そしてすぐそこの対岸(75m先)の
船を眺めているときです。



水しぶきが上がったり、
白い光が海の中に
キラキラみえたりします。





よく見ると、おお~でかい魚が
いっぱい泳いでいます。

写真はわかりにくいなあ。

魚種は何かなあ。
大きさ的には完全にブリです。
ゴワーと集団で泳いで時折
反転したように白い腹を光らせます。

また少し先の海に

ぴょんぴょん飛ぶ魚もいたので
驚きでした。

こんな海にも自然の命は
栄えています。

続く

 


渡しを渡った私6

2020年09月21日 20時59分54秒 | ウォーキング

この夏に実行した
大阪大正区の渡し船巡り。
ブログで報告してきましたね。

暑い中、楽しかったですね。

今回はその続きですが、
少し復習しておきましょう。
大阪市が行っている渡し船は
全部で8か所あります。

一番最初に乗ったのは
2016年の天保山渡船です。

USJの近くの渡しから
天保山に向かう船ですね。
結構長くて大阪湾に近かったので
迫力ありました。
逆に天保山から渡し船に乗って
USJに行くというのも、
一つの手ですね。

そして先月乗ったのが、
大阪の眼鏡橋といわれる
千本松大橋の下をいく

「千本松渡船」

に乗り、さらにその上流にある
「落合下渡船」と「落合上渡船」
に乗りました。

これで4本を制覇したわけですね。
あと残りは4本です。
その場所を地図で確認すると、
うまく一本道で渡って
いけそうな感じです。
ずっと歩いてこれに乗っていくと、
大阪市の渡船すべてに
乗ったことになるわけですね。



では今回はその歩きに
取り組んでゆきましょう。

一番問題なのは、一番目の橋を渡るまでの
交通機関をどうするかです。

始点と終点が大きく異なるので
車ではいけません。
電車での移動となるわけですが、
これがまたちょっと不便な感じだ。

まあ電車も通らず少し不便そうな
ところやから渡船があったりするんですね。
バスを使っていくというのも
一つの手段なんですが、
ちょっと経路とか調べるのも
面倒ですから地下鉄等で
出来るところまで行き、
そこから暑いですけど
てくてく歩いて行くという
方法をとることにしました。

一番目は「木津川渡船」です。

では電車で向かって行きましょう。
南海本線でまずは天下茶屋に向かいます。

昔は急行が止まらなかった駅も、
今は電車が複合して
急行停車の大きな駅になっています。

少し前はこの駅から
東向いて歩いてゆき、
阪堺電車の恵美須橋線沿いを
歩いたのですが、
今日は少し海の方に向いて歩き
地下鉄の四ツ橋線を目指します。

大阪フィルハーモニー会館の
横から西成区役所の方に向かうと
岸里の交差点に出ます。
その下にあるのが四つ橋線岸里の駅です。

岸里の由来は88日の
ブログに書きましたので
参考にしてくださいね。

その岸里から二駅で
「北加賀谷」に到着です。
おっと間違えた「北加賀屋」ですね。



大阪淡路の両替商である
加賀屋甚兵衛殿が
このあたりに新田を築いたことから
こういう名前になっていますねえ。

この駅を利用するのは初めてです。

電車を降りて改札から外に出ると、
こんなに長い直線の地下道が
続いています。



200mくらいあるのかなあ。
そんな通路を通って外に出てゆきます。



経路はここからまず南港通を
西に向かいます。
途中にバス停がありましたよ。
時刻表を見ると、
この時間あたりは一時間に
一本のようです。



そしてそんな道の交差点のところに
立派な石碑があります。



井路(いじ)川顕彰碑だそうです。

その井路川って何かといいますと、
先程も書いたようにこの辺りは
新たに開発された新田で
出来上がったところだそうです。
そんなところに水路をつくり、
水利と運搬に役立たせていたそうです。
これが井路川です。

昭和の30年ごろまであった
この新田地区の動脈ともいえる
水路はほとんどなくなったんだ
そうですが、わずかに残る
痕跡は当時の人々の苦労を
忍ばせるとても大事な
痕跡として今も大切に
されているようです。

さあ、そんな石碑を見ているうちに、
前方に背の高い道路が見えてきました。
あれが木津川を渡る
「新木津川大橋」に
登ってゆく道です。
最初の木津川渡船は
この下にあります。

続く。