ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

長い間、ご愛読ありがとうございました。

2021年03月18日 20時58分28秒 | weblog

2005年の八月から
続けてきましたこのブログ。
集中治療室から
アップしたこともありましたねえ。

体を壊してからは仕事も退職をし、
介護と歩きの日々が始まりました。
ああもうdoironにとっては
50歳を過ぎてからの
貴重な日記でもあります。

そしてその中にはあちこちを歩いた
記録も含んでいます。

紀州街道、熊野街道、神戸リボン通り、
淀川歩きなどの街道の数々が書かれてあります。
また、近辺の山を歩いた記録も
いっぱいありますね。
だからまあ歩き遊びをするときの
貴重な記録になると思いますよ。

ほかにも旅行もいっぱいしましたね。

昔だとウルトラマラソンや
トライアスロンの詳しい記録もありますよ。
まあ、よくぞいろいろ遊んだものです。

またこれを読んでいるあなたの
遊びの参考になるようなことが
あるかもしれません。
全部でもう5000話を超えていますからね。

時折思い出しては見ていただくのも
いいかもしれませんし、
もしかしたらdoiron
限度いっぱいに至るまで
たまにこちらに記載することが
あるかもしれませんから、
覗いてみてください。

もうもう一つのブログも
始まっていますよ。

その名前も「ハブ ア ナイス doi!その2」です。

前のブログの末尾に2を加えるだけで
つながりますよ。
これがその新しいブログです。

またお読みくださいね。

とりあえずこのブログ。
長い間ありがとうございました。

 


龍田古道を歩いてきた8

2021年03月17日 20時56分50秒 | ウォーキング

龍田大社のお参りも終えたので、
再び龍田古道を出て歩いて行きましょう。



今日はまだまだ信貴山下を経て、
王子まで歩いて行く予定です。

道は田舎の旧道って感じです。



神社の方に向かってか、
屋根の上には鍾馗様がおられました。



左手の方には龍田山や信貴山があり、
そこから下りてくる斜面のような道を
横切るように道は続いています。

また右手には広大な大和盆地が
広がっています。
なかなか感じのいい道が続きますね。

このあたりは「毛無の丘」といわれています。
ああ~妙に親しみのある名前ですね。

昔は草木も生えない不毛の地だったそうですが、
今は豊かな田畑が広がっています。



あ、足元には三郷町のマンふたがありましたよ。
紅葉と大和川が刻まれていますねえ。
しかも紅葉は龍田大社神紋の八葉紅葉。

普通紅葉は七葉で書かれることが多いのですが、
きっちり八葉です。



でもこの車止めの絵は、七葉ですねえ。
土木担当者の知識は低いなあ。

そして、ここにも飛び出し坊やが
置かれていますが、



う~ん薄毛の坊主ですねえ。
このあたりは毛無しやでという、
深―い意味があるんですかねえ。



そしてこれは龍田大社へ
まっすぐの道標ですねえ。



あっ、三郷町がやっているのかなあ、
古社寺史跡めぐりコース
なんていうコースもあるようです。
またネットで検索しておきましょう。



出来立ての新しい三郷中学の横を通ると、
ここでは体育館の下らしきところが
消防団の詰め所になっていますねえ。



消防団は地域の人たちで作る消防組織。
このあたりは昔からの場所ですから
こういう地域の活動も
盛んなんでしょうねえ。



さてコースは大和川沿いの道に出てきました。
このあたり川はくにゃっと曲がっています。
そして川の向こう側は王寺町ですね。
こんな道端の地蔵とか見ながら進んでいくと、
近鉄生駒線の信貴山下駅に到着です。



駅前には大きな図書館がありますね。



そしてこの電車が「東信貴鋼索線」の
ケーブルカー。



駅前の道を見てみると、
見事な登りの道路がまっすぐ
続いています。



これが鋼索線の後にあたる道ですね。
これをずっと歩いてゆき、
途中から登山道で信貴山の
朝護孫子寺に上がっていくという、
散策コースがあるようです。

これはまた別の日に行かないといけませんね。

あ、ちなみに朝護孫子寺というのは
敏達天皇11年(582年)に寅の年、
寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の
一つである毘沙門天を聖徳太子が感得して
創建されたお寺という言い伝えがあります。



あちこちに寅の張り子があるそうです。



あ、そうかあそれで先程家の前に寅が
置かれている家があったのですね。

ジャイアンツファンはすめませんなあ。



あ、ここには日本遺産の認定記念証が
ありますねえ。



とまあこの後の活動にも夢を走らせながら、
王子に向かって進んでいきましょう。



途中町役場もあり、
商工会議所では「たつたひめ」の
ピンバッジを売っていたので購入しましたよ。

次の次の龍田古道歩きで
法隆寺まで行った時に
ピンバッジ取り付け式を行いましょう。



ふたたび大和川に出て、
ここからしばらく河川敷を歩きました。



あ、こんな距離表が立っていますよ。
河口まで23.2キロかなあ。
ちょっと文字が読み切れなかったです。

その先でわかくさ橋を渡ったところで







すぐに王子駅に到着です。



王子をねえしばらく歩くか
とも思ったのですが、



駅前施設で食事をしたら、



もうこの辺は龍田古道じゃないし、




もうこころは帰宅道です。
ここの駅から三郷町まで
電車に乗って車で帰宅しました。

そうそうこの王子駅は建物の構造が
継ぎ足しとかあって興味深いものがあると、
先日行った講演会(別日に記載予定)で
言ってましたねえ。

次の龍田古道歩きの時に
また確認してみましょう。
とりあえず第2弾はこれでおしまいです。

さて、これでご愛読いただいた
ハブ ア ナイス doi!は終了です。
新たに、もう ハブ ア ナイス doi!2が
始まっています。
今読まれたブログの末尾に「2」を付けるだけで
行くことができます。


上の部分をクリックしてください。
どうかよろしくお願いします。



 


龍田古道を歩いてきた7

2021年03月16日 21時04分19秒 | ウォーキング

龍田大社の末社である
神奈備神社を過ぎてきました。



たいていは山の端にあるという
数々の神奈備神社。
漢字では「神南備」「神名備」「甘南備」と
いろんな字が書かれています。

でもどれも「かむなび」と読みます。

閉鎖されていて残念でした。
そしてそこからまだまだ急な安村坂を登って、
ようやく到着したのが「龍田大社」です。



この道が「龍田古道」と
いわれるようになった原因の場所ですね。
この大社の祭神は
天御柱命(志那都比古神)と国御柱命(志那都比売神)。
祭神は別名を龍田神・龍田風神ともいい、
社伝によると、崇神天皇の御代に
凶作が続いたとき、
夢でこの風神のお告げをうけて
創建されたということです。

前回、竜田古道の里山公園から
大和三山を眺めつつ
登った山に奥宮がありました。
ここに風神が降臨したんだ
という御座峰がありましたね。



風の神様として古くから
信仰を集めてきました。

奈良方向から、大阪の方へと人々が向かうとき、
この龍田大社で無事を祈って別れたそうです。
第10代崇神天皇の時代に
天皇が夢で見たご神託で
築いたといわれる官幣大社です。
難波の宮と大和を結ぶ大切な場所にあり、
この最古の官道の
名前にもなっている由縁の深い所。

「龍田古道」の根幹部分となる大社です。

では中に入ってゆきましょう。



まず最初に目立つ鳥居は
「両部鳥居」ですね。
密教の金剛・胎蔵の両部を表す
稚児柱が付いています。

わずかに神仏混淆の思いを
残している鳥居なんですが、
そんな意味も含んでいるのかなあ。



あれ?その鳥居の前の
神社境内ではない側に
小さなほこらがありますよ。

これは「安村家邸内社」と
書かれてあります。

三郷駅と龍田大社の間の坂道を
「安村坂」と言いますが、
その安村氏の庭にあった社だそうです。

安村氏は龍田大社を管理していました。
一方で、大和川の亀の瀬より上流で
「魚梁船」で水運業もしていました。

魚梁(やな)というのは
龍田大社で使う魚を捕る場所のことを
言うそうです。

幕府はその水運で儲けたお金を
龍田大社にそそぐようにと命じており、
龍田大社と安村家の関係は
公認されていたようです。

そんな地域の有力者の社が、
大社の鳥居前にでんと
置かれてあります。

ではそこにお参りして
大社の鳥居をくぐってゆきましょう。

先ず左手に伊勢神宮の遥拝所があります。



この神社は伊勢神宮の二十二ある
明神大社のひとつ。
こうして遥拝所が設けられています。



そしてここが本殿。

もともとこの地は和泉山脈が途切れ、
西からの風が強く吹くところ。
なのでそんな風を神のように
見立てて祈るところです。

風のまにまに旅を続け、
風にあらがってというより
風に便乗してブラブラ生きている
doironは風神ではなくて
風人と呼んでやってください。

さあこれで龍田古道の中心部にもお祈りです。
ここは紅葉も素晴らしく
きれいなところだそうです。
なにせ神紋が八枚羽の楓紋。
秋にも来てみたいものです。

あ、楓で木へんに風って
書くんやね。
さすがに風神の神社ですなあ。

そして本殿の横には高橋虫麻呂の
歌碑がありました。



桜の花を散らす風が吹かないようにと、
風の神のことをうたった歌です。
こんな歌ってあまり形のないモノでも
しっかり残っていたりするんですね。

さあではこれで龍田大社の
お参りも終わりです。
ここではほかにも風鎮祭りとか
行われたりするんですね。
神社の一角にはこんな立派なおみこしが
しまわれていたりしました。



季節を変えてここにやってくるのも
また楽しいのかもしれませんね。

続く


いよいよ別のブログが始まります。
このブログはもうすぐ終わり。
新しいブログをはじめていこうと
思っています。

新しいブログに届くかな?


龍田古道を歩いてきた6

2021年03月15日 22時11分21秒 | ウォーキング

これはまだdoironがうんと若かった頃のお話。

令和3年3月1日。
なんと若干64歳だったころのことです。
テレビや新聞で日本遺産に新しくなった
「龍田古道」のことを知り、
さっそくここに出かけて行くことにしたのです。

1回目は高井田から三郷町の駅まででしたが、
これが山を越える意外にハードなコースでした。

でも途中で出会った人たちが
親しそうに色々話しかけてくれる
あったかいコースでもありました。

で、今回はこの古道歩きの第2弾です。

この道が龍田古道といわれるようになった
根幹の部分を歩くことになるのです。

それでは出かけてゆきましょう。

今日の出発点は、前回のゴールだった
JRの三郷町駅です。
高井田駅から大和川沿いを
さかのぼってゆきます。

車で国道25号とそれと並走する
県道195号のドライブです。
途中、役行者の二十八の地
亀岩の経塚とかの横を車で通り
撮影もしたのですが、まあここは
次の第3弾で通るので、
写真を紹介しないでおきましょう。

大和川を大きな橋で渡り、
三郷町の駅横に到着です。
その手前にあった駐車場に車をとめて、
さあでは歩き始めましょう。

この日はさほど寒くもなく
青空満載の気持ちいい天気でした。



ここが三郷町の駅。
こんな飾り場もあるし、



ボランティアの人が傘を置いていたりします。



「三郷町」とは、
立野(たつの)、勢野(せや)、南畑(みなみはた)
の三つの村を合わせてこの名前になったそうです。



今も自治体は三郷町という自治体なんですが、
ここの三郷を代表するような名前の駅の所には
町役場はありません。
役場はこの先の信貴山下のところです
と張り紙がされていましたよ。



駅を過ぎると、山の方から
1本の川が下ってきています。



その川のところに立っていたのが
龍田古道の道標です。
新しいですね。
こんな活動を通じて、日本遺産に
なっていったんでしょうねえ。

川を越えたら登り道が始まってゆきます。



この近くに「神奈備神社」があるはずだ
と思ったら、左に階段が続いて
その上が神社になっています。



「神奈備」とは昔からある言葉で
「神と並んで」という意味があるそうです。
どんなところかなあと調べてみると、
ネットではこの神社は龍田古道沿いの
三室山の山すそにあったものを
ここに持ってきているそうです。
神がそこに鎮座する、
あるいは隠れ住まうというような
意味があるので、万葉集にも
この「神奈備」を歌った歌が
22首読まれているようです。

「神奈備の 磐瀬の杜の 呼子鳥 
いたくな鳴きそ わが恋まさる」。

とまあこう書けば、
昔からこの辺は重要な地という
意味があるように思いますが、
じつは三室山は斑鳩にもあったり、
龍田川も完全にその場所が
特定されているわけではないので、
謎を含んだままではあります。

では実際のこの神社は
いったいどんなところかなあ
と思って階段を上がろうとしたら
残念、いまは工事中で階段も上がれず
お参りもできないようになっています。



これは残念です。

上では何人かが工事をしている感じでした。
しかたないのであきらめて進んでいきましょう。



電柱にまた道標がありますよ。
この先にあるのが、
この古道の名前の元になった
「龍田大社」があるところです。

坂道を登ってゆきます。



あ、この坂道には名前もついています。
「安村坂」といいます。
安村氏はここの立野地域一帯を
支配していた人です。
安村氏は「魚梁船(やなぶね)」で
大和川の水運を担っていた人でもあり、
龍田大社の管理もしていた人なんです。



大社に向かっての
歩き始めの急な坂道はきついですね。

続く


もうすっかり高齢者です

2021年03月14日 21時00分02秒 | 生活

本日doironは65歳になりました。

マラソンやトライアスロンを
やってた頃には、自分は頑張って
体を若く保っているぞ、
なんて思っていたのに、
ここにきてもう65歳なんて
おとぎの国に迷い込んだみたいです。

歳を取ったら、もっとちゃんといろんなことが
わかるようになるかなあ
なんてことを考えていたのに、
全然バカみたいなことを考えている
高齢者になっていくばかりです。

もっと楽しく、もっと健やかに
元気に生きていくためには
どうしたらいいんでしょうかねえ。

まあまずは65歳になったということで、
このことをいかしていきましょうか。
今まであちこち遊びまわっていて、
65歳以上の方は無料とか
割引とかありますよねえ。
そんなのはどんどん活用しないといけませんね。
少しでも元気で楽しんでもらうことが、
高齢者の医療費補助につながっていく
という社会の仕組みに
うまく乗っていかないとねえ。

そうそう先日「介護保険証」が届きました。

ああ、もうこんな制度に
乗っかる年齢なんですね。
もうなんか変な気持ちです。

2000年からこの制度が進んでいって、
急にふくらむこの制度の利用を、
出来るだけ抑えていこうなんて気持ちで、
自立支援とかいろんな観点で
広報していったのを思い出します。

あの頃は日本には高齢者が多いから
大変やなあとか言ってたのに、
もう自分がそんな年齢になっているんですね。

まだ介護保険には該当しないような
体なんですが、と言ってても、
あっという間に該当してゆく
そんな年代に入っていくんでしょう。

時間の流れは不思議で、残酷で、
でも楽しいです。

そう考えたら人生ってあっという間の
短さなんだよ。
自分の今を精一杯生きていかないとねえ。

とりあえず65歳の高齢者突入
よくぞここまで生きてきました。
そしてまたこれからも頑張って
楽しんでいきましょう。

高齢者、バンザイ\(^o^)/
おめでとうと言っておこう。

 


やりたいことがいっぱいあって

2021年03月13日 21時08分53秒 | 生活

今、してみたいことを
ずらずらっと書いてみよう

1.ぶらぶら歩き
2.お絵かき
3.ブログ書き
4.旅行
5.友達と麻雀
6.小説読み
7.宴会でお酒飲み
8.映画鑑賞
9.温泉めぐり
10.ジム等での運動
11.音楽鑑賞
12.写真撮影

 

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とまあ書き始めるときりがない。

 

これらをきっちりやっているかとなると
なかなかうまくいかないね。
種類が多すぎる。

でもやりたいというジレンマがある。
もう多趣味高齢者のサガのようである。

 

運動しながら小説読んだり

ブラブラ歩きしながら温泉行ったり

読みたい小説の映画を見たり

など、効率よくこなしていってるものの
まだまだもっとああしなきゃ、こうしなきゃと
自分に課していることの方が
山のように多いわけだ。

こういう複合的な暮らしが完成するころには
もう命が危うくなるような超高齢
になっていてもしかたないかな。

まあそれでもいい、
楽しいことはいっぱいしておきたい。
命がよみがえってなんともう10年。
東北の復興と期をそろえている。
なので命をもっともっと満喫しておきたい。

じゃあもう少し重ねてできることはないか
それを考えてみよう。

 

音楽聞きながらぶらぶら歩き

これはまあできそうですね。
以前コロナ化で周辺を歩き回る時
ワイヤレスホンで携帯で
ラジオをずっと聞いてたなあ。

あれを続ければいいんやけど
携帯の使用ギガ数が増えるしなあ。
でもそれくらいの投資は仕方ないかなあ。

あるいはジムで小説読みながら

自転車こいで、ついでに
音楽も聴くとかになると
もういったい自分は何をしているかが
わからなくなってしまうんだよね。
本を読みながら自転車こいでるだけで
若い人には変なおっさんに
見えていたりするくらいだから。

まあ、もう見た目も変なおっさんやけどね。

でももう少し考えてみよう。

そうやなあ、今一番効率よくやりたいのは
ブログの作成が結構時間がかかるので
もう少し簡略に移動しながら
言葉を文字に変えて行ったり
携帯とかで作成みたいに
うまく行かないかなあとか思っている。
この辺のテクニックはジダンに聞いてみないとね。

そんな風に起きているときは
ああ、あれもしなきゃ、これもしなきゃと
こころ忙しくせわしなく生きている。

もうゆっくりと木陰のベンチに腰掛けながら
周りを過ぎて行く風に
風情を感じてなどという暮らしを
優雅に続けていくのはdoironには無理だろうな。

最近、幸いなことに新聞で
絵を掲載してもらうことが多いので
こういう活動を通じて
心を発信していくのはとても楽しくなっている。
普段の暮らしの中で
ところどころでこれを絵にして
そこにこんな言葉を入れてと
考えたりすることが今は多くなっているのだ。

将来的に体が思うようにならなくなってきたら
この辺の趣味はとても貴重やな
なんて考えたりもするのだ。

 

何も実にならないおっさんの暮らしですが
こんな風に、あーだ、こーだと
ごちゃごちゃ考えながら
余生を楽しんでいたりする毎日。

あした65歳になります。


会計報告の作成 令和2年度

2021年03月12日 21時18分32秒 | 最近の出来事

さあて年度末が近づいてきた。

この段階で、doironに課せられている仕事は
村の自治会の会計報告だ。
今は自治会会計という役を与えられている。

家庭内は年金生活で火の車なのに
こんな役をやらすとはええ加減なものだ。
といって不正はしませんよ。
一円単位まできっちりと管理します。

神社の氏子関係は
もう年度内会計報告はすんでおり、
全員一致で承認を得た。

まあこれはお金の計算をするのは神主なのだが、
それを会議ではかり、承認に持っていく
報告会の司会はdoironなのだ。

今年は、コロナのおかげで正月の
奉納もどうかと思っていたのだが、
意外に皆さん日にちを分けて
お参りに来られたので、
さほど業績ががっくり
下がったということはない。

あまりひどかったら、
休業宣言で補助金出たりしないかなあ。
ま、神社にそんなことはないか。

そして地蔵講の方もお金を使ったのは、
地蔵盆を中止にしたので
ほとんど支出がなく、ふだんの花いけや、
清掃の活動にかかったくらいだから
会計報告はたいしたことはない。
で、まあこちらは会長なので
気は非常に使っている。

地蔵は6月の総会くらいで
報告することになるだろう。

問題は自治会の会計報告だ。
こちらはやはり活動が多いので、
様々な出来事に基づいた収入、
支出も多いので、報告書は複雑でややこしい。

持っているお金の量もかなり多い。

まずは収入について整理だ。
最初に管理している通帳関係の
記入をおこなっておく。
何か所か取引している金融機関が
あるので、順番にグルリンと回っておく。

それから中身の整理にかかろう。

一番肝心なのは町会費の整理。
件数についてはこれは自治会規模に
かかる事項であるので件数はここには記載しない。
でもまあ、遠くに引っ越しても、
ここには祭りもあるし、
この我が町が好きという人は家はなくても
席を残して町会費を払ってくれている人もいるから、
それももちろん入れていかないといけない。
それに、新たに家を建てた人も
途中から入ってこられたりするので、
簡単なようだが意外にややこしくなっている。

記録はきちんとつけておかないといけない。
でないと途中でいつだれが入会した
退会したとか、訳が分からなくなるのだ。

ほかにも公民館使用料もある。
民間教室団体が借りに来たりしているのだ。
あと、公民館前などこちらで設置している
自販機のもうけ分なんかも
入ってくるから整理しておく。

そして大きい所では、
やはり市役所関係から支給される補助金だ。
広報配布、電気代補助に加えて、
今年はコロナ対策に関しての補助も降りたから、
それらは収入として加えておく。

支出となるとまたまた複雑だ。

我が自治会が独自に対策した
コロナ対策もある。

それに、保険契約、集合時の飲み物、
掃除道具購入、公民館の補修
老人会や衛生関係、防犯関係など
各団体への補助金なども
自治会の会計に絡んでいる。

これらをすべて総合し、今年の会計報告書を作るのだ。

電卓、通帳、エクセル、ワードを駆使して
丸一日かけて整理し、ようやく完成。

これを町会長に報告し、
了解を得られたら、会計監査のところに
持って行って、報告をするのだ。

自治会の総会は3月21日。
この日に住民の報告を終えたら、
今年の会計の仕事は終わる。

ああ、なんか複雑だけど、なんとか
うまくいきますように~と
心から願っている今日この頃だ。

 


梅と温泉とアルコールと3

2021年03月11日 21時13分02秒 | 

月ケ瀬の梅の名所を
ぐるりんと歩いて回っています。

天神社の所には、頼山陽の歌なんかも
掲示されていたりします。



そんな中でも、ここは少し人気ありましたね。
この赤い梅は八代亜紀が植えたものです。



「月ケ瀬小唄」をレコード化したのをきっかけに、
彼女がここに植えたんだそうです。



「植る掌に 紅こぼるるや 亜紀の梅」。

平成31年のことでした。

そんな場所から少し下ってゆくと、
月ケ瀬梅林品種園に出てゆきます。

まあ様々なバラがその美しさを競っています。
結果的に黄色い「ろう梅」が印象的でしたね。

そしてここには立派な展望台と
トイレが設置されていますよ。



いろいろと予算をかけているようです。
そういえば月ケ瀬にはかつて
何度か来ていますが、こんな梅園に
来るのは初めてですねえ。

いやあ、なかなか頑張っているようですが、
かつてのVIPとしては、
観光地として、あと一歩。
もう少しすっきりきれいに
整備するとかしたほうがいいかなあ
って感じは持ちました。
でもまあ梅はたっぷり堪能しましたね。



そんな梅園を東口から出て、
次は真福寺の方を目指してゆきましょう。



道はどんどん住宅地の方へと入ってゆきます。

ふと時計を見ると時刻は12時です。
楽しい時間はどんどん過ぎてゆきます。
まだこのあとお風呂に入って
宴会となると少し時間が押してますねえ。

初めて梅を植えたといわれる真福寺は
今回は遠めに眺めて、ぼちぼちと
駐車場の方へと向かって行くことにしましょう。

村中には、こんなにたくさんの
レンギョウが植えられていたり、



お茶畑の横の広い道を気持ちよく下って、





ロマントピアの駐車場へと戻ってゆきました。



さあ、ではまずはお風呂だあと
車に乗って温泉に向かいます。

ああ、ここの駐車場もいっぱいです。
ウロウロと駐車場を回りながら
なんとか車をとめることができました。

ここの風呂はかつて何度か
来たことがあります。
でもこんなに人はいなかったあ。
2月14日から3月28日までの
うめまつりの期間中はいつもより
100円高い入浴料を払って、
入ってゆきます。

まずは露天ぶろでゆっくりです。
女湯は知りませんが男湯には
屋外の展望風呂というのがありますので、
身体がとけてしまうほど入りましたねえ。

梅で心もすっきり、
温泉で体もすっきりしましたので、
後はアルコール消毒です。

一時間ほどお風呂に入って、
お風呂に入る前に予約表に
名前を書いておいたのも
パアになってしまいました。

女性陣が出てくるまでの間、
二回ほど名前を書きなおして、
ようやく順番が回ってきたのは
二時頃でしたね。
やっと順番が回り食堂に入って
宴会が始まりました。

みんながいただいたのは、
伊賀牛の焼き肉定食です。



まずは生ビールで乾杯。
ふあ~うまかった。



今日は最高やねえと言いながら
宴会しているときです。
店員さんが近づいてきて
「すみません。こんな時期なので
お静かに願います」とご注意がありました。

ああ、そうですねえ。
確かにあちこちにそんな張り紙が
してあります。
でもそんな大声は出してないのになあ
と思ったのですが、
このあたりは厳しい感じでしたね。

宴会は小声で行い、でも生ビール二杯を飲んで、
もう皆さん上機嫌です。

この後、お酒を飲まない人の運転で、
梅に後ろ髪をひかれながら、
我ら5人は大阪へと向かって
行ったのでありました。

西名阪に乗ったところまでは
覚えていたのですが、
次に目が覚めたのはもう香芝です。

あっという間だった梅見物。
とってもよい旅でした。


梅と温泉とアルコールと2

2021年03月10日 20時51分25秒 | 

ロマントピア月ケ瀬では地図の確保に合わせて、
せっかくですからお土産も見てゆきましょう。

doironは迷わず買ったのが
梅酢たくわんです。

以前から月ケ瀬に来た時は、
必ずこのたくわんをお土産に
買っていましたからね。
固さが絶品なんです。

一緒に来た人も買ってはりました。
あとはシイタケなんかも買ってましたねえ。
そんなお土産を車の中において、
さあでは梅の散策に向かって行きましょう。

ロマントピアの西側の斜面を登ってゆきます。
ここは現在梅園の製作中なんだそうです。
小さな梅がいっぱい植えられています。



「桃栗三年柿八年。梅は酸い酸い13年」

といわれたりします。
ああ、ここに梅園ができるころには
78歳ですかあ。
生きてるかなあ。
そんな山道を登りきると梅の散策道路に出てゆきます。
このあたりに来ると、
結構観光客も来ているようです。
まだコロナの宣言期間内なんですが、
まあここは梅のきれいな花に癒されて、
みんな楽しそうに歩いていますね。
決して梅の花の形はコロナにそっくりやあ、



とか騒いだりしてはいけませんよ。

まあ例年だったらこんな梅鑑賞道も
もっと人であふれているんでしょうねえ。

今回写真の好きな人は
メジロの写真を撮るんやあと、
カメラを持ってきておりましたが、
意外とこの梅園あたりには
あまりメジロは飛んでいないようでした。

人の多さとか太陽の加減なんかが
影響するんでしょうねえ。

鳥の鳴き声はあまりせず、
景色だけがキラキラと輝く
静かな梅園だったのでした。



しだれ梅は可憐ですねえ。



そして桜ほどはなやかではないですが、
赤や白の梅がこれからさかりだよ
という感じで可憐に咲き始めています。

 


何となく梅の香りも漂っていますねえ。

その先に小さなお店がありました。

「いこい茶屋」

という名前です。
店頭に手作りのお菓子とか
いろいろ乗せているのですが、
その中のひとつに手作りのよもぎ餅があり、
それが5個入りと我らに
ぴったりに売られているではないですか。
早速買って、あずまやでいただきました。



もちもちと大変美味でした。
え~皆さん山にも登られる方々なので、
お茶なんかもちゃんと持ってはります。
よもぎもちを食べながら、お茶で一服。

俳句も出てきそうな感じでいただきました。

で、こんなところでトイレは
あるんですかと心配されるかも
しれませんが、
それらはきっちりとあるようです。



中にはこんな風にオープンな
トイレもありますが、
ほかにもきっちり整備はされているようです。

さらに梅の散歩道を進んでいきましょう。
伊賀上野城にあった建物を
こちらに移築したという食堂があります。
ぼたん鍋やかも鍋なんかも
メニューにあります。



店の名前からしてきっと
月ケ瀬湖なんかを見渡せる食堂なんでしょうねえ。

でもまあ今日はお風呂も入りに行きますので、
ここは横目で通り過ぎます。
でもその近くに、月ケ瀬橋が見渡せる
いい場所がありましたよ。
ここで写真撮影です。



手前の梅がもう少し咲いていたら
絶好の場所なのにねえ。
そしてその先に天神社というのがあります。
金沢の前だけが、安泰二千日の
祈願を果たしたとして、
この月ケ瀬の森に古文書を
残したといわれています。

この天神社にその痕跡があるそうです。
前田家がなぜ月ケ瀬なのかは
よくわかりませんが、
いずれにしてもこの梅の月ケ瀬は
昔から風光明媚なところ
だったのでしょうねえ。

その天神社のところには
梅の里ふれあい館という
お土産屋さんのような
建物も残っていました。

続く

 


梅と温泉とアルコールと1

2021年03月09日 21時28分40秒 | 

doironが昔働いていたところは
月ヶ瀬ととても仲が良かった。

なんて書くと幼稚な表現ですが、
姉妹都市とか友好都市とか
いろんな言い方ありますよねえ。
今は一体どんな関係にあるのか
よくわかりません。
まあ、もうそんなことはどうでもいいのです。
そこには、我が職場関係の宿泊施設もあり、
昔はロングランの仲間たちも
ここまで走って行き、
宴会したりしましたねえ。

そしてdoironも退職前はここのVIPとして
訪れたこともあります。
そこは何が有名かと言いますと、
やはり「梅」ですね。

750年前の鎌倉時代に、
ここにある真福寺に梅が植えられたのが
始まりだといわれています。

芭蕉とかもここの梅園を訪れて、
歌を詠んだりしています。
大正11年には国の名勝地にも
選定されています。
約1万本の梅が山々に咲きほこる名勝地です。



かつては10万本もの梅が
あったといわれています。
ほかに何か特徴はと言いますと、
やはりお茶が有名ですね。
梅のような華やかさはないけど、
山のあちこちに茶畑が存在しています。



大和茶といわれています。

また春には3千本も桜も咲き、
見事な景色を作り出しますね。
あと、表には出てきませんが、
このあたりはソーメンの
産地でもありました。

以前ここを訪れたときに、
家でソーメン作っているよ
という人と知り合いになり、
おうち迄そのソーメンを
買いに行った記憶があります。

これらは卸場所によっては
三輪ソーメンになったりするそうです。
うまかったなあ。

その月ケ瀬にマージャン仲間が
梅を見に行こうという話になりました。
doironさんも行く?
という話だったので
参加させていただくことになりました。

お酒を飲まない人もいるので、
帰りはその人の運転で
帰ろうということだったので、
梅見物のあと温泉に入り、
食堂で宴会して帰ることに
なったので大喜びです。

ではあまり寒くもない気持ちのよさそうな日に、
奈良市の東の端にある
月ケ瀬に出かけて行くことになりました。

当日は家の裏の公園横の道で
お迎えの車を待ちます。
弥生博物館の入り口で待っていると、
現れました。

ではここから行きはdoironの運転です。

阪和道から西名阪へと向かいます。
参加者のうち一人を迎えに
藤井寺の市役所に立ち寄ります。
到着時間を予測してたら、
ほぼその時間に到着です。
まあこの辺りは通勤の知識を元に
的確ですなあ。

しばらくするとやってきました。
これで参加者5人が集またので、
藤井寺からまた出発となります。

昔、義父母が三重県に住んでいたので
この西名阪は懐かしいですね。
法隆寺から天理方面。
そして山に入って針も過ぎて
約一時間月ケ瀬に到着です。

川沿いからダム湖の月ケ瀬湖沿いの
道に入ると、旅行感覚も
盛り上がってきます。

「桜もきれいそうやねえ」。

山の見た目も、どことなく
春を感じさせるねえと
盛り上がってゆきます。

月ケ瀬橋のところに来たらこれを渡り、
観光拠点である

「ロマントピア月ケ瀬」

を目指します。
これは自転車ではちょっと登れんぞ
というような急傾斜の山道を登り、
くねくねと運転してたどり着きました。



ここには駐車場もあります。
一日600円でそこに停め、
施設の中で地図を確保してきました。



手作り感満載の地図です。
梅渓を歩く地図なんですが、
アップダウンもよくわからないし、
距離感もさっぱりです。
でもまあいい所を集めた地図ですね。
ページの片隅に書いてある、
周辺の自治体との関係図も、



こんなにさっぱりわかりやすい地図です。

続く