ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

浪速の街をめぐるラン8

2019年11月30日 20時33分55秒 | ウォーキング

さあ、この大阪マラソンも
いよいよ明日スタートです。
もう少し早く書き始めたら
後半こんなにあわただしく
ならなかったのになあ
いらないことを書きすぎたなあ
と反省しながら、
今日はゴールまでの最後の区間を
書いていきます。



北河堀でおり返した後は、
来た道を戻っていきます。
五條宮を左折し途中まで
他の選手ともすれ違いながら走り、
勝山3北の交差点を
追いかけてくる選手と別れて、
そのまま直進していきます。

このコースの下見をしていた最終日、
すなわちレースの4日前です。

道路を見たらこんな文字が
書かれてありました。



大阪マラソンの33km地点ですね。
泉州マラソンのコースみたいに、
距離が書き込まれていましたよ。

この前来た時にはこんな印を
見つけられなかったので、
大会直前になって
書き込まれたみたいですね。

まだペンキも新しい感じがします。
プール学院もこえ、
生野区役所をこえていったら



左右に緑が見えてきますね。






右が御勝山南公園ですね。



以前この公園を訪れた時、
テーブルを囲んでマージャン大会を
やってましたねえ。
今もそうなんかなあと思い、
見に行ってみると
どうやらそういう光景は
なくなっているようでした。

そして左手に見えてくる山も、
以前に取材したことがありましたね。

4年以上も前に大阪の低山ばかりを
回ったときです。
ここはなんと標高14mの山

「御勝山」ですね。



こうして回っていると
いろんな懐かしい場所も
通りますねえ。

コースはこのあたりも平坦です。
多分ゴール近くまでさほど
アップダウンがあるようには思えません。

淡々と距離を稼いでいけたら
タイム的にもいい結果になるのでは
と思いますねえ。

歩く方も、さほど特徴のない所を
歩いていきますので、
地面にかかれた距離表示が
気になってきます。

多分レースの時にも、
こういう表示がされるんでしょうねえ。

大池橋の交差点が
今里筋との交差点です。



ここからこのレースで最大の
直線距離を北上していくんですね。

ここが35km地点です。



コースを見たらこんな感じ。



ああしんどいと道が永遠に
続くようにみえるかなあ。

次の歩道橋、次の高架道路と
目指して我慢して走っていきましょう。

で、ふと周りの状況を見てみたら、
ああそうかあ、ここらあたりは
ミセスの地元に近いあたりです。

交差点の名前なんかも
よく聞くことがあるところですねえ。

前方に近鉄電車の高架が
近づいてきたら36キロです。



あと6キロですかあ。

1キロが短いようで長いんですね、
この辺は。

そして「大今里」を過ぎたあたりで


37キロ。



ということはそこから
195mで「あと5キロ」の表示も
加わっていきます。



38キロ、あと4キロ、





を過ぎるとコースは
第二寝屋川を越えていくので、
少しだけ登っていきますが、



50mくらいの距離でしょう。

こんな第二寝屋川を越えたところで、
そこにある整骨医が
ボランティアをするそうですよ。



ウヒャー、足が動かない人は
整骨してもらってください。

鴫野東の交差点を左折すると、
前方の方に見えてくる
スーパー玉出の前あたりで
40km地点を迎えます。



JRの高架下をくぐり、
OBPの高層ビルが迎えてくれますよ。

そんな中を走っていくと、
大阪城公園に入っていく
新鴫野橋のところで



41km地点となります。



もう大阪城公園は目の前ですねえ。

どんなに頑張っても
あと1キロ少し。
最後の力を振り絞って
城の公園に入っていきましょう。

大阪マラソン冬の陣ですな。

城の中をぐるりんと回って、
ゴールです。



どうだったでしょうか。

ちゃんと目標通りに完走しましたか。

今回、この大阪マラソンコースを
すべて歩いてみてわかったのですが、
少し走って、残りを急ぎ足で
歩けば完走できそうですねえ。

まあそんな復活は意味ないけどねえ。

ゴールをしたらジョウホールテラスで
いろんな店ができているから、
ここでゆっくりできればいいんですけど、



まあ一杯やろなあ。

それにしてもこのレースの
おかげでdoironも
楽しい歩きが出来ました。

明日は皆さん、頑張ってねえ。


浪速の街をめぐるラン7

2019年11月29日 21時27分34秒 | ウォーキング

さあでは難波から続けて歩いていきましょう。



御堂筋と千日前通の交差点である難波から、
千日前通りを東へと向かって行きます。
このあたりはとても人の多い所。
ここを閉鎖したら人々は難波から
心斎橋への買い物が
できなくなるじゃないですか。



でもまあ止めないわけにはいきませんね。

大阪で最もわたる人の多い
交差点をとめるのですから大変です。
きっと千日前の商店街も、
心斎橋の商店街も人の動きが止められて、
下手したら大パニックになるかもね。

そこでは大阪弁のほか中国語、
韓国語などの国際的な茶々入れも
くちゃくちゃに飛び交ったりするんでしょう。

応援の際にはその辺には
決して近寄らないことですね。

それにしても千日前通りは
二次的な繁華街ですが、
ところどころでユニークな
お店が並びますね。

ここは神戸牛のお店であったり、



ウナギ専門店もあります。



お寺なんかは各種本尊の意義なんかを
パネルで表現してますねえ。



そして対岸に国立文楽劇場が
見えてきたあたりが25キロ地点です。



このあたり、どうですか?
足に来ていますか?
それとも体力が尽きそうですか?
今日のしんどさはどんな感じに
なるかなあというのが
ここで予想されてきますねえ。

泉州マラソンで言えば貝塚あたりでしょうか。

その先の下寺町で右折して
松屋町筋を南下していきます。
その下寺町の高架歩道から
撮った写真がこれ。



遠くの方にハルカスが見えていますねえ。
松屋町筋ですから左はお寺が続いていきます。
コースを考えるとここは
右側通行ですね。



左のお寺を気にしながらも
撮影は復路で取らないとね。

頻繁に建てられている
注意看板も設置が大変だったでしょうねえ。

あの看板の設置費用や
掲示後の始末も考えると、
マラソンって経費もすごく
かかりますねえ。

自然にやさしくないといえば、
ある意味そんなところも
あるかと思います。

1キロくらい進んでいくと
通りの終点の折り返しに到着です。
ここからは通天閣も見えていますね。



ちらっとですけどね。

それでも大阪マラソンの
ポスターにはその姿が
書かれていますねえ。



おり返すと、今度は右に、
あの大坂夏の陣で戦死した
真田幸村の碑がある
安居神社の鳥居があります。



まあ右手にはこんな名所や
神社が続いていきますが、
ランナーは気にせず走りましょう。

え?「目標タイム達成を」
なんてお祈りしたほうが
いいですかねえ。

まあお好きにどうぞ。

こんな竹細工店や



天王寺七坂の口縄坂、



新選組の大阪旅宿跡



なんかも面白いのですが、
まあそんなのは当然ですが
レースの日以外に訪ねてみてください。

トレーニングも大事ですが、
意外に歩くのも
軽い運動になっていいですよ。

そうしてまたまた下寺町に出て、
再び千日前通りを東進していきます。

そして谷町9丁目をこえたあたりから、
早くももうこのマラソンの
山場がやってくるのです。

大阪市内は平たんだからと
安心していてはいけません。
ここから上本町の近鉄につながる道は、
かなり急こう配の登り道です。



練習をあまりしていない人には
かなりこたえるでしょう。





足がいったん止まるはずです。

で、登り終えたら、
さあ下りだと思って頑張ってしまうと、
なおいけません。
この後にまだやってくる
結構なアップダウンに
一撃をくらわされてしまいます。

谷9をこえたら、
ここは落ちてもいいから
それなりに自然に登っていきましょう。

くだりも飛ばさず気持ちよく
走ってください。
大阪マラソンはここの
アップダウンがレースの
結果を決める重要な要素を
持っているはずです。



そうして下味原を右に曲がった
ところで30キロ地点を迎えます。

で、道はというと
まだまだ微妙なアップダウンを
繰り返し、選手の体力を
奪っていきますよ。

そして勝山3北の交差点を右折し、
doironが初めて心臓の手術をした
警察病院の横を走る勝山通りを
登っていきます。

ああ、道を真平に作れよー
といいたくなりますね。

右手に五條宮が見えたら
今度はそこを左折です。
右手には四天王寺なんかも
見えてきますよ。





ここまで何とか体力を残して
走ってきたら、
あとは平たんな道を
たらたら走るコースになっていきます。

この大会はここがミソですね。
こんな車屋の看板を目印に走り、



北河堀に着いたらこの大会で
何度もある折り返しの5回目を
Uターンしていきます。

ここが最後の折り返しですね
後ろから迫っている
あるいはすでにおり返していた
ライバルの動きをチェックです。



続く


浪速の街をめぐるラン6

2019年11月28日 21時13分24秒 | ウォーキング

ここがなにわ筋の折り返し地点である
「岸里」の交差点です。



どんなふうにおり返すのかなあ。
かなり交通の多い交差点です。
これをふさいで折り返し点を
作るにはかなり技術がいりますねえ。
でもねえ、そもそもこの
大阪マラソンにより沿線の
人々への迷惑は大変なものが
あると思います。
ましてや、商店や会社などが
全く通行止めで全然仕事にならないんですよ。
だんじりでもパレードの時の
商店の閉鎖なんか
すんごく気を遣うのです。
それがこんな広範囲ですから、
周知と了解の努力はきっと
大変でしょうねえ。

病気や事故にあった時の救急車や
事件があった時のパトカーの
通行なんかも制限されるだろうから、
いろんな迂回ルートや
対策も事前に検討されているんでしょうねえ。



地元の自治会にもお知らせ配ったり
しているのかなあ。

そしてボランティアの募集や
各種備品の用意。
そんなことを考えてたら
こんな大人数のマラソン大会って、
きっと膨大な作業があるんでしょうねえ。
誰がやってるのかなあ。

大阪市の職員?陸連関係?
ボランティア?
いずれにしても大変ですねえ。
事故や不足がないように
お祈りするしかありませんねえ。

岸里をおり返し、
またまた北に向かって
直線道路をおり返していく直前に
コースは20kmを迎えます。



doironが走ったフルマラソンは
何回くらいあるかなあ。
普通に考えても50回は普通にありますねえ。
まあそれだけ経験をつんだら、
20kmの地点でもうなんか
今日のゴールの疲労はどれくらいって
何となくわかるような感じでしたね。

そんな距離の地点をここで迎えます。

ここまでとこれから先に
知り合い選手にいっぱい
出合いますねえ。

おっ、あいつは今日は調子がええやん。
あ、あいつがすぐ後ろに来ているぞ
なんて考えたりしますねえ。
体力的なもののほかにも
精神的にもいろいろとざわつく
20キロ地点です。

さあここからまた戻っていきますよ。

でもねえ何となく登りっぽい
雰囲気ですからいやですねえ。
あと半分と少し、頑張っていきましょう。

ここまでランナーが通るのは
左側車線だと思ってましたが、
ふと気が付きました。違いますねえ。
このずっと先の幸町1で右折するのですから、
コースは右側車線を走るはずですねえ。
歩いたのは反対車線なので、
その辺は考慮してお読みください。

うう~doironにしては
珍しいミスをしてしまいました。

こっちの車線をずっと北上です。



あの奇妙な人のいた商店街をこえ、



同じ道をエッチラと戻っていきますねえ。
再びJRの環状線の下をくぐって、
幸町1の交差点に戻ってきます。

さあここからは右折して
進んでいきますよ。

ここから先のコースを考えたら、
ここも右側車線を進んでいくはずですね。
何度か通った湊町のビル群を見ながら、
難波の交差点へと向かって行きます。

ーーーーーーー

というところで、
今回の取材は終わりです。
この後、昼食をとろうと
いろいろとお店を探しました。

あそこのラーメンは
メンマ食べ放題だったなあ。
とか検討しながらも、
体の脂肪を断捨離しなくちゃと、
鳥中心のどんぶり屋があったので
そこに入ることにしました。

あっさりの焼き鳥丼と
生ビールを頼みましたよ。

ご飯は大でも値段は一緒ですよ
といわれましたが、
普通で言っておきました。

そうして座って待っていると、
隣に来た若い人が驚きの注文をするのです。

「ご飯の大と生ビール」
「はあい。どんぶりは何にしますか」
と店の人が聞くと
「ご飯だけでええねん」とのことです。

さてはレトルトカレーとか
持ってきているのではないだろうな
といきさつを見守ったのです。

僕の注文も、その兄ちゃんの注文も
同じくらいに来ました。

まあどんぶりではないので
すぐに来ますわな。

そしたらどうしたと思います。
その兄ちゃんはご飯の上に
しょうが、ネギをふりかけ、
そこにたれ醤油と七味をかけて、
かぶりつくのです。
ぷはーとビールもうまそうに飲みます。

ああ、こんなインスタ映えな
注文をするなんて、
超おどろきです。写真撮りたかったなあ。
退屈っぽいマラソンの
往復コースをしばらく歩いたことよりも、
その兄ちゃんの昼食に
心を奪われたdoironなのでした。

では次回は難波から
東の方面に向かって行きます。


浪速の街をめぐるラン5

2019年11月27日 21時30分10秒 | ウォーキング

さあて大阪マラソン下見歩きの続きです。

今回は難波から幸町1まで行って、
なにわ筋を南下していくところからです。
マラソンの距離で言えば
16キロ地点くらいからです。

この日はこのなにわ浪往復が
メインになります。
では進んでいきましょう。

難波の駅まで電車で行き、
そこからてくてく歩いて近鉄の
難波駅上空あたりまで行きます。
そこから西向いてしばらく歩いていくと、



「幸町1」の交差点に出ます。

ここがなにわ筋との交差点ですね。

本来レースはここを向こうの
大正方面から来て右折して
入っていくのですが、
この時はここまで逆行してきましたので
そこを左折し、側道のような
細い道を歩いていきます。



もうなんかすぐに生活の町って
感じに変わりますねえ。

稲荷の交差点に出ます。



まわりの町名も稲荷で、
交差点名も稲荷とは
立派な名前ですねえ。

でも始めてくる場所です。
どうして稲荷かなあと思い調べてみると、
この稲荷という町の中には根拠として
「赤手拭稲荷神社」というのがあります。
そんなに大きくはない神社なんですが、
紅染の手拭を祠前に供えた神社で
町名はそこから来ているようです。

まあ人々の祈りの姿から
来ているんですから地域色豊かな
名前なわけですね。

その稲荷の交差点を過ぎたら、
こんな歩道橋が見えてきます。



ネーミングライツでラーメン屋さんが
名乗っていますねえ。
この歩道橋が「塩草歩道橋」



ということはこの横にある小学校が、
あの小説家司馬遼太郎が通った
小学校なんですね。

かれはこの後通る塩草で生まれたそうです。
ちなみに塩草という地名は、
昔はこの辺りは海辺にちかい地で
海辺の草が潮の匂いを
放っていたところから
こんな名前になっているそうです。



道の駅?があるような
塩草2丁目の交差点をこえると、
なにわ筋はJR環状線の
下をくぐっていきます。

芦原橋の駅の近くですね。
このあたりは環状線の壁を
利用して子どものお絵かき
とかが並んでいますよ。



そうして歩いていると、

おや?なんか変なにおいがするぞ
と思ったら、丁度銀杏の実が



落ちて歩道なんかにも
いっぱい散らかっています。



実は曽根神社にも大きな
銀杏の木があるのです。
毎年大きな銀杏が出来ていたのですが、
さすがに昨年の台風で
雄の木が倒れたせいで
今年は見事に身がなりませんでした。

自然の摂理ですねえ。

その先にある「中開」の交差点が、
片道4キロで、往復約8キロの
なにわ筋コースの中間点あたりです。

道はまだまだまっすぐ続いていきます。

「長橋」の交差点をこえ、
こんな自転車屋さんを見ながら
まだまだまっすぐ行きますと
こんな丸いアーチが上に重なった
鶴見橋商店街の交差点に出てきますよ。



そうそう、ここで奇妙なおじさんに出会いました。



ママチャリに乗っているのですが、
顔はプロレスラーみたいな感じなのに、
チャラチャラの着物を着た
ひ弱そうな体のおっさんです。

写真撮りたかったけどなあ。

でもちょっとそれはSNS映えしすぎて、
ひ弱なおじさんのdoironは
カメラを向けることができなかったです。

ああ、この鶴見橋商店街は
大阪屈指の下町商店街
といわれていますねえ。

きっと大会当日もいろんな人間が
応援していたり、無理やり
自転車で渡ろうとする
おっさんがいてたりと、
いろんな意味で注目される
コースでしょうねえ。

道はまだまだまっすぐ続いていきます。

大阪をあまり知らない人間が
ここを走ったらなんか
大阪の持つ雰囲気がその人の中で
変わるかもしれませんねえ。



この時点で大会まで約3週間。

こんな注意の旗も何本も
建てられていましたねえ。

このコースで最南端にあたる
岸里の駅がだんだん近づいてきます。



道が緩く左カーブしているところで
折り返しももうすぐです。

続く


浪速の街をめぐるラン4

2019年11月26日 21時32分19秒 | ウォーキング

10kmを過ぎたこの辺りになると、
周りにあまり特徴のない
町の中を走ってゆきます。



10kmをあんなタイムやったなあ、
スピードあげようかなあ、
それともこのまま押さえて
後半頑張ろうかなあ
などと色々悩む感じになりますね。

北向いて、次の折り返し地点である
伯楽橋まで歩いていきますと、



後ろから女性が二人走って
追い越していきはりました。



最近の女性の走りの姿はすごいですねえ。
格好よく走っていきはります。
大阪マラソンの下見ランでも
してるのかなあと思ってたら
どうもそのようで、
しばらくしたら前方から
走ってきはりました。

伯楽橋の交差点でおり返してきたようです。



ここがその交差点です。
右側に伯楽橋があります。
この橋はもともと大阪市電専用の
橋として架けられたようですが、



昭和15年に今の橋に
架け替えられています。

そう考えたら、大阪に数ある橋も
かなり古くなってきましたねえ。
財政的にもいろいろ厳しい中、
こういう道路や橋関係にかかる
経費は大きいんでしょうねえ。

むかし舞洲に行った時に
そこにかかっている巨大橋の
経費を聞いてびっくりしたことがあります。

なんとその経費は、
doironが働いていた自治体の
一般会計予算に匹敵する経費
だったことがありましたね。

国なのか、府なのか、市なのか、
どこが負担するのかわかりませんが
走ってそんな経費が掛かったり
することもあるんですねえ。

だからなおさらハイハイと
簡単に架け替えるわけには
いかないのでしょう。

伯楽橋は昔この辺りにあった
伝説の島の名前を付けているようです。



さあではそこでおり返していきましょう。
歩いたのは平日でしたが、
このあたりはあまり交通量もありませんね。
景色もあまり大したこともなく
ただてくてくと義務感に
かられるようにして歩いていきます。

そして大阪ドームの手前を右折して、
しばらく歩きその先でまたまた



左折して市岡の方を目指していきます。
ほかに景色にひかれるようなところもないので、
ランナーもこの辺は、ランニングハイに
包まれて気持ちよく走っているのでしょう。
このあたりはそんな風に淡々とね。



で、どうもこの辺りで
おなかが空いてきました。
昼食によさそうなお店なんか
ないかなあとかお見ながら歩いていきます。



「市岡元町3」の交差点まで来たら
折り返しです。

このマラソンで言うと
2回目の折り返しですね。

折り返しごとに知り合いとすれ違うので、
その辺は楽しいのですが、
精神的にはちょっと辛い
感じがするかなあ。

そうして今来た道をずっと戻って、
大正のところまで来たところで
1回目の下見は終わりです。

ちょうどこの辺りで
15キロ地点になりますね。



doironは川の横にある
ラーメン屋さんに入りました。

お昼もかなりすぎているのですが、
人気のある店なのかなあ
結構客がおりました。

ニンニクラーメンという名でしたが、
注文時にニンニク薄めでと注文し、
いただきましたよ。

こうして歩いたあとでしたら、
昼食はいつもうまいです。
さすがに、この時は電車で
移動だったのですが、
ちょっとビールを注文して
プハーと飲むには、
社会人みたいな人が多くて
抵抗ありましたね。

この後どこかのコンビニに
よって飲みましょう。

ここから帰るには、
せっかくですから難波まで
また歩いていきましょう。
歩いてみて分かったのですが、
大正と難波って意外に近いんですねえ。
プラプラと歩いていきますが、
あ、そうかあここの歩きは
マラソンコースと重なっているので
追加しておきましょう。



今日は16キロくらいは歩きましたね。

幸町1のところで南向いて
歩けばコースを稼げるのですが、
まあ今度にしましょう。

途中のコンビニでビールをかって
飲みながら、町の景色を眺めていた
のんきなおっさんのdoironなのでした。

続きは次の歩きの後で。


浪速の街をめぐるラン3

2019年11月25日 21時18分10秒 | ウォーキング

天神橋は松屋町筋の延長に
かけられる昔からの橋です。
木の橋だったものが明治時代には
鉄橋として掛けられ、
そして今は昭和9年にかけられた
コンクリート製の橋となっています。



ここらあたりはまだ4キロ手前で
疲れもない頃でしょう。

橋の手前右側に、昔の鉄橋に
かけられていた天神橋の
看板が立てられているのを見ながら、
気持ちを安らげてください。



天神橋をわたったら、
その先の「大阪取引所」の
交差点を過ぎていきます。



道は右に曲がったり
左に曲がったりするところですから、
効率よくコースをとっていきましょう。

古いビルが並ぶ道を少し行きますと、
今度はまた浪速三大橋のひとつ
なにわ橋を渡ります。

ここはまあ大阪女子マラソンの
コースと重なっていますね。



左右に阿形と吽形のライオンが
迎えてくれます。



渡り切ったら左折して、
大阪中央公会堂に向かって行きます。



かつてここで見た
3Dマッピング映像はよかったなあ。



ここをクニっと曲がって、



大阪市役所の北側を走り、
御堂筋へと進んでいきます。



その通りに出たところで、
ようやく5キロを迎えます。
まだまだですねえ。
先が長いですよ。

御堂筋をナンバに向かって
南下していきます。



まあここは応援が多い場所ですねえ。

本町、心斎橋を過ぎていきます。
あ、心斎橋って地名はわかりますか?
もともとここにあった
心斎橋をかけた人の一人が
「岡田心斎」さんだったわけですから。

そして遠くに高島屋が見えてきたところ、



「難波」の交差点を右折していきます。

右折してすぐ位のところが、
四国に首藤さんと通った頃に
帰りのバスが到着するところでした。

懐かしいなあ。

まだほんの少し前くらいの頃でしたねえ。

そしてここからはしばらく
doironも通ったことの無い道に
入っていきます。



湊町のビル群を抜け、
幸町1の交差点に出ます。

この時に左側にずっと続いて
見える浪速筋の道が、
この先で入っていくコースとなりますねえ。

でも今はまだ直進していきます。

さらに進んでいきますと、
道がまた昇り路になってきました。



大正時代にこの辺り非常に
活発だった船便の通行を
妨げないようにと作られた
日本最長のアーチ橋だった大正橋です。



今はつけ帰られていますが、
橋の根元には津波の記念碑なんかが



設置されています。



ここにきて見えるのは
その橋だけではありませんね。
大きくそびえる異様な物体。

そう大阪ドームです。

ここにも一度行ったことがありますねえ。
阪神戦でした。

そんな野球場のそばを通らせるのも、
この大会の趣旨のひとつですねえ。
また橋を渡り切ったところで
前方に見えてくるのが、
JRの大正駅ですねえ。

ああ、あの辺りは沖縄料理の
あるお店が並んでいましたねえ。

何度か行きましたが、
おいしかったなあ。
なんか沖縄料理って、大阪だったら
厭世観がありますよねえ。

観光的にも楽しい所だし、
マラソンやトライアスロンなんかの
開催がされるところで、
気持ちはビューンといい方向に
転がっていくような気がします。

あ、でも大阪マラソンでは
そっちは通りませんよ。

大正橋の次には右折して、
かけた当時の町名である
岩崎町と松島町からつけられた
岩松橋手前でおり返します。



さすがにこの橋は大正橋より
小さいけどアーチ橋で橋脚がなく、
船の往来にも配慮されています。

コースはここから大阪ドームを
左に見ながら北向いて
進んでいくことになります。

大きなスーパーの横を通る
くらいのところで、マラソンの距離も
10km地点となりますね。

早い選手だと30分くらいで
通過しますね。
途中の制限タイムなんかが
よくわからないのですが、
関門が緩い所から、
最後尾はこの辺を2時間くらいで
通過となるかもわかりません。

続く


浪速の街をめぐるラン2

2019年11月24日 20時53分10秒 | ウォーキング

大阪マラソンはdoironが大会出場を
あきらめたころから始まってます。
なので出場はしたことがないですね。

でもまあ、周りの友達が
走ったりするので、
現場にはもう何回も行ってますので、
雰囲気なんかはよく知っています。

それがねえ、今年から大きく
コースが変わったようですね。
実際歩いてみてどんなコースなのか
見ておくことにしましたよ。

電車に乗って、今は大阪府庁の前
くらいまで来ています。



以前の大会だったらこの大阪府庁の
前あたりをスタートし、南向いて
走っていったのですが、
今回は北向いて走っていくようです。

きっちりしたスタート線はわかりませんが、
ほぼこの辺りから大手前高校を過ぎて、
直進していきます。



右に曲がって大阪城まわりに
入っていくんではありません。
このまままっすぐに、
京阪本線に向かって行き、



そこを右折していきます。

寝屋川の橋を越えて右手に
大阪城を見ながら進んでいきます。



あ、ここの駐車場は大阪城が
見えることを売り物にしていますよ。

ちゃっかりしていますねえ。

マラソンもここらで
1キロくらいでしょうか。

ここらくらいまで来たら、
周りの圧力はかなり減って
くるでしょうねえ。

歩道には、大阪の歴史関連場所を
めぐるタイルが埋められていますが、



この目的は大阪城なんでしょうねえ。



片町という交差点に来たら
今度は左折していきます。
民間の迎賓館の立派な壁を
左に見ながら次の東野田町の



交差点をまた左折です。



道は広くて走りやすいでしょう。



あ、こんなところに
トライアスロンスクールがありますよ。
何を教えるのかなあ。

水泳の仕方、自転車の買い方、
トランジッションの仕方、
ああそんなのみんな自分で学んだなあ。
まあ多分練習方法とか
教えてくれるんやろなあ。
なんかもうその辺もとても
懐かしいですねえ。
ま、そんなことは言ってられませんね。
このあたりはまだまだ序盤。
桜の宮橋の上へと上がっていく
登り道もまだまだこの辺は
平気で走れるはずです。



橋は大川の上にかかります。





5年くらい前に大阪八百八橋を
巡ったという歩きで、
この下を通りましたねえ。



左に見えている「みゆき橋跡」は
造幣局へ地金を水運で搬入させる
掘割に架かっていた橋の跡でしたねえ。
そうです、橋を渡ったところに
あるのが造幣局です。



そこには造幣局製造品販売所がありますが、



このレースの日は休みかなあ。
まあ、皆さんもうお金には
見飽きているでしょうから、
何も気にせずに橋から下っていきましょう。

そうそうこの日は何かあったのかなあ。
ちょうどdoironが前を歩いているときに、
黒塗りの車が何台か入って行き、
造幣局の内部も何かあわただしい雰囲気で、
人々や警備員が動き回っていましたよ。

世の中の働いている人って大変ですなあ。

コース横はたくさんの樹木が
植えられています。
ここには「大塩の乱」で傷ついた槐が
あったところだそうです。



植えられた樹木がどれなのかは
わかりませんでした。
その先でコースは東天満の交差点に出ます。



この辺から周りはとても
賑やかな感じになってきます。
だいぶ大阪市内に入ってきたぞ。
中盤かなッと思ってはいけませんよ。
まだまだ三キロくらいですから、
いよいよこれからって感じですよ。

さらににぎやかな通りを、
西向いて進んでいきますと、
左の奥に天満宮が見えてきます。



このへんもかつてかなり歩きましたねえ。
土地勘が戻ってきます。

天神橋筋商店街をこえ、





南森町の交差点に出たら



左折して南下ということになります。



道は少しずつ登っていくようです。
橋を渡るわけですね。
浪速三大橋といわれる
天神橋をわたっていきます。

続く


浪速の街をめぐるラン1

2019年11月23日 20時44分41秒 | ウォーキング

最近doironは自分が住んでいる
市の広報の仕事をいくつか引き受けて、
仕事というにはあまりにも
頼りないボランティア的な
取材なんかにいそしんだりしている。

まあこういう仕事は現役時に
やっていた仕事なので、
あまり負担はない。

地方自治体には市民への広報
並びに市民からの広聴という
こういう仕事は必須なのだ。

これは市町村だけでもなく、
都道府県といった単位でも
それぞれの仕事の濃さの違いは
あるが同様について回る。

市町村では市民への様々な
通知という形で広報紙を
作成しているのと同じように、
大阪府なんかも月に一度
広報紙を作成し、新聞の折り込み
という形で府民へ配布する
ことで広報業務を推進している。
そんな配布方法にも
いろいろと課題はあるんですよ。
大阪府のように新聞折込という形で
配布する方法や業者が有料で
配布する方法、それから
町会単位なんかで件数を
まとめて配布している方法
などがあります。

我が市の配布はなんと職員が
町会をひとつひとつ車で回って
町会に配っているんですよ。

でもそんな広報紙でも
届かないところもあるのです。
そんな人のために町会に
入っていない人には、
要望に応じて郵送したり、
できるだけ多くの場所に
広報紙を置いておき
どこでも手に入るように
しておくというのが現状だそうです。

まあこの辺のところは、
市民からの要望がいろいろ
あったところだし、
議会の委員会なんかでも
かなり発言した記憶がありますので
「じゃこれについて」と
書きだしたらきりがないですねえ。

今日のテーマはそういうことでは
ないのでいったん置いておく
ことにしましょう。

そう今日のテーマは大阪マラソンです。



今回の府政だよりで見つけたのが、
その大阪マラソンのコースが
変更になったというニュースでした。

行政の硬いニュースが多い中で、
こういうニュースは
ほっとしていいですねえ。

でもねえ、これにも行政の
いろんな思いがあるんですよ。

マラソンなんかを市民にはやらせて
健康にして医療費を安く上げようとか、
名所の周遊を増やして
観光化を一層図ろうという
そんな魂胆がね…。

ま、もういいか。

この大阪マラソンは友達も
たくさん走ったりするので、
大きな地図も一緒になっている
記事を利用して、大阪市内を
事前に歩いてみるのもいいかなあ
と思い、今回の歩きを
実行することにしたのです。

まあ各地を歩くのも
いろんなところに出かけましたねえ。
なのでもうなかなか新たなところに
歩きに行くというのも、
コースが少なくなってきました。

従ってこんな風に泉州マラソンや
甲子園マラソンのように
テーマをマラソンに決めて、
そのコースを歩くというのを
この頃はよくしています。

自分の走ったところも
やってみたいのですが、
まあとりあえずは有名な
マラソンコースも押さえて
おかなくちゃと思ったりしているのです。

その大阪マラソン、
スタートは大阪城公園です。
歩くのならやはりスタート
地点からがいいですね。

では電車に乗って出かけて
みることにしましょう。

まずはJRで天王寺まで行き、
そこから谷町線で谷町四丁目を
目指します。

当日受付とか荷物預けは
大坂城の東側にあるのかなあ。
もしそうだったら
JRで森の宮あたりを
目指すのですが、
まあここではコースを中心に
考えて移動していきましょう。

大阪マラソンの開催日は12月1日。
大阪城公園は紅葉も
見ごろになっているころかも
しれません。

谷町四丁目から、NHKの建物、



大阪府警本部の建物が連なっている、
上町筋に向かいます。



すぐに大阪城公園の緑や
城跡なんかも見えてきますね。

このあたりがスタート地点に
なるのですね。



ではコースに入っていきましょう。

続く


軽自動車のプレートナンバー

2019年11月22日 21時08分53秒 | 最近の出来事

昨日の国歌に続いて、
最近気になることがもう一つあります。

それが自動車のプレートナンバーです。

doironの車のプレートナンバーは、
今度の新しい車も「123」です。
多分これからもずっとこの
ナンバーが続くと思います。

我が村には、なんか3桁の
こういうナンバーを付けている
車が多いです。

122は誰々、133は誰々、
321が誰々ともう決まっています。
doironの123ももうおなじみです。

でも気になるのはそういうことではなくて、
最近いつも軽自動車を買っている人の車が、
白ナンバーなのです。

軽自動車って黄色のナンバーですよねえ。
白ナンバーは普通乗用車。
え~あのメーカーがこんな軽自動車みたいな
普通車を出したのってずっと思っていました。

街を走っているときでも、
最近よくこんな目にあいます。

ミセスの車にそっくりな軽自動車でも
白ナンバーが付いているのです。

え~それってひと回り
大きいのだろうか、
それともエンジンを
大きくしているのだろうかと
運転しながら悩んだりしています。

そんな風にウ~ムと疑問がつのるので、
もしかしたらと思って調べて見ました。
するとどうやら、最近は
軽自動車でも白ナンバーを
付けていることがあるそうです。

それが東京オリンピック、
パラリンピック応援プレートだったり、
ラグビーワールドカップ協賛プレート
といって、オリンピックマークなんかが
印刷されていたり、
ラグビーボールが印刷されて
いたりするプレートです。

これらのナンバーが7000円ほど出せば、
それにすることができるのです。

これは衝撃でしたねえ。
世の中そんな風に仕組みが
変わっているんやと、
とっても驚きました。

こうすることで何があるんや
といってもメリットはないですよねえ。

例えば軽自動車の通行料の
安い高速道路だったら、
ETCなら自動で判断できるけど、
そうで無ければ交通運賃の徴収する人に
「軽自動車やで」といった方が
いいかもしれません。

パーキングだと、これも人間の管理人が
いる所だったら「軽自動車」です
といわないと誤解を招くだろう。

他にもデメリットはあって
このプレートナンバーの
ナンバー部分の印刷が
これまでのものと違って
簡単なものなので、
傷がついたりする恐れも
多いのだそうです。

まあ知らない人の間では
多分に誤解を招くでしょうねえ。

あえてメリットといえば、
7000円もかけてナンバープレートを
変えているんだぞ
というような意思を
示すことぐらいでしょうか。

doironも年を取って、
車の運転もなんかすぐに
目に疲れが出てきそうな
感じがするもんね。
運転にも気を付けないと
いけないけど、周りの車の
そんないろんなルール変化にも
きっちり対応しておかないと
いけないなあ、なんて
考えている今日この頃です。


前奏有り?さざれ石は?

2019年11月21日 21時11分12秒 | 音楽

時代が令和になって、
それに関する皇室の行事が続きました。
天皇陛下も忙しいのやらおめでたいのやらと、
大変な日々をお過ごしに
なられたんでしょう。
明日からは伊勢におまいりに
なられるようです。
行事以外ではしっかりからだを
やすめてくださいね。

そんな数々の行事の中で一つだけ、
ん?と思われることがありました。
それが行事の中で流れる国家「君が代」です。

そこに流れる君が代はほとんどが
(ていうか全部見ていないのでほとんど、
なんですが)前奏なしの君が代です。

でもねえ、場合によっては
表彰式とか大会の始まりとかに
前奏付きの君が代が流れたりする場合も
ありますよねえ。

それってどっちが正解
って思いませんか。

まずそのことを法律で決めているのが、
「国旗及び国歌に関する法律」です。

それによると国歌は君が代で、
その歌詞はこうでメロディはこう、
と書かれてあるが、
何で演奏されてとか言うのもないし、
もちろん前奏についての記載もない。
唯一条例としてある大阪府、
大阪市の条例にもそういう
記載はないだろう。

国家としてどう思っているかというと
法律にない前奏があっても
そこまでは法律違反といえないだろうと、
内閣府の担当者も答えているそうだ。

前奏があると、みんなで歌うときに
キーを合わせやすくて
便利だという。

確かに相撲の優勝旗を渡す時の君が代も
「前奏に続いて皆さんで」と
放送をしているようだ。

サッカーも国内で開催される試合の
最初に歌うときには前奏がついていたりする。

まあそんな風に用途に合わせて、
前奏が流れたりするわけですね。

だったらやはり演奏の前に
前奏付きって聞いて
おきたいですよねえ。

前奏あるのにいきなり「君が~」と
歌い始めるおんちなおっちゃんも
いてるかもしれないもんね。

まあ前奏についてはそんな感じで
許されてはいるところです。

さて、その君が代の歌詞なんですが、
これについても考えてみましょう。

これは誰が作詞者かといいますと、
10世紀の古今和歌集に乗っている歌で、
なんと詠み人知らずの歌なんだそうです。
なんとも変な話ですねえ。
たまたま詠んだ歌が国家になった
なんて知ったらその人は驚くでしょうね。
まあ少しその歌がもとになって
少し変えられています。

もともとは歌詞の出だしは
「我が君は」だったのですがそれが
「君が代は」になっているそうです。
これは世界で最も短い国家
といわれているそうです。

君が代は~の君は
すべての人に当てはまる言葉で
奉祝の歌ともいわれています。
ふーんそうなんですねえ。

でもねえ、その歌詞の中で
もうひとつ気になるものがありますよね

「さざれ石」です。

さざれ石とは、もともと小さな石の
意味なのですが、長い年月をかけて
小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム
(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、
1つの大きな岩の塊に変化した
「石灰質角礫岩」を指すものといわれています。

なんか表面がごろごろした岩ですね。

こんな感じ。



これはねえ下鴨神社にあったもの。
doironの歩きの中ではほかにも
橿原神宮や



伊勢の二見浦なんかに
「さざれ石」と書かれて
展示されていましたね。

堺の村中にも転がっていました



またこれは道明寺の
さざれ石です。



こうしてみたらdoironのコレクションも
結構充実してるじゃないですか。

ネットで調べてみたら、
最近行った山科の勧修寺にもあるそうです。
これは撮れていません

君が代は、
その石がどんどん小さな石を
含んでいっていわお(巌)となって行き、
苔が蒸すまで残ってめでたいめでたい
というような意味なんですねえ。

まあ世界一短い国家にも
調べてみたらいろんなことが
あるもんでしたねえ。

はたして東京オリンピックでは
どうなるんでしょうねえ。

前奏があるのか、ないのか。
もしかしたら演奏の楽器なんかも
変わるのだろうか。

来年はその辺もちょっと
注目しておかないといけませんね。