ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東急大井町線途中下車(12) 戸越公園駅 その2

2015年09月07日 08時00分00秒 | まち歩き

戸越公園駅でドアカットが行われていたことの痕跡を見た後は、周辺を歩くこととします。

 心なしか、荏原町駅周辺より賑わいに乏しいような気もしますが、午前中という時間帯のせいかもしれません。また、中延駅の隣でもあり、二駅先が大井町ですので、仕方のないところでしょう。

 ここは駅の北口にあたります。戸越公園中央商店街、またの名を「とごし公園通り」と言います。範囲は、南が戸越公園駅1番線ホーム改札口から少し歩いて最初の交差点、北がひだまり公園のそばの交差点となっています。

 昼食時に近くなっていますが、まだ人通りは多くありません。右側の黄色い看板はパチンコ屋で、左側が餃子屋です。その奥が何であったかはよくわかりません。

 それにしても、この黄色は目立ちます。一瞬、ディスカウントショップかと思ったくらいです。

 ひだまり公園のそばの交差点を横断すると、戸越四丁目となり、商店街の名前も変わります。宮前商店街です。駅前よりもこの商店街のほうが、午前中でも人通りが多いようです。戸越銀座に近づいているからでしょうか。

 奥に見えるのは関東地方で時折見かけるオオゼキというスーパーマーケットです。川崎市内には店舗がないので、私にとっては馴染みがないのですが、品川区には戸越公園店、戸越銀座店、旗の台店、武蔵小山店、目黒不動前店(不動前駅は品川区に所在)があるとのことです。そう言えば、井の頭線の高井戸駅のそばにあり、最近、目黒区の碑文谷にも店舗がオープンしました。今回は戸越公園店をとらえたということになります。

 午後になり、夕方の買い物時になれば、もっと多くの人が通るでしょう。私が小学生の頃、駅前商店街を夕方に歩くとなれば、人をかき分けるかのように進まなければならないことも多かったことを覚えています。とてもではないですが、自転車ですいすい走ることなどできなかったのです。溝口や新城、元住吉がそうでした。

 このまま進めば、都内で最も長い商店街と言われる戸越銀座ですが、今回は目的から外れていますので、駅へ引き返し、南口を歩くこととしました。やはり、戸越銀座は、池上線の駅から歩いてみたいのです。

 とごし公園通りを進み、駅のそばの踏切を渡り、最初の四つ角を進めば、そこからが戸越銀座駅南口商店街となります。北口より南口のほうが賑わっているように見えます。また、店舗の様子なども違うようです。

 右側の黄色い看板は、パチンコ屋です。北口とは店の名前が違いますが、同じ経営者なのでしょうか。

 商店街から脇道に入るとイトーヨーカドー戸越店がありました。溝口や小杉ではおなじみのスーパーマーケットですが、最近のセブンアンドアイホールディングスのロゴではなく、従来からの鳩(?)のマークです。この近所では大井町駅前に大きな店舗がありますが、こちらもお客は多いのでしょうか。

 地図を見る限りでは、この道を進めば西大井駅に行けるようですが、御覧のような細い道が入り組んでいるのが荏原地区ですので、迷うかもしれません。馴染みのない場所なので、見合わせました。

 この商店街のマスコットキャラクターです。公式サイトを見たら「べんてんやみなみちゃん」と名付けられていました。もう一種類、「りゅうのしん」というキャラクターがあり、御丁寧に鎌倉時代からタイムスリップしてきたという設定がなされています。

 「ホッとすとりーと」、「ホッ…とすとりーと」という愛称が付けられています。職場や学校から帰ってくる途中にここを歩いているとホッとする、という意味なのでしょう。Hot Streetでは訳がわかりませんので。

 左手前に交番が写っています。この商店街は、交番の手前にある交差点で終わっています。この先にも商店街は続いているようですが、ゆたか商店会に変わります。豊町五丁目に入る訳です。

 このまま歩いて行けば二葉三丁目に行き着きます。西大井駅の近くです。横須賀線の駅で、湘南新宿ラインも通るのですが、たしか湘南新宿ラインの電車は止まりません。品川区内で孤立しており、便利なのか不便なのかわかりません。

 川崎市内の商店街には真っ直ぐな道が多いのですが、都内はそうでもないようです。戸越公園駅南口商店街も、道が所々で曲がっています。大山駅の西口を歩いているような気分にもなりました(大山のほうはアーケード街です)が、荏原町駅前の商店街なども同様でした。

 さて、ここでもう一度、戸越公園駅で行われていたドアカットの痕跡を見ておくこととします。「東急大井町線途中下車(12) 戸越公園駅 その1」では1番線溝の口方面ホームのほうを取り上げましたが、もっとわかりやすいのが2番線大井町方面ホームです。御覧の通りで、ここに踏切があったことは一目瞭然です。

 かつては駅の向こう側まで通じていた道路ですが、今は行き止まりとなっています。

 つい2年半ほど前まで、踏切の上に電車が止まっていた訳です。初めて見た人は奇異に思ったことでしょう。オーバーランをしているように見えるのですから。電車に乗った際にはもっと奇異に感じられました。踏切の上に電車が止まって、扉は開かないし、その割には急ブレーキがかかった訳でもないし、何秒か経つと何事もなかったかのように次の駅へ走って行くのですから。

 ちょうど、1番線にG各停(緑各停。田園都市線の二子新地および高津に停車しない)の溝の口行きが到着していました。車掌が立っている場所には、車掌専用のホームというようなものがありました。お立ち台という通称もあります。車掌が業務のために使用するものであり、扉は開かなかったのです。

 現在は5両編成の全てのドアが開きます。右側の2番線ホームを見ると、奥のほうと手前のほうで構造が異なっており、手前のほうが後から付け足されたことがすぐにわかります。

 写っている車両は、東急で最初に新車としてVVVF制御を採用した9000系の9003Fです。かつて、9000系は東横線の主力で、8両編成でした。ただ、9007Fだけは最初から5両編成で大井町線を走っていました。東横線が副都心線との直通運転を開始することとなり、段階的に全ての編成が大井町線に移り、5両編成化されました。今や大井町線の主力です。

 当初、9000系は目黒線と南北線との直通運転を念頭に設計されたのですが、結局、目黒線および南北線で運用されることがなく、副都心線にも乗り入れなかったのです。

 現在、VVVF車があちらこちらで運用されていますが、その始めは1980年代です。今となってはにわかに信じられないかもしれませんが、東急で最初にVVVF車が運行されたのは大井町線で、初代6000系を改造した車両が試験として運用されていました。これは首都圏で最も早い例と言えます。その後、初代7000系を改造した7700系、7200系を改造した7600系(今年、東急線での運用を終えました)も、大井町線で運用が始められたのです。もっとも、界磁チョッパ制御車が長く用いられてきたのも大井町線で、8090系および8590系が引退したのは2013年5月のことでした。現在は8500系の5両編成4本が運用されています。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東急大井町線途中下車(12)... | トップ | 東急大井町線途中下車(13)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まち歩き」カテゴリの最新記事