ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

南阿蘇鉄道高森駅

2013年06月27日 00時18分39秒 | 写真

〔以下、「待合室」第113回(2004年10月1日~8日)の再掲載です。一部を修正しました。なお、写真の撮影日は2003年3月23日です。〕

 完全に逆光になってしまいました。九州山地は阿蘇山の南側、南阿蘇の高森町にある、南阿蘇鉄道(旧国鉄高森線)の終点、高森駅です。

 写真に撮影日(2003年3月23日)が入っていますが、今回はデジタルカメラではなく、アナログの一眼レフで撮影したものをスキャナで読み取っています。

 この日は、朝早く起きて、自家用車で熊本へ行きました。夏に集中講義を行う予定の熊本県立大学に下見をしに行ったのです。場所を確認し、上熊本駅や水前寺公園をまわってから大分に帰る途中、高森町に出てみた訳です。

 初めて訪れたのは1998年12月19日のことで、この日は、まず大分駅から特急電車に乗って延岡へ出て、市街地を歩いてから高千穂鉄道で終点の高千穂へ出ました。それから高森駅行の最終バス(と言っても15時台。宮崎交通。既に廃止されたようで、現在では延岡駅から熊本駅までの特急バスしかなく、高森駅に入らないようです)に乗って高森へ出たのです。しばらく歩き回ってから南阿蘇鉄道で、スイッチバックで有名な立野駅へ出て豊肥本線に乗り換えて帰りました。 高森から豊肥本線の敷戸(大分大学在職中の最寄り駅)までは100キロメートルに満たないはずですが、高森駅を離れたのが17時半頃、敷戸駅に着いたのは22時過ぎでした。

 それから5年が経っていました。そして、高森駅を訪れたのは(現在のところ)2003年3月23日が最後となりました。

 ホームの外にある駐車場からズームをきかせて撮影しました。南阿蘇鉄道の気動車、MT3000形で、1993年に登場しました。右側の奥にあるモスグリーンの車両もMT3000形ですが、3010という番号がついており、こちらは宝くじ号という愛称もついて、1998年に登場しています。左の奥には、開業以来のMT2000形がいます。

 南阿蘇鉄道は、国鉄高森線でした。1928年2月12日、現在の豊肥本線立野駅から高森駅までが開業しました。阿蘇山の南のほうを走っていたのですが、乗客が少なく、国鉄再建法の下で廃止路線の一つとなりました。熊本県はバス転換の意向をもっていたそうですが、地元の町村が鉄道の存続を主張し、第三セクターとして1986年4月1日に国鉄から転換しました。

 上の写真の左側が立野方向ですが、裏には駐車場とバス停があります。その奥のほうに 、新しい高森駅の建設予定地があります。実は、国鉄時代に熊本から延岡まで鉄道を通す計画があり(鉄道敷設法にも規定されていました)、高森線はその一部でした。延岡からは日之影線が開通し、昭和47年には高千穂まで延長して高千穂線に改称、その後も高森まで建設が進められましたが、高森駅から近い箇所で昭和48年よりトンネル工事が進められていたところ、昭和50年、地下水脈にあたって異常出水事故が発生しました。これは高森町の飲料用水などにも甚大な影響を及ぼすほどの災害で、結局、工事は中断し、その後には国鉄再建法の下で工事自体が中断されました。現在、トンネル工事の跡は高森湧水トンネル公園として残っています。高千穂側には橋やトンネルなどがありましたが、一部を除いて解体されたそうです。

 それにしても、昭和40年代の赤字ローカル線廃止論議は、今みてもおかしなものです。国鉄の赤字が拡大したため、国鉄が赤字ローカル線の廃止を打ち出したのですが、一部の路線が廃止されたのみで、ほとんどが生き残りました。この時、日之影線、高森線も廃止路線として指定されたのですが、延長工事が行われており、日之影から高千穂までが開業してしまうのです。廃止が議論されている中で延長路線が建設されていた訳で、同じような例の代表としてJR西日本の可部線があります(可部から加計までの廃止が議論されていたのに、加計から三段峡までの建設は進められ、開業しました。結局、2003年11月30日をもって可部から三段峡までが廃止されました)。

 高森駅のホームの裏には駐車場とバス停があります。そのあたりに、この高森線を走ったという蒸気機関車、C12の241号機が保存されています。 ちなみに、立野へ出れば、豊肥本線で8600が牽引するあそBOYをみることができます(時期と曜日に注意して下さい)。南阿蘇鉄道にはトロッコ列車も走ります。

 【改めて注意! この記事は、2004年10月1日現在のものをそのまま再掲載しています。】

 また、逆光になっていてあまりきれいに写らなかった高森駅の駅舎です。立野を除けば、駅員がいる駅はここだけのはずです。中にはお土産屋などがあります。 以前訪れた時は、この中で発車時間まで待っていました。

 ここから高千穂までは、車でも1時間以上かかります。駅のそばの道を走るとすぐに急な坂があり、それを登っていって高森峠を越えるのですが、九州山地の中ですから、道も真っ直ぐには敷かれておらず、雨の日などにはかなり走りにくかったことを覚えています(冬季、降雪で通行止めになるのでしょうか)。集落もそれほど多くありません。

 駅前にはあまり商店がなく、車で少し走ったところ、国道沿いに比較的大きな規模の商業施設が点在していました。しかし、阿蘇の北側と異なり、南側は閑散としています。程度の差と言われてしまえばそうなのですが、南阿蘇の場合は、やはり過疎地域の空気が強く感じられます。

 ここから大分まで帰ったのですが、国道265号線で宮地へ出て国道57号線に入り、滝室坂を登ればよかったのに、箱石峠の手前で波野村経由で荻町までの近道に入りました。地図に掲載されている県道ですが、途中から道が狭くなり、暗くなってきたこともあって、かなり運転しづらかったことを覚えています。竹田市に入って国道57号線に入ったのですが、近道をしたはずが相当の時間を要しました。地方の場合、県道でも注意が必要だということを改めて実感した次第です。

 ここで、写真を追加しておきます。


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