ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

吉都線100周年の記事に見る、ローカル線の問題

2012年10月05日 22時54分50秒 | 社会・経済

 新聞社のサイトには地域面のニュースも掲載されていますから、神奈川県に住んでいながら宮崎版の記事を読むことも可能です。新聞紙だけでは無理ですので、便利なものです。

 さて、10月3日付で、朝日新聞宮崎版に吉都線関係の記事が掲載されていることがわかりました。デジタル版では「『小林市の未来へレールを』 吉都線100年祝う 宮崎」という見出しが付けられています(http://digital.asahi.com/articles/SEB201210020010.html?id1=2&id2=cabcbaad)。過疎とローカル線の問題を一緒に考えるにはうってつけの記事とも言えます。

 吉都線は、肥薩線との乗換駅である吉松(鹿児島県)から、日豊本線との乗換駅である都城(宮崎県)までのローカル線です。歴史はかなり複雑で、1912年に、宮崎線として、当時の鹿児島本線の吉松から小林までが開業しました。その翌年に小林から都城までが開業するのですが、建設はさらに進み、当初の線名の通り、宮崎まで延長します。この頃から宮崎本線と称されています。1923年、小倉~吉松が日豊本線となります。つまり、吉都線はかつて日豊本線の一部であったという歴史を持っているのです。この点は、かつて東海道本線の一部であった御殿場線や、長崎本線の一部であった佐世保線の肥前山口~早岐、同じく長崎本線の一部であった大村線とよく似ています。

 1932年に都城~隼人(西都城、霧島神宮経由)が開業したことにより、吉松~都城は日豊本線から切り離されて吉都線となりました。ついでに記すならば、1927年、八代~人吉~吉松~隼人が鹿児島本線から切り離され、肥薩線となっています。鹿児島本線のルートが変更されたのは、人吉~吉松で急勾配が連続するためでした。肥薩線となってからは純粋なローカル線となり、人吉~吉松は一日の本数が僅か5往復程度という閑散区間で、よくぞ廃止されなかったと思うのですが、九州新幹線の開業に伴い、鹿児島本線の八代~川内がJR九州から切り離されて肥薩おれんじ鉄道に移管され、ローカル線の肥薩線がJR九州に残ったというのも、皮肉な話です。

 肥薩線にも触れたのは、九州自動車道および宮崎自動車道という強敵がいるからです。吉都線と肥薩線には特急おおよど号も走っていたのですが、自動車社会の進展のために廃止されています。単線非電化の吉都線と肥薩線では、スピードアップを図るにも難しく、高速バスや自家用車に輸送量を奪われるのも当然の成り行きでしょう。いまや、吉都線はJR九州で最も輸送密度が低い路線となっています。国鉄最後の年度である1986年度には1338人であった輸送密度が、2007年度に576人にまで落ち込んでいるのです。もっとも、1338人という数字でも、国鉄時代の末期であれば特定地方交通線に指定されてもおかしくありません。廃止されなかったのは、何らかの除外要件に該当したからではなかったでしょうか。

 また、九州新幹線の開業が、吉都線に悪い影響を与える可能性も否定できません。新八代駅から宮崎駅方面へのバス路線が開業しているからです。当然、九州自動車道および宮崎自動車道を経由することになる訳で、人吉IC、えびのIC、小林ICにも停車します(但し、えびのICを通過する便もあります)。宮崎交通のサイトによると、新八代駅から宮崎駅まで2時間15分ほど、片道4150円です。新幹線およびバスの往復運賃は、福岡市内から宮崎駅まで1万円です。本数は、宮崎交通、JR九州バス、九州産業交通を合わせて16往復です。現在の吉都線および肥薩線では太刀打ちできないでしょう。

 以上のような状況の吉都線ですが、今月1日、吉都線開業100周年および小林駅開業100周年の記念行事が小林駅で行われました。この駅は、同線の途中駅では唯一の有人駅です。上記記事ではあまり詳しく書かれていませんが、1984年に吉都線の利用者が一日平均で3364人であったのに対し、2009年には1689人となっている旨が示されています(輸送密度ではないことに注意が必要です)。

 九州内の鉄道路線も随分と利用しました。福岡県、佐賀県、長崎県および大分県の鉄道路線は、ケーブルカーやロープウェイなどのような特殊なものを除き、現在営業中のものについて全て利用しています(このうち、佐賀県と長崎県については、今年の集中講義期間中に完乗となりました)。JR九州の路線では、肥薩線、吉都線、日南線の田吉~志布志、指宿枕崎線の山川~枕崎を利用したことがないのですが、どの路線・区間も本数が少なく、不便であるためです。大分県に住んでいた頃には、九州島内を車で走り回ることが当然という状況でした。鉄道路線を利用したくとも、本数が少ない上に時間もかかり(自家用車のほうが速いという場合も少なくないのです)、おまけに乗換駅での接続が悪いときては、利用するのをためらいます。

 ローカル線の問題については、折りに触れて、今後も取り上げていきます。


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