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一日一句(3116)


御所内中山邸跡






冬紅葉奥のひかりの美しき






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一日一句(3115)


石薬師御門近く






西方のひかり射しけり冬紅葉






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往還日誌(112)







■11月28日、火曜日、快晴、断食、16時間。寺町御門から。

仕事の前に、メモ用紙として、バインダーに挟んだ昔のA4の紙の表に、10年前に書いたたくさんの詩が出てきた。2014年は、ちょうど、千葉の住居が放射能のホットスポットになったため家族と別居していたのを、埼玉で解消した年だった。

あれから10年。ふたたび、京都とさいたまに分かれて住んでいる。

現代の家族は、ひとつの実験だと私は思っている。現代は、多様な家族のありかたをしており、これまでの家制度や高度経済成長期における核家族のように、おもに、女性にしわ寄せながら、息を詰めるようにして、抱え込んできた諸問題が、家族ごとに、解き放たれて、多様な形で表れている。こうした諸問題が出てくることが可能になった。

家族ほど、掛け値なしで様々なことが問われる場はない。それにどう対応するのか。家族が本来持っている良い点を実現しながら、時代や家族のライフサイクルに合わせて、家族自体をアップデートしていく努力が、求められるのだろう。その意味で、「ひとつの実験」なのである。あらかじめの答えはないし、あると考えると実験は失敗する。あるとすれば、幸福の実現だけである。

40年前に、音楽雑誌か何かで、トルコのGülsin Onayという女性ピアニストを知った。このOnayという音は、トルコ語のネイティブが発音すると、文中では、「オネイ」、文頭では「オナイ」と聞こえる。これは、私の漢字の姓の音と同じである。私の姓は、普通の姓のように、表意文字ではなく、音が最初にあり、それを漢字音で表現したように思える。

アルファベットのスペルも、ほとんど同じである。

この一致を非常に不思議に思ってきた。

Onayという言葉は、トルコ語で、「同意」や「承認」を表す。英語のYESに相当する非常にポピュラーな言葉である。つまり、この言葉は相当に古い起源を持つと想像されるのである。同意と拒否は、どの言語でもコミュニケーションの基本だからだ。

トルコでは、このOnay姓の人は一般的で、ポピュラーな姓らしいことがわかってきた。

もっと、驚くのは、この姓は、ギリシャやルーマニア、アゼルバイジャンなどにまで広がっているらしいのである。つまり、トルコ系文化がありトルコ語を話す人々の存在する国に、広がっているらしいことがわかってきた。

偶然、私の姓と同じ音だったせいで、興味を抱いたわけだが、これが単なる偶然なのか、トルコと何らかの結びつきがあるのか、よくわからない。

きょう知ったのだが、あの唐の玄宗皇帝の政権はトルコ系で、楊貴妃はトルコ系だったようなのである。そこから考えると、トルコ系が日本に渡った可能性もないことはないだろう。

Gülsin Onayさんのおかげで、トルコにたいへん興味を持っている。とくに、トルコ文化の広がり方に。



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一日一句(3114)


寺町






ふし多き床に玉ねぎごろりかな






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一日一句(3113)


丸太町





風まかせ遊び心の落葉かな





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往還日誌(111)





■11月25日、土曜日、賀茂大橋の夜の雲

午前中、ルソーを原文で読む会。ところが、21日に帰洛してから、パソコンのルーターの調子が悪く、アップロードもダウンロードもほとんどできない。とくに画像や映像などの大きなデータはぜんぜん動かない。なので、中止となり、12月に忘年会を兼ねて対面で行うことに。仕事にも支障が出ており、困っている。月曜日に、J-COMに修理に来てもらう。J-COMにしてまだ1年も経たないのに、ルーターを交換するのは、これで2回目である。

午後から、京都大学の益川ホールで、トルコ系ドイツ人のオヌル・エザータ弁護士連続講演会「〈ホームランド〉をレイシズムから考える」があった。

出かけるとき、京都の時雨にあった。今季初。少しうれしかった。



2000年から2011年まで、なんと、10年以上に渡って、ドイツ全土で起きたトルコ系住民に対するヘイトクライム殺人、いわゆるNSU(国会社会主義地下組織)事件について、エザータ弁護士は語った。彼は、この事件の被害者の弁護人を務めた。殺人の被害者は計10人、そのうち、トルコ系が8人、トルコ系と間違われたギリシャ系が一人、ドイツ人の婦人警官が一人である。

この講演で明らかになったのは、トルコ系住民の被害者とその遺族が「被害者として存在できない」ようにさせている制度的差別の存在だった。

驚いたことに、司法制度を担う警察・検察・裁判官といった人々が、制度の側にあらかじめ埋め込まれている「客観的差別」と、それの主体の側の対応である「主観的差別(差別意識・偏見)」によって、被害者を被害者として認知しない状況が生まれていたのである。

たとえば、被害者トルコ系住民の一人、エンファー・シムセーフさんは、2000年9月に殺害されている。このとき、警察の主張は、1.シムセーフさんがマフィアだったから麻薬取引に関連して殺された、2.PKK(クルディスタン労働者党)の支援者だったから殺された、3.妻が殺した、4.浮気による殺人だった、という5つの説を主張したのである。エンファー・シムセーフさんは、花屋かな、なにか商店を営む一般市民だった。

実際、この説に依拠して、警察は、家に、麻薬犬まで投入して捜査している。さらには、警察が遺族の電話を盗聴したり尾行までしているのである。

ここだけ聞くと、ドイツ警察はとんでもない差別と偏見で捜査していると、その特異性に目が向くが、実は特異ではない。宇治ウトロのヘイトクライムである放火事件のときも、初動捜査では、日本警察は、ウトロ住人による盗電や漏電、あるいは内輪の喧嘩が原因だと決めつけて、犯罪の本質である「ヘイトクライムによる放火」を把握できなかった。

NSU事件もウトロの事件も、犯人が名乗り出てから、本当の捜査が始まっている点でも共通する。

つまり、NSU事件もウトロの事件も、犯人が名乗り出なければ、被害者に対する「制度的差別」の機構が作動して、単なる漏電事故や浮気のもめごと、などで終わっていたのである。

逆に言うと、この「制度的差別」の機構は、常に、働くので、これまで、差別を受けてきた人々に着せられた「冤罪」や「誤罪」が存在したことは、確実であり、今後もその可能性がある、ということである。

ドイツにおいては、この対策として、警察官への人権教育プログラムが、行われているという。オヌル・エザータ弁護士も、このプログラムに関わっている。

日本の法執行機関の人権教育はどうなっているのか、もっとも知りたいところであり、とくに、警察と検察による「制度的差別」がひどすぎないか、袴田巌さん事件などを見ると、思う。

この制度的差別のロジックの一つとして、私が理解したのは、ドイツ市民社会において、人殺しはタブーであり、こうした連続殺人を犯すのは、ドイツの価値観から逸脱している。だから、犯人はドイツ人じゃない、犯人は、南欧州人やトルコ人やバルカンの人々だというロジックになっていく。

この偏見と差別に基づく犯人像形成のロジックは、洋の東西を問わない。

ここには、「真なるドイツ人」や「真なる日本人」という虚構が設定されており、ドイツ人なら、こんなことはしない、日本人なら、こんなことはしない、という裏返しの偏見がある。

怖いのは、こういうことを書いている私自身にも、そうした偏見は確実に存在し、たとえば、ATMをショベルカーで破壊して現金を強奪する暴力的な行為をテレビで観ながら、これは外国人の仕業だな、と家族と言いあったりする、ということである。

これは、偏見がある、ということ以上に、根深い問題が潜んでいるのではないか。

つまり、それは、アイデンティティの問題であり、その裏側にある排除の問題であり、同時に、国家の問題でもある。

国家は国家利権村を官僚機構や政権、大手メディア、大企業などが中核となって構成し、国家利権村が国家を名乗っている。そこにおいて、アイデンティティ操作と情報操作によって、国家統合を絶えず行っている。それが、国家全体の、というよりは、国家利権村の、利益になるからだ。国家利権村が国家の中核として、周辺部を絶えず統合しながら周辺部を従えて、「日本人」や「ドイツ人」を再生産しているとも言える。

このとき、大切な視点は、一国家で完結した視点を取ると、現実の事態は見えないということだろう。植民地を内と外に抱えた国家の間の非対称的な関係性、そうした複雑なシステムとして、<アイデンティティ/排除、操作/国家統合>の問題を見ないと現実は見えてこない。ドイツなら、米国とイスラエルとの関係の中で、少なくとも、この問題を考えないといけないし、日本なら、米国に意思決定権を握られている現実から目をそらした議論は無意味だろう。

日本の天皇制が罪深いのは、アイデンティティ操作の強力な装置になるからだ。逆に言えば、排除と差別を再生産していく装置として、天皇家の方々の主観的意図とは別に、機能しているということである。難しいのは、だから天皇制を止めましょうと、単純には言えないところだろう。「止め方をテーマ化する必要」があるのだ思う。安倍さんみたいな人が次々に出てくる可能性も資本主義を前提にした民主主義にはある。

ちょっと、脱線したが、ジャーナリストの中村一成さんは、ウトロを例にして、社会的排除が、上下水道の不敷設などの不利益を生み、それが、台風や大雨などによる衛生環境の悪化を招来し差別意識を生むという悪循環が存在すると述べている。

つまり、この循環こそ、「客観的な差別」と「主観的な差別」を統合する装置なのである。

大切なことは、社会的排除がこの循環の起点にある、という洞察である。これが循環のエンジンであり、本質である。

アラブ文学の岡真理さんは、講演後のディスカッションで、津久井やまゆり園の植村聖が、現場に入って、ある一定の期間を経てから、あの事件を起こしたことに注目して、やまゆり園にも「制度的差別」が存在したのではないかと、指摘している。これは非常に重要な視点で、このときの「制度的差別」の内実の解明こそが重要な問題なのだろうと思う。

それはやまゆり園を成立させている法体系や厚生制度に内在している差別だけではなく、やまゆり園の労働慣行、職場習慣、労働観・世界観も、「制度的差別」という概念で議論できると思う。なぜなら、それは個人的なものではなく、「社会的なるもの」だからだ。

ただし、そこにおいて、介護者の世界が「加害的なもの」を持っていてたとしても、介護者も「被害者」なのだという二重の視点が必須である。この弁証法は重要だが、なかなか、語られない。

岡さんが、このやまゆり園の「制度的差別」に着眼したのは、放火事件後、ウトロの人々は放火犯にここへ来て一緒にごはん食べたらええ、そうすれば気持ちがわかると言ったという話に触発されている。やまゆり園の場合は、現実を知ることで殺意を抱くようになった。ウトロは現実を知れば、放火などする気が失せるかもしれない。どちらも、本当であるが、違いは、犯行主体の視点に立てば、そこが「労働の現場」であるか「生活の現場」であるかの違いだろう。

オヌル・エザータ弁護士の講演で、私がもっとも驚いたことの一つは、ドイツの「憲法擁護庁」の活動内容だった。私は、憲法擁護庁というのは、文字通り、ドイツ基本法を守るために啓発活動や人権プログラムなどを実施しているものとばかり思っていた。

ところが、ドイツの憲法擁護庁は日本の公安調査庁あるいは公安警察と同じで、一種の諜報機関となっている。しかも、極右と捜査情報を共有したり資金提供したりしているのである。

ありていに言えば、極右を守り利用している情報機関と言える。

憲法擁護庁はNSU(国家社会主義地下組織)に資金提供していた可能性が指摘されている。

このほか、ディスカッションで、オヌルさんの話で面白かったのは、ドイツにおいて、反ユダヤ主義は、それを表明すると、その場から、即、退場しなければならないが、反モスリムはエリートが持っていても問題とされない、など、ドイツ社会特有の差別の社会的な受け止め方の違いがあった。

さらに、極右の人々は、ホロコーストに対して、一方で、これを称賛し、他方で、ホロコーストはなかったといった反応が入り混じっていると興味深い指摘を述べていた。

AfDのビヨン・ベッケ党首は、ホロコーストはなかったと公言しているようである。来年2月のテューリンゲン州議会選挙では、ベッケ氏が州の首相になる可能性が高いという。

私は、今思索しているTB-LB theoryとの関りで、時間と空間の観点から、きょうのみなさんのお話を伺っていた。

その点で、中村さんが、ドイツの反差別法の問題として、過去との類似を基本とする認識に言及していた点が参考となった。たとえば、ハーケンクロイツを身に着けていることを処罰対象とするなどである。

また、社会的排除は「空間の問題」と関わっている。

その極限の形が、ガザの天井のない監獄であり、アパルトヘイトであろう。それは「スペシオサイド」と関わっている。時間の問題は、過去の抹殺である「メモリサイド」と関わっている。

そして、制度的差別は「習慣の問題」と関わり、習慣の問題は、行動と関わっている。

きょうはいろいろ有意義な時間を過ごすことができた。きょうの講演を踏まえて、12月の公開講座の発表へつなげていきたいと思っている。



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一日一句(3112)







にんじんあまし都会の孤独あまし






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往還日誌(110)






■11月21日、火曜日、快晴。京都の御所北東の夜の道。

午前中、仕事。午後、午後2時の会。夕方から京都へ移動。

東京駅で、焼き鯖寿司と、崎陽軒のシュウマイを買って、のぞみ車中で食する。焼き鯖寿司は弁当の中では、旨い方なのではなかろうか。

第4詩集『20の物と2つの場の言葉』の奥付を2024年3月3日とすることとした。第3詩集に合わせた。発行は、2月下旬くらいになるだろうか。あとは、第5詩集に向けて、ひたすら、詩を書いてゆく。

京都に出発する直前に、「GAZA―――今ここに『ある』こと   場の言葉4」に手を入れて、ver.3とする。無力である。その無力という力を陰画のように詩にするしか、今はガザに触れられない。





GAZA―――今ここに「ある」こと   場の言葉4




月は眠らない――GAZAは眠らない(海も陸も敵意に満ちてゐる――止むことのない瓦礫の崩落――空はひとつの偽りである。


月の光の中で、面のない人形たちが群れている。GAZAに言葉は届かない――悲鳴はいつも緑の箱の中に隠されている。


言葉を――透明な膜がかかった言葉を――ナイフで切り出す、
痛み――血――詩――もはや、それはひとつの翳りである。


――今ここに「ある」こと、
今ここに「ある」ことでGAZAとつながる――、
まだ、雪は降らない、まだ、月は上がらない。


私であることで「死」とつながり、
私があることで「生」とつながる。


hic et nunc hic et nunc


光であれ――――雪の、月の、



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一日一句(3111)







とりどりのセーター洗ふ雨上がり






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一日一句(3110)







一階の吼えたるごときくしゃみかな






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