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一日一句(3017)






存在の奔流として夏天あり








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一日一句(3016)






朝顔は階下へめぐり蔓二本






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一日一句(3015)






どこまでも真夏の一本道をゆく






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一日一句(3014)






底紅や一本道はだれもゐず






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一日一句(3013)






台所朝のトマトを丸かじり






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一日一句(3012)






底紅の宗旦ありし世界かな






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一日一句(3011)






ひんやりと一筋夜の汗ながれ






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一日一句(3010)






風鈴の乱れ打つたる外しづか






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往還日誌(66)






■午前中、RousseauのDu Contrat Socialの読書会。だんだん、分かってきたのは、ルソーは、理念と利害関係の2つの視座を確保しようとするが、思想の基本的発想は、プラトンのイデア論に近い、ということ。また、ルソーのテクストを、現代日本において、どのように機能させるべきか、という観点が、ルソーの翻訳には重要だろうということ。ヴェーバーの理念型のように機能させるとすれば、現代日本社会と比較可能なように翻訳することが条件になるだろう。

難しいのは、そもそも、社会科学の諸概念が、翻訳語として、明治時代以降、人工的に作られた、あるいは、その昔の言葉の焼き直しなので、存在と言葉の間に齟齬が初めからある、ということだろう。ただ、言葉の意味は、その使い方で決まるので、その概念の現代での使い方を見ることで、凡その存在は規定できるはずである。

朝、バナナケーキを作る。MOWを使用し、失敗に終わる。同時に作ったデザートのチョコレートムースは成功した。アイスと一緒に食べたことで、さらに美味になった。

午後、少し昼寝。夕方、買い物。夕食は、家で収穫したゴーヤを丸々2本使った豪快な料理を作る。ベーコンの代わりに、ツナ缶を使用。これは成功した。

食器洗い、ごみ捨てなど。

夜、ルソーの続きの読解を少し行う。

ニコの仕事も遅れており、ルカーチの締め切りも迫る。

早寝早起き、深呼吸、深呼吸。





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一日一句(3009)







電柱のうへは天のみ大暑かな






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