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一日一句(3139)







大年の茶漉し重なりゐたりけり






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一日一句(3138)







大晦日すべての柵は閉じられて






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一日一句(3137)







大いなる時が過ぎ越す冬木かな






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一日一句(3136)







鮟鱇のあるかなきかの聲聞ゆ






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一日一句(3135)







まぼろしの天に根を張る冬木かな






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往還日誌(118)






■12月30日、土曜日、快晴。

朝8時前に起きて、久しぶりに、近所を散歩した。寿広場では、5、6人の小学生がサッカーをしていた。この秋に伐採された青桐の奥には、ベンチが2つ置かれて、そこに座って中学生が、おにぎりを食べていた。

11月19日の市議会選挙でトップ当選したMちゃんの実家が和菓子屋さんなので、ふらりと立ち寄り、お母さんと立ち話をした。票を入れたひとは、みな、彼女の活動的な若さに期待してくれている、とお母さんは語っていた。私もその一人である。

日誌第125番の見直しをしつつ、未着手の作業をスマホにメモしている。以前は、行っていて、あまりにも、作業が多くなるので、止めてしまった年末の習慣を、往還生活を始めたことをきっかけに、復活させた。意外に重要な情報がフォローされていなかったり、仕事のヒントになるようなことが書かれていたりする。

しかし、見直すべき日誌は、7冊ある。しかも、1冊100頁である。全部はできないだろうが、過去を発掘する作業はとても面白いのは確かだ。日誌は、あくまで私的な記録にすぎないので、過去に書いた事柄に、現在から、色を変えたペンで、応答したりしている。それもまた、面白い。

午後、窓拭き、トイレと風呂の換気扇の掃除。

夜、村上靖彦さんと宮地尚子さんの対談『とまる、はずす、きえる』を読む。このふたりには、関心を持っている。とくに、村上さんの現象学を応用したインタビューの方法論に関心がある。

私は25歳ころ、シリコンウエハーの研磨工場に、参与観察を目的に、1年間アルバイトで入り、同時に、大学院のゼミに出て、その成果を指導教授に報告していた時期があった。この方法は、指導教授には評判が悪かった。アンケート調査など、数値化できる研究を主に行っていたからだ。

このとき、私がよく読んだのが、シモーヌ・ヴェイユの『工場日記』だった。村上さんの方法は、対象との役割が、<研究者―研究対象>として固定している、インタビューだが、私は、身体ごと、現場に参加した。同じ資格で、いや、最下位の資格で、参加した。そこから見えてきた世界は、けっして「きれいな世界」ではなかった。それは、実は、だれしも経験している「現実」と呼ばれているものにほかならない。

このとき以来、現象学的な方法論と、シモーヌ・ヴェイユには関心を持っている。

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一日一句(3134)







家じゅうの鏡磨くや大掃除






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一日一句(3133)







数へ日の月を東に我そうじ






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往還日誌(117)







■12月29日、金曜日、快晴。

大宮の常盤珈琲焙煎所でルワンダの豆を見つけた。京都の珈琲ハウスmakiで初めてこの豆を出会って衝撃を受けた。makiのルワンダは、期間限定だったので、すでに入荷はなく、残念に思っていたところだったので、常盤珈琲焙煎所で見つけたときは、嬉しかった。店の女の子に、豆の説明を求めると、「ケーキみたいな風味」と言うので、ほお、と思った。そう言われれば、そうも言えるだろうか。

アフリカ大陸に浮かぶ青い太陽のように、鮮やかで、これまで、飲んだ、どの豆とも違っていた。そう言えば、事務所にいたMくんも、ルワンダの豆が店に入っているというのをめずらしがっていた。彼は、焙煎もやるプロだったのである。

この珈琲に何が合うか。京都の豆腐ドーナツは確かに合うが、関東へ戻って、鎌倉豊島屋の「鳩サブレー」の相性が非常にいいことに気が付いた。

25日のクリスマスは、近隣の蕨市へでかけた。なかなか、行く機会がなく、年末になってようやく行くことができた。「ワラビスタン」というほど、クルド人であふれているわけではない普通の地方都市である。

駅前のエントランスのフェンスにもたれて何人かで話していたり、道を一人で向こうから歩いてくる程度で、1000人のコミュニティといっても、その程度の密度である。

東口にある、「ハッピー・ケパブ」というクルド人の経営している思われる店で、チーズ・ケパブと、チャイと、カザンディビ(キャラメル焼きのプリン)を食べた。それぞれ、美味だった。

店では、「お兄さん、お兄さん」と、クルドのお兄さんが、呼んでくれるので、還暦過ぎたおじさんとしては、少々、くすぐったい。

トルコ系クルド人が蕨は多いので、トルコ料理の店を出しているのだろう。

この「ハッピー・ケパブ」の入るビルの4階が、日本クルド文化協会で、11月29日に、在日クルド人6人とともに、トルコ政府から資産凍結措置を受けている。

テロ組織とトルコ政府が認定するクルディスタン労働党(PKK)と関連があるということだが、トルコのクルド人は1500万人、トルコの総人口は、85,279,553人(2022年、トルコ国家統計庁)であり、比率にして、クルド人は17.6%である。2:8の人口比率で、しかも、軍や諜報機関などの国家機構を備えたトルコと国家を持たないクルド人では、その軍事力は圧倒的な非対称であり、弾圧に対する抵抗の手段はテロ以外にはない。その点で、パレスチナのハマスとよく似ている。

テロ手段に訴えるから悪党で、国家的な暴力を行使すれば善だというのは、物事の表面しか見ようとしない人の言だろう。

ただ、トルコのエルドアン大統領は、10月7日のハマスのアルアクサ洪水作戦以降のイスラエルのガザ攻撃を、強烈に批判している。12月27日のスピーチでは、「イスラエルの攻撃を見ていると、イスラエルが批判してきたヒトラーが懐かしく思える」とまでこき下ろしている。

これに対して、ネタニヤフ首相は、声明で「クルド人に対するジェノサイドを行い、自身の統治に反対するジャーナリストを投獄した世界記録を持つエルドアン氏は、我々に道徳を説く資格などない人物だ」と、切り返している。

エルドアン大統領のイスラエル批判は、当然と言えば当然の批判である。

ただし、人口規模で少数民族問題の深刻さを計るとすれば、クルド人は1500万人、パレスチナ人は、ガザとヨルダン川西岸を合わせて、約548万人(西岸地区 約325万人、ガザ地区 約222万人、2023年、パレスチナ中央統計局(PCBS))で、パレスチナ難民数が、約639万人(2021年、UNRWA)(西岸108万人、ガザ164万人、ヨルダン246万人、シリア65万人、レバノン54万人)であるから、合計すると、1187万人となり、クルド問題が、パレスチナ問題に匹敵する深刻さを持った問題だということはわかる。

こうした深刻な少数民族問題の表れが蕨市のクルド人たちだと言える。

「ハッピー・ケパブ」で働くクルドのお兄さんたちは、歌を歌いながら、料理を作っている。

どこか、懐かしく、どこか、物悲しい歌である。


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一日一句(3132)







数へ日の茶碗を撫でで雲を呼び






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