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一日一句(161)






蟇多勢に無勢といふなかれ





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一日一句(160)






夏の月酔つて路傍に寝たりけり





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Pascal 『Pensées』を読む(11)


■旧暦5月27日、火曜日、

(写真)無題

蒸し暑い梅雨が続く。この季節、毎年ながら、耳鳴りに悩まされる。気候が安定しないからだろうか。逆に集中するために俳句を作ったりするのである。



La nature recommence toujours les mêmes choses, les ans, les jours, les heures, les espaces de même. Et les nombres sont bout à bout, à la suite l'un de l'autre: aisi se fait une espèce d'infini et d'éternel. Ce n'est pas qu'il y ait rien de tout cela qui soit infini et éternel, ,ais ces étres ter,inés se multiplient infiniment. Ansi il n'y a, ce me semble, que le nombre qui les multiplie qui soit infini.

自然は繰り返す。年や日、時、空間も繰り返す。そして、数は、端と端をつないで、次々に連続していく。こうして、ある意味、無限や永遠ができあがる。だが、これらが、みな無限や永遠というわけではない。これらは、有限な存在だが、その存在が無限に増殖するのである。だから、無限なのは、そうした存在を増殖させる数だけなのだとわたしには思える。

■大変に難しい断章だが、implicationも半端じゃない。パスカルの「数の思想」がよく出ていて興味深い。ここで、注目したいのは、自然や年、日、時、空間といった存在から数が独立している点だ、数は数として実在している。その数が存在から独立していくプロセスが、パスカルの断章の中に読み取れる。数は、言葉の使用法なので、本来、社会関係や場面と切り離しては存在しないが、「数の思想」として独自の展開を遂げてきた。それは、神という観念が社会関係から独立して「神学」として生成していくプロセスと対応している。数学が神学と無限や永遠という概念を媒介に内在的に関連することを垣間見せてくる断章だと思う。



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一日一句(159)






ベランダをしばし片づけ茄子の花





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一日一句(158)






さくらんぼ彼と彼氏は違ふらし





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一日一句(157)






深蒸しのみどりも甘き青葉かな





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芭蕉の俳句(3)


■旧暦5月24日、土曜日、

(写真)無題

今日は、何をしていたか、わからんうちに終わった。夕方食べた京都のわらび餅が美味だった。夜、ゴミ捨て。夜風が冷たい。



松風の落葉か水の音涼し   (蕉翁句集)

■「松風の落葉」という措辞。「松の落葉」と比べてみると、その韻文性がわかると思う。そこに惹かれた。「や」ではなく、「か」という助詞を使っていることで、松落葉の気配が表現されているように思えた。



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一日一句(156)






うつすらと廃車に錆や夏の月





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Pascal 『Pensées』を読む(10)


■旧暦5月23日、金曜日、

(写真)無題

暑くて、4時に目が覚めた。ブランフレークとバナナと珈琲の朝食。急にまた、パスカルが読みたくなった。シオランは、パスカルを尊敬しているが、パスカルの断章は、シオランの断章よりも深い。たとえば、次の断章は、物自体は認識できないとしたカントにも通じるし、現代的に解釈すれば、メディアが社会の認識枠組みを構成していることとも関係する。



Non seulement nous regardons des choses par d'autres côtés, mais avec déautre yeux: nous n'avons garde de les trouver pareilles.

われわれは、それぞれ、物事の違った面を見るだけでなく、違った目で見る。だから、われわれ全員にとって、その物事が同じものだとは考えない方がいい。

■パスカルを読むと、いつも驚くのは、熟語や言い回しが、現代の仏和辞典に載っていて、今でも使われているという事実だ。パスカルは1623年-1663年の人である。日本で言えば、芭蕉(1644年-1694年)よりも昔の人である。芭蕉の言い回しが現在でもそのまま使えるかどうか、現代の国語辞典に載っているかどうか、考えてみるといい。これは、フランス語の特徴なのだろうか。それとも、「西欧近代」が今も続いている証なのだろうか。



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一日一句(155)






ざはざはと森の気配や夏の街





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