かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

本質よりも情報を重視してしまうのは、もうどうしようもない国民の性なのかもしれませんね。

2014-02-12 21:38:41 | Weblog
 昨日、東京の雪にびっくりしたところでしたが、職場の山に帰ってみると、周りの山にはまだまだ多量に雪が残っておりました。積雪量は東京の数分の1の少なさでしたが、元々の気温が違うのか、残っている量はあんまり変わらないように見えました。
 そんな厳寒気候もそろそろ底じゃないか、と期待したりしているのですが、この週末にはまた南岸に低気圧が走って、寒気が南下して雪が舞う天気になりそう、という予報が出ています。ここまでろくに雪が降らずに来たのにここへ来て今冬のやり残した分を一気に取り戻そうとしているかのようです。

 さて、偽作曲家佐村河内守氏が3年前から耳が聞こえるようになってきた、という本当だか嘘だかよく分からない手書き謝罪文を公表しましたが、コンサートの中止などで生じた損害賠償請求やら障害者手帳の不正取得に対する追徴やら、なにかとまだまだゴタゴタした話が続きそうです。それに対し、火消しでも狙ったのか、朝日新聞が「佐村河内守だけが悪いのか?」と題して記事を出したそうです。いわく、「音楽以前に「感動の美談」をありがたがる聴き手の側にも問題はないだろうか?」
 まあどの口で言うのか、と疑ってしまいましたが、そもそも感動の美談を取り上げ、お涙頂戴とばかりに脚色して届けてきたのは朝日新聞を始めとするマスコミ各社であって、それを自ら否定しようというのなら、まず襟を正して自分の過去を振り返り、反省して見せませんと、盗人猛々しいにも程があろうというものです。
 ただ、言わんとしていることは割と個人的には正論だな、とは思います。音楽の価値は作曲家のプロフィールにあるのではなくて純粋にその音楽そのものに有るはず、というのは理屈としては至極わかりやすいもので、故にこそ、佐村河内守作ではなくなったとしても、その作品には多分一定の価値が有るのだろう、と思うわけです。食品偽装の時もそうですが、結局表に出ている情報に惑わされて本当の価値が見抜けないというのは、残念ながら我が国民性の特徴なのかもしれません。健康食品にしてもテレビで紹介された途端に食品売り場の棚から無くなる、なんてことが何度か繰り返されてきていますが、結局我々は健康になりたいんじゃなくて、ソレを食べると健康になるよ、という情報を食べて満足しているんじゃないか、と前々から思っておりました。でなければ、体に良い、と昔から言われているものをしっかり食べ続けていれば良いはずで、次から次へと目新しい健康食品に惑わされることは無いのです。結局、怪しげな健康食品に群がるのも食品偽装の問題も佐村河内守の騒動も、情報に踊らされている点は全く同じで、そんなのをなくすには、結局本物を見抜く眼力を養うよりないんじゃないか、とも思えますが、それは自分自身に価値基準を設ける、という自分中心の考え方を養うことにほかならないわけですから、和を以て貴しと為す我が国の精神風土にはやっぱり向かないのでしょう。
 結局詐欺の種は手を変え品を変えて現れてきますし、ソレに騙されるヒトがいつまでたっても消えないのもまた、しょうがないというよりないのかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする