かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

あと少しで本の形になります。

2011-01-08 20:11:25 | 麗夢小説『夢の匣』
 今日は朝から新刊制作に邁進し、表紙の印刷を終え、中身の印刷済み原稿を一冊ずつに集めて大型ホチキスで留め、製本準備を完了しました。



 次は本の形に折り目をつけた表紙印刷済みのA4光沢インクジェット専用紙に挟みこむように原稿を貼りあわせ、上下と開き口の3箇所を裁断すれば完成です。順調に行けば、明日には最初の一冊がロールアウト出来るはずです。そのまま勢いにのって一気に片付けてしまいたいところですが、裁断は1冊ずつ、裁断箇所に金属製ものさしを当ててひたすらアートナイフを走らせるという方法をとっておりますので、結構体力がいりますし、ナイフを握る手の握力も大変です。疲れてくるとナイフを一定の角度でものさしにあてがう事が難しくなって変な切り方をしたり、ヘタをすると突然引っかかって刃先が跳ね、ものさしを押さえている方の手を切ってしまうこともあります。実際もう何年も前に、それで一度親指を思い切りざくっとやってしまい、その傷跡が残っていたりするのですが、とにかくそのような事態を避けるためにも、この作業は無理だけは禁物なのです。まあ贅沢に刃先を頻繁に交換していればそうそう引っかかることもありませんし、無理に力がかからないよう、それこそ紙を一枚ずつ切るようなつもりで刃先を走らせれば問題ありません。怪我するときは往々にして疲れからかえって力んでしまって、必要以上の力を込めてしまいがちなのです。そういうわけで、後はナイフを握る左手の握力がもてば、明後日には全冊完成することでしょう。最低限、本さえ完成すれば当日困ることはありませんので、まずはそこまでたどり着くのが当面の目標です。それが完了次第、当日スペースに貼り付けるポスターや値札、机に広げるテーブルクロス、つり銭の準備等々にとりかかります。まだ15日土曜日もありますし、余程のことがない限り、16日朝になってまだ準備できてない! なんていう非常事態にはならないでしょう。
 あと一息です。

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表紙完成!

2011-01-06 20:08:04 | 麗夢小説『夢の匣』
 あと10日でこみっくトレジャー17をむかえますが、準備中の新刊の表紙が出来上がりました。
 題して「夢の筺(ゆめのはこ)」です。
 今回の絵は、かいかい様にお願いして絢爛豪華に仕上げていただきました。


(クリックすると、原寸大になります)

 あとは製本作業をサクサク進めて、本を当日までに間に合わせることですね。まあ3連休もありますし、何とかなりますよきっと。
 


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「夢の匣」について、最後に一言。

2010-11-18 22:12:56 | 麗夢小説『夢の匣』
 2,3日前から一段と寒さが身に染みるような感じがいたしますが、このところ、一時黄砂でヤラレタ体調も回復しているので、この寒気は正常に私の感覚器官が捉えた空気の冷たさなのでしょう。風邪引いていないと確信できるのは喜ばしい限りですが、油断しているとこの寒さのせいで体調崩したりしかねません。日曜日はお仕事で出勤、飛石連休直後にはまた東に向け出張らなければならずと、何かと忙しい時ですので、無理せず好調を維持したいです。

 さて、連載小説「夢の匣」、そろそろ締めを書いておこうと思います。本当は相変わらず口が滑りまくる政府や多分忸怩たる思いで決断したのであろう宇宙関連予算の事業仕分けなど話題に事欠かない民主党を訴状に上げたいところですが、あんまりそればかりもやりたくないので、機会を改め、今度こそ解説です。

 この小説、思い起こせばもう数年前、「アルケミックドリーム 向日葵の姉妹達」を書き上げた直後からの構想で、なかなか形に出来ないまま、ずっと放置していたお話でした。この頃は、前作の「ドリームジェノミクス」とアルケミックドリーム」で大体やりたいことはやりつくし、コミケ参加もだんだんしんどくなってきて、同人活動もこれで卒業しようか、などと漠然と考えていた頃でした。それからまだ細々と続けている今から思いますと何とも微笑ましい限りですが、当時としてはかなり真面目に、辞めどきを模索していた感があります。それで、最後にこれを1本書いたら幕を閉じてもよいか、などと考えながら、話の中身を考えていたものでした。実際にはそのままオクラ入りして、その間コミケに行くのは辞めましたけど、関西に活動の場を移してコミトレに参加するようになり、2本長編を上げてタロットカードなども作って、いつの間にか卒業は頭から抜けてしまいましたから、この作品を書かないでいたのはある意味正解だったと言えるかもしれません。まあ、今となっては書き上げたからもう辞めよう、なんて微塵も考えていないので、あの当時もし書いたとしても多分卒業なんて前首相の引退宣言並みに反故にして、同じように今も活動続けていたかも知れませんが。
 お話の中身ですが、もともとアッパレ4人組の妹達の年齢設定は、当初中学生でした。それが、時間と共に少しずつ若返り、一時は南麻布学園幼稚舎にして、幼稚園児にしようか、と思ったりしつつ、最終的には初等部の小学生に落ち着きました。全員妹だったのを独りだけ弟にしていじられ役にしたりというのも、その過程で肉付けしていくうちに出てきたもので、当初はあまり性格設定も詳しくはせず、ヴェールに包まれた謎の子供たち、というような扱いを想定しておりました。それからしたら、随分と中身も変わったものです。
 また、円光、鬼童、榊、それにルシフェルの役どころも二転三転し、一時は女の子にしてしまおうなんていうのも考えたのですが、さすがにちょっと扱いきれない気がして、この形に落ち着けました。ただ、設定だけして使わずじまいだった分は、本にするときになるべく拾い上げようかな? と考えないでもないです。やり過ぎは禁物でしょうが、読み返してみるとちょっと中盤が薄い気がしますので、何かヤルかもしれません。
 玉手箱を持ち出したのもかなり最近になってからで、何か妹達に原日本人らしい「ハク」を付けてやりたいな、と考えた挙句のアイテムです。まあ昔話の好きな私としては順当な思いつきだったと考えていますが、表現が少々ストレート過ぎましたので、なにかもう少しひねればよかったか、と反省しています。このあたりは、次の作品の課題になるかもしれません。

 まあ1年近く随分と難儀したこともありましたが、大体思うような流れで話が出来たようにも感じます。次はもう少し楽に書きたいものですが、さてどうなりますことか、まずはこの作品を本に仕上げてから、ゆるりと考えて参りましょう。

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10 後日譚

2010-11-14 18:25:16 | 麗夢小説『夢の匣』
『……もう一度、4人の魔女共に命じて、復活の時を待つとしよう…………』
 ともすれば、耳障りな雑音にまぎれて聞き取れないほどにか細くなった声が途切れ、後はただ空虚な雑音ばかりになった。1,2秒、それ以上の音声が無いことを確認した、麗夢、円光、榊、鬼童、それにアルファとベータは、思わずそれぞれの思いを込めてため息をついた。少なくともこの瞬間、自分達の宿敵が、この世から一時的な退場を余儀なくされたのは間違いないようだ。ため息はその安堵の漏れたものでもあり、また、募る疑問に押し出されたものでもあった。
「この後、僕たちが目を覚ますまで、ノイズ以外には何の音声も記録されていません」
 鬼童が、ノートパソコンの音声再生ソフトをワンクリックで止めた。途端に青山42番地の古アパートの一角をなんとなく満たしていたノイズがふつりと消え、今まで気にもならなかったパソコンのファンとハードディスクの小さな音が、少し耳につくようになった。
 事件から数日立ったある午後のこと。場所はおなじみの麗夢の事務所。一同は、幸運にも「データ収集は科学者の嗜み」とばかりに録音を続けていた鬼童の装置により、なんとか気を失っている間のおおよその事情をつかみ、この事件の検証に取り組んでいた。
「黄泉津大神とは伊佐奈美尊の荒御魂、すなわち、神の荒ぶる闇の面を強調した暗黒神。あの4人は、一体どうやってその巫女になったのであろうか」
 円光の疑問は、麗夢や鬼童の疑問でもあった。ついこの間、鬼童の持参した思念波砲でもって、白の想念の力に闇の皇帝ごと封印されたはずの4人が、今ここで黄泉津大神こと伊佐奈美尊の巫女として現れるとは、思いもよらない事態だった。
「それについては仮説の域を出ませんが、一つの可能性があります」
 鬼童の言葉に、3人と2匹の視線が集中した。
「松尾の遺した研究記録から、この南麻布が黄泉津比良坂の入り口だったのではないか、との推論が導き出せるんです」
「黄泉津比良坂って、伊佐奈岐尊が死んだ伊佐奈美尊に会いに行って、また戻って来た時に通った道のこと? そんな事って……」
「ええ。ですから、あくまで可能性のある仮説です」
 麗夢の疑問に、鬼童は腕組みをして答えた。
「思念波砲で黒の想念を白の想念で封じ込めたと言っても、白の想念で器を作り、その中に収めた、というようなものではありません。どちらかというと、反発する精神エネルギーの斥力を利用して異界へのゲートを開き、そこに飛ばしてまた蓋を閉じた、というようなイメージです。もしここに地獄まで続く黄泉津比良坂の入り口があったとすれば、飛ばされた彼女らがその坂を文字通り転げ落ち、その先に居る黄泉津大神こと伊佐奈美尊に会ったとしたらどうでしょう? そもそも彼女らは太古の日本を支配していた民族の末裔。この日本を生み出した伊佐奈美神に仕えたとしても、不思議ではありません」
 そう言いつつ、鬼童の口ぶりはあまりに大胆すぎる仮説に自分自身が納得しきれていない様子が伺えた。もちろん、麗夢も円光も、納得には程遠い気分を味わっている。せめてもう少し詳細な記録でもあれば、その仮説も多少は検討できそうであるが、残念ながら鬼童の装置は、あの暗黒の闇が支配する地獄のさなかでは、正常な動作は成し得なかった。いやむしろ、その地獄から釣り上げられた後、機能回復して記録を録れた事自体が奇跡的だったのだ。そのことに若干の不満を覚えつつも、一方で麗夢は、心からほっと安堵もしていた。非常の決意を持って封印した4人であったが、少なくとも異界で元気でやっている様子が伺えたからだ。きっちりリベンジ宣言まで残して。これで簡単には死ぬわけには行かなくなったな、と思わず麗夢は苦笑をこぼした。 
「まあ結局真相は本人の口から聞くよりない。つまり、迷宮入りせざるをえないということだ」
 榊が腕組みして唸った。確かに、いくら想像をたくましくしてみても、それを証明する術など無い。あるとしたら、もう一度莫大なエネルギーを使って地獄の蓋をこじ開けるか、あっぱれ4人組の凱旋を待つより無いだろう。さすがに麗夢、円光、鬼童も、そこまでやろうという気にはなれなかった。第一、それを可能にするかもしれない唯一の秘宝、「夢櫛笥」は、荒神谷弥生が地獄に持って行ってしまった。思念波砲がいくら白の想念を増幅できても、アレほどの出力は得られない。
「では、あの我々が小学生になるという夢、一体アレは、なんの夢だったんでしょうな?」
 榊の疑問に、円光と鬼童が顔を見合わせた。
「おそらくは、我々のうちの誰かの夢をベースに組み上げられたんだろうと思いますね。目的は今ひとつ判然としませんが」
「左様。全く面目次第もないが、拙僧にも理解しかねる。なにゆえ、麗夢殿やあのルシフェルを先生と呼ぶことになったのか」
 そう言いつつも、二人は次第に上気して頬が緩んだ。記憶にある、新米教師の姿でも思い浮かべているに違いない。榊はやれやれ、と苦笑をもらし、麗夢に振り返った。
「残念ながら、私はこの二人ほど夢を記憶していない。出来れば麗夢さん、一度その時と同じ格好をしてもらえないだろうか? 少しでも記憶が戻ってくれば、検証にも役に立つんじゃないかと思うんだが……」
「えっ! そ、それはちょっと……」
 さすがに麗夢も、散々に翻弄された悪夢の再現には二の足を踏んだ。第一、さして優秀とも言えない新米ぶりで、あのルシフェルにお説教された姿など、出来ればもう記憶から抹殺したいくらいなのだ。しかし……。
「うむ、それがいい! きっと新しい発見が得られるものと拙僧も思う」
「是非やりましょう麗夢さん!」
と、見事に一致団結した円光と鬼童が、鬼気迫る様相で麗夢に迫ったのである。
「ひっ! ちょ、ちょっと待って二人とも! な、何をそんなに」
「麗夢殿!もちろんこの事件の真相究明のためだ!」
「そうです麗夢さん。いずれ色あせてしまう記憶ではなく、しっかりした記録を撮ってこそ! 後々の検証にも役に立つというものです!」
 ああ、余計なことを振ってしまった、と榊は後悔したが、まさに後の祭りだった。もう一度麗夢の女教師姿を目に焼き付け、更に映像記録で残しておこうという欲望に火のついた二人を止める術は、榊にはない。
「で、でも、私あんなスーツ持ってないし、それに私も記憶が曖昧で……」
「心配無用! 拙僧の頭の中には、どのような衣装だったかしっかり刻み込まれている!」
「そうですよ麗夢さん! 無いのなら早速買いに行きましょう! 僕ら二人がコーディネートしますから安心して! さあ!」
「ちょっと待って! 事件の検証はどうするのよー!」
「そのために必要なんですよ!」
「さあ、参ろう麗夢殿!」
「えぇーっ! 榊警部ー!」
 二人の若者に両側からがっちり腕を組まれた麗夢が、瞬く間に事務所のドアに向かった。表通りに出ればブティックの類はいくらでもあるこの界隈のこと。しばらくは記録の検証を名目に、二人の着せ替え人形となるよりないだろう。榊は、連れ戻すべきか否かわずかに迷って、浮かしかけた腰をそのままソファに戻した。
 まあしょうがないか。折角平和になったことでもあるし、たまには……。
 榊は、呆れたように尻尾を振るアルファとベータと共に、絶対着て貰いましょう! おう! と元気よく声を掛け合う二人に「拉致」されていく麗夢を、力ない笑顔で見送った。

-完-
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09 神勅 その2

2010-11-03 12:02:59 | 麗夢小説『夢の匣』
「お断りします」
 荒神谷弥生が、きっぱりと返事した。
「私達があなたに協力しなければならない理由は何もありません。また、黄泉津大神もそれを望んでおられない。直ちにこの地獄の釜の蓋を閉じ、この国から出てお行きなさい」
「それに、私達の大事な『妹』を散々な目にあわしてくれちゃったからね」
「破片を集めて修復するのは大変だったんだからぁ」
「さっきのミサイルはその返礼というわけだよ。でも、寝ぼけたこと言うなら次は本気で一発ぶち込んじゃうぞ」
 弥生に続いて、由香里、静香、仁美も口々にルシフェルに答えた。ルシフェルは、「だからボクは男だって」「いいじゃない。そういう設定なんだから」とじゃれ合っている8人の少女達を見据えると、努めて冷静に一言言った。
「馬鹿め」
 途端に、ルシフェルの纏う瘴気がぶわっと爆発的に膨れ上がった。いくら地獄の使者、黄泉津大神の巫女といえども、所詮は辺境の小物に過ぎない。その田舎者共が、この全世界の夢魔の総帥たるわしに出て行けなどよく言えたものだ。身の程知らずにも程がある。
 ルシフェルは、漲る力にモノを言わせ、鎧袖一触、とばかりに一歩前に踏み出した。
「わしに逆らうとどうなるか、思い知らせてくれる」
 底知れぬルシフェルの力が全身から炎立ち、黒い炎で辺りを焦がした。弥生達4人の巫女とその妹達も、その力の前には何の抵抗も意味を成さぬようにさえ感じさせる、圧倒的なエネルギーの奔流である。だが、荒神谷弥生は恐れも怯えも見せぬ平然とした様子で、ルシフェルに言った。
「そうそう、玉櫛笥を返してくれてありがとう。一応お礼を言っておくわ」
 この地獄を開くために、地面に叩きつけられた錦の小箱が、傷ひとつ無い美しい姿で、荒神谷弥生の手に収まっていた。ルシフェルはそれを見て、余裕の笑みをこぼした。
「ふふふ、今更そのようなものを使おうと、わしを凌駕することなど到底及ばぬぞ」
「ええー? 使わないわよぅ。すっごく危ないのに」
 纏向静香が、軽く頬を染めて抱きつかれるままになっている琴音に頬を摺り寄せながら、のんびりとルシフェルに言った。
「その様子だと、こいつの本当の怖さを知らないみたいだね」
 眞脇由香里も、妹だ、弟だと紫と取っ組み合いのじゃれ合いの幕間に一言告げた。
「少し考えて見ればわかりそうなものだぞ。私達が何故こいつを使わなかったのか」
 斑鳩仁美が、星夜とおんなじ姿勢で腕を組んで並び立ち、ルシフェルに言った。
「何が言いたい? 貴様ら」
 確かにその疑問はルシフェルにも無いわけではなかった。原日本人に伝わる究極の秘宝玉櫛笥。ルシフェルが最高の悪夢を具現化したように、あるいは荒神谷皐月が他愛も無い学校ごっこを演じたように、これを使えば夢を叶えることなど造作も無いことなのだ。だが、この娘達は、玉櫛笥の活用ではなく闇の皇帝の復活を選択した。そのことを知ったときは、タダの馬鹿だとルシフェルは思ったものだが……。
「どうやら貴方、玉櫛笥の昔話をご存じないようね。私も、この子達には絶対触るな、と言っておいたんだけど」
「だって、ああするより他にお姉ちゃん達を復活させられない、って思ったから……」
「でもこれで分かったわね? どれだけこれが危険な物なのか」 
 弥生は、腰のあたりにしっかりとしがみつき、こくりと頷いたツインテールの少女の頭を撫でながら、ルシフェルに言った。
「そろそろ貴方にも、欲望に負け、玉櫛笥を使ってしまったその報いを受ける時が来たようよ」
 なに? とルシフェルが眉を顰めた、その時。
「……ガ、ハッ?!」
 ガクン、といきなりルシフェルはその場に膝をついた。何かいきなり途方も無い攻撃を食らったのか、と勘違いしたのも無理はない。それほどの衝撃が、全身を貫いてルシフェルの力を奪った。全身が瘧のように震えだし、あれほど漲っていた力が、口の開いた風船のように瞬く間に抜けていく。あまりにも唐突な激変にまるで理解が及ばないまま、ルシフェルはついに四つん這いにその場に伏せた。
 全く力が入らない。
 さっきまで、無尽蔵にエネルギーを供給していたはずの地獄の瘴気すら、今のルシフェルには受け止められない。
 いや、届いているのは届いているのだ。しかし、そうやって外から受け入れる力をはるかに超えて、今、全身からすべての霊力が、全開にした水道栓から迸る水の如く、急速に脱落していった。
 エネルギーの喪失は、ただでさえ老人然とした外観を更に蝕んだ。
 豊かな銀髪がごっそりと抜け、シルクハットと共に地面に落ちた。
 目が落ち込み、顔面の皮膚がたるんで皺寄り、沈着した色素が顔中に染みを刻んでいった。
 食いしばっていた口から力が抜け、歯がポロポロと欠け落ちて、唇が歯茎に巻き込むように痩せていった。
 大鎌を落とした腕が急速に細り、ほとんど骨と皮ばかりになって一切の力を無くしていった。
 瞬く間に何十歳も一挙に老け込んだルシフェルは、霞む眼で辛うじて荒神谷弥生を見上げ、か細くわななく声で言った。
「こ、これは何だ……。な、な、なに、が……起こって、い、るの、だ……」
 対する弥生は、冷たい目でルシフェルを見下ろした。
「浦島太郎は、玉櫛笥の霊力を使い、竜宮城で乙姫様と遊び暮らす夢を叶えたのだけれど、その夢が覚めた時、寿命の全てを使い果たして、瞬く間に老いさらばえてしまったのよ。貴方にも、ちょうどそれと同じことが起こっているの」
「玉手箱ってぇ、単に夢の力を増幅するんじゃないのよぅ。未来に見るはずの夢すらも強引に引きずり出してきて、ぜーんぶを今の夢の実現に使い尽くしてしまうものなの」
「制御不能、一度動き出したら使ったヒトの力を絞り尽くすまで止まらない。こんな危なっかしいものは、たとえ私たちが滅びの時を迎えようとも使うことは出来なかった」
「色々研究はしてみたんだけどねぇ」
 口々に静香達3人も声をかけたが、既に耳も遠くなっているルシフェルに届いたかどうかは判らなかった。それでも弥生は言葉を継いだ。ここまでわざわざ出向いてきた仕事を完遂しておかねば、安心して黄泉の国に戻れない。
「そうそう、忘れないうちに、お送りいただいた貢物もお返ししますわ。星夜ちゃん、出して上げて」
「了解!」
 斑鳩星夜の触手が数本、グン! と伸びて足元の闇に突っ込み、僅かな時間差を付けて、次々とまた上がってきた。
「黄泉津大神様もいらないってさ。これ、返すよ!」
 今は意識も朦朧となってきたルシフェルの前に、ドカドカっと地獄への貢物達が積み上げられた。
「麗夢ちゃんだけは、貰ってあげても良かったんだけどねぇ」
 纏向静香が、榊、円光、鬼童を下敷きにし、小柄な姿に戻ったアルファ、ベータを抱いて一番上に寝かしつけられた麗夢の姿を見ながら、名残惜しげにひとりごちた。
「一人でも貢を受けたらその願いを無下には出来ないわ。きっちりお返ししておかないと」
 荒神谷弥生がきっぱりと静香をたしなめると、眞脇由香里がいたずらっぽく弥生に言った。
「またまたー、一番惜しがってるのは部長のくせに」
「ま、しょうがないさね。どんなに部長が欲しがってても、こればっかりは諦めんと」
 斑鳩仁美が同調して混ぜっ返すと、弥生は顔を真赤にして怒鳴りつけた。
「な、何をおっしゃるの皆さん! わ、私は別にそんな……、それに大体、私はもう部長ではありません!」
「いーじゃない、黄泉津大神直属の、黄泉の国渉外担当部部長ってことで」
「なにそれぇ!」
「だ、だから、私はっ! もー皆さんっ! 長居は無用! 用事は済んだんだから、とっとと帰りますわよ!」
「「「「「「「はーい!」」」」」」」
 7人の、この時ばかりは調子よく揃った返事に、全くもう! と苦笑した顔を次の瞬間にはキリッと引き締め、荒神谷弥生は、未だ気絶したままの麗夢に右手人差し指を突きつけた。
「私達は自らの力で再び現世に蘇り、こんどこそ原日本人の理想社会を実現してみせるわ。いつになるかは分からないけれど、それまでに勝手に死んだりたら許さないんだから。よろしいですわね!」
「ぶちょぉー、いつまで名残惜しんでるの!」
「そろそろ地獄閉じちゃうよー」
「わ、判りました! 今行きます!」
 それでも弥生はもう一瞥麗夢にくれると、今度こそ身を翻して足元の闇に身を沈めていった。皐月は、弥生の腰にしがみついたまま、バイバイ、と麗夢手を振った。
「ごめんね麗夢ちゃん。でも私の夢は叶ったよ。協力してくれて、ありがとう」
 そんな皐月の頭を愛惜しげに撫でながら、弥生も麗夢に軽く頭を下げて消えた。その後を追うように、南麻布地下洞窟に広がった闇の水面が急速に縮まり、充満した瘴気が薄れていった。
 そんな中、一人地獄から取り残されたルシフェルは、おのが生命の尽きる時を自覚し、自嘲の笑みをこぼした。
「く、くそぅ……まさかあの箱に、こんな仕掛けがあったとは……。やむを得ん。もう一度、4人の魔女共に命じて、復活の時を待つとしよう……」
 地獄の闇が水栓の抜けた風呂の水のように跡形もなく消え失せると、ルシフェルの身体は更に痩せ崩れ、瞬く間に風化して、チリ一つ残さずその場から消滅していった。
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09 神勅 その1

2010-10-31 10:51:18 | 麗夢小説『夢の匣』
 闇に沈み、闇に埋もれていく。肉体が、精神が、魂が、存在の全てが負に犯され、呑まれ、消化されていく。最後に残された夢のネルギーが尽き、戦士の衣装がバラバラとほぐれ、瘴気渦巻く暗黒の虚空へと飛び散っていく。入れ替わるように、肌を刺す冷気と身体がバラバラになりそうな痛みが全身を間断なく襲う。だが、それもそう長く続くことはないだろう。文字通り矢尽き刀折れ、戦う力を失った戦士には何も残らない。このまま闇に溶け、消滅するより道はないのだ。
 その消滅までの刹那の間、最後に残されたのは、侮恨と諦観、そしてたった一言の、けして届かぬ思いだった。
「……世界を、守れなかった……」
 今にも消え行こうとする瞳から、一滴の涙が溢れた。
「ごめんなさい……みんな……」
 すうっと瞳に灯る最後の光が薄れていく。全身の感覚が朧になり、意識が涙と共に抜け落ちていく。だから、時の終わりの最後の最後になって耳に響いたのは、単なる幻だったのかもしれない。
『一言謝ったくらいで許されるとお思いなの? 麗夢さん』
 麗夢の意識は、その直後に襲ってきた強烈すぎる凝集した闇の力に、もろくも消し飛んだ。だがそれは、不思議なほど恐怖や嫌悪を伴わない、不思議な爽快さをもたらす失神でもあった。

 麗夢を葬り去り、この世に残る全ての抵抗を排除したルシフェルは、意気揚々として麗夢が沈んでいった闇の中心に降り立った。かつてない力の漲りが全身を震わせ、体中を凄まじいエネルギーが駆け巡って、どす黒い欲望を高らかに歌い上げている。永遠とも思えた光と闇の闘争が、今、まさに闇の勝利に終えようとしていること、そして、その立役者が間違いなく自分であることを実感し、ルシフェルは、その喜びを吠え猛りたくなる衝動に駆られた。来るべき新世界、この世の全てを終焉へと導くカウントダウンが始まったのだ。もう引き返すことは出来ない。神でさえ、この滅びの時を留める術は無いに違いない。刻一刻と不気味に力を増す地獄の闇が、ルシフェルには喩えようもない魅力あふれる美の結晶にすら見えた。もうすぐだ。もうすぐ夢がかなう。もうすぐ!
 ルシフェルが、ついに我慢しきれず、両手を大きく上げてその感動と暗い喜びの咆哮を、闇に向けて解き放とうとした、その時。
 しゅるっとかすかに切り裂かれた空気の悲鳴が耳を付いたかと思った瞬間、ルシフェルは、自分の身体を拘束する、何本ものタコの足のような触手に目を見張った。
「な、なんだこれは?」
 視線を左右に投げ、すぐにその触手が、足元の闇の中から伸びてきているのに気がついた。これが、今迫り来ているはずの、地獄の使者達の先駆けなのか? それなら、地獄の釜の蓋を開けた功労者たる自分が、どうして拘束されるのか? 
 ルシフェルは訳が判らなかったが、咄嗟に危険を感じて、その触手を強引に引きちぎろうと力を込めた。だが。
「なんだと? な、何故外せん?」
 玉櫛笥によって増幅され、更に今は無限に闇の力の供給を受けてまさに無限大の力を行使できるはずの自分が、この程度の触手の拘束を力づくで解き放てないなど、およそルシフェルには考えられない事態であった。そのうちにも触手は本数を増やし、柔らかくも強靭な弾力を示して、ルシフェルの肉体をがんじがらめに締めつけてくる。
「ええい! 何だというのだ!」
 ルシフェルは振りほどくのを一時諦め、洞窟の天井目掛け飛び上がった。とにかく触手の本体を吊り上げ、相手の正体をつかもうとしたのである。そこへ透明度ゼロの静かな水面のような闇の中から、新たな物体が次々とルシフェル目がけて飛び掛ってきた。
「な、なにぃっ?!」
 触手が急に解かれた途端、飛来した八つの物体、あの忌々しい夢の中で、散々な目にあわされた記憶も生々しいミサイルが、ルシフェルを八方から包みこんで、いきなり爆発した。
 濛々と爆煙が充満し、火薬の刺激臭が鼻をつく。あの時の夢と違い、脅威的なパワーアップを実現した今のルシフェルは、爆発の中心にいても、さすがにカスリ傷一つ負わなかった。だが、その内心の動揺は、夢の中で翻弄されていた時を超えるものがあったかもしれない。
 何故自分が地獄の方から攻撃を受けねばならないのか。それにあの触手とこのミサイルは何だ? これではまるで、粉微塵に砕いてやったあの土人形共が復活しているかのようではないか。いや、そんなことはこの際どうでも良い。それよりも問題なのは、今浮上しつつあるモノの正体。あれは、地獄の蓋をこじ開けた自分を言祝ぐためにやってくる地獄の使者ではなかったのか? 
 全身に圧力となって感知される膨大な闇の力。渦巻く怨念と憤怒のパワーは、間違いなく自分の波長と同調する。なのに、なぜ?
 混乱するルシフェルに再び触手が襲いかかり、ミサイルが白煙をたなびかせながら、闇の中から次々と飛び出てきた。ルシフェルは訳がわからないままとにかく飛び続け、ついさっき、麗夢が立っていた闇の池のほとりに降りると、迫り来る触手とミサイルをきっと睨みつけた。
「ええい! いい加減にせんか!」
 ルシフェルの苛立ちが物理的な力となって迸った。ルシフェルを囲む直径3m程の精神力場がバリアとなって触手を弾き返し、ミサイルもその境界面で爆発四散する。はあはあと息も荒く当面の脅威を排除したルシフェルは、今自分が立っていた闇の池の中心に目をやって、あっと息を飲んだ。ミサイルの爆煙が薄れいく中、闇を割って浮上してきたもの。禍々しい瘴気を放ちながらも一種荘厳な神々しささえ覚える地獄の使者達の姿に、ルシフェルは言葉を失ったのである。
 その中央に立つ少女が、ずりかけた眼鏡をついと右手で直すと、朗々とルシフェルに語りかけた。
『我ら黄泉の国の支配者、黄泉津大神(ヨモツオオカミ)に仕える4人の巫女なり。汝(いまし)、異国の神に大御神の神勅を賜る。謹んで受けられよ』
「ちょっと待て! 何だ貴様らは! 何故貴様らがここに出てくるのだ! それにわしを神だと? たわけたことを言うな。虫酸が走るわ!」
 ルシフェルが叫ぶのも無理はなかったかもしれない。今ルシフェルの目の前で、4つのペアを作る大小8人の少女達(内一人は?)。南麻布女学園の制服を纏う8人のうち、小さい方の4人は、つい今しがた、自身の手を下して葬り去ったばかりの者達なのである。それに大きい方4人も、直接の面識はないながらも、その素性は十分過ぎるほど知っていた。
 原日本人4人の巫女。
 玉櫛笥を継承しながらもそれを使わずに闇の皇帝のような化物を使って麗夢に挑み、返り討ちにあって封印された、という、ルシフェルに取っては間抜けとしかいいようのない4人組の少女達なのだ。
 荒神谷弥生・皐月。
 纏向静香・琴音。
 眞脇由香里・紫。
 斑鳩仁美・星夜。
 ルシフェルの叫びに、8人の少女?は、一様にうんざりした顔を見せた。
「少し黙って聞いて下さらないこと? まだこの言葉使いには慣れていないのだから」
「年寄りって気が短いからイヤよねぇ」
「神様でいいじゃない。こっちでは悪魔だって禍津日神(まがつひのかみ)ってちゃんと八百万(やおよろず)の一柱として数えるんだよ? 知らないの?」
「全く、これだから夢守の民って奴は……」
 メインの4人が口々に溜息をつくと、その隣の小さい方も元気よく姉をけしかけた。
「弥生お姉ちゃん! あんなわからず屋、懲らしめてやらないと聞く耳もたないよ!」
「そうだな。日登美ねえ、もう一発かましてやったらどうだろうか?」
 ツインテールの小柄な少女、荒神谷皐月と、制服の袖口からニョロニョロと触手をのぞかせている斑鳩星夜が口々に言うと、纏向琴音、眞脇紫の二人も熱心に頷いている。ルシフェルは、珍しく頭痛と目眩を覚えながらも、8人に言った。
「ええい質問に答えんか! 何故、今ここに! 貴様らが現れるのだ! 地獄の使者はどうした! どこに居るのだ!」
「だからぁ、目の前に居るじゃない」
 ?
 纏向静香の間延びした口調に、ルシフェルの視線が固まった。
「わっからないのかな~? 私達4人が、その地獄ってやつ? の使者だって」
 ???
「最初に名乗ったでしょう? 聞いていらっしゃらなかったの?」
 斑鳩仁美があっけらかんと答え、続けて荒神谷弥生がもううんざり、と言わぬばかりにルシフェルを見据えて言った。
「我ら黄泉の国の支配者、黄泉津大神(ヨモツオオカミ)に仕える4人の巫女なり。どう、理解出来たかしら?」
 ようやくルシフェルは、今目の前で起こっている異常な事態を飲み込みだした。だが、疑問ばかりが募る。自分は、何か重大な過ちを犯しているのではないか? ルシフェルは、その疑問のままに目の前の少女達に言った。
「ど、どういう事だ……。この闇は、地獄に直結しているのではないのか?」
 すると荒神谷弥生が、腕を組みつつため息一つついて答えた。
「ここは八百萬の神々が統べたもう大八洲(おおやしま)。その天界は高天原。地獄は黄泉の国。どうもあなたが繋ぎたかった地獄とは、少し違うんでしょうね」
「違う? 地獄とは違うというのか?」
「こんなところで地獄との通路をつなごうなんてするからだよ」
 「キリストの神も仏教の仏様も、この大八洲では八百萬の神々の一柱なのぉ。あなたの望む地獄も、我が黄泉の国には、ほんのわずかばかり、一要素として混じっているには違いないけどね~」
 眞脇由香里と纏向静香に口々に言われ、やっとルシフェルも疑問が解けてきた。なるほど、地獄は地獄でも、この極東の片田舎で原始的なアニミズムによって形作られた地獄を自分は呼び出してしまったわけだ。だが、今この闇の影響を受けて漲る自身の力の程を見れば、それほど間違った選択でもなかったはずだ。
 気を取り直して、シフェルは言った。
「少しでもわしの望む地獄とつながっていればよい。ここを通路にして、わしの地獄を引き出せば良いこと。さあ、協力してもらおうか黄泉の国の巫女共よ」
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08 原日本人の秘宝 その5

2010-10-24 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 麗夢は、剣を杖がわりになんとか立ち上がった。もともと玉櫛笥の結界で力が不足しているところに、思念波砲を撃つ無理を重ねた身に、さしたる力も残っていない。だが、喜色満面で呵々大笑するルシフェルを、このままにして良いわけがなかった。
 せめて一太刀。
 その企みを妨害し、あわよくば頓挫させる攻撃を、今繰り出さないでいつやるのか。麗夢は、たとえ刺し違えても止めてみせる、と最後の気を振り絞り、剣を構えた。
「ほう? まだやる気か麗夢。無駄なあがきも、過ぎると興冷めだぞ」
「無駄かどうかはやってみないと判らないでしょ! 覚悟なさい! ルシフェル!」
「やれやれ、だが、これ以上の余興は不要、っと! 手癖の悪い奴め!」
 ルシフェルが急に腰をひねって、よろよろと伸びてきた細い手から、玉櫛笥を引き離した。
「お願い……、玉櫛笥を返して」
 息を吹き返した荒神谷皐月が、邪険に遠ざけられた玉櫛笥めがけ、必死に手を伸ばしている。ルシフェルは残忍な笑みを浮かべて言った。
「心配せずとも、貴様の夢も叶うだろうて。もう少し黙って最後の結末を見ていくがいい」
「皐月ちゃんの夢? どういう事なのルシフェル!」
「別にどうということはない。この土人形はな、ただ主人を蘇らせたかったのだよ。もう一度会いたい、という虚仮の一念でな」
「主人って、まさか!」
 麗夢は、ついこの間この場所で葬り去った4人の女子高生達を想起せずにはいられなかった。
 荒神谷弥生。
 纏向静香。
 眞脇由香里。
 斑鳩日登美。
 南麻布女学園古代史研究部員にして、原日本人の血統を今に伝えた4人の巫女。
 思えば荒神谷皐月は、彼女たちの妹と名乗って現れたのだった。原日本人4人の巫女の後継者、という名乗りに囚われて、この子達もまた、原日本人の復権を狙っているものと麗夢はすっかり勘違いしていた。でも確かに最初の出会いで皐月は宣言していたのだ。自分達の目的は復讐ではない。いうなればリセットだ、と。その後のハプニングで詳細を聞きそびれたせいもあって、麗夢はその言葉をあまり重視していなかった。だが、今ならはっきりと理解できる。彼女たち、おそらくはあっぱれ4人組が大事にしていた4体の埴輪の目的は、単に主人たる4人に会いたいということ、ただその一点だけだったことを。
 麗夢のうめきに満足気な笑みをこぼしたルシフェルは、右手の玉櫛笥を頭上高く差し上げた。途端にルシフェルの周囲を揺らめき絡む白と黒のエネルギーの帯が急速に回転速度を上げ、既に途方もなく高まっていた力を更に練り、収斂させていった。頃合いよし、とみたルシフェルは、最後通牒、とばかりに麗夢に言った。
「さあ、無駄話も終わりだ麗夢。時は熟した。この世界の最後を、生命の続く限り、その目でとくと見届けるがいい!」
 はっとなって飛びかかろうとした麗夢の目の前で、ルシフェルの右手が鋭く振り下ろされ、手にした玉櫛笥が地面に叩きつけられた。同時に、回転を速め、修練していったルシフェルを取り巻く白黒二本のエネルギーの帯が、まるでドリルのように玉櫛笥の後を追って地面に突き刺さった。
 突然、ルシフェルの足元から地面が消えた。
 底知れぬ闇と化したその空隙が、次の瞬間には100倍にも拡大して、南麻布学園地下大空洞の地面に、巨大な穴を穿った。
 あっという間もなく支える地面を失った榊、鬼童、円光、それにアルファ、ベータまでが、突如生まれた黒い闇に消えた。
「アルファ! ベータ!」
 夢の中ならありえない高さに飛び上がる二匹の魔獣も、文字通り底なしとなった巨大な陥没には為す術もなかった。辛うじて穴の縁で落下をまぬがれた麗夢の叫びも、ただ虚しく闇に呑まれるばかりだった。
「さあ、貴様の役割も終わった。好きなように捜しに行くがいい。貴様らの主人をな」
 左脇に抱えていた皐月を、ルシフェルは無造作に放り投げた。一瞬の無重力に息を呑んだ小柄なツインテール小学生の身体が、次の瞬間には先に逝った3人の仲間と同じ、土色の小さな埴輪に変化した。それをルシフェルは思い切り蹴り飛ばした。埴輪はもろくも砕け、たちまちのうちに闇に吸い込まれていった。
 ルシフェルの嘲り笑う大きな声すらが虚しさを覚えるかのようにうつろに響く。麗夢は、足元の闇の中から立ち上りつつある気配に戦慄した。
 何かが来る。
 もはや想像することすら許されない巨大な力。世界を漆黒に塗りつぶす闇の力を振るう何かが、ゆっくりと、だが確実に、遥か深淵の底から這い上がってこようとしている。
「さあ来たぞ、地獄からの使者が。このわしとともに、この世の光という光を飲みつくすためにな。手始めは麗夢、まず貴様からだ」
 闇の宙に一人佇むルシフェルの右手に、愛用の大鎌が現れた。ルシフェルはそのまま、まるで見えない橋の上を進むように、闇の穴の上をゆっくり麗夢に向けて歩き始めた。その間にも、穴の奥深くから闇の力がせりあがり、それに応じて、黒い穴も少しずつ周囲に広がっていった。麗夢は慌てて飛び退り、穴とルシフェルから距離をとったが、ルシフェルはまるで慌てる様子もなく、悠然と歩き続けた。恐らく、幾ばくもしないうちに、退く場所を失うのは間違いないと麗夢は感じた。いや、学園地下だけではない。多分この穴は、南麻布一帯を覆い、武蔵野の地を呑み込み、更に東京そのものを、貪欲にその闇へと引きずり込んで行くに違いない。そして更に、更に、この世のあらゆる光を貪り尽くし、無に帰するまで拡大を続けるのであろう。まさに世界崩壊の序曲が奏でられつつあるのだ。
 麗夢は、もう一度暗黒の深淵の奥に目を凝らした。ついさっき、この闇に呑まれていった仲間たちの安否は全く判らない。闇の力が強すぎるせいか、アルファ、ベータの気すら感じられないのが、麗夢を激しく動揺させた。たとえ運良く墜落死をまぬがれていたとしても、闇の中の闇、鬼童言うところの黒の想念が濃密に凝集した魔の空間では、榊、鬼童はもちろん、弱りきっていた円光も、幾許の間もなく生命を火を暗黒に呑まれてしまうだろう。アルファ、ベータだって無事かどうか分からない……、麗夢は、もう何もかも投げ出してしまいたくなるような激情に身を駆られるのを辛うじて抑えこんだ。まだ、皆が死んだとは限らない。円光が結界を作り、アルファ、ベータも踏ん張っているかもしれない。今、自分が諦めたら、そんなみんなをどうやって救い出すというのか。しっかりして! 麗夢!
 麗夢は、よろめく足を叱咤して、迫り来る死神に対し、手にした剣を構え直した。気力を振り絞り、剣に戦い抜く意志と力を込めていく。全てが闇に包まれようとする地下洞窟の中で、その剣の放つ青白い光だけが、今麗夢が頼れる唯一の希望だ。
「ルシフェル。貴方だけは、止める!」
 麗夢は、もはや至近に迫ったルシフェルの懐目指し、思い切り飛び込んだ。力強く光を放つ夢の剣を大上段に振りかぶり、シルクハットに隠れた死神の脳天目掛け、全身のバネを極限まで振り絞って、その切っ先を文字通り叩きつけた。大鎌を手にしたルシフェルも、その瞬速の剣さばきには意表を突かれたかに、麗夢には見えた。
「ふん!」
 キン! と鋭い金属音が耳を打った。と同時に体中の骨がバラバラに砕けそうな衝撃に、麗夢は痛みを感じる間もなく吹っ飛ばされた。そのまま、闇の陥没に至っていない洞窟の地面に勢い良く背中から落とされ、肺から空気が一気に吐き出される。
 何かが高速で空を切る音がしたと思った瞬間、キラキラと青白く輝くものが、麗夢のすぐ顔の脇にグサッと刺さった。切断された髪の毛が幾筋か、その勢いに跳ね飛ばされていく。まだ青白い残光をまとっていたその切っ先は、刃の半分ほどを地面に突き刺すと、瞬く間に光を失い、鈍い銀色の刃面へと変じていった。
 麗夢はその切っ先と、衝撃に痺れて感覚が無い右手に残る柄の部分を信じがたい思いで呆然と眺めた。
 夢の剣が、折られた?……!
「今のわしには、地獄から無限に闇の力が届いておるのだ。その程度の力で跳びかかって来るなどまさに愚の骨頂。アリが象に立ち向かうようなものだ」
 見えなかった。
 激突の刹那、ルシフェルが振るった鎌の一閃。
 麗夢の反射神経と動体視力では、その動きがまるで捉えられなかったのだ。
 この剣がその斬撃を防いでくれていなかったなら、今こうして両断されて転がっていたのは、胴体を切り飛ばされた自分自身だっただろう。でもそれは、本当に偶然に過ぎなかったのだ。
「さあ、これで、終わりだ」
 あまりに近くから声を感じ、はっとなった瞬間、麗夢は首を鷲掴みにされて強引に立ち上がらされた。充分に距離を置いていたはずのルシフェルが、麗夢が気配を感じることすら許さない速度で一気に近寄り、麗夢を捉えたのである。
 息が止まるどころか、このままあっさり首の骨を折られそうなくらいに強烈に喉を締め上げられ、麗夢はうめくことも出来なかった。必死にルシフェルの身体を蹴りつけ、まだ持ったままだった剣の残骸をその顔に投げつけ、両手で首を締める鶏ガラのようにしか見えない死神の手首を引き剥がそうと力を振り絞った。だが、ルシフェルの身体は鋼鉄の鎧をまとうかのように麗夢の蹴りをまるで受け付けず、投げつけた剣の柄も、その高々とそびえる鷲鼻に当たって、傷ひとつ負わせることも無く弾き返された。その上、ルシフェルの腕は頑丈な万力のようにびくともしない。ルシフェルは、そんなあがきを心地良い音楽でも聞いているかのように陶然と眺めると、ほとんどキスでもしかねないほどに、ぐい、と自分の鼻先に麗夢の顔を引きつけた。
「フフフ、麗夢、貴様とは長い付き合いだが、今、貴様は最高によい顔をしているぞ」
 麗夢は咄嗟に右手人差し指を、ルシフェルの半面、まだ肉眼が残っている方へ突き込んだ。
「くっ!」
「そう、その顔だ。いいぞ麗夢。更に怯えた顔も見せてくれると嬉しいのだがな」
 麗夢は、首の骨のきしみに加え、突き指した痛みに意識を失いそうになった。麗夢の指は、間違いなくルシフェルの眼球を貫いたはずなのに、その指はまるで鋼鉄の塊を突いたかのようにしか感じられなかった。
「さあ、余興はこれで終わりだ。生まれ来る新たな闇の生贄となるがいい!」
 ルシフェルは、陰惨な気が充ち満ちて、今まさに出現とする地獄の使者に捧げるべく、麗夢の身体をその陥穽の中心目掛け投げつけた。麗夢は抵抗する術もないまま、ボロ雑巾のように闇に落ち、そのままルシフェルの視界から消えた。
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08 原日本人の秘宝 その3

2010-10-17 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
「どうした、もう終わりか?」
 膨らむ疑問、そして手も足も出ない手詰まり感に動きが止まった麗夢に、ルシフェルの嘲笑が突き刺さった。今、飛び込んでも、正直この剣が届きそうには思えない。だが、余裕綽々でこちらを見下すルシフェルを見ては、やはり無理矢理でも攻めて、突破口を探るよりない。麗夢は憤然とルシフェルに言い返した。
「これからよ! 覚悟なさい!」
 麗夢は改めて気力を奮い起こし、練り上げた力を手にした剣に送り込んだ。力を受けた剣の青白い光が、一段と輝きを増して辺りを照らす。だが、今度はルシフェルを斬るのではない。あの箱が生み出す夢と幻を切り裂いて、ルシフェルの実態を引きずり出すのだ。これで本当にルシフェルの幻術が破れるかどうかは判らない。玉櫛笥の生み出す濃密な夢の結界の中では、麗夢とて揮える力に現界がある。ならば少しでもこの力を増幅できればいいのに……、とそこまで考えて、麗夢はようやく、一つの方法を思いついた。
“そうだ! これならなんとかなるかも!”
 麗夢はその突破手段を持っているはずの仲間に声をかけた。 
「鬼童さん! 今、アレ持ってる?!」
「アレ? なんですか麗夢さん」
 苦しい息をつきながらも、鬼童は必死に麗夢の問いに反応した。
「ほらアレよ! 闇の皇帝を封印するときに使ったヤツ!」
「え? し、思念波砲ですか? この装置にも組み込んでありますけど、一体なにを……」
 足元で所在無げに転がっている巨大拡声器もどきを見て戸惑う鬼童に、よし、と麗夢は頷くと、一足飛びに鬼童の脇まで下がった。
 アルファ、ベータが油断なく麗夢の退いた後を受け、ルシフェルに睨みを効かせて唸り声を上げる。麗夢はルシフェルが嵩に懸かって来ないことを改めて確かめると、今思いついたアイデアを鬼童に言った。
「ルシフェルに一太刀浴びせるにはあの幻術を破るしかないわ! だから、闇の皇帝を封印した時みたいに私の力を増幅してぶつけてやるの!」
「なるほど、でも……、円光さんの力はあてにできませんよ」
 鬼童も必死に頭を働かせ、おおよその計算を組み立てた。だが、闇の皇帝封印の時は、麗夢と円光二人の白の想念を増幅して打ち出した。その円光は今も力を失ったまま回復すること無く、ルシフェルのすぐ前で倒れ伏したままだ。それでもやるしかない、と麗夢は言った。
「代わりにアルファとベータがいるわ! とにかく少しでもあの結界を揺さぶらないと、ルシフェルに剣が届かない!」
「判りました麗夢さん。やるだけやってみましょう。榊警部! 力を貸してください!」
「分かった」
 鬼童はよろよろと上体を起こすと、傍らに落ちていた大型拡声器もどきに手を伸ばし、幾つかのスイッチを押して、思念波砲モードを立ち上げた。榊も脱力した身体に気合でムチを打ち、鬼童の装置を二人がかりで持ち上げて、その砲口をルシフェルに固定した。
「アルファ、ベータ! 来て!」
 麗夢の呼びかけに、二匹の魔獣が飛び下がった。榊、鬼童の二人がかりで支える思念波砲のすぐ後ろに麗夢が立ち、その麗夢を挟みこんでアルファ、ベータが陣を取る。
「何をするつもりか知らんが、無駄なことだ」
 ルシフェルが、半ば呆れたようにしゃべるのを、麗夢は大声で遮った。
「無駄かどうか、受けてから言いなさい! 鬼童さん!」
「準備OK!」
「ようし、いくわよっ! アルファ、ベータ、気を集中して!」
 麗夢はルシフェルを睨み据え、大きく息を吸い込むと、意識を集中して心のエネルギーを練り上げた。一瞬遅れて、左右からアルファ、ベータの霊力が無形の波となって立ち上がり、どんどん高まっていくのが感じられる。麗夢は気を更に高めながら、ふとルシフェルの足元に踏みつけられていた荒神谷皐月の顔に目がいった。苦しげに顔をしかめつつも、こちらを向いて何か必死に訴えようとしているようだ。待ってて、今助けてあげるから。麗夢は心のなかでそう呼びかけると、更に気力を集中した。アルファ、ベータの力がそれに寄り添い、重なりあって、一段と強力に増幅されていくのが判る。これなら行ける!
「今です麗夢さん!」
 鬼童の叫びに、麗夢は貯めに貯めた全力を、一気に解き放った。
「思念波砲! 発射!」
 一瞬、麗夢とアルファ、ベータの気が爆発的に大きくなったかと思うと、そのエネルギーが鬼童の装置を通じて更に巨大に炸裂した。その力は、凄まじい霊力の津波と化して、猛然とルシフェル目がけて疾駆した。その先頭がルシフェルの構築した結界にぶつかり、周囲に強烈な電光がほとばしった。予想外の威力にルシフェルの目が驚愕に大きく見開かれ、榊や鬼童が勝利を確信したその時、強引にルシフェルの足を外した皐月が叫んだ。
「ダメぇーっ!」
「え?」
 全力を振り絞った虚脱状態に剣を下ろした麗夢は、皐月の叫びに、ルシフェルの顔がひきつるように崩れるのを見て目を疑った。
 笑ってる? なんで……?
「もらったぞ! 麗夢!」
 ルシフェルは再び皐月を踏みつけて黙らせると、自ら結界を解いて襲い来る思念波砲のエネルギーに身を委ねた。
 ルシフェルの手の玉櫛笥が、突然倍、更に倍と巨大化したかのように麗夢には見えた。その一瞬後。
 突如夢匣が爆発した。ルシフェルの放つ闇を瞬く間に呑み込み、辺りを真っ白に塗りつぶす燭光を放つ。
 円光の身体が、暴風にさらわれた木の葉のように吹き飛び、榊、鬼童を巻き込んだ。麗夢も、巨大な光の圧力に抗しきれず、あっさりと後方へ弾き飛ばされた。アルファ、ベータは身体を低くして四肢を踏ん張り、絡まり合って倒れる円光達を支えるのに精一杯だ。鬼童の霊波測定装置が、甲高い警報音をわずかに鳴らして、すぐに沈黙した。測定限界を遥かに超える力の前に、その機能を完全停止したのである。
 それは、ほんのコンマ数秒程度の、正しく刹那の出来事だった。
 視神経が灼き切れるかと疑うほどの凄まじい光の奔騰が止んだ。まだ、朧に霞む視界よりも先に、麗夢、円光、アルファ、ベータ、更に榊、鬼童ですら、圧倒的なボリュームで魂を圧する、漲る力を肌に感じ取った。思わず怖気を震う面々に、嬉しさを隠せないでいる死神の哄笑が降り注いだ。
「礼を言うぞ、麗夢、それに榊と鬼童よ。そのガラクタ、思念波砲といったか、わしから見れば幼稚で未熟な機械だが、まあ役には立った。褒めてやるぞ」」
 呼びかけられて、3人は涙のにじむ目でルシフェルを見た。その姿は、一見、いつもの闇を体現する漆黒の老紳士然とした姿にしか見えなかった。さっき異様に膨らんだように見えた玉櫛笥の小箱を右手に持ち、いつの間にまた抱えたのか、左脇に小柄な皐月の身体を無造作に持って、泰然として佇んでいる。だが、麗夢と円光、それにアルファ、ベータの5感を超える研ぎ澄まされた超感覚が、ルシフェルを取り巻く膨大な力の存在をはっきりと感じ取っていた。その力は、白と黒の太い二本の帯となってルシフェルを足元から幾重にも取り巻くように交差し、ゆっくりと回転しつつシルクハットの上まで揺らめいている。ちょうどルシフェルの細身の体に、二匹の色の異なる大蛇が絡みついているような姿だった。
「これが見えるか? 麗夢」
 ルシフェルは、その二本の帯に目配せして言った。
「これは、わしと貴様らの力、即ち、ドリームガーディアンとしての力を寄り集め、増幅した純粋なる夢のエネルギーだ。黒はわしの力、白は貴様らの力というわけだ。分かりやすいだろう?」
「な、何をするつもりなの? ルシフェル!」
 尻餅をついたまま、辛うじて麗夢は言葉を返した。最悪の予想が脳裏に浮かび、思わず額に脂汗が浮かぶ。対するルシフェルは、そんな麗夢の焦りなど歯牙にもかけぬ様子で、朗々と喜びを口にした。
「これでわしの夢が叶う。増幅された貴様とわしの力、そしてそれを更に強力に練り上げる夢の至宝、玉櫛笥。この全てがそろった今こそ、この世に地獄を顕現するまたとない好機よ」
「地獄を顕現する?」
「その通り。わし一人の力ではまだ不足した。もちろん貴様の力を使っても、この世に地獄そのものを安定化させるには足りない。だが、今、わしの手にはこの玉櫛笥がある。これさえあれば、ここに地獄そのものを露出させ、現世と、霊的にも、物理的にも文字通り地続きにすることができるのだ。そうなれば麗夢、貴様が幾ら剣を振るおうとも、もはやどうにもならぬ。この世は真の闇に覆われ、光が駆逐されて消滅する。死と恐怖が全てを律し、破壊と混沌があらゆるものを支配するのだ。この世は破滅し、宇宙は滅びる。わしのこの手で、究極の終焉へと世界が導かれるのだ。どうだ、素晴らしいと思わぬか麗夢!」
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08 原日本人の秘宝 その2

2010-10-10 20:43:10 | 麗夢小説『夢の匣』
「何を怒る麗夢。たかが土人形共に虚仮にされたのは貴様も同じだろうが。感謝してもらっても良いくらいだぞ」
 ルシフェルが浮かべる人を小馬鹿にするような傲岸な笑みが、麗夢の怒りに火薬を放り込んだ。
「それとこれとは話が別よ! たとえ彼女らがヒトでなくても、あなたに生命を左右されるいわれはないわ!」
「だったらどうする?」
「こうするのよ!」
 麗夢は両手を突き出し、胸の前でまだ見ぬ刀剣の束を取った。
「はああああああああぁぁああっ!」
 同時に、自身を悩ます目眩を振り切り、裂帛の気合を込めて全身の気を奮い立たせる。たちまち凄まじいまでの夢のエネルギーが炸裂し、真っ白な光が、ミニスカート姿の服を内側から吹き飛ばした。まばゆい光がようやく薄れた頃、青白く輝く一振りの大剣を両手に握る、一人の戦士がその場に姿を現した。赤を基調とした肌もあらわなビキニアーマーに身を包む妖艶な戦乙女。ドリームハンター麗夢が、持てる力の全てを開放したのである。
「ニャーン!」
「わん!ワンワンワン!」
 それに呼応するかのように、アルファ、ベータが飛び降りてきた。麗夢の左右にピタリと着地すると同時に、これまた目を眩ませる燭光を放って、巨大な猫と狼に変身する。
「アルファ! ベータ!」
 力強い味方の参戦に、思わず麗夢の声に喜色が漲る。対するルシフェルは、大して驚きもせずひとりごちた。
「麗夢の使い魔共か。まあ、今更何が出てこようが大した違いはない」
「違いがないかどうか、その身で試してみたら!」
「「グワァヴッ!」」
 麗夢は一声叫ぶと、唸り声を上げるパートナー達と共に、脱兎の如くルシフェルに飛びかかった。一足飛びに間合いを詰めた麗夢の剣が、大上段から一挙に振り下ろされる。と同時に、俊敏な動きで不規則に交差しつつ飛びかかったアルファとベータが、ルシフェルの左右から突っ込んだ。逃げ道を塞ぐ瞬速の包囲攻撃に、さしものルシフェルも咄嗟には反応できないかに榊には見えた。だが……。
 麗夢の剣の切っ先が、キイイィイン! と鋭い金属音を木魂させて地面を断ち割った。アルファの爪とベータの牙も、捉えるべき相手を見失って虚しく空を切り裂く。
「どこを見ている、麗夢」
「えっ!」
 驚いて顔を上げた麗夢は、ありえない光景に一瞬自分の目を疑った。今さっきまでと全く変わらない姿、荒神谷皐月の小さな身体を踏みつけるルシフェルの姿が、10mも離れたところに、そのまま立っていたのである。
「はあっ!」
 麗夢は疑問をかなぐり捨てて、もう一度ルシフェルに突進した。アルファ、ベータもそれに続く。だが、三位一体の攻撃は、再びルシフェルを捉え損ね、そのふてぶてしい姿が、またも10m離れた先で憎たらしい笑みを浮かべて立っているのを見えるばかりであった。
 麗夢は、素早くアルファ、ベータと目を合わせた。二匹が軽く頷いて麗夢の考えに同意する。今度こそ絶対に逃しはしない! 麗夢は三度ルシフェル目がけて突進した。続けてアルファ、ベータが洞窟の壁に飛びつつ麗夢を追い抜き、ルシフェルをも飛び越えてその背後を厄する。絶対に後ろに逃がさないように、と瞬時に前後からの挟撃へ切り替えた麗夢、アルファ、ベータだったが、その刃の切っ先が届く瞬間、ルシフェルの姿がふっと消え、再びそれぞれの獲物が何も無い空を刈り取った。そして、きっと睨んだ10m先に全く変わらないその姿を見出した時、麗夢は不思議な光景に気がついて、あっと驚いた。ルシフェルの直ぐ目の前に倒れる円光の姿が目に入ったのである。
 さっき一回目に斬りかかった時、ルシフェルのすぐ近くに倒れていた円光を飛び越えたことは憶えている。2回目に攻撃した時は、衝撃のためか円光がどこに居るか確かめようともしなかった。そして今回。
 麗夢は唖然としてさっと後ろを振り返り、更に驚きを深くした。力を失い、跪く榊、鬼童の呆けたような唖然とした顔が、ほんの数メートル先に見える。今、ルシフェルめがけおよそ10mづつ3度も跳びかかったというのに……。
「し、縮地の幻術だ……」
「円光さん!」
「……惑わされてはならぬ……麗夢殿……」  
 苦しげに息をつきながら、変わらぬ位置で倒れ伏す円光が、呆然とする麗夢に呼びかけた。縮地? 幻術? しかし、ルシフェルの姿ははっきりと麗夢の視覚に移り、そして何よりも、その禍々しい瘴気が麗夢の超感覚に捉えられている。それはアルファ、ベータにしても同じであろう。その、夢を護る為に授かった超感覚さえ、今のルシフェルの前では通用しない、ということなのか。
「れ、麗夢さん! 特殊なフィールドが、ルシフェルを、覆っています。恐らく、あ、あの箱の力、です。死神を、目標にしては、いけません……」
 今度は鬼童が、這いつくばりながらも、榊の助力を得て自身の装置を動かし、麗夢に注意を促した。そうか、あの箱! そう言えば、初めて荒神谷皐月を追って南麻布学園初等部に誘い込まれた時も、どう頑張っても小学生の皐月に追いつくことが敵わなかった。あの箱が生み出す夢の場の力は、榊や鬼童、円光から力を奪い、麗夢やアルファ、ベータに、無視できぬ不快感と圧迫を与え続けている。だが、どうやらそれだけではないらしい。距離感を狂わせ、物理的な距離をないがしろにし、行けども行けどもけして捕まえることのできない蜃気楼のように、行使するものの姿を夢幻に隠し続けるようだ。鬼童が元気なら、これを夢のフィールド制御による3次元空間への干渉、とでも呼んだかもしれない。麗夢はようやくその実相に気づいたが、ではそれをどう破り、ルシフェルに一太刀浴びせるか、その攻略方法が見つからない。
「どうした? もう終わりか?」
 ルシフェルが、変わらぬ格好で、余裕の笑みをたたえつつ麗夢に言った。
 麗夢は怒りに歯ぎしりしかけて、ふとあることに気づいた。
 そう言えば、何故ルシフェルは、あの強大な力を攻撃に使わないのだろう……。
 麗夢の感覚では、あの力で襲われたら、今の自分で果たして受けきれるかどうか判らない。いや、正直に言えば、あの力を駆使して襲われたら、とても勝ち目がありそうには思えないのだ。先手必勝で先制攻撃を仕掛けはしたが、かなり贔屓目に見て、防戦に徹するならなんとか持ちこたえられるかも? 位の力の差があるように、麗夢には思える。まあどうなるにせよ、かなり苦しい戦いを強いられるのは間違いない。そんな力を発揮する箱をルシフェルが手にして操っている今のルシフェルなら、麗夢やアルファ、ベータ、円光をまとめて屠ることができるはずだし、そうやって邪魔者を一層したところでやりたい事をやった方が、ことはスムーズに進むはずではないか。それなのに、ルシフェルは何故嵩に懸かって攻めて来ようとしないのか?
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08 原日本人の秘宝 その1

2010-10-03 16:09:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 にわかに切迫した麗夢の焦りに、冷水を浴びせかける声が洞窟に響き渡った。
「遅かったな麗夢!」
 思わず振り返った四人は、地面に横たわる三人の傍らにいつの間にか佇立する、漆黒の姿を捉えた。闇を体現するマントが翻り、その腕に抱き抱えられた、小さな身体が垣間見えた。
「その子を、荒神谷皐月さんを放しなさい!」
 真っ先に麗夢が飛び出して、脇のホルスターから拳銃を抜くと、宿敵、ルシフェルの眉間に狙いをつけた。榊、円光、鬼童も、それぞれの獲物を取り直し、麗夢の背後に駆けつける。だが、死神は沸騰する四人の戦意など歯牙にもかけない様子で、抱えていた皐月の身体を、無造作に三人の仲間の上に放り投げた。
 うぅっとうめき声がして、気を失っていた四人が息を吹き返すと、ルシフェルはうつ伏せで三人の上に乗る皐月の背中を右足で踏みつけた。皐月の顔が苦しげに歪み、下敷きになった三人のうめき声が、小さな悲鳴に変化した。
「ふふふ、これでいいかな? 麗夢」
「おのれ死神!」
 激怒した円光が、灼熱の気を錫杖に込め、ルシフェル目がけて打ちかかった。まるで時間を切り取ったかのように、一瞬で肉薄する円光がルシフェルに錫杖を突きつける。だがルシフェルは、全く避ける素振りも見せずに余裕の笑みを浮かべていた。円光のあまりの速さに反応する時間すら得られなかったのか、と、榊がルシフェルの敗北を幻視したのも無理はない。だが、両者が瞬きする間もなく交錯した瞬間、息を切らし、その場に突っ伏したのは、攻撃された側ではなく、今まさに必殺の攻撃を繰り出した方であった。その脇に、力なく錫杖が転がり落ち、哀しみを奏でるように輪環の打ち合う音が洞窟にこだまする。円光は、腕に残る耐え難い衝撃に顔をしかめつつ、ルシフェルに言った。
「な、何をした……」
「馬鹿め。もはや貴様の力が、ほんの僅かでもわしに届くことはない」
 円光の一撃は新型戦車の複合装甲すら貫くほどの力がある。だが、愛用する錫杖の突端がルシフェルに届いたと感じた瞬間、円光は、漲る自分の力が風船がしぼむかのように唐突に消え失せたことに愕然となった。まるで、自分の体がずっと幼い子供のように、そう、さっきまでの悪夢の中で演じていた小学生ほどの力しかなくなったように、感じたのである。円光の鍛え上げた錫杖は、見かけよりもはるかに重く、頑丈である。小学生の握力や腕力では、持ち上げることすら敵わない。円光は、たちまち衝撃と重量に耐えかねて錫杖を取り落とし、自身はルシフェルの負の圧力に屈して、その場に伏せたのだった。
「円光さん!」
 麗夢が叫ぶと同時に、榊も拳銃の狙いをルシフェルに向けた。だが、信じられないことに、その拳銃が榊の手から滑り落ちた。
「榊警部!」
 足元に転がる拳銃に鬼童が驚いた途端、今度は鬼童の抱える巨大なラッパのような装置が、ガシャン、と耳障りな不協和音とともに地面に転がった。榊と鬼童は自身を襲う異常な感覚に愕然となった。円光を襲ったこの感覚。自分の力が、まるで子供のように小さく弱々しいものに変化してしまったことに、二人は戸惑いを隠せなかった。
「警部、鬼童さんも、どうしたの!」
 力を失い片膝ついた榊と鬼童に麗夢が慌てて振り返った。途端に、麗夢も頭のすぐ横で大鐘を鳴らされたかのような違和感を覚えた。もの凄い力の心的圧力が直接脳を揺さぶり、心を握りつぶしに掛かっているかのようだ。麗夢は強烈な目眩を覚え、思わず目をつぶってその場に跪いた。あの、初めて荒神谷皐月以下4人の小学生に翻弄され、『南麻布学園初等部』に誘い込まれた時と同じ、妙な夢の波動を感じる。だが、そのパワーは格段に強い。
「ふふふ、これくらいで意識を飛ばすのではないぞ麗夢。今から面白いものを見せてやるのだからな」
「なんですって……?」
 麗夢は、顔をしかめながらなんとか目を開けてルシフェルを見た。ルシフェルは、4人の小学生を踏みつけながら、懐から小さな箱を取り出してみせた。
「そ、それは!」
 今はルシフェルの足元に踏みつけられる少女に何度も見せつけられ、麗夢を翻弄したあの錦の小箱。玉手箱、と言われたその箱を、今はルシフェルが持っていた。
「……か、返して……」
 ルシフェルの足元で、息を吹き返した皐月が、震える手を伸ばした。ルシフェルはわずかに嘲笑を浮かべると、ぐい、と一段と踏みつける力を加えた。4人の悲鳴が更に上がり、下側の3人が次々と力尽きて再び気を失う。それでも皐月だけは必死に耐え、なおもルシフェルに届かぬ腕を伸ばそうとした。
「所詮貴様らには過ぎた道具なのだ。わしが存分に使ってやるから、安堵して元の姿に戻るがいい」
 元の姿? 麗夢が疑問を感じた瞬間、皐月の顔色が驚愕に一変した。
「だ、ダメ! 止めて!」
「いい音色だ。人間でないのが惜しいくらいにな」
 ルシフェルは、皐月の悲鳴と懇願を気持よさそうに聞き流し、箱の上蓋を開けた。
 途端に、辺りを圧する夢の気配から、「何か」が急速に薄くなった。鬼童の計測機器が正常なら、その変化を測定できたかもしれない。それは、いうなれば夢の波動のごく一部を減衰させ、消去したようなものだったからだ。そしてそれは、荒神谷皐月達4人を現世に支える、最も重要なエネルギーでもあった。
「……な、なんと……」
 最も近くにいた円光が、思わず目を瞬いて眼前に生じた変化に驚愕のつぶやきを漏らした。少し離れた麗夢、榊、鬼童も、信じがたいものを目の当たりにして、上げるべき声を失った。
 それは、皐月を除く、3人の、元少年・少女の姿だった。煉瓦色の、粘土を焼いて固めた小さな姿。一般に、埴輪と呼ばれる土製の人形が三体、皐月の体の下に並んで転がっていたのである。
「あの子達、4人組の妹じゃなかったの……?」
 麗夢のつぶやきに、「弟だ!」と言い返す声ももう聞こえない。榊も、自身取っ組み合いをしてギリギリのところで組み伏せた狼の本体が、ただの土人形と知って半ば呆然となった。
「……どういうことだ……。鬼童君、あれは一体……」
「……多分、あの玉手箱の呪的能力なのでしょう。かつてのあっぱれ4人組が一つずつ所持していた物だったりするのではないでしょうか」
「じゃあ、皐月ちゃんも?」
 麗夢の質問に鬼童が答えるより早く、ルシフェルの哄笑が地下洞窟にこだました。
「その通りだ! 原日本人が遺した最大の秘宝、夢匣の放つ強力な夢の波動が生み出した、夢幻と現実との狭間。その狭間に仮りそめの生を受け、小癪にもうろつき回ったのが此奴等というわけだ。だが、この箱をわしが持つ限り、もはやその茶番も終わりだ」
「お願い! 返して!」
 皐月は、更に抗ってルシフェルの手からその小箱を取り戻そうともがいた。
「馬鹿め。これはもともと夢守が操ってこそ最大の力を発揮する。貴様ごとき人形に、使いこなせるものではないわ!」
 ルシフェルが更に足に力を込めた。皐月は手足を踏ん張ってその圧力を支え、自分の体の下にある3体の埴輪を守ろうと頑張った。だが、その力の差はあまりに大きかった。皐月の力の限界付近でわざと手加減し、いたぶり苛んでその苦痛を楽しんでいたルシフェルは、もう飽きた、とばかりに思い切り体重をかけて皐月の背中を踏みつけた。それでも限界を超えて皐月は耐えたが、もう一度ルシフェルが力を込め直すと、それに抗う力はその細い四肢には残っていなかった。皐月の胸の下で、バリバリと薄い陶器が割れ砕ける音が鳴り、あえなく皐月は地面に這い付くばった。皐月の目に涙が溢れ、ポロポロと地面にこぼれ落ちた。ルシフェルは満足気にその姿を見下ろすと、追い打ちをかけるように皐月に言った。
「フフフ、貴様には散々虚仮にされたからな、仲間と同じように土に返す前に、これから行うわしの偉業に充分絶望を堪能する時間をやろう。ありがたく受け取るがいい!」
「ルシフェル!」
 眦を決した麗夢が、目眩に抗いながらすっくと立ち上がった。
「もう怒ったわ! 絶対に許さない!」
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07 決戦その5

2010-09-19 10:08:44 | 麗夢小説『夢の匣』
「……確かに頭を壊されたら困る。でもね……、負けるわけには、いかないんだぁっ!」
 初めて余裕もプライドもかなぐり捨てた星夜は、残る力のありったけを動員して、鬼童一人だけでも始末しようと唯一自在に動かせた一本の触手を走らせた。油断していたのか、鬼童はあっさりと触手に巻きつかれ、足が地から離れて浮き上がった。
「あんたを倒してその機械を壊せば、私の勝ちだ!」
 ぎゅっと締め上げられて眉をしかめた鬼童は、それでも残念そうに星夜に言った。
「ごめんよ。悪く思わないでくれ」
 鬼童の手に、またスタンガンが握られているのを星夜は見た。
「無駄だ! そんなものは効かないっ!」
「表面ならね」
 鬼童がスタンガンのボタンを押すと、その電極がにゅうっと針のように伸びた。
「でも、内部ならどうかなっと!」
 鬼童は、20センチは伸びたその畳針のような二本の角を、深々と触手に突き刺し、放電のスイッチを入れた。
 瞬間、触手ごと星夜の身体がビクン!と震え、大きく目を見開いたかと思うと、たちまち脱力してその場にヘタリ込んだ。鬼童に絡みついていた触手も、力を失いだらりと地に落ちた。
 一方、支えを失った鬼童も、そのまま4つんばいになって地面に突っ伏した。
「鬼童君!」
 慌てて榊が駆け寄ってきた。鬼童は、ぜいぜい息を切らせながらも榊に言った。
「僕は大丈夫です。それより彼女を診てやって下さい」
「わ、判った」
 榊は鬼童が本当に大丈夫そうなのを見てとると、今度は女の子座りでおじぎをするように上体を前に倒した少女に駆け寄った。身体にはまだ太い触手が何本も巻いていたが、大半の触手は抜け落ち、干からび、空気の溶けるように消えていきつつあった。榊は注意深くその首筋に手を当てて、ほっと息をついた。規則正しく強い鼓動が指先を通じて感じる。息も止まらずちゃんと呼吸している。どうやら無事のようだ。そのうちにも、残る触手が宙に溶け、裸同然の背中が見えてきた。これはいかん! と榊がワイシャツでも脱ごうか、と襟元のネクタイに手をかけた時、ふぁっとその背中を上質のスーツが覆い隠した。
「武士の情け、です」
 ようやく立ち上がるだけは回復した鬼童が、榊に微笑んでみせた。
「それにしても、どうして今度は効いたんだ? 一回目は弾いただけだっただろう?」
 榊は、眞脇紫変じた狼と対峙しながらも、それとなく鬼童の戦いに気を配っていた。なんといってもこの中で一番戦いに不慣れなのが彼なのは、自他共に認めるところだ。
「ええ、最初はちょっと驚きましたけどね。要は自動車と同じだ、と気づいたんですよ」
「自動車?」
「ええ」
 鬼童はかいつまんで星夜の触手の特徴を語った。
「彼女の触手の表面の粘液がクセモノだったんです。あの粘液が電気を表面だけ流して内部に伝えずにいたので、効かなかったんですね。更に別の触手が地面に突き刺さって、ちょうどアースの役割を果たして電気を逃がしていたというわけです」
「なるほど、それで今度は突き刺してみたわけか」
「あんなことしなくても彼女はもう限界だったんですけどね。でも、こっちも背骨がやられそうだったんで、なりふり構っていられなかったんですよ」
 背中が痛むのか、鬼童は少し顔をしかめて苦笑してみせた。
「鬼童殿、大事ないか?」
 円光も、気絶した纏向琴音を眞脇紫の隣に横たえ、鬼童と榊のもとに駆け寄った。そのまま鬼童の後ろに立つと、鬼童のワイシャツ姿の背中に左手の手の平を当て、練り込んだ気を流し込む。手の平から発する暖かな波動がじんわりと鬼童の背中に広がり、次第に痛みが引いていくのを鬼童は実感した。
「あ、ありがとう円光さん。少し楽になった」
 その間に榊は、気絶した斑鳩星夜の身体を、二人の仲間の隣に横たえた。何時までも三人川の字で寝かせておくわけにもいかないが、今はそれより優先しなければいけない事情がある。
「よし、それじゃあ急ごう。死神も気になるが、まずは麗夢さんと合流しないと」
「そうですね、行きましょう!」
 わざわざ小学生と切った張ったの乱戦を繰り広げることになったのも、元はと言えば彼女らが榊等の行く手を阻んだことに起因する。その障害を実力で排除した以上、行動をためらう理由はどこにもなかった。互いに頷き交わした榊と鬼童が連れ立って出口に向かおうとしたその時、円光が言った。
「お待ちなされ。どうやら麗夢殿が参られたようだ」
「何?」
「麗夢さんが?」
 二人は立ち止まって耳を澄ませた。すると、さっきまでは気づけなかった小さな足音が、確かにこちらに向かって反響しているのが聞こえてきた。やがて薄闇の洞窟に、南麻布女学園の制服の裾が乱れるのも構わず、腰まで届く豊かな碧髪を振りながら駆けてくる小柄な少女の姿が浮かんできた。
「みんな! 無事だったのね!」
 互いの姿がはっきり見えるようになると、麗夢が右手を上げて大きく振った。
「麗夢殿も大事ないか?」
 いち早く麗夢の到来に気づいた円光が声をかけると、麗夢はうれしそうにニッコリと白い歯を輝かせた。
「ええ、大丈夫よ!」
 ミニスカートで駆け寄る躍動感溢れたその笑顔に、激闘後、一旦は落ち着いた円光と鬼童の拍動が、思わず三割ほど上がってみせた。一瞬、その姿に見とれて言葉を失った若者二人に代わり、一歩前に出て榊が声をかけた。
「いやあ無事でよかった。麗夢さん」
「えいっ!」
 ようやく3人の元までたどり着いた麗夢は、喜びのあまり勢いよく榊に飛びついた。
「れ、麗夢さん!」
 さすがの榊も、思わぬスキンシップによろけながらも、嬉しいのはお互い様である。すぐにバランスを取ってしっかり麗夢を抱きとめると、互いの無事を祝い合った。
「「なっ!……しまった……」」
 一方円光と鬼童は、一瞬の愕然の後、強烈な後悔の念をハモらせた。榊は、たちまち沸騰した強烈な二つの情念を背中に感じ、それが危険域に達する前に、麗夢を下ろした。その瞬間、殺意未満の緊張がほっと安堵の溜息に代わり、榊は苦笑いを噛み殺しながら、麗夢に言った。
「申し訳ない。我々も急いで向かいたかったんですが、彼女らに阻まれてしまって、その抵抗を排除するのに手間取ってしまいました」
 榊は、向こうで仲良く川の字に並べた「あっぱれ4人組」の妹達を名乗る三人を指さしてみせた。
「面目ない」
「すみません」
 円光と鬼童も、見上げるような長身を折り曲げて詫びを入れる。麗夢はううん、と首を横に振って、三人に言った。
「警部も円光さんも鬼童さんも凄いわ! 私とルシフェルでも全然敵わなかったのに……って、そう言えば、ルシフェルはどうしたの?!」
 麗夢は、最も重要なことに気がついた。こっちには、ルシフェルが先導してこの三人を連れていったはずだ。しかし、今この場所には、その傲然とした姿はおろか、闇を練り上げたような陰惨な気配の一筋も感じることができない。
「麗夢さんは見ませんでしたか? ついさっき、そちらに飛んでいったんだが」
 榊の言葉に、麗夢の顔色がさっと変わった。
「ルシフェルが?!」
 しまった、最初からそれが狙いだったのか。
 ルシフェルの恐ろしさ、そして仲間やこの三人の子供達の安否を気遣うあまり、一番本命の、離れるべきではなかった者を一人置き去りにしてしまったことに、麗夢は気づいた。そう言えば、すぐ後ろを追いかけてきていたはずなのに。こっちが心配のあまり途中で気配が消えて、振り切れたことにほっとしてしまうなんて、私なんてバカだったの!
「急いで行かなくちゃ、あの娘が危ない!」
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07 決戦その4

2010-09-12 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 円光は、数mの距離を置いて、一人の少女と向き合っていた。一見、ただぼうっと二人突っ立っているようにしか見えないが、円光は胸の前で複雑に両手を組み合わせ、一心に何かを口誦さんでいる。対する少女は、じっと円光を見つめたまま微動だにしないが、よく見るとその唇がかすかに震え、何かを高速で呟いているのが見て取れた。
 この、洞窟の中の彫像か転がる岩のように静かな二人の間では、阿鼻叫喚の地獄絵図が、何匹ともしれぬガマガエルと可愛らしくデフォルメされた円光のミニチュア人形の間で繰り広げられていた。
 その集団戦はほぼ互角のもみ合いが続いていたが、榊が見るうちに、徐々にではあるがガマガエルの方が押しつつあった。力のほどは拮抗していたが、重量感溢れるガマガエル達が列を並べて押し寄せるのを、さしものミニチュア円光軍も押し返しきれずにいるのだ。
 ジリジリと後退する円光の集団と、波濤のように押し寄せるガマガエルの群れ。
 ほとんど感知できないほどの違いしかなかったガマガエルと円光の陣地の広さが、今や明らかにガマガエル側が広くなるまでに、差が顕著になってきた。
 そのガマガエルが通り抜けた跡に、かつてはミニチュア円光だった人型の切り抜き紙が、ボロボロの紙屑と化して散らばっている。
 無表情の円光の額にも、苦戦の脂汗がにじんでいるようだ。
 榊はこうしてはいられない、と立ち上がろうとした。暗黙の了解で1対1の対決になったが、こちらにはそんなことよりも、一刻も早く麗夢と合流しなければならない事情がある。フェアだの卑怯だのと言っていられる余裕は榊にはなかった。
 しかし、その焦りは杞憂であった。
 円光が一際高く真言陀羅尼を口誦さんだ途端、生き残りのミニチュア円光達がいきなり数十センチも飛びすさって円光の目の前に陣を布いた。更に、今までは錫杖を武器に思い思いに戦っていた円光人形たちが、その錫杖を自分の前に突き立て、一瞬の狂いもなく、同時に本体と同じポーズで胸の前に印を結んだ。
 円光の読誦が一瞬止んだ。
 ミニチュア円光達の動きもピタリと止まった。
 その直後。
「秘法、夢曼荼羅!」
 「「「「「「「ゆめまんだら!」」」」」」
 円光とミニチュア円光達が同時に叫んだ。洞窟に、円光の力強い言霊と、ミニチュア達の甲高い蚊の鳴くような声の大合唱が反響する。その反響を追いかけるように、円光とミニチュア達の眼前に、燦然と輝く曼荼羅の図が浮かび上がった。中央に大日如来を配し、その周囲に八つの蓮の花弁とそこに坐す仏や菩薩の姿が浮かび上がる。更にその周囲にも朧に様々な文様が宙に描かれた大小2サイズの中台八葉院が、迫り来るガマガエルの集団に強烈な燭光を射放った。
 洞窟全体が真っ白に塗り潰される程の膨大な光が薄れ、一瞬視覚を失った榊も、ようやく夢曼荼羅で浄化された戦場を観ることが出来た。そこにはあれほど居たガマガエルもミニチュア円光の姿も無く、その残骸の白い紙が雪のように舞い散る中で、片膝をついた円光が脱力してピクリとも動かない少女の身体を抱き上げているのが見えるばかりだった。榊はようやく立ち上がると、円光と纏向琴音の元に駆け寄った。
「まさか、死んじゃいないだろうね円光さん」
 辛うじて声を絞り出した榊に、円光は答えた。
「大事ない。怪我もありません。気絶しているだけです警部殿」
 不安気に覗き込んでいた榊は、ほっと胸をなでおろした。幾ら敵とはいえ、小学生の女の子を怪我させたり、ましてや死なせたりしたら、寝覚めが悪いでは済まない。安心した榊は、あ、そうだ、ともう一つの戦いに意識を向けた。全く無視していたわけではなかったが、まず目に入った円光vs琴音の一戦にほとんどの注意が注がれてしまったのだ。
「鬼童君は!」
 大慌てで振り向いた榊の目に、鬼童海丸と斑鳩星夜の二人が、数mの距離を隔ててうずくまっているのが見えた。
「なんなんだ今の光!」
「円光さん、夢曼荼羅を放つなら放つで、ちょっと予告してくれないと困るよ」
 二人共、円光を中心に爆発した強烈な光に視力を奪われ、相手の位置が分からなくなっていたようだった。
「……大丈夫か? 二人共……」
 何気に尋ねた榊に対し、鬼童、星夜の二人が同時に振り返って真っ赤に染まった目で睨みつけた。充血した4つの涙目に晒され、榊も、うっと唸って思わず半歩後ずさりする。こうして引いた榊を無視して、二人はなおも目頭をもみ、目をこすりながら、改めて立ち上がって対峙した。
「全く、とんだ邪魔が入った」
「申し訳ないな、僕の連れはいまいち空気が読めなくてね」
「いいよ。そんなこと。それより私も二人失って余裕がなくなった。もう手加減は出来ないから、そっちで死なないように頑張ってもらえると助かる」
 星夜の身体から、更に多くの触手が伸び出てきた。今までに倍する数に、鬼童は背中に冷たい嫌な汗が流れるのを意識した。
「……友達がやられて、心配じゃないのかい?」
 さりげなく間合いを図りつつ声をかける鬼童に、星夜はふっと笑って白い歯を見せた。
「なに、心配ない。貴方達が我々を傷つけないように配慮しているのは先刻承知の上だ。それに万一死んでも、私がすぐに生き返らせてやるよ」
「……それは心強いな……」
 鬼童は苦笑いして、手にした巨大拡声器のような機械のスイッチを入れた。ヴォン! と機械に電源という生命が吹き込まれる音がかすかに鳴り響き、それが開始のホイッスルだったかのように、星夜が鬼童目がけて触手を飛ばした。
「これで終わりだ!」
「っ!」
 星夜の触手は、鬼童だけではなく榊にも伸びていた。虚を突かれた榊に数本の触手が互いに絡まりあいながら、奇怪な一本の棒と化して猛烈な勢いで迫ってくる。もはや回避は出来ない、と榊が全身に力を込めて受け止める覚悟を決めた瞬間。榊の胸に触れるか触れないかというすんでのところで、触手の動きがピタリと止まった。
 驚いて見やると、鬼童のところでも同じような光景が見えていた。もっとも鬼童はその迫り来る風圧だけで腰が砕け、格好悪く尻餅をついていたが。
 更に視線を振ると、無数の触手を身体に纏う一人の少女が、苦しげにその場にうずくまっているのが見えた。
「……な、なにを、した……」
 鬼童は改めて立ち上がって裾を払うと、星夜に言った。
「何、直接君の大脳をノックしてみただけだよ。ちょっと強くだけど」
「……な、んだって?……」
 なおも苦しげに問いかける星夜に、鬼童は言った。
「ここは洞窟だから、反響を計算して振動波を放てば、その振動波をある一点に収束することができる。今君がいる位置が、ちょうどその収束ポイントなんだ」
「……そ、そんなことが……?」
 星夜は鬼童のやった『攻撃』をやっとの思いで理解した。あの拡声器型の道具は、ほぼ見たままの性能を発揮したわけだ。しかし、そんなことが本当に可能なのか? この複雑極まる洞窟の壁の反響を利用し、振動する複数の波の干渉を制御して、その力を一点に収束集中させるなんて。でもそれが理屈なら、勝機はある!
 星夜は触手で地面を蹴った。その反動で小柄な身体が3mは優に飛ぶ。更に着地の衝撃を他の触手で和らげた星夜は、重くのしかかるように頭を圧していた振動波の圧力が消えていることに気がつき、勝利の笑みを浮かべようとした。
 その時。
「ぐあっ! な、なんで?」
 一瞬遅れて、同じ力が星夜の大脳を強引に揺さぶった。思わずもう一度同じ方法で今度は後ろに大きく飛び下がる。そして、飛び下がった一瞬だけ猛烈な頭痛がやんだが、ものの1秒も立たないうちに同じ痛みが星夜を襲った。
 星夜は悟らざるを得なかった。
 駄目だ、この洞窟に居る限り、この攻撃から逃れられない。
「洞窟の内部は全て計測済みだよ。それより、そろそろ降参してくれないかな。このままだと最悪脳に悪影響が残ってしまう」
 やはりそうか。星夜は愕然としながらも、なんとなく納得した。やっぱりこいつら、一筋縄ではいかない。星夜は、揺さぶられる脳裏に浮かぶリーダーの幻影に、心の中で頭を下げた。
(悪いな、皐月。どうやらここらが限界のようだ)
 星夜は、顔をしかめながらもふらふらと立ち上がった。
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07 決戦その3

2010-09-05 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 榊は咄嗟に軽く身体をひねって、正面に迫っていた狼の巨大な顎をかわし、その首筋にしがみついた。
『離せ!』
 榊は満身の力をこめて締め上げようとしたが、狼がバネを効かせて首を左右に振り回すと、たまらず跳ね飛ばされて尻餅をついた。そこに間髪入れず狼がのしかかった。大きな顎を限界まで開き、真っ白な牙を唾液でてからせながら、榊の頭を丸かぶりするように襲いかかる。
「っ!」
 榊は、剛毛と硬い筋肉に覆われた狼の肉体の中で、ただ一つ柔らかく湿り気を帯びた部分、その鼻面に、思い切り拳をぶち込んだ。続けて、きゃうん! と悲鳴を上げてのけぞる狼の腹めがけ、右足で蹴りを入れる。だが狼もただやられるばかりではない。腹を蹴られて飛び下がる瞬間、獰猛な牙で榊の右腕にかぶりつき、その背広の袖を食いちぎった。狼の体の下から転がり出た榊と狼の間に、袖の断片が宙を舞う。榊はもう一度立ち上がると、態勢を整えようと向き直った狼に猛然と飛びかかった。
 円光は、錫杖を前に改めて両手を複雑に組み合わせ、ゆっくりとつぶやくように真言陀羅尼を口ずさんだ。すると、目の前に展開するミニチュア円光達が、生気を吹きこまれたかのように動き出した。これもミニチュアサイズの錫杖を構えるもの、腰を落として右手を顔の前に掲げ力を貯めているもの、オリジナル同様に錫杖を立て、複雑な印を結んでいるものなど、思い思いの態勢でガマガエル軍団を迎え撃つ。対するガマガエルは、重い身体を引きずるようにノロノロと行進を続けていたが、あと一歩、というところでやにわに飛び掛ってきた。その鈍重そうな姿の突然の豹変に、最前列の円光達が虚を突かれて為す術なく巨体の下敷きになる。だが、その後列から一群の円光が一声鋭くガマガエル達に跳びかかり、どんぐりした目に錫杖を突き立てるや、一部のカエル達がたまらず横倒しに腹を見せた。その腹めがけて更に襲いかかる円光の群れと、倒れた仲間を乗り越えて進むガマガエルの群れが激突し、あちこちで混戦状態が出現した。
 鬼童は本人からすれば精一杯の努力でかろうじて3本の触手をかわすと、いつの間にか手にしていたスタンガンを手近な一本に押し付けた。バチン! と盛大な放電音が鳴り響き、はじかれるようにその触手が跳ね上がる。だが、一旦引いた触手は、特にダメージを受けた様子もなく、ウネウネと星夜の周りで蠢くばかりである。
「ハハハ、効かないよ。少なくともそんな低出力じゃね! それより、そっちの武器を使ったらどうだい?」
「参ったな、人ならまず確実に失神させられるレベルなんだけど……」
 実際、小学生のそれも女の子相手に使うのはどうかとためらいもした武器なのであるが、害どころか効果すらなしとあっては、これに頼るわけにもいかない。鬼童はあっさりとスタンガンのスイッチを切ってポケットに収めると、改めて一見巨大拡声器のような装置の取っ手を握り直した。
 満身の力をこめて狼の紫を締め落とそうと躍起の榊だったが、紫もそう簡単に落ちはしなかった。むしろ強引に全身のバネを使って榊を振りほどき、鋭い牙の並ぶ顎の一撃を入れようと、ますます猛り狂って跳ね回った。榊も、さっきの鼻面の一発がよもやの奇襲だったことは理解している。次に同じ状況になったとしたら、もう通用しないに違いない。と言って、銃を使うような真似もできず、ここで仕留めないと後がない。榊の額に浮かぶ脂汗に、次第に焦りの色がにじみだした。だが、それは紫の方にも言えた。確かに榊の膂力とさっきのパンチには面食らったが、本気で噛みに行けば、首に食らいついて一瞬で絶命させることだって、今の紫なら造作無い。だが、そんな事をしては元も子もないため、不本意ながら自制して、手加減せざるを得ないのだ。だからといって手を抜きすぎると逆にひねり落とされかねず、その力加減の微妙さに、徐々にイライラが募ってくるのを抑えられなかった。
『もう! いい加減にしろよ!』
 ついに我慢も限界に達した紫が一際大きく上半身を振り回した。たまらず榊の足が浮き、首にまいた腕が外れかかる。もう少しだ! と調子に乗った紫は、今度は上下に首を振って、榊を地面に叩きつけた。足が浮いてしまっては榊も踏ん張りようがない。あっさりと腰から落とされて、それまでなんとか保持していた腕が振りほどかれた。慌てた榊は、偶然目についたもの、その頭にピン! と立った狼の耳を、かろうじて届いた右手で思わず掴みとった。
『キャン!』
 敏感な耳を思い切り握られて、思わず紫は悲鳴を上げた。そうでなくても相手は狼相手に一歩も引かず組み付いてきた猛者である。その握力たるや、尋常のものではない。思わず逃げ腰になった狼の怯みを、榊は見逃さなかった。咄嗟に左手を伸ばしてもう片方の耳を掴みとると、強引に腕を引いて、眉間めがけ正面から思い切り頭突きを食らわせた。
 狼の視界は正面に死角がある。弱点の両耳を潰されんばかりに握り締められ、それだけでもう失神寸前だった紫は、榊の頭が急速に正面から迫り、寸前で突如見えなくなったと思った瞬間、頭蓋を襲った強烈な一撃に、目から星が飛ぶのを一瞬だけかいま見た。
 全身の筋肉が力を失い、狼の巨体が崩れ落ちた。榊も力を使い果たしてその場にへたり込む。ぜいぜいと荒い息を付き、なんとか下した難敵に目をやった。すると、次第にその体が縮み、全身を覆う剛毛が抜けて、白い肌が顕わになってくるのが見えた。やがて、瞬きする間に狼は元の少年の姿を取り戻した。榊は背広を脱ぐと、うつ伏せに倒れ伏す裸の背中にかけた。男の子とは言え、なめらかな白い肌の背中やお尻が露出しているのを放置するのは忍びない。榊はようやく立ち上がると、僚友二人の戦況に初めて意識を向けた。
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07 決戦その2

2010-08-22 10:14:45 | 麗夢小説『夢の匣』
「で、君はパワードスーツでも着るのかな?」
「姉君じゃあるまいし、そんな無粋なものは使わないよ。生物こそ最強! が私のモットーであるし」
 星夜は白衣の内側から牛乳瓶を一本取り出した。一見、何の変哲もない200mlの乳白色の液体が詰まった、角を丸めた四角いガラス瓶。星夜は、蓋を構成する透明な紫のプラスチックフィルムと厚紙の円盤を丁寧に取り除くと、両足を肩幅に広げ、胸をはって中の液体をいきなりゴクゴクと飲み干した。もちろん左手は腰、である。そのままブリッジでもやりかねないほどにのけぞりながら牛乳?を一気呑みした星夜は、プハーッとおよそその小学生な姿には似つかわしくない擬音を発しつつ、勢い良く上体を戻して、右袖で口元を拭った。
さしもの鬼童もあっけに取られていたが、星夜が拭い切れなかった乳白色の液体をちらつかせながら自信満々の笑みをその唇に浮かべると、どうやらこれからが本番らしい、と小さくため息をついた。
「もういいかい?」
「ああ。お待たせした。これで準備OKだ」
「ちなみに、その牛乳はなんだったのか、僕には教えてもらえるのかな?」
「ふふふ、すぐに分かる。そら、キタキタキターっ!」
 突然。
 星夜の胸が、小学生にあるまじきサイズにボコン! と膨れ上がって白衣を押し上げた。なに? と鬼童、円光、榊が目を見張る間もなく、今度は背中がいきなり膨らんで、左右へとはちきれんばかりに膨張するのが見えた。更に続けて、下腹部の辺りから何かが急速に屹立して、白衣の裾が持ち上がった。
「おっと、実験着が破けては帰りに困る!」
 星夜は少し慌てて、今にもちぎれて飛びそうになっている白衣のボタンを外した。途端に今まで白衣に抑えこまれていたモノが、開放感たっぷりにはじけ出た。
「なんだあれは?」
 榊が思わずつぶやいた。
 斑鳩星夜の白衣の下から現れたモノ。
 それは、グニュグニュと蠢きながら伸び縮みする、タコの足のような触手に相違なかった。太さは榊の腕くらいはあるだろう。それが何本も、星夜の身体から生えていたのだ。
「さっきの牛乳は、こいつらを身体に生やすためのちょっとした薬さ。どう? いいだろこれ。なめらかで艶やかな肌。柔らかくも適度な弾力で締めつける力具合、なによりこの、機械などには絶対できない微妙で繊細な動き。これぞ、生物の美と不思議を完璧に表現した、究極の姿なのだよ!」
 うっとりと上気しながら演説する星夜に、鬼童は、気まずげに視線をそらせて言った。
「君は、いつも白衣の下はその格好なのか?」
 すると星夜は、特に気にかける様子もなく、鬼童に答えた。
「ああ、心配しなくても、下着くらいは着けている。女の子としてそれくらいの嗜みは心得ているつもりだ」
『もう、星夜ったら全然自覚ないんだから』
 呆れたように狼姿の紫がこぼす。
「まあいいじゃないの。こうして全身隈なく触手をまとっているんだから。彼らがいかに鼻の下を伸ばそうとも、何の問題もない」
『それがエロいっての!』
 にしし、と笑顔の星夜に、琴音もやれやれと珍しく眉を顰めてみせた。
「……もういいですか?……」
「ん。準備完了だ」
 星夜が左手は腰に当てたまま、触手がとぐろを巻く右手をまっすぐ琴音に突き出し、親指を立ててみせた。紫は苦笑しつつも、二人の仲間に言った。
『念のため確認するけど、ボクはあの髭面のじいさん、琴音はこっちつるっぱげ、星夜はあっちのイカ臭いおじさん。お互い手出し無用ってことで、いいね!』
「了解っ!」
「……」
 互いに頷き交わした3人の小学生(とは言っても外見上は既に小学生一人と化物2体だが)は、それぞれ、確認し合った互いの目標に目を合わせた。
「円光さん、鬼童君! 相手はとんでもない化物揃いだが、中身は小学生だ。くれぐれもそのことを忘れないようにな!」
「心得た」
「やるだけやってみますか。手加減なんてとても許されそうにないですけど」
 榊、円光、鬼童は、自分の相手を正面に据えて、ジリジリと左右に広がった。円光を中央に、榊が円光の右、鬼童が左に展開する。
 対する小学生トリオも、歩調を合わして扇状に向きを変えた。
 まずは紫が頭を低く下げ、唸り声をあげながら榊に言った。
『殺すな、って言われたけど、子供だなんて思っていたら勢いで死んじゃうかもよっ?!』
 言い終えると同時に、狼姿の紫が榊めがけて猛然と突っ込んた。
「行け!」
 一瞬遅れて、琴音の鋭い掛け声がヒキガエル達に飛んだ。ヒキガエル達が、重たげな身体をゆすりながら、手近なミニチュア円光にのしかかっていく。
「すぐに絞め落としてあげるよ!」
 星夜の触手が3本、腰のあたりからゆらゆらと鬼童に指向すると、ひゅん! と空気を切り裂きながらまっすぐ伸びた。
 
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07 決戦その1

2010-08-15 22:18:35 | 麗夢小説『夢の匣』
「じゃあ、僕から行くよ!」
 一人一歩前に出た眞脇紫は、可愛らしいもみじのような両手をぐっと握り締め、空手の構えのように両脇に引きつけると、背中を丸めて踏ん張った。まだか細い全身が極度に緊張を孕み、額に脂汗が浮かびだすと、全身を瘧のように震わせる。
 その瞬間、鬼童のセンサーが、みるみる数値がアップするケタ違いのエネルギーを拾い上げ、円光も強烈な圧迫感を肌身に感じた。榊でさえ気圧されて思わず足を止めたほどの力の本流であった。
「うおおおぉおおおぉおおぅっ!」
 ボーイソプラノが金切り声のような唸りを上げる。とたんに、ブチブチブチッと布が無理やり引き裂かれ、紫の身体が、一瞬で2倍に、更に4倍に膨れ上がった。顕になった白い肌の下に強靭な筋肉が震え、それが、急激に生えそろう剛毛に包まれて行く。女の子と間違われる可憐な顔も剛毛が覆い始め、同時に唇が耳元まで裂けて鼻ごと大きく前にせり出してくる。可愛らしくさえ見えた頭の耳が更にピンと立って膨らみ、獰猛なマスクを飾り立てる。やがて、強靭な爪を備え、ヒトのそれとは似ても似つかない姿に変じた握りこぶし、いや、今やそれは前足と呼ぶ方がふさわしいだろう。その前足が、同じく二足歩行が困難な形に変形した後足とともに力強く地面を踏んだ。ぞろりと揃った牙の間から、ぺろり、と舌なめずりをしたかつての紫は、その姿にふさわしい大音声で、声高らかに吼え哮った。
「ワォーオゥウゥンッ!」
「犬? いや、狼か?」
 榊は妙に冷静な頭で、小学生の変化を見据えていた。今やその眼の前には、
つややかな銀色の体毛に覆われた一匹の巨大な狼が、眉間にシワを寄せながら、獰猛な視線で睨みつけてくるばかりだ。その迫力たるや、訓練された精強な警察犬ですら尻尾を巻きかねないほどに堂に入っている。
「殺すなよ、紫」
『判ってるよ』
 物騒な斑鳩星夜の注意に、口調だけは元の少年のまま、野太い声で紫が答えた。
「榊殿、ここは拙僧が!」
 錫杖を片手に狼の前に飛び出そうとした円光を、今まで無表情にほとんどしゃべらずにいた少女が制止した。
「……アナタの相手は私……」
 紫変じた狼の隣に寄り添うように、纏向琴音が前に出る。狼のサイズが大きすぎるからか、隣に立つ琴音の姿は、痛々しいほどに小さく、か弱く見える。だが、円光はその姿の内側に充満する、警戒するに値する力の漲りを感じ取った。
「……………」
 琴音の右手が、スカートのポケットから白い小さな紙切れの束を取り出した。手のひらよりも一回り小さなそれは、よく見ると大の字の形をしており、まるで頭を形作るかのように、上部の先端がやや大きめに丸く形作られていた。
 琴音は右手の紙束から左手で大雑把におよそ半分を抜き取ると、無造作に投げ捨てた。
「……来たれ……」
 琴音が、か細い声で小さく叫ぶ。すると、ただの人型の切り抜きに過ぎなかった白い紙の、ちょうど胸の部分に不思議な文様が浮かび上がった。一見梵字にも似た複雑な文様が一際強く輝いた瞬間。何十枚もの紙切れが、突然立体感を増し、まるで風船のようにぷくりと膨らんだかと思うと、一枚一枚が大きなヒキガエルに変じて狼の前に打ち広がった。ソフトボールの球ほどの大きさの、鈍い赤や黄色、黒などの色とりどりなカエルが、イボだらけの背中を並べて、時折河豚のように身体を膨らませる。一匹一匹でも人によっては恐怖を覚えるその姿が数十匹も並ぶ様は、その後ろで控える狼とはまた異なる独特の迫力をたぎらせて、榊達を威圧した。
『解剖したカエルが飛びついたときは悲鳴あげてたのに、イテッ!』
 狼姿の紫が低い声で笑い声をあげると、琴音は無表情のまま握りこぶしで狼の頭を殴りつけた。
「……ヒキガエルは、かわいい……」
 一言、ボソリ、とこぼした琴音は、右手に残った人型紙束を、円光めがけてヒョイ、と投げつけた。紙束は、不思議とばらけることもなく一直線に円光の胸めがけて飛び、円光の左手がそれをつかんだ。
「……拙僧にも、やってみせろ、と申すのか?」
 円光が当惑しながらも思ったことを口にすると、琴音は黙ってこくり、と頷いてみせた。
「遊ばれてますね、僕たち」
 鬼童がやや呆れたように言った。狼も、威嚇の唸り声こそあげるが一向に飛び掛ってくる気配がない。
「向こうの目的は時間稼ぎだからな。それより円光さんも、その紙で何か出したりできるのか」
 榊は、興味あり気に円光に言った。あのガマガエルがどれほどのものかは判らないが、ただのカエルと思うと痛い目を見そうなことくらいは榊にも予測できる。
「やってみましょう」
 対する円光は、気負いもせずに錫杖を目の前に突き立てると、紙束をトランプのカードのように扇状に広げてずいと目の前に掲げた。右手は顔の前で手のひらを垂直に立て、軽く目をつむって不動経の一説を口ずさみ、念を凝らす。
「顕現!」
 短く一言放つやいなや、円光はやにわに左手の紙束を前に投げた。人型の紙は綺麗にうち広がると、琴音が投げた時と同様に胸に一文字、こちらはれっきとした梵字が浮かび上がった。円光自身の額と同じ梵字が強い光を発した途端、突如として紙が立体感を増し、風船に息を吹き込むように膨らんで地面に散らばった。
 その一体一体がムクリと立ち上がってヒキガエルに対峙する。
 袈裟姿に錫杖を携え、剃髪の頭と額の梵字。だが体つきは3頭身ばかりにデフォルメされた、ミニチュア円光がずらりと勢ぞろいして並び立っていた。
「こいつはすごい!」
「円光さん、いつの間にそんな技を?」
 榊と鬼童の感嘆の声に、円光はややはにかみながら答えた。
「この錫杖を鍛えた蔵王権現の御力を借り、護法童子の召喚を試み申した。だが、どうやらこの紙自体に、何やら細工が施されていると見える」
 円光の答えに、鬼童も頷いた。確かに円光の力も凄まじく、そのまま紙に乗り移っているのも判る。だが、そもそも紙の方に、円光の力を受け止めて姿を変えられるように、何らかの霊的なフォーマットがなされているのは確かなようだ。
「相手の小道具というのが気に入らないが、何も無いよりはましか」
 鬼童は、カエルと対峙するミニチュア円光の背中を見て、ひとりごちた。後は互いの霊力、気力の比べ合いだ。
「で、僕の相手は君かい?」
 鬼童が斑鳩星夜に語りかけると、星夜はやれやれ、と両手を軽く左右に広げて、鬼童に答えた。
「しょうが無いな、残り物で我慢しよう。せいぜい退屈しないように頑張ってもらわないとな」
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