かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

すわ!遂に消滅する村が出たのか? と早合点。

2006-02-28 21:45:43 | Weblog
 今日でついに2月も終わり。正月以来どうも何かにつけて低調だった気がするのですが、いよいよ月も春の月に改まるのですし、そろそろ風向きも上り調子に変わって欲しいと思います。
取りあえず幸いにして頭痛は今朝にはほとんど意識されないほどになっていました。やはり寝不足が主たる原因だったようです。胃のことを考えるとアスピリンもなるべくなら飲まないで済ませたいので、少しほっとしております。
 
 さて、オウム真理教の事件で一躍全国に名が知れ渡った上九一色村(おお、一発で変換された!)が消滅というネットニュースを見て、遂に過疎の村から自治体を組織できないほどに人口が減少して廃村になる所が出てきてしまったか、と早合点してしまいました。事実は昨今はやりの市町村合併で、地名として上九一色村というのが地図上から消えるという事だそうです。ちょっと珍しい合併方法で、むらを南北に分けてそれぞれ別の市町に合併されるのだとか。同じ村でも生活圏が異なるためだそうで、確かに面積が大きくて住民が点在しているような所では、そう言うこともあるだろうな、と思いました。
 ところで私がその様な早合点をしたのは、この間、知り合いの人と日本農業や田舎の状況を語り合ったときに、そう遠からぬ将来に住民が死に絶えて消えて無くなる村が日本のあちこちに出現する、という話が出ていたからでしょう。と言うか、そう言いだしたのは私なのですが。総務省の資料によりますと、人口1000人を切る過疎の村は全国に22あるそうです。5000人未満までですと218になります。もっとも基礎数字は平成12年の国勢調査人口だそうですので、それから6年ほど経過した今日では、もう少し数字は変わっているかも知れません。
 そう言う人の少ない村は、大抵の場合住民の平均年齢は他の所よりも高く、要するにおじいちゃんやお婆ちゃんばかりが住んでいると言うことになります。幾ら長寿国日本と言えども不老不死はありえませんから、このような仙人の住まうが如き村々は、櫛の歯の欠けるがごとく住民が次第に彼岸に逝き、いずれ自治体として維持できなくなることは明らかです。そればかりか、それ以上の人口を持つ市町でも、田舎ほど平均年齢や高齢者人口比率が高く、近隣の大きな都市へ人が収斂していく事になるのではないかと思われます。
 確かに田舎には田舎のよさがあると田舎に住む私は思いますし、私は大阪下町の出身ではありますが、ああいったごみごみせかせかしたところへ住みたいとは、今のところ余り思えません。でも最低インターネットはブロードバンドと呼ばれるような回線が欲しいですし、トイレは水洗であって欲しいですし、ちょっとしたスーパーやコンビニが近くに欲しいわけで、そうなるとあまり田舎過ぎても駄目なわけです。田舎と言うよりちょっと街に近い、きらびやかな都会には電車で1時間もあれば十分到達できるような場所が、すみかとしては好適なのではないかと思うのです。
 日本中の人が皆私と同じように考えるとは思いませんけど、その様な生活環境を維持できる場所に今後人が集まってくるとしたら、今後人口も減ってくるのですから、田舎の中の田舎からは人がいなくなるのが道理です。そうして100年もしますと、かつての地中海文明のごとく、都市があちこちに点在して、都市と都市の間は人一人住まぬ原野になる、と言うような光景が現れるかも知れません。
 今回上九一色村は村としては消えますがかつての村民はそのままちゃんと残っています。でも、いずれ必ず住民が死に絶えて廃村になる所が出てくるはずで、その最初が我が奈良県の山の中に幾つかある人口千人未満の村のどれかではないだろうか、と密かに思っていたりするのです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい加減すきっとしたいのですが、思うようになりません。

2006-02-27 22:36:25 | Weblog
 昨日からきつい頭痛に悩んでおります。幼い頃にちょうど今時分から春にかけて、目元あたりが強烈に痛む頭痛に悩まされました。鼻炎の悪化が原因だったようですが、今回の頭痛は痛む箇所が若干違いますけど、症状としてはよく似ております。それで多分鼻炎の影響かと思っていたりするのですが、風邪の初期症状とか酔い止め薬の後遺症とか寝不足とかやっぱり頭がおかしいとか、それとなく疑わしいものもありますので、原因は今ひとつはっきりいたしません。とりあえずアスピリンを飲んでいるとましなので、それを飲んで早々に眠るのが一番かと思っております。ただ、今年も去年に引き続き、アレルギー症状は穏やかです。ちょっと目がかゆいのと、たまにくしゃみが出るくらい。その分鼻炎症状となっているのかもしれませんが、アレルギーが楽というのはありがたいことです。いつまでもつか判りませんけど、このまま花粉の時期を乗り越えられたら多少の頭痛も我慢できるというものです。

 風邪と言えば、いよいよ恐れていた事態が本格化したというか、インフルエンザの治療薬耐性ウィルスが広がりつつあるようです。まだ一種類の治療薬についての耐性ウィルスですが、アメリカではその薬の処方をやめるよう勧告が出ているみたいですし、インフルエンザにおいても、耐性との熾烈ないたちごっこが始まるのでしょう。
 新薬は莫大な研究・開発費用と時間が必要で、ウィルスの変異に対抗するのはかなり分が悪い勝負になるはずなのですが、ひょっとしたら最近のRNA工学などバイテク関連の研究や技術が、突破口になってくれるかもしれません。ウィルスの遺伝子複写を阻害したり、人体の免疫機能を強化したり、色々な展開が期待できそうです。
 多分RNA工学のターゲットはガンが中心になるのかな、とも思うのですが、花粉症のような、命に関わることはなくても毎日の生活に甚大な影響を与える病気にも、治療の可能性があるなら積極的に取り組んで欲しいと思う、花粉最盛期まっただ中です。


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まさかただの内部抗争じゃないでしょうね。民主党のごたごた。

2006-02-26 21:32:34 | Weblog
 今日は短編小説を一つアップしてみました。もう8年も前に書いたものですが、短編は年1,2作書いておりましたので、ネット公開していないものが結構ありますので、しばらくは古いものから順々に出してみようかなと思っております。玄関の絵もそろそろ春仕様を考えないといけませんね。夏コミも大きく舵を切りつつあるような感じですが、行き足をのばすにもまずいろいろと具体策を講じていきませんとね。

 さて、せっかく調子に乗っていた民主党に大ブレーキをかけたメール事件ですが、結局いつまでたっても真相が「藪の中」というところが一番よくなかったのではないでしょうか? 民主党としては質問戦術が稚拙だったと言うことで収めようとしている感がありますが、だらだらと当の本人が出てこないうちにどんどん支持率は落ちていきますし、こんな調子で本当に自民の対立軸になりえるのか、と、心配になってきます。
 私などが素人のうがった色眼鏡でながめていますと、参院選を控え、あまりに先鋭的で一人で突っ走りがちな前原代表をここらで引きずりおろすための、党内反対派による内ゲバ工作だったんじゃなかろうか、などというようにも見えてきます。党の置かれた状況を考えればそんな余裕はあるはずがないとは思うのですが、国や組織が滅ぶときは、決まって外の状況には無関心で、内部での権力争いしか目に入らない輩が巣くっているものです。鶏口となるも牛後となるなかれ、は私の好きな言葉ではありますが、今にもまな板の上に押さえつけられ、首を刎ねられんとしている鶏では、トップに立ってみたところでしょうがないはずなのです。でも、世の中どうもそんなちょっと冷静になると判るようなことが、見えなくなってしまう人が歴史的にも大勢いるようです。今の民主党内のごたごたが、そんなつまらないお山の大将争奪戦になっていないことを、切に願う次第です。今のところ、頼りになりそうな野党は民主党しかないのですから。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックで君が代を聴くことができてよかった。

2006-02-25 22:14:23 | Weblog
 昨日は仕事で少しばかり遠出をしていたのですが、昨今の体調を鑑み、移動中の悪化を防ぐため、「車酔い止め薬」なるものを呑んでみましたところ、これがやたらよく効きまして、ほとんど昨日から24時間昏々と眠り続けてしまいました。一応処方箋通り呑んでみたのですが、普段呑みつけない薬というのは、量も考えないといけません。眠くなるとは聞いておりましたが、かくも強烈な眠り薬になるとは正直思っておりませんでした。もちろん薬の影響だけではなく、昨日早朝に行われたオリンピック女子フィギュアをテレビで見ていて、寝不足だったせいもあるでしょう。おかげで今日一日布団の中で惰眠をむさぼってしまいましたが、昨日の荒川静香の金メダルはそれくらいの価値は十分にあったと思います。
 ああいった大舞台でほぼミスなく、自分の演技をできるというのは、月並みな言い方になりますけど、やはりすごいことだと思います。ましてや並み居る日本勢がことごとく敗れ去り、ここまでだれも表彰台に上がることができなかったオリンピックで、「メダル確実!」とかけられた期待は、普通想像を絶する重荷になっていたはずです。現にメダルを争ったアメリカのコーエンやロシアのスルツカヤが次々とジャンプの着地に失敗して転倒するミスを見せていたことをみても、その緊張たるやすさまじいものがあったことでしょう。それでもあれだけ派手なミスをしても、ほぼノーミスだった村主章枝を抑えて銀、銅を確保したのですから本当にたいした人達です。私などはコーエンが転倒するまで、表現力では荒川静香より一枚上だ、と、感嘆しながら「金はもって行かれたな」とうなっていたくらいでした。
 さて、このオリンピックでは、各競技とも結局前回活躍したベテランに続く人材を育てられないでいる、という、日本社会全体に通じる問題点が露出したように感じられました。オリンピック、あるいはアマチュアスポーツというものをどうとらえるか、という点で、各国ともそれぞれ思惑や国民の思い入れなどに違いがあるのは当然だと思いますが、我が国としては、なんとかもう少し国を挙げてその振興に力を入れることはできないものでしょうか? 愛国心をこれからの教育などで重視していく方針をとろうというのでしたら、ああいう大きな大会で君が代が静かに流れる様子というのは、なかなか普段は味わえない感慨を国民全体に与えることができる、強力な教育的効果を持つと思うのですが。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろあって、昨日今日はあわててます。

2006-02-24 23:09:23 | Weblog
 昨日は新しい記事をアップできず、危うく2日連続沈黙するところでした。
とはいえ、今日もとりあえず形だけの更新です。
ただいま時間と設備が不足していて、いつものようにじっくり書いている余裕がないのが悲しいところ。なんとも情けない有様ですが、続きは明日午前中にアップできたらしたいです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪い時は悪いなりに、何とかなるものです。

2006-02-22 23:00:10 | Weblog
 昨日睡眠時間が短かったためか、昨夜は12時に布団に入ったと思った途端、意識不明になっていました。目覚めたのは今朝6時。目覚めはいつになくすっきりだったのですが、昨日と合わせても平均5時間あまり。普段の私からすれば、まだ寝不足気味です。そう意識しながら1日過ごしておりましたら、案の定夕方になって目眩がしてきました。やっぱり異常が発生するのが早いですね。即薬を飲んで、今日もとっとと寝るつもりです。
 調子が悪くなってきたというと、昨日も話題にした花粉症。今日はくしゃみはそれほどでもないのですが、今年初めて目にかゆみを覚えました。まだ症状はごく軽く、気にしなければ十分無視出来るレベルですが、このままひどくなるようだと困りものです。そこで、ものは試しと去年同様ベリー類によるアレルギーの相克現象が得られないか、と、取りあえず干しぶどうをしこたま食べてみました。これで花粉症がかるくなればありがたいのですが、ベリー類のアレルギーにした所で、私がそう思っているだけでそれの確認をとれている訳では有りません。今年はそれを確認してやろうという訳です。うまく行ったらお慰み。食物アレルギーを持つ人は、上手に利用すれば少なくとも花粉症からは逃れられる可能性が開ける訳です。食物アレルギーには命に関わるような危ないものもありますけど、逆に花粉の方でそういう危ないアレルギーをコントロールする事も出来たりするかもしれません。素人の思い付きにすぎませんが、寄生虫によるアレルギー防止も確か研究者がいらっしゃったはずですから、ひょっとするとひょっとするかもしれません。この毒をもって毒を制する発想、どこか取り上げてくれる人はおられないものでしょうか? 喜んで協力させて頂くのですが。
 さて、今日は、体の方はだましだましでしたが、お友達といろいろお話しして頭の方は何かと啓発されて活性化して参りました。やはり一人でぐちゃぐちゃ悩むより、顔つき合わせて話を弾ませた方が、意欲も発想も豊かになるようです。今週末にかけて具体的な形にして行こうと思っておりますが、うまくまとまれば良いんですけどね。


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実よりも幻想にすがるのは、もう一種の病気といえるのではないでしょうか?

2006-02-21 23:53:01 | Weblog
 今日はなぜか朝3時半に目が醒めてしまい、そのまま目が冴えてしまって寝られなくなりました。寝たのが昨夜11時過ぎでしたので、最長でも4時間半しか寝ていないことになります。以前はこういうのはよくあって、時間が有効に過ごせると結構歓迎していたのですが、最近はとんとお目にかからない現象でした。寝付きが悪くて目覚めも悪いという悪循環を繰り返しておりましたので、6時よりも早く目が醒めるなど滅多になかったのです。ですので、このままでは倒れるのは必至だと何とか二度寝しようと努力したのですが、結局寝ることはかなわず、あきらめて4時過ぎには布団を這い出しました。全く、少し前なら目覚めたときに、まだ4時頃だったら安心してゆっくり寝ていられるのに、と、7時を刻む時計を恨めしげに睨んでいたものですが、世の中ままなりませんね。というわけで近来まれに見る睡眠不足状態で一日過ごしたのですが、午後3時頃寒気がして足に力が入らなくなり、気を抜くと勝手に寝てしまいそうになったほかは、たいしたことないままただいまの時間まで起きております。さすがに大分眠たいのですが、それはちゃんと寝ている普段でも同じですので、早起きの影響は今のところ出ていない模様です。今日限りなのか、あるいはしばらく続くのかも不明ですが、できればあんまり続いて欲しくはないです。睡眠不足で衰弱が進むのは経験済みですし、寒い中起きているよりは、ぬくぬくの布団で惰眠をむさぼりたいというのが私の望みなのです。

 さて、そろそろ花粉症が本格化する季節に入って参りまして、天気予報のおまけみたいな花粉情報でも、「非常に多い」と出るようになってきたこのごろですが、日に3回くらいくしゃみするくらいで、幸いにしてまだ「スイッチ」は入っていません。去年あれだけ花粉が多く出て、警戒していたのに花粉症らしい症状もないまま季節を過ごしてしまったので、今年もそうあればとは思いますが、なぜ昨年症状が出なかったのかも不明ですし、まだしばらくは不安がつのる状況です。
 そんな中、元凶の林野庁が、花粉症対策データを粉飾報告していたというニュースがありました。ただでさえねつ造データが世を騒がせ、学問の世界を揺るがしているというのに、客観的なデータを無視して、自分の都合のいい机上計算のデータを成果として公表していたという「事件」です。前にも書いたような気がしますけど、なぜに我が国の官僚という人種は、現実に起こっている客観的な現象よりも、自身の脳内だけで組み上げた幻想の方に固執するのでしょう? 日本を代表するエリート集団のはずなのに、願えばかなうとばかりに現実を無視して恥じない姿勢には、空恐ろしささえ覚えます。我が国における文系のエリートというのは、みんなこんななのでしょうか? 自分の考えが一番正しく、それに合致しない現象は、その現象のほうが間違っているんだとでも思っているのでしょうか? まさに幼稚園児以下のお花畑咲き乱れる頭の構造を持っているとしか思えません。しかも担当の課長が、「ある程度効果の確認できるデータが出たので効果を示す際の数値に使ったが、誤解を招くおそれがあるかもしれない。今後検証したい」と答える鉄面皮ぶりにはあきれかえります。いったいデータをなんだと思っているのでしょう? 自分達の思いにあわないデータを切り捨て、あう数字だけ集めることが許されるのなら、私でさえ世紀の大発見や大発明をいくつでも成し遂げられますよ。そうじゃないからこそ自然科学は難しく、また面白いのですが、この人達には、そんな面白さは永遠に理解できないのでしょう。検証などというその場しのぎのいいわけはすっぱりあきらめて、ここは男らしくはっきり言うべきです。「我々には手に負えません」と。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼鏡が壊れた?

2006-02-20 22:59:31 | Weblog
 今日は割とつつがなく過ごした一日だったのですが、帰宅時に結構面倒な目に遭いました。ヘルメットをかぶろうといったんはずした眼鏡を改めてかけようとしましたところ、いきなり、眼鏡本体と左側のツルが分離してしまったのです。慌てて見てみますと、本体とツルを止めているねじが、左側だけすっきり消えてなくなっています。折れたのではなかったので一瞬安堵したのですが、よくよく考えてみるまでもなく、ねじがなければツルを付けることができず、片方のツルのない眼鏡を顔面に固定するなど到底無理な話です。そこで改めてねじ探しに狂奔したのですが、相手はわずか長さ4ミリ直径2ミリのいと小さきものでしかありません。しかも結構強い近視+乱視のおまけ付きな裸眼では、そんな大きさのものは眼前10センチくらいまで寄らないと、識別できません。更に日はとうに落ちて、頼りになるのは少々暗い室内灯のみ。私はてっきり床に落ちたものと信じて、四つんばいになって床を探したのですが、これは? と思ったモノはことごとく小石やホコリのたぐいで、どうしても見つかりません。さして広い場所でもないので、10分も探すとあらかた探す場所はなくなります。とうとうあきらめたとき、ふと思いついてヘルメットをかぶる直前、眼鏡を外して置いた場所を見てみますと、ありました。見覚えのある小さなねじが、そこに転がっていたのです。ほっとすると同時に、なぜ最初にそこを見ようとしなかったのか、自分のうかつさに呆れてしまったのですが、一方で『これで日記のネタが一つできた』と喜ぶ自分がいるのですから、難儀な奴だな、と自分で自分のことを思います。
 さて、私は中学生の時から眼鏡をかけているせいか、普段は全く意識したりはしないのですが、こういうときばかりは眼鏡が煩わしくなります。さりとてコンタクトレンズは入れる気がいたしません。もともとものぐさな私にハードコンタクトの煩雑な日々のお手入れが勤まるとは思えませんし、ソフトの使い捨てとかましてやつけっぱなしで○日いけます、というようなモノには抵抗を感じます。でも何より一番イヤなのは、目にものを入れるという行為そのものです。もちろん未だかつてコンタクトレンズなどはめた経験はありませんけど、それを想像するだけで身の毛がよだってしまいます。多分これは、幼少のみぎりに大東亜戦争の撃墜王 坂井三郎の伝記を読んだせいだと自分自身では解釈しております。その伝記で、被弾して目が見えなくなった坂井が破片を取り出す手術を受ける記述があるのですが、麻酔なしでガラス破片をメスで切り出すというその描写に震え上がったのです。それがトラウマになって、目に何かする、というのが生理的に受け付けなくなったのだと思っています。
 でも、そういいながら機械の目とかには何となくあこがれてしまいますね。現在のところ目を代用する装置は、明暗を見分ける程度の能力しかないようですが、将来例えばオーベルシュタインの義眼とか、本当にああいうレベルのものができたら、それに換えてしまいたくなるに違いありません。コンタクトはイヤなのに、何とも極端なことです(苦笑)。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半年ぶりに長編連載完結です。

2006-02-19 21:12:57 | ドリームハンター麗夢
 サイトで連載していた長編小説「夢曼陀羅円光地獄変」がようやく完結致しました。昨年夏コミ直後から週一更新しておりましたが、ちょうど半年かけたことになります。
 私は大体1回5000字位を目安にアップしています。ウェブ上で読むのはそれくらいがちょうどいいんじゃないか、と勝手に思っているのですが、短くしてこまめにアップするのと、長くして連載期間を短縮するのと、読む側からしたらどっちがいいんでしょうね?
 私は日本語の文章は活字を縦書きで読むものだと考える旧い人間なので、正直なところCRT画面に並ぶ横書き文章の読みやすさというのは判らないところがあるのですが、デザイン上の工夫なりすれば、もう少しましになるのだろうか、とか、色々考えたりもいたします。活字の方は、字体やサイズ、字間などで美しく、読みやすくするノウハウが、印刷屋さんに蓄積されていると聞きます。私も馴染みの業者さんから、その手のちょっとした工夫を漏れ聞いて、自分の文書に応用したりもしています。これだけ普及しているホームページなのですから、そろそろウェブデザインについても、そういった見やすさや読みやすさを分析・研究して、それをhtmlの規格に応用する学問分野やノウハウが出てきてもいいんじゃないか、と思うのですが、閲覧に使うブラウザによって意図した見え方がされなかったりすることを思うと、なかなかそれも難しいのかもしれません。
 さて、来週からどうするか、新しい長編小説の連載にしようか、アップが滞っている短編小説でも蔵出ししてみるか、実は「たわごと」も更新が止まっているのでちょっと何とかしたいとネタを用意しつつあるのですが、来週の更新に間に合わせるのは少し厳しいかも。この1週間は本当に「何かと」忙しくなりそうなのですよ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今に第二外国語として「20世紀日本語」なんていうのが出てきたりして

2006-02-18 22:24:40 | Weblog
 とある雑誌で100年前のニュースの記事というのを読みました。その中の一つに、日露戦争時の日本の主力艦をはじめとする世界中の戦艦をまとめて旧式艦にしてしまうほどの画期的な性能を示した戦艦、「ドレッドノート」が1906年、英国で建造され、その後の戦艦の呼び名として、同クラスを弩級、これを超える性能の艦を超弩級と呼ぶようになった、という記事がありました。まあなんてことはない、私などには常識に過ぎない話でしたが、編集後記を読みますと、語源まで知っているのは編集部でたった一人、一人はそもそも「弩級」という言葉すら知らない、と書いてありました。それに加えて、「超弩級」はワープロで即変換されるけれど、「弩級」は変換できない、と書いてありましたので、試しに今こうして日記を書くのに試してみますと、確かに「弩級」は出てきませんでした。それどころか、「ど」だけ選択して変換しても、「弩」の字が選択肢に出てこないのです。早速漢字登録しましたけど、弩の字すら出ないワープロ辞書って、どうなっているの? と思ってしまいます。
 この雑誌は一般向けの科学情報専門誌でしたけど、弩級や超弩級の言葉そのもの、あるいはその語源くらいは、日本人一般の教養として、雑誌の編集に携わるレベルの人くらいは知っていなければいけないのではないだろうかと思います。私としては、100年前の戦艦のスペックをいちいち知る必要はないと思いますし、せっかく日本で新造しつつあった超三笠級戦艦「薩摩」が、たちまち旧式艦に陥らされてしまったことなんていう歴史の知識についても特には不要だと思うのですが、かつて色々工夫して生み出されてきた言葉を、言葉の専門家集団であるはずの方々が大事にしていないような気がするのです。
 弩級に限らず、私の周囲でも、例えば「悠遠」とか「悠久」いう言葉を使いますと、どういう意味だか判らないと言う人がおります。唯一歴史が財産のはずの奈良県民においてさえこの程度なのかと思うと、そのほかの人々はいったいどうなのでしょう。私よりもずっと若い世代の人が、私がカラオケで歌う「愛国行進曲」や「空の神兵」を聞いて、「同じ日本語とは思えない。歌詞が理解できない」というのは、時代特有の独特の言葉遣いや節回しもありますからまあしょうがないかも、と思わないでもありませんが、そう遠からぬ先には、夏目漱石や芥川龍之介の作品も、平家物語や源氏物語なみに山のような注釈と現代語訳をつけないと読めない人なども出てきそうな気がします。日本語という一つのツールが、世代間で共有できないというのは、考えてみると恐ろしいことです。我々人間は意思の疎通の大半を言葉にたよるのですから、言葉が通じないと言うのは、考えや思いを伝えあうことができないと言うことになります。昨今の異常な事件の頻発も、そんなコミュニケーションの阻害が下敷きにあったりするのではないでしょうか? 学校で株取引を教えているところがあるとか、今回のライブドア関連でも株式市場に手を染めている学生がいるとかありましたけど、そんなことよりももっと国語を重視し、小さいうちに古典漢文も含めて古今の名文を暗唱させる位のことをしていかないと、本当に「吾輩は猫である」の現代語訳版が必要な時代になってしまうんじゃないかと心配になります。
 そしてそれよりなにより、サイトに公開したりコミケで販売したりしている私の作品って、実は恐ろしく読みにくいんじゃなかろうか、と初めて疑いを抱きました。私自身は読みやすく、面白くと思い、自分で読む限りにおいてはまあ合格としてよいかな、というレベルの文章を綴っているつもりなのですが、結構古くさい言い回しや「弩級」が読めない人には辞書が必要かもしれない漢字なども頻繁に使っているんじゃないかと思うのです。といって自分で読み返してみても、どのあたりがわかりにくい可能性があるかは自分では判りませんし。ゆゆしき問題ですね、これは(苦笑)。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の滅びゆく姿が見えてきたような気がします・・・。

2006-02-17 22:24:43 | Weblog
 また、子供が通園途中で犠牲になってしまいました。幼稚園児二人が、刺身包丁で滅多切りにされるという方法でもって。犯人は同じ幼稚園に子供を通わせている女性で、二人の園児を車に乗せて登園につきそっていた最中の犯行という、全くもって不可解で信じがたい事件です。不審者情報を警察と地域住民が共有するシステムの導入や登下校時の安全監視ボランティア、あるいはもっとも先鋭的ともいえる我が県の子供に声をかけることを禁止した条例なども、皆性的異常者などの社会の敵を想定して立てられた対策だったはずです。でもこうも身近に子供を襲う輩が出てきては、それらの対策は全くの無力でしかありません。まだ事件の背景や動機などは判りかねますが、こんな事件に対する防護策などというのは、考えるだけむなしくなります。なぜなら、誰一人として信用できる者などいなくなるのですから。同じ幼稚園に通う父兄仲間すら信用できないとしたら、お互いがお互いを信じることのできない「バトルロワイヤル」状態に陥らざるを得ないではないですか。
 それに警察庁によると、子供が被害に遭う殺傷事件の件数が、昨年だけで557件もあったんだそうです。我々がマスコミを通じて知る事件なんて、本当に氷山の一角でしかなく、一日1件を超える子供がらみの事件が毎日発生しているなんて、やっぱり今の日本はどこかおかしいとしか思えません。
 おかしくなった原因の一つは、やはりおかしな価値観を植え付けた戦後教育のせいじゃなかろうかとあまり根拠もなく思ったりもいたしますが、どうもそればかりではないような空恐ろしげな不気味さを覚えます。先日は学校のウサギを盗み出し、サッカーボール代わりに蹴り合いして殺害した子供達のニュースがありましたけど、これらからみても、もはや問題は一部の異常者だけのことではなく、この社会全体が弱い者いじめに走る妙な精神状態に陥っているように思えます。
 本来我々日本人は、例えば阪神大震災などの大災害のさなか、心からお互い助け合い、励まし合うことができる人間のはずなのですが、この未曾有の大難に対しては互いが疑心暗鬼にとらわれるしかないと言うのはいったいどうしたことでしょう。少子化とか生活習慣病とかが深刻な影響を及ぼす前に、この「どこかおかしくなった」ことが原因となって、我が日本は本当に滅んでしまうのではないかとかなり本気で心配になってきました。道徳教育などで地道にでも矯正できるのならまだいいのですが、私にはどうもそんなものでは最早どうしようもないのではないか、と思えてしょうがありません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もったいない」の意味をはき違えてなければいいんですが。

2006-02-16 23:10:09 | Weblog
 神戸空港いよいよ開港ですね。思えば関西国際空港をどこに作るかで本命視されていながら旧社会党の横槍に屈して以来、実現までずいぶん遠回りした悲願ではありました。そういえば阪神大震災の時も旧社会党政権に祟られておりましたね。神戸にとって旧社会党はよくよく凶運を招く相手であったようです。
 まあそんなことはともかくとして、とりあえずはおめでたいのだとは思います。こんな狭い地域に3つも空港がいるのか、という疑問は私も抱きますけど、交通網が整備されるのは悪くない話ですし、伊丹や関空で万一アクシデントがあって飛行機が降りられなくなっても、神戸で降りてくれるなら関西人としてはまあ許せるというものではないですか、と飛行機には滅多に乗らない私が言うのもなんですが。
 ただやっぱり滑走路の大きさは2500mしかないのですね。柳田邦男の「マッハの恐怖」だったか、あるいはその手のドキュメンタリーだったんじゃないかと思うのですが、ジェット旅客機にとって2500mの滑走路というのは確かぎりぎりなサイズと書いてあったような気がするのです。いや、2000mだったかな? うろ覚えなのでちょっといい加減ですが、どちらにせよあまり余裕がある大きさではないのではと思われます。いくら国内線だけに限った地方空港だといっても、滑走路が大きければ、飛行機を操縦する側からみても使いやすい空港ということになるのでしょうし、そのゆとりは安全に直結するようにも思えます。また、将来飛行機がより大型化したりしても、対応がとりやすいのではないでしょうか? どうもみてますととかく日本人はぎりぎりの性能を狙うのが病的に好きなようで、第4艦隊事件を引き起こした艦艇達や零式艦上戦闘機、相次いで失敗した人工衛星やH2ロケットとか、今昔取り混ぜて余裕のなさからくる失敗例が多すぎる気がいたします。零戦は失敗とは言えないかもしれませんが、貧弱な技術でぎりぎりの性能を狙ったがために全く設計に余裕がなく、戦争中を通じてほとんど性能アップできなかったという点をとれば、あえて失敗といってもいいんじゃないかと思います。

「もったいない」といういい日本語がありますけど、日本人の場合、その「もったいない」感覚があまりに近視眼的すぎるんじゃないでしょうか? 目前の「もったいない」に拘泥するあまり、結局壮大な無駄を生み出しているようで、それこそ「もったいない」なあとため息が出ます。もう少し長い目でもって、ゆとりあるものの見方ができてもいいんじゃないかと思うんですが、そういう性質をはぐくんでこその「ゆとり教育」ならよかったんですが。それともこれは教育でどうこうできるものではなく、日本人の遺伝子にしっかり書き込まれた特質だったりするのかもしれません。
 
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒暖の落差激しい春への道のりです。

2006-02-15 21:50:26 | Weblog
 オリンピック、やっぱりジャンプは面白いですね。今日はノルディック複合の団体戦でしたが、ラージヒル並みのジャンプで軒並み120m超えるような飛びっぷりには感心いたします。日本勢は今のところ相変わらずパッとしないみたいですけど、何とかもう少しがんばって欲しいところです。

さて、今日は本当に暖かい一日でした。一昨日くらいから昼は相当暖かくなってきているように感じましたけど、今日のはまた格別で、バイクで走っていてもエンジンの調子が明らかに違うように感じられました。静岡ではなんと25℃近くまで気温が上がったそうですね。2月としては47年ぶりの高温なんだそうですが、暖かくなって欲しいとは思いますけど、そこまで上がってもらっても困りものでしょう。
 山の中の我が職場も、そこまではもちろん上がってはいませんけど、つい先頃の凍てついた風景がまぼろしだったかのような、薄気味悪い暖かさでした。このまま一気に春になってくれれば個人的にはうれしかったりするのですが、まあそんなうまい話はないのが常で、これから週末にかけて、また季節にふさわしい気候になるそうです。毎年こうして暖かさと寒さを繰り返しながら春が訪れるのでしょうが、それにしても今年は、寒暖の差が異常なほど激しすぎるのが難儀なところです。
 ところで、一時とはいえこうも暖かくなると、いつの間にか春の兆しがそこここに現れていることに、今更ながら気づかされます。梅はまだ私のいるところでは咲いていませんけど、かなりつぼみがふくらんできており、もうそう遠くない日に花開くに違いない、と思わせる様子になってきております。代わりに今盛りになっているのが、ビワです。多分果物で一番早く咲き始めるのではないでしょうか。大して見栄えしない花ですけど、それほど大きくもない木のそこここにたわわに咲き乱れています。昨日今日などは、どこから現れたのか、結構大勢のミツバチがビワの木の周りを飛び交っておりました。今はまだビワくらいにしか集め甲斐のある蜜はないのでしょうから、こうして集まってきているのでしょう。ミツバチは本当に暖かにならないと飛ばないので、なるほど、確かに今日はぬくい、と改めて覚えさせられました。
 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮫に襲われたときの対処法。

2006-02-14 21:29:32 | Weblog
 今日はバレンタインデー、マリみてファンならウァレンティーヌスと書いた方がいいのかもしれませんが、呼び名はともかく昨日「華やかにしたい」と申し上げておりましたことを、まずは実行してみました。CGを一枚アップしてみただけではございますが。まあこの3人娘の取り合わせは描いていて楽しかったですし、今回初めてベジェ曲線に頼らずに描いてみたのですが、まずまずいつもとそう変わらない風にできましたので、個人的には満足しています。いろいろ試行錯誤の連続で、こんなにやり直すなら最初からベジェ曲線で描いておいた方が楽だと思いましたけど、フリーハンドにはフリーハンドのやりやすさもあることもおかげさまで何となく見えてきました。これからはフリーハンドとベジェ曲線のいいとこ取りして効率よく絵を描けるようになれればいいなあ、と、ムシのいいことを考えている次第です。それがもっともっと上手に描けるようになるきっかけにでもなってくれたらいいんですけど、こればかりは願い通りにはいかないみたいです。

 さて、サメに襲われたときは、じっとおとなしくしてないで攻撃的にその鼻面を思い切りぶん殴る! というのが助かるための秘訣なのだそうです。ネットニュースで見かけた、サメの襲撃に関する世界最大のデータベースを持つアメリカの研究所の所長さんのお言葉です。クマの場合も死んだふりをするのは間違いらしいのですが、とはいえサメがもの凄い歯を並べた大口を開けて襲いかかってきたときに、ちゃんとその鼻面をパンチできるのかどうか。たとえそれが有効な手段だと知っていても、恐ろしく難しい気がいたします。生き残るためなら必死に闘わなくてはならないと言うことなのでしょうか。日本でいる限りサメと出会うこともそうはないとは思うのですが、昨今はサメが海水浴場付近に現れたというニュースがあったりしますし、その研究所のデータでは、昨年の被害地域に韓国があがっていたりしておりまして、とりあえず知らないよりは知っておいた方が万々が一に役立つかもしれません。それはともかく、サメの被害は2000年に78件、死者11人、2004年に64件、死者7人、2005年は58件、死者4人と減少傾向にあるそうです。原因として、人々の警戒心が増したことに加え、漁業の乱獲によるえさの減少で、サメそのものの数が減ったためではないか、という説が唱えられているとか。世界中から魚を捕りあさっている我が国としては、何とも表現に困る仮説ではあります。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬季五輪、日本はなかなか芽が出ませんが、個人的には十分楽しんでいます。

2006-02-13 21:29:22 | Weblog
 冬季五輪、どうも日本勢は運やら何やらに見放されている感じがします。岡部のジャンプも残念な結果になりましたし、ハーフパイプも中井がミスなしの演技を披露したのに予選すら突破できず、全く残念なことです。ただ観ていて思ったのは、勝つ選手というのは格の違う演技をするんだ、という素朴で当たり前のことでした。私はルールすらよく知らない素人ではありますが、それでも飛ぶときの高さや降りるときの正確さ、なにより予選の時の余裕たっぷりな演技などは十分感じられました。あんな選手がほかにいたのでは、日本勢もなかなか勝てそうにない気がいたしました。
 圧巻だったのが滑降です。120キロオーバーで雪原を下り、一秒未満で順位争いするその姿は、まさに鬼気迫るものがあります。日本人は出ていない競技ですが、十分に堪能いたしました。日本を応援する気がないわけではないのですが、それ以前にまず単純に冬のスポーツが好きなので、日本人が出ていなくても中継してくれる放送局には感謝したい位です。

 と、オリンピックにうつつを抜かしつつも、少しずつ「仕事」の方も動き始めました。昨日来のノドの異変は変化なしのままなので、相変わらずおそるおそるといった感じですが、その分気力が戻ってきているような気がしますので、そろそろ本格的に動き出してもバテずにすむかな? というような次第です。その成果はまた改めて記録するときがくると思いますが、まずはじっくり焦らず「下ごしらえ」に意を尽くしたいと思います・・・、って、これじゃ私以外の人間には何のことだかさっぱりですよね。これは私個人の日記なので自分自身はこれで十分と思わないでもないのですが、ごらんいただいている方々のために少しだけ補足しておくと、とあるやんごとなきお方に会見を申し入れ、近々お会いできそうな塩梅になってきた、というところです。
さて、明日はバレンタインデー。といって義理以外にチョコの当てなどありませんが、この日記だけでも華やかに参りたいものです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする