我が国で分娩を取り扱う施設の46%は産婦人科医が1人しか勤務してませんし、分娩取り扱い施設の84%が勤務する産婦人科医数3人以下です。しかも、全国の産婦人科医の4分の1は60歳以上と、産婦人科医の高齢化も急速に進んでいます。
1人勤務の分娩取り扱い施設のほとんどは、今後数年以内に分娩取り扱いが中止されるでしょうし、現在60歳以上の産婦人科医のほとんど全員が10年後には現役を引退していることも間違いないと思います。
今も多くの産科施設が休診ないし規模縮小に追い込まれていて、事態はどんどん悪化し続けてます。このままでは10年後には妊娠しても分娩を受け入れてくれる産科施設が日本中どこにもみつからないような最悪の事態も予想されます。
国、自治体、医療界、医学教育界、法曹界、市民が、挙げて、この問題の解決に真剣に取り組んでゆく必要があると思います。
****** 読売新聞、長野、2008年6月5日
集約化でも医師足りず
(略)
毎年約1600人の赤ちゃんが産まれる上伊那地域では4月から、伊那中央病院が拠点病院となり、地域内のお産のほとんどを引き受けることになった。信州大医学部から産科医が新たに1人派遣され、同病院の常勤医は5人になった。一方の昭和伊南総合病院では、非常勤の産科医が週3回半日だけ、外来診療を行う。
伊那中央病院産婦人科の山崎悠紀医師(30)の当直勤務は、3日に1度から、4日に1度に減った。当直の日は、午前8時30分の勤務開始。分娩が重なれば、翌朝までほぼ徹夜で勤務し、そのまま午後5時30分まで病棟勤務を行うことが多い。「正常分娩でも、神経は使う。少しでも家でくつろぐ時間が増えたのはありがたい」という。
その一方で、同病院での分娩は、毎月70~80件から90~100件に増えた。「3、4件のお産が重なって、てんやわんやになることが増えた。結局、負担は多くなっているかも」と、山崎医師は話す。
県内で最初に、産科の集約化に踏み切ったのは、飯田下伊那地域だ。飯田市立病院(飯田市)が06年度から拠点病院となり、常勤医は3人から4人になった。07年度には常勤医がもう1人増えた。
ところが、今年4月、常勤医のうち、後期研修中の若手医師が外科に移り、女性医師が家庭の都合で非常勤を選んだ。拠点病院の常勤医が2人減るという事態に、信州大医学部は急きょ、医師1人の派遣を決めたが、それでも差し引き1人の減。
今、飯田市立病院は1か月の分娩を70件程度に絞り、それを超えた場合は、里帰り出産や地域外に住む妊婦を断ることにしている。8月については、10件以上断ったという。
集約化により、地域ごとに、分娩を扱う施設が確保され、“お産難民”が生じるという最悪の事態は回避できている。ただ、集約化してもカバーしきれないほど、産科医不足は深刻になっている。
(以下略)
(読売新聞、長野、2008年6月5日)