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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

キリスト最後のこころみ

2006-04-14 | Philippine
キリスト教徒が人口の80%と言われるフィリピンでは、
HolyWeek(聖週間)といった名目でEaster(復活祭)前の一週間、
つまり、今週の月曜日から毎日のようにミサが執り行われる。
…会社も商業施設も木曜日から日曜日まで休みと聞いた。

昨日13日はthe Last Supper(最後の晩餐)が開かれ、ユダの裏切りが露呈する日。
そして今日14日の金曜日は、Crucification(十字架磔刑)の受難を祝う日で、
おそらく朝から、大がかりなミサが執り行われているコトだと思う。

           ●

ぼくが「最後の晩餐」と聞いて思い起こすのは、
ニコス・カザンザキスの「キリスト最後のこころみ」という小説だ。

「タクシードライバー」のマーチン・スコセッシ監督が映画化し、
イエスを生身の人間に描いて物議を醸したが、
なんとも感動的なのは、イエスがもっとも信頼する使徒として
「裏切り者のユダ」を捉えている点だ。

イエスは常に迷い戸惑い続ける弱い人間で、
しかし彼の運命は神の子として十字架で死を全うし、復活すること。
革命派のユダは、相談役となって彼を支え、最後はみずからの裏切り行為で
イエスの運命を成就させようとする。

ローマ軍に捕獲されるために、ユダがイエスに接吻するシーンは、
激しく情熱的で、官能的さえあり、ゆえに胸に響く。

しかし、とことん意志の弱いイエスは、十字架にはりつけにされながらも、
自分の不遇を嘆き、苦悩ばかりで救いがない…と天を仰ぎ、神に訴える。

「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ!」…神よ、なぜ私を見捨てた!

すると誘惑の天使が舞い降り、イエスに耳打ちする。

  「よく頑張った、もう楽にしていいんだよ」

…イエスは夢想する。普通の人間としての営みを…。
…マグダラのマリアと結婚し、子をもうけ、生を謳歌する自分を…。
…己の欲望を求めたが故に、世界は崩壊の一途をたどり、
…やがてイエスも死の床についてしまう。

        …その枕元で、再びユダが登場するのだ。

ユダはイエスを激しくなじる。
「おまえはなぜ、俺が裏切り行為までして成就させようとした運命から逃げたのだ!」

はたとイエスは気づく。
わたしは悩める万人を解放するために十字架を背負い、
自らの命を捧げ、復活する運命にあることを……

  ……神よ!…どうか今一度!…わたしを十字架のもとへお戻しください!

次の瞬間、イエスは十字架の上で目覚める。
ゴルゴダの丘の上ではりつけにされているイエスをただ、ただ、信じて、
天の神へ祈りを捧げている人々の声が耳に入る…。
…そうだ、わたしは、この人たちのために、成就しなければならない。

    「成し遂げられた!」

イエスはそう叫んで絶命し、小説は終わる。

そのあまりに困難な運命に立ち向かい、成就するイエスの壮絶な生き様と、
それを支えるユダの強靭な精神と愛情に涙したのを、昨日のように覚えている。

     まさに今日は、Great Fridayなのだ。





スコセッシの「最後の誘惑」

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