その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、映画、本などなどについての個人的覚書。SINCE 2008

太宰治『新ハムレット』(新潮文庫、1974)

2024-03-23 07:40:11 | 

太宰治の作品を読むのは学生時代以来。本作の芝居を見に行くので、予習として原作に目を通した。(本文庫本には本作含め5作品が収録されているが、読んだのは本作だけ)

冒頭に筆者の「はしがき」があって、「『ハムレット』の注釈書でもない、または、新解釈の書でも決してない・・・作者の勝手な、創造の遊戯に過ぎない・・・。狭い、心理の実験である。」と説明がある。「狭い」かどうかは置いておいて、それ以外はその通り。シェイクスピアの『ハムレット』から登場人物と状況設定は借りつつも、中身は全く異なる、似て非なるものである。

前半は、元『ハムレット』との差分・違いが気になりながら読み進めたが、段々と太宰版の世界に嵌まっていく。登場人物夫々の人としての癖、どこまでが本心でどこが嘘なのか、真の動機は何なのか、そしてこの物語はどう収拾されるのか・・・。物語としての吸引力は元『ハムレット』同等に強いと思わせるぐらいだ。作者が書いた通り「心理の実験」であり、心理劇になっている。

発せられる言葉もシェイクスピアに負けてない。

「忍従か、脱走か、正々堂々の戦闘か、あるいはまた、いつわりの妥協か、欺瞞か、懐柔か、to be, or not to be, どっちがいいのか、僕にはわからん。わからないから、くるしいのだ。」(ハムレット、p.265)

「形而上の山師。心の内だけの冒険家。書斎の中の航海者。つまり、ぼくは取るに足らない夢想家だ。」(ハムレット、p.291)

「信じられない。僕の疑惑は、僕が死ぬまで持ち続ける。」(ハムレット、p.350)

・・・

否が応でも、太宰のほとばしる才能を感じる作品だ。さて、これが芝居ではどう表現されるのだろうか・・・。

 


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