その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、映画、本などなどについての個人的覚書。SINCE 2008

伊藤亜聖『デジタル化する新興国  先進国を超えるか、監視社会の到来か』(中公新書、2020)

2024-03-16 07:47:42 | 

 「デジタル技術による社会変革は、新興国・途上国の可能性と脆弱性をそれぞれ増幅する」という仮説に基づき、様々な可能性と脆弱性の事例を紹介しながら、途上国・新興国におけるデジタル化の影響を検証・整理する一冊。

構成と文章が明快なので、網羅的かつ構造的に論点について理解しやすく、良い意味で「教科書的」である。

デジタル化による変化には以下のような特徴がある。
1)従来の「先進国」と「新興国」といった紋きり調の定義が変容していく。
2)経済発展戦略における「人材・技能」、「インフラ」、「金融」、「支援制度・政策」といった先進国からの支援パッケージも、工業化のための仕組みとデジタル化のための仕組みでは異なっている、
といったことだ。漠然とは感じてはいたものの、文字に落とされて、改めてその通りだと感じる。

日本もこうしたデジタル化による世界の構造変化の波を大きく受けている。工業化時代においては、新興国への「開発援助と協力」で国際的な役割を果たしてきたが、足元のデジタル化がおぼつかない今の日本では、国際的な役割は不明確だ。筆者は「共創パートナーとしての日本」(p.223)を構想として打ち出している。

「好奇心と問題意識のアンテナを広げ、日本の技術や取り組みを活かす。同時に新興国に大いに学び、日本国内に還流させる。加えてデジタル化をめぐるルールつくりには積極的に参画し、時に新興国のデジタル化の在り方に苦言を呈する。(中略)より対等な目線で、共により望ましいデジタル社会を創る、という姿勢だ。」(pp.223⁻224)

これだけでは如何にも学者さんの考察で抽象的すぎるが、具体例として、インドの生体認証PJへの日本企業によるシステム提供やコーポーレート・ヴェンチャー・キャピタル、日本企業の海外拠点によるデジタル化動向の調査、デジタル経済と技術開発をめぐるルールつくりへの参画などが例として挙げられている。明確で絶対の答えは無い問いであり、これから様々な関係者がもがかなくてはいけない分野だが、このデジタル時代における日本の国際的な役割について明確に語れないところに、日本の危うさがちらつき、昨今の株高も素直に喜べないところだ。

先だって読了した『幸福な監視国家・中国』のような現場視点でのレポート情報は無いので、迫力には欠けるが、新興国のデジタル化について概観を掴みたい人にお勧めできる1冊だ。

 


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