その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、映画、本などなどについての個人的覚書。SINCE 2008

シーラ・フレンケル, セシリア・カン (著), 長尾莉紗, 北川蒼 (翻訳)『フェイスブックの失墜』(早川書房、2022)

2024-03-12 07:43:36 | 

フェイスブックには随分、恩恵を受けてきた。20年連絡が取れなくなっていた海外の友人とコンタクトがとれた、普段なかなか会えない友人と近況を手軽に共有できる、知らない情報・行ったことのない場所に触れることができ、世界・知識が広がる・・・。ただ、こうした恩恵のためにどれだけの自分をリスクにさらしているか、危うい情報環境に身をさらしているか。それを教えてくれる1冊だ。

ユーザーの属性・行動情報を売り物にして利益を得る広告モデル、フェイク情報の流通の担い手、メディア企業としての社会的責任を回避する企業体質など、本書にはフェイスブックの影の部分が、関係者の取材を基にディテールに渡って描かれる。読み易いが、読んでいて気が重くなり、一気に読むというわけにはいかなかった。

「テクノロジーは、考え方や経験の似通った人々が構成するエコーチェンバーをあちことに生み出してしまった。ザッカーバーグはこのジレンマを解消できていないかった。フェイスブックは一つの国家ほどの力を手に入れ、抱える人口は世界中のどの国より多い。しかし、実際の国家は法律によって統治され、指導者は国民を守るために消防士や警察などの公共サービスに投資する。しかしザッカーバーグはユーザーを守る責任を取っていなかった。」(p.316)

「フェイスブックの心臓部であるアルゴリズムは強力であり、膨大な利益をもたらす。フェイスブックのビジネスは、人と人とをつなぐことで社会を発展させるという使命と、そうする過程で利益を得るという。両立することが難しい根本的に二律背反の上に成り立っている。」(p368)

フェイスブックに限らず、グーグル、Xなども構造は似たようなものだろう。かといって、こうした巨大テックカンパニー誕生前のマスコミに牛耳られて情報コントロールされた世界の方が良いかと問われれば、それはそれで疑問だ。こうしたプラットフォーム企業のサービスなしには生活すらままならくなってしまった私ら一般個人はどうすべきなのか?どうプライバシーを守り、何を基に物事を判断し、どうサービスを利用すればいいのか、が問われている。もちろんそれは個人個人が考え、行動するしかない。

「企業の社会的責任」、「企業ガバナンス」、「公的規制の在り方」、「表現の自由」、「メディア・リテラシー」等、現代社会における重要テーマのケーススタディとして最適だ。そして、ここまでの取材と記述を行う米国のジャーナリズムは流石と感嘆する。多くの人(特にフェイスブックユーザー)に勧めたい1冊である。

 

目次

どんな犠牲を払っても
大物を挑発するな
次世代の天才
私たちはどんなビジネスをしているのか?
ネズミ捕り係
炭鉱のカナリア
クレイジーな考え
企業は国を超える
フェイスブックを削除せよ
シェアする前に考えよう
戦時のリーダー
有志連合
存亡の危機
大統領との接近
世の中のためになるもの
エピローグ ロングゲーム


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